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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2部 反逆の乙女たち
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第81話 ラス共和国近衛騎士局






 ラス共和国には、軍部とは別に首都護衛を任務とする戦力が存在する。

 共和国近衛騎士局。

 かつて帝国と呼ばれた時代から存在する、最精鋭の騎士達のみで構成された戦闘集団で、数でこそ劣るモノの、その精強さはエンフィール王国騎士団に決して引けを取らない。仮に彼らの任務が首都護衛では無く、前線に出ていれば、先の戦争は違った結果が生まれていたかもしれなと、今でも一部の人間達に囁かれている。

 共和国に態勢を移行後、当時の帝国近衛騎士団は解体。名を共和国近衛騎士局に変え、人員は大幅に縮小、存在意義も形骸化してしまった。


 が、お飾りとして存在することを許された騎士局を立て直し、名実ともに首都の守護職へと押し上げた人物がいた。

 その者こそ現共和国近衛騎士局局長。

 彼の名はシン・ハーン・エクシュリオール。皇族の血を受け継ぐ人間だ。

 共和国議会において、シンの評価は著しく低かった。

 ハーン家は皇族の中で決して低い序列では無かったが、地味で目立たない存在として周囲に認知されていた。

 騎士団がお飾りの騎士局として存在を残した理由は、帝国を守る守護者として民衆から高い支持を得ていたからだ。だが、帝国=皇族の剣として、騎士団が何時までも存在していては、議会として非常に都合が悪い。

 なので適当な人選と共に、縮小した騎士局を形骸化しようと議会は企んだのだ。


 白羽の矢が立てられた人物こそ、ハーン家の若き当主シンだった。

 内外から凡人と揶揄されるシンならば、傀儡として十分に操れると、議会は高を括っていたのだが、やはり一時代を築いた皇族の血筋。シンは無能という皮を被り、密かにその下で牙を砥いでいた。

 局長に就任して間もなく、驚くべき手腕を発揮したシンは、瞬く間に騎士局を掌握。議会が気づいた時には、既に容易く手が出せない基盤を築いていた。


 そして彼が任命した四人の騎士長。

 出自、人格を一切無視した、能力重視の選抜は圧倒的な効果を発揮し、近衛騎士局は僅か数年で、共和国内の守護職として、圧倒的地位を確立するに至った。

 彼らの存在を快く思わない者達は、騎士という名称は使わず『近衛師団』などと呼ぶが。正式名称は近衛騎士局。紛れも無く、この共和国に残された帝国の遺品であり、騎士の誇りを持つ者達だ。




 ★☆★☆★☆




 ここ数日、時折、強く冷たい風が吹き荒ぶ。

 大陸の遥か北にある氷河から流れ込む冷たい風が、季節の変わり目を知らせるよう、茹だるような暑さを瞬く間に冷やしていく。まだ火照った肌には、心地よい冷たい風が吹き抜ける時、この国の人間は秋の訪れを実感する。

 ラス共和国の短い夏が、もうすぐ終わりを告げる。


 ここは共和国首都の旧皇帝居城の一室。

 かつては皇族達が寝食を共にしていた巨大な宮殿も、今では国家運営の為の施設として、大勢の政治家達が出入りする、会議場として利用されていた。

 数ある部屋の一つに、近衛騎士局用に用意された会議室が存在する。

 会議室と呼ぶには、酷く狭苦しい部屋。普通の住宅の一室程度の広さで、人が十人も入ればパンパンになってしまうだろう。

 室内に椅子や机は存在せず、板張りの床の上に座布団が引いてあるだけだった。

 別にこれは騎士局が冷遇されているわけでは無く、東方の文化に傾倒するシンが取り入れたスタイルなのだが、どうにも他のメンバーには受けがよろしくない。


 文句を言わないのは、会議の場にいち早く姿を現し静かに座を下す、騎士局の中で最年長の男のみだ。

 巨漢。その一言が真っ先に浮かぶ、丸々と太った大男が、美味しそうに茶を啜る。

 湯呑に注がれた茶は、会議室の雰囲気に合わせ東方の物だ。


「……ふぅ。温まりますなぁ」


 福々しい笑顔で、ホッと息を吐く。

 年の頃は六十を超えているだろう。産毛すら生えていないツルツルの禿げ頭に、太りに太った身体は、顎と首の境目がわからないほど。服の上からでもわかる腹の出っ張りは、まるで大きな雪だるまのようだ。


 近衛騎士局騎士長の一人、パスカリス・グレゴリウス。

 温厚な見た目とは裏腹、老獪で食えない人物。神職を経て騎士になった経歴から知恵者でもあり、海千山千の経験もあってか、騎士局のご意見番的立場にいる。

 高齢の上、この肥満体で侮られがちだが、武術の腕も達人クラスだ。

 騎士と呼ぶより、神官に近い出で立ちのパスカリスは、一人優雅にお茶を楽しんでいると、スライド式のドアが開かれ、現れた青いドレスの少女は「あら?」と、可憐な笑みを讃えて小首を傾げた。


「あら、パスカリス様。お早いご到着で御座いますね」

「おお。これはこれは、ジャンヌ殿」


 顔を向けたパスカリスは、細い目線を更に細くして微笑んだ。

 ジャンヌ・デルフローラ。同じく、近衛騎士局の騎士長だ。

 デルフローラ家は帝国時代から続く名門貴族で、昔から帝国の政治中枢にありながらも、反皇族派の重鎮として君臨し続けた。いわば、帝政時代の影の支配者、とでも言うべき一族なのだ。

 そんな経緯がある故か、取り潰しを免れ、数少ない名門貴族の一つである。

 後ろに付き人の女騎士を従え、優雅に歩みを進めると、ジャンヌはパスカリスの左隣に用意されている、座布団に腰を下した。

 座った途端、モゾモゾと足を動かして、物憂いなため息を吐く。


「この、正座というモノは、何時まで経っても慣れないモノで御座いますね。わたくしの足が太くなってしまいそう」

「ほっほっほ。イヤイヤ、僭越ながら、ジャンヌ殿のおみ足の美しさは、天下に並ぶモノは御座いませぬ……ですが、ご心配ならば、椅子をご用意させましょうかな?」

「いえ、それには及びませぬ。パスカリス様のお手を煩わせるほどのことではありませんもの」


 やんわりと、優雅にジャンヌは断る。

 澄ました表情で顎を軽く上げると、そっと胸に右手を添える。


「ここは局長閣下の御前による会議の場。ここでは指の一本、息の吸い方一つにも、騎士としての礼節が試される。若輩者なれどわたくしも一角の騎士として、ご厚意にただ舞えるだけの、我がままは申せませぬわ」


 胸を張り、背筋を伸ばしてジャンヌが堂々とした態度で答えると、パスカリスは大袈裟に驚きながら、ペシッと自らの禿げ頭を手の平で叩いた。


「なるほど。素晴らしいお考えだ……いやはや、この老体、一本取られましたな」


 そう言って。パスカリスは「ほっほっほ」と笑い声を上げた。


「いいえ。パスカリス様のお言葉こそ、まさしく騎士の慈愛を体現したようなモノ。その優しさ、騎士道精神。わたくし、敬意を払わずにはいられませぬわ」


 呼応するよう、ジャンヌも口元を手の平で押さえ微笑む。

 二人の優雅な笑い声が、狭い室内に響き渡る。

 雅な空間を切り裂くように、ドアの向こうから不機嫌な声が漏れ聞こえる。


「……ふん。上っ面の会話だな。聞いていて反吐が出そうだ」


 男性の舌打ちを交えた厳しい言葉が飛び、乱暴にドアが開かれた。

 スライドするドアから姿を現したのは、若い長身の青年だった。

 その姿を見止めた瞬間、にこやかな笑みを絶やさなかったジャンヌの表情が、ほんの一瞬だけ嫌悪に歪む。

 青年もその顔に気づいたらしく、細めた視線を向けて、小馬鹿にするよう鼻を鳴らした。

 視線に気づかないフリをして、ジャンヌは一段高い声色で語りかけた。


「……随分と、ゆっくりとしたご登場で御座いますね、ヨシュア様?」

「定刻通りだ。勝手に早く来ただけの貴様らに、文句を言われる筋合いは無い」


 そう断じて、青年は澄ました顔でジャンヌの対面に座る。

 ヨシュア・ブライド。二十代後半の、若い青年騎士だ。

 特出するべき点は、他の二人とは違い彼は騎士階級では無く、庶民の出。実力主義のシンに見いだされ、直々にスカウトされたまさに実力派。それ故に、誰よりも騎士として自分に誇りを持ち、時に傲慢にすら思える我の強さを持つ。

 だが、その傲慢さは、確かな実力と努力に裏付けされたモノ。

 黒髪の堅物そうな青年は、気難しげな表情で腕を組む。

 むっつりとして挨拶もしないヨシュアを一瞥して、ジャンヌはにっこりと微笑む。


「騎士として人として、同胞たる我々に一言あってもよろしいのでは無いのでしょうか?」

「同胞? ……ハッ」


 やんわりとした注意に、ヨシュアは心底馬鹿にしたように笑う。


「俺は、生臭坊主と頭のイカレタ小娘を、同胞などと思ったことは一度も無い」

「……ふむ」


 不遜な物言いに、困り顔でパスカリスは頭を摩るだけで、特に気分を害した様子は無い。

 しかし、もう一人は違う。

 お嬢様らしく慎ましやかな態度を見せていたジャンヌは一転、柳眉を逆立て激昂するように立ち上がり、喉が張り裂けるような怒声を室内に響かせた。


「ああッ! 舐めたこと抜かしてんじゃねぇぞこのチンカス野郎がッ!」


 巻き舌で怒鳴るジャンヌの姿を見て、ヨシュアはニヤッと唇を歪めた。


「ふふっ。ほぉら、見ろ。その破れやすい面の皮に隠れた、薄汚い本性を。ジャンヌ、貴様は短気なのだから、無理せず素の馬鹿さ加減を、普段から晒しておいたらどうだ?」

「喧嘩売ってんのかテメェ!? こっちとら元々、良家のお嬢ってことで馬鹿共を誑かしてんだッ。今更、こっちの本性なんか、んんッ……見せられませんわ、ヨシュア様」


 最後は落ち着きを取り戻して、咳払いで喉を鳴らした後、元通りお嬢様の皮を被り、にっこりと微笑みながら、再びその場に座を下した。

 ジャンヌの本性を引き摺りだして、ヨシュアは満足げな表情をする。

 その顔を見て、一瞬だけジャンヌは凶悪な顔を見せ、舌打ちを鳴らした。

 一連のやり取りを黙って眺めていたパスカリスは、穏やかに微笑むと、それぞれ二人の顔を見比べた。


「いやはや、相変わらずですなぁ、お二人共。喧嘩するほど仲が良いとは、もしやお二人のことでは?」


 冗談めかした言葉に、ヨシュアは一笑。ジャンヌは笑顔のままで、奥歯をギリギリと噛み鳴らす。


「笑える冗談ではないか。むしろ俺は、この女と仲良く出来る人間がいるなら、金を払ってでも見てみたいモノだ」

「いやですわ。わたくしは平和主義ですので、血生臭い獣のお相手は、遠慮願います」


 互いに皮肉を口にしては、バチバチと視線で火花を散らす。

 その様子にパスカリスは、やれやれと苦笑を漏らしてから、廊下の気配に気づき視線を入口の方へと向け、咳払いを一つする。


「お二方共、その辺りで……閣下がお見えになられましたぞ」

「……ッ」

「……あら」


 途端に火花を散らすのを止め、二人は素早く佇まいを直す。

 一瞬の静寂。

 スライド式のドアがゆっくりと開き、足を踏み入れたのは、知的な笑顔を讃えた青年。

 彼こそが近衛騎士局長。シン・ハーン・エクシュリオールだ。

 局長の登場に、三人は座したまま一礼する。


「やぁ、皆。お待たせしてしまったかな」


 そう言ってシンは微笑みながら、上座へと進み腰を下す。

 着席すると同時に、三人も下げていた頭を戻した。

 役職に対して二十代後半と、随分と若い優男。チェーン付きのメガネを掛けた、長い髪のシンは騎士と言うより、学者のような聡明さを持つ外見をしていた。

 流石の二人も、局長の前では随分と大人しかった。

 シンは三人をそれぞれ見回すと、軽く息を付く。


「……やはり、三人しか揃いませんか」


 その呟きを聞いて、パスカリスは難しい表情で顎を摩る。


「ミヤ様は、気難しい方で御座いますからなぁ。余程の事情がなければ、我らの前に姿を御見せにはならぬでしょう」

「ふん。自由と身勝手をはき違えているだけだ。この御前会議は騎士長としての大切な職務、自主意思などでは無く、無理やりにでも出席させるべきだ」


 不機嫌そうに息巻くヨシュアに、あらとジャンヌが意地悪な視線を投げかける。


「なら、貴方様が引き摺ってでも、この場に連れて来ればよろしいのでは御座いません?」

「……グッ。そ、それが出来れば苦労はせんッ」


 途端、ヨシュアの表情が苦々しいモノになる。

 再び激昂して口喧嘩が始まるかと思ったが、ヨシュアは『ミヤ様』を、無理やり連れて来ようとして、己の身に降りかかる結果を想像したのか、僅かに青い表情をして歯切れの悪さと共に口を噤んだ。

 一同の会話をグルリと見て、シンは笑みを浮かべた。


「来てくれないモノは、仕方が無いだろう。あの方も自らの意思で、騎士長就任を許諾したのだから、有事の際にはキチンとその責務を果たしてくれるものと、僕は信じているよ」


 局長自らの言葉に、三人は御意と頭を下げた。

 一度仕切り直しをしてから、一人欠けてはいるものの、局長と三人の騎士長達が揃った御前会議は、しめやかに開始された。

 まず、最初に口火を切ったのは、この場における最年長ということもあり、自然と会議の進行役を任されることが多い、パスカリスだ。


「さて、月に二度の定例会議とは言え、今月はさほど大きな議題があるわけでは無いのですが……お二方、何かありますかな?」

「あるに決まっているだろうッ。肝心なことが」


 不機嫌に言葉を発して、ヨシュアはドンと床を叩いた。


「咢愚連隊。何時まで、連中の横暴を野放しにしているのだッ」


 その言葉に、場の空気が一気に重くなる。

 咢愚連隊。

 近年、ラス共和国内を騒がせている、正体不明のテロ集団の名称だ。

 神出鬼没で迅速な作戦行動の為、共和国側は未だ彼らの正確な情報を掴み切れていない。

 目撃情報から察するに、集団としての規模はさほど大きくは無いらしいが、中心メンバーらしき人物達の戦闘力がずば抜けて高い為、少数による動きの速さがプラスに働き、出し抜かれること数回、国内の研究所や軍事施設が次々と破壊されていた。

 今最も、ラス共和国の軍部を、悩ませている案件だろう。

 当然、首都にも被害が出ており、守護職にある騎士局も無視は出来ない。

 ヨシュアの提言は最もなモノだが、他二人の表情は冴えない。


「どうした? まさか、臆したとでも言うつもりでは無いだろうな?」


 ギロリと睨むような視線を巡らせると、パスカリスは困り顔で額を摩る。


「いやいや、我ら近衛騎士局、どのような輩が相手でも後れを取るつもりはありませんが、何分被害領域が軍部の枠組み内なもので、我々が迂闊に手は出せませんなぁ。いやはや、もどかしい限りです」

「――馬鹿なッ」


 再び拳で床を叩く。


「実際に、首都にも被害が出ているのだぞ? それを黙って見ていろと言うのか!」

「被害、と申しましても、汚職に塗れた官職が、役所の屋上から吊るされたなど、むしろ民衆の方々からすれば万々歳の結果ばかり。むしろ、野放しにしていたわたくし共がバッシングされているくらいで御座いますわ」


 憂い顔ではふぅと、ジャンヌは悩ましげな吐息を漏らす。

 その言葉に対しても、ヨシュアは勢いよく食ってかかる。


「我々の任務は民衆のご機嫌取りでは断じてない。秩序を乱す者は、即刻断罪するべきだ。そもそも、汚職官僚の粛正は、以前より俺が必要ありと常々言って来ただろう! のらりくらりと反対してきた貴様らが、今更になって何を言う!」


 激昂しながら、ヨシュアは怒鳴るように捲し立てた。

 この辺りの考え方の違いが、ヨシュアと他二人では特に激しい。

 その様子に、隣同士のパスカリスとジャンヌは顔を近づけ、いそいそと内緒話をする。


「相変わらず、糞真面目で御座いますね。悪役顔なのに……」

「ほっほ。ヨシュア殿は、我らの中でもっとも騎士道精神に溢れる御仁故に、当然のことでしょうな」

「ちっ。貴族階級でもねぇ最下層の出自が、出世したからって調子コキやがって」

「これこれ。そのような物言いは、よろしくありませんぞ?」

「あらぁ。わたくしとしたことが、失言、失言、てへっ♪」


 咎める言葉に、ジャンヌは舌をペロッと出して、おどけるように自分の頭を小突いた。

 内緒のやり取りのつもりだろうが、当の本人は目の前に座っているので、どんなに声を潜めようと丸聞こえ。それを証明するように、さっきから黙りこくっているヨシュアの身体は、ぷるぷると怒りに打ち震えていた。

 バンと床を踏み鳴らすと、殺気と共にジャンヌだけを怒鳴りつけた。


「――貴様ッ! 殺されたいのかジャンヌッ!」

「はぁ!? テメ、なんでオレだけに言いやがるッ。こっちの糞坊主もテメェの悪口言ってただろうがッ!」


 同じように立ち上がり、ジャンヌは凶悪な顔をして睨み付ける。


「人の出自を侮辱したのは貴様だけだ! ふん。良いのは生まれだけで、育ちの悪さはその最下層以下の貴様にだけは、言われたくない侮辱だ」

「抜かすじゃねぇか早漏野郎ッ。その僻み根性だけは立派なもんじゃねぇか、ああッ!」

「僻みだと? ほざけ。貴様のどぶ川のような性格の悪さ、哀れと思っても羨ましなどとは欠片を思わん。全く、親のしつけが見てみたいモノだな」

「んだとぉ……オレの前でパパとママをディスりやがるたぁ、死んだぞテメェ……!」


 声が一段低くなり、明確な殺気が滲み出る。

 それに対して引くどころか、唇に薄く笑みを浮かべ、ヨシュアは迎え撃つように腰を落とした。

 狭い室内に緊張感が高まる。

 黙って静観していたパスカリスも、これは不味いと思ったのか、浮かべていた温和な笑みを消して、止めに入ろうと膝に手を置いた。

 が、それより早く、シンの落ち着いた言葉が飛ぶ。


「双方とも、待て」


 静かだが、よく通る声が室内に響く。

 睨み合う二人は暫しの無言も後、舌打ちを鳴らして渋々と殺気を引込め座を下した。

 不機嫌そうな表情は隠さないモノの、落ち着きを取り戻し二人に、パスカリスはホッと胸を撫で下ろし、シンはにっこりと笑みを見せた。

 パスカリスは身体をシンの方へ向け、二人に変わり謝罪するよう頭を下げた。


「申し訳ありませぬ。閣下の御前で、とんだ無礼を」

「構わないさ。血気盛んな気性こそ、僕が望んだ騎士局の証だ。ただ、二人は貴重な首都の剣、無用な血は流して欲しくは無いけどね」

「……御意」

「了解、したで御座います」


 やんわりと釘を差され、バツが悪そうな顔をしながらも、二人は頭を下げて謝罪する。

 ジャンヌは怒りが尾を引いているのか、若干口調が怪しくなっているが。

 一度クールダウンしたところで、今度はシン自らが定義された議題について口を開く。


「確かに咢愚連隊に関しては、放って置けないのは事実だね。けれど、我々の権限では迂闊に手を出せないのも、また事実だ」

「ふん。わたくしに任せて頂ければ、一度で完膚なきまでに殲滅して差し上げますのに……ちょうど、面白い玩具も手に入ったことだし」

「閣下の言葉を遮るな」


 軽口を叩いたところを、ヨシュアに咎められ、舌打ちを鳴らして睨み付けながらも、黙って口を噤んだ。


「だが、このまま指を咥えて見ていては、土壇場で取り返しのつかない事態に発展する可能性もある」

「軍部と協力関係を作るというのは? 上層部は無理でも、今勢いのあるアルフマン少将ならば、耳を傾けてくれるやもしれません」


 軽く手を上げ、パスカリスがそう提言する。

 が、シンの表情は浮かない。


「……正直言えば、僕はあまりアルフマン少将を信用していない」

「……ほう」


 パスカリスは興味深げに、軽く顎を上げる。


「あの人の語る理想は素晴らしい。その能力は僕を含め、並の政治家など束になっても寄せ付けない才覚を持っている。天才とは、ミシェル・アルフマンのことを言うのだろうと僕は思う……だからこそ、僕は彼を信用出来ない」


 真っ直ぐと言い切るシンの言葉に、三人は黙り込んだ。

 温和なシンが、こういったことを言うのは珍しい。それだけ、ミシェル・アルフマンの台頭を危険視しているのだろう。

 それはシンに限ったことでは無い。

 ここにいる騎士長三人も、ここ数年で変わりつつある軍部の空気に、危機感を抱いていた。

 それでも尚、アルフマンに対する声が小さいのは、彼の手腕に隙が無いからだろう。

 同時に、シンには気がかりなこともあった。


「噂レベルだけど、咢愚連隊のリーダーは、ツァーリを名乗っているということも、引っかかるからね」

「ツァーリ……皇族の本家筋。閣下の遠縁にあたる方で御座いますわね……二年近く前、前皇帝の長男が事故死。その妹君も行方不明」

「ジャンヌ殿」


 パスカリスの厳しい口調に、ジャンヌがハッと口元を押さえる。


「……失言で御座いましたわ」

「いや、構わないさ」


 苦笑しながら、頭を下げようとするジャンヌを手で制する。

 そして、真面目な表情で三人を見回す。


「咢愚連隊、ミシェル・アルフマン。昨今は、南のエンフィール王国内も、何かと騒がしいと聞く。が、我らは共和国の守護職。その職務は、国の平和を乱そうとする悪を断ずることのみ……そのことに、一切の例外は存在しない」

「「「――御意」」」


 号令のような言葉に、三人は声を揃えて頭を下げた。

 共和国守護の剣達。

 彼らの剣の前で平和を乱す者は、大統領も前皇帝も一切の例外は無い。

 話が一区切りついたところで、ヨシュアが視線をジャンヌの背後へと向ける。


「……ところで貴様。その後ろにいるのは誰だ?」

「誰って、わたくしの新しい付き人で御座いますわ」

「そういう問題では無い! この御前会議は騎士長のみで行うのが通例だろうッ。堂々と部外者を連れ込むなッ!」


 今日、何度目になる怒鳴り声に、今更になって言うなよと、ジャンヌは聞こえるよう舌打ちを鳴らす。

 それをやんわりと、シン自らが制した。


「構わないよ。今回は、さほど重要な案件は無いからね」

「くっ。局長が仰るならば……だが、通例というモノがある!」

「勿論だ。ジャンヌも、次は無いよ?」

「寛大なお心、感謝するで御座いますわ」


 座したまま一礼し、視線を後ろの女性に向け、三人に目線を巡らせた。


「では折角ですので、新たに我が右腕となったこの娘のご紹介をさせて頂いて、よろしいで御座いましょうか?」


 ヨシュア以外の二人が頷くと、視線を再び女性に向け、前へ出るよう促す。

 女性はジャンヌに一礼した後、立ち上がり、皆が見えやすいよう少し前へと出た。

 騎士にしては、随分と細身の女性。二十歳くらいだろう。病み上がりのような顔色の悪さが気にかかるが、立ち振る舞いは確りと教育を受けた騎士のように優雅で、拙い動作がアレば喰ってかかろうと思っていたヨシュアも、口を挟む隙が無かった。

 女性は胸に右手を添え、騎士らしい礼節を持って頭を下げる。


「局長閣下始め、騎士長様方。お初にお目にかかります」


 顔を上げて、笑みを浮かべる女性の表情は、病的なまでの儚さがあった。


「レイナ・ネクロノムスと申します。以後、お見知りおきを」


 レイナ。そう名乗った女性は薄笑みを血の気の薄い唇に浮かべ、灰色に濁った瞳でシン達に挨拶を交わした。

 淀みない動作に、意味深に微笑みながら、ジャンヌは満足げに頷いていた。





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