第65話 初恋は焔に消ゆる
現れたミュウは無惨な姿で、何時も通り背を丸め、通りの真ん中に立っていた。
全身はびしょ濡れ。傷口は再生が追いつかないのか、結晶化して固まっている。
とてもじゃないが、人と呼ぶには憚られるおどろおどろしい風貌に、ボルドの背後で誰かが喉を鳴らした。
敏感にその音を聞き分け、ミュウは不機嫌そうな視線をギロッと向けると、得体の知れない恐怖を感じてか、部下達の間に小さく悲鳴が漏れ、その反応に対してまた、ミュウは舌打ちを鳴らす。
「あまり僕の部下を脅かさないで貰いたいな。貴様の姿は少しばかり、普通の人間には刺激的だ」
「……あっそ」
馬鹿にするような口調にも、ミュウは興味を示さず短く返答した。
様子がおかしいと、ボルドは眉根を寄せた。
普段のミュウから想像するに、ここまでボロボロにやられれば、癇癪を起して周囲に当たり散らす筈。けれど、顔こそ多少の不機嫌さを滲ませているものの、通常時よりずっと落ち着いた雰囲気を全身に纏っていた。
見た目こそ異形だが、今までの刺々しさが薄まっている。
だからこそ、ミュウの場合は余計に恐ろしいのだが。
「……結晶体との同化が進行しすぎて、おかしくなったか?」
ミュウに聞こえないよう、怪訝な声で呟く。
色々と思案するが、まぁいいとボルドは思考と訝しげな表情を打消し、一転してにこやかな笑みをミュウに向けた。
そしてさり気なく手を腰の後ろに回し、控える部下達にサインを送る。
「いいさ、ミュウ。ここは妹の無事を祝うところさ。君が生きていて、僕は嬉しいよ」
「……はん。心にも無いことを」
シラケた反応を見せるミュウに、ボルドは大仰に驚いて見せた。
「とんでもない! 腹違いの兄妹でも、僕らは家族じゃないか!」
一歩踏み出しながら、ボルドは握手を求めるよう右手を差し出す。
訝しげなミュウの視線が、右手に落とされた。
ボルドが唇に笑みを浮かべた瞬間、後ろに控えていた部下達が二つに割れ、隠れるようにして密かに矢を装填していた男達が、一斉にボウガンの引き金を引く。
風切り音と共に飛ぶ矢。
ミュウは視線を矢に向けるが、予想済みだったのか驚く様子も無ければ、飛んでくるそれを避ける素振りも見せない。
吸い込まれるよう、数本の矢がミュウの身体を貫いた。
肉を裂く音と結晶が割れる音が響き、貫かれた傷口はから僅かに出血するが、瞬く間に結晶化してしまう。
鈍い反応に、 ボウガンを放った男達は戸惑いを見せた。
ミュウはハンと、何事も無かったかのよう顎を上げて鼻で一笑する。
「狡い男ね、相変わらず。騙し討ちを仕掛けなきゃ、喧嘩も売れないなんて」
「これが賢いやり方なのさミュウ。貴様のように、本物の化物に成り下がった愚妹に言っても、仕方のないことかもしれないがね」
「ほぉら、本音が出た。兄妹、家族が笑わせるわ」
ケタケタと笑うミュウに対して、ボルドは眉間に指を添えて、わかっていないと否定するよう首を左右に振る。
「そんな言われ方は心外の極みだ。僕とて実の妹を始末するのは気が引ける……だが、この様子はどうだ? 僕がこの場に待たせていた部下達はここにおらず、いるのは貴様だけ……狂犬の貴様がどんな所業に及んだかなど、問い詰めるまでも無いだろう」
ボルドはミュウが、ここで待機していた部下達を殺したと思っている。
彼女の今までの行動を顧みれば、疑って当然ではあるし、疑いを掛けられてもミュウは薄ら笑いを浮かべるだけで、否定の言葉一つ発さない。
代わりに、心底馬鹿にしたような含み笑いを漏らした。
それが癇に障ったのか、ボルドは表情を怒りに歪める。
「……貴様。何がおかしいッ?」
問い詰めるボルドに、ニヤニヤと笑みを噛み殺しながら、ミュウはベロンとからかうよう赤い舌を出す。
「血は争えないわね。アンタのような屑でも、部下は大切みたいで驚いちゃったわ」
「人財育成は、僕の趣味だからな。金と手間を掛けているんだ。簡単に壊されてしまっては、腹が立つのも当然だろう」
ケケッと、ミュウは笑う。
「理解出来ないわね。でも、勘違いしているわ」
「勘違い?」
眉根を顰めるボルドの視線を導くよう、ミュウはゆっくりと船着き場に停泊してある船の一つを指差した。
「……?」
視線を向けたちょうどその瞬間、ボルドの乗る筈だった船は、真ん中から真っ二つに切断された。
ボルドは絶句する。
水柱を上げ、前方と後方が大きく跳ね上がりながら、真ん中から綺麗に切断された船は浮力を無くして、見る間に大河の底へと引き摺りこまれていった。
沈没する残骸から、闇夜に浮かぶよう跳躍する影。
船を斬った張本人が、もう一つの船へと飛び移ったのだ。
言葉も無く絶句するボルドを見て、ミュウはより一層楽しげに表情を歪ませた。
「残念だったわねぇ。アンタの部下を潰したのは、私じゃないわ。あの二人よ!」
視線を凝らすと船上に、慌てて飛び出してきたボルドの部下達の姿が確認出来た。
その真ん中、囲まれるように武器を構えるのは、二人の見覚えのある女性だった。
★☆★☆★☆
船上に立つのは、二人の美女。
ラヴィアンローズとフェイだ。
彼女達は背中合わせに武器を構え、沈む船を横目に大太刀と蛮刀を構えている。
左腕を包帯で吊り、治療の後が痛々しいフェイは、大河の藻屑となって消える船を見て、呆れたように嘆息する。
「随分と派手にやったな。こんな夜更けに、元気なことだ」
「昼間は活躍し損ねてしまいましたからね。欲求不満なんです」
「げ、下品なっ……」
妙に艶やかな声色に、フェイは頬を赤らめた。
「そういう貴女は、随分とボロ雑巾じゃありません? あまり無理をすると、ただでさえ栄養の足りない胸部が、ますます薄くなってしまいますわよ?」
たゆん、とこれ見よがしに自分の胸を揺らす。
「う、うるさいっ!」
否定してから、少し表情に影を落とす。
「……私はシド様を、天楼を裏切ってしまった身。せめてその幕引きくらいには身体を張らねば……押し付けてしまった、アイツに合わせる顔が無い」
「暗い考えですわね……素直に惚れた弱み、とでも言えばよろしいのに」
「ふん。貴様に言われたくないな」
言いながら、二人は武器をカチャっと鳴らした。
特に示し合わせたわけでは無いが、二人が考えたことは同じだったらしい。
二人はそれほど深くボルドと接していたわけでは無いが、特徴的すぎる彼の人となりは理解しているつもり。なので、天楼が不利に傾いた現状に置いて、ボルドは一連の事件から手を引き、逃亡を図ることは容易く予想出来た。
さすがに脱出ルートの手がかりは無かったので、片っ端から船着き場を探すつもりだったが、無理を押してラサラ邸を出る時、待ち構えていたルン=シュオンによって、逃亡計画とルートを告げられた。
まるで、この状況を予期していたかのような、用意周到さだ。
ある意味では、ルン=シュオンはボルド以上に気の許せない人物。フェイは素直に、彼女が敵で無かったことに感謝をした。もっとも、ルン=シュオンの目的が何で、何故自分達を手助けしてくれるかは、知る由もなかったが。
一方のラヴィアンローズは、フェイが船着き場に辿り着いた時には、もう既に武器を振り回し待ち構えていた。
何故ここがと問いかけるフェイの質問に対して、曰く、
「乙女の勘、ですわ」
と軽快な口調で答えた。
彼女もまた、フェイの理解の範疇外にいる人物だ。
取り囲む天楼……いや、ボルドの私兵達の瞳は青く輝いている。
先制してラヴィアンローズが船を一隻沈めているので、数は大分減らせたが、二人で相手するにはまだかなり多いだろう。
ましてや、フェイは手負い。二振り操る蛮刀も、今日は一つしか扱えない。
が、二人の表情には余裕すら伺えた。
「不思議だな。負ける気がしない」
「あら。奇遇ですわね」
自信に満ちた佇まいに、私兵達の方が動揺し、迂闊に攻め込めない。
特に何か理由があるわけでは無いし、状況だけ見れば不利なのは、圧倒的にフェイとラヴィアンローズの筈だったが、場を支配しているのは完全にこの二人だ。
不思議な気分だった。
特に怪我で全身が痛むフェイは、むしろ以前より意識が冴えわたっている気すらする。
背負うべき物は無く、今のフェイは番犬では無い。
その意味では彼女もまた、新たな野良犬の仲間入りだ。
清々しい風が、心の中に吹く。
「なるほどな。奴は、こんな気分で何時も戦っていたのか」
自分の為に振るう剣。
自由であると同時に、責任を他人に貸せないぶんだけ酷く重い。
今、フェイは使命の為では無く、気に入らないボルドの野望を打ち砕く為だけに、己の刃を振るう。
他人からすれば身勝手極まりない理由。
以前のフェイなら、無責任と断じていただろう。
だが、今は悪く無い。むしろ、心地いいくらいだ。
「……ふっ」
怪我人とは思えない生き生きとした表情を横目に見て、ラヴィアンローズはこっそりと笑みを零した。
短く息を吐き、フェイは私兵達を睨み付ける。
「……押して参る。手負いの獣と侮る者は、命で償って貰うぞ!」
自らの矜持を一本の蛮刀に乗せ、フェイは戦いへと飛翔した。
★☆★☆★☆
ボルドの表情が限界まで歪む。
怒り、戸惑い、様々な感情が表情に浮かんでは消えていく。
「あり得ない。あり得ないッ……!」
口に出る言葉には、苛立ちと怒りが籠る。
細心の注意を払い、完璧に仕上げた計画だった。
それをたった二人の力技で捻じ曲げられるなんて、ボルドのプライドを激しく傷つけられる状況だ。
それでも冷静を保とうと、ボルドは落ち着けるよう、浅く呼吸を繰り返す。
「いや。作戦は迅速、遅れは無かった……ならば、僕の考えの上を行った人物がいた?」
小さく呟くが、考えても意味は無いことだと、すぐに思考を打ち消した。
とにかく、ここの船着き場が襲撃されている以上、他の手段を講じなければならない。
勿論、抜け目のないボルドのこと。万が一の事態を想定して、ここ以外にも脱出ルートは確保してある。
問題があるとすれば、目の前の人物だ。
取り乱す様子を楽しんでいるのか、ミュウは身体に矢を突き刺したまま、ニヤニヤと笑っていた。
いけ好かない姿に、ボルドは舌打ちを鳴らす。
「ミュウ。取引をしないか?」
「……へぇ」
顎をしゃくり、先を促す。
「僕に従え」
不遜な物言いに、スッとミュウの笑みが消える。
途端に殺気が高まるが、ボルドは引く様子を見せない。
「貴様にとっても悪い話では無い筈。アレだけ暴れまわれば、騎士団にも目を付けられただろう。もう、この国に貴様の居場所は無い」
「ま、だろうね」
「だが、僕と共に共和国に亡命するなら別だ。性格に問題はあるが、貴様の実力は高く評価している。僕の知識と貴様の力があれば、何処でだってやっていけるさ。衣食住は保証しよう。それに、望むなら、貴様が欲する獲物だって用意する……どうだ?」
再び差し伸べられた手の平と言葉を、ミュウは鼻で笑い飛ばす。
「直前に矢を射った相手を、同じ動作で今度は懐柔かい? 調子がいいわね。素直に使い潰せる駒が欲しいっていいなよ」
「そうだ。強くて頑丈な貴様は、捨て駒に丁度いい……が、ただ潰される貴様でもあるまい?」
間髪入れず、確信を持って言う。
ミュウ相手に一歩も引くことの無い交渉に、何時彼女の怒りが爆発するか、後ろの部下達は気が気では無いだろう。
けれど、ミュウは意外にも笑みを崩さない。
「悪いけど、無理。私はアンタが嫌いだから」
「……そうか」
差し出した手を引込めると、部下達に合図を出しながら後ろへ下がる。
部下達はボウガンを構え、ボルドを守るように隊列と作った。
「残念だよ。頭まで結晶体に犯された人間には、人の情というモノが欠落してしまったらしい」
大仰に肩を竦めた後、感情の無い瞳をミュウに向けた。
「後、僕も貴様が嫌いだ……殺せ」
ボルドの指示の元、部下達はボウガンの引き金を引いた。
一斉に射出される矢は、寸分の狂い無くミュウを狙う。
ボルドが見たところ、今のミュウは再生が追いつかず傷口を辛うじて、結晶化して塞いでいるだけ。この状態で更に致命傷になるような怪我を負えば、ミュウは全身が結晶化して動けなくなってしまうだろう。
それを砕いてしまえば、もう回復することは無く、ミュウは終わりだ。
異常な回復力を盾に暴れ回っていた狂犬も、最後はあっけないモノだなと、ボルドは薄笑みを浮かべた。
「……甘いんだよボルド。懐柔なんかせず、間髪入れず、私を殺しとけばよかったんだ」
呟いた途端、ミュウの身体から炎が噴出し、飛来する矢を全て焼き払ってしまう。
「――なッ!?」
今夜、二度目の絶句を見せる。
それを嘲笑うよう顔を上げたミュウの左目の結晶体は、赤く発光していた。
「甘い、甘いんだよボルドォォォォォォ……テメェが言ったんだぁ、この私が、化物だってなぁぁぁ」
吹き上がる炎がミュウの身体を包み、突き刺さった矢が燃え尽きる。
異常な光景に、ボルドだけでは無く、部下達も戦慄が走った。
前言を撤回する。ミュウは、身も心も化物だと。
それでも飼い慣らされた彼らは、一歩足を踏み出す彼女を止めようと、慌てて矢を装填し直す。
それを待ってやるほど、ミュウは優しくは無かった。
「邪魔なんだよぉぉぉ。雑魚共がぁぁぁ!!!」
吠えながら、振りかぶった炎を纏った腕を、部下達に向けて薙ぎ払う。
轟々と唸りを上げ、渦巻きながら爆裂する炎が隊列を作る部下達を飲み込んだ。
生々しい肉の焼ける焦げた臭いを撒き散らし、真っ赤な炎は悲鳴や絶叫すら残さず、全てを焼き尽くしてしまった。
「な、なんだ、なんだこれわぁッ!?」
理解し難い状況に、ボルドは取り乱したように喚き立てる。
炎をパチパチと爆ぜさせ、ゆっくりとミュウは歩みを進めた。
「地獄の篝火さぁ。私が片足突っ込んだ地獄から漏れだした炎が、テメェを殺せって、轟々と喚き立てるんだよッ」
「――ひっ!?」
正気の沙汰では無い視線を浴びて、ボルドは悲鳴を上げた。
ロザリンの逆計術式は、結晶体と同化したミュウの体内術式を一部書き換えてしまった。
それが炎となって、ミュウの身体から溢れ出しているのだ。
だが、あくまでミュウの身体は水属性の結晶体で構成されている。相反する属性を内包する今の状態は異常であり、そう長いこと活動することは出来ないだろう。
今動けるのも、ミュウが本来、火属性の性質を持つからだ。
そしてミュウは最後の炎を用いて、ボルドを討とうと力を振るう。
「運が悪かった奴が三人。私に獲物を取られるフェイとラヴィアンローズ……そして、私に焼き殺されるアンタよボルド」
「ま、待て!」
後ろに下がりながら、ボルドは恐怖に顔を歪めて手を差し出す。
「殺すのか……腹違いの兄である僕を、殺すつもりかぁ!」
「ハハッ。無様だねぇボルド」
自分の行動を棚に上げた発言をするボルドが楽しく、ミュウは嘲笑う。
恐怖で前後不覚になっていたのか、ボルドは逃げ道を間違え壁際に追い込まれてしまう。
壁を背にして、迫るミュウにイヤイヤと首を振るが、無情に伸ばされた腕が喉を掴む。
「――グッ、ギッ!?」
焼き鏝を当てられたかのよう、握られた首から煙が上がる。
「や、止めろ。止めろぉぉぉ……嘘だ。こんなの、何かの間違いだ。僕がこんなところで……」
「諦めなさい。私はアンタを、火刑に処す。確定事項よ」
伸ばした右腕から炎が吹き出る。
紅蓮の炎。水神リューリカの魔力を根源とする炎は、普通の火とはわけが違う。一度身に移れば消えることは無く、瞬く間にボルドを包み込み、劫火は悲鳴すらも飲み込み、皮膚も肉も骨も残らず焼き尽くす。
消し炭すら残さずボルドは焼却され、持ち上げていた腕に重みが消え去った。
火刑は、一瞬で執行された。
「……はぁぁぁッッッ」
長く、重い息を吐き出し、ミュウは力を使い果たしたようによろける。
炎が消え去ると途端に静寂が訪れる。激しく燃え盛った炎は周辺を黒く焦がしたが、燃え移った様子は無く、熱せられた空気だけが僅かに残り火の存在を示すけれど、それも湖の方から吹き抜ける風に散らされ、瞬く間に熱を失っていった。
ミュウの表情に力が抜けると同時に、全身の結晶体が赤く変色した。
瞬間、火花が散り、噴き出した炎がミュウの身体を包む。
「……はは。何だよ、もう限界なのか」
力無く呟き、ガクッと膝を落とす。
相反する属性を二つも内包している時点で、体調不良を起こしても不思議では無い。ミュウの場合、その内包する魔力が尋常では無い故に、その影響は命を危険に晒す。炎が身体を包み込む、この時のように。
万全の状態ならまだ制御出来ただろうが、今のミュウにはもう力が残っていない。
結晶体から漏れ出る炎を押さえることも出来ず、全てを焼き尽くす劫火がチリチリと全身を包み込む。
炎に焼かれているのでは無く、ミュウ自身が炎と化しているのだ。
「消える……消えていく、この、私が……」
徐々に感覚が薄れていく。
恐怖は無い。いや、恐怖という感情すら、炎に巻かれて消え去る。
オレンジ色の炎越しに、視線を船着き場の方へと向けると、丁度二隻目の船が破壊され沈んでいくところだ。
ミュウは小さく笑う。
「ボルドは、私が殺した……アンタらの手柄は、私のモンさ……ざまぁ、見やがれ……」
キヒッと笑みを零して、ミュウは夜空を見上げる。
燃え上がる炎に照らされ、火の粉が闇夜に昇って行き、そして消える。
振り返る思い出は無く、脳裏に浮かぶのは一人の男の顔のみ。
無茶をしなければ、こんなことには成らなかったかもしれない。けれど、ミュウはこの身を引き換えにしても、ボルドを殺すことを選んだ。
別にそれほど、ボルドが憎かったわけでは無い。
どちらかと言えば、どうだっていい存在だ。
けれど、ミュウは見てしまった。圧倒的な相手に立ち向かう、小さな魔女の姿を。
その少女の武器は魔術や剣などでは無く、ただ一つの恋心だった。
「……ああ、そうかぁ」
今際の際に、ようやくミュウは認めた。
「私は、アルトに恋をしていたんだな……」
何か一つでも、好きな人の為にやり遂げたかった。ただ、それだけの理由だ。
狂犬だったミュウがそんな殊勝な考えに至ったのは、ロザリンと戦った影響か、それとも逆計魔術の効果で、一時的にでも内包する狂気が薄れたからなのか。
理由はわからない。
一つだけ言えるのは、今のミュウはとても満足そうなことだ。
王都の船着き場。その通りで狂犬は一人、炎と化して消えて逝った。




