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第9話 母と娘





 殺意の宿った赤い眼光がランディウスを穿つ。

 魔力の本流が瞳を通して術式を紡ぎ、明確な力となって溢れ出す。それは本来ならあり得ない現象。

 魔術は不可能を可能にする奇跡ではない。

 研鑽された術式の理論構築により、無限に広がる可能性を選別し、神秘からの真理を探究する。

 これこそが、魔術の在り方なのだ。

 だが、今ロザリンの行っていることは、それを根底から覆している。

 詠唱や魔法陣、または触媒を介さず術式を紡ぐ。

 これは例えるなら、編み針を使わず編み物をするようなモノだ。


「……な、なんだ、これは」


 耳が痛くなるほどの圧迫感に、ランディウスは気圧されて後ずさる。

 が、足は地面に根が張ったかのよう、ピクリとも動かなかった。


「無駄。身体の自由、その、一部を奪った」


 無感情な声に反応して、赤い瞳は鋭さを帯びる。

 ピリピリと空気が軋み、生温かなそれはランディウスの全身に巻き付くと、ゆっくり内部へ浸食していく。


「や、やめろッ!」


 異様な感覚。

 気がつけばランディウスは、指の一本も動かせなくなっていて、恐怖に顔を歪めながら上擦った声を漏らす。

 それでも高すぎるプライドが、ランディウスの口を動かす。


「私を殺せば、どうなるかわかっているのかッ!? そこの二人も、あの通りの連中も皆殺しにされる――ガッ!?」


 ロザリンが視線を僅かに細めると、ランディウスを黙らせるように、喉が締め付けられた。


「問題、無い」


 簡潔に答え、失神するギリギリで、喉の締め付けを和らげる。

 止まっていた呼吸が戻り、ランディウスは激しく咳き込んだ。


「今見せた通り、魔女の技術は、現代魔術とはまた、別のベクトルで進化している。これと私を対価に、貴方より偉い貴族に身売り、すれば、皆を、守ることが、できる」

「ゲホッ……そんなことが……」

「可能か不可能かは、貴族である貴方が、一番、知っているはず」


 ランディウスは悔しげに奥歯を噛み締めるだけで、続く言葉は出てこなかった。

 数秒の沈黙の後、ロザリンは小さく嘆息して、指先をピクッと動かす。


「ま、待て! 俺が悪かった! お前にも通りにも手を出さない。だから……」

「無理。貴方は、お母さんを殺した……だから」

「――ッ!?」


 ランディウスの顔色が絶望で、蒼白に染まる。

 縋るような視線を無視し、慈悲の宿らない視線で睨み付けた。

 睨み付ける眼光が、一際大きい殺意を乗せて、ランディウスの呼吸器を完全に掌握する。


「死ね」


 感情が完全に消えた声で、無情な言葉を口にした時、


「――じゃねぇよ、この馬鹿ガキ」


 スパーンと、小気味の良い音が響き渡る。

 不意に背後から思い切りお尻を叩かれ、ロザリンは「ひゃん!?」と妙な声の悲鳴を上げてしまう。

 お尻を摩りながら後ろを振り向くと、アルトが目を三角にしてこちらを見下ろしていた。

 少し驚いたが、ロザリンは再び視線を鋭く細め、顔だけを向けアルトを睨む。


「邪魔、しない……」

「うっせ、阿呆」


 言い終わる前に、またアルトにお尻を叩かれた。


「ひゃん!?」


 また、妙な悲鳴を上げて飛び跳ねてしまう。

 痛くは無い。痛くは無いのだが、あまり他人に触れられたことの無い部位を、しかも男性に叩かれたということに羞恥心を刺激され、過剰なリアクションを返してしまう。

 緊張感に満ちていた空気が、一気に緩んでいく。

 纏った殺気も魔力と共に四散してしまい、普段通りの赤い瞳を涙で潤ませ、お尻を隠しながらアルトから距離を取る。

 気恥ずかしさから、頬がほんのりと赤い。


「えっち。なんの、つもり?」

「そりゃこっちの台詞だ。人の喧嘩の最中に、堂々と割り込んでんじゃねぇよ」

「……なに、それ?」


 珍しく、ロザリンの向ける言葉に棘が宿る。

 薄く笑みを浮かべてはいるが、表情に余裕が無い。

 怒っているとも、泣いているとも受け取れる。霊園で見せた時のように、処理できない感情を抱えているのだろう。

 見上げる強張った表情は、普段の数割増しに子供じみて見えた。


「遠回しに、復讐なんて、馬鹿なことは止めろって、言っているの?」


 静かだが刺々しい口調に、カトレアの息を飲む音が聞こえた。

 物静かな少女。

 普段のロザリンを知る者は、そう感想を抱くはず。

 霊園でのロザリンを知らないカトレアには、この変化が唐突に思えるのだろう。

 だが、普段、感情を露わにしないからこそ、ロザリンは人より波のある激情を宿している。

 それは魔女として、人と隔絶した世界で生活していた、反動なのかもしれない。感情の表現に慣れてないからこそ、一度弾けてしまった時のふり幅が激しい。

 大層な言い方をしたが、別に珍しいことでは無いはず。

 子供なら誰でも体験すること。ロザリンはそれが、ちょっと遅かっただけの話だ。


「復讐は、何も生まない。殺しても、お母さんは生き返らない。お母さんは、そんなことを望んでいない……そう、言うつもり?」

「……ま、それが一般論だろうな」

「それ、馬鹿にしてる。殺しても、殺さなくても、恨みは残るよ? だったら、だったらさぁ……」


 ボロボロと、赤い瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


「私の、私のさぁ、この、気持ちは、ど、どこにぶつければ、いいの? 殺したいほど憎い奴を、殺したら駄目って、言われたら、私、どうしたらいいか、わからないよぅ」


 涙と共に、感情が大きく決壊する。

 しゃくりあげるよう肩を震わせ、溢れる涙を何度も何度も繰り返して拭う姿に、アルトは面倒臭そうに鼻の頭に皺を寄せて、乱暴にロザリンの頭を撫でた。

 周囲の騎士達はただ黙って、その光景を見つめていた。

 ロザリンの魔術の恐ろしさを、目の当たりにして、騎士達は恐怖感を隠せないでいるのだろう。

 しかしそれ以上に、腰を抜かして唖然と情けない姿をしているランディウスに、このまま従っていてよいのかという、戸惑いも入り混じっていた。

 我を取り戻したランディウスは、腰が抜けて立てないのにも関わらず、泣きじゃくるロザリンを指差して、勝ち誇ったように笑う。


「クッ、クククッ……! 野蛮な魔女とは違い、そこの男は貴族の恐ろしさを知っているようだな! だがもう遅い、手遅れだ。私の物にしてやろうと思ったが、ここまで手癖の悪い魔女などもういらん! 処分してやる! 処分してやるからなッ!」


 一人、勝手な理屈で叫ぶランディウスに、周囲から失望のため息が漏れる。

 アルトも嗚咽を漏らすロザリンの頭を撫でながら、それを聞いていて、大きく息を吐くと、顔だけを背後のカトレアに向けた。


「おい、カトレア」

「……なによ?」


 大分不機嫌な顔をしているカトレアは、両腕を前に組んで眉間に皺を寄せている。


「ロザリンに教えてやれ。むかつく相手をどうするか」


 問の意味を考えるよう少し間を置いてから、カトレアは楽しげに片目を瞑る。


「いいの? アンタの喧嘩相手じゃなかったっけ?」

「飽きた」

「OK」


 ニヤッと笑って、カトレアは前に進み出る。

 すれ違いざまにポンと肩を叩かれたロザリンは、涙で更に赤くなった瞳を向ける。

 突然の行動に何を勘違いしたのか、ランディウスは楽しげに顔を歪めた。


「なんだカトレア嬢。命乞いでもしに来たのか? だが遅い、駄目だ。お前ら家族は全員縛り首にしてやるッ!」

「たま~にいるのよねぇ。こういう前後不覚になって、妄言を撒き散らす馬ッ鹿が」


 語尾に力を込めるのと同時に、握った両拳を胸の前でぶつけ、肩幅に大きく足を広げて構える。

 首を左右にゴキゴキと鳴らし、親指で鼻の下を拭った。


「さぁ、天国に逝く資格は十分かしら!」


 誰かと似たような、大仰な決め台詞を叫び、カトレアは地面を蹴る。

 アルトのような目にも止まらぬスピードでは無いが、弾むような足取りは短い距離でも十分な加速を生み、ランディウスの目の前で大きく一歩を踏み込んで跳躍。

 ほぼ垂直に跳んだカトレアは、それまでの加速を全て突き出した左膝に預けると、大砲のような一撃が、まだ状況を把握しきれず、間の抜けた顔を晒している、ランディウスの顔面に突き刺さった。

 見ている人間が顔を顰めるほど、強烈な一撃な炸裂。耳を塞ぎたくなるような、鈍い音を生み出す。

 低空だが、腰が抜けて座り込んでいるランディウスには、高さがぴったり。

 まともに膝蹴りを喰らったランディウスの顔面は、鼻血やその他の血で真っ赤に染まる。

 鼻も潰れてしまい前歯も全滅と、見るも無残な状態で白目を向き、背後へと大きくのけぞり、勢いそのままに蹴り飛ばされた。

 腰が抜けて力が入らないモノだから、壊れた人形のように地面を面白いように転がっていく。


「ギャーッ! スカートに鼻血がついたぁ!?」


 撒き散らされた鼻血が、スカートに染みつき、パタパタと仰ぎながらカトレアは絶叫する。

 突然の出来事に、周囲の野次馬、騎士達だけで無く、ロザリンも唖然としていた。

 鼻血の染みは諦めたカトレアが、スカートを翻して振り向くと、頭にアルトの手を乗せたままのロザリンに向けて、ブイサインを向けてニカッと朗らかに笑った。


「ムカつく奴はね、こうやってぶっ飛ばせばいいのよ。あたしだってコイツをぶっ飛ばしたくって、今までウズウズしてたんだから」

「……カトレア」


 ロザリンが涙声で、小さく呟く。

 柔らかい黒髪を撫でて、アルトがその言葉に続いた。


「俺は人の命の云々を語れるほど、余裕のある人生を歩んでねぇからな。復讐が死んだ人間の手向けになるってんなら、好きにすればいいさ」

「……アル、私は」

「どうしても決められなきゃ、とりあえず目の前の馬鹿を蹴飛ばしてこい。自分のことや、母親のことを思い返しながら、な。前にも似たようなこと、言っただろ?」


 ポンと背中を押し、ロザリンを前へと送り出す。

 まだ整理のつかない戸惑いの中で、視線を正面へ直すと、顔面を鼻血で染めるランディウスが、呻き声を上げて、モソモソと身体を引き起こそうとしている。

 その姿を見てまた、胸の内にどす黒いモノが噴き出してきた。


「――ッ!」


 胸の嫌な感情振り払うよう、ロザリンは駆け出す。

 森の中とは違い、舗装された道はロザリンには走り辛かった。

 けれども躓き、転びそうになりながらも、構わず慣れない道を全力疾走する。

 腕を振り、腿を上げ、奥歯を思い切り噛み締めて、ランディウスまでの短い距離の中、手紙が来てから今日までのことを思い返して。


「――だぁぁぁああああああッッッ!!!」


 溢れ出す涙が疾走する風に流され、空中をキラキラと飛び散る。

 腹に溜まった毒々しいモノを吐き出すよう、咆哮と共に蹴り出された足は、ちょうど四つん這いになっていたランディウスの顎を捕え、そのまま頭諸共、打ち抜くように振り抜いた。


「へっ……がふっ!?」


 小柄で他人を蹴った経験も無いだろうロザリンの一撃は、流石に気絶するほどのダメージを与えることはできなかった。

 しかし、鼻血の所為で、前が見えなくなっているところを、まともに喰らったので、再びランディウスは背中から倒れ、今度は顎を押さえて悶絶する。

 蹴り上げた足を地面に戻し、肩を上下に揺らして、ロザリンは吐く息を震わせる。


「……お母さんは、私を守るために、貴方を殺そうとした。だから、私は貴方を、殺すのを止める……復讐は、お母さんの、手向けには、ならないから……けれど」


 キッと、蹲るランディウスを睨み付ける。


「私は、貴方を許さない。この恨みも、忘れない。だから、殺さないのは、今回だけ……次があったら、問答無用で殺す」


 低く殺気の籠った声を浴びせかける。

 本音を言えば、今すぐにでも殺してしまいたい。

 けれど、聡明なロザリンは気がついてしまった。

 母親が、誰のために罪を犯そうとして、誰のために命を落としてしまったのか。

 都合のいい解釈かもしれないが、もしも、母親の行動に娘に対する愛があったのだとしたら、他の誰のためでも無い。

 その愛に、どうしても報いたかった。

 言いたいことを言い終えて、ロザリンは涙を拭って空を見上げる。

 胸のモヤモヤが張れたわけでは無いが、黒い感情は薄れていた。


「……グッ。おの、おのれ。おのれぇぇぇッッッ」


 顎を蹴り上げた衝撃で唇や口の中も切ったのか、鼻だけでなく口からも血を垂らしたランディウスが上半身を起こす。

 鼻がすっかり潰れ、貴族らしい端正な顔立ちは台無し。

 怒りに血走った眼や、血管の浮いた額などもそれに拍車をかけている。

 前歯が無くなり、空気が漏れて聞き取り辛い声でも、お構いなしに捲し立てる。


「馬鹿に、馬鹿にしやがって……貴様ら、何を黙って見ている……殺せ。こいつらをさっさと殺せよ役立たず共がッ!」


 がなり立てるランディウスの言葉に、部下である騎士達は顔を見合わせた。

 これだけ無様を晒した上に、味方である騎士達を、役立たず呼ばわりするような人間を、助けようなどと思う奇特な騎士はおらず、皆黙って侮蔑したような視線を向ける。

 中には嘲笑を浮かべている騎士までいた。

 自分と騎士達の温度差を感じて、怒りのあまりすぐに声が出せず奥歯をカチカチ鳴らす。


「ギギッ……ここ、この私を馬鹿にするかぁッ、下級貴族風情がッ。貴様らなぞ、私がいなければ、騎士にもなれなかった癖に、糞ッ、恩を仇で返すかぁ! 死ね、死んで詫びろこの裏切り者どもがぁッ」


 裏切り者呼ばわりされ、怒りの表情を浮かべる騎士達を無視して、激情が増していくランディウスの矛先が、再びロザリン達に向けられる。


「これで済んだと思うなよ……絶対に許さないのはこっちの台詞だ。貴様らだけでは無い、この場にいる全員だ! 私を助けようともしない無能な騎士共も、遠巻きに見ている下民共も、皆まとめて処分してやるッ!」


 無茶苦茶な物言いに、周囲の雰囲気が一気に悪くなる。

 それでもランディウスに対して、暴力や暴言が及ばないのは、彼が貴族だからに他ならない。

 誰も彼もが悔しさを噛み殺す。

 だからこそ、ランディウスのような男が増長するのだ。

 一人、騒ぎ立てるランディウスを面倒臭そうな視線で眺め、頭をガシガシと掻く。


「ま、喧嘩慣れしてねぇ貴族様にゃ理解できないだろうな。悪いけどこの喧嘩、最初から俺が勝つことが決まってんだわ」

「ふん、負け惜しみを」


 怒り心頭のランディウスにはその言葉は届かないが、ロザリンとカトレアは不思議そうな顔をした。


「どういう、意味?」


 ロザリンが問いかけると、説明するより早く大勢の足音が聞こえてくる。

 何事かと思っている間に、野次馬達をかき分けて騒ぎの中心に現れたのは、警備隊の面々だった。

 先頭に立つのは痩躯の男。警備隊長のラグ・マグワイヤは、首を巡らして現場を見渡す。


「あーらら。面倒な連中が出て来たわね。どうするの?」

「ま、見てな」


 渋い顔をするカトレアに対して、意味深な言葉を残しアルトは剣を納めた。

 警備隊の登場に、ランディウスは血だらけの顔に喜びを浮かべると、ヨロヨロと立ち上がってマグワイヤの方へと歩み寄る。


「お、遅いではないか。早速、あの馬鹿共を拘束、いや、処刑して……」


 完全に自分の味方だと思い込んで近づくランディウス。

 しかし、彼の動きを片手で制して、マグワイヤは鋭い視線を向けた。

 視線に射抜かれ足を止めると、普段と変わらない冷静な口調で、マグワイヤは口を開く。


「ランディウス=クロフォード。貴様を連続通り魔事件の容疑で拘束させてもらう」

「――な、なんだとッ!?」


 驚愕するランディウスの両腕を、近寄った警備隊が拘束しようとするが、強引に振り払いマグワイヤを睨み付ける。


「私は騎士団の団長で、侯爵家の人間だぞ! いっかいの警備隊風情が拘束するなどとは、恥を知れ!」

「貴様の騎士団長の任は、本日付けで解除されている。それに逮捕に関しては、さるお方の勅命により執行される。侯爵家の威光など問題にもならん」

「何だと? どこの貴族による勅命だと言うのだッ!」

「貴族では無く、王族、ですよ」


 それに答えたのはマグワイヤでは無い。

 警備隊に交じって一人だけ、サーコートを身に着けた細目で灰色髪の騎士が、涼しげな声でそう言うと、軽やかな足取りで颯爽とランディウスの前へ現れた。

 その直前、アルトと優男の視線が交錯。

 優男は微笑を、アルトは不機嫌そうに舌打ちを鳴らす。。

 優男の登場に、ランディウスは少し考えた後、サッと顔面を蒼白にする。


「き、貴様は第七特務の……!?」

「はい。第七特務騎士団の団長を務めさせて頂いています、シエロ・マティスです」


 シエロと名乗った男は、サーコートの内側から一枚の書類を取り出し突きつける。


「現エンフィール国王陛下の判が押された逮捕状です。もう、言い逃れはできませんよ」


 ニコリと笑うシエロとは対照的に、絶望的な表情をしてランディウスは、その場に崩れ落ちた。


「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な。騎士である、貴族であるこの私が……あんなクズ共にッ」


 この期に及んでまだ、貴族としてのプライドにしがみ付くランディウスに、誰もが怒りと憐れみを感じていた。

 そして似たような感情を抱いた人間が、ここにも一人。

 警備隊がランディウスを拘束しようとするより早く、マグワイヤが片手を伸ばし胸倉を掴むと、腕一本で強引に立ち上がらせ、眼前まで引き寄せる。

 至近距離で鋭い眼光に睨まれ、ランディウスは「ひっ!?」と情けない声を上げた。


「お前がどこで馬鹿をやろうと勝手だ。だがな。それで全ての貴族が屑だと思われては迷惑なんだよ。貴族とか騎士とかは関係ない。お前が犯罪者だから逮捕される。それだけを肝に銘じておけ」


 低い声でそれだけ言うと、突き飛ばすよう胸倉を離した。

 慌てて警備隊がランディウスを受け止めるが、これがトドメの一撃になったのだろう。精根尽き果てたかのように、ランディウスはもう立ち上がる気力も無い様子で、がっくりと項垂れていた。

 一応は共犯に近い関係にあった騎士達も、無様を晒し続けたランディウスの姿に見限ったようで、素直に警備隊の言葉に従っている。

 そうでなくても、国王の名前まで出されたのだ。これで逆らう馬鹿はいないだろう。


「任務は終了だ。早急に引き上げるぞ」


 部下達に命令を飛ばしながら、アルト達とすれ違う。


「……アレはやりすぎだ。自重しないと、次はお前もしょっ引くぞ」


 と言って、反論も聞かず警備隊の中へ戻って行った。

 ジト目で見送りながら、アルトは舌打ちを鳴らす。


「……俺がやったんじゃねぇっつーの」

「いいじゃない。これにて一件落着、でしょ?」

「まぁ、な……」


 煮え切らない返事に、カトレアは怪訝な顔をする。

 何事かとアルトの視線を追ってみると、ちょうどシエロと名乗った騎士が、こちらに歩いて来て、視線が合ってしまう。

 笑顔で会釈するシエロに、慌てて「ども」と元貴族とは思えない素振りで頭を下げる。

 アルトの方に顔を向けると足を止め、元々柔和だった笑顔に親しさが増す。


「久しぶりだね、アルト」

「やっぱり裏で糸引いてたのはお前か。公園で警告の手紙を渡させたのも、お前なんだろシエロ」

「はは。流石、アルト」


 親しげに会話を交わす二人。アルトも表情は不機嫌だが、友人に対する遠慮の無さが滲み出ていた。


「アンタら、知り合い?」


 率直な問いかけに、アルトは渋い顔をする。


「ただの昔馴染みだ」

「酷いな。僕としては普通に、親友と呼んで欲しいのだけれど」

「怪しげな情報屋まで利用して人を嵌めるような男を、俺ぁ親友とは呼びたくないね」

「それは済まないと思っているけど。でも、君。僕が直接会いに来たって話を聞いてくれないだろう?」


 ぶっきら棒なアルトに対し、常に穏やかなシエロ。

 二人のやりとりを見て、関係を問いかけたカトレアが苦笑する。


「……アンタらの仲が良いってことは、わかったわ」


 そう言って視線をアルトに戻す。


「だから自信満々に喧嘩売ってたのねぇ。アンタのことだから何か考えがあるとは思ってたけど、まさか陛下の判入りの書類まで引っ張り出すなんて、やるじゃない」

「あー、まぁ、それは俺も予想外だったけどな。でも、どうやらこちらさんは、前々からあの坊ちゃん騎士に目を付けてたようで」


 皮肉の混じった言葉に、シエロは困ったような笑顔で頬を掻く。


「……一応、守秘義務があるのだけれど」

「ああん? ここまで巻き込んでおいて、守秘義務云々で済むわきゃねぇだろうがッ」


 凄むアルトを、まぁまぁとシエロは両手で落ち着かせる。


「心配しなくても、ちゃんと説明するよ、後でね。今日のところは立て込んでいるから、僕はもう行かなければならないんだ……それに」


 シエロの視線が一瞬だけ、ポカンと成り行きを見守っているロザリンに向けられた。


「彼女のこと、ちゃんと最後まで見ていてあげなよ」

「……ふん」


 鳴らした鼻息を返事だと受け取ったのか、最後にニコリと笑うと、シエロは片手を上げて身を翻す。


「それじゃ、近い内にまた連絡を入れるよ。またね」


 そう言い残して、シエロは警備隊に交じって行った。

 去り際まで涼やかで、同じ騎士でもランディウスとは大違いだと、アルト達は同じことを思う。

 慌ただしく後処理に追われる警備隊を尻目に、アルトは大きく伸びをする。


「さて……おい。身体の方は大丈夫か?」


 そういえばロザリンは病み上がりだったと、思い出したように問いかける。


「あ、うん。平気」


 ボンヤリとした口調で、ロザリンはキュッとコートの裾を握ってきた。

 多少は焦燥した様子は感じられるが、昨夜ほど体調が悪そうには見えない。

 色々なことに決着がついたと言っても、心内の整理はまだできていないのだろう。

 晴れない表情をしているロザリンの頭を、ポンポンと叩いた。


「んじゃ、少しばかり俺に付き合って貰おうか」

「はぁ? あたし、走り回って疲れたんだけど」

「お前はかざはな亭に戻れ。ここ来る前にチラっと覗いたけど、酷い有様だったぞ?」

「……あー」


 ロザリン達を逃がす芝居とはいえ、大勢で散々暴れたのだ。片付けるだけで一苦労。

 今頃は、ランドルフが泣いているだろう。


「しゃーない。あたしは戻るか……でも、ロザリン引きつれてどこへ行くつもりよ?」


 病み上がりの、しかも今の状態のロザリンをわざわざ引っ張り回すことに、訝しげな顔をすると、ふふんと鼻を鳴らして、アルトは片目を瞑るだけだった。

 ロザリンは小首を傾げる。


「でーと?」

「……うわぁ、ロリコン」


 流れるようなボケと罵倒に、アルトの「違うわッ!」と言うツッコミが響き渡った。




 ★☆★☆★☆




 連れてこられたのは、北街寄りにある住宅地。

 場所柄的に治安はよろしい方では無いが、その分家賃は相場より安く設定されているので、他国からの移住者や流れ者が多く住む地区。

 昨今は警備隊による治安の改善も進んでいるので、商店から少し離れていることと、身の安全に気を配れば、十分に過ごしやすい場所と言えるだろう。


 ロザリンはアルトに連れられて、初めて通る路地を歩く。

 人が三人並べば一杯になってしまう小さな路地は、時間帯の所為か人通りは無く、二人の歩く足音だけが響く。

 北街のスラムとは違い寂しげに感じないのは、立ち並ぶ家々に生活感があるからだろう。

 同じ東街でも賑やかな能天気通りとは違い、ここは静かで時間が止まったかのような錯覚を覚える。

 穏やかに流れる時と空気は、ロザリンに心地よさを与えてくれた。

 路地を抜けると、開けた場所に出た。

 正面には赤いレンガで作られた大きな建物。

 窓辺に布団が干してあったり、植物が飾ってあったりと統一感が無いことから、ここはアパートなのだろうか。

 アルトは足を止めると、アパートらしき建物を見上げる。


「ここが、目的地?」

「ああ。お前のお袋さんが住んでた場所だよ」

「……えっ?」


 目を大きく開いて、ロザリンはアパートを見上げた。

 外観こそ年季が入った建物ではあるが、手入れが行き届いているため古臭さは感じない。

 周囲の掃除も欠かしていないのだろう。ゴミどころか雑草一つ生えておらず、清潔で美しい景観を保っていた。

 ロザリンは複雑そうな表情のまま、黙ってアパートを見つめていると、正面の入り口から箒を持った老婆が姿を現した。

 老婆は二人の姿を目に止めると、人の良さそうな笑みを浮かべた。


「おやおや。若い人がこんなところに珍しい……なにか、御用かしら?」

「ここにエリザベット……エイサって人が住んでたって聞いてね」

「貴方たち、エイサちゃんとお知り合いなの?」


 老婆の表情に驚きの後、直ぐに悲しみが宿る。


「でも、残念ね。エイサちゃんは、もう……」

「事情は知ってる。ちょいと訳ありでね。エイサの住んでいた場所を、こいつに見せたかったのさ」


 指差されたロザリンに、老婆の視線が向けられたので、ペコリと小さく会釈をする。

 老婆はロザリンを見て、驚いたように口元を押さえた。


「あら、まさか、エイサちゃんの娘さん?」

「娘がいたって、知ってたのか婆さん」

「ええ、ええ、知ってますとも」


 箒を地面に置くと、老婆は満面の笑顔でロザリンの駆け寄り手を取った。


「えっ、あの、その」

「まぁまぁ、近くで見るとやっぱりお母さんそっくりねぇ!」


 老婆の態度にロザリンは戸惑いを見せるが、握られた手を振る払うわけにもいかずされるがままだ。


「婆さん、エイサとは知り合いなのか?」

「わたしはアパートの大家よ。この界隈で女の一人暮らしは珍しいでしょ。だから、色々と気にかけていたの。それで仲良くなって、離れて暮らす娘さんのことも教えて貰ったのだけど……」


 不意に老婆の表情に影が差す。


「まさか、あんなことになってしまうなんてねぇ。娘さんにあんなに会いたがっていたのに……」

「……!? お母さん、私に、会いたがってた?」

「ええ、そうよ」


 目を細めて、老婆は確りと頷く。


「エイサちゃん、口を開けばいっつも貴方のお話をしていたわ。怪我や病気はしていないか、ご飯は食べているのか。会いたい、会いたいって」

「……お母さん」


 ロザリンは複雑そうな表情をする。

 老婆の言葉に嘘偽りは無いだろう。母親のロザリンに対する愛情は本物。

 だからこそ、この場に母の姿が無いことが、余計に胸を苦しくさせた。


「何か形見になるような物があればいいのだけれど、もう部屋には何も残っていなくって」

「おいおい、全部処分しちまったのか?」

「私も遺品として一部は残して置きたかったのだけれど、ある日騎士様達がやって来て、証拠品だ何だと言って、全部持ってっちゃったのよ……娘さんが来るとわかっていたら、何としても止めたのだけれど」


 老婆は申し訳なさそうに頭を下げた。

 恐らくはランディウスの指示だろう。

 証拠の隠蔽か魔女の居所を探すためか。どちらにしろ、接収された荷物はとっくに、処分されてしまったと考えるべきか。

 やっぱりぶち殺しておくべきだったと、アルトは内心で舌打ちをした。


「ああ、でもね。ちょっと、待っていてくれる?」


 そう言うと、老婆はいそいそとアパートの中へ戻って行く。

 直ぐに老婆は戻って来た。手にはキラキラと光る銀細工を持っていた。


「はい、これ。自分に何かあったら、これだけは何としても守ってくれって言われていたのよ。まさか、本当に何かあるとは思わなかったのだけれど」

「……これって」


 ロザリンは息を飲み込む。


「昔、誕生日にって作ったらしいのだけれど、渡す決心がつかなくて、ずっと手元に置いたままだったって、言っていたわ」


 受け取った銀細工は、ペンダントになっていた。

 ペンダントの表面には彫金が施されており、傘を差した女の子が描かれている。

 これが誰を模しているのかは、言わなくてもわかるだろう。


「…………」


 無言のまま、ギュッとペンダントを握り締める。

 ロザリンの傘は祖母から受け継いだ物。いわば、魔女の証だ。

 母は魔女としての生き方に馴染めず、娘を置いて森を去った。

 もしかしたら、魔女は嫌いなのかもしれない。魔女としての生き方を選んだ自分を、嫌っているのかもしれない。

 そんな思いが、心の奥では眠っていた。

 泣きそうになっていると、老婆が優しく教えてくれた。


「実はこのアパート、一人で暮らすには少し広いの。エイサちゃん、こう言っていたわ。いつか娘と一緒に暮らせる日が来た時のためなんだって」

「……あっ、ぐっ、えぐっ……」


 震える肩を見て、アルトはそっと背中を向けた。

 堪えていた涙が、溢れ出す。

 悲しいとか辛いとか、そんなありふれた感情では無い。

 ロザリンの胸を満たすのは、たった一つの愛情。

 純粋で、でも不器用で。そんなありふれた母親の愛情が嬉しくて、ロザリンは涙を零す。


「ありがとぉ……お母さぁん」


 背中越しに、嗚咽交じりの感謝が何度も繰り返される。

 ロザリンとエリザベットは、互いに本音を語り合うことなく、死が二人を引き裂いてしまった。それは紛れも無く不運な出来事だろう。

 しかし、この結末は不幸では無いはず。

 母が娘を想い、娘が母を想う。愛情で結ばれた絆は、死で別つことはできなかった。

 それは、ロザリンが今流している涙が証明してくれた。

 ロザリンは大声を上げて泣き続ける。嬉しさと悲しさと、精一杯の感謝を込めて。




 こうして、ロザリンの母親探しは、幕を閉じるのであった。







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