第74話 海原は静かに揺れる
「……ネクロノムスを凌駕したか……なんと、デタラメな男だ」
静けさを取り戻し、剣精ネクロノムスの魔力反応が消えたのを感じて、サイラスは感情の読めない声で呟いた。
最後、問答無用でテイタニアをぶっ飛ばしたシーンに苦笑いしつつも、以前と同様に相手を寄せ付けない強さを発揮したアルトに安堵し、ロザリンは視線をサイラスに戻すと、傘の先端を突きつけた。
「これで、貴方に打つ手は、もう無い」
「……そうだな」
サイラスは平坦な口調で頷く。
妙に落ち着いた態度が、ロザリンに不信感を抱かせた。
「剣精ネクロノムスが消えた時点で、俺にはもう何の力も持たない盲目の人間だ。好きにするといい……しかし、一つだけ解せぬ。何故、魔剣ネクロノムスは勝手に砕けたのだ?」
憑りつかせていたとはいえ、あくまで契約者は自分である。なのに、魔剣ネクロノムスはテイタニアに拒否されただけで、あっさりと砕け散ってしまった。
そこがサイラスには、どうしても理解出来ずにいた。
「剣精は、人ではなく、武器に憑く。人との契約は、あくまで存在を維持する、魔力の供給の為。そして特性として、ネクロノムスは、人の感情を揺さぶる。テイタニアの場合は、心の奥に潜む負の感情を呼び覚まし、増幅して、支配下においた」
ロザリンが解説する。
そこまではサイラスも考え通りなのか、頷いていた。
問題は、その先だ。
「けれど、アルトの言葉を聞いて、テイタニアは溜めこんでいた負の感情を、肯定して、受け入れた。その感情が逆流し、反動に耐え切れなかったネクロノムスは、自壊したの」
「待て」
サイラスは言葉を遮る。
「その理屈はおかしい。ネクロノムスは感情を糧とする精霊。ならば、逆流しても糧とすればいいだけの話」
その指摘を、左右に首を振って否定する。
「人の感情にも、属性がある。ただ、感情を糧とするだけなら、支配下に置き揺さぶる必要は無い。相反する感情は、火と水のようなモノ。この場合、否定したい感情を、受け入れ肯定したことで、負の感情を糧にしようとしてたネクロノムスは、その逆流を受けてしまった」
ロザリンの説明に、サイラスは驚くように呻いた。
以前、ロザリンが国崩しの時に使った、逆計術式の感情版とでも言うべきだろう。
話を聞き終え、自分の中で消化し終えたサイラスは、ゆっくりと息を吐く。
「……そうか。俺の剣は、人の感情に負けたか」
呟く言葉にも力が無い。
憐れだと、ロザリンは思う。
サイラスは鍛冶屋として、とても純粋だったのだろう。
魔術に没頭する自分なら、少しは彼の考えに理解を示せた。だが、決定的に相容れないところがあるとすれば、そのスタンスだ。
彼はただ、最強の剣を求め続けた。それ自体に間違いは無い。
剣と共に剣精が消え去ったことで、サイラスの目的は打ち砕かれた。
その筈なのに、胸の奥とチクチクと刺す違和感が消えなかった。
「一つ、聞かせて。最強の剣を作って、貴方は何が、したかったの?」
「別に」
感情の乗らない声で答える。
「別に、何と言う理由は無い。俺は鍛冶屋だ。俺の作る剣を世界最強にしたい。それ以上の理由も、それ以下の理由も無い」
「それで、大勢の人が、殺されても?」
「剣は武器だ。人殺しの道具だ。だが、それ自体に善悪は無いし、興味は無い」
「――ッ!?」
ロザリンは瞳を見開き、サイラスの頬に平手を放った。
頬を張られたサイラスは、ゆっくりと顔をロザリンに向けた。
「それは、正義感のつもりか?」
「違う。気に入らないから、殴った。それだけ」
「……そうか」
俯いて、サイラスは薄く笑った。
「まぁ、いい。全ては終わった……後は、時が証明する。何が正しいのかを」
「それは、どういう意味?」
ロザリンの問いかけに、サイラスは口を閉ざし、そして二度と開くことは無かった。
ただ、頬に浮かべるのは薄笑みのみ。
その表情が何を物語っているのか、ロザリンには理解出来ず、胸を刺す違和感は、何時までも消えることは無かった。
★☆★☆★☆
その後、サイラスは駆けつけた特務騎士団の団員達により逮捕された。
罪状は魔剣の密売。
これから彼の発言を引き出し、魔剣を売買した組織の割り出しや調査で、特務騎士団は大忙しとなるだろう。
相手が外国だとすれば、その規模は更に大きくなる。
エンフィール王国を守る騎士団には、休む間はなさそうだ。
騎士団と関係の無いアルトには、気の毒だと両手を合わせる以外に出来ることは無い。
何にしても義理は果たした。これでやっと、綺麗な身体で大手を振って、家へ帰れるというモノだ。
「ほんま、えらい目にあったわぁ~。妙な剣に操られたかと思えば、剣で思い切り頭をドつかれて……うちやなかったら死んどったところやで?」
東街に続く大通りを三人で歩きながら、ズキズキとまだ痛む頭頂部を押さえ、テイタニアはしつこく何度も恨みがましい言葉を繰り返す。
しかし、アルトは悪びれもしないどころか、面倒臭げな表情で、片手をぷらぷらと振る。
「はいはい。悪かったよ……ってか、襲ってきたのはテメェじゃねぇか」
「だからって、最後の一撃はいらんやろが! どこの世界に女の子の頭を剣でおもっくそドつく阿呆がおんねん!」
「刃の無い方で殴ったんだからいいじゃねぇか」
「鉄の棒でドつかれたら、普通死ぬわド阿呆ッ!」
と、さっきからずっとこの調子だ。
こうもテンポ良い会話が繰り広げられると、逆に仲が良いのではないかと思ってしまう。
衆目が集まって恥ずかしから、止めて欲しいと、少し離れてロザリンは嘆息する。
ギャーギャーと騒ぎながら暫く歩いていると、大河の船着き場へと続く通りへと出た。
そこで足を止めたテイタニアは、唐突に切り出す。
「ほな、ここでお別れやな」
突然の言葉に、ロザリンは「えっ!?」と声を上げ、ぴょんと身体を浮かせた。
「なん、で?」
「一応は、目的は果たしたからね。報告も兼ねて、これを、レイナの墓前に供えてやりたいねん」
取り出したのは、割れた精霊石と束ねて紐で結んだ人の髪の毛だ。
「……これって」
視線を手から顔に向けると、テイタニアは苦笑いをしていた。
「まぁ、色々、行き違いは多かったみたいやけどな……一度、確りとケジメをつけたいねん。これからもうちが、前に進めるように」
そう言って、ぎこちなく笑った。
頷き、ロザリンも笑い返す。
ネクロノムスの誘惑を振り切ったといっても、内心ではまだまだ、割り切れない感情を抱いているのだろう。謝罪する相手も、話し合いする相手も、もうこの世には存在せず、テイタニアが本当の意味で前へ進むには、自らの意思だけが頼りなのだ。
それを察して、ロザリンは余計な言葉は語らず、頷いて笑顔を送る。
「頑張って」
「おう」
にこやかに笑って、チラッと視線をアルトに向けた。
一瞬だけ躊躇いながらも、口を開く。
「兄ちゃんも、まぁ、世話になったな」
そうぶっきら棒に、テイタニアは礼を言う。
素っ気ない様子で目も合わそうとしないが、指で掻く頬はうっすらと赤く染まっていた。
「……むっ」
ロザリンの乙女センサーが、うぃんうぃんと反応を見せる。
「まぁ、結局お前とそんなに絡んでねぇけど、ロザリンが世話になったみたいだしな。次に来ることがあったら、飯の一つでも食おうじゃねぇか」
「ほ、ほんま!?」
パッと表情が明るくなり、テイタニアは背伸びして顔を近づける。
今まで見たことも無い反応に、よりロザリンは表情を険しくした。
そんなロザリンの反応にも気がつかず、モジモジとテイタニアは両手を後ろに回し、無意味に爪先で地面を弄る。
「う、うち、こう見えても、今まで負けたことあらへんねん。アルトはうちを任した初めての男なんやから、責任、取ってくれるよな?」
「えっ、何その理屈。怖い」
チラチラと恥ずかしげな視線を向けるテイタニアに、アルトは露骨に顔を顰めた。
ロザリンはロザリンで、むぅ~と頬を膨らませていた。
「別に、そない堅苦しく考える必要ないねんて。強い男ちゅうのは、何人も女を囲うモンなんやろ? うちも、その一人で構わへんねん」
「誰だそんな凝り固まった偏見押し付けた輩はッ!」
「ん? うちが前、世話んなったところのお偉いさんが、言うとったわ。『男なんて性欲だけの薄汚い動物だ』って……そうなん?」
何の疑問も持たず、テイタニアは小首を傾げて問いかける。
「……そうだね。そうなんじゃない」
片手で顔を覆い、面倒臭くなって、適当に同調した。
テイタニアは両腕を組んで、納得するよう感嘆混じりに何度も頷いていた。
世の中には酷い偏見を持った人間が、まだまだ存在するようだ。それを吹き込んだ人物が、過去にどんなトラウマがあるか知らないが、この先の人生において、絶対に関わり合いになりたくないと、アルトは硬く心に誓う。
まぁ、そんな偶然、そうそうある筈は無いだろうけど。
言いたいことを言い終えて、テイタニアはにひっと歯を見せて笑う。
その笑顔に曇りは無く、夏の青空のように清々しさに満ちていた。
「ほな、本当に行くわ。用件済ませたら、また戻ってくるから、さよならは言わへんで……また会おうや」
「おう。気を付けて帰れよ」
「また、ね」
アルトは両手をコートのポケットに突っ込んで、ロザリンは手を小さく振りながら、赤い髪の毛を振り乱し、小走りに船着き場へと走るテイタニアの背中を見送った。
途中、足を止めたテイタニアが、クルリとこっちを振り返と、
「――アルト!」
「あん?」
名を呼び恥ずかしそうに微笑むと、唇を尖らせ、両手で投げキッスを送る。
そして顔が一気に首まで真っ赤に染まると、逃げるように走り去っていった。
投げキッスを送られたアルトは、周囲の視線とヒソヒソ話に顔を顰め、乱暴に頭を掻いた。
「……そんなに恥ずかしいならやるなよ」
呟くアルトを、ロザリンはジト目で見上げた。
「モテるね、アル」
「モテてるかぁ? 正直、微妙だぞ。全力でぶん殴られた相手に惚れるって、アイツどんだけドMだよ」
素直な気持ちを口にするが、ロザリンの不満げな表情は治まらない。
やれやれと、アルトは肩を竦めて、家路に向かい歩き出す。
ロザリンも少し遅れて歩き出し、アルトの横に並んだ。
歩幅が違う為、少しだけ普段より早く歩くロザリンに、気がついている癖に全く歩く速度を緩めないアルト。
こうやって二人で並んで歩くのも、随分と久し振りに感じられた。
「ああ、ロザリン。そういや、言い忘れてたことがあったな」
「なに?」
二人は視線を合わさず、正面を見たまま、何気なく会話を進める。
ポンと、横にいるロザリンの頭に、手の平を乗っけた。
「ただいま」
一瞬だけ、ロザリンの呼吸が止まる。
そして、唇に笑みを浮かべて一言。
「おかえり!」
そう言って、ロザリンはアルトの袖口を、キュッと握り締めた。
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ここで終わっていれば、それなりに良い話だったのだが。
能天気通りまで戻って来たアルトを待ち構えていたのは、額に青筋を浮かべて笑顔のまま仁王立ちするカトレアだった。
「おかえり。アルト」
笑顔とは裏腹に、ドスの利いた低い声色を奏でる。
薄らと背中に透けて見える禍々しいオーラは、ネクロノムスの憑りつかれた時の、テイタニアより恐ろしく感じられた。
ススッと、ロザリンはアルトの横から離れる。
「会いたかったわぁ、アルト」
笑顔で握り締める拳には、太い血管が浮き上がっていた。
アルトはひっ、と息を飲み込む。
「ちょっ、まっ!? 言葉と態度がおかしくね!? 一ヶ月ぶりのアルト君ですよ?」
「そうねぇ、一ヶ月ぶりねぇ……一ヶ月の間、音信不通で何処をほっつき歩いてたのかしらぁ? あたし、心配しちゃったわよ」
ポキポキと拳を鳴らし、カトレアはゆっくりと歩み寄ってくる。
アルトは青い顔で、右手を突き出す。
「そ、それには事情がッ……大体、ロザリンならまだしも、俺ぁお前に怒られる筋合いはねぇぞ!」
「ほほう。そんなこと言っちゃう? アンタがいない間、アンタの家の掃除洗濯に食事の支度。全部面倒見ていたの、誰だと思ってんのかしらぁ?」
「グッ」
それを指摘されると、ぐうの音も出ない。
口を噤んだ姿に嘆息し、カトレアは睨み付ける表情を緩めた。
「別にそんぐらいのことで怒りはしないわよ……ただ、あたしが言いたいのはね」
パシッと、手の平を拳で打つ。
「昨夜、一度帰って来てんのに、あたしらに一言も無いその人情紙風船な根性に、頭来てんのよッ……それと、これッ!」
怒鳴りながら突きつけてきたのは、一枚の手紙だった。
訝しげな表情で奪い取り、読んでみると、アルトの表情が再びサッと青ざめる。
「……なに?」
横からロザリンも覗き込むが、書かれている文章を目にして、途端に表情が曇る。
「これ、ラブレター?」
「あ、あの馬鹿姫……何ちゅうモンを送りつけてきやがるッ」
アルトは頭を抱えた。
中に書かれている文章は、ひたすら乙女チックなポエム染みた内容で、ちょっと恥ずかしくて直視出来ない。
見なかったことにして、手紙を綺麗に折り畳むと、疲れた表情でカトレアの方を見る。
「って言うか、人の手紙を勝手に開けたのかよ?」
「持ってきたシリウスが読んでいいって言ってたのよ。まさか、あたしもこんなお花畑な内容とは思わなかったんだけど」
突きつけたカトレアも、若干引き気味だった。
それでも、ギロッと睨みつけて来る視線は変わらない。
「人に散々、苦労と心配かけて、女遊びしてるような不埒者は、お仕置きしてしかるべきだと思わない?」
「思わないッ!? いやだ! 何の良い思いもしてないのに、罰だけ受けるなんて理不尽過ぎるッ!」
喚き散らして、クルリとカトレアに背を向けた。
「こらっ! 逃げるな、待ちなさいッ!」
脱兎の如く逃げるアルトを、拳を振り上げてカトレアが追いかけ回す。
能天気通りの人々は、やっと何時もの雰囲気が戻って来たと、安堵の表情で追い駆けっこを続ける二人をはやし立てる。
それを見て、ロザリンも嬉しくなる。
炎天下の元、ようやく、ロザリンの日常が戻って来たのだ。
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ラス共和国の軍港。
大陸の北にあるラス共和国の夏は短い。
共和国が所有する海上航路の拠点から見渡せる、真っ白な入道雲の下、青々と広がる真夏の海原。これが数ヶ月後には、雪と流氷に彩られた氷の海へと変貌するとは、とても信じられない。
海側から流れ込む潮風が、心地よいと感じられるのは、この時期だけの楽しみだ。
入港する大きな輸送船を、管理局の屋上から、ビーチチェアーにだらしなく腰を下した、うだつの上がらない軍服の中年軍人が眺めている。
鼻の下に髭を蓄えた三十代後半の男性。
それ以外に例えようのない、普通の軍人である彼は、輸送船を眺めながら息を吐く。
ドミニク・ロンバルド。共和国海軍に属する大尉で、この港の責任者だ。
横に置いてある望遠鏡を取り、片目を瞑って覗き込むのは、今まさに入港してきたばかりの輸送船。船着き場では作業の為に、大勢の作業員が集まっている。
本来なら、ドミニクも率先して、あの場に立たなくてはならないのだが。
「いやだねぇ、御飾り責任者って。重要そうな船が入港してるのに蚊帳の外だよ」
望遠鏡を覗きながら、ドミニクは湿っぽく愚痴った。
ゆっくりと接岸する輸送船を眺めていると、背後から革靴の足音が聞こえた。
「ここにいらっしゃったんですか、大尉」
背後から青年の声。
顎を上げてひっくり返るように後ろを見ると、人の良さそうな笑顔を湛えた、まだ表情に幼さを残す、真面目そうな顔立ちの青年軍人が立っていた。
胸につけている徽章は、幹部候補生の証だ。
「これはこれは、デニス・グロスハイム少尉。未来の将校閣下が、自分のような窓際軍人に、何の御用ですかな?」
「勘弁してくださいよ、大尉」
冗談めかした皮肉に、デニスは苦笑して後頭部を掻く。
ドミニクは顔を戻すと、また望遠鏡を覗き込む。
「あの、大尉?」
「気にせんとってよ。ただ、眺めてるだけだから」
「やはり、気がかりですか?」
真面目な口調での問いに、ドミニクは何も答えない。
僅かな沈黙の中、波の音だけが響く。
「僕は気になります。軍港に民間の輸送船が、それも特命の一言で、何処からの命令かもわからない指示で、得体の知れない船を受け入れるなんて……」
デニスは、厳しい口調を発する。
「今からでも遅くはありません。大尉の権限なら、入港の立合い……いや、検閲だって」
「デニス少尉」
熱を帯びる言葉を、ドミニクは恰好を変えずのんびりとした口調で遮る。
「軍人ってのは、そんなモンさ……好奇心、猫をも殺すってね。ま、自分らは国家の犬なわけだけど」
「……わかっています。けど、大尉も納得出来ないから、こうしてここで監視をしているのでは?」
「ん~」
食い下がるデニスに、ドミニクは首を傾げる。
唇に浮かぶ笑みは、彼の若さを喜んでいるようにも見えた。
同時に真っ直ぐすぎるデニスの考え方は、軍人としては少しばかり危うい。
「そんな大それたことじゃないさ……単なる、転ばぬ先の杖ってヤツだよ。それで納得出来なきゃ、偉くなって納得出来るような組織に作り変えればいい……異動先は、何処だっけ?」
「陸軍です。アルフマン少将の親衛隊への編入が決まりました」
「へぇ! 凄いじゃない、エリート中のエリートだ」
ミシェル・アルフマンが統括する親衛隊は、共和国軍全体から選りすぐられた、エリート集団の代名詞。ここに選抜された者達はいわば、軍の未来を担う若者ばかりで、いずれは各所の重要ポストを任されることだろう。
デニスは照れた表情で、頭を掻いた。
「し、親衛隊と言っても発足したばかりですから。将来、本当にそうなるとは限りませんし」
謙遜するデニスを、いやいやと手を振って大袈裟に褒め称える。
「統括があのアルフマン閣下だよ? きっとその内、大統領にでもなっちまうだろうし……ああ、ごほん。今のうちに、ご機嫌を取っておいた方が、よろしいですかな?」
「勘弁してくださいよ」
手揉みをするドミニクに、本気で困惑した声を上げる。
真面目な態度に、ドミニクはククッと楽しげな笑みを浮かべた。
咳払い一つすると、ちょっとだけ真面目な表情を作る。
「でも、気を付けた方がいいよ? 親衛隊ってことは、勤務地は首都だろ? あそこは今、あんまりいい噂を聞かないからねぇ」
「……例の、テロ集団のことですか?」
デニスの表情に不機嫌さが刺す。
近年、ラス共和国を騒がせているテロリスト集団がいる。
彼らは義賊を謳い、貧しい者、差別に苦しむ者達を助けるという大義名分の元、各地で暴れ回っている。
通称・咢愚連隊。
その目的も、規模も、正体も不明。
噂だけなら帝政復活を願う一派と囁かれているが、それも定かでは無い。
名前以外でわかっているのは、たった二つのこと。
テロ組織のリーダーは神算鬼謀の人間で、その采配のおかげで各所の軍隊は惑わされ、その影すらも踏めず、未だ正体を暴くことが出来ない。
そしてもう一つ。その傍らにいる双剣使いが、恐ろしく強いということ。
ただ、それだけだ。
「不愉快ですね。ようやく戦争が終わって、これからって時に、騒ぎを起こし人の不安を煽るだなんて……許せません。その癖、自分達は正義を気取っている」
「ま、テロリストなんてそんなモンだけどね……実際、そのあぎ、と? 愚連隊の悪い噂って、聞かないんだけどね」
キッと厳しい視線が向けられ、ドミニクは慌てて口を噤む。
「大尉! 軍人である貴方が、テロリストを擁護するような発言は困ります!」
「いやぁ、擁護するつもりは、無いんだけどさぁ」
誤魔化すように、ドミニクは再び望遠鏡を覗き込む。
何やら火が点いてしまった、デニスの説教を右から左で流しながら、既に搬入作業が始まっている輸送船を眺める。
そのすぐ側。不可解な人影に、ドミニクは目を止めた。
「……あれは」
小さく呟き、上半身を起こして注視する。
「大尉? どうか、なされたのですか?」
急に雰囲気が変わった様子に、説教を止めたデニスが望遠鏡を向ける先を見る。
当然、肉眼でハッキリと見える距離では無い。
「少尉。はい」
手渡されたのは、もう一つの望遠鏡。
一礼しつつ、覗き込んで同じ方角を見ると、そこにいた人物にデニスは我が目を疑った。
炎天下の港には不釣り合いな、青いドレスを着た長く白い髪の少女が、お付きの軍人が差す日傘の下で、ニコニコと笑みを浮かべて作業を眺めていた。
「ジャンヌ・デルフローラ……近衛師団の一角が、何故このような場所に?」
「さあねぇ……ただ、キナ臭い予感しかしないなぁ」
望遠鏡から目を離し、大きくため息を吐いた。
「刃物マニアのお嬢様が、輸送船に一体、何の用なのかねぇ」
ドミニクの疑問も、デニスの疑いも関係なく、エンフィール王国からやってきた輸送船から、詰まれた荷が降ろされていく。
その中身が何なのか、蚊帳の外の二人に知ることは出来ない。
視線を水平線の彼方へと向けると、空はこんなに晴れ晴れとしているのに、遥か遠くの方は暗い雲が薄らと漂っていた。




