第80話 三人目の英雄
エンフィール王国には、三傑と呼ばれる三人の英雄が存在する。
言わずと知れたシリウス・M・アーレンと、ライナ・マクスウェルの二人。
そして最後の一人こそ、エンフィール王国を守護する十五の騎士団を束ね、総団長と呼ばれる男。
ゲオルグ・ラドクリフだ。
北方戦線による大敗北により、窮地に立たされたエンフィール王国を救い、戦死した前総団長の意思を継ぎ騎士団を率いて、大軍で迫る帝国軍を的確な指示の元押し返し、最終的な勝利に貢献した立役者。前線で剣を振るった二人に比べ、知名度は落ちるモノの、英雄と呼ぶに相応しい活躍を納めている。
シリウス、ライナ、ゲオルグ。
人は彼らの偉業や活躍に敬意を払い、何時頃からか英雄の三傑と呼ばれるようになった。
王都の人間にとっては、綺羅星の如き存在の筈なのだが……
その一人、ゲオルグ・ラドクリフが、英雄の二つ名に似つかわしく無い、みすぼらしい恰好でアルト達の前に立っていた。
「いやぁ、がっはっは~。折角、遊んでるところ、悪かったのう。じゃが、ワシも仕事なもんで、許してくれんか」
相変わらず、滅茶苦茶な喋り方で、豪快に笑いながらゲオルグは頭を下げた。
ここは裏カジノのある細い路地。あの後、外で待機していたらしい、騎士団の連中に導かれ、他の客と共に外へと出された。
状況が呑み込めず、アルト以外が唖然としているところ、シレッとした顔でゲオルグが現れたのだ。
誰もが顔を見合わせ、反応に困っていると、ハイドが一歩前へと歩み出た。
「あ~っと、総団長閣下? 彼ら……少なくとも、彼女らは俺が無理やり誘ったんだ。ここは、穏便に済ませてくれやしないか?」
ハイドの言葉に、女学生三人はハッとした顔をする。
裏カジノは東街では立派な違法行為。その検挙された場に居合わせた以上、無罪放免で家に帰れるわけが無い。
そこら辺を察して、ハイドがフォローしてくれたのだが、普通に考えて、はいそうですかとはいかないだろう。
が、ゲオルグは「なんだそんなこと」とでも言うように、豪快に笑い飛ばした。
「ああ、心配するな。今回の件では、客は取締の対象外じゃ。だから、嬢ちゃん連中も問題ない」
その一言に、女学生達はホッと胸を撫で下ろした。
ハイドも釈然としない表情をするモノの、それで良いならと言葉を飲みこんだ。
一方でアルトは、腕を組んだままジト目でゲオルグを睨む。
「そもそも、何でアンタ、こんなところにいやがるんだよ。総団長自ら違法賭博の取り締まりなんて、聞いたことねぇぞ」
「まぁ、そうじゃの」
苦笑しながら、顎の無精髭を触る。
「いや、な。ワシの知人が、このカジノで嵌められて、大分巻き上げられたらしくての。泣き付かれたんよ。じゃども、立場上あまり大っぴらに出来んっちゅうことで、ワシが秘密裏に調べとったわけよ」
秘密裏という割には、随分と派手に遊んで、派手に正体をバラしていたのだが。
アルトは鼻から息を抜き、バリバリと頭を掻く。
他人が言えば嘘くさいが、ゲオルグ・ラドクリフとは、そういう男だ。
「なるほど、貴族のお偉いさんか」
何の言葉も発せず、ゲオルグはニヤッと笑うだけだった。
こう見えても、ゲオルグは武勲を得ての成り上がり者では無く、古くから王族に仕える純血の貴族。家督こそ他の兄弟に譲ってしまったが、遡れば王家にまで通ずる家系で、現在でも親交は続いている。
勿論、総団長としての地位は、紛れも無くゲオルグの実力に寄るモノだ。
その関係から有力貴族との繋がりもあり、今回の件も直接頼まれたのだろう。
類は友を呼ぶを体現するように、彼と仲の良い貴族達は悪い人間では無いが、癖の強い者ばかり。その泣き付いたとう貴族の友人も、性格に難はあれど有能な人物に違いないだろう。
「まぁ、そこら辺は深く追求して貰えんとありがたい……とにかく、嬢ちゃん達は何も罪にとわれんちゅうことだ」
皆はホッと安堵する。
「いや、むしろ騎士団としては礼がしたいくらいじゃな」
「――へっ!? な、なんでですかっ!?」
ぴょこんと飛び上がって、プリシアが驚きの声を上げる。
「メインはあくまで、違法賭博の取り締まりじゃなくて、イカサマで荒稼ぎする連中を懲らしめることだからの。けど、イカサマの証拠を掴まなけりゃ、叩きのめすことが出来んかった。どうやって見破るか、頭を悩ませとったんだが、いやいや助かったよ」
そう言って、再びゲオルグは豪快に笑った。
聞けばあのカジノは、時折訪れる貴族達を狙った、イカサマが問題になっていたそうだ。
名のある貴族が西街の上等なカジノでは遊び飽きて、刺激を求めてこの東街の裏カジノに足を伸ばすことが、度々あるらしい。
お忍びで遊びにきている以上、あまりことを荒立てることはしたくない。資金も潤沢にあるので、損害の差し引きも一般庶民から比べれば僅か、諦めて泣き寝入りするパターンが多いらしい。その上でたまにしか訪れない貴族を嵌めるだけなら、常連客の庶民達には何の悪評も立たないという寸法だ。
むしろ、損をした貴族を見て、ほくそ笑んでる人間が大半だろう。
「なるほどね。だから、俺の耳にイカサマの情報が、入らなかったってわけか」
話を聞いたハイドが、悔しげに呟いた。
貴族達が訪れなければ、カジノ側はイカサマをしない。イカサマをしなければゲオルグ達は、違法賭博でしか彼らを検挙出来ない。困り果てていたところを、ルチアが現れてイカサマを引っ張り出したのだ。
「恐らく、舐められたんだろうな。興味本位で馬鹿勝ちした女学生に、社会の厳しさを教え込む。連中、それくらいの軽い気持ちで、イカサマを持ちだしたんだろうさ……お粗末なプライドを持つと、こうなるから厄介だねぇ」
皮肉交じりに、ハイドはハッと笑った。
「ま、ともかく、捜査協力の謝礼として何でも……とは言えんが、出来る限りのお願いは聞いちゃうぞ」
「……なんか、エロ親父みたいだぞ」
「ははっ、うるせぇ、このクソガキッ!」
「――あだッ!?」
拳骨を脳天に落とし、無理やりアルトを黙らせた。
二人が漫才をしている間、困惑しているのはプリシア達だ。
「なぁ~んか、妙なことになっちまったな」
「そうねぇ。兄様の素行調査の筈だったのに、何故こんなことになってしまったのかしら?」
「ルチアがそれを言いますか……まぁ、お礼と言われても困りますし、断ってしまっても構いませんよね?」
「「いや、待った」」
プリシアの提案に、二人はほぼ同時に却下の声を出す。
「……相変わらず、変なところで息がぴったりですね」
はぁとため息を吐いた。
「では、どうするんですか? あまり如何わしいのは却下ですよ?」
「当然……では僭越ながら、私が提案させて頂いてもよろしいかしら」
ルチアが名乗り出ると、耳を寄せた二人にこしょこしょと耳打ちする。
聞き終えて、プリシアは露骨に顔を顰めた。
「それは、無理なんじゃないですか?」
「物は試しよ。頼むくらいは只なのですから」
そう言って、ルチアはゲオルグの方へと歩み寄る。
「閣下、よろしいですか?」
「閣下ってのは止めて欲しいんじゃが……んで? どんなお願いでも聞いちゃうぞ」
「それでは、最近出土した遺跡の調査許可、私達に出してくれませんでしょうか?」
「遺跡? ……あ~、あれか」
腕組みをしたゲオルグは、少し考えて思い当る節に頷く。
しかし、直ぐに眉根を顰めた。
「ありゃ、太陽祭が終わった後に調べる予定だったんじゃが、色々あったからのう」
チラッと視線を向けられ、アルトはワザとらしく口笛を鳴らした。
まぁ、アルト一人の責任では無いのだが。
眉間に皺を寄せて暫し考え込むと、ゲオルグは視線をプリシアの方へと向けた。
「確か嬢ちゃんは、ギルドかたはねの人間じゃったの」
「は、はい。一応、サブマスターをしていますが」
「だったら、その線で行くか」
ポンと手の平を打つと、ルチアの方に視線を戻す。
「いいだろう。ギルドかたはねへの調査依頼ってことで、特別に立ち入り許可を出そうじゃないか」
ゲオルグの言葉に、三人は驚き、そしてパッと表情を明るくする。
話のわかるゲオルグに歓声が上がるが、釘を差すように「ただし」と、幾分声のトーンを落とした。
「正規の依頼だから、本当に報告書は提出して貰うぞ? それに、本当に手付かずの状態だからの、なぁにが出て来るか保証はせん……死なれるとワシの責任問題になるから、くれぐれも細心の注意を払ってくれよ……んでもって」
顎を一摩りして、何かを思いついたように笑みを浮かべると、アルトの方を見る。
「アルト。お前もついてってやれ」
「はぁ? 冗談じゃねぇ、何で俺が、んな面倒なことしなくちゃなんねぇんだよ!」
「お前がついてりゃ、何が出て来たって何とかなるだろう。ワシも安心だしの。それに、正規の依頼じゃから、報酬も出すぞぉ? ……ほれほれ、嬢ちゃんもお願いせい」
視線を向けられ、カレンとルチアは同時にプリシアの背中を、前へと押し出す。
プリシアはキッと二人を睨んだ後、おずおずとアルトの方へと歩み寄った。
普段の凛とした佇まいとは打って変わって、申し訳なさそうな表情で、上目遣いにアルトを見上げた。
「あ、あの、兄様。兄様が一緒なら、心強いし、嬉しいです」
「む、むぅ」
困り顔で呻ると、プリシアは慌てた様子で両手を振り乱した。
「め、迷惑ですよね! 気にしないでください。無理になんて言いません、ええ、言いませんとも!」
「……はぁ」
大きなため息に、プリシアの身体がビクッと揺れる。
「ま、しゃーないか。何時までもダラダラしてると、近所で悪い噂が立つしな」
「……兄様?」
少し戸惑ったような視線を見返し、苦笑してアルトは肩を竦める。
「ついてってやるよ。ただし、ある程度は自分の身くらい、自分で守れよ?」
そうアルトに言われた途端、プリシアの鼻の穴がぷくっと広がり、頬を朱色に染めながら背筋をピンと伸ばした。
「全力で頑張ります!」
その姿に、カレンとルチアは顔を見合わせ、苦笑していた。
どうやらプリシアの恋の病は、当分直る兆しがなさそうだ。
★☆★☆★☆
夕暮れの東街、ロザリンとプリシアは並んで大河沿いの通りを歩いていた。
カレンとルチアを見送った帰り道。風のおかげもあって、過ごしやすかった一日も日が落ちて来ると、横が大河ということもあり、少しだけ肌寒く感じられる。気温自体は温かいのだから、昨日までの猛暑が、如何に異常だったのかがわかるだろう。
ここらは商店が少ないので、行き交う人々は、皆足早に帰り路を急ぐ者ばかり。
ただ、並んで歩く二人の足取りは鈍く、会話も無かった。
「…………」
「…………」
気まずい雰囲気が流れている。
正確に言うと、ロザリンに気にした様子は無く、プリシアだけが俯き気味にジッと唇を結んだまま黙りこくっているのが、この雰囲気の原因だ。
考えてみれば、二人きりになったのは初めてだった。
今日一日でそれなりに距離が縮んだ気になっていたが、どうにもこの状況は気まずい。
口数が少ない一番の原因はプリシアに、どうしても心に引っかかることがあったから。
「……ッ」
不意に、プリシアは足を止める。
少し歩いたところでロザリンはそのことに気づき、歩みを止めて振り返った。
「どうした、の?」
問いかけるが、プリシアは俯いたまま答えたい。
軽く首を傾げるが、ロザリンは何となく雰囲気を察し、彼女が口を開くまで黙ってそのまま待つことにした。
俯いたプリシアと、傘を持ち言葉を待つロザリン。
無言のまま、大河の流れる音だけが周囲に響く。遠くからは、時刻を知らせる鐘の音が聞こえてきた。
プリシアは、軽く息を吸い込むと、
「兄様は、変わりました」
唐突に、そう切り出した。
一度、キュッと唇を硬く結んでから、言葉を続ける。
「出会った頃の兄様なら、総団長様の頼みでも、普通に断っていた筈です。それ以前に、カジノで落ち込む私に、優しい言葉をかけたりはしなかったでしょう」
ポツリ、ポツリ、押し込めた感情と言葉が唇から漏れ取る。
思い出すのは、祖母の頭取に紹介され、初めてアルトと出会った日のことだ。
今よりずっと口数が少なく、寂しげな視線が印象的だった。
「第一印象は、単純に怖かったです。私が話かけても碌に返事もしないで、面倒臭そうに舌打ちばっかり。でも、怖かったけど、不思議と嫌じゃありませんでした」
「……そう、なんだ」
ロザリンは、真剣な眼差しで耳を傾ける。
「自堕落で、一生懸命じゃなくて、私の理想とは正反対です。けれど、気がついたら好きになってた。大袈裟な理由があったわけじゃありません。そりゃ、色々と助けてくれたりはして貰いましたけど、それだけで人を好きになるほど、私はロマンティストじゃありませんから」
はにかむように微笑んだ後、寂しげな表情を浮かべる。
「でも、カトレアさんと知り合って以降、兄様は変わり始めました。ううん、きっと、昔に戻ったんだと思います。そして……」
顔を上げ、真っ直ぐとロザリンを見つめる。
プリシアの目尻に涙を溜めた、けど冷静な顔に、感情が読めずロザリンは僅かに戸惑う。
「ロザリン。貴女と暮らすようになって、それは劇的に変わった。昔よりずっと、兄様は人に優しくなった。昔よりずっと、笑うようになった。カトレアさんですら近づけなかった、兄様の隣りに、貴女がいるのが何よりの証拠……それが私は、凄く羨ましくて、妬ましい。何より一番悔しいのは……」
今にも泣きだしそうな表情で、プシリアはぎこちなく笑った。
「今の兄様の方が、昔よりもっと素敵で、もっと大好きだから」
「……プリシア」
「私の好きな兄様を変えてしまった、ロザリンに嫉妬しています。でも、同じく兄様を好きになった人だから、感謝もしています……矛盾してますよね。けど、だから……」
涙目の顔をくしゃっとさせ、それを見られるのを嫌い、顔を伏せながら手を伸ばす。
「ロザリンと、友達になりたい……本当は、友達だって言われて、凄く嬉しかった。だから、今度は私から言いたい……友達になろ、ロザリン」
「うん……うん!」
目尻を拭い、ロザリンも泣きそうな表情をしながら、伸ばされた手をキュッと握った。
夕焼けに照らされ、二人の少女は泣き笑いをして、互いの手を硬く握りしめていた。
流される涙は、大河の水よりも美しかった。
★☆★☆★☆
少女達が美しい友情を築いていた頃、汚れきった大人達は、アルコールによる友情を深めていた。
東街のとある場所にある、小さな酒場のカウンターに座る二人の男達。
アルトと、そしてゲオルグだ。
流石に奈落の杜の頭領が、騎士団の総取締役と一緒なのは不味いと、ハイドとは既に別れている。
薄明りに照らされた店内は酷く狭く、席はカウンターのみで、その後ろは人一人がようやく通れるだけの通路があるだけ。六、七人も座ればすぐに一杯になってしまうほど、狭苦しい酒場だ。
カウンターの向こうには、無口な初老の男性が、黙々とグラスを磨いている。
安価で美味い酒が飲める、ゲオルグおすすめの隠れた名店で、何より店主の口が堅く、密談をするには持って来いの場所と言える。
よくこんな場所を知ってるなと、アルトは少し感心していた。
カウンターの最奥に座ったアルトは、氷と琥珀色の液体が注がれたグラスを軽く傾け、横目でゲオルグを見る。
「総団長閣下が、こんなところで飲んだくれてていいのかよ。仕事中なんじゃねぇのか?」
「構わんよ。後は部下共に丸投げじゃ。皆、優秀な連中だから、ワシが見とらんでも確りやってくれる」
「お気楽だねぇ。総団長閣下が、そんなんでいいのかよ」
嫌味を受けて、ゲオルグは苦笑する。
「固いこと言うな。これでも、天楼の一件を片付けるのに、散々駈けずりまわっとんたんだ。少しくらい、息抜きをさせんか」
「ま、別にいいけどな……んで? わざわざ俺を誘ったってことは、何か話でもあるんじゃないのか?」
「ん~、まぁ、な」
言い難いことなのか、ゲオルグは軽く言いよどむ。
グラスの酒で喉を潤し、言葉を選びながら話を進めた。
「一応、機密情報なんだが、協力して貰った手前、耳に入れておいた方がよいと思ってな」
「何の話だよ」
「鍛冶屋のサイラスが作った、魔剣ネクロノムスのことじゃ」
細めた視線を、ゲオルグに向けた。
「網に引っ掛かった密輸船に乗せられてた剣、ありゃ全部ダミーだったらしい。本命はとっくに、海路に出て他国へ渡ったそうじゃ」
「あの物騒な剣が海外へねぇ。そりゃ、笑えねぇなぁ……何処の国だ?」
「北のラス共和国」
酒を飲む手が止まる。
細めた視線に、より鋭さが増した。
「……本気で笑えねぇな」
「そうだの。主ら、北方戦線で戦った人間なら、そういう感想が出るのが普通だ」
渋い表情で、アルトは酒を啜る。
北のラス共和国。かつては、帝国と呼ばれ、エンフィール王国と激しい戦争を幾度と無く繰り返してきた、まさにこの地に住む人間にとってみれば、怨敵と呼ぶに相応しい国家。アルトで無くとも、この国の人間なら、あまり良い印象を抱いていないだろう。
例え国家体制が変わっても、積もり積もった蟠りは、一夕で晴れるようなモノでは無い。
その共和国に魔剣ネクロノムスが渡った。
双方と直に戦ったアルトとしては、あまり良い情報では無いだろう。
「だが、剣精ネクロノムスのオリジナルは倒した。その魔剣も、もう機能してねぇんじゃねぇのか?」
精霊と分霊がどのような関係か、アルトには理解出来ないが、話を聞く限りだと親兄弟とは違い、文字通り本体と別れた同一存在。ならば、オリジナルが消滅すれば、他の分霊も同じ末路を辿るのではと、アルトは勝手に解釈していた。
が、浮かない顔のゲオルグを見る限り、その解釈は間違っているようだ。
「いや、本来ならそうらしいんだが、完成版魔剣ネクロノムスに限っては、その条件に当てはまらん」
「どういう意味だ?」
「サイラスが言うには、分霊を完全に剣へと溶け込ませることで、オリジナルとは独立した一本の剣として存在出来るそうじゃ。その代り自己意思は消滅し、分離も出来なくなるが、戦うことで強くなる学習能力の共有は健在らしい……そして」
真剣な眼差しで、アルトの横顔を見る。
「自我を乗っ取り人の限界を超える力を引き出す能力も、そのままじゃ」
「……それが一番、面倒クセェな」
ぼやいて、アルトはガリガリと氷を噛み砕く。
「共和国がそんなモノを手に入れて、何をするかは予測するしかない。そしてその中に、最悪の事態も想定している」
恐らく、最悪の想定とは、王国と共和国の間で、再び戦争が起こることも視野にいれているのだろう。
だからこそ、ゲオルグの口調は酷く重かった。
考えすぎ。とは思っても、アルトはそれを口にはしなかった。
考えすぎて戦争が回避出来るのなら、それに越したことは無い。
「アルト。もしかしたら、主の力を借りることになるやもしれん」
「俺の?」
苦笑を漏らして、手の平を軽く振った。
「冗談。一般庶民に、過度な期待をかけるのは止めてくれ」
「ワシは本気じゃ」
真剣な口調に、アルトはキッと厳しい視線をゲオルグに向けた。
暫し睨み合う二人。
ピリピリとした沈黙の中、ゲオルグは重苦しく口を開く。
「正直、神崩しの一件で騎士団の内部はガタガタじゃ。ランディウスの件も含めて、今度はアレハンドロ。上からも下からも、酷い突き上げを喰らっとるよ」
「邪魔な貴族派は掃除出来たんだろ? その差引を考えたら、動き易さはダンチじゃねぇか。上下からの圧力は、想定して動いてたんだろう?」
「いやぁ」
ゲオルグはペチッと、額を叩く。
「少しばかり、見込が甘かった。面倒な貴族派は幾つか潰したんだが、肝心の本丸に全く手が出せんかったよ。逆に責任の一端を騎士団に押し付けられて、危うくワシの首が飛ぶところだった……いやぁ、参った参った」
「……何やってんだよ」
面目ないと頭を下げつつ、再び真剣な視線をアルトに向けた。
「その上で頼む。アルト……騎士団に戻って来い」
声色から、冗談の類では無いのは、すぐにわかった。
アルトは何も答えず、ただ黙って酒を飲み干す。
強い視線を横から感じながら、空になったグラスをカウンターに置いて、上半身を前に倒しつつ大きなため息を吐いた。
「本気で言ってるんなら、顔洗って出直して来い」
「シリウスやシエロも、本心ではそれを望んでいる……だが、いい意味でも悪い意味でも、あの二人の優先順位の一番はお主だ。お主が嫌だと言えば、口では文句を言っても無理に連れ戻すしはしないだろう……だが、俺は違う」
アルトは神崩しの一件で、騎士団を除名されている。それをたった一ヶ月で戻すと言うのだから、職権乱用とかそんな次元の話では無い。だが、その無理を通してでも、アルトに戻って来てほしいという意思が、ゲオルグの言葉からありありと伝わってきた。
それだけゲオルグは、今の状況を危険と判断しているのだろう。
だが、そんな言葉で頷くほど、アルトは責任感の強い男では無かった。
立ち上がると、ポケットから取り出した酒代をカウンターの上に置き、さっさと店を出て行こうとする。
去っていく背中に、ゲオルグは叫ぶ。
「――アルト! 何時まで竜姫のことを引き摺っているつもりだ! シリウスもシエロも、あの戦争で失った全てを背負って前へと進んでいるのに、主だけはどうして何も背負おうとしないッ!」
強い口調で攻め立てられて、アルトはチラッと後ろのゲオルグを振り返る。
「……語尾のじゃ、が、無くなってるぞ。それじゃ、キャラが弱くなっちゃうんじゃない?」
「ワシは真面目な話をしているのだ!」
怒鳴る言葉に、アルトは肩を竦めた。
「共和国のことも魔剣も、俺には関係無いことだ。国を守るのも、人を守るのもテメェらの仕事だろうが、押し付けんな。俺が守れるのはせいぜい、今日の晩飯くらいさ」
「――アルト!」
「じゃあな」
軽く手を上げて、アルトは足早に去って行った。
一人店に残ったゲオルグは、やれやれと苦笑を漏らす。真面目に説得するともりだったが、やはり聞き届けては貰えなかった。こうなることは予想出来ていたが、それでもゲオルグは、アルトに騎士団へ戻って来て欲しかったのだ。
座り直して、カウンターに置かれた酒代を掴みとる。
随分と軽いそれは、カジノで使われていたチップだった。
「……アイツ、酒代払わないで出て行きやがった」




