第64話 修羅
アレハンドロ・フォレストは優秀な騎士であった。
高い身分の貴族の出では無かったが、フォレスト家の歴史は古く、エンフィール王国建国から続く名門の一つ。
貴族として戦や政に然したる功績は無いが、失敗や悪評も無く、平凡な地方領主として長年細々とその血を繋げてきた。
その歴史にあってアレハンドロは、優秀な人間と言えるのだろう。
出自こそ低いモノの、歴史ある名家であることが王都の貴族派達の目に留まり、騎士学校時代の優秀な成績もあってか、彼のフォレスト家は貴族派の末席に迎えられることとなった。
そこからの人生は、まさに順風満帆。
大きな戦争こそあったが、家柄の堅実な実務経験が実を結び、戦後、騎士団再編成時には貴族派の重鎮達から騎士団長へと推薦される。
シリウス達のような英雄でも無ければ、有名貴族でも無いアレハンドロにとって、まさに夢のような出来事。勿論、口差の無い人間達が陰口を叩いたりしたが、影響力が落ちたとは言え、貴族派の重鎮を後ろ盾に持つアレハンドロに、表だって逆らう奴はいなかった。
そして今回、この神崩しを成功させ、天楼と繋がりを持つ貴族派が実権を握れば、騎士団の総団長も夢では無い。
アレハンドロはこれからの明るい未来に、希望で胸が一杯だった。
この、受け入れがたい現実を直視するまでは。
「……馬鹿、な……ありえ、無い、ありえない」
目の前の光景に、アレハンドロはワナワナと唇を震えさせる。
百を超える精鋭の騎士達。結晶体によるブーストで、倍の数の兵隊とだって渡り合えるほど、力を底上げしていた筈なのに、アレハンドロの前に両足で立っている騎士は、一人も存在しなかった。
死屍累々。
息巻いて攻め上がった騎士達は、たった一人の騎士の前に、悉く打ち滅ぼされた。
シリウス・M・アーレン。
彼女は現れた時と寸分違わない姿で、門の前に立ち塞がっていた。
返り血を浴びていないどころか、息切れをしている様子も無い。
化物だ。
アレハンドロは、戦慄と共に内心で呟く。
「他愛も無い。その程度でエンフィール王国を落とせると思っているのなら、とんと舐められたモノね」
汗一つ浮かべず、涼しげな表情で言った。
恐ろしい。心の底からそう思うと同時に、彼女が剣を振るい戦う姿は美麗で、敵ながらアレハンドロは見惚れていた。
淑女の如き立ち姿で、武骨な甲冑を纏い、重厚な大剣を振るう。
アンバランスな組み合わせ。しかして、堂々とした戦姿は、まさしく英雄と呼ぶに相応しい凛々しさを持ち、舞にも似た優雅さがあった。
叙事詩や神話の一ページ。
そう思わせるだけの神々しさが、シリウスの戦いにはあった。
傍から観戦しているだけなら、それだけの感想で済むだろう。しかし、敵としてシリウスの前に立ち塞がるアレハンドロは、また別の感想、感情を抱いていた。
圧倒的な恐怖。
ただ、それだけの言葉に尽きる。
荒れ狂う小さな嵐のように、次々と武装した騎士達を打ち倒していく。
一人が剣を振り上げ、打ち降ろすまでの間、シリウスは三人を斬り伏せる。教科書通りの型、それこそ、騎士になりたての新人が基本に忠実にと教え込まれた、何の変哲もない型を、常人の倍以上の速度で繰り広げていた。
突出した技術や神業のような曲芸は無い、普通の戦い方だと言って良いだろう。
ただ、そのレベルが圧倒的に高すぎる。
騎士の基本に忠実な剣術の極地こそが、まさしくこれなのだ。
基本基本と繰り返すけれど、とてもじゃないが普通の人間に真似出来る芸当では無い。
アレハンドロが知る常識とは、全く違う次元の強さを目の当たりにして、理解が全く追いついていなかった。
「こ、これが三傑の力……いや、北方帰りの、本当の実力かッ……!」
畏怖の念を抱き、剣に添えた手が戦慄く。
それでも意地があるのか、手の震えを無理やり押さえつけるように、ギュッと硬く柄を握り締めた。
強張る表情に、無理やり笑みを作る。
「ふん。これほどの力を持ってしても、北では逃げ帰ることしか出来なかったとは、御笑い種ですな」
「……否定はしないわ」
挑発するような物言いに、眉を僅かに反応させるモノの、クールな表情で返す。
「当時の帝国も、負けず劣らず化物揃いだった……それだけの話よ」
「ほお。興味深いですな。自分は戦時中、後方支援に回されていましたから、最前線の様子はとんと無知でしてね……時間と都合さえ合えば、お茶でも飲みながら、その辺りの話をご教授願いたかったのですが、残念で仕方ありませんな」
「時間があっても無理ね。私をお茶に誘っていい男は、この世に一人しかいないわ」
軽口を突き放して、スッと視線を細める。
「それに、これ以上は時間稼ぎに付き合うつもりは無い。貴方も騎士ならば、潔くかかってきなさい」
「……ですな」
笑みを消すと、アレハンドロは柄を握っていた手を離す。
降伏するのか。と一瞬だけ思うが、その手はズボンのポケットへと延びる。
取り出したのは、何かキラキラと光る砂粒のような物が入った小瓶だ。
「出来る事なら、このような手段は取りたくなかったのですがね」
嘆息しがら蓋を開くと、一気の煽り中の砂粒を飲み降す。
砂粒だけに随分と飲みにくそうな様子で、何度も喉を鳴らし、必死で飲み降す。
嫌な予感に、シリウスは僅かに眉を顰める。
「自分も騎士である前に、一人の貴族。女性相手に、手荒なマネはどうかと、思ったのですがねぇ……」
小瓶の中身を全て飲み干したアレハンドロの額に、びっしりと球のような汗が滲みだす。
いや、額だけでは無い。顔や首、鎧の下に来ているアンダーシャツやズボンまで、噴き出した汗で濡れ、色を変えていく。
その量は尋常では無い。
異変は直ぐに起こり始めた。
「……ぐっ、ゲッ、ゴゴッ!」
苦しげな様子で、口から獣のような呻き声を漏らす。
「――ッ!? まさか……」
ひりつくような魔力の増加を察知して、シリウスの視線に、警戒の色が強まる。
荒い息で胸の辺りを押さえるアレハンドロの瞳が、濃い青色に発光して、何度も点滅を繰り返している。身体は小刻みに震え、ミシミシと何かが軋む音が聞こえたかと思うと、着ている鎧が弾け飛んだ。
筋肉が目に見えた形で膨張する。
まるで風船のように大きく膨らんだ筋肉が、鎧や衣服を弾き飛ばし、肌を露わにした。
変化はそれだけでは無い。
肌の色は焦げた土のような色に変色すると、肩や背中の一部が隆起し、角のような突起が何本も出現する。頭髪もバサバサと抜け落ち、最終的には四メートルを超える巨体へと身体を変化させた、
膨れ上がり、隆起した筋肉や高質化した肌は、色合いもあって酷く禍々しい。
その姿は子供が粘土を捏ねて作ったかのよう、生物としては不自然な形をしていた。
「……醜いな」
視覚的不快感から、シリウスは顔を顰めてポツリと零す。
アレハンドロだった怪物は、牙のような歯を見せ、ゲハゲハと笑う。
見た目とは裏腹に、意外と確りした口調でアレハンドロは喋る。
「醜いのは百も承知。だが、化物を倒すには、やはりこちらも化物にならねばなるまいて」
「体内術式を無理やり変化させた……憐れとも思うけれど、任務の為に人間を止めるなんて、大した騎士道精神ね」
これだけ大きく変化してしまっては、もう人間の姿に戻ることは叶わないだろう。
騎士団長としてプライドの高いアレハンドロが、神崩しを成功させる為に、そこまでするということに、口には出さないが、内心で僅かに感心していた。
しかし、アレハンドロは意外な言葉を口にする。
「ハハッ。まさか」
笑いながら否定され、シリウスは小首を傾げた。
「ことが終われば、ボルド殿に頼んで元に戻して貰う算段よ。こんな化物のような姿、貴族である私には似合わんし、何より私には輝かしい未来が待っているのだ」
「まさか、本当にその言葉を信じているの?」
驚くシリウスに、馬鹿にされたと思ったのか、不機嫌そうな視線を向けた。
「当然であろう。あの聡明なボルド殿が、何故こんな嘘をつく必要がある。私はボルド殿に、いや、これから作られる新たなエンフィール王国に必要不可欠な人間なのだ」
語っている内に調子が出て来たのか、口調に熱が籠る。
「そう! 私は次代を担う新たな英雄! 歴史ある大地を蝕む悪鬼共を打ち払い、誇りを失ったエンフィール王国を、この英雄たるアレハンドロ・フォレストが柱となって、強き栄光ある騎士団を取り戻すのだぁ! この、アレハンドロ・フォレストが、アレハンドロ・フゥォレウぐぁあああぁぁぁぁぁぁ!」
「ふむ。正気そうに見えたのは、最初だけのようね」
やはり、肉体変化はアレハンドロの精神まで蝕んでいたのだろう。
不憫とも思えるが、身の丈に合わない野望を抱いた結果だとすれば、自業自得だ。
恐るべきはボルドの方か。
アレハンドロとて馬鹿では無い。人として当たり前の常識は持っていたし、騎士学校の成績は優秀で、規律も正しく模範的な人物だったと調べたシエロは言っていた。
そんな彼を言葉巧みに騙し、甘言を用いて駒として利用している。
彼は本心から、自分はボルドの右腕だと信じて疑わない。
だからこそ、神崩しなどというテロ行為に加担し、明らかに人体に影響を及ぼすであろう劇薬まで使用した。体よく利用されていることなど、騎士団を引き付けるだけの為に捨て駒にされた現状を考えれば、容易くわかることだ。
「私は英雄となるのだ! 英雄となって、私を、父を、母を、我が家名を侮辱した連中を、見返してやるのだぁぁぁ!」
「同情はしない。騎士として人として、貴方はあまりに脆弱だった」
シリウスの言葉になど耳を貸さず、アレハンドロは死体の中から大斧を二つ両手に持ち、床を軋ませながら近づいて行く。
大柄の人間がやっと持てる大斧を二つ、左右に軽々と握り、磨かれた床を踏む砕く姿から、アレハンドロの怪力と重量は簡単に想像がつく。パワーだけなら、以前にアルトが戦った蛇が変化した時より、数段上だろう。
もしも、魔物として近郊に現れたのなら、討伐隊が結成されるレベルだ。
大股で歩き、アレハンドロは間合いを狭めていく。
その間、シリウスはジッと迫る姿を見据えたまま、現れた時と同じ格好を崩さない。
理性は薄れていても、流石に可笑しく思ったのか、グルっとアレハンドロは首を傾げる。
「どうしたぁ。臆したのかぁ? かかってこいよ英雄ぅぅぅぅッッッ」
挑発するような言葉と素振りを見て、シリウスは大きく鼻から息を抜く。
「いや、もう終わりよ」
「……はぁ?」
シリウスは目の前に持つ剣を軽く浮かせ、切っ先で床をカンッと叩く。
瞬間、アレハンドロの両腕が、肩から切断され血が噴射する。
「……は?」
もう一度、カンッと床を叩くと、今度は左足が膝から斬り裂かれ、バランスを崩したアレハンドロは、血を流しながらその場に尻餅をついた。
「な、なんだ!? 魔法か? 妖術か?」
状況がさっぱり理解していないアレハンドロは、首だけをグルングルンと回し、斬り落とされた自分の手足に何度も視線を交差させた。
床に転がる自分の両手足。しかし、それは明らかに、怪物の形をしていた。
アレハンドロは間抜けな顔をすると、何かに気がつくよう、息を飲み込んだ。
悲痛に歪めた表情を、シリウスに向け、視線が助けを懇願するのがわかる。
けれど、もう手遅れだ。
「誇りも矜持も無くした騎士よ、我が剣の断罪に散れ」
「た、助け……!?」
絶望に染まる暇も無く、三度目に鳴らした刃の音で、アレハンドロの首は落とされた。
驚きに目を見開いた頭が床に落ち、怪物の巨体は大きな音を立て、血の海に沈んだ。
そして、この場に立っている者は、シリウス以外に誰もいなくなる。
百の騎士達、更にはブースターによる暴走まで引き起こして尚、彼女に掠り傷一つ負わせることが出来なかった。
むせ返るような血の匂いの中、シリウスは大きく息を吐く。
久しく触れていなかった感覚に、僅かだが指先が震える。
腹の底からくる震えを、唇をキュッと結んで堪えた。
内心の動揺を御くびにも出さず、剣を鞘に納めると、颯爽と血の海の中を横断する。
任務は完了。
アレハンドロに寄る水晶宮占拠は、事前に阻止された。
今頃はシエロが、天楼と組み一連の計画を企てた貴族派へ、強制捜査に入っている頃だろう。彼らの影響力を無効化すれば、騎士団が自由に動くことができ、事前に待機している第一騎士団も動き出す。
北街の本命、神崩し計画を潰す為に。
だが、それは北街との全面対決を意味する。
「……最終的にどうなるかは、貴方しだいよ、アルト」
自分の出来ることは果たした、後は友を信じて待つだけ。
アルトならば、最悪の結果を回避してくれる。
信じていても歩く速度が速まるのは、危険な場所に単身挑む彼を案じ、気が気じゃないからだろう。
★☆★☆★☆
剣を振るい駆け抜ける様は、まさに刃の竜巻だった。
「――せえええっっっッッッ!」
雄叫びを響かせ、手に武器を構えるチンピラ達の群れに突っ込む。
男達もここは通さぬとばかりに、鍛え抜かれた肉体を盾とし、隙間なく列を作りアルトを阻もうとするが、肉の壁程度でこの猛進を止めることは叶わない。
まず最初に肩をぶつけ、無理やり隙間を作り出すと、足を止めずにその僅かな間から先へ抜けようとする。
行かせるモンかと手や武器を伸ばそうモノなら、手に握る剣の刃が容赦なく腕や足を斬り落とす。
鮮血と悲鳴を撒き散らし、アルトは一瞬たりとも足を止めること無く、ごった返す人の群れを突っ切った。
ここは天楼。
門を抜けたので、既に本拠地のある敷地内に踏み込み、今はここ数日ですっかり見慣れた正面に真っ直ぐと伸びる大通りを走る。
普段だったら店や屋台が立ち並び、住人でごった返す賑やかな通り。
だが、今は殺気立った男達が武器を手に持ち、たった一人の人物を必死の形相で止めようと躍起になっていた。
アルトは怒号飛び交う天楼の街を、剣一本持って突貫する。
「――ずらぁぁぁあああ!!!」
怒声が響き、誰もが必死でアルトを止めようと迫りくる。
剣を斧を槍を。中には包丁やフライパンを振るう者もいる。
遠くからは、周囲の人間を巻き込むのも構わず、弓やボウガンを放つ者、手近な石を投げつける者も存在する。
けれど、アルトは足を止めない。
刃が肉を抉り、石が骨を打ち、矢が突き刺さるとも、勢いは一切衰えることはなかった。
たった一人ながら、これは進軍と呼ぶに相応しい。
「――でぃぃえあああぁぁぁ!!!」
横薙ぎから身体を一回転させ、勢いを殺さす上段から更に一撃。隙を見せず降ろした刃を、そのまま斬り上げる三撃目。
一呼吸の間に複数の動作を繰り返し、絶えず全方向の人間を警戒する。
これをもう、何時間以上も休まず繰り返している。
ここに来るまでの間、相手にした数はもう覚えていない。
鈍っているなと、内心で苦笑する。
一対一で戦っている時は、差ほどブランクを感じなかったのだが、こうして戦場さながらの一対多数を演じてみると、自分が如何に錆びついているかが実感できた。
無論、アルトは怪我が治ったばかりだし、昼から走り続け王都を一周。更にはハウンドとの死闘を繰り広げた上での戦闘なので、万全とは言い難い状況。それを踏まえても、腕が落ちたとアルトは判断した。
「これがっ、シリウス辺りなら、痛ッ!? 指一本、触れさせないんだろうなッ!」
焼き付く痛みが背中を裂き、アルトは振り返りざま、背後にいた敵を斬り捨てる。
今朝、やっと傷が塞がったばかりなのに、一日も立たずまた傷だらけだ。
因果な生き方だと呟いて、アルトは全身の力を振り絞る。
「――ふんぐぅぅぅッッッ!」
剣一本では埒が明かない。
手近な奴を足で力一杯蹴り飛ばし、手元にあった誰かの頭髪を引っ掴むと、強引に持ち上げて人の群れの中に叩き付けるよう投げる。
これが、意外な効果を発し、ひしめいていた人の壁に隙間が出来る。
「――退けッ!」
剣を振るい隙間に身を滑らせると、一気に人の生垣を切り抜けた。
悲鳴と鮮血を浴びた先は、不自然と人の姿が途切れていた。
「……あん?」
絶え間なく続いていた攻撃が止み、アレ? と思う間も無く、今までの無理が祟ったのか、足の力がガックリと抜け突き刺した剣に寄り掛かるようにして、アルトは片膝を突いた。
「ぐっ……はぁはぁ」
動きを止めた所為か、どっと汗が溢れて息が乱れる。
ヤバイかとも思ったが、後ろにいる連中は襲ってくる様子が無かった。
何事かと視線を正面に向けると、アレだけ集まっていた人が途切れ、屋敷に続く道は無人……いや、階段に腰を下す、一人だけがアルトを待ち構えていた。
天楼の王、シドだ。
階段を椅子にして座っていたシドは、血塗れのアルトを見て、楽しげな笑みを浮かべる。
「はっは。満身創痍じゃねぇか。噂の野良犬騎士が、随分とだらしがねぇじゃねぇか」
「ケッ。爺は何かにつけて若者を下に見せたがる……んで、ここがゴールでいいのかい?」
膝を突いたまま、息を整えながら問う。
シドはニヤリと、歯を見せてまた豪快に笑った。
「おうよ。お決まりだがなぁ、アルト……聞かせな。まだ、儂らの仲間になるつもりはねぇのか?」
「しつこいんだよ爺。もう、そんな話が通じる次元じゃねぇだろうがっ」
疲労から、イラつくように口調が荒くなる。
「怒るなよ若者。ま、んなこたぁ、儂もわかっとる。形式美というヤツだ」
アルトは舌打ちを鳴らす。
階段に座るシドの様子、口調は随分と落ち着いている。
いや、達観していると表現するべきか。
シドは両膝に手を添え、よっこらせと掛け声をかけて立ち上がると、横に置いてあった古めかしい大刀を手に取り階段を降りる。
その際、視線はアルトの後ろ、天楼の兵士達に向けられた。
アルトの進軍を阻止しようと、血みどろになって戦った男達。
骨が折れ、血を流しているだけなら、まだ怪我は軽い方だろう。中には手足が切断、致命傷を受けて事切れた人間もいる。
階段を降り切ると、シドは視線をアルトに戻した。
「よぉ……何人斬った」
「……さぁな。十から以上は、数えてねぇよ」
「そうかい」
息を吸い込み、大きく吐き出す。
「だったら大将としてケジメ、つけなきゃなんねぇだろうなぁ」
呟き、両眼に力を込めて、真正面からアルトを睨み付ける。
怖気がするほどの眼力。
「……ッ!」
僅かに気圧されるが、我が強いアルトも負けじと睨み返した。
睨みを利かせ、シドは大刀をスラッと抜き、鞘を捨てる。
「来い、アルト。オメェの首を片手に、神崩しを完成させてやる」
「……上等じゃねぇか」
ニヤッと笑い、アルトは足に力を込めると立ち上がり、脇構えを取る。
深い夜の中、両者は睨み合う。
嵐を告げるように、風がピタリと止んだ。
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天楼の本拠地から離れた場所で待機していたボルドは、張り付かせておいた部下達からの報告を聞き、顎に手を添えて一回頷いた。
暗がりの路地に隠れるよう存在する、ボルドの隠れ家の一つ。
何も無い部屋には数人の男達が、控えるよう壁際に立っている。そして主のボルドはその中央、椅子の上に足を組んで座り、今しがた聞いたばかりの報告、あまり嬉しく無い状況を耳に入れ、大袈裟に宙を仰いだ。
「野良犬が天楼に舞い戻った、か……この雲行き、どうやらここいらが潮時のようだね」
「……では?」
「うん。僕達は撤退するよ。天楼との関係も今日限りだ」
何の感傷も無く言い切り、ボルドは椅子から立ち上がる。
部下達を率い部屋から外へと出ると、暗い路地を我が物顔で闊歩しながら、あらかじめ準備していた場所へと向かう。
「第一騎士団は既に、北街の外で突入の機会を伺っている。神崩しがどう転がろうと、この国は滅茶苦茶さ……ゲームを最後まで観戦出来ないのは残念だけど、第一騎士団長はお人好しに見えて抜け目が無い。このタイミングで手を引くのがベストだろうね」
スラスラと滑りの良い言葉に、後ろから続く部下達は感心したように頷いた。
ボルドは勝ち目のある勝負しかしない。
今回もボルドは神崩しを成功させ為、裏に表に何重にも仕掛けを施したし、綿密な計画も立てた。何事も不確定要素は付き物。ゲーム気分のボルドにとっては、そのトラブルことが楽しみの一つでもある。
だからといって、熱くなり過ぎては引き際を見失う。
勝てるかもしれない。では、もうボルドは勝負する気にはなれないのだ。
ハッキリ言ってしまえば、ボルドはこの一件に関して、既に興味が薄れてしまった。
「後は勝つにしろ負けるにしろ、勝手にやればいいさ。僕はこの王都で得たコネと金を使って、北の共和国辺りでまた面白いゲームにでも興じるさ」
そう言って笑う。他人事のように。
ただ、一つだけ心残りがあるのは、野良犬騎士アルトを最後まで追い詰めてやることが、出来なかったことだ。
屈辱に思う。
「……ふん。次の機会がアレば、今度こそ踏み潰してやるさ」
路地を抜け、大河沿いの通りに出る。
もう少し歩けば、あらかじめ私財を積んで置いた大河を渡る船が数隻、停泊させてある船着き場に着く。
今日中に王国を出てしまえば、騎士団など取るに足らない。
太陽祭で他国からの出入りが激しい今だからこそ、金の力で出国は幾らでも融通が利く。
それに、何かあってもボルドには、捨て駒に使える彼に心酔する部下達が何十人も、天楼や他の組織から引き抜いて来たのだ。
後は結晶体さえあれば、また新しいゲームに興じることが出来るだろう。
ほくそ笑みながら歩くボルドは、不意に違和感に気がつき足を止める。
「……どうかなさいましたか?」
唐突に足を止めたボルドを疑問に思い、部下の一人がそう声をかける。
ボルドは周辺を見回しながら、
「いや。部下を数名、この辺りに待機させて置いた筈なのだが……」
視線を巡らせてみるが、聞こえるのは流れる大河の音だけで、人と姿は見えない。
すると、進行方向にゆらりと陽炎が揺れるよう、人影が姿を現す。
「――ッ!?」
驚くボルドは、反射的に手が腰の剣に伸びた。
しかし、すぐに鼻から安堵の息を抜く。
「……なんだ、貴様か」
暗闇から姿を現したのは、ボロボロの見るに堪えない恰好をした女性だった。
ボルドは侮蔑するように視線を細め、女性の名を呼ぶ。
「生きていたか……ミュウ」
結晶化した青い左目は闇夜に怪しい輝きを放ち、ミュウはニヤリと歯を見せて笑った。




