第68話 もう一人の野良犬騎士・前編
部屋に飛び込んで来たのは、血塗れの実兄だった。
「――兄さん!?」
妹は口元を押さえて驚くと、慌てて膝を床に突いて倒れる兄の元へ駆け寄った。
人目を避け、暗がりの部屋へ呼び出されて何事かと思っていた妹は、目の前で起こった衝撃的光景に、どうしてよいかわからず、わたわたと血を流し荒い息遣いの兄を、自分が汚れるのも構わず抱き留めた。
「い、今、医者を……!?」
「クッ、待て。待ってくれ」
助けを呼ぼうと立ち上がる妹の腕を、兄は掴み無理やりその場に止めた。
「兄さん。でも……」
「時間が無い。聞いてくれ……この部屋の、ベッドの下。抜け道がある……そこからなら、誰にも見られず外に出れる筈だ」
懇願する兄の姿に、妹は戸惑って「し、しかし」と口籠る。
兄は目を見開き、妹の両肩を掴み揺らした。
「急ぐんだ! 奴らは、お前を狙っている。父母も、兄弟達も捕まった……だが、お前だけは必ず守る。だから……!? ゲホッ!?」
言葉の途中で、急に咳き込む。
激しい咳きに混じり、赤い血が押さえる手を汚した。
それを無理やり押し殺し、今にも泣きそうな表情をしている妹に、兄は安心させるよう笑顔を見せた。
「俺の、自慢の妹。血縁や、家の事情など関係無い……愛する家族を助けるのは当然のことじゃないか」
「にい、さん」
「行け。そして、その名を忘れて幸せに暮らすんだ」
「で、でも……!」
「行けッ!」
大声が空気を震わせる。
妹は唇を真っ直ぐにキュッと結び、頷くと、ベッドの下へと潜り込んで行った。
愛する妹の姿を見送り、兄は安堵の表情と共に崩れ落ちた。
これで良いと、静かに瞳を閉じる。
ただ、一つだけ心配事があるとすれば、心優しい妹のこと。安らかな暮らしを捨て、あえて修羅の道を歩むかもしれない。
消えゆく意識の中、それだけがとても心配だった。
★☆★☆★☆
これは王都クロスフィールで、小さな魔女と野良犬騎士が出会うより一年半前、冬の季節に起きた出来事である。
エンフィール王国を北へ、アザム山脈を越えた場所に、かつてエクシュリオール帝国と呼ばれた国家が存在した。
現在は政治体制を大きく変え、ラス共和国と呼ばれている。
凍土の影響で非常に寒冷な土地であり、夏の期間が短い。山岳地帯も多くあり、鉱物資源は豊富に取れるのだが、気候の所為で農作物が育ちにくく、より豊かな土地を求め古くから侵略戦争を度々繰り返していた。
しかし、先の戦争で帝政は崩壊。共和制となってからは、戦争以外の方法で国家を豊かにしようと、平和的な繁栄を模索していた。
表向きは。
平和的国家を謳いながら、未だ帝国時代と変わらぬ強力な軍隊を要する共和国を、近隣諸国はいずれまた隠した牙を剥くのでは? と戦々恐々としていた。
もっとも、これは国家間の話であって、市井の人間には何の関係も無い話。
帝政から共和制に移行しても、さほど変わらない暮らしをする人々は、ただ平和な時が続けばと願うだけであった。
共和国の首都。その下町に暮らすハイネス・イシュタールも、その一人だ。
★☆★☆★☆
リズミカルに自宅玄関の戸を、何度もノックする音が響く。
かれこれ、小一時間は続いているだろう。
「……もう。何だっていうのよ」
ベッドの中で毛布に包まり、居留守を決め込んでいたハイネスは、流石に我慢できなくなってきて、ぴょこんと不機嫌な顔を覗かせた。
窓から差し込む陽光から、今は昼間なのがわかる。
ベッドの周りには空の酒瓶が大量に転がっている。昨夜は特別寒かったので、アルコール度数の強い酒を、しこたま飲んで暖を取ろうとしたのだが、温まった代わりに二日酔いからくる頭痛で死にそうだった。
「うう~っ」
ベッドの上で呻り声を上げ、ゴロゴロと転がっている間にも、ノックは続いている。
仕方が無い。
大きく息を吸い込み気合を入れると、勢いよくベッドから飛び出た。
下着姿のたわわな胸が、たぷんと揺れる。
露わになった肌から、一気に熱が奪われていくが、気合でそれに耐え抜く。
「う~。寒い寒い!」
流石にこの恰好で出迎えると痴女なので、ソファーの置いてあった厚手のコートを羽織る。そして一応の身嗜みとして、ブラシで長い黒髪を梳いた。
「よし」
手鏡で寝癖が無いか確認する。
真っ直ぐ整えられた前髪に、左目の下にある泣き黒子。二十代前半の美女が、鏡の中で微笑んでいた。
今日も変わらず、セクシー&ダイナマイトだ。
身嗜みを整えて、玄関の方へと向かう。
「はいはい。新聞だったら間に合って……」
ドアを開きながら、とっとと追い払おう発した言葉が、途中で止まった。
家の前に立っていたのは、十四歳ほどの少女。
ハイネスが長身であることを差し引いても小柄で、透き通るようなプラチナブロンドの髪の毛は、周囲の雪の反射に照らされてキラキラと光っていた。
大きなパッチリとした瞳は力強く魅力的で、見つめているだけで吸い込まれそうになる。
妖精のような少女の美しさに、同性のハイネスは目を奪われ、言葉を失った。
「君が、ハイネス・イシュタールだな?」
少女らしい甲高い声色。けれど、何処か高貴な威厳に満ちていた。
思わずハイネスは息を飲む。
雰囲気でわかる。彼女は、皇族に連なる者だ。
「そうだけど……貴女は?」
問うと、失念していたように「おっと」と声を上げ、凛とした態度で一礼する。
「まずは自ら名乗るのが礼儀であったな。私はアカシャ。アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールだ」
「ツァーリって、皇族の本家筋の家系じゃないっ!?」
ハイネスは驚くと同時に視線を険しくして、アカシャと名乗った少女の腕を掴み、室内へと引っ張り込む。
きょとんと眼をパチクリさせるアカシャを無視し、勢いよくドアを閉めた。
「ど、どうした? 寒かったのか?」
「ええ、寒いわね。貴女が本物にしろ偽物にしろ、ツァーリを名乗る者と一緒にいるなんて御上に知れたら、あたしゃ投獄されて人生が凍りついてしまうわ」
全く理解していない顔のアカシャに、ボヤキながら溜息を吐いた。
先の戦争で共和国の前身、エクシュリオール帝国は一部将校達の反乱により、数百年にも渡り政治を取り仕切っていた皇帝から政権を奪還。共和制へ以降すると同時に、皇族は直系と一部の家系を残し、皇族としての地位と特権階級を剥奪された。
残された皇帝一族も、軟禁され共和国議会の監視下に置かれた。
彼らの戦犯として処刑しなかったのは、仮にも何百年もの間、国家の象徴であり続け存在。蔑ろに扱うことは、国内からの反発を招き、内乱が勃発する可能性を恐れた故だ。
権力を失っても、未だ強い影響力を残す皇帝一族。
本来ならこんな小娘であっても、ツァーリを名乗る以上、たった一人で行動することはあり得ない。
皇族を語った詐欺だとしても、この国では殺人よりも重い罪だ。
「……面倒なことしか想像できないわ」
アカシャを家に招き入れ、ハイネスはため息を吐く。
真偽を確かめる必要はあるだろうが、ハイネスの勘は彼女が本物の皇女であると告げている。
何気ない仕草の内に垣間見える優雅さは、一朝一夕で身に付くモノでは無い。
何よりも襟についている襟章。微量の魔力を感じさせる赤い宝石は、記憶が確かなら、皇族にしかつけることが許されない代物。
よく、そんなモノをつけたままで、無事こんな場所まで来られたモノだ。
「とにかく、適当なところに座って」
「うん。わかった」
アカシャはキョロキョロと室内を見回し、ソファーの上へと腰を下した。
どうしたモノかと頭を掻いて、ハイネスはとりあえず、水の入ったケトルを沸かす為に、魔法陣の描かれた布の真ん中に置く。
「……それは?」
「熱の簡易術式。薪ストーブの火を起こすのが面倒な時は、これを使うの。料理には使えないけど、お湯を沸かすのは簡単で便利なのよ」
言いながら、ベッドの側に脱ぎ散らかしてある服に手を伸ばす。何時までも下着にコート一枚では、ただの痴女だ。
コートを脱ぐと背後から「うわぁ」と、感嘆の声が聞こえた。
「……ふふん」
自堕落な生活をしていても、プロポーションには気を配っていたので、少しばかり自信があった。
白いシャツにネクタイを締め、その上に黒いジャケットを羽織る。そして、寒い時期の多い地域なのに、短パンに両足を通す。ロングブーツを履くとはいっても、太ももは丸出しなので寒いんじゃないかなぁ、という視線を背後から感じたが、それは黙殺する。
良い女のオシャレとは、やせ我慢と隣り合わせなのだ。
着替えが終わる頃にはケルトの差し口から湯気が立ち、あっという間に湯が沸いた。
戸棚からカップを二つ取り出し、ココアパウダーを入れる。
「砂糖は?」
「えっと、多めで」
「オッケー」
二つのカップに、スプーンで砂糖を多めに入れた。
そこに沸いたばかりの熱湯を注げば、甘くて温まるココアの出来上がりだ。
「ほい」
「ありがとう……温かいな」
カップから伝わる熱に、アカシャの表情が綻ぶ。
久しぶりに日が出ているといっても、外は一昨日に振った雪がまだ残っているのだから、寒くて当然だ。
美少女が微笑んでいるのは、実に素晴らしい。
同性愛の趣味はハイネスには無い筈なのだが、ずば抜けた美少女であるアカシャを見ていると、何だか腹の奥がこうムズムズとした。
「おっと、いかんいかん」
未成年の美少女相手に、疾しい妄想をしている場合では無い。
ハイネスは正面に座ると、ココアの注がれたカップを置いた。
「それで、お嬢さんはハイネスさんに何用なのかしら?」
問われて、アカシャは真面目な表情を作ると、同じようにカップを置く。
「ハイネスが察した通り、私は前エクシュリオール皇帝の三女に当たる皇女だ。回りくどい言い方は得意では無いので、単刀直入に言わせて頂く。我が専属の騎士になって頂けないだろうか?」
「……騎士、ねぇ」
拍子抜けした態度で、ハイネスは足を組む。
「世が世なら、皇族直属の騎士に任命されるのは、栄誉あることなのだろうけど、今は時代が違うわ。皇族と言っても形式だけのモノで、専属の騎士を持つなんてもっての外。それどころか、こうして出歩いているのを見つかれば、国賊になってもおかしくは無いわね」
笑うでも怒るでも無く、クールな対応を見せる。
人によっては馬鹿にしているとも取れる態度を前にしても、アカシャは感情を高ぶらせることなく、平静な表情で軽く目を瞑り、うむと一回頷いた。
世間知らずなのか、懐が広いのか。微妙な反応だ。
「ならばハイネスよ。その栄誉、取り戻せると言ったら?」
「……回りくどい言い回しは、苦手だったんじゃないの?」
「そうだったな」
アカシャは苦笑した。
そして、真面目な表情で真っ直ぐハイネスを見る。
「私はエクシュリオール帝国を復活させようとしている。と、言ったら、ハイネスは笑うだろうか」
至って真面目な口調で問われた。
ハイネスは笑わず、僅かに眉根を顰める。
「ま、正気か? とは聞くわね」
「そうか」
真正面から否定されなかったことに、アカシャは安堵の息を吐く。
馬鹿げているとは思うものの、実際にあり得ない話では無いとハイネスは考えていた。
この国は革命の名の元に、帝政から共和制に移行した。しかし、民の総意でその革命が成されたわけでは無い。
そうでなければ、とっくの昔に皇族は皆殺しにされている。
議論ばかりで中々進展しない評議会には、批判的な意見もあり、帝国時代を懐かしむ声も少なくない。不正役人が蔓延る地方などでは、レジスタンス紛いの地下組織まで存在すると聞く。
戦争のドサクサで作られた継ぎ接ぎだらけの共和国。
今は何とか機能していても、その綻びからいずれは崩壊する日がくるかもしれない。
だが、まだその時期は早すぎる。
「そりゃ、子供の頃は皆がかしずく皇女様だったんだから、今の御飾な生活に嫌気が刺すのは理解出来るけれど、そこで短気を起こしてクーデター何か起こされた日には、一般市民であるあたし達は、堪ったモンじゃないわね。おわかり?」
小馬鹿にするような態度にも、アカシャは毅然とした態度を示す。
「確かに、私は小娘だ。そう見られても仕方が無い。だが、何も我が身可愛さで帝国復権を語っているわけでは無い……いや。最悪、一つの目的さえ遂げられれば、私はそれで構わないんだ」
「目的?」
決意の籠った瞳で、アカシャは頷く。
「ラス共和国陸軍将校ミシェル・アルフマン。私は彼を、討つ」
その一言に、ハイネスの視線が険しくなる。
ミシェル・アルフマン。
元々は地方で官僚をしていた男だが、軍に入隊してからはその頭角をメキメキと現し、先の戦争では北方戦線と呼ばれる激戦区で、エンフィール王国の強襲を防ぎ切り、逆に壊滅させた戦術の天才だ。
革命後はその手腕を買われ、陸軍将校として辣腕を振るっている。
一兵卒からの成り上がり将校と揶揄する人間もいるが、その実力は本物。市民の間でも英雄としてもてはやされ、昨今では大統領選に出るのでは? と噂されている。
だが、アカシャが彼を狙う理由はわからない。
「革命を主導した連中ならともかく、その英雄様を皇女殿下が狙う理由は何なのかしら?」
「いや、革命の首謀者こそ彼奴、ミシェル・アルフマンなのだ」
「……ふむ」
話がキナ臭くなってきて。ハイネスは足を組み替える。
「先日、長男である兄が殺された」
「――ッ!? なんですって!?」
そんな話は聞き覚えが無いと、驚きに目を見開く。
仮にも皇帝の長男が死亡したとなれば、新聞の号外が配られてもおかしくはない大事件なのに。
「この件は近々、公式に発表がある……事故死として。そしてその一覧には私、アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールの名もあるだろう」
それが事実なら、目の前の少女は死んでいることになる。
公式発表されるのなら、生きていることは不都合だろう。
何よりも気になるのは、そのような状況に陥った理由だ。
仮にアルフマンが野心家だとしても、このタイミングで皇族を殺すメリットがあるとは思えない。
思案するハイネスは、一つの可能性に辿り着く。
「君のお兄様が、ミシェル・アルフマンが革命の首謀者だと知ってしまった?」
アカシャは頷く。
「察しが早くて助かる。付け加えるのなら、アルフマンが狙っていたのはどうやら私。兄は私を守る為に……」
言いながら、辛そうに俯いてしまう。
なるほどと、ハイネスは理解した。
「敵討ち、か」
「……違う」
首を左右に振って否定する。
「革命が起こったのは、我ら皇族の力が至らなかったから。それは認めよう。民が共和制を求めるのなら、それは時代の流れとしていた仕方が無い。だが、その全てがアルフマンの野望の中にあるのなら、私は黙っていることなんて出来ない。命を懸けて私を守った、兄がそうであったように」
膝に乗せた手を、硬く握りしめる。
ハイネスは死んだアカシャの兄が、どんな人物かは知らない。だが、血で血を洗うお家騒動が常の皇族の中にあって、命を捨てて家族を守る人物なら、アカシャにとっても大切な兄だったのだろう。
確かにスキャンダラスな事件も無い、軍人としては清廉潔白すぎるアルフマンは、何処か胡散臭いと常々思っていた。
一般人のヤッカミと思われれば、それまでだが。
「ミシェル・アルフマンは何か野望を秘めている。私は、それを阻止したい」
「なるほど、ね……で?」
「で、とは?」
「その野望ってのは、何なの?」
暫しの沈黙。
困り顔でアカシャは、首を横に傾けた。
「……さぁ?」
ズルッと、ハイネスの身体がソファーからずり落ちた。
「あ、あのねぇ。それがわからなきゃ、阻止しようが無いでしょうが」
人には多かれ少なかれ野望はある。
次期大統領候補と目されるアルフマンなら、野望の規模は凡人を遥かの超えたモノとなるだろう。その規模が大きければ大きいほど、良きにしろ悪しきにしろ、人の営みに影響を及ぼす。だが、それを全て否定していては、政など立ち行かなくなる。
国と地位を奪われたこと、そして兄を殺されたことは不幸だ。
しかし、それを差し引いてもアルフマンを討つことに、皇族の正当性が確立されたわけでは無い。
アルフマンの野心が、この国に不幸をもたらすとは、決まったわけでは無いのだから。
「け、けれど! アルフマンは私の兄を殺し、今も私を付け狙っている。人の死の上に成り立つ平和なんて……」
「あるわよ」
ハイネスはキッパリ言い切る。
「少なくとも帝国の繁栄と平和は、沢山の骸の上に築かれていたの。戦争という行為によって、敵も味方も含めてね。それを忘れて今の発言をしてるんなら、少し頭が茹で上がってるんじゃないかしら、皇女様?」
「……ッ」
厳しい言葉を浴びせられ、アカシャはグッと唇を噛み締める。
反論出来ないことが悔しいのでは無い。安っぽい正義感で言葉を飾ってしまった自分を、心底恥じているのだ。
夢想家っぽいところはあるが、聡明で頭の良い人物には違いないようだ。
「喧嘩するにはデカすぎる相手よ。止めておきなさい」
真剣な言葉で止められ、アカシャはシュンと肩を落とす。
その姿が何とも悲しげで、何だか弱い者虐めをしているような気がしてきた。
「とは言っても、貴女が狙われているのは、事実らしいのよねぇ」
嘆息しながら、困り顔の頬に手を添える。
アカシャが語った言葉が全て真実だと仮定して、アルフマンがアカシャを狙っている以上、このまま送り返すのはちょっと気が引ける。
正義感というわけでは無い。
僅かでも彼女と接触を持ってしまった以上、アルフマンに消される可能性もある。
「っていうか、何であたしのところに来たのよ?」
当然の疑問を口にする。
ハイネスとアカシャは当然初対面だし、彼女の兄とも面識は無い。
だとしたらアカシャは、何処からハイネスのことを聞いたのだろうか?
「ロックスターから聞いた。困ったことがあったら、彼女を頼るようにと」
「――ゲッ! あのチャラ男、何で皇族と繋がってんのよ」
思い出したくも無い男の名前に、ハイネスは顔を顰めた。
「褒めていたぞ。頼りになる女傑だと」
「う、嬉しくねぇ……女の子に対して、女傑って褒め言葉じゃねぇわよ」
頭を抱えるハイネスに対して、アカシャのテンションは高くなる。
身を乗り出し、聞かされたことを嬉々として語る。
「ハイネスは先の戦争で、あの英雄シリウス・M・アーレンと引き分けたほどの英傑なのだろう?」
「ま、まぁね」
「戦後も共和国の騎士団に残れば、竜の称号も得られたと言うのに……何故、騎士を止めてしまったのだ?」
素朴な疑問を投げかけられ、ハイネスは笑みを消して黙り込む。
「……ハイネス?」
「負けたのよ。ある男に、完膚なきまでにね」
意外な言葉に、アカシャはビックリ仰天する。
「なんだって!? エンフィールには、最強と謳われる英雄シリウスをも超える騎士が存在すると言うのか!?」
「……ごめん」
興奮気味のアカシャを制するように、表情を消してハイネスは顔を背ける。
「その話はもう止めて」
「……すまぬ」
フランクな雰囲気があったハイネスの意外な態度に、困惑を見せながらも、迂闊な発言をしてしまった自分をまた恥じる。
気まずさから二人は、カップのココアを啜る。
熱湯を注いだ筈のココアは、少し冷めていた。
「……ふぅ」
どうしたモノかと、ハイネスは息を付く。
チラリと、落ち込んだ様子でココアに口を付けるアカシャを見る。
皇族関係の仕事なんて、今時厄介事以外の何物でも無い。金銭的に困窮しているならともかく、生憎とハイネスは自堕落に暮らせるだけの蓄えがある。もっとも、今のアカシャの様子から、大金を払えるようには思えないのだが。
関わらないのが吉。考えるまでも無い。
とは言え、このまま放りだせないのもまた事実だ。
「……面倒なことになったわねぇ」
思案しながら、カップのココアをグッと飲み干す。
二日酔いの頭では上手く考えが纏まらず、少しでも脳を働かせる為に糖分を補給しようと、空になったカップを持って立ち上がった瞬間、突然窓が叩き割られて、マスクを被った戦闘服の人間達が飛び込んで来た。
同時に、玄関のドアも破られ、同じ格好の人物達が入口を塞ぐ。
あの服装、仕様はちょっと違うが、軍部の戦闘服だ。
「――ちょッ!?」
家の窓がッ! と言う叫びを遮るように、窓から飛び込んで来た三人の男達は、我が物顔で室内を駆け、腰のショートソードを抜く。
二人がアカシャの方へ、もう一人がハイネスへと刃を向ける。
「――シッ!」
鋭い輝きを放つ刃が舞い、ハイネスはスウェーバックでそれを回避する。
狭い室内では何時までも避けきれない。
刃が目の前を通り過ぎた隙を狙い、マスクを被った顔面にカップを投げつけた。
「――グッ!?」
陶器のカップが砕け散り、衝撃に男はよろけ後ろに下がる。
「――ハイネス!」
視線を向けると、二人の男に抱えられたアカシャが、小柄な身体をジタバタと暴れさせながら、今まさに攫われようとしていた。
「待ちなさい!」
叫び踏み出そうとするが、刃の一撃がそれを押し止める。
「行かせん」
「チッ、邪魔すんなッ」
斬りかかってきた男の手首を掌底で弾き、数歩後ろに下がって距離を測ると、素早く左足を蹴り抜き握るショートソードを飛ばす。
その足を下さず、胸を蹴る。
「グハッ!? ……おのれッ」
よろけるがすぐに態勢を立て直し、素手になった男は両拳を握り、ステップを踏んで殴りかかってくる。
慌てず冷静にワンツーのリズムで打ち出される拳を捌き、懐に引き込むと真下から突き上げた掌底を、今度は顎に叩き込む。
僅かに顎を上げた為か、感触が軽く意識を刈り取れなかった。
「この動き。貴様、素人では無いなッ」
「まぁね」
繰り出してきたハイキックをしゃがんで躱し、軸足を蹴って男を転ばせる。
男は後ろに一回転して追撃に備えガードを固めるが、ハイネスは正面から突っ込まず横に飛びテーブルを踏み台にして、がら空きになった男の側頭部に、勢いを乗せた膝蹴りを叩き込んだ。
真横からの攻撃は想定外でまともに喰らった男は、転がりながら酒瓶の山に突っ込み、砕けたガラス片に塗れた沈黙した。
「……あの娘は!?」
玄関を振り向くが、既にそこにはアカシャ達の姿は無かった。
ハイネスは舌打ちを鳴らしコートを素早く羽織ると、ベッドの側に置いてあったベルトに繋がれた双剣を取り、ズボンに装着しながら外へと飛び出して行った。
冷気を纏った寒風が肌を刺し、吐き出す息が白く染まる。
ここは人通りの少ない下町の外れ。
昨夜降り積もった雪を踏み荒らした足跡が、市街地の方へ伸びていた。
途中から足跡は、車輪の轍に変わっている。恐らく馬車か何かに連れ込んだ、計画的な誘拐なのだろう。
「ああ、もう! 面倒なことになったわね!」
頭を乱暴に掻き、ハイネスは足跡を追って走り出す。
問答無用で襲い掛かってくるような連中に、攫われたアカシャを放って置くのは気が引ける。何より、人の家を滅茶苦茶にしていった連中に、一発お見舞いしてやらなければ、ハイネスの気が済まなかった。
お待たせしました。第二部開始です。
第一部に引き続き、よろしくお願いします。




