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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2部 反逆の乙女たち
94/162

第94話 天国街の田舎娘






 季節の変わり目。まだまだ残暑の厳しいエンフィール王国の王都にも、時折、北からの涼しい風が吹き込む。

 真っ昼間のかざはな亭。

 本来なら昼食を取る為に訪れた地元民で、店の中は満員になり、店長のランドルフを始め、店員達はお昼時が終わるまで息つく暇も無い、フルマラソンが展開される筈なのだが、本日に限っては、何故か水を打ったような静寂に包まれていた。


 原因は、店のど真ん中で睨み合う、二人の女性だ。

 腰に手を当てて、仁王立ちするカトレアとシリウス。

 二人共私服姿で、若干、普段より小奇麗な恰好をしている。

 店内にいる人間は並べられたテーブルを、店の端っこに寄せて、固唾を飲んで睨み合う両者を見守っていた。特に店主のランドルフは、今まさに迫ったかざはな亭存亡の危機を前に、顔面を蒼白だ。

 そんなランドルフの気も知らず、二人はバチバチと視線をぶつけ合う。


「話にならないわね」

「そりゃ、こっちの台詞だっつーの」


 二人の口から、ドスの利いた言葉が漏れる度、店の方々から悲鳴が漏れた。

 薄い胸を突き合わせ、一歩も引く様子を見せない二人。その間で、所在無さげに正座しているアルトが、大きなため息を吐き出して何でこんな目にあうのだと、不幸な自分の境遇を嘆いていた。

 正直、何故、こんな状況に陥ったのかさっぱりわからない。


「何故だ……俺は、昼飯を食いに来ただけなのに」


 自問する言葉を無視して、睨み合う二人は空気が震えるほど殺気を高める。


「……あのねぇ。昼時に訳の分からないこと言いだされると、営業妨害なんだけど」

「それは失礼したわね。では、予定通り場所を変えさせて貰うわ。アルトと一緒に」

「客を盗られると、迷惑だって言ってんのよ! 用があるなら、飯食ってからにしなさい!」

「今日の貴女は明らかに非番でしょう? それとも私がアルトを連れて行くと、何か不都合でもあるのかしら?」

「……うぐっ!? そ、それは……」


 カトレアは言葉を詰まらせ、視線を泳がせる。

 その姿を見て、シリウスは勝ち誇ったように、フッと鼻を鳴らした。

 女性と女性の間に、男が一人。見ようによっては、間男が浮気を見つかって、修羅場に発展しているようにも思えるが、当然のことながら、アルトと二人は恋愛関係にあるわけでは無い。個人の一方的な心情は別にしてだが。


 ことの経緯は単純明快。

 相変わらず暇人のアルトが、午前中を特に何もせず過ごし、そろそろ昼食でも取ろうかと家を出た瞬間、バッタリと二人に遭遇したのだ。

 どうやら二人共、今日は休みで、アルトに何かしら頼み事があったようなのだが、互いに顔を合わせると何か通ずるモノがあったのか、ずっとこの調子で睨み合っている。とりあえず腹が減ったので、かざはな亭にやって来たのは良いが、二人の迫力に押され、誰も注文を取りに来てはくれない。

 挙句の果てには、椅子とテーブルすら取り上げられ、このザマだ。


「あの~」


 試しに、そっと手を上げてみた。


「とりあえず、話は飯を食ってからじゃ駄目なのかねぇ」


 空腹に耐えかねて意見を述べると、二人の視線がアルトに注がれる。

 一切の笑みが無い視線を浴びせられ、アルトはご機嫌取りに引き攣った笑みを見せるが、何事も無かったかのように意見は黙殺され、再び互いに顔を見合わせて、バチバチと火花を散らしていた。

 いい年こいて久しぶりに、本気で泣きなくなった。


「悪いけど、アルトはあたしと買い物に行くの。これからの季節に備えて、色々と入用なんだから」

「いや、んなこと俺、聞いてねぇから」

「冬籠りの準備なら、まだ早すぎるでしょう。それよりも、私は彼に以前からの約束。紅茶とチーズケーキを用意するという約束を、今日こそは果たして貰わねばなりません」

「その約束。まだ有効だったのな」

「あ~、そう。だったら、お茶とチーズケーキは用意してあげるわよ」

「申し訳ないわね。既に食べる店は、決めてあるの」

「オメェら人の話を聞かねぇのにもほどがあるだろうがッ!」


 バンバンと床板を手の平で叩くが、やっぱり黙殺されてしまう。

 一歩も引く気が無い二人は、背筋が寒くなるような笑顔を向けあっていた。

 駄目だこりゃと、嘆息混じりに周囲を見回すと、ランドルフや他の客達は無責任にも、どちらがアルトとのデート券を手に入れるかと、賭け話をして盛り上がっていた。他人事だったら、自分もあそこで盛り上がれたのだろう。


「――大体、アンタって!」

「――そう言う貴女こそ!」


 ヒートアップしていく二人の声は、ドンドンと大きくなっていく。

 それに伴い、無責任なギャラリー達は、口々に二人をはやし立て、何時の間にか店内はお祭り騒ぎになっていた。

 その隙を見て、アルトはこっそりと二人の間から抜け出し、カウンターの方まで寄る。

 迎え入れたランドルフが、苦笑を向けてきた。


「はは。災難だったねぇ」

「冗談じゃねーぜ、ったく。えらい目にあった」


 カウンターに寄り掛かって、アルトはバリバリと頭を掻く。


「君がどちらかについて行くかハッキリすれば、こんな騒ぎにはならなかったんじゃないのかい?」

「荷物持ちもご機嫌取りも、どっちも御免だ」


 そう言って肩を竦めてから、アルトは肩越しにランドルフを見る。


「そういや、ウチのちみっ娘は?」

「ロザリンちゃんなら、頭取に呼ばれてギルドの方へ行ってるよ」

「頭取が? 一体、何の用だってんだよ」

「さぁ」


 軽く睨まれ、ランドルフは困り顔をする。


「頭取が直々に店の方へ来たから、特に何も聞かず送り出しちゃったんだけど、声を掛けた方がよかったかい?」


 アルトは少し考え、「いや」と首を振る。


「頭取のことだから、まぁ問題ねぇだろうさ……かたはねの連中、ここ三日くらい随分と慌ただしい様子だし。俺に面倒事を持ってこないぶんだけ、楽でいいさ」

「そういえば、そうらしいね。何か来客があったみたいだけど、一体何者なんだか?」

「さぁね。面倒臭いのはゴメンだから、興味ねぇよ」


 心底気怠そうな口調で、アルトは寄り掛かっていたカウンターから身体を離した。


「おや? 決着を見届けないのかい?」


 声を掛けられ足を止めたアルトは、顔だけ向けて鼻をフンと鳴らす。


「言っただろう。面倒臭いのは、ゴメンなんだよ。俺ぁ、他のとこで飯食ってくらぁ」


 そう言って軽く手を振ると、店の中央で言い合いを続ける二人に見つからぬよう、足早に店を後にした。




 ★☆★☆★☆




 能天気通りを抜け、細く入り組んだ裏路地を街の外周、北街方面へと進むと、天国街と呼ばれる通りに出られる。

 天国街。そのネーミングに反して、ゴチャゴチャと雑多な建物が立ち並び、あまり治安のよろしくない雰囲気が漂う、薄汚れた細く小さな裏通り。一見すると、北街のスラムに近しい光景が広がっているが、紛れも無く東街の一角で、以前、ハイドに連れられて行った裏カジノも、ここら界隈に存在していた。


 ここは、いわゆる売春街。立ち並ぶ店舗も、殆どが売春宿だ。

 と、言っても、規模は北街に比べるまでも無く小さいが。

 こんな場所に、何故、売春街が存在しているのかは、以前の裏カジノがと殆ど同じ理由で、あまり危険な目に遭いたくない人間が、安全に遊ぶ為。仕切っているのも奈落の社では無く、東街で細々と活動する小さな暗部組織だ。


 昼間でも薄暗い東街の裏通りを、腹を空かせたアルトは慣れた足取りで進む。

 壁を背に客を待つ、派手なメイクの売春婦も顔見知りで、アルトを視界に止めると笑顔で軽く手を振って来た。

 アルトは天国街のちょうど真ん中にある、小さな酒場の前に足を止めると、スイングドアを開いて中へと入る。


「いらっしゃい! ……って、アルトさんじゃないか!?」

「よう」


 カウンター席しか無い狭い店の中で、驚いた表情と声でアルトを出迎えたのは、少しふっくらとした三十代ほどの女性で、この店の店主だ。

 アルトは軽く挨拶をすると、手前の席に腰を下す。

 女店主は満面の笑みで、アルトに話しかけてくる。


「久しぶりだねぇ。かれこれ、半年近くは顔を見せて無いんじゃないかい?」

「色々と面倒事が立て込んでてな。それに、妙な居候が住み着いた所為で、こんな不健全な場所に、おちおちと遊びにこれなくなっちまったのさ」

「ふふっ。噂は聞いてるよぉ。随分と、派手に暴れてたみたいじゃないのさ」


 楽しげな口調で、女店主はまだ何も注文していないのに、グラスに火酒を注ぐと、アルトの前へ置いた。

 グラスを手に取り、アルトは皮肉げに肩を竦めた。


「俺が進んで暴れてるわけじゃ、ねぇんだけどな……そっちはどうだい? 何か変わったことはねぇか、マリー」

「ま、ボチボチと言ったところかね」


 にっこりと笑って、マリーは自分用のグラスにも火酒を注いだ。

 そして、乾杯をするように二人はグラスを鳴らす。

 マリーはこの店の店主で、元売春婦だ。元々は北街の売春街で働いていたらしく、随分と人気があったらしい。その評判を聞き付けた、天国街の元締めがマリーを身請けし、現役を引退。今では若い売春婦達の相談役として、ここで店を構えている。

 多少は体重が増えてしまったようだが、その人好きのする笑顔は、今でも十分に魅力的なモノがあった。


「それで、今日はどうしたんだい? 珍しく独り身を持て余してるとか」

「んにゃ。腹減ったから飯食いに来ただけだよ」


 その一言に、マリーは呆れたように鼻から息を吐き出す。


「……アンタくらいだよ。売春街に来て女も買わずに、飯だけ食って帰るのは」

「性欲を持て余すほど、活力的な生活してねぇもんでな。それに、アンタの作る飯は美味い」


 笑顔で片目をパチッと閉じると、マリーは照れ臭そうに笑う。


「なんだい。アタシみたいなオバサンが目当てなのかい? 照れるねぇ」

「言ってろよ。何か、適当に腹に溜まるモンを頼む」

「あいよ」


 景気良く返事をして、マリーは幾つか食材を取り出し、調理へとかかる。

 チビチビと酒を飲みながら、すきっ腹を誤魔化しつつ料理が出来るのを待っていると、不意に外の方が騒がしくなる。

 多少は気になったが無視していると、スイングドアが開かれ華やかな声色が店内に響く。

 チラッと視線を向けると、胸元が大きく開いた、扇情的な服装の娼婦らしき女性二人組が、楽しげに会話をしながら店に来店してきた。

 背の高い肉感的な色っぽい女性と、幼さの残る少しマニアックな細い体系の少女。

 この対照的な二人組に、アルトは見覚えがあった。


「よう。これから飯か?」


 軽い口調で声を掛けると、背の高い方の女性が一瞬、訝しげな視線を向けるが、声の主がアルトだとわかるとすぐに笑顔を浮かべ、小走りに隣の席に座ると、身体を摺り寄せるようにして、鼻にかかった甘い声を出す。


「あらぁ、アルトさんじゃなぁい。お久しぶりね、元気してたぁ?」

「まぁ、ここ数カ月で何度か死にかけたけどな」


 腕に当たる柔らかな胸の膨らみを楽しみつつ、アルトは平然とした顔でグラスに口をつける。

 反対側の方にもう一人の少女がちょんと座り、小動物のよう身体を寄せてくる。

 そして袖を引っ張ると、感情の薄い表情で見上げてきた。


「女遊び? わたし、指名するといい。サービスする」

「ああん! ズルいわぁ、ミリカちゃん」

「ズルく無い、フラン姉。早い者勝ち」


 そう言って二人は、アルトを挟んでぎゅうぎゅうと身体を押し付けてきた。

 この二人はフランとミリカ。この天国街で働く、娼婦だ。

 柔らかい体を押し付けられるのは悪く無いが、これではゆっくり出来ないと、少し強引に二人を引き離す。


「ええいっ。俺は飯を食いに来たの! 遊ぶ金なんざねぇよ!」

「聞いてる。最近、アルトさん。小さな女の子のヒモになったって」


 ミリカの言葉に、ボフッと飲んでいた酒を吹き出す。

 咳き込んでいると、反対方向からフランがジト目を向けてきた。


「私も聞いたぁ。それこそズルいわぁ。ヒモになるんだったら、私のことを選んでくれればいいのにぃ。心も身体も、いっぱい満たしてあげるわよん?」

「わたしもヒモ欲しい。わたしの身体、アルトさん好み」

「気軽に欲しがるんじぁねぇよ、俺ぁ日用品の雑貨じゃねぇんだ……それに、俺はヒモでもロリコンでもありません」


 噴き出した酒を拭きつつ、アルトは否定する。

 フランはほっとした表情をし、ミリカは残念そうに舌打ちを鳴らした。


「はっはっは! モテモテじゃあないかい、アルトさん」


 料理をしながら話を聞いていたマリーが、豪快な笑い声を上げる。

 そうこうしている内に料理が仕上がって来たらしく、香ばしいよい香りが漂ってきて、刺激された胃袋がぐぅと音を立てる。


「ほい、お待ちどう。夏野菜のシチューに、ローストビーフサンド。小魚のフライもつけといたけど、これで足りるかい?」

「十分。こりゃ、美味そうだ」


 カウンターに並べられ、湯気を立てる料理を見てアルトはゴクリと唾を飲み込む。

 さっそくスプーンを手に取ると、合掌し一礼してから、勢いよく料理に口の中に放り込んだ。

 旬は少し過ぎてしまったが、ホワイトソースでトロトロに煮込まれた夏野菜は、口の中に放り込むとトロっと溶け出し、甘い風味が一杯に広がる。ローストビーフサンドの、ちょっとピリ辛なタレにマッチして、食べ続ける手が止まらない。

 塩で軽く味付けした小魚のフライも、歯ごたえがあって酒のつまみにぴったりだ。

 空腹なのもあって、何時も以上に美味しく感じられた。

 バクバクと食べ進めるアルトの姿に微笑みかけ、マリーは視線を娼婦二人に向けた。


「それで、アンタ達も何か食べて行くんだろ? ……後ろに突っ立ってる嬢ちゃんも」

「……ん?」


 マリーの言葉に食べる手を止め、アルトが後ろを振り向くと、ずっと入口付近に立っていたのだろう。ミリカより年下の少女が、俯き気味に、所在なさげな様子でチラチラとこっちを見ていた。

 プラチナブロンドをお下げ髪にした、大きな眼鏡の野暮ったい服装をした田舎娘。

 一目見て、アルトは少女に、そんな感想を抱いた。

 その姿を見てフランがパンと手を打つと、申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめんねぇ。久しぶりな人を見かけてしまったから、つい盛り上がってしまったの。ささ、好きなところに座って」

「……すまない」


 少女は軽く一礼して、皆から離れたカウンター席の一番奥に座った。

 人を拒絶したような態度に、アルトは眉を顰めてフランの耳元で呟いた。


「なんだよ。随分と、ナイーブな新人だな」

「違うわよぉ。あの娘は、堅気の子よ。多分ね」

「多分って、知り合いじゃねぇのか?」

「ここ二、三日ね、近くの公園で日がな一日、ボーッとしてたから気になってしまったのよ。ちょっと素行の良く無い男にも、目を付けられだした頃だし」


 困り顔の頬に手を添えて、フランはほっと息を付く。

 随分と面倒見の良いことだと、アルトはそれ以上深く突っ込まず、食事に戻った。

 モグモグとフォークで突き刺した小魚のフライを咀嚼しつつ、横目で様子を伺っていると、マリーがニヤついた笑顔で茶化す。


「嬢ちゃん。このお兄さんには気を付けな。ロリコンだから」

「……ロリ、コン?」

「病気ってことさ」

「……そうなのか」


 冗談を真に受けたらしく、田舎娘は気の毒そうな視線をアルトに向けた。

 反論するのも面倒なので、アルトは嘆息して、その視線を無視するよう食事を続けた。

 フランはあれこれと世話を焼くように、田舎娘に対して、この店のメニューを色々と進めていた。

 彼女は年齢こそまだ若いが、この界隈の娼婦達の中で姐さん的な立場にある。勿論、経験や年功で言えば、マリーが一番なのだが、フランはおっとりとしているようで、面倒見が良く仲間想いなモノだから、自然とまとめ役のような役割についてしまったのだ。

 今回の件も、彼女のお節介から、強引に田舎娘は連れてこられたのだろう。

 娼婦らしからぬ、いや、こんな性格だからこそ、こんな場所で娼婦などをやらされているのだろう。


「女将さん。甘いデザートつきで、この娘に美味しいモノを食べさせてあげて」

「そりゃ、いいけどさ」


 呆れ混じりの笑みを見せ、マリーは田舎娘の方へ視線を向けた。


「アンタ、家出娘とかじゃないわよね」


 少し厳しめに、マリーは問う。

 恰好こそ野暮ったい田舎娘だが、彼女の口調、佇まい、そして何より手入れの行き届いたプラチナブロンドの髪の毛は、一般庶民のそれとは違っていた。少なくとも、貴族階級にいる娘なのは、間違いないだろう。

 言い方は悪いが、面倒を避ける為には、どうしても確認しておかねばならない。

 問われた田舎娘は、少し俯く。


「……帰る場所がある、という意味なら大丈夫だ。世話になっている方々に、迷惑がかかるようなことはしていない」

「そう。ならよかった」


 嘘は言ってない様子に、マリーはニッコリ笑みを浮かべた。

 が、田舎娘は続く独り言を、自嘲気味に漏らした。


「私がやるべきこと、やれることなんか、何も無いけれどな」


 自虐的な笑みを零す。

 聞こえていたが、誰もがそれを聞こえない振りした。

 気を利かせてフランが話題を逸らそうと口を開いた時、それを邪魔するように勢いよくスイングドアが開かれ、小汚い恰好をして腰に剣をぶら下げた男達が、三人ほど無遠慮に店へと上がり込んできた。


「邪魔するぜぇ、マリーさんよぉ」

「……アンタ達」


 真ん中のリーダーっぽいガリガリの男が、酒焼けしたねちっこい声を出すと、それまで笑顔だったマリーの表情が、一気に険しくなる。

 どうやら、あまり歓迎したくない類のお客さんらしい。

 マリーから向けられた視線を受けて、ミリカとフランは店の隅っこへと避難する。

 その姿をガリガリの男は、顎を摩りながら厭らしい視線を向け、目の前を通り過ぎた瞬間、ミリカのお尻を下品に鷲掴みにした。


「――いやっ!?」

「おやめ! その娘達に手を出すんじゃないよ!」


 マリーの怒鳴り声に、ニヤニヤしながらお尻から離した手を、おどけるように上へと向けた。


「へへっ。悪いなぁ、売り物に手ぇ出しちまってよ……何だったら、相場の倍の値段で三人共買ってやろうかぁ? 朝まで何て言わずに、丸一日たっぷりと可愛がってやるぜぇ?」


 部下二人の下品な笑みに乗せ、ガリガリの男は身を寄せ合い嫌悪感を露わにするフラン達に、厭らしい視線を投げかけた。


「……悪いけど、その娘達には先約があるんだよ。そもそも、メガネの娘は娼婦でもなけりゃ、アタシらとも関係無い娘だよ」

「ふぅ~ん。そいつはぁ、残念だぜぇ……まぁ、いいさ」


 舌打ち交じりに呟き、ガリガリの男はカウンター席、アルトの横に腰を下した。

 風呂に入っていないのか、鼻に突く嫌な匂いにアルトは顔を顰める。


「でぇ? マリーさんよぉ。ウチと組んで仕事するって話、受けて貰えないかい」

「その話なら、とっくにウチの旦那が拒否した筈だよ」


 キッパリとした口調で言うと、ガリガリの男は大袈裟に驚き、首を左右に振った。


「おいおい、つれないこと言うなよ。天国街なんて言われちゃいるが、北街に比べれば子供の遊び場みてぇなところじゃねぇか。アンタら、こんなドヤ街で日も当たらず一生を終える気かい? 俺らと組めって。元天楼の俺達のコネがありゃ、この街をもっとデカく、華やかな場所に変える事が出来るんだぜぇ? 同じ街に暮らす仲間としてよぉ、一つ協力関係を築こうじゃあないか」


 ガリガリの男が熱心に語るが、マリーは両腕を組んだまま表情を全く変えない。

 話が終わったのを見計らうと、大きく息を吐いてから、ガリガリと男を一睨みした。


「言いたいことはそれだけかい? だったら、帰っておくれ。ウチはアンタらと組む気は無いし、アンタらを天国街の仲間だと認める気は無い」

「……んだとぉ?」


 途端、ガリガリの男は顔色を豹変させ、カウンター席を思い切り殴りつける。

 甲高く響く音に、ミリカはビクッと身体を震わせ、フランに抱き着いた。

 一方のガリガリの男は、額に青筋を浮かべ、マリーを睨み付けた。


「テメェ……人が下手に出てりゃ、随分と舐めた態度じゃねぇか、ああッ!?」


 そう怒鳴りつけて、ガリガリの男は手を腰の剣に伸ばす。

 黙って様子を見ていたアルトは、動作に気が付き向けていた横目に力を込めるが、それより早く、別の人物の声が響く。


「――やめるんだ!」


 キレのある声色に、店内はシンッと静まり返る。

 ほぼ同時に、店にいる全員の視線が注がれた先には、立ち上がってガリガリの男を睨み付ける少女の姿があった。

 少女は毅然とした態度で、言葉を続けた。


「無法なマネは止めるんだ。店主は嫌だと言っている。なのに何故、君は自分達の都合だけを押し付けようとする。その上、暴力で訴えようだなんて、恥を知れ!」


 一瞬、唖然としていたガリガリの男は、すぐに腹を抱えて大爆笑する。


「恥を知れときたもんだぁ! コイツぁ面白れぇなぁ……」


 一頻り笑った後、ガリガリの男は田舎娘をギロッと睨み付ける。

 血走った殺気の籠る視線に、娼婦二人は身を怯ませた。


「おい。舐めたこと抜かしてっと、攫っちまうぞぉ?」

「こ、この娘は関係無い」


 恐怖で震えながらも、ミリカが田舎娘を庇うように前へ立つ。

 それに呼応するよう、フランも並んだ。


「ええ、そうねぇ。貴方達、元天楼の幹部様なんでしょう? どうか、子供の戯言だと思って、目くじらを立てないでくれませんかぁ?」

「……まぁ、俺様も大人げが無かったなぁ」


 庇うフランの言葉にガリガリの男は少し考えると、意外にも聞き分けよく殺気を引込めるが、すぐに視線に好色の色を宿し、フランとミリカに舐め回すような視線を向けた。


「お前らが、俺様にサービスしてくれるってんなら、そのガキを見逃してやろうじゃねぇか」

「――なッ!? 何て恥知らずな……それとこれとは、関係無いだろう!」

「関係あるんだよクソガキ!」


 迫力のある怒声に、田舎娘はグッと怯む。


「テメェは横から首突っ込んで、俺様のご機嫌を損ねるから、そこの娼婦共が尻拭いしてんだろうが。恥知らず? ハッ。知らずに恥を撒き散らしてんのは、テメェの方なんじゃねぇのか、この田舎者がッ!」

「おやめよ! 関係無い娘ぇ、巻き込むんじゃないって言ってんだろッ!」


 堪らずマリーが口を挟んだことで、ガリガリの男は田舎娘を恫喝するのを止める。かわりに、ニヤニヤと勝ち誇ったような視線を、店にいる女達全員に向けていた。

 押し黙るマリーと娼婦達。

 事態をより悪化させてしまった田舎娘は、表情を青くして唇を震わせていた。

 そんな彼女に責任を感じさせまいと、フランとミリカは優しく肩や背中を撫でる。

 一方のガリガリの男は、これからのことを考えてか、締りの無い表情でじゅるりと下品に涎を啜っていた。


「んじゃ、仕方ねぇ。女将に仕事を断られたことと、馬鹿な田舎娘の言葉で傷つけられた心を、そこの娼婦共でねっとりと癒して貰おうかぁ。なぁ、お前達!」

「「へい!」」


 控えていた部下達も、厭らしい笑みで娼婦達をねめつけていた。

 マリーは悔しげに唇を噛み締めている。そして田舎娘もまた、自分が事態を悪化させてしまった後悔に、肩を震わせて涙を溜めていた。


「わた、私は……やっぱり、何も出来ないのか……優しくしてくれた人にも、迷惑ばかりを……私は、私はッ」


 ギリッと、奥歯を噛み締める音が、アルトの耳に届いた。

 けれどアルトは、まるで他人事のように無視を決め込み、黙ってシチューの野菜をフォークで掬って食べていた。


「さぁて。そうと決まれば、こんなチンケな店に用はねぇ……娼婦共を連れて、ヤサでしっぽりとしけこむとするかぁ」


 大袈裟な物言いで、ガリガリの男は勢いよくカウンターから立ち上がった。

 その時、足がぶつかり衝撃で、シチューが入った皿がひっくり返る。


「……おい」

「あん……んごぉ!?」


 振り向いたガリガリの男の鼻の穴にフォークを差し込んで、上に引っ張り上げながら痛がる男の身体を操り、真後ろまで連れて行くと、更に思い切りフォークを釣り上げて、爪先立ちで絶叫する男の胸を、思い切り蹴り飛ばした。

 控えていた男達二人組が、蹴られた男を慌てて、倒れ込まぬよう身体を支えた。

 二人に抱えられたガリガリの男は、鼻を押さえながら、アルトを睨み付ける。


「て、テメェ! 何しやがる!?」

「何しやがるだぁ? そりゃこっちの台詞だっつーの。人の昼飯を台無しにしやがって、この野郎がッ!」

「……さり気なく、自分で引っくり返した癖に、よく言うよ」


 苦笑しながら、背後でマリーがそっと呟いた。


「――テメェ!?」


 すぐさま腰の剣に手をかけようとするが、素早くアルトがフォークを投擲し、それが頬を掠め背後に壁に突き刺さる。

 硬直し、男はタラッと額から汗を流した。


「こ、この野郎ッ!?」


 それでも気を持ち直し、剣を抜こうとするが、部下の一人が慌てた様子で肩を揺する。


「あ、兄貴……ヤバイっす。あ、アイツ、野良犬騎士っすよ!」


 引き攣った部下の声に、ガリガリの男は仰天する。


「の、野良犬騎士だと!? あ、あのシド様やミュウ様をぶっ殺して、天楼を潰し、奈落の社のハイドさんと対等に話せる男……あの野良犬騎士なのかッ!?」

「いや。ミュウ倒したの、俺じゃねぇけどな」


 畏怖の籠った視線を向けられるが、好都合だと気を取り直し、アルトは咳払いをしてガリガリの男達を睨み付けた。


「マリーの言ってた先約ってのは、俺のことなんだよ……それでも、こいつら連れて行くってんなら……」


 カチャリと、腰の剣を鳴らす。


「コイツで話をつけるかい?」

「め、めめめめ滅相もありません! しし、失礼しましたぁぁぁ!」


 直立不動で一礼すると、男達は脱兎の如く逃げ出した。

 あまりの迅速な行動に拍子抜けしつつ、アルトはカウンターを振り返り、ニヤッと歯を見せて笑った。


「昼飯代。コイツでいいかい?」

「……妙に静かだと思ったら。アンタ、騒動が大きくなるの待ってたね?」


 呆れ顔をするが、それでも感謝していると軽く頭を下げる。

 それを了承と見たアルトは、マリーを拝むように、手を合掌させた。

 その姿にミリカとフランはプッと吹き出し、満ちていた緊張感は一気に解け、店内は笑いに包まれた。

 最悪の結果を生むかと思った状況が、一瞬にして引っくり返された。

 田舎娘は唖然とした表情で、喜ぶ娼婦達に懐かれ、面倒臭そうな顔をしているアルトを見つめた。

 頬が桜色に染まり、口から自然と、素直な言葉が零れ落ちる。


「……かっこいい」


 その瞬間、田舎娘……アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールはまだ、初めて胸に芽生えた感情の名が何なのか、まだ知る余地も無かった。






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