第8話 野良犬騎士、乱舞する
アルトの発した一言に、周囲は静まり返っていた。
「ふっ……ははは。何を馬鹿なことを」
最初に口を開いたのは通り魔だと指摘されたランディウス。
怒り狂うと思いきや、よほど突拍子もない発言だったのか、逆に彼は愉快そうに腹を抱えて笑う。
「騎士であるこの私が? これほど痛快で愚かな言いがかりは聞いたことがない。怒るとか呆れるとかの話ではない。笑うしかないとは、まさにこの状況のことではないか」
心底馬鹿にしたように、ランディウスは大仰にアルトをこき下ろす。
笑いは自然と騎士達にも伝染し、嘲笑がアルトを包んだ。
不安そうな視線をロザリンが向ける。
しかし、アルトは動じず、むしろ唇に不敵な笑みを張り付けていた。
「そうかい。身に覚えがないのかい。こっちは会いたくもない奴のところに顔出して、わざわざ聞いてきたんだけどよ……んじゃ」
そう言ってロザリンに向け、手の平を差し出す。
「ちょいとその傘、貸してくれ」
「……ん」
黒い蝙蝠傘を受け取ると、それ手の中で一回転させ肩に担ぐ。
一歩踏み出すと、騎士達に警戒するような気配が高まる。
ランディウスは、お手並み拝見とばかりに笑みを浮かべ、アルトの出方を伺っていた。
不用心にも思えるが、腕に自信があるからこその不用心さなのだろう。
距離が近づき、視線がぶつかる。
傘を肩から離すと、そのまま先端で軽くランディウスの胸を叩いた。
「――き、貴様ッ!?」
無礼な行動に騎士達の殺気が一気に高まる。
が、直ぐにアルトを取り押さえようと動き出す前に、騎士達の足が止まる。
軽く胸を小突いた程度のはずなのに、ランディウスはまるで、重症でも負ったかのよう、くぐもった声を漏らし、胸を押さえながら片膝を突いていたからだ。
アルトはニヤッと、唇を吊り上げた。
「どうだい、思い出したか? 俺がぶち折ってやった骨の痛みってのを」
「……こんなモノが、証拠になるとでも思っているのかッ」
「関係ねぇよ。別に犯人捜ししてるんじゃねぇんだ、受けた借りはきっちり返す。俺とお前に心当たりがありゃ、それで十分だろ」
先ほどまでの余裕は何処へ、ランディウスは怒りに満ち満ちた視線で、睨み付けながら立ち上がる。
「……殺せ」
低い声で発せられた命令に、騎士達は戸惑いながら「は?」と問い返す。
「さっさとあの馬鹿を殺せッ! 無礼討ちだッ!」
有無を言わせない命令に、騎士達は戸惑いを無理やり押し込み、武器を構えてアルトに向ける。
アルトは傘を肩に担ぎ直し、余裕の面持ちで騎士達を一瞥した。
「カトレア。ロザリンは任せたぞ」
「オッケー。アンタは思う存分、暴れちゃいなさい。あたしが許す!」
ロザリンを守るように後ろへ下がると、同時にアルトを取り押さえるため、数人の騎士達が襲い掛かってくる。
「お前に許されても……なッ!」
声を共に傘を真一文字に振り抜く。
素早い一閃に、アルトを完全に舐めきっていた騎士達が、反応出来るはずも無く、真正面から取り押さえようとした騎士の顎を、簡単に打ち抜く。
脳を揺らされた騎士は、膝が抜けるようその場に崩れ落ちた。
「――ッ!?」
一瞬の出来事に、騎士達の間に動揺が走る。
そして、その一瞬が命取り。
崩れ落ちる騎士に意識が向いた所為で、他の騎士達の動きが緩慢になった隙を突き、一足で踏み込んだアルトは、視線も向けず傘を左右に振るった。
「――グッ!?」
「――ギャッ!?」
動きに反応出来ていない騎士達は、顔面に傘の一撃を喰らい、首を仰け反りながら殴り飛ばされる。
瞬く間に三人。まさに、電光石火の出来事。
最初は薄ら笑みを浮かべていた、ランディウスを始めとする騎士達も、目の前で起きた出来事が信じられないのか、言葉を失っていた。
アルトは傘でトントンと自分の肩を叩き、ランディウス達にニヤッと笑みを送る。
「さぁて、テメェら。これで終わりなんて、寝ぼけたことは言わねぇよなぁ?」
「……クッ。何をしている貴様らッ! 相手はたった一人なんだぞ、騎士がチンピラ風情に舐められてどうするかッ!」
ランディウスの金切り声に、部下の騎士達は表情を切り替える。
剣を抜き、槍を構え、今度は慎重に。アルトを取り囲むよう間合いを詰めて行く。
対してアルトは肩に傘を置いたまま、視線だけを騎士達に巡らせる。
その表情は余裕に満ちていて、唇には笑みすら浮かんでいた。
プライドの高い騎士達には、舐めた態度に思えるのだろう。
誰かがチッと舌打ちを鳴らすと、それを切っ掛けに取り囲む輪を一気に狭めた。
傘が届かない間合いの外から、四人の騎士達が槍を突き出す。
風切り音を纏って、左右から飛んでくる刃。
アルトは表情一つ変えず、僅かに足を右に一歩踏み出して身体を横に向けた。
「――よっと」
躊躇なく繰り出される槍の刺突。
その軌道をアルトは完全に読んでいて、僅かに身を横にズラしただけで、三本の槍はあっさりと空を切る。ワンテンポ遅れて正面から飛んできた四本目も、首を右に傾けると風圧だけが頬を掠めていった。
吹き抜ける風に髪の毛が舞い、アルトは顔の真横にある槍を握った。
「テメェらとろいんだよ」
掴んだ槍を思い切り引っ張る。
離せばいいのに間抜けにもそのまま引っ張られ、前につんのめる騎士の股座に躊躇なく蹴りを叩き込んだ。
「――ッッッ!?」
声にならない絶叫。騎士は白目を剥き倒れると、泡を吹いて失神した。
騎士達だけでなく、遠巻きに見ていた見物の男性陣も顔を顰めて中腰になった。
蹴り上げた柔らかい感触に、嫌そうな顔をしつつも、動きを止めず摺り足と体捌きで、正面左右から突き出された槍を掻い潜る。
間合いの内側まで入ると、そのまま左にいる騎士の胸部に肘打ちを叩き込み、背を向けて左に半回転。右隣にいる騎士の顔面に裏拳を放つ。
胸部は鎧の無い部分、顔面もフェイスガードをしていないので剥き出しだ。
手応え的に、骨は完全に砕けただろう。
胸骨と鼻骨を折られた騎士は、呻き声と鼻血を撒き散らして地面に蹲る。
「さぁ、お次はどいつだぁ?」
アルトの進撃は止まらない。
地面に落とした槍を爪先で蹴り上げ、片手に持つと脇で挟み固定。手の中で滑らせるように真後ろへと突き出す。
背後から「げふぅ」と嘔吐するような音。
突き出された槍の石突きが、背後で槍を構えていた騎士の腹部にめり込んでいた。
槍でアルトの背中を突こうとしたのだろうが叶わず、ビチャビチャと胃液を撒き散らして、また一人騎士は地面へと倒れた。
「な、何なんだ、アイツ……」
「強すぎるだろう。ありえねぇ」
僅か数秒で七人の騎士が、剣も抜いていない青年に叩き伏せられてしまった。
斬りかかる隙を狙っていた騎士達も茫然。
顔には明確な戸惑いと恐怖が浮かび、剣こそ構えているものの、完全に戦意を喪失していた。
その前に倒された二人も含めれば、たった一人でほぼ半数を倒してしまったのだから、この反応も致し方が無いだろう。
槍を投げ捨て一歩前へ踏み出すと、騎士達は「ひっ!?」と悲鳴を上げて後ずさりする。
「……おいおい。この程度でビビッちまうたぁ、最近の騎士様は少しばかり腑抜けてんじゃねぇのか?」
挑発では無く本気で失望する声色に、ランディウスは血走った眼でギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「ほざいたな下民……ディラン! ディランッ!」
甲高い声で怒鳴ると、取り囲む騎士達を掻きわけて、フルプレートの鎧で身を固めた大柄の騎士が姿を現した。
手には金属製の柄頭がついたメイス。鈍く輝く甲冑は年季が入っており、踏み鳴らす足が全体の重量感を音として伝えてくれる。
圧迫感のある外見に、周囲からは戸惑いに似たどよめきが沸き起こった。
全身を甲冑で覆っているので顔はわからないが、アルトより頭一つ分大きい巨躯だということは理解できた。
ディランと呼ばれる男の登場に安堵したのか、ランディウスは表情に余裕を取り戻す。
「我が騎士団自慢の副長をご紹介しよう。彼は先の戦争の最激戦区、北方戦線に参加していた歴戦の勇士だ。貴様のような街のチンピラが敵う相手ではないぞ?」
調子良く語るランディウスに答えるよう、ディランは肩をいからせて甲冑を鳴らした。
北方戦線……その単語に周囲がどよめき、ディランに向けられる視線に畏怖が宿る。
今から七年前。エンフィール王国と、北のエクシュリオール帝国との間に起った侵略戦争。一年以上にも及ぶ死闘の末、多くの犠牲を生み出し、終戦した現在でも尚、爪痕と禍根を残した戦い。
その戦役で、最激戦区とされた場所。
投入された戦力の、八割が戦死した地獄の最前線こそが、北方戦線だ。
そこから生還した人間がどれだけ屈強かは、誰よりもこの国の人間が知っているだろう。
副団長のディランが、本当に北方戦線帰りなら、騎士団全員を相手にするより強敵だ。
アルトは無言で軽く目を細めると、手に持った傘で自らの肩を叩き、背後のロザリンに声を掛ける。
「なぁ。この傘って、どれくらい頑丈なんだ?」
「……えっと、竜が踏んでも、壊れない」
脈絡の無い問いかけに、カトレアの眉に皺が宿る。
「ちょっとそんなこと聞いてる場合? まさか、デカいだけの奴にビビッてんじゃないでしょうね」
「ま、見てろって」
自信ありげに言い、普段と変わりない足取りでディランに近づく。
見るからに腕力に自信がありそうなディラン。
振り回すメイスの巻き添えを恐れ、騎士達が後退したため、自然と一対一で対峙する形になる。
無防備に近づいてくる姿に、ディランに僅かな戸惑いが浮かぶが、間合いが狭まると迷いを消してメイスを構える。
巨躯のディランが、更に大きく上へメイスを振り上げると、一際大きく強大に見えた。
脳天に叩き落とす……そうディランが想定したであろう時には既に、フェイスガードの下された顔面に傘が迫っていた。
「とろいんだよデカ物」
金属が弾け飛んだかのような、破裂音が響く。
その瞬間、誰もがあり得ない光景を目にする。
無防備な顔面をとらえた傘の一撃で、グルンとディランの巨躯が一回転。
そして、更にもう一回転。
人が人形のように、空中をグルン、グルンと合計二回転し、重い鎧を纏ったディランの巨体は、立っていたほぼそのままの場所に、派手な騒音を撒き散らし落下した。
砂煙が舞う。
晴れた砂煙の中から現れたのは、仰向けに倒れたディランの姿。
フェイスガードは傘の形にひしゃげ、失神しているのか、ピクリとも動かなかった。
甲冑を纏った巨躯を、空中で二回転させるほどの一撃だ。失神しない人間の方がおかしいだろう。
唖然とする衆目の中、アルトは口笛を鳴らして傘を眺める。
「ほう、こりゃすげぇ。マジで頑丈じゃねぇか」
「お、おおー。アル、凄い」
「……あんた、どんだけ馬鹿力なのよ」
実力を知っているカトレアでさえ、思わず目を丸くしていた。
一連の動きを、ちゃんと理解できた人間が、この場にどれだけいただろう。
ディランがメイスを振り上げた瞬間、アルトとの間合いは歩数にして五歩ほど。
巨漢で重い動作をしていたが、ディランの動作が遅いわけでは無かった。
が、ほんの瞬きをする間、一足で身体をトップスピードまで加速させると、その反動と無駄の無いスイングで、ディランに反応させる間も無く、二回転させるほどの打撃を生み出した。
全ては一瞬の出来事。
動きに注視していなければ、何が起こったかすら理解不能だろう。
ちゃんと見えていたのは、曲がりなりにも騎士団長を拝命しているランディウスと、カトレアくらいのモノだ。
苦々しく顔を歪めるランディウスに視線を向け、アルトはニヤッと歯を見せて笑った。
「この程度で北方戦線の生き残りたぁ笑わせてくれる。ペテンに引っかかったのか元から知ってたのか……ま、どっちにしても副団長様はおねんねだ。次はどうする?」
「……いいだろ」
低く呟くと、ランディウスは歩み出て腰の剣に手をかける。
「私直々に貴様を処刑してくれる」
「……へぇ」
ランディウスが発する気配に、明確な殺気が加わる。
「貴様も剣を抜け……騎士の立ち合いをよもや、傘で行うなど不届きなことは言わないだろうな」
「こいつを抜いたら、遊びじゃすまないぜ?」
「当然だ」
はっきりと言い切る。性格的には最悪でも、やはり騎士の誇りはあるのだろう。
「…………」
アルトは数秒、無言でランディウスを見つめると、
「ロザリン」
名を呼んで振り向かず、そのままポイと傘を放り投げた。
投げた傘はクルクルと空中を回転し、ちょうどロザリンの目の前に落ちてくる。
「わっ、と」
少し慌てながらも、上手く傘をキャッチ。
アルトはスッと息を吸い込んで、腰の剣に手を添えた。
「いいぜ。遊んでやるよ、通り魔野郎」
「抜かすなよ、一度私に殺されかけた負け犬が。死に損ねないように、今度はその首を叩き落としてくれるッ」
対峙する二人の空気に、緊張感が宿る。
自然と騎士達と見物人達、そしてロザリンとカトレアの口数は無くなり、周囲は不自然にシンと静まり返った。
同時に鞘から剣を抜き放たれ、緊張感が鋭さを帯びた。
アルトの剣は片刃の片手剣。ランディウスな細身のサーベルだ。
「おー、威勢がいいねぇ。でも、それ言ったら自分が通り魔だって認めたようなモンだぜ?」
「ふん。そんなもの、後でどうとでもなる。貴様ら下民と私を一緒にしないで貰おうか」
「……そうかい。んじゃ」
スッと緩やかな動作で、切っ先をランディウスに向けた。
「地獄に落ちる準備は整ったか?」
「――ほざけッ!」
吠えるように叫ぶと、ランディウスは躊躇なく地面を蹴る。
ランディウス・クロフォードの脳裏に、確実なるプロセスが組み立てられる。
先手必勝。ランディウスが脳裏に描く勝利の構図は、これしかなかった。
無論、挑発を受けて頭に血が上った故の暴挙では無い。
親の七光りを利用したとは言え、それでも騎士団長を拝命するだけの男だ。アルトの対して驕れるだけの実力、そして自信に満ち満ちていた。
何よりランディウスには、それを裏付ける根拠がある。
通り魔として、幾度となく繰り返してきた犯行。
一度として顔を見られたことが無い。
暗闇の中、背後から斬りかかる手口もそうだが、例え気づかれても顔を見られない内に斬り込み、離脱できる速さがあると自負している。
現にあの日の夜、不意打ちを受けたアルトは、ランディウスの影すら捕えることが出来なかった。
一度、死の寸前まで追いやった相手に、自分が負ける理由などあり得ない。
単純な戦闘経験、そしてパワーは負ける。
だが、自分にはそれらを凌駕する速さがあるのだ。
他人から見れば、理解しがたい蛮行にしか思えないだろう。だが。握るサーベルが吸った血が、裂いた肉が、全てランディウスの経験となり、自信となり、実力になっている。
今、愚か者の命を持って、それを証明しよう。
ランディウスはそう確信を込めて、最速で最短の一撃を繰り出した。
今度は仕損じないよう、確実に喉元を狙って刺突する。
迫る切っ先に視線すら向けず、構えは傘の時と同じよう、剣を肩に背負った態勢で、アルトは迎撃に備える素振りも無かった。
踏み込みと共に放たれる刺突に、ただ身体の重心を僅かに後ろへ傾けるだけ。
瞬間、誰かが息を飲んだ。
サーベルが空気を裂く音を最後に、周囲に沈黙が訪れる。
誰もが脳裏に浮かべた光景は無く、驚愕に目を見開くランディウスと刺突の態勢で伸び切った右腕。 そして、身体を軽く後ろに仰け反らせる態勢で、喉元ギリギリの距離で切っ先を避けたアルトの姿があった。
何が起こったのか理解出来てないのは、顔を見ればハッキリわかる。
剣を突きつけられたランディウスは、わなわなと唇を震わせて、見開いた両目をこちらに向けていた。
「そ、そんな、馬鹿なッ」
脳裏で描いていた完璧な構図が崩れたからか、ランディウスはようやくそれだけを呟く。
一連の動きを説明するなら、こういうことだ。
担いだ剣を肩から浮かせると、反撃が来ると思ったランディウスの意識が、そちらの方に向けられる。
瞬間、左足でサーベルを握った手を。蹴り上げたのだ。
意識が割かれた所為で握りが甘くなっていたのか、あっさりとサーベルを離してしまう。
ただ、全てのことが、瞬きをする間の時間で起った。それだけだ。
蹴り飛ばされたサーベルは、ランディウスの後方に乾いた音を立てて、突き刺さり揺れていた。
アルトはつまらなそうに、フッと鼻から息を吐く。
「ああ、お前、駄目だ。才能ねぇよ。弱すぎるとかそれ以前の問題だ」
「なんだと、貴様ぁッ!」
侮辱され殺気の籠った視線を向けるが、周囲の住人のみならず部下である騎士達の視線も冷たい。
視線に気がついたランディウスは、怒りと戸惑いが入り混じった表情で周囲を見回す。
「な、なんだ。なんなんだその目は貴様ら! 騎士に、侯爵家の私に対して不敬にもほどがあるぞッ!」
幾ら怒鳴ろうとも、いや声を張り上げれば張り上げるほど、周囲の視線は冷めていく。
あれだけ大口を叩いておきながら、蓋を開けてみれば、あっさりと呼ぶのも馬鹿らしいほどの負け方をした。
近くで見ていた騎士達はまだしも、遠くの野次馬達には、刺突が届かなかっただけに見えただろう。
それだけでも間抜けなのに、最後は持っていたサーベルを蹴り飛ばされた。
結果、アルトは一度も剣を振るわずに、ランディウスは負けてしまったのだ。
これほど間抜けで、情けない負け方は他に無いだろう。
「……グッ。ググッ……こんな、こんな……馬鹿なッ」
悔しさと怒りで、軋む音が聞こえてきそうなほど、キツク奥歯を噛み締める。
「こんなの、何かの間違いだ。こんな、私に一度殺されかけたチンピラ風情に、遅れをとるなど……間違いに決まっている!」
怒鳴り散らしながら、子供のように地団駄を踏む姿に、カトレアは呆れ果てた顔をする。
「情けない……昔のあたしもアレに近い行動を取ってかかと思うと、死にたくなるわ」
「ま、貴族なんて大なり小なり似たようなモンさ」
そう言って剣を納めると、アルトはランディウスを見据える。
「テメェに後れを取った時、酔っぱらってたなんて言い訳はしねぇよ。斬り込みの正確さと影すら残さねぇ速さは本物さ……だが、テメェには圧倒的に足りないモンがあった」
「……なんだと、言うのだ」
「覚悟だよ」
言い切るが、ランディウスは意味がわからないのか、怪訝な顔をする。
「人を殺す覚悟、人に殺される覚悟。それが出来てないから、無意識に踏み込みが甘くなる。アンタがどんだけ才能に恵まれてようと、んなモンはクソの役にもたたねぇ。通り魔被害が二桁もあるのに、実際殺されたのが毒を使った一人だけなのがいい証拠だ」
「…………ッ」
後ろで話を聞いていたロザリンが、キツク唇を結ぶ。
ランディウスは怒りで全身をワナワナと震わせ、血走った眼光をアルトへと向ける。
反論する余裕も無くしたかと思われたが、ランディウスは大きく息を吐くと、口の端を吊り上げて吐息を漏らす。
怒りのあまりおかしくなったか?
アルトは眉根を潜めて首を傾げると、漏らす吐息は明確な笑い声へと変わる。
「クッ、ククッ……いいだろう。貴様の戯言、認めてやろうじゃないか」
「……そりゃどうも」
妙な態度だ。かといって、観念した様子にも見えない。
訝しげな表情に、ランディウスは嫌な笑みを顔に張り付けた。
「だが、それでどうする?」
「……んだと?」
「確かに貴様の言う通り、不覚にも私は無様を晒してしまった。だが、だからと言って何だと言うのだ」
「ちょ!? 開き直る気っ!?」
非難するカトレアに、嫌味ったらしく肩を竦めて見せた。
「開き直るだと? 馬鹿も休み休み言いたまえ……私達は通り魔事件の容疑者を拘束しに来て、貴様らはその邪魔立てをする狼藉者共。どちらが悪いかなど、明白では無いか。なぁ、犯罪者諸君」
「な、なな……何言ってんのよッ!」
まさかの物言いに、カトレアは柳眉を逆立てて怒鳴る。
「アンタが通り魔だって、自分で白状したじゃない! それを今更、ぬけぬけと……」
「ふん。貴様らの仮定の話に付き合ったにすぎん。証拠は何も無い」
「こんだけの人達が聞いてたのよ! しらばっくれるのも大概にしなさいッ!」
周囲には騎士達だけでなく、騒ぎを聞きつけて集まった野次馬達が、一部始終を見て聞いている。
しかし、ランディウスは余裕の態度を崩さない。
「ほう。聞いていた、か……貴様ら、何か聞いていたのか?」
ランディウスが騎士達に問いかけると、騎士達は一様に顔を伏せ、バツが悪そうに首を横に振る。
続けて野次馬達にも視線を向けるが、彼らも関わり合いを恐れてか、我関せずと口を結んでしまう。
「誰も聞いてないようだなぁ? この街の人間は物分りが良くて助かる。この場で、誰が特別なのかをよぉく理解してくれている……君も元貴族なら、それぐらいの分別を持って欲しいモノだな」
ランディウスが、通り魔だという物的証拠は無い。
この場の状況だけを見れば騎士団の任務を妨害し、更には暴力行為にまで及んでいる。
下手をすれば、いや下手をしなくてもただでは済まないだろう。
ここが能天気通りだったら、事態は違ったかもしれないが。
アルトは不機嫌に、舌打ちを鳴らす。
「そうかい。貴族のプライドも捨てちまったか」
「何とでも言え負け犬。例えこの場を切り抜けられたところで、もうこの国に貴様らの居場所は無いぞ。貴族に逆らった者の末路を、骨の髄まで味あわせてやる」
叩きのめされたことがよほど癇に障ったのだろう。暗く蛇のような瞳で、アルト達をねめつける。
「それとも私を告発するか? 不可能だ。例え証拠があったとしても、そんなモノはどうとでもなる。貴様ら下民と貴族とでは、人間としての価値が全く違うんだよッ!」
揚々と語り上げる。
野次馬のみならず、騎士達も常軌を逸した態度に、嫌悪感を顔に表しているが、誰もそれを口にしようとはしない。
ランディウスもそれがわかっているから、更に機嫌よく舌を滑らせた。
「借りを返すと言ったな。いいぞ、受けてたとうじゃないか。だが、私にこれ以上傷一つでもつけようモノなら、貴様の住んでいるあの小汚い通りを更地にしてやるがね」
楽しげに言って、ランディウスは声を上げて笑った。
もうこの場に、ランディウスの味方はいないだろう。
部下である騎士達もプライドが高く、平民を見下してはいるが、この発言に諸手をあげるほど心の腐った連中はいない。
だが、誰も彼も非難の声を上げないのは、彼が爵位を持つ貴族の子弟だから。
倫理的な問題は別にして、ランディウスにはその考えが実現できてしまう権力を、確かに保有しているのだ。
周囲に刺々しい沈黙が訪れる。
カトレアは悔しげに唇を噛み、アルトは何を考えているのかわからない無表情。
自分の勝利を確信してか、愉悦に口元を歪ませるランディウスの前に、歩み出る一人の姿があった。
右目を隠した長い前髪に黒いマント。そして晴れの日には不釣り合いな蝙蝠傘。
何時の間にかロザリンは、ランディウスの正面に立っていた。
ランディウスは訝しげな視線に構わず、ロザリンは押し殺した声で問う。
「一つだけ、教えて……何で、お母さんを、殺したの?」
通り魔事件とロザリンの母親が殺された事件では、明確な違いがある。
それは、彼女が常世の秘薬を使用して殺されたということ。
偶然、秘薬を使ったとは考え辛いが、毒と知っていて使ったのなら、彼は明確な殺意を持って母親を殺したことになる。
何故なのか。
ロザリンは静かな声で、率直に疑問を口にした。
「ああ。ある筋からの情報で、あの女の家族に魔女が居ると聞いてね。素直に居場所を教えれば、貧乏暮らしがマシになる程度の金くらい払ってやったのに……馬鹿な女だよ」
「……たった、それだけの理由で、殺したの?」
顔を伏せるロザリンの言葉に、ランディウスは困惑を浮かべる。
「おいおい。人聞きの悪い言い方をするな……もちろん、ちゃんとした理由はあるさ」
優しく、諭すような言葉でランディウスはニヤリと笑う。
「あの女は私にナイフを向けたんだ。しかも、毒を塗ったナイフだよ……だから殺してやった。同じ方法でな。だって無礼にもほどがあるだろう。平民が、貴族に対して」
「――ッ!? あ、アイツ!?」
怒りが頂点に達したカトレアが、踏み出そうとするのを、腕を差し出すアルトに遮られる。
抗議しようと顔を向けるが、真剣な表情でロザリンの背中を見つめるアルトに何かを察して、悔しげに握り締めた拳を下ろす。
「そう……そう、なの。なら……」
顔を上げ、涙の浮かぶ赤い瞳で睨み付けた。
「私は貴方を、殺す」
前髪を掻き上げると、隠していた右目が露わになる。
魔力を帯びて赤黒く発光する瞳には、確かな憎悪が浮かんでいた。