第一話 商談成立
リン、と澄んだ音が聞こえて、エレノアは手に持っていた魔石を置いた。
作業台の片隅に置かれた小さなベルが淡く光っているのを確認し、一旦作業を中断して立ち上がる。
吊るされていないどころか舌すら持たないそのベルは、本来ならば自然に音を響かせることはない。だが、このベルはエレノアが魔石を削り魔力を刻んだ魔具の一つで、店のドアに取り付けられた対の片方が入口を潜った相手の魔力に反応し、こちらのもう一方が音を鳴らすように作られていた。
つまりは、来客の知らせだった。
エレノア以外の従業員を持たないこの店にとって、唯一の店員が一日中決して多くはない客を店先で待ち続けるわけにはいかないのだ。
立ち上がると同時に背骨が軋む感覚がして、エレノアは一度大きく伸びをした。
今日も今朝方に客が一人来たっきり、それからずっと作業場に篭っていた。意識はしていなかったが、どれくらいの時間机にかじりついていただろう。
一度集中すると周りが見えなくなるのが、エレノアの欠点だった。
酷い時には何食も食事を抜かし、それどころかせっかく作ったベルの音にも気がつかず、何度か客を逃してしまったことさえある。いくら盗難防止の仕掛けが施してあるとはいえ、客の信頼を失ってしまうのは好ましくない。
そのため、没頭しすぎる前にこうして適度に集中を切ってもらえるのは、エレノアにとってむしろ都合がよかった。
(またお昼抜かしちゃったな……)
昼時から大きく過ぎてしまっている時間を確認し、エレノアは思い出してしまった空腹をなだめるようにお腹をさする。
接客が済んだらご飯にしようと決めて、そうしてようやく彼女は店先に顔を出した。
「いらっしゃい、クレイさん」
「どうも」
やっと登場した店主兼店員に気がついた客が、それまで手持ち無沙汰に眺めていた色とりどりの魔法石が並ぶ棚から視線を外し、胸に手を当てて軽く挨拶を返した。
濃灰色の髪と瞳を持った、20代後半くらいの青年だ。華奢ではないがとても筋肉質には見えない、やや細身のその身体には不釣合いなほど大きな鞄が、彼の足元に置かれている。
実を言うと、エレノアには誰が来店していたのかがわかっていた。ベルは他人の魔力を感知して起動するため、あらかじめ魔力を登録しておくことで、その音色や色に変化をつけることができるのだ。
「今日はどういったご用件ですか?」
青年、クレイ・アークラインはこの店の馴染みの客だ。年若く、整った上品な顔立ちにスラリとした長身、それとその丁寧な所作から、一見どこぞの貴族の子息かのようにも見えるが、実際は魔具や魔法石を専門に取り扱う、商人であった。
いつものようにエレノアが問うと、彼は足元に無造作に置いてあった鞄を持ち上げ、カウンターへと寄ってきた。ひょい、と軽々しくカウンターの上へ置かれたその鞄は、クレイの動作からは想像ができないほど、重々しい音をたてる。
「今日はこれを買取……いや、加工してもらいたい」
そう言ってクレイが開いてみせた鞄には、拳大の魔石がごろごろと詰まっていた。明滅する光の強さとその色の鮮やかさから見るに、なかなか質は良さそうだ。
エレノアがその中から一つ手に取ると、ずしりとした重さが伝わる。
「加工、ですか」
「ああ。この間の灯の魔法石は魔力消費が少ないと好評だった。それを十と、発火十、湧水十に、送風五と、記録も五」
「灯十、発火十、湧水十、送風五と記録五ですね」
エレノアがさらさらとメモを取りながら魔石を検分していくと、確かに依頼に適した属性の魔石が十分に揃っている。拳一つ分の石では大きすぎて、そこから更に削って魔石一個から魔法石を二~三個作れると計算すると、多すぎるくらいだ。
必要な分を取り分けても、まだまだ鞄はずっしりと重い。
「……大分残りますよ?」
「残りは好きにしていい」
「え?」
あまりはどうするつもりかとクレイに窺うと、なんてことのないように彼はそうのたまった。
もちろん、依頼分を省いたあまりとは言っても、そう軽々と所有を放棄していいような量ではない。そのまま何の加工もせずに同業者に転売したとして、エレノアが一ヶ月は余裕で暮らせる金額に化ける、量と質だ。
もしやそれをくれる、とでも言うのだろうか。
「え、あの、好きにってどういうことですか?」
いくらクレイが常連とは言え、施しを受けるような心当たりもないので、エレノアは恐る恐る質問をした。
エレノアは、良くも悪くも根っからの庶民なのだ。それどころか父子家庭で育ち、若くして父を亡くして独り立ちした身としては、一般のこの年頃の娘よりも随分と警戒心も高かった。
エレノアは「タダより怖いものはない」をしっかりと理解しているため、何か裏があるのではないかと邪推までし始める始末だ。もしや何か曰くでもあって、処理に困って押し付けようとしているんじゃないのか、と。
疑いも顕に見上げてくるエレノアの様子に、クレイは軽く息を吐いた。
「……好きに加工してくれれば、あとはそれを引き取って売りに行こう」
「あ、そういうことですか」
つまりはなんてことのない、加工の依頼だと言う。
具体的なオーダーはせず、どのような商品にするかはエレノアに任せる、という内容らしい。その意図を理解し、エレノアはほっと胸を撫でおろした。
(ああびっくりした。こんな大金になる物、まさかくれるわけないよね)
自分の勘違いだったとわかり、少し気恥ずかしい。また、クレイを無闇に疑ってしまったことを申し訳なく思って、エレノアは誤魔化すようにカウンターの上に散らばる魔石を鞄に詰めなおした。
そのため、エレノアは見ていなかった。クレイが、落胆したように肩を落とす、その様子を。
「それじゃあ、量が多いのでしばらく時間がかかるかと思いますが。そうですね、一ヶ月半後にまたこちらに寄っていただければ、それまでに仕上げておきます」
「あ、いや……しばらくこの街の近くにいるから、小まめに進展を見に来よう」
「そう、ですか。わかりました」
少し迷う素振りを見せ、クレイはそう提案した。
好きにしていいとはいえ、やはりどう加工されるか気になるのだろうか。それか、エレノアの他にもこの街で取引をしている相手がいるのかもしれない。
なにせ、クレイは独自の仕入れルートを持っているのか、いつもこうして質がいい魔石を大量に持ち込んでくれるのだから。しかも、加工した魔法石もそう時間をかけずにあっという間に売りさばいて、また新たな加工をエレノアの元に依頼しに来る。
身なりが小奇麗なのも頷ける、きっとそうとう上手く稼いでいる凄腕の商人なのだ。そんな人が、まさかこんな小さな店とばかり取引をしているはずがない。数ある魔法石店の中からなぜこの店を選んでもらえたのかはわからないが、エレノアからしてみればこんな上客はそうそういない。
せっかくの『自由に』というオーダーなんだ、きっと満足させてみせる。
エレノアはそう密かに気合を入れ直しつつ、契約を結ぶ。料金は前金として半額、残りは品物と引き換えに支払うということにして、商談はまとまった。
「重いだろうから、私が奥に運ぼう。入ってもいいか?」
「え、あ、はい」
エレノアがお互いのサインを記した契約書を確認していると、クレイがそう言って、魔石を詰めなおした鞄をこれまたひょいっと本当に軽々と肩に担いでしまった。
確かにエレノアが一人で運ぶとなると、何往復もしなければ運べない重さだ。女にしては力がある方だと自負するエレノアでも、さすがに大人一人、いや、二人分ほどの重さがある鞄は、無理だ。
それを軽々と、まるで中身など入っていないかのように担ぐクレイが異常なのだ。
(相変わらず、見た目によらずなんて力だろう……)
エレノアはそう呆気にとられながら、作業場に続く廊下へ入っていってしまったクレイの後ろ姿を見送りかけて、はっと我に返った。
慌ててクレイに続いて作業場に入ると、作業机に近く、だが邪魔にはならないスペースに鞄が置かれたところだった。
ふう、と軽く息はついているが、別段クレイに疲れた様子はない。
「ここでいいか?」
「はい、わざわざありがとうございます」
技術者によっては自分の作業場に入られるのを嫌う者も多いが、盗むほどの技術もないと、エレノアはさほどこだわっていない。それに、よくこうしてクレイに荷物を運んでもらっているので、今更だ。
礼を言うと、クレイはふっと微笑を浮かべた。あまり表情が豊かではないクレイの笑みは実は稀少なのだが、エレノアはそれを知る由もない。
彼の襟足で緩く括られた濃灰色の髪が、棚や机に置かれた魔石や魔法石から漏れる光を反射し、銀色にきらめいた。幻想的な光に照らされたクレイは、その顔立ちも相まってまるでこの世のものではないかのように美しい。
(それでいてあの怪力なんだから人って見かけによらないわね)
エレノアが内心そうごちていると、クレイが作業机の上に放りっぱなしだった魔石に目をつけた。先ほど、クレイが来るまで魔力を刻んでいたものだ。
「これは、発火か」
まだ途中のものだが、さすが商人、目利きが一流なだけあって、技術者でもないのに何の魔法石を作っていたのかがわかったらしい。
製作途中のものを手にとってまじまじと眺められるのが少し恥ずかしいような気がして、エレノアは彼の隣に立った。
「相変わらず丁寧だな。繊細だ」
魔石は、魔法を刻むことによって魔法石となる。魔石のままでは、魔力を内包してはいるがなんてことのない、明滅して光るただの石だ。
魔力を補充するのにそのまま使う方法もなくはないが、大体は技術者によって魔法を刻まれ、それ単体で何かしらの効果を及ぼす、魔法石に加工される。
効果は様々で、一定の光を好きなタイミングでつけたり消したりできる灯の魔法石や、一見何もない場所に水を湧き出させる湧水の魔法石など生活に密着したものから、あらかじめ強力な魔法を刻んでおくことですぐに魔法を発動できるようにした、武器に使用されるようなものも多い。
つまりは『魔法を溜めておける石』という認識で間違いはない。
その魔石に魔法を刻む技術者を、魔刻士といった。エレノアも、魔刻士の一人だ。
「ありがとうございます。まだ、途中なんですけどね」
魔刻士が刻んだ魔法石はエレノアが実際に使っているベルのように、そのまま使われることもあるが、大抵また別の技術者の下で魔具に加工され、そうしてようやく実際に使用する消費者の元へと届く。
石をランプに取り付けたり、指輪に嵌めたり、そういった過程だ。
そのため、エレノアがこうして面と向かってその技術を褒められることは実は多くはなく、どうしても照れてしまうのだ。
照れ隠しにエレノアが笑うと、クレイは軽く目を細めてから魔石を元の場所に戻した。
「依頼の方も、期待している」
(おそらく)優秀な商人であるクレイからそう言われて、喜ばないエレノアではない。
はい! と大きく頷いて、これからの作業計画を頭の中で練り始める。
(まずはオーダーされたものから仕上げてしまおう。そうして、何を作ろうかな。好きにしていい魔石がこれだけあるんだ、どうせなら普段はあまり作れないものにも挑戦してみたい)
そうしてすっかり頭が仕事一色になってしまったところで、それまで何やら考え込んでいたクレイが口を開いた。
「それで、だな。私もまだ昼は食べていないし、もし時間があるのならこれから一緒に飯でも……」
「いえ、今ちょっとアイディアが湧いてきているので! 図案だけでも書いちゃいたいですし、私を待たせるのは悪いですから」
どうぞお先に、と言って何やら羊皮紙を取り出してメモをとり始めるエレノアは、気がつかない。
何故来たばかりのクレイが、エレノアの食事状況を知っているのかということに。そして、きっぱりと断られたクレイが、がっくりと肩を落とした、その様子にも。
湧き出るアイディアの前には、エレノアが先ほどようやく思い出した空腹もなりを潜めてしまった。
こうなったらまたしばらくは没頭するだろうということを、クレイは残念ながらこれまでの付き合いから十二分に理解していた。
彼は何かを言いたげにエレノアを見ていたが、その意識がすっかり自分から外れてしまったことを悟ると、仕方なくエレノアとの食事を諦め、どこからか取り出したリンゴを作業机の片隅に置いてから、店を辞することにした。
魔石が詰まった鞄を預け、随分と身軽になった貴族風の青年は、馴染みの魔法石店から一人退出し、深い深いため息を吐いたのだった。
ついに初めてみました連載小説。
▽訂正
誤字修正しました。