第71話 剣精ネクロノムス
指定された時間に訪れた、ストリートファイトの会場は、思いの外、盛り上がっていた。
時刻は深夜と言って良いだろう。
基本的に夜の方が賑やかな北街の奥。以前は天楼の縄張りだった一帯は寂れ、人の姿は皆無になっていた。
ところが、この時間になると何処から現れたのか、奈落の杜などの暗部組織に属さないゴロツキ共が集まり、とある一つ区域を集団で取り囲む。
一時期は瓦礫の山だった筈の場所は、綺麗に整えられていた。
円状に陥没した地面は綺麗に整備され、確りと石畳まで引いてある。
深さは大人がすっぽり入ってしまえるくらい。ちょっとしたダンスホールほどの広さがあり、八方を篝火で照らされたこの舞台で、男達が毎夜死闘を繰り広げ、周囲を取り囲むギャラリーが、掛け金と共に声援を送っている。
人々の熱狂が、真夏の夜を更に熱く焦がす。
ストリートファイトと言うには、随分と大掛かりな様相をなしていた。
「ほほう。こりゃ、盛大やなぁ」
爪先立ちになってテイタニアは、舞台を囲む人混みの上から中の様子を眺める。
微かに見えるのは、中央で殴り合う二人の男が、血塗れになっている姿だ。
派手に血が飛び散れば飛び散るほど、観客の熱気は増していく。
騒がしいのが好きでないロザリンは、顔を顰めて両耳を押さえている。
「……うるさい」
アルトが戦っているのは格好いいと思うのだが、見ず知らずの大男が汗と血に塗れていても、何も面白いとも感じない。
どうしてこんなことに熱狂出来るのかと、ロザリンは心底疑問だ。
とりあえず、どうしていいのかわからず、二人並んでストリートファイトを眺めていると、観客に一人が場違いな少女の姿を目に止めた。
ひひっと、厭らしい笑みを浮かべ、モヒカンの小男が二人に近づいてくる。
「おう、姉ちゃんら。ここはアンタらみたいな女子供が来る場所じゃねぇぜ?」
ジロジロと不躾な視線を、露出度多めのテイタニアにぶつける。
流石に慣れているのか、テイタニアに気分を害した様子は無い。むしろ、あからさまに無視されたロザリンの方が、不機嫌な表情をしている。
「ナンパならお断りや。うち、弱い男に興味ないんよ」
「へへっ。だったら、オレッチなんかうってつけよぉ……何せ、元天楼の幹部の一人でこのストリートファイトの……」
「――おいッ!?」
調子に乗ってきた小男を、仲間らしき別の男が後ろから肩を掴む。
「なんだよ。これからオレッチの口上が……」
「そ、そこのガキ……いや、お嬢様は」
肩を掴んだ男は、睨み付ける小男の視線を気にせず、青い表情で不機嫌な顔をするロザリンを指差した。
「あの野良犬の女だ。手ぇ出したら、俺らがぶっ殺されるッ」
「ま、マジでかッ!?」
絶句して、小男は引きつった視線をロザリンに向ける。
無言で睨み付けるロザリンに、愛想笑いを浮かべると、二人は脱兎の如く逃げて行ってしまった。
周りの人間も騒ぎを聞いていたらしく、ロザリンに対して畏怖に満ちた視線を向ける。
その視線に何より驚いているのは、横に立つテイタニアだ。
「なんやロザリン。めっちゃ有名人やん。いや、有名なのはロザリンの彼氏か?」
「……彼氏」
その単語を聞いて、ロザリンの鼻の穴がぷくっと膨らむ。
でも、律義なロザリンは、ちゃんと正直にテイタニアの勘違いを訂正する。
「彼氏、じゃない。保護者。今は、まだ……」
「ふぅん。つまり、お兄ちゃんみたいなモンか。連中のビビリっぷりを見る限り、そうとう腕の立つお人みたいやなぁ」
グルリと、遠巻きにこちらをチラチラと盗み見る、ギャラリーに視線を巡らせる。
ロザリンは、迷いなく首を縦に振った。
「うん。強いよ。世界で、一番」
「ほう。そりゃ、楽しみやな」
本気半分、冗談半分と言ったところだろう。テイタニアは歯を見せて笑った。
そして、当然の疑問を口にする。
「一緒にはいないみたいやけど、今は何処にいるん?」
「水晶宮。怪我の、療養で」
「……それやったら、普通は病院とかとちゃうん?」
首を傾げると、ギャラリー達が唐突に歓声を上げた。
どうやら、ストリートファイトのチャンピオンが姿を現したらしい。
更にヒートアップした熱狂が、一帯を包み込み、踏み鳴らすギャラリーの足音で地面が地震のように揺れた。
二人は顔を見合わせた後、背伸びして何とか中央を伺おうとするが、人垣に阻まれて頭の天辺しか見ることが出来ない。
「……しゃあない」
無理に覗き込むのは諦めたテイタニアは、数歩後ろに下がると、持っていたハルバードの刃部分を下に向け、思い切り地面に突き刺した。
ズンッと半分まで沈み込む刃。
軽く揺らして安定しているのを確認し、ちょいちょいと指でロザリンを招く。
「なに?」
「ちょっち、失礼するで」
ロザリンの背中と腰に手を回し、その小柄な身体を抱き上げた。
「きゃっ!?」
驚き、思わず落としかけた傘を、両腕で抱きかかえた。
そしてテイタニアはぴょんと跳躍すると、逆さに突き刺さったハルバードの石突き部分に、左足一本で立ち上がった。
「これなら、十分に舞台が見渡せるやろ?」
確かに、少し距離はあるが、視界の邪魔になるような物は無く、舞台の様子を観戦出来る。しかも、視線が高いから、より広々と見渡せるだろう。
歓声や野次の飛ぶ舞台のど真ん中で、対峙しているのは二人の男だ。
一人は上半身裸の、筋肉質な大男。手斧を持ち、自信満々な笑みを浮かべてはいるが何故だろう。彼がチャンピオンだと思えなければ、挑戦者だとしても勝つビジョンが全く思い描けない。
もう一人は細身の青年だ。
やや、頬はやつれ気味にこけているが、端正な顔立ちをしている。佇まいも優雅で、構えたレイピアも、手斧に引けを取らない存在感を有していた。ただ、夏場なのに手袋まで嵌め、露出が一切ない服装は、暑苦しくてどうかとロザリンは思った。
「あの、細い人が、チャンピオン」
「へぇ、ようわかったな」
「うん。慣れてきた、から。それに……」
歓声に答えるよう、手を振る青年に送る視線を細めた。
「微量だけど、魔力の反応を、感じる」
「へぇ。魔力持ちのレイピアとは、珍しいなぁ」
ピクッと、ロザリンの眉が反応を示す。
歓声が一際大きく、最高潮に達した。
どうやら、試合が始まるようだ。
まず、動いたのは大男。
細身の身体とレイピアという武器を見て、力押しで勝てると踏んだのか、豪快に手斧を振り回して真正面から走る。
あ、これは駄目だと、ロザリンは眉を顰めた。
次の瞬間、ゆらりと手斧の一撃を躱した青年は、指揮者がタクトを振るうように、手首のスナップだけでレイピアを操ると、撓りのある薄く鋭い刃は、まるでバターでも斬るかのよう、大男の右腕を肘から斬り落とした。
舞い散る鮮血と、大男の絶叫。
そして、興奮した観客の悲鳴とも怒声ともつかない音の波に、この辺一帯は包まれていった。
ロザリンは僅かに眉を顰める。
人が血を流して周囲が喜んでいる様子は、あまり見ていて気持ちの良いモノでは無い。
「……ああ、あかん! か弱いうちは、長時間ロザリンを抱えてられへん」
急にわざとらしく騒ぎ立てると、ハルバードの上からぴょんと飛び降りた。
地面に降ろされたロザリンが驚いて見上げると、彼女は豪快な笑みを見せる。
どうやら、気を遣わせてしまったらしい。
「ありがと。あと、私は、重く無い」
礼を言うついでに、周囲に誤解を与えないよう訂正しておく。
突き刺さったハルバードを抜き、それをまた肩に担いだ。
「どうするの?」
一応、ストリートファイトの名目上、飛び入り参加は許可されているらしい。
いきなりチャンピオンと戦わせて貰えるかはわからないが、腕を磨くことが目的なら、相手はチャンピオンで無くても構わないだろう。
しかし、テイタニアは首を摩りながら、興味なさげに大欠伸をした。
「う~ん。今日のところは、帰りましょか」
「……挑戦、しないの?」
ロザリンは首を横に傾げた。
まさかの発言。それは本人もわかっているらしく、バツが悪そうな笑顔でテイタニアは頬を掻いた。
「付き合って貰ったロザリンには申し訳ないけど、なんか、気分な乗らへんねん」
「……そう。テイタニアが言うなら、それでいい」
特に文句を言うことなく、ロザリンは素直に頷いた。
元々、テイタニアが言い出したことなのだから、参加するかしないかは本人の自由。ロザリンも目的を、十分に果たしていた。
それでも、気にかからないと言えば、嘘になるが。
「それじゃ、遅くなる前に帰りましょか」
「うん」
テイタニアに背中を押され、熱狂冷めあがらぬ舞台を背に、二人はその場を後にした。
途中、ロザリンは見逃さなかった。
背中を押すテイタニアが背後に向けた視線が、殺気に満ちた鋭さを帯びていたことを。
★☆★☆★☆
日付はとっくに変わり、後数時間もすれば夜明けになる時刻。
ひと時の熱狂と共にギャラリーが去り、先ほどまでとは打って変わって、静寂に満ちているストリートファイトの会場に、テイタニアは舞い戻っていた。
蒸し暑い真夏の夜に、消えた篝火の焦げた臭いが微かに香る。
一度、ロザリンの家に戻ったテイタニアは、彼女が寝付くのを待ってから、再びここを訪れた。
理由は一つ。目的を果たす為だ。
「やっぱり、強い人探しが、目的じゃなかったんだ」
「――ッ!?」
驚いて背後を振り返ると、そこにはロザリンの姿があった。
ジッと見据える、左目の赤い瞳。
反射的に誤魔化そうと口を開くが、見透かしたような視線を向けられ、テイタニアは観念したように頭を掻いた。
「……何時から気づいてたん?」
「最初から」
断言されて、テイタニアは目を丸くする。
「強い人、じゃなくて、強い人が集まる場所、を探していたから。ちょっと、変だなって、思ったけど、決定的なのは、チャンピンの試合」
「ん? うち、何か妙なこと言うたか?」
「私が、魔力を感じる。って言った時、テイタニアは『魔力持ちのレイピアは珍しい』って、言ったから。ああ、この人はチャンピオン、または剣のことを知ってて、探しに来たんだって、そう感じた」
「なるほど、な」
テイタニアは苦笑を漏らす。
「あかんなぁ。もっと、こっそりやるつもりやったのに」
「テイタニア……何が目的?」
ジッと赤い瞳で睨み付ける。
疑るような視線を浴びて、テイタニアは情けない表情をする。
「あう……そないな顔せんとってぇな。結果的に、騙してしもうたんのは、あやまるさかい。勘忍な?」
両手を合わせ、ペコペコと頭を何度も下げる。
表情と仕草から、本気で悪いと思っているのだろう。
それを見て、ロザリンな鼻から息をふぅと抜く。
「なんで、嘘なんか、ついたの?」
「いやぁ。正直言うと、巻き込みたくなかったんよ。あまり、大っぴらに口に出来ん用件やったし。なんせ、うちは……」
「――俺を殺しに来たんだよなぁ。テイタニア」
男の声が割り込む。
視線を鋭くして、素早くハルバードを構えた先に、路地からスッとチャンピオンの青年が姿を現す。
青年は端正な顔立ちをこちらに向けると、唇に薄く笑みを浮かべた。
驚くロザリンも、咄嗟に傘を構える。
「初めまして、と言った方がいいかな」
「そやね。出来れば、アンタの名前も知らんから、教えて貰えるとありがたいんやけど」
フッと、青年は笑う。
「確かにな。俺の名はドルフ。ストリートファイトのチャンピオンだ……影から妙な殺気を向けられると思ったら、まさか貴様だったとはな。話は聞いているぞ、レイナから」
「捨てた女の話をまだ覚えとるなんて、随分と律義やなぁドルフ」
構えたハルバードを頭上で旋回させ、周囲に風を巻き起こした。
「おめおめとうちの前に顔を晒せた糞度胸だけは認めたるわ。レイピアを返してぶち殺されるんか、レイピアを返さずぶち殺されるんか、選び」
ロザリンに見せていた陽気な態度とは変わって、ドスの利いた低い声色で、射殺すような視線を向けた。
「殺す? レイナの恋人であるこの俺を?」
「元、恋人やろ。間違えんな……レイピア欲しさに近づいた屑が、ダラダラ喋っとったら本気でぶち殺すぞボケがッ!」
「ふっ。怖い怖い」
叩き付ける殺気を物ともせず、ドルフは腰のレイピアを優雅に抜いた。
すると、途端に微量だった魔力が濃度を増す。
鮮明になる魔力の浴び、ロザリンは息を飲み込んだ。
「この気配、魔剣? ……いや、精霊!?」
ロザリンの指摘に呼応するよう刃を振るうと、魔力の残滓が光となって散る。
「ご名答。賢い子供だな……この剣精ネクロノムスの切れ味、知らぬわけはあるまい?」
魔力が徐々に高まる。それに比例して、ドルフの生気が吸い取られ、見て取れるほどやつれていく。
「この人、精霊に、憑りつかれてる?」
「亜精霊ならともかく、上位契約の儀式も無しに、精霊を使役するなんてマネ、普通の人間には不可能や。剣精ネクロノムスは、人の欲望を増幅しそれを喰らう、寄生虫みたいな精霊や。ストリートファンとなんて目立つマネしとったのも、闘争心が刺激されそれを押さえきれんかったんやろな」
身体を解すよう、グルリと首を回す。
「ま、通り魔にならんかった自制心だけは、褒めといてやるわ」
「御託はいい、テイタニア。俺は、お前を斬りたくて斬りたくて堪らないんだ。貴様は強いと聞いている。存分に、俺の武を試させてくれ」
血走った眼で、魔力が迸る刃を闇雲に振るう。
「上等や」
腰を軽く落とし、ハルバードを後ろに振りかざす。
「――往生せいや、腐れ外道がッ!」
地面を蹴り、ハルバードを大上段から、ドルフの頭上目掛けて振り下ろす。
当たれば人間など一発で潰してしまえる重量武器の一撃は、空を切り地面の石畳を砕き、衝撃が砂埃を舞い上げる。
緩い動きでハルバードを躱したドルフは、魔力の残滓を散らしレイピアを振るう。
正確に喉元を突く一撃を、テイタニアは柄で弾き、右手一本の力でハルバードを横薙ぎに打つ。深く踏み込んだドルフは回避しようと後ろに下がるが、リーチの外まで退避しきれず仕方なしにレイピアを横に構える。
「無駄や」
空気を裂く一撃が、レイピアをあっさりと弾き、鉄製の柄がドルフの脇腹に突き刺さる。
肉を押し込み、内臓を潰す感覚が右手に伝わり、ドルフの身体が真横にひしゃげると、勢いよく吹っ飛ばされていった。
力無くゴロゴロと地面を転がり、壁にぶつかって制止する。
弾かれたレイピアの刃部分が、ガックリと首を落とす彼の前に突き刺さった。
ハルバードを振り抜いた態勢で、鼻から息を抜き、倒れたドルフを睨み付けた。
止めることも出来ず、その光景を見ていたロザリンは息を飲み、テイタニアに非難するような視線を向けた。
「何も、殺さなくって」
「これはうちらの問題や。他人に口出しされとうない……堪忍な、ロザリン」
突っぱねるが、表情には申し訳なさそうな色も伺えた。
「言い訳するつもりは無いけど、この男はそれだけの行為をしたんや。許す訳にはいかへん」
そう言って構えを解くと、倒れるドルフの元へと歩み寄る。
ピクリとも動かないが、あの程度で死んだとも思えない。
近寄りながら、トドメを刺す為にハルバードの先端を向ける。
止めるべきか迷うロザリン。しかし、彼女の意識は、別の気配を捕えた。
「……ッ!? テイタニア! その人!?」
「なんや? 死んだふりして、反撃のチャンスでも狙っとるってか? だったら望むところ……」
「違う!」
間合いに入り先端を向けたまま、ハルバードを振り上げるテイタニアは、不敵な笑みを浮かべるが、ロザリンは慌てて首を振る。
指を差すのは、突き刺さったレイピアだ。
「魔力の源は、あの剣。あの剣、生きてる!」
「――なんやって!?」
テイタニアが視線を向けた途端、黒い魔力の放出に包まれたレイピアは、勝手に突き刺さった地面から抜けると浮遊して、斬りかかってくる。
躱すのは難しく無い緩い一撃だが、驚いたテイタニアは動作が遅れ、頬を軽く裂かれた。
後ろに下がったテイタニアは舌打ちをし、親指で頬の傷をなぞる。
魔力を纏って浮遊するレイピアは、倒れたドルフの上にまでくると、そのまま背中から胸までを刃で貫いた。
「――なに!?」
驚くテイタニア。
血が流れ、ドルフが身体を僅かに弛緩させる光景に、ロザリンは顔を背けた。
貫いた傷口から急速に魔力を吸い上げ、ドルフの身体は見る間に痩せ細っていき、最後には髪の毛まで真っ白に染まった、干からびたミイラのような姿へと変貌した。
もう、生きてはいないだろう。
事情は知らないが、こうなってしまっては哀れと、テイタニアは僅かに顔を顰める。
「なるほどな。アンタ、最初から剣精ネクロノムスやったわけか」
テイタニアの問いかけに、奇妙な音が声となって周囲に響く。
『ククッ。半分、正解だテイタニア』
「半分? どういう意味や」
『我は剣の精霊ネクロノムス……の、分霊だ』
「分霊? なんやそれ」
聞き慣れない言葉に、テイタニアは眉根を寄せる。
「高い魔力を持つ精霊は、その一部を切り離して、同種の、精霊を生み出すことが、出来る。昔、お婆ちゃんに、聞いた覚えがある」
ロザリンの解説に、テイタニアは大きく頷いた。
「つまり、コイツは偽物ってわけやな……アンタ。本物のネクロノムスは何処や?」
『それは教えることは出来ん。貴様の存在は、我がオリジナルを危険に晒す可能性がある』
「なんでや! うちはレイナの友達やねんで!」
『以前の所有者のことは関係無い。我は、剣精の存在意義は、只一つの為にある』
「それが何だって言うねん。ゆうてみいやッ!」
苛立ちから怒鳴る声に呼応するよう、ドルフの魔力を吸い尽くしたレイピアは、ペキペキと音を立てて刀身を折り曲げる。すると、割れた部分から新たな金属が突き出るよう増幅を繰り返し、二回りは大きい分厚い刃へと変貌する。
柄の部分も長く伸び不気味に膨れ上がると、そこから蜘蛛の足のようなモノが、六本ほど伸びて地面に付き、その身体を支えた。
一本のレイピアは、不気味な化物へと変えた。
精霊と呼ぶには蟲のようなフォルムが、見る者に不気味さと不快感を与える。
『我は剣精ネクロノムスの分霊。その存在意義は唯一無二。一振りの武器として、敵を打ち払う。それ以外の意味など無用よ!』
六本の足で地面を飛び跳ね、鋭く太い刃でテイタニアを襲う。
「――クッ、早い!?」
咄嗟に弾くが、周囲をピョンピョンと飛び跳ねながら、連続で斬りかかってくるネクロノムス分霊の素早さに、重いハルバードでは追い切れない。
更には高い跳躍力が、重量武器による攻撃力を軽減してしまう。
人間相手や巨大は相手なら、持ち前のパワーで押し切れるのだが、こういう速さで掻き乱すタイプはテイタニアの苦手とする相手だ。
「ちまちまちまちま、面倒臭いやっちゃ!」
切り払い、ハルバードを頭上で旋回させる。
「そのほそっこい刀身、うちの全力でぶち壊したるわッ!」
ネクロノムス分霊の動きに狙いを定める。が、テイタニアの動きを察知したネクロノムス分霊は、正面から攻めず、横っ飛びに跳躍した。
「――何やて!?」
『言った筈だ。我が存在意義は、武器として戦うこと。その対象はテイタニア、貴様だけでは無い』
鋭い刃を向けた先にいたのは、驚きに止まるロザリンだった。
地面を這うように飛ぶネクロノムス分霊を追うように、テイタニアは慌てて身体を向けるが間に合わない。
血を求める刃がロザリンを映し出した瞬間、その姿を人影が覆い隠す。
『――ッ!?』
驚くように、ネクロノムスは耳触りな雑音を撒き散らすけれど、止まらず鋭い人影もろともロザリンを貫こうと突き進む。
次の瞬間、刃は影を刺し貫く事無く、バラバラに砕け散る。
闇夜に煌めく、片刃の剣が、銀色の残光を残しネクロノムス分霊を分割した。
一瞬の出来事。自慢の跳躍力で、斬撃を殺す間もなかった。
『が……ぎぎ、ぎ、ご……がが』
雑音を撒き散らし、ネクロノムス分霊は地に落ちると、魂が抜け落ちるように纏う魔力が分散し、ただの瓦礫へと姿を変えた。後に残ったのは、無惨にも砕け散った、一振りのレイピアだけだった。
剣精は実態を持たない、武器に宿る精霊であり武器そのものでもある。
つまり、本体でもあるレイピアを破壊さ、ネクロノムス分霊は、完全に消滅した。
そんなことより、ロザリンは信じられないといった感じで、大きく赤い瞳を見開いていた。
彼女の正面に立つのは、見慣れたコートの後ろ姿。
右手に持つ片刃の剣は、貧乏臭い風貌に不釣り合いな装飾が施されている。
彼は顔をこちらに向け、普段と変わらない笑みを向けた。
「よう、ロザリン。天下無敵の野良犬騎士、ただいまご帰還だぜ」




