第三話 魔王と側近
魔王が参謀から助言という名のダメ出しを受けていると、部屋の外から何やら不穏な気配が漂ってきた。
魔王がかけた封印のお陰で一切の音や魔力、物理的な衝撃は通さないが、その圧倒的な存在感は室内にいても感じられる。
「来ましたね」
「来たな」
二人はどちらともなく顔を見合わせる。リヴィルはにやりと笑みを浮かべ、魔王はため息を吐いた。さんざん話題に出ていた、例のあいつが辿りついたに違いない。
放っておいても封印が破られることはないだろうが、このままでは周囲に影響を及ぼしかねない。隣でにやけている奴や、ドアの向こうの奴はどうなっても構わないが、日頃真面目に仕えてくれているメイドや警備の者たちをむざむざ危険に晒そうと思うほど、魔王は身内に対して鬼畜ではなかった。
魔王は仕方なしに座ったまま手のひらをドアに向け、小さく解呪の言葉を呟く。
「陛下ああああああああああああああ!!」
途端、魔王の自室を守る重厚な扉は爆発でもおきたのかと錯覚するほどのけたたましい破壊音をたてて開かれた。というか、吹き飛ばされた。
飛んできた扉の破片をリヴィルが上手く逸らしながら、素早く自身と魔王を囲う形で結界を展開した。
そして、そこに突撃する者がいる。
「貴様、リヴィル!陛下を閉じ込めてどうするつもりか!!」
鋭い牙を剥き出しにした大男が吠える。短く立たせた髪は燃えるように赤く、黄金色の瞳もまた縦長の瞳孔を開いてぎらぎらと不穏な光を灯していた。
手には身の丈程もある大剣を携え、リヴィルの張った結界にためらいなく振り落とす。魔力が込められた剣を結界が受け止めるたび、青い光が散った。
「どうするも何も、今現在陛下に振りかかる凶刃からその御身をお守りしていると自負しているのですが。私の認識、間違ってますかね」
「……そう油を注いでやるな」
目の前でなにやら暴走している筋肉馬鹿を眺めつつ、リヴィルはのんびりと紅茶を啜った。
客観的に見れば、いや、どこからどう見ても、今現在魔王に危害を加えようとしているのはリヴィルではなく、扉を蹴破って侵入してきた大男の方だ。
男は普段から気の長いたちではないが、リヴィルの施した数々の小細工、もとい妨害により完全にキレているらしい。自分が仕える主君に向けて剣を振るっている自覚があるのかどうか。
「それでどういたします、アレ。完全に頭に血が上っているようですが」
「誰のせいだ、誰の。……責任は自分で取れ」
「御意に」
楽しくて仕方がない、という顔をしたリヴィルがまた悪癖を発現させたのに気がつき、魔王は全てを投げた。仕方がない、今日はいろいろと意気消沈しているのだ。馬の合わない部下達の小競り合いをわざわざ止めるほどの気力など残ってはいない。
投げやりに下された命令に恭しく礼をし、リヴィルは一つ、パチンと指を鳴らした。
すると、どこからともなくするすると水が湧き出し、三名の頭上に巨大な水の塊を形成し始める。
「頭を冷やして差し上げましょう」
音もなく膨らんだそれが部屋の体積の四分の一程度に達した時点で、リヴィルの白い手のひらが下に向けられた。
「!!」
それまで水を支えていた力が、切れる。
ざぁと一気に落ちた水は、下にいた者たちへ容赦なく降りかかった。もちろん、リヴィルの結界はそれを一切通さず、見えない壁を伝って流れ落ちる。
攻撃魔法ですらない、ただ水を集めて落としただけのものだったが、一定の効果はあったようだ。ただの水でも、この広い魔王の私室の体積四分の一ともなれば、その重さだけでも衝撃は凄まじいことになる。
大男は咄嗟に踏ん張り無様に転ぶようなことはなかったが、それでも相当の負荷がかかった首ががっくりと下を向いている。赤髪から、ぽたりぽたりと雫が落ちた。
「目が覚めました?」
一瞬の沈黙を破ったのは、リヴィルだ。挑発なのかなんなのか、くすくすとした笑いを止めない。
だが、それに頭を抱えたくなったのは魔王だった。
(……わざとか、こいつ)
解き放たれた水は、しかしこの部屋から漏れることはなかった。
吹き飛んだドアからも流れ出ることはせず、今も部屋に留まっている。結界がなければソファに座った魔王の胸のあたりまで浸かるほどで、最早水浸しといった生易しいものではない。浸水している。
リヴィルならば大男の頭上にのみ降らせることも、床に触れる前に他へ送ることもできるくせに、主君の私室をプールにして楽しんでいるのだ。
おかげで、細かな装飾が成された品のいい調度品が無残なことになってしまった。寝室が別なことが唯一の救いだろう。
「リヴィル、覚えていろ」
「おやおや、私に一任してくださったではありませんか」
悪癖が現れているとわかっていながら、こいつに任せるのではなかった。
魔王はリヴィルを睨めつけ、腕をひと振りした。そうして部屋に溜まった水の大部分を消滅させるが、未だに家具は濡れたままだ。まるで何事もなかったように対象を消すのは、魔王の得意とするものではない。
飄々と口元を歪めるリヴィルには、どうせ片付けをするつもりなどもとよりないのだ。結局、魔王付きメイドたちの仕事は増えてしまった。
魔王はリヴィルを恨めしく思いつつ、先程から停止したままの大男にちらりと視線を投げる。
「……ゼノン、頭は冷えたか」
魔王が声をかけると、それまで水を滴らせながらうつむいていた大男が、機敏に身体を動かした。取る姿勢は、土下座。
「申し訳ございませんでした魔王陛下!陛下を守る身でありながら、まさか御身に刃を向けるなど……!どうか私を罰してください!!!」
それを見たリヴィルが大笑いしているのを背景に、大男、ゼノンは震える声で謝罪を叫んだ。あまりの後悔にじっとしていられないのか、彼がガンガンと頭を床に打ち付けるたびに、絨毯に染み込んだ水分がべちゃっべちゃっと嫌な音をたてている。
本当に、魔王の側近は面倒な奴らばかりだった。
「よい。身体を起こせ」
「しかし……」
「罰はいらん、こいつのせいだ」
冷めた目で元凶たるリヴィルを見やると、奴は笑いすぎて涙を浮かべていた。
楽しそうで何より、後で首を刎ねる。魔王は密かにそう決心しながら、依然ためらうゼノンに視線を落とした。
「罰はいらんが、報告は義務だ。顛末を話せ」
「はっ!」
魔王の指示に、ゼノンは姿勢を正し臣下の礼をとる。リヴィルのものとは違い、きびきびとしたそれには感情が篭っている。力にのみ忠誠を誓ったリヴィルとは異なり、ゼノンは魔王の人格を含めその存在全てに対し畏敬の念を抱いていた。
顔を伏せたまま、側近は語りだす。
「先程から陛下の姿が見えず城内を探していましたら、そちらの道化に妨害をされたのです。そこらじゅうにトラップが仕掛けられ、何度か石化や氷漬けにされ……これは何かを企んでいるに違いないと気配を辿りこちらに伺えば、扉には厳重な封印がされており、御身が拘束されているのではないかと思い至り、思わず暴走いたしました」
魔王は今度こそ頭を抱えた。
もしや、使用人の姿が見えないのは魔王の気に当てられたからではなく、既に城内の始末に翻弄されているからなのではなかろうか。魔王がちらりとリヴィルを睨むと、あからさまに視線を外された。
「私がこいつに遅れをとるでも思ったか」
「申し訳ありません!ですが、」
「いい。こいつがいまいち信用できない気持ちもわからなくはない。が、あまり見くびるな」
深紅の瞳がぎらりと獰猛な色を滲ませたのを見て、ゼノンは身を固くした。リヴィルには全く効果がないが、弱い魔物であれば一睨みで絶命する視線だ。できれば正面から受け止めたいものではない。
じわりと冷や汗を滲ませながらも目線を合わせたまま真摯に見上げてくる側近に、魔王は一度瞬きをし、その光を隠した。
「全く、心外ですねぇ。私は陛下の逢瀬のお手伝いをしていただけですよ」
ようやく半ばうやむやにしたまま事が済ませられそうだというときに、余計なことを言い出す者が一人。
「リヴィル!」
「……逢瀬、とは。もしや陛下、またあの小娘の所へと行っていたのですか!?」
魔王は、案の定食いついてきたゼノンに、だからお前はいつまでもリヴィルにからかわれるのだと小言を言いたい気分だった。彼は単純で、いつもリヴィルの思うように手のひらで転がされているという、自覚もないのだ。
さっきまでのしおらしい態度はどこへやら、ゼノンは魔王に食ってかかる。
「なりません、陛下!!陛下には人間の娘などふさわしくはないと何度も言っているではないですか!!」
「おや、それは陛下がお決めすることで、あなたが口を出すべきではございませんよ?」
「ふざけるな、リヴィル!!この方は魔族の王なのだぞ!人間ごときと恋仲になるなど、認められるか!!!!」
「何様です、ゼノン。陛下がお選びになられたお方を侮辱するおつもりですか」
ゼノンは、魔王がエレノアにアプローチをしていることに猛反対していた。むしろこうして基本的に応援の立場に立つリヴィルの方が奇特なのだ。そもそもリヴィル自体、心から応援しているのか、単に楽しんでいるのか、魔王にもその判断はつけられないのだが。
何度も行われた舌戦は聞いているだけでもうんざりとしてくるが、魔王も絶賛片恋中の娘をそう悪く言われるのは耐え難い。
「だまれ」
ついでに魔力で威圧し、魔王は一旦二人の口を塞ぐ。心持ちゼノンの拘束はキツめだ。ぐっと息を詰めたゼノンの顔が赤く青く染まるのは、見なかったことにする。
「何者にも口出しは赦さん。これ以上彼女を侮辱するのなら、ゼノン、お前であろうと容赦はせん」
もとより返事は求めていないので、拘束を緩めることなく魔王がそう言い切ると、ゼノンは血の気の引いた顔で必死に首肯した。どうせ直情的なゼノンがこの先ずっと抑えられるとも思わないが、こいつはこれで、今亡くすのは惜しい。
力を引くと、ゼノンはぜいぜいと肩で息をする。リヴィルとは違って、呼吸ができなければほとんどの魔族は生きていけない。床に手をつくゼノンを、リヴィルは嘲笑っている。
「なぜそう否定する。長い歴史の中、人間を娶った魔王も存在するだろうに」
「……ですが、そういった方々は次代に継ぐことがありませんでした。血を残すのならば、人間との混血ではなく魔力の強大な魔族の娘を娶るべきです」
「全く、陛下は血族による支配など望んでいらっしゃらないとよくご存知でしょうに」
魔族の王は世襲ではない。先述したように、単純にその時その時代で最も力を持った者が魔王となるのだ。本人の意思は、関係なく。
とはいえ一度手にした覇権を、自分の子孫に継がせたいと思う者も少なくはない。今上の魔王は、まだ一代目だ。忠実な部下としては、代を継なげてほしいのだろう。
「私は子に継がせる気はない。諦めるんだな」
はっきりと宣言をした魔王を前に、ゼノンは唇を噛む。
それをどこかしらけた顔で見ていたリヴィルが、パチリと指を鳴らし何かを取り出した。手のひらに収まるその琥珀色の石は、エレノアが加工を施した魔法石だ。
「そう人間を邪険にしなくとも、あれはあれで面白いですよ?確かに魔力は多くはないですが、それを補う技術がある」
「だが、どれだけ工夫をしようと所詮魔族の力には及ばないではないか」
「力でばかり測るから、あなたは脳筋なのです」
魔王が魔族領に持ち込むまでは見たこともなかった魔法石を手のひらで遊ばせながら、リヴィルは肩を竦める。
そして、彼はほんの少しだけその石に魔力を込めてみせた。魔法石は、じわりと光を溢れさせ、ちらつくこともなく一定の光度で光り続ける。灯の魔法石だ。
それをリヴィルはぽいっとゼノンの目の前へと投げる。
「例えばこういったものは、確かに攻撃には使えません。ですが、これを導入してはるかに生活環境が改善しました」
ゼノンはその石を拾い、複雑そうな顔で見つめる。起動させたリヴィルの手から離れても自発的に光り続けるその石は、確かに便利だった。
もともと魔族領の主な光源といえば、松明が主流だった。火種を使わず自らの魔力で薪に火を点けることはできても、芯もなく炎を維持し続けるとなるとそれなりの魔法の技術が必要だ。それに所詮は炎、隅々まで照らすことは難しく、ゆらゆらとゆれる光がそぐわない場合も多々あった。
それを改善したのが、この灯の魔法石だ。魔石と引き換えに魔王が魔王城に大量に持ち込み、これにはじめて触れた使用人らは大変に感激していた。
それから張り切ったメイドたちによって夜も爛々と光が満たされ、さらに魔王城から魔族らしさというものが失われる結果となったのだが。
「……だが、魔族とは力で結束する者たちだ」
灯の他にも、既に常用されている魔法石はいくつかある。ゼノンとて、その恩恵を知らぬわけではなかった。それでもやはり、長年染み付いた『人間は下等な生き物』という認識はなかなか変えられないのだ。
その認識はなにも、ゼノン特有のものではない。むしろ魔族の一般常識だ。
しかし、ゼノンが力なく呟いた言葉は、まるで負け惜しみのように響いたのだった。
▽訂正
少々文を整えました。