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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2部 反逆の乙女たち
93/162

第93話 ゼロのスタート地点






 転移魔術は、想像していたよりずっと、単純に行われた。

 遺跡の地下にある、転移術式の刻まれた台座の上から、アカシャが魔力を通して魔術式を発動させると、淡い光に包まれた二人は、身体が上に引っ張られるような浮遊感を感じた後、次に目を開いた場所は、元いた遺跡とは全く違う場所だった。


 皇家の墓に比べて、古めかしい雰囲気のある遺跡。パッと見は似ているが、細部の装飾が帝国式のモノでは無く王国式のモノだった。

 幸いなことに、室内には人影は無く、二人は会話もそこそこに外へ出ることにした。

 長い階段を昇っている間、二人は奇妙な緊張感からずっと無言だった。

 外に出ると時刻はまだ昼間くらいだろう。風に揺れる木々の葉擦れが響く、森の真ん中にある遺跡から出た二人は、数分前とは全く違っている景色を目の前にして、暫し茫然としていた。


「……本当に、転移したんだ」


 アカシャの手を握ったまま、ハイネスはここでようやく、ポツリと言葉を発した。

 変わったのは景色だけで無く、空気そのものが共和国と違っていた。

 ひんやりとした乾いた空気から、しっとりとした温かい空気へと変わっている。何よりも肌をチリチリと焼くような日差しは、夏の短い共和国では、とっくに過ぎ去っているモノだった。


 鼻から大きく、瑞々しい空気を吸い込む。

 追い詰められていた緊張感から暫し解放されて、暫し二人は森から吹く風に身を任せ、心を落ち着かせた。

 度重なる危機の連続で、疲労した身体には、この森の風と空気は心地よい。

 不意に風に乗って、足音がハイネスの耳に届く。


「――ッ!? アカシャ、こっちへ」


 手を引っ張り、遺跡から足音から離れるよう、森の中へと逃げ込む。

 藪の中に身を顰め、状況を把握する為にそっと様子を伺うと、遺跡に現れたのは鎧を着た男達数人だった。


「あれは……エンフィール王国の兵隊達ね」

「やっぱり、ここは王国の領土内なんだな」


 信じられないと言った風に、横でアカシャがそれだけを呟いた。

 和平が結ばれているとはいえ、王国の正規兵達が共和国の領土内で活動するなどあり得ない。


「……ここが王国の何処だかは知らないけど、どんだけ離れてると思ってんのよ。でっかい山一つ越えなきゃならないのよ?」


 共和国と王国の間は山脈によって仕切られているが、両国を行き来するのに必ずしも、山脈を越えて行く必要は無い。それでも物理的に距離が離れている以上、お手軽に簡単というわけにはいかない。

 まさに魔術だからこそ成り立つ、常識を度外視した移動方法だ。


「とは言え、こんな場所に長いは無用ね。さっさとここを離れて、あの眼帯女に言われた通り、王都を目指しましょう」

「ん。そんだな」

「まずはここが王国の何処だかわかんないし、情報を集める為に、近くの村か集落を探しましょっか」


 そう言って藪から離れ、立ち上がるとするが、上手く足に力が入らない。


「あ……れ?」


 フッと、全身から力が抜けて行く。

 腹部の傷を中心にして、痺れるような脱力感が急激に、ハイネスの意識を奪う。

 立ち上がれず前のめりに倒れそうになるのを、両手で地面を突き堪えるが、意識そのものが薄れていく為、長く耐え切ることは出来なかった。


「こりゃ、ちょっくら……やばいわ、ね」


 音を立てて、ハイネスが地面に倒れ込んだ。

 遠く消えゆく意識の中、アカシャが息を飲み込む音だけが聞こえた。

 頼むから、王国兵達に気が付かれるので、大きな悲鳴だけは上げないで欲しい。

 彼女の無事だけを願いながら、ハイネスの意識は闇の中へと飲まれていった。




 ★☆★☆★☆




 荒野に複数の天幕が張られ、忙しなく人が出入りしている。

 近衛騎士局の騎士達が組織した、咢愚連隊を追撃する部隊の野営地だ。

 夕刻も近くなり、空の彼方が僅かに赤く染まる。共和国の土地は、季節を問わず日が落ちると急激に気温が低下するので、暖を取る準備の為に、見習いの騎士達は懸命に駆けまわっているのだ。

 その中で一番大きな天幕に、ズカズカと肩をいからせて足を踏み入れる騎士が一人。

 黒騎士、ヨシュア・ブライドだ。

 天幕の奥で、テーブルに頬杖を付いて椅子に座っていたジャンヌ・デルフローラは、態勢を変えず横目だけを向けた。


「――貴様ッ! ツァーリの小娘を取り逃がしたようだなッ!」

「……開口一番がそれですか」


 不機嫌さを露わにジャンヌは眉根を寄せ、頬杖を付いていた手で、テーブルを思い切り叩いた。


「テメェが抜かせることかっ、ああッ! むざむざ局長を殺された上、先に取り逃がしたのはテメェの方だろうが、この役立たずがッ!」

「グッ……そ、それはっ、軍部からの邪魔が入ったからだ! それさえ無ければ、あの程度の手合い、あの場で処分出来た」

「はん。言い訳乙……チッ。胸糞わりぃ」


 再びジャンヌは、不機嫌そうな顔で腰を下し、テーブルに頬杖を付く。

 ヨシュアも悔しげに舌打ちをしてから、椅子を引っ張り出して正面に、両腕を組んで座った。


「状況は?」

「……消息不明。皇家の墓へ侵入した形跡はありますけれど、その後の足取りは掴めておりません。報告によりますと、正体不明の二人組による、邪魔が入ったとか」

「邪魔だと? 貴様。咢愚連隊はキッチリ処分したんじゃないのか!」

「一々、怒鳴るんじゃねぇよ。ったく……」


 面倒臭げに顔を顰めた。


「幹部連中はトップの二人以外、全員拘束。押収した名簿を見る限り、わたくしのネクロノムス隊を相手取って、逃げおうせる手練れは存在しない筈だわ」

「だったら何者だと言うんだ」

「……さぁ?」


 肩を竦める様子に、ヨシュアは苛立つように表情を顰めた。


「貴様……何だそのやる気の無さはッ!」

「やる気ねぇ」


 頬杖を付く手を、反対に変える。


「んじゃ、聞きますけれど、ヨシュア。貴方、このままアルフマンの手の平で踊ってるつもり?」

「……なんだと?」


 その名を聞いた途端、ヨシュアの表情が険しくなる。


「貴様、この一件に奴が絡んでいるとでも言うのか」

「当然」


 面白くなさそうに、ジャンヌは鼻を鳴らした。


「局長と咢愚連隊の極秘会談。この話を持ち出したのは、パスカリス様ですよね」

「……あの生臭坊主が、アルフマンと通じているとでも?」

「さぁ、どうでしょう。神職に携わる者として、騎士道を裏切るようなマネをするとは思えませんが、腹に逸物抱えていてもおかしくは無い、老獪なお方ですからね」


 シン局長と咢愚連隊の極秘会談は、本来なら騎士長達の耳に入ることなく実行され、話を終える筈だった。

 が、数日前にパスカリスが極秘裏に書状を送り、極秘会談を他の騎士長に暴露された。

 特に彼らを敵視していたヨシュアは激怒し、シンの局長職からの更迭を提案。そしてパスカリスはこれを好機と言い、同時進行で咢愚連隊の壊滅作戦も提案した。何処からか入手したのか、谷間にある本拠地への地図まで持ち出し、熱心に説得してきたのだ。


「アレで胡散臭いと思わん方が、どうかしているな」

「蓋を開けて見れば、暗殺から守る為、極秘裏に護衛を出していた騎士達も全員殺害され、まんまとシン局長は暗殺された。ま、そのお蔭で、咢愚連隊をぶっ潰す大義名分を手に入れたのだけれど……気に入らねぇぜ、チクショウめがッ」


 ガンと、ジャンヌは机の脚を蹴り飛ばす。

 一連のことに、ミシェル・アルフマンが関わっているという証拠は無い。そもそも、これはパスカリスが企てた陰謀で、二人が邪推して、アルフマンを黒幕だと思い込んでいるだけかもしれな。

 その懸念から、ヨシュアはジャンヌの言葉に、同意しきれずにいた。


「何故、そこまでアルフマンに拘る? 疑惑や憶測で語るほど、貴様はロマンティストではあるまい」

「うるせぇなぁ。乙女は誰もが、夢見るロマンティストなんだよ」


 唾を吐き捨て、ギロリとヨシュアを睨む。


「そりゃ、馬鹿げた妄想に聞こえるだろうさ……なんせ、ミヤ様が吹き込んできたことだからよ」

「……あの御方か」


 ミヤ様。

 その名を聞いて、ヨシュアは渋い表情をする。

 四人の騎士長、最後の一人で、シンがどうしても騎士長として欲しいと、苦労して口説き落としたほどの人物。その見立て通り、騎士としての実力は、四人の中でも特に群を抜いていた。

 ミヤ様にもパスカリスの書状は送られているだろうが、何の返答も無く、沈黙を保っている裏には、そんな理由があったらしい。


「あの方はいまいち、好きにはなれませんが、ミヤ様がこの件の裏にアルフマンの企てがあると言うのなら、その通りなのでしょう。良くも悪くも、シン局長やアルフマンに近しいタイプの御方ですから」

「……気に入らん。全く、気に入らんッ」


 憮然とした表情で、ヨシュアは吐き捨てた。

 ジャンヌも頬杖を付いたまま、湿っぽい息を吐き出す。

 心情では彼女も、同じく納得出来ていないのだろう。

 近衛騎士局は仲良し集団では無い。彼らには彼らの騎士道があり、その範疇を超えた者は敵でしかない。例えるなら、局長であるシンであっても、守護するべき共和国の仇敵と情に流され、協力関係を築こうとするなら、それは裏切り行為に他ならない。

 けれど、シンに対して憎いと思う、負の感情が存在したわけでは無い。

 そしてパスカリスもまた、己の持つ騎士道に従い、今回の件を企てたのだろう。


「全てが計算づくなら、ミシェル・アルフマン……あの野郎、どんだけ高みから人様のことを見下ろしてやがるんだよッ」


 一年にも及ぶ咢愚連隊の活動をあっさりと潰し、共和国の中でも異端であったシンをも葬り去った。

 この手腕、神算鬼謀というレベルでは無い。

 まるでチェスの駒を操るような、無慈悲な采配は、ジャンヌですら戦慄を覚えた。

 何れにしても、これで共和国の情勢は大きく変わる。その中心にいるのはきっと、いや、確実にミシェル・アルフマンなのだろう。

 咢愚連隊を潰した功績は得たモノの、二人の胸に去来していたのは、敗北にも似た苦々しさだった。




 ★☆★☆★☆




 ハイネスが目を覚ますと、見知らぬ天井が視界に飛び込んで来た。

 隅に蜘蛛の巣が張った、ボロッちい木製の天井をぼんやりと眺める内に、思考が鮮明さを取り戻したハイネスは、弾かれるように飛び起きた。

 瞬間、激痛が脇腹を突き抜ける。


「――痛ッ!? ~~~ッてぇ」


 涙目になって、ハイネスは脇腹を押さえて、額を膝に押し付け悶え苦しむ。

 触って気が付いたが、腹部には包帯が巻かれている。それどころか、服装が何時ものネクタイシャツでは無く、病人が着るような寝間着に変わっていた。


「……ここって」


 周囲を見回すと、ここは無いも無い部屋の一室で、ベッドの上に寝かせられていたことに気が付く。

 ランプが薄明りを照らしていることから、もう既に日が暮れているのだろう。

 視線を窓の方へ向けると、罅の入ったガラス窓から、暗くなった空が見えた。


「……ここ、何処? ってかあたし、何時間眠ってたのよ」


 寝起きと怪我の影響で、クラクラする頭を押さえつつ、ベッドから立ち上がろうと試みるが、全身に力が入らず上手くいかない。

 苛立つようにベッドの上でモゾモゾと動いていると、予告も無しにドアが開かれた。


「……ん? 何だ。目が覚めていたのか」


 若い男の声に視線を向けると、白衣を着た青年がドアを開けて入って来た。

 愛想の無い表情をした黒髪の青年は、ズカズカと無遠慮にベッドの上で、芋虫のような恰好をしているハイネスに歩み寄る。


「気分はどうだ?」

「……はぁ?」

「怪我の具合はどうだと、聞いている」


 ぶっきら棒な問いに、ハイネスは身体をベッドの上に座るような態勢に直す。


「傷口が痛い。身体がだるい」

「そうか」


 短く言って、青年はハイネスに顔に右手を伸ばしてくる。

 ギョッとしたハイネスは、思わず反射的に手を払ってしまった。

 青年は軽く目を見開いて、払われた手を引込める。


「……熱を測ろうとしただけなのだがな」

「あ、えっと、ごめん。あたし、男に触られるの、苦手だから」

「まぁいい。意識がハッキリしているようだし、今すぐどうこうとはならんだろう」

「すっげぇ、不安な言い回しなんですけど」


 腹部を摩りながら、ハイネスは微妙な顔をする。


「えっと、あたしの他にツレが一人いた筈なんだけど」

「ああ。あの子供なら、隣の部屋で寝ている。もう夜も遅いしな。お前の眼が覚めるまで、側にいると言い張っていたが、疲れていたのだろう。ベッドに突っ伏していたから、さっき運んで寝かせて置いた」

「そ……さんきゅ」


 そう言って、ハイネスは安堵の息を吐いた。


「それで、ここって何処?」

「ドーラ村にある教会の部屋だ。あのアカシャという娘が、泣きながら倒れているお前を引き摺っているのを偶然見かけてな。村の連中の助けを借りて、ここまで運んできたんだ」

「そりゃ、ご迷惑をおかけしました」


 後頭部を掻き、ペコリと頭を下げる。

 どうやら、王国兵には見つからずに済んだようだと、密かに内心で安堵する。

 口振りからもアカシャの素性は知られていないようだし、どうにかこうにか、一息付けそうな予感がした。


「ところで、お前達は何者だ?」

「……ですよねー」


 安堵したところ、答えに困る問いかけをされる。

 如何誤魔化すか悩んでいると、青年は更に突っ込んだ質問を重ねる。


「その腹部の刺し傷。傷口の具合から見て、魔術的な効果があるな。俺の医術の心得など、手慰み程度だが、そんな怪我、普通ではありえんぞ」


 これまた、答え辛い質問をされてしまう。

 それどころか、傷に魔術的な効果があるなど、今初めて知った。

 寝起きと怪我の脱力感の所為で、上手く思考が巡らず、答えに窮してしまう。


「いや、その、えっと……」


 その態度が余計に不信感を煽るらしく、青年の表情が見る間に厳しくなっていく。

 こりゃ参った。そう思いかけた時、青年はふっと息を吐いた。


「……答え辛いのなら、詳しくは聞かない。俺も、あまり過去は詮索されたく無いからな」


 青年の意外な言葉に、ハイネスはバツが悪そうに頭を掻いた。


「ごめん。助けて貰ったのに、不義理なことして」

「別に構わん。それに、礼なら……」

「あらぁ? 怪我人さん、お目覚めになったのかしらぁ?」


 のんびりとした女性の口調に、ハイネスが視線を向けると、ドアを開けてシスター服を身に着けた人物が、パンとスープを乗せたトレイを持って、部屋へと現れた。

 おっとりと慈愛に満ちた、笑顔の似合う女性だ。

 何より目を引くのは、スイカかと思うくらいに大きい胸の部分。

 ハイネスも多少は自信があるが、あのサイズには負けを見止めざるを得ない。

 女性は胸を揺らしながら、ベッドの横まで近づく。


「先生? もう自己紹介は済んだのかしら?」

「いや、ちょうどいい。これから名乗ろうと思っていたところだ」


 そう言って、青年は白衣のポケットに両手を突っ込み、此方を見る。


「彼女がこの教会の主でお前を助けた女性、アンジェリーナだ」

「初めまして、アンジェリーナよ。これ、少ないけれど、食べられるなら食べてちょうだいね」

「あ、ありがとう」


 子供でもあやすような優しい口調で、ニコニコとトレイをハイネスに手渡した。

 太陽のような邪気の無さを直視出来ず、誤魔化すよう視線を青年に向けた。


「で、アンタは?」

「俺の名前はシーナ。この教会の居候だ」

「居候? 医者じゃないの?」

「手慰み程度と言っただろう。頼まれれば診察くらいするが、本業としてやっているわけでは無い」


 ニコニコと笑顔を絶やさないアンジェリーナとは対象的に、シーナと名乗った青年は、終始しかめっ面で愛想の一つも無かった。

 二人の名を口の中で噛み締め、ハイネスは真面目な視線を向けた。


「シーナ、アンジェリーナ。改めて礼を言うわ……ありがとう。おかげで、助かった」


 ベッドの上で、ペコリと頭を下げる。

 その姿を見たアンジェリーナは、慈愛の笑みを浮かべると、祈りでも捧げるかのよう、両手の胸の前で組んだ。


「お気になさらないで。困っている人に手を差し伸べるのは、神に仕える人間の使命です。ね、先生」

「……さぁな」


 軽く眉間に皺を寄せ、シーナは肩を竦めた。


「それと、倒れている貴女を助けたのは、私達では無く、もう一人、この教会に住んでいる方なの」

「この教会に運び込んだのは、その居候だ。俺達はただ宿を貸して、傷の手当てをしただけだ。アンジェリーナの言う通り、大袈裟に礼を述べる必要は無い」

「……そっか」


 もう一度、ありがとうと礼を言いそうになり、ギリギリで言葉を飲み込んだ。

 安堵したら再び眠気が押し寄せてきて、ハイネスは長い欠伸を一つする。


「強い薬を使っているからな。食事が済んだら、もう寝てしまうといい」

「はい、これ。少なくて申し訳ないけれど」

「ん。十分よ」


 パンと野菜のスープ。

 確かに量としては少ないが、怪我で疲弊した身体には丁度いい。

 眠気を耐えながら、スプーンでゆっくりと口に運ぶ。

 ほんのりの甘味のあるスープが、胃に染み込む。考えてみれば、シンの別邸から逃げ出して以来、傷の痛みと逃亡による緊張感で、碌に食事をしていなかった。


「……あの。アカシャは、何かを口にした?」


 不意に気になって問いかけると、二人は渋い表情をした。


「一応、な。ただ、あまり食欲が無いので十分とは言い難い」

「そう」


 軽く息を吐いて、ハイネスは食事を続けた。

 これからどうするべきか。そのことを考えると、食事を進める手がどうしても鈍ってしまう。

 その姿を見て心配になったのか、アンジェリーナがそっと肩に手を添える。


「あまり気負わないでね、ここは何者にも中立の安らぎを約束する場所。気兼ねせず、何日でも過ごして貰っていいから」


 聖職者らしく、優しい笑顔と言葉を向けてくれる。

 ありがたい。本当にありがたいと、ハイネスは心から感謝する。けれど、その優しさに甘えてしまえるほど、彼女の心は挫けてはいなかった。


「心遣いは嬉しいわ……けど、あたし達は明日にでも、ここを立とうと思うの」


 その言葉に、アンジェリーナだけでなく、シーナも驚いた表情を浮かべた。


「そんな……まだ怪我だって……」

「アンジェリーナ」


 心配げな表情で説得しようとするアンジェリーナを、硬い口調でシーナが呼び止め、首を左右に振った。

 すると、納得はしていない様子だが、口を結び言いかけた言葉を飲み込んだ。


「わかった。しかし、行く宛てはあるのか?」

「いちおうね。王都の、ギルドかたはねを訪ねようって思ってるの」


 シーナは一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。


「ん? 知ってるの?」

「……一応な」


 短く言って、口を噤んでしまう。

 どうやら、詳しく説明してくれる気は無いようだ。


「……食事を終えたら、さっさと寝てしまえ。王都までは遠くは無いが、疲労した身体ではキツイだろう」


 それだけ言って、シーナはまだ心配そうな眼差しを向けるアンジェリーナを引っ張り、室内を出て行った。

 ドアが閉じられると、ハイネスは拝むよう、両手を合掌させて頭を下げる。

 そして、少量の食事をゆっくりと、噛み締めるよう胃に流し込み、後は睡魔に身を任せ泥のような眠りにつく。けれど、その眠りはとても浅く、僅かに意識を残したまま、気が付けば外は白み始めた。




 ★☆★☆★☆




 翌朝。

 宣言通り、ハイネスは傷も完全に癒えぬ状態で、アカシャを連れて村を立つ準備を整えていた。

 準備、と言っても、着の身着のまま。

 顔を洗い服を着替え、アンジェリーナが用意してくれた朝食を頂いて、二人は雲一つ無い快晴の空の下、旅立つために村の入り口へと来ていた。

 ドーラ村は何の変哲も無い農村。村人達は日が昇り切る前から畑に出ているので、早朝といっても人と殆ど出会わず、教会に住んでいるシーナとアンジェリーナだけが、わざわざ見送りに来てくれた。

 アンジェリーナが、手に持ったバスケットをハイネスに手渡す。


「はい、これ。サンドイッチ。お腹が空いたら、食べてね」

「こりゃ、悪いわね」

「ありがとう。世話になった」


 微笑を浮かべ、礼を述べるハイネスに続き、アカシャも頭を下げる。

 一晩ゆっくり寝た所為か、アカシャの顔色は良くなっている。けれど、やはり気落ちした様子で、口数は少なかった。


「ここの街道を真っ直ぐ、一日も歩けば王都へとつく」

「先生も、世話になったわね」

「……気にするな」


 そう言いつつ、シーナは指を曲げて、こっち来いとハイネスを招く。

 首を傾げながらも近づくと、アカシャ達に聞こえぬよう、小声で話かけてきた。


「傷口は縫合しておいたが、昨夜説明した通り、魔術の効果で傷の治りが遅い。すぐにどうこうなる様子は無いが、何等かの対処をしなければ不味いだろう」

「……それって、どうにかなんないの?」

「普通の医術では無理だ。が、王都に行くなら方法が一つある」

「どんな?」


 シーナは、更に声を潜めた。


「王都には魔女が住んでいる。彼女ならあるいは、その魔術の解呪方法を解明出来るやもしれん」

「……魔女ぉ?」


 胡散臭げに、ハイネスは眉根を寄せた。

 しかし、シーナの口振りから、冗談を言っているようには思えない。


「かたはねのギルドマスターに相談すれば、魔女に取り次いで貰えるだろう」

「……なるほどね」


 半信半疑だが、少なくともこの断続的に続く、脇腹の鈍痛は何とかしたいと思っていたところだ。これでは満足に戦うことも出来ないので、何とか出来るモノなら、藁にも縋りたい思いが正直あった。


「何から何まで、悪いわね。昨日、知り合ったばかりの他人なのに」

「ふふっ。知り合ったのだから、もう他人では無いわ。貴女達二人は、私の大切なお友達よ」


 そう言ってアンジェリーナは、慈愛に満ちた微笑みを見せた。

 聞いている方が恥ずかしくなる台詞に、ハイネスとアカシャは、顔を見合わせて苦笑する。


「ついでに、もう一つ世話を焼いておこう……来たか」


 呟いて、シーナは村の方を振り向く。

 釣られるようにハイネスも視線を追うと、何やら大きな得物を背負った女性が、眠そうな足取りで村の道を歩いて来た。


「あっ! あの人……」

「なに、知り合い?」


 女性の姿を目にしたアカシャの反応に問いかけると、彼女はうんと頷いた。

 巨大な得物はハルバード。それを軽々と担いだ、ボリュームのある赤毛の女性で、露出度の多い服から覗く、小麦色の肌が何とも健康的。そんな彼女が何度も欠伸をしながら、こっちへと近づいて来た。


「ふぁぁぁ……こんな朝っぱらから、ほんま、敵わんなぁ」

「遅いぞ、テイタニア」


 シーナに咎められ、テイタニアと呼ばれた小麦色の女性は、唇を尖らせる。


「そないなこと言われたかて、昨日の今日やねんで? もうちょいと、ゆっくりしたいがな」


 ハルバードを地面に突き立てて、だるそうに寄り掛かる。

 だらしない姿に嘆息しつつ、シーナはハイネス達に視線を戻した。


「こいつは居候のテイタニアだ。お前達を見つけて、教会に運んだのも彼女だ」

「……ああ、なるほどね」


 視線を向けると、ハイネスに気が付いたテイタニアは、軽く手を上げる。


「おっす。どうやら、無事やったみたいやね。いやぁ、結構結構。うちも行き倒れの先輩として、後輩が無事で安心したで」

「え? ああ、そう……先輩後輩って何よ」


 鈍りのある口調から繰り出される、独特のノリに面を喰らった様子で、ハイネスは小声でツッコんだ。

 そんなことを、気にする素振りも無く、テイタニアは人懐っこい笑顔を向ける。


「うちもちょいと、王都の方に用があるねん。旅は道連れっちゅうからな。よろしくしてや」

「……そうね。心強いわ」


 そう言って、ハイネスは右手を差し出す。

 テイタニアも答えるよう、笑顔で右手を握り返した。

 手の平を握ればわかる。このテイタニアという女性は、かなりの腕前を持つ。それは彼女の方も気が付いたらしく、握手をしながら向けられる視線には、僅かだが好戦的な色が宿っていた。


「……アンタ、めっちゃ強そうやなぁ」

「さてね。今のあたしは怪我人だから、ちょっとご期待には添えないかも」

「そうみたいやね」


 視線の色を緩めると、歯を見せてニッと笑ってから手を離した。


「ほな、さっさと出発するでぇ!」


 先ほどまでの眠そうな様子は何処へやら、テイタニアはハルバードを担ぎ直して、我先にと街道を行く。

 その背中に苦笑を向けつつ、ハイネス達は見送りの二人に向き直って、もう一度頭を下げた。


「気を付けてね」


 アンジェリーナは最後まで、笑顔を崩さず手を振って見送ってくれた。

 横のシーナもやはり、最後まで仏頂面だったが、アンジェリーナに肘で小突かれ、顔を顰めながらも手を振ってくれる。

 遠い故郷と仲間達の別れと、短い出会いを経て、ハイネスとアカシャは王都へと向かう。






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