第6話 涙を夕暮れで染めて
結果だけ述べれば、ルン=シュオンに関してはアルトの杞憂で終わった。
階段通路に踏み込んだ瞬間、武装した人間に襲撃を受けることも考えていたのだが、いざ足を踏み入れてみれば、妙に上機嫌なルン以外に人の気配はなく、逆に拍子抜けしてしまった。
それ自体が罠の可能性も考えなくは無かったが、言い出したらキリがないので止めた。
ルンとの会話はものの数分で終了。
彼女は噂通り見事な手腕で、ロザリンの母親を探し当てていた。
実際に本人の言質を取ったわけでは無いけれど、ルン曰く「条件に完全一致する人物は、王都で彼女しか存在しない」そうだ。
本来だったら喜ぶべき朗報。
しかし、母親の居所を聞いたアルトは、思わず頭を抱えてしまった。
物事はそう上手くは運ばない。わかり切っていた事実を、改めて思い知らされた。
地理に疎いロザリンの問いかけに戸惑いながら答えた時、表情の消えた彼女の顔が、目に焼き付いて 暫くは消えてくれないだろう。
東街の外れにある共同墓地。
太陽は地平の彼方に沈みかけていて、真っ赤な陽光が周囲を染めている。
遠くからは微かに時刻を知らせる鐘楼の音だけが響く。風景が風景だけに、風に乗って流れる鐘の音が、余計に寂しさを助長させていた。
鐘の音が止まれば、人気の無い霊園は静寂に包まれる。
時期外れなのもあるが、ここは身寄りの無い人間が埋葬される墓地。命日や墓参りの季節でもここに足を運ぶ者は皆無だろう。
夕暮れに赤く染まる墓石の前で、ロザリンは茫然と立ち尽くしていた。
「…………」
見た目は普段と変わらないロザリンの後ろ姿を、アルトは無言で見つめる。
墓石に刻まれているのは、エイサという名の女性。
名前こそ違うが、ルン=シュオンの情報を信じるなら、ここに眠る人物こそロザリンの母親エリザベット本人だ。
「お婆ちゃんが、言ってた。エイサって、お母さんの愛称だって」
「……そう、か」
普段と変わらない口調に、短く返した。
エイサがここに埋葬されたのは、ほんの十日ほど前。
彼女は件の通り魔に殺害された、最初の犠牲者だったらしい。
エリザベットは通り魔などでは無い。けれど、真実は優しくなど無かった。
「……おかしいよ、アル」
背を向けたまま、ロザリンが震えた声を漏らす。
「お母さんが通り魔かもって、思った時、何も感じなかった、のに……今は、こんなに、悲しい……」
背中が小刻みに震えている。
喋る言葉にも嗚咽が混じり、発しようとしても詰まってしまい、上手く声が出てこない。
「苦しい……苦しいよ。アル。何でこんなに、苦しいの……お婆ちゃんが死んだ時と同じ、ううん、もしかしたら、それ以上に辛い……何で? 会ったことも、無いお母さん、なのに、何でなんだろぉ……」
「……きっとそれは、家族だから、だろうさ」
「――適当なこと、言わないでよッ」
振り返ったロザリンが、涙交じりに強い口調を飛ばした。
「わからないって、答えなんて、出せないって、言ったじゃないッ。なのに、慰める時だけ、そんな優しいこと言わない、でよ……心がぐちゃぐちゃな私が、惨めに、思えてくるからッ」
自分でも理不尽なことを口走っていると、わかっているのだろう。
撒き散らされる言葉と共に瞳から涙が溢れ、感情が制御できないのか、苦しそうに胸を押さえる。
普段、感情の起伏が少ないから勘違いしていたが、やはりロザリンは未熟な年相応の少女なのだ。
駄々をこねるように泣き叫ぶロザリンの頭を、不器用な手つきで乱暴に撫でつける。
不意の感触に、驚くロザリン。
慰めなんて性に合わないと、無愛想な表情をして、ぶっきら棒な言葉を投げかける。
「適当なことなんて言ってねぇよ……自分で言ったじゃないか。婆さんが死んだ時と同じだって」
うん。ロザリンは涙を拭いながら頷く。
「だったら同じじゃないのか? 会ったこと無くたって、離れて暮らしてたって、家族は家族だった……それだけのことじゃねぇか」
「……ッ!?」
驚いたように、涙を流し続ける瞳を大きく見開いた。
全ての人間が、家族の死を悲しむとは言わない。親が子を憎むこともあれば、その逆だってありえるから。
それでも、親と子に絆があると信じてしまうのは、決して間違った思考では無いだろう。
だって、家族とは、他人では無いのだから。
「で、でも、でも……私、こんなぐちゃぐちゃした気持ち、どうしたらいいか、わからないよぉ……」
「何も考えんな。とりあえず、泣くだけ泣いとけ」
そう言った瞬間、ロザリンがグッと抱き着くよう、アルトの腹に顔を埋める。
「……グズッ」
縋るように強く顔を押し付け、何度も嗚咽を漏らし、
「う、う……うわぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
弾かれたように泣き声を上げた。
何ともむず痒い感覚に襲われながら、腹に顔を押し付けて泣きじゃくるロザリンの頭を、ポンポンと叩く。
涙と鼻水で服が湿っていくことに、困り顔を見せるも、少女を引き離すようなマネはしなかった。
泣き声だけが赤く染まる墓地に響き、悲しみが涙となって落ちる。
たっぷりと服が涙と鼻水を吸い込み、声が枯れ始めた頃には、周囲はすっかり暗くなっていた。
★☆★☆★☆
「……言葉が出ないね。人の生き死にはどうしようもないけれど、この結果はあまりにやるせなさすぎるよ」
かざはな亭に戻り、事の経緯を聞いたランドルフは、悲しげに目を伏せて煙草の紫煙を吐き出した。
本日は定休日なので、店内に客の姿は無い。
いるのはカウンターに座り、酒を飲んでいるアルトと、わざわざ二人の様子を気にして、店内で待っていたランドルフの二人だけ。
普段だったら賑わっている時間帯も、今日は静まり返っていた。
正面の座っているアルトは、「まぁな」と呟いて火酒の注がれたグラスに口を付ける。
ロザリンは帰宅後に身体の不調を訴え、今は二階の部屋で休んでいる。
微熱程度なので、急病と呼べるほど大袈裟なモノでは無いが、一応は女子同士ということで、カトレアが様子を見てくれていた。
「あの娘、これからどうするんだろうね?」
「さぁな。そりゃ、本人が決めることさ……どちらにしても、目的は達したんだ。母親探しはこれで終わりだ」
後味の悪さに顔を顰めながら、ランドルフは自分用のグラスに火酒を注いだ。
「でも、不幸中の幸いっていったら不謹慎かもしれないけれど、アルトが気にしていた情報屋。その人が横槍を入れてこないで良かったじゃないか」
雰囲気を変えるためか、ランドルフは笑みを浮かべて別の話題を振ってきた。
だが、アルトは難しい顔をして黙り込む。
「……なにか、気になることでもあるのかい?」
「いや、大したことじゃねぇよ」
察しのいいランドルフは、それ以上問い詰めるマネはしなかった。
正直、ルン=シュオンが何も企んでないとは思えない。
あれだけ情報に精通している人物が、魔女の関係者という美味しい情報を、見逃しているとは考え辛い。
深読みしすぎと言われればそれまでだが、彼女は「エリザベットと名乗る女性でロザリンと言う名の娘を持つ人物は存在しない」と言っている。
もしかしたら、最初から偽名を名乗っていることを知っていたのでは?
そう仮定すると、わざわざ二日の猶予を空けた理由がわからない。
屋台で貰った紙切れの件もある。
忠告があるなら、もっと分かりやすく詳細に書いて欲しいモノだ。
考えが纏まらず、酒を飲むペースだけが進む。
「ただ酒だからって、ペース早すぎやしないかい?」
「この店で一番の安酒じゃねぇか」
軽口を叩きながらも、一応は気を使って、空いたランドルフのグラスに火酒を注いだ。
階段の方から、誰かが降りてくる足音。
グラスに口をつけながら顔を向けると、空になった食器を持った、カトレアと視線がぶつかった。
カトレアは呆れたように瞳を細める。
「アンタ、人にお金借りといて、なにお酒なんか飲んでるのよ」
「お前が無理やり押し付けた借金だろうが……それで、ロザリンの様子は?」
「心配ないわよ。熱はあるけど、風邪ってわけじゃなさそうだし、食欲だってあるみたいだから、大事にはならないでしょ」
喋りながらカウンター内に回り、食器を流し台の溜めてある水桶に浸し、洗い物を始める。
「多分、今までの疲労が一気に出たんだと思う。ほら、お母さんのことを知って、緊張の糸が切れちゃったみたいだし」
加えて、精神的疲労もあったのだろう。
頭が回るといっても、ロザリンは見た目も中身も年相応に未熟な子供。
唯一の肉親であった祖母との死別、慣れない王都への旅路と生活に、母親に関する諸々の事情だ。小さな身体には負担が無い訳が無いだろう。
「悪かったな。弟も風邪で熱を出して寝込んでるんだろ?」
「ああ、気にしなくてもいいわよ。大したことないし、季節の変わり目にはよくあることだから」
綺麗に洗い終わった皿の水気を、乾いた布で丁寧に拭う。
「それに、女の子の病気の世話なんて、男のアンタに任せられるわけないでしょ。着替えさせたり、汗を拭いたりしなきゃいけないんだから……それとも」
意地の悪い笑みを見せる。
「やりたかった?」
「平らな胸に興味なんかねぇよ」
不機嫌にそう答えると、お気に召したのかカトレアは「あはは!」と笑い、エプロンを外しながらカウンターの外へ。
「それじゃ、あたしは帰るから。大丈夫だとは思うけど、熱が下がらないようならちゃんと医者に見せるのよ。んじゃね!」
それだけ言い残し、カトレアは手を振って外へと出て行った。
顔は向けず手を上げるだけでカトレアを送ると、グラスに残った火酒をグッと一気にあおった。
「さて、と」
グラスをカウンターに置き、椅子から腰を上げた。
「様子を見てくるのかい?」
「ま、一応な。そのまま寝るから、待ってなくていいぜ」
「了解。それじゃ、おやすみ」
カトレアを見送った時のように、軽く手を上げて、二階への階段を上った。
ペースは速かったが、量はそれほど飲んでないので足取りは確りしている。
アルコールで熱を持った顔を、手で仰ぎながら自分の部屋の前に立ち、一応はノックをする。着替え中に鉢合わせなんてお約束は、死んでも御免だ。
『……アル?』
「おう。開けるぞ?」
『うん』
キチンと許可を得てからドアを開く。
つい三日前は一人で住んでいたのに、今はいちいちノックをしたり、気を遣ったりしなければいけないとは面倒な話だ。
部屋に入ると左目をトロンとさせて、ベッドに寝ていたロザリンが、わざわざ起き上がろうとする。
「いい、いい。寝てろ馬鹿」
近づいて上げかけた頭に、デコピンを一発。
額を押さえて、ポテンと頭が枕に落ちる。
「……いたい」
「ったく……調子はどうだ?」
「よくない」
「だろうな」
ベッドの横に椅子を引き寄せ、背もたれを前にして座った。
こちらを気にしてか身体を起こそうとするのを、睨み付けて押し止める。
何度か同じ動作を繰り返して、ようやく諦めて枕に頭を落ち着けた。
「ごめん、ね。ベッド、占領しちゃって」
「全くだ。おかげで俺の寝床は二日連続で床の上だ」
冗談めかして茶化すけれど、体調が悪い所為かロザリンの反応はいま一つ。
普段からか細い声だが、今は一段と弱々しく聞こえる。
ふむ。と、アルトは背もたれに頬杖を付く。
「しっかし狭い部屋に男女が一緒ってのも、よく考えれば妙な話だな。ランドルフのオッサンは気にしないようにしてくれちゃいるが、カトレアの馬鹿は人のことをまるで犯罪者でも見るような目をしやがるんだぜ? まったく、人のことを何だと思ってるんだか」
大袈裟な口調で語っていると、頭を枕に置いたまま、顔だけを横に向けてアルトを見た。
「アルは、小さな、女の子が好き……覚えた」
「はは、寝言は寝てから言えよクソガキ」
「ムッ……小さくない、もん」
「自分の言葉に切れるなよ」
唇を尖らせるロザリンに、面倒くせぇと目を細める。
霊園で大泣きしていた姿とは打って変わり、普段通りのロザリンに戻っていて、正直拍子抜けしてしまった。
露骨に落ち込んでいるのもアレだが、こう元通りだと逆に、内心を押し殺しているのではと、深読みしてしまう。
そう思うと途端に何も言えなくなり、室内に妙な沈黙が流れた。
枕に頬を当てたままこちらを見るロザリンの視線と沈黙に、耐え切れなくなったアルトは、気まずさを誤魔化すよう乱暴に頭を掻き毟る。
こんな時に気が利いた言葉が吐けるなら、騎士を止めていなかっただろう。
「ねぇ……アル」
不意にロザリンが発した言葉は、先ほどまでと僅かに声色が違っていた。
アルトの返事を待たず、そのまま言葉を続ける。
「私、森に帰るよ」
「……そっか」
感情の乗らない声で、それだけを返した。
「お母さんとは、結局、会えなかったけど、お墓の前で、お婆ちゃんのことは報告したから、私がやること、全部終わっちゃった……だから、帰る、ね」
「帰りの船賃はどうするつもりだ。お前、文無しのはずだろ?」
クスッと、ロザリンは微笑を零す。
「ちゃんと、取ってある。アルと会わなかったら、使っちゃってた、かもだけど……」
言葉を区切って、毛布を口元まで引っ張り上目遣いで見てくる。
「心配してくれて、ありがと……やっぱり、優しい」
「……んんぅ」
思わず、背もたれを掴みながら仰け反ってしまった。
色々あった上に病気で弱っている所為か、熱に浮かされたようなロザリンの言葉に、どう反応してよいモノかと天を仰いでしまう。
「言おう言おうと思ってたが、お前は俺のことを勘違いしてるだろ。優しいだなんてお前の勘違いだ」
態勢を戻してうんざりした顔をする。
いい感じに捻くれた大人に成長すると、良い人とか優しい人とか、そう言われることに拒否反応を示してしまう。
気恥ずかしいのもあるが、真っ当な人間でないのは、自分が一番よく知っているからだ。
そんな内心など露知らず、ロザリンは浮かべた笑みを絶やさない。
「私、アルに感謝してる。いっぱいお世話になって、いっぱい色んな話をして、いっぱい楽しかった……だから、ありがとう。この街で、最初に出会ったのが、アルでよかった」
噛み締めるような熱のこもった言葉に、居心地の悪さから顔を背けてしまう。
「だから、帰る。迷惑、かけたくないから……魔女だとバレたら、悪い人が来るんでしょ?」
「……知ってたのか。魔女狩りのこと」
顔を背けたまま横目だけを向けると、ロザリンは頷く。
魔女狩りとは、いわゆる人身売買だ。
魔女や魔術師は巨万の富を生む。
故にその身を狙う者は多く、中でも国家権力などの庇護下に入ることを拒み、人里離れた場所で隠れ住む魔女たちはその標的にされやすい。
世間的には変わり者が、一人行方不明になった。それだけの認識しか持たれないからだ。
有能な魔女ならば、一生遊んで暮らせるだけの値段がつく。
ロザリンが魔女だと知れれば、北街の無法者達に南街の金持ち達、そして水晶宮の王侯貴族達が黙っているとは思えない。
遠からずロザリンを狙った、何らかの騒動が起こる可能性は、決して低くは無いだろう。
「そうなったら、アル。私のこと、守っちゃうでしょ? 優しい、から」
「守らねぇよ……自惚れんな」
「素直じゃ、ない。素直じゃない、なぁ~」
楽しげに弾む声色に乗せて、ベッドの上でモゾモゾと身を捩りうつ伏せになる。
アルトは舌打ちを鳴らして立ち上がると、近づいてロザリンの後頭部を掴み、グリグリと枕に顔を押し付けた。
「うぎゅ」
「頭が熱暴走してるからさっさと寝ろ馬鹿」
「……一緒に、寝る?」
「寝言は寝てから言えっていったろ~ほら寝ろ寝ろ寝ろ寝ろ……」
言葉に合わせて顔を何度も枕に押し付ける。その度、苦しそうにロザリンは足をバタつかせていた。
「さっさと寝て飯を食って体調を治せ……帰るのは、それからでも十分だろ」
ほんの少しだけ優しい声と共に、ペチンと後頭部を叩いてベッドの側から離れた。
ロザリンは顔を枕に押し当てたまま暫く黙った後、小さな声で「……アル。ありがと」と呟いた。
「…………」
ワザと聞こえないフリをして、椅子に座り直す。
それから二人の間に会話は途切れ、気がつけばロザリンは寝息を立てて眠ってしまった。
よっぽど疲れていたのだろう。そして、疲れているのはアルトも同じ。
大きな欠伸を一つして、前にした背もたれに寄り掛かった。
寝苦しかったのか寝返りを打ち、ロザリンは横向きになってアルトに顔を向ける。
安心しきったような表情に、無防備すぎるだろうと嘆息した。
「……寝顔は輪をかけてガキだな」
聞こえていたら、頬を膨らませて控え目に怒るだろうが、深い眠りに落ちているロザリンは、規則的な寝息を、静かに繰り返しているだけ。
落ちてきそうな瞼を支えながら、ロザリンの寝顔を見つめる。
今夜、妙に饒舌だったのは、微熱の所為で妙なスイッチが入っただけ……というわけでは無いだろう。
母親に関する様々な感情の揺れ。
心のバランスを崩している、と言ったら大袈裟すぎるかもしれないが、簡単に整理がつけられる事柄でもないはず。それが反動となって、アルトに甘えるような態度に出ているのかもしれない。
ロザリンを見ていると、昔の自分を思い出す。
別に似ているとか、そういう意味ではない。
「……素直な感情で頼られると、断り辛くなっちまうだろうが」
苦笑しながら、欠伸を噛み殺す。
誰かを守る気なんてない。誰かに背を預けて戦うなんてゴメンだ。
自由で気ままな風来坊。好き勝手生きて、好き勝手に死ぬ。そんな生き方を選んだから、騎士であることを止めた。
だから、ロザリンとのこともこれで終わり。
「……体調が戻ったら、それでさよならだ」
呟いて、ゆっくりと瞼を閉じる。そろそろ、体力も限界のようだ。
背もたれを抱いたまま、意識は急速に闇の中に落ちていった。
★☆★☆★☆
深夜。警備隊詰所。
ランプの明りに照らされた室内。
夜遅くまで警備隊隊長ラグ・マグワイヤは、自身の執務室でデスクワークに勤しんでいた。
普段なら既に帰宅し、床に就いている時間。
しかし、現在は通り魔事件のため、警備隊の業務は多忙を極めていた。
一昨日、執政官に呼び出されたことも、仕事の忙しさに拍車をかけている。
流石に二日、碌に寝ていないこともあり、疲労はピークに達しているらしく、マグワイヤは霞む目を書類から離すと、目頭を揉み込むように指で強く押し込んだ。
三十も後半になってくると、肉体も衰えてくる。
若い頃はこの程度の激務など、何てことは無かったのだが、年々疲れが抜け切らなくなっきたなと、自らの老いを実感し、マグワイヤはやるせないため息を漏らす。
今の仕事が一段落ついたら、何日か休暇を取るのも良いかもしれない。
そんな考えが頭を過るが、すぐに首を振って打ち消した。
止めておこう。どうせ、暇を持て余して、詰所に顔を出して部下共に気を使わせるのがオチだ。
気合を入れ直してから、仕事に戻ろうと再び書類を手に取ったと同時に、部屋のドアがノックされる。
「入れ」
「失礼します」
現れたのはロランドだ。
「どうした?」
視線を書類から外さずに問うと、近づいてきたロランドは、デスクの上に何か紙切れのような物を差し出した。
視線を向けると、それは封筒だ。
「……これは?」
「今しがた、騎士団からの急使により届いた封書です」
確かに、押された封蝋は、騎士団の紋章を描いていた。
手に取り、引き出しから取り出したナイフで、封を切り中身を取り出す。
硬い表情をしているロランドに見守られながら、手紙の内容を確認していたマグワイヤは、全ての文章を読み終えて、フッと息を零す。
「……どうやら、今夜は徹夜確定のようだな」
「では、やはり……」
「ああ、動くぞ」
マグワイヤは手紙を封に仕舞うと、その鋭い眼光に炎を点す。
「明日……いや、今日中に決着をつけてやるさ」
呟く言葉に滲む、鋭利な刃物に似た怒り。
それは優秀な隊長として、彼を慕うロランドが聞いても、ゾクリと鳥肌が立つような恐ろしさを帯びていた。