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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2部 反逆の乙女たち

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第96話 心、砕ける時






「ん~……なんか、凄い違和感があるなぁ」


 ギルドかたはねを出た先、能天気通りを歩きながら、ハイネスは応急処置を施した腹部の傷口を撫でる。


「呪詛封じの術式で、体内術式の破壊の進行を、強引に遅らせてる、影響で、感覚が鈍くなってるんだと、思う」


 横を歩くロザリンが、そう解説してくれた。

 要は我慢しろ、と言うことだ。

 ヨシュアのナイフによってつけられた傷口は、ロザリンの知識を持ってしても、長い時間をかけて術式を解析しなければ、根本からの解決は無理だった。しかし、放置しておくと、ハイネスの体内術式を破壊し、深刻な後遺症が残る可能性が高い。


 苦肉の策としてロザリンが考えたのは、傷口部分に特殊なインクで文様を描き、更に術式構成された包帯を巻くことで、体内に食い込んだ術式の効果を和らげる、という方法を実行した。

 傷口を魔力で保護しているので、悩みの種であった痛みは消えた。

 違和感の原因は、痛覚と共に傷口周辺の感覚が、鈍くなっているからだ。

 ただし、これは進行を遅らせるだけで、時間稼ぎにしか過ぎない。


「でも、ほんまに出歩いて大丈夫なんかぁ? うちが誘っといて何やけど、部屋で安静にしとった方がいいんとちゃうん?」


 ハイネスを挟んで反対側を歩いていたテイタニアが、両手を頭の後ろに回しながら疑問を口にする。


「単純の怪我の場合なら、その方がいいかもだけど、ハイネスの場合、体内術式が、関係あるから。体内術式に、魔力を効率よく、流し続ければ、その分、破壊の進行は緩やかになる。魔力を、滞り無く流すには、適度な運動と食事が、不可欠なの」

「なるほどなぁ。何事も、健康が第一ってこっちゃ」


 お気楽な言葉だが、的を射ているとロザリンは頷いた。

 一方のハイネスは、ことの当事者だけあって、流石に笑い飛ばすことが出来ず、不安げに息を漏らした。


「他人事だと思って、簡単に言ってくれるわねぇ」


 愚痴を零してテイタニアにジト目を向けるが、すぐに表情を切り替え、正面を向く。


「でも、ま。何時までも落ち込んでるわけにゃ、いかないしね。ここは一つ、言われた通りに空腹を満たしてから、今後のことは後でゆっくり考えましょう」

「おっ! ええやん、その前向きな考え方」

「若干、空元気っぽい、けどね」

「うぐっ」


 辛辣なツッコミに、引き攣りながらも、無理やりな笑顔を顔に張り付けた。


「いいのよ。空元気も元気の内ってね! ……んで、テイタニア。アンタのお勧めの店って、何処にあるのよ?」


 昼食にするには大分、時間が過ぎてしまったが、先ほど起きたばかりのテイタニアは何も食べていない。ハイネスとロザリンも、怪我の検査に結構な時間を有してしまったので、昼食はまだ取れていなかった。

 ならばとテイタニアの誘いの元、こうして外へと出てきなのだが、肝心のお店については、まだハイネスは何も聞かされていなかった。

 問いに対しテイタニアはニンマリと笑い、鼻の下を指で擦る。


「へっへー。うちの超お勧めやで。期待しときぃや」

「まぁ、アンタがそう言うなら期待しとくけど……ロザリン。アンタは、知ってるの?」

「ん。と、言うか、私の方が、先だし」


 ロザリンがそう言った瞬間、テイタニアは表情を顰めた。


「はぁ? どういう意味よ」

「その店、教えたのが、私」

「……アンタねぇ」


 それを、さも自分が発見したように振る舞っていたのかと、ハイネスは呆れ顔を向けると、慌てた様子でテイタニアは小走りに前へと進み出る。

 まるで子供の用だと、二人は同時に苦笑いをした。

 時間帯もあって、まばらな通りを少し先に進んだテイタニアは、クルリと身体を此方に向けて手を大きく左右に振る。


「ほれほれぇ、うちは待ちきれへんねん。はよう来てんか!」

「あたしゃ怪我人なんだから、少しは気遣いなさいよ!」


 そう怒鳴るが、テイタニアはヘラヘラと笑いながら、ドンドンと先に進む。

 呆れつつも、彼女が振り撒く底抜けの明るさは、魔術で傷口と共に、精神的不安を煽られていたハイネスには、心救われるモノがあった。気恥ずかしいので口にこそしなかったが、それはとてもありがたいことだと、心の中で礼を述べた。


 同じ通りにあるだけあって、目的地にはすぐ到着した。

 R&A探偵事務所という、珍妙な看板の掲げられた家に隣接した、白い花の描かれた看板が目印の食堂兼宿屋、かざはな亭が本日の遅い昼食を取る場所だ。


「へぇ。いい店構えねぇ。こりゃ、期待できそうかなぁ」


 悩まされていた痛みも和らいだことで、ここのところ減退していた食欲も沸いてきた。

 出来ればアカシャと共に訪れたかったが、心の整理がついていない現在の状況では、互いに顔を突き合わせて楽しく食事をするのは、難しいかもしれない。


「……あたしが、確りしなくちゃね」


 萎えそうになる心を、ハイネスはピシャリと手の平で頬を挟み奮い立たせる。

 腹が減っては戦が出来ぬ。

 自分の負傷がアカシャの心に重く圧し掛かっているのなら、まずは自分が元気を出さねばなるまい。

 ドアにはクローズと書かれた看板が引っかかっているが、ロザリン馴染みの店ということで、特別に営業外のこの時間でも食事を取らせてくれるらしい。何ともありがたい話だと、ハイネスは来店する前に手を合わせて一礼する。


「んじゃ、行きましょうか」

「ん」


 さっさと店に入っていたテイタニアと違い、律義に横で待っていてくれたロザリンに笑顔を向けると、二人は並んでスイングドアを通り、店の中へと足を踏み入れた。

 普段だったら、来客を迎えるカトレアの声が響き渡る。

 が、今日に限っては、違う物が飛んで来た。


「――ッ!?」


 全身を突き刺すような殺気に、肌が粟立つ。

 咄嗟に、横のロザリンを庇うよう、左腕を差し出し制止させる。

 ハイネスの真横の壁に突き刺さったのは、一本の両手剣。

 真正面には、何時の間に斬りかかってきたのか、怒りの形相で剣を壁に突き立てる、美女の姿があった。

 その美女に、ハイネスは見覚えがある。


「……シリウス・M・アーレン!?」

「ハイネス・イシュタール……まさか、こんな場所で貴女と再会するなんて、思ってもみなかったわ」


 冷静な口調。だが、睨み付ける視線には、炎のような揺らめきが見える。

 突然の出来事に店内にいた人間達はたざわめく間も無く、驚きに固まっていた。

 ハイネスも驚いていたが、すぐに表情を引き締めると、正面で剣を構えるシリウスをキツイ眼差しで睨み返した。


 そして右手で左側にある双剣を抜き、シリウスに向って斬りつける。

 本気では無い緩い一撃を、シリウスは軽いバックステップで回避した。

 睨み合う視線が交錯し、先に口を開いたのはハイネスだ。


「英雄なんて呼ばれてる癖に、いきなりの不意打ちってのは、どうかと思うんだけど?」

「失礼。私の人生の中で、もっとも会いたくない人間の顔を不意に見てしまったモノだから、咄嗟に身体が動いてしまったわ……謝罪はしないけれども」


 慇懃無礼な態度に、ハイネスは額に青筋を浮かべた。

 だが、すぐに笑みを浮かべ、顎を軽く上に向けた。


「……いやいや。その輝かし戦歴に、唯一の泥をつけたのはあたしですからぁ? アンタのみみっちい負け犬根性を受け止める義務が、まぁあるっちゃあるかなぁ?」


 露骨な皮肉を叩きつけられ、今度はシリウスの額に青筋が浮かんだ。


「今の言葉、訂正なさいっ。私は負けてなどいないわ……引き分けよ」

「んなわけあるかぁい!」


 ドンと、ハイネスは床板を踏み鳴らす。


「立っていたのはあたし、倒れてたのはアンタ。勝ち負けなんか明白でしょうが!」

「戦場において明白な勝ち負けは、生か死の二択よ。あのまま続けていた場合、まだ私の方には勝機があったわ」

「だからって引き分けは言い過ぎでしょうよ! あの場はあたしの判定勝ち」

「いいえ、違うわね。判定で勝ち負けを論ずるのなら、むしろ戦闘の過程は私有利に進んでいた筈よ」

「そこを引っくり返したんだから、あたしの方が凄いでしょうが!」


 互いに唾を飛ばして、議論は白熱していく。

 店内に客が残っていたら、この異様な空気に固まっていただろう。

 どちらが何を主張しても、水掛け論にしかならず、議論という名の口喧嘩は際限無く続き、罵り合いはエスカレートしていく。


 やがて、お互いに主張すべき言葉も出し尽くしたところで、同時に距離をスッと取る。

 言いたいことを言って満足した……訳では無く、交差する視線には未だ火花が散り、むしろ二人の間に流れる緊張感は、より濃度を増していた。

 シリウスは両手剣を構え直し、ハイネスは左手にも双剣を持つ。


「どうやら、キッチリ決着を付けないと、お互いに納得が出来ないみたいね」

「忌々しいけれど、同感ね。いいわ。この場で七年前の引導、確りと渡してあげる」


 睨み合う二人の眼光に、鋭い殺気が宿る。

 一触即発の雰囲気。

 それに堪らず割って入ったのは、かざはな亭の店主であるランドルフだ。


「ちょ!? 待って待って、待ってよ! そんな、二人に店の中で暴れられちゃ、この店が潰れちまう……いやいや、能天気通りだって大変なことになっちゃうよ!」

「……むっ。確かに」

「……そりゃ、迷惑よねぇ」


 まだ聞く耳を持つ余裕はあったらしく、ランドルフの言葉に二人の気勢が緩む。

 しかし、同時に似たような言葉を吐いた為か、ムッとした表情で顔を突き合わせ、無言のままビリビリと殺気を飛ばし合う。


「……あによ。武器、下したら?」

「貴女が先に下せば、私も何の気兼ねも無く下せるのだけれど」


 構えた態勢のまま、お互いに譲らず睨み合いは続く。


「二人共、勘弁してよぉ」


 これ以上は割って入れぬと、ランドルフは困り果てた様子で顔を覆った。


「あの……」

「全く、なっさけないわねぇ……ロザリン、下がってなさい」


 二人を止めようとするロザリンを、呆れ果てた声が制止する。

 情けない店長の態度を見てか、ため息と共に歩み寄ってきたのは、厨房の奥から出て来たカトレアだ。

 カトレアはロ訝しげな表情で、騒ぎの元凶である二人に視線を向ける。


「ちょっと。これは一体、何の騒ぎだってーのよ」

「…………」

「…………」


 二人は睨み合ったまま微動だにせず、カトレアの問いかけに答えようとしない。

 この態度にカトレアも激昂するかと思いきや、大きく息を付いてから、睨み合う二人のちょうど間に入り、無視出来ない位置から腰に手を当てて双方に視線を巡らせた。

 その強引で強気な行動に、僅かながら二人に動揺が走る。


「……アンタ達にどんな因縁があるかは知らないけどね、ここは食堂なの。ご飯を食べる神聖な場所なの……おわかり?」


 言い聞かせるような静かで、確りとした口調に、二人はグッと言葉を詰まらせる。

 そしてカトレアは、僅かに細めた瞳でシリウスの方を見る。


「アンタにはアンタなりの事情があると思うけどさ。ここを訪れた人間は、皆等しくお客さんなの……喧嘩ならあたしが買ってあげるからさ、ね? アンタから剣を下してくれる?」


 僅かに笑みを見せてカトレアがお願いすると、バツの悪さを隠すように不機嫌な表情で、シリウスは無言で剣を鞘に納めた。

 数回、深呼吸をしてから、カトレアに対して頭を下げる。


「申し訳なかったわ。私としたことが少々、頭に血が上っていたみたい……ごめんなさい」

「わかりゃいいのよ……んで」


 豪快な笑顔を見せた後、クルッと、所在なさげな様子のハイネスに顔を向けた。


「お客さんも、ここらで勘弁してくれない?」

「いや、あたしも悪かったわ。ごめんね」


 ハイネスは片目を瞑り謝罪すると、手の平で双剣を回して、鞘へと納めた。

 売り言葉に買い言葉とはいえ、ハイネスもやりすぎたと反省する。

 途端、店内も緊張感から解放され、ランドルフは安堵の表情で胸を撫で下ろした。

 二人の喧嘩を治めたことに、その場にいた人間達はカトレアに向って、賞賛するような拍手を浴びせる。ただ一人、ランドルフだけは、少し前まで開店中の店内でシリウスと口喧嘩をしていたのを見ているので、手を叩きながらも表情はちょっぴり苦かった。

 そして、一際大きく手を叩いているのは、ちゃっかりテーブル席に座っていた、テイタニアだ。


「ようやく治まったみたいやなぁ、いやぁ、一時はどうなることかと思うとったけど、無事解決して良かったよかったぁ。これで、心置きなく食事にとりかかれるっちゅうもんや」

「……アンタねぇ」


 それまで黙って静観していたテイタニアに、眉間を指で押さえながら、カトレアは呆れた声を出した。


「黙って見てないで止めなさいよ。強いんでしょ?」

「無茶言わんといてぇな。今のうち、手ぶらやで?」


 大仰に身を仰け反らせてから、テイタニアは両手をぷらぷらと振り乱した。

 食事を取るのにハルバードは邪魔なので、ギルドに置いて来てある。

 悪びれない様子に、これ以上は言っても無駄かと諦めたカトレアは、改めてバツが悪そうな表情で突っ立っているハイネスを見た。


「んじゃ、適当な場所に座って。一応、メニューにある料理なら、全部出せるから……ったく、面倒かけさせないでよねぇ」

「あ!? ちょっと待って!」


 肩をぐるぐる回して、その場を離れようとするカトレアを、反射的に呼び止める。

 急に呼び止められ、訝しげな表情をしてカトレアが振り返る。


「あっ、と、その……迷惑かけちゃって、ごめん。その、本気で叩きだされる覚悟もしてたんだけど……」

「お金払ってくれるお客を、叩き出したりしないわよ……それに」


 カトレアは指先を、ハイネスの背後にいるロザリンに向けた。


「その娘が連れてきたってんなら、まぁ、悪人じゃないだろうからね」


 振り返ると、黙って事の成り行きを見ていたロザリンが、ハイネスを赤い瞳で見上げる。

 そして、僅かなドヤ顔で、テイタニアが既に座っている席を指差した。

 ハイネスは苦笑して、頭を軽く掻き乱す。


「……なるほど。魔女様は、信頼感も抜群ってわけね」

「早く、ご飯」


 ロザリンに袖を引っ張られ、ハイネスは「はいはい」と席へと向かう。

 憮然とした表情をするシリウスとすれ違う時、僅かだが視線が交差した。

 互いにまだ禍根を残してはいる。が、この場ではこれ以上は止めおこう。

 言葉は交わさずとも、無言の同意が二人の間で結ばれた。そして、シリウスは厨房に戻ろうとするカトレアに軽く視線で挨拶し、静かに店を後にしていった。

 ようやく席に座ると、何だかドッと疲れが押し寄せてきた。

 それでも空腹は誤魔化せないので、ハイネスはメニューを手に取り、何を注文しようかと視線を巡らせる。


「ん~。やっぱ、魚介系が充実してるわね。でも、肉料理も捨てがたいんだよなぁ」


 思っていたより豊富なメニューに、ハイネスは目移りを繰り返す。

 エンフィール王国は大河の国だけあって、魚介類などが豊富に捕れるが、その肥沃な大地によって育まれた野菜や果物も、名物の一つだ。そうなると必然的に、それらを餌として育った家畜から生まれる肉料理も、魚介や野菜に負けないくらいの美味を誇る。

 つまり、食に関しては、寒冷地の共和国より豊かで、バリエーションも豊富なのだ。


「いや、こりゃマジで凄いわねぇ……正直、どれも名前だけで美味そうだわ」


 アカシャに対して申し訳ないと思いつつも、溢れ出す食欲を止めることは叶わず、ハイネスは口の中に溜まった唾をゴクリと飲み干す。

 咢愚連隊は万年金欠なので、基本方針は質素倹約。

 食事も自給自足の為、好きな物を好きなだけ食べるだなんて、贅沢以外の何物でも無い。

 ちなみに、ハイネスは纏まった金銭を持っていないので、この場の支払いはテイタニア頼みになるのだが。

 チラリとハイネスは、メニューに食い入るような視線を送るテイタニアを見た。

 視線に気づいたテイタニアは顔を上げ、心配するなとばかりに胸を叩く。


「ま、ハイネスも色々苦労しているみたいやしね。この場は奢ったるわ……ついでに、アカシャにも何か、詰めて持って帰ってやろな」

「いや、マジ感謝っす」


 粋な計らいを見せるテイタニアに、ハイネスは両手を合わせて頭を下げた。


「注文、決まった?」


 ロザリンが小首を傾げて問いかける。

 常連らしく、彼女はメニューを開かずとも、既に注文する料理が決まっているらしい。

 散々悩んだ挙句、結局は決めきれなかったハイネスは、メニューを閉じてロザリンの顔を見た。


「あたしは、ロザリンと一緒のでいいわよ。自分で選んでると、目移りしちょうしね」

「ん。わかった……カトレア」


 テイタニアもメニューを決めた様子だったので、頷いたロザリンは、小さく手を上げてカウンターの方にいるカトレアを呼ぶ。


「はいはい。注文決まったのね。何にするの?」

「うちはホットチリソースのハンバーグに、ポテトのフライを山盛りで」

「はいよ……って、野菜が足りないから、海草サラダも追加しというわね~」

「いや、ポテトフライがあるやん!」

「んなモン、野菜の内に入らないわよ……アンタらは?」


 抗議するテイタニアを無視して、メモ帳を片手に持ったカトレアがハイネスを見る。


「あ~、あたしはロザリンと同じのだから」

「あっそ」


 頷いて、今度は視線をロザリンに。


「えっと……ガーリックチキンのパスタと豚の腸詰と海老ドリアと大根のサラダ。あと、大麦パンにパンプキンスープに牛肉の煮込みにローストビーフ……あ、後、デザートでアイスクリームを山盛りで」

「はいよ。そっちの人も以下同文ね」

「えっ!? いや、ちょっと待った!?」


 予想外の注文に、ハイネスは驚愕のあまり椅子から腰を浮かす。


「そ、それって、二人分でって意味よね?」

「んんっ。一人で、食べる量」


 ロザリンは当然とばかりに、首を左右に振って否定した。

 注文を取った顔馴染みのカトレアが、驚いた様子を見せないのだから、ロザリンにとってはこれが普通の量なのだろう。この細く小柄な身体の何処に、それだけ大量の食事が消費されるのか疑問でならない。


「ハイネスの、傷を調べたり、呪詛封じをしたりするのに、魔力を一杯使った、から。今日は一杯、食べる」

「……いや、確かに魔力を消費したら、お腹減るってよく聞くけど、これはそれ以前の問題でしょう」


 唖然としながも、片手を上げてカトレアを呼び止める。


「ゴメン。サラダとパスタセットだけで」

「はいはい。りょ~かい」


 サラサラっとメモ帳に注文を書き写し、カトレアはオーダーを通す為、ランドルフのいる厨房へと去って行った。

 ちなみに、驚愕していたのは、ハイネスだけでは無い。

 実はこっそり、テイタニアが真っ白な表情をしていた。


「……えっ? 今のぶん、うちが払うの?」

「ごちそうさま」


 目を点にしているテイタニアに、ロザリンは手を合わせて頭を下げた。

 その姿を見て、ハイネスも合掌する。

 ロザリンとは全く違う、憐みに満ちた目をして。


「……はぁ。ま、ええわ。久しぶりの再会やし、その記念ってことにしとくわ……に、しても」


 テイタニアは椅子の背もたれに片肘を置き、店内をグルグルと見回す。

 クローズ中なので、テーブル席も一部片付けられ、ガランとした店の中は、カウンターの奥で料理をする音だけが聞こえる。

 何度か見回し、テイタニアは残念そうに眉根を寄せた。


「なんや。今日、兄ちゃんおらへんの?」

「ん。そういえば、そうだね」

「兄ちゃんって……ああ、噂のロリコンヒモ男」


 ハイネスの表情が、嫌悪感に歪む。

 どう肯定的に捉えても、最低な様相しか浮かばない名称だ。いや、ロリコンヒモ男というのは、ハイネスが勝手に命名したのだが。

 正直、ハイネスはその人物によい印象を抱いていないのだが、これはロザリン自身の人間関係。傷口を見てくれる恩人としては、とても推奨出来る人物像では無いが、気軽に口を出すのも憚られた。

 そんなハイネスの葛藤を察してか、テイタニアがあっけらかんと笑う

「そないな心配せんでも、兄ちゃんは悪いお人やないて」

「……アンタに言われても、説得力無いけどねぇ」


 嘆息しつつ、ハイネスはジト目でロザリンを見つめた。


「そんな若い内から、駄メンズに引っかかるなんて、ロザリンも難儀な性格よね」

「でも、格好いい、よ?」

「いやいや、どんなに格好よくてもあたしゃゴメンね」


 手を振りながら苦笑いをするハイネスは、椅子から立ち上がった。


「どないしたん?」

「いや、ちょっとお花摘みに」

「ん。トイレなら、入口の奥にある、階段の脇」

「お花摘みだって、言ってんでしょ~」


 念を押してから、ロザリンが指差した方向に歩いて行く。

 と、ちょうど入口に差し掛かったところで、スイングドアが開かれて、気怠そうな雰囲気の青年が店内に足を踏み入れた。

 反射的に、ハイネスは横目でその姿を捕えた。


「ちぃーす……もう喧嘩は終わってるよ、ねぇ」

「アルト。何をそんなにビクビクしている?」

「うるさい。大人には、色々と都合があるんだ……よ?」

「……え?」


 灰色髪の青年とハイネスの視線が交差し、二人は時間が止まったように硬直する。


「ん? ハイネス? ハイネスも、この店に来たの、か」


 聞き覚えのある、バツの悪そうな少女の声も、今のハイネスには全く耳に届いていなかった。

 向けられる青年の視線には、戸惑いや驚きなど、様々な感情が浮かんでは消える。

 それはきっと、ハイネスも同じ瞳をしていただろう。

 先に口を開いたのは、青年の方だった。


「ハイネス、イシュタール……お前、ハイネス・イシュタールか!?」


 張り上げる声に、ハイネスは身体をビクッと震わせる。

 胸に蘇る様々な記憶。血生臭い、戦場の香り。そして、目の前の青年が、まだ少年だった頃に出会った思い出。走馬灯のように、最近は思い出すことも少なかった七年前の記憶が、始まりから終わりまで一瞬にして駆け抜ける。


「竜の、逆鱗……アル、ト」


 その名を零した途端、ハイネスは右手で口元を覆うよう隠し、脱兎の如くトイレへと駆け込んで行く。


「――お、おいっ!?」


 後ろから呼び止める声が聞こえたが、それに答える余裕など皆無だ。

 トイレに飛び込み、ドアを叩き付けるように閉めると、誰も入って来れないように内鍵をかける。

 肩を上下させ、手を離した口からは荒い息が漏れる。


「そんな……そんなぁ」


 手洗いように水が溜めてある樽の前に駆け寄り、縁に両手を置いて思い切り頭を水の中へと突っ込んだ。

 数秒、頭を冷やすように水の中で、ゴボゴボと息を吐きだして顔を上げる。


「――ぷはぁッ!?」


 水を吸った髪の毛からポタポタと水滴が溢れ、肩口や胸元を濡らす。


「どうして……どうして、今更……ッ」


 荒い気遣いの中、うわ言のように呟き、正面にある鏡で自分の顔を見た。

 そこに映るのは、誰にも見せたことの無い、いや、自分ですら見たことの無い表情をした、ハイネス・イシュタールの姿があった。


「なんでアイツ……昔より更に恰好良くなってんのよぉぉぉぉぉぉ!!!」


 絶叫を押し隠すように、再び頭を樽の中に突っ込んだ。

 潤んだ瞳、火照った頬。

 鏡の中にいたハイネス・イシュタールは、恋に恋する乙女の表情をしていた。

 七年前に止まっていた初恋が、今、砕け、溢れだした。






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