第58話 魔女よ、剣を取れ
水神の雫。
ロザリンが結晶体をリーディングし、術式でブースターを条件付き強化した代物。
結晶体は結界として魔力を帯びる王都の水が、魔力溜りで結晶化した存在。
つまり、元を辿るとリュシオン湖の底、寝所にて眠る水神リューリカの魔力である。
王都の水は全て、水神リューリカの影響を受けている。大袈裟な言い方をすれば、エンフィール王国の水は、水神リューリカそのものであると言っても、過言では無いのだ。
水神の雫のもう一つの効果とは、水神リューリカとの簡易仮契約。
限定的ではあるがロザリンは現在、水神リューリカの影響にある魔力、つまりは王都全ての水を支配下に置いている。
とは言っても、ロザリンの力で操れる水は、半径十メートルが精々。
国崩しによる激流は抑えることは不可能だが、戦闘においてなら今のロザリンは、騎士レベルの相手とだって渡り合えるだろう。
当然、普通の魔術師がやろうとして、出来るような魔術では無い。
魔女として歴史と経験を兼ね備える、ロザリンだからこそ可能な大魔術だ。
湖面から突き出した水柱は、渦巻きながら先端を槍のように鋭くして、岸辺に立つミュウに次々と襲い掛かる。
「ふん。こんな水溜り風情でッ!」
どんなに勢いがあっても、所詮は水と馬鹿にした様子で、ミュウは降りかかる水槍に対して拳を無造作に振るう。
拳が水槍と衝突。
飛沫を爆ぜて四散するが、想像よりも勢いのある水槍に拳が跳ね上がって、ミュウの身体が大きく後ろに揺れる。
水槍は一発では無く、続けて何発も飛んで来た。
「チッ。面倒臭いわねぇッ!」
裏拳で二発目を払い、続く水槍を蹴り、肘打ちなど、身体の様々な場所を使って破砕、迎撃を繰り返す。
水による攻撃を砕いてはいるが、やはり勢いが強く、ミュウの身体は徐々に後ろへと押され出す。
ミュウの表情に、苛立ちが滲み出る。
「ッざったいわねぇッ!」
咆哮して飛び上がり、横回転から繰り出した蹴りで、水槍を数本同時に霧散せた。
そこを狙い澄まし、速度重視で投擲された細い水槍が、ミュウの身体を射抜く。
「――ガッ!? ギッ!?」
最初が肩を穿ち、二発目が太もも。
赤い血と水の雫が舞い散る。
空中でバランスが崩れたところに、畳み掛けるよう無数の水槍が降り注ぎ、ミュウは後ろへと吹っ飛ばされた。
「……ふぅっ」
右手で二本指を立てたロザリンが、その光景を見て短く息を吐く。
魔力自体は水神の雫でブーストしているので、見た目ほど消費量は大きくは無い。
だが、常に膨大な量の魔力を維持しなければならないのは、かなり集中力を要する。
その上で、命を懸けた戦闘を行わなければならないモノだから、ゴリゴリと精神力が削り取られていくのがわかる。
ロザリンの立っている場所は湖面の上。
如何にミュウが化物染みた強さを持っていても、ここなら彼女の攻撃は届かない。
もっとも、それだと切り札を使えないのは、ロザリンの方なのだが。
降り注いだ水が霧雨となって、夏の日差しと熱を持った石畳を冷やす。
その中で地面を手で押して立ち上がったミュウは、猫背のまま顔をゆっくりと上げた。
びしょ濡れになり、身体から発する熱で湯気を上げながら、鋭い視線でロザリンを見据えるミュウは嗤っていた。
当然の如く、傷はもう無い。
「――ヒッ!?」
言い知れぬ恐怖を受けて、ロザリンの口から自然と悲鳴が漏れた。
状況は圧倒的にロザリンの方が有利の筈。
なのに、身体が小刻みに震え、噴き出す汗が止まらない。
「ま、負ける、モンかッ」
恐怖を振り払うように、一際大きな水柱を作り出すと、押し潰すようにミュウへとけしかけた。
迫る巨大な水中から逃げる素振りも見せず、ミュウは指の関節をバリバリと鳴らす。
大きく息を吸い込むと、顎が軋むほど歯を噛み締めた。
「――ガァァァァァァアアアアアアッッッ!!!」
足を大股に開き、上半身を折れそうなほど真後ろに倒すと、水柱が直撃するタイミングを見計らって、投石機のように拳を振り上げた身体が、前方に打ちだされた。
空気が引き裂かれる爆音が響く。
ミュウの拳と水柱が激突すると、一瞬の静寂に辺りが満ちる。
次の瞬間、勢いよく水柱の内部が粟立ったかと思うと、まるで内部から爆発するかのように、水柱は 粉々に爆ぜて、雨となり湖面や公園に降り注いだ。
とても人間の仕業とは思えない力技に、ロザリンは声も出せずただ絶句した。
「キヒッ」
ミュウは嗤うと、反対側の足を踏み出す。
そして、矢が飛ぶような速度で、ロザリンに向かって疾走した。
ゾクリとした悪寒が走り、透かさず水槍を生み出すと、走るミュウを妨害するように無造作に打ち出す。
狙いを定めてない水槍は精度悪く、殆どが狙いを外れ、地面に突き刺さり水飛沫へと変わっていく。
数本、ミュウの身体を捉えるが、走る勢いを乗せた拳が、軽々とそれを打ち砕く。
水槍を拳と蹴りで次々と打ち払い、疾走する身体は降り注ぐ雨を斬り裂き、木製の桟橋を踏み砕きながら、ミュウは何の迷いも無く湖面へと足を踏み出した。
「……えっ?」
ロザリンは露骨に、驚愕の表情を見せた。
湖面へと躍り出たミュウの身体は、沈むことなく、水面に波紋を広げながらロザリンに向かって一直線に駆けていた。
「ハッ! 私の力も結晶体によるモノだぞ? これくらいの芸当、出来て当然なんだよ!」
見る間に距離が縮まる。
接近戦に持ち込まれるのは不味い。
速度には驚いたが、水の上を歩ける程度のことは、想定済みだ。
「このっ!?」
両手を前に突き出すと、ロザリンを守るように、水の壁が出現する。
「こんなモンで、私が阻めるかよッ!」
真正面から突っ込んで、強引に突き抜けようとするが、身体が触れた瞬間、水の壁はミュウの身体を中へ取り込み閉じ込めてしまう。
一瞬だけ驚くが、直ぐにニヤリと口元を歪めると、身体を小さく縮め、一気に広げた手足から生み出される衝撃で、閉じ込める水を吹き飛ばした。
時間稼ぎにもならない。
胃がキュッと縮む感覚に、ロザリンは腰に差していた傘を抜く。
傘の先端を水面に浸し、前方をなぞるように振ると、舞い上がった雫はそれぞれ意思を持った鋲のように、一斉にミュウを狙って跳んで行った。
針のような鋭利さで飛来する雫は、ミュウの肌を斬りつけ、血を滲ませる。
「ヒハァ! シャワーより心地いいじゃない!」
が、ミュウは怯むことなく、傷を広げながら湖面を疾走する。
正面から降り注ぐ雫はミュウの身体を傷つけるが、同じ速度で傷口は瞬く間に癒えて、消え去っていく。
これが、彼女の誇る異常回復。
確かに、通常の魔術からは逸脱した、常識外れの術式だ。
興味深くはあるが、悠長に推測している暇は無い。
「うらららぁぁぁああああああ!!!」
叫び声を張り上げ、ミュウが迫る。
「……ふっ」
攻め手を休めず、ロザリンは頭の中で次の術式の構成を描く。
その場に座り込み、右手で水面をぱぁんと叩いた。
湖面に水泡で構成された魔方陣が広がり、ロザリンの四方を囲むように四本の水柱。
いや、水の竜巻が出現する。
湖の水を巻き上げ、激しく回転させながら、水の竜巻は飛沫を撒き散らし、天高く荒れ狂うようにそびえ立つ。湖面を激しく波でうねらせて、疾走するミュウを巻き込むため、ロザリンは指先で軌道を描き水竜巻をけしかけた。
「こりゃあ、大した手品じゃないかぁ!」
湖面に降り注ぐ暴風雨のような飛沫を浴びても、足を止めないミュウは、そのまま真正面から迫りくる水竜巻に突っ込んでいき身を躍らせた。
凄まじい水流の回転に巻き込まれ、ミュウの身体は湖面の水と共に空へと舞い上がる。
外から見れば、螺旋状に渦巻く水竜巻。
しかし、実際は四方八方からの激流が荒れ狂い、複雑な水流は中に入った者の身を絡め取る、いや、引き裂かれてしまっても不思議では無いだろう。
逆さになって激しく錐揉みするミュウと、湖面に座り込み水竜巻を操るロザリンの視線が交差する。
完全に竜巻の中に取り込まれた状況下にあって、ミュウは確かに笑っていた。
嫌な予感が走り、ロザリンは指をパチンと鳴らすと、傘を振り回して、先端を水流に揉まれるミュウに狙いを定めた。
すると、残る三本の水竜巻も動きだし、ミュウを飲み込んだ水竜巻と融合した。
完成される、巨大な一本の水竜巻。
家一軒なら軽々と飲み込めるサイズまで成長した水竜巻は、激しくうねりを上げ、その反動で湖面は 更に激しく波打ち、岸辺まで打ち寄せて行く。
そして更に水流の勢いと複雑さを増した内部は、水泡によって中が詳しく確認は出来ない。
「でも、これなら、普通の人間に、脱出は不可能」
これで駄目なら、本物の化物だ。
轟々と音を立てる水竜巻が、不自然に大きく泡立った。
「……あ」
唖然とした声を漏らした瞬間、水竜巻は激しく左右に暴れ、激しい白い水飛沫を上げて真っ二つに引き裂かれる。
「――ヒャアアアアアア!」
奇声を発して、足を斧のように振るい、ミュウが回転しながら割れる水竜巻の真ん中から脱出してきた。
信じられないと、ロザリンの目が見開かれた。
「おらぁ! お返しだぁッ!」
「――ッ!?」
真上から振って来た踵落としを、慌てて傘で払う。
真正面に降り立ったミュウは、ニヤッを嗜虐に満ちた笑みを見せると、握った拳を解き、両腕を素早く撓らせる。
「――痛ッ!?」
激しい打撃音が断続的に響く。
ロザリンには視覚出来ない、風切り音だけが響くミュウの手刀の連打が、鞭に似た撓りを持って身体を激しく打ちつける。
水で濡れ冷えた身体が、途端に熱を持つ。
「ヒャハハハ! アンタみたいなガキには、こういう痛みがお似合いよ!」
ミュウの攻撃は、簡単に言えば平手打ちの連打。
両腕を脱力させて撓るように打ち付けているので、打撃的には鞭に近いかもしれない。
殺傷能力は低く、骨が砕け命に至るような打撃では無い。が、肌を打ち、皮膚が裂けるような一撃は、痛みというモノに慣れていないロザリンには、耐え難い苦痛かもしれない。それが断続的に続くのだから、身体より先に心が折れる可能性が高い。
倒す為では無く、相手に苦痛を与える為の攻撃だ。
「……グッ。負ける、モンかッ」
血の味がする口内で、気力を強引に奮い立たせ、右手に握った傘を振るう。
脇腹を殴りつけようとするが、それはミュウの手によって阻まれた。
「――クウッ!?」
左手を真横に翳すと、湖面の水が手の平に集まり、水で作られた剣へと変化する。
それを、反対側から斬りつけようと振るった。
「ふん」
水の刃もアッサリと阻まれ、受け止めて斬り裂かれた手の平から漏れる血と水が混じり合い、雫となって湖面へと落ちた。
悔しげに睨み付けると、ミュウは嘲るように口の端を釣り上げた。
「ハッ、雑魚が。ここがお前の限界なんだ、よッ!」
「――ガッ!?」
振り上げた頭を、ロザリンの額に叩き付けた。
眩暈がするような衝撃に、足の力が抜けかけて膝が僅かに落ちる。
集中力が乱れ、左手に握った水剣が崩れ落ちると、ミュウは自由になった手の拳を硬く握りしめた。
「水の底で、テメェの弱さを後悔してろ」
鉄のように硬い拳が、ロザリンの頬に突き刺さる。
激しい衝撃が脳を揺らし、意識がホワイトアウトしかけるが、予想して顎を引き打点を僅かにずらしたので、何とか気絶することは免れた。
しかし、衝撃までは耐え切れず、ロザリンの身体はそのまま、湖面の底へと叩き込まれた。
音が無くなり、息苦しさと殴られた痛みに、目の前がチカチカと点滅する。
顔面と身体の痛みが、恐怖を呼び起こし身体が竦む。
だが、だが、ロザリンは耐え切った。
ここは湖面の中。沈んだ衝撃で周囲は泡立つ。
ミュウの一撃は強力で、ロザリンの身体は湖の奥深くにまで落とされた。
見上げる泡の向こう。
天に昇る太陽に照らされ、湖面に佇むミュウの姿が、はっきりと水中から確認出来た。
恐怖に、痛みに、緊張感に耐え、重ねた布石がようやく実った瞬間だ。
千載一遇のチャンスに、刻まれた恐怖を振り払い、ロザリンは背負った白い布に包まれた剣に手を伸ばす。
竜翔白姫。
アルトの師、竜姫が振るった剣だ。
魔力をエネルギーに還元し、物理的な斬撃として放射する特別なアーティファクト。
水の中では呪文が唱えられないが、魔力を直に流すことの出来るロザリンなら問題は無い。しかし、 アルトや竜姫、常人を遥かに超える魔力容量を持つロザリンが、竜翔白姫を全力で振るえば、どれだけの威力を生み出すかわからない。
だから、被害を最小限に抑える為、ミュウを湖面にまで引っ張り出し、尚且つ水中から上へと放射出来るよう、適切な状況を作り上げなければならなかった。
それに剣術に関しては、てんで素人。どんなに強力な一撃も、回避されれば終わりだ。
怪しい動きをすれば、見破られるかもしれない状況下で、ロザリンは見事このシチュエーションを作り出した。
アルトと同じように、水中で脇構えの態勢を取り、ミュウに狙いを定める。
白い刀身に紫電が走り、青いオーラを纏った。
中々浮かんでこないことを、不自然に思ったのか、笑みを消して、顔を水面に近づけ、水中へと目を凝らしたミュウと、再び視線が交差する。
剣を構える姿を見た、彼女の瞳が、大きく見開かれた。
だが、もう遅い。
「――ッ!」
水中で声にならない声を発し、思い切り剣を振り抜いた。
瞬間、
雷鳴のような轟音と共にリュシオン湖の水面が爆ぜ、青い斬撃のオーラが大きくアーチを描き、湖面を真っ二つに裂いて、割れた水面は天高く舞い上がると高い落差から、瀑布のように湖へと舞い戻って行く。
斬撃の衝撃波と湖面が裂かれて生み出されたうねりが、大きな波状となって広がり、晴天の空の下、嵐のようにリュシオン湖は荒れ狂っていた。
激しく、本物の雨のように降り注ぐ水が、雨音を響かせる。
割れた水面はまた轟々と渦を巻きながら、瞬く間に元通りに戻るが、斬撃の凄まじさを物語るように、たった一振りによって生み出された晴天の暴嵐は、その後小一時間近くリュシオン湖を乱し続けた。
★☆★☆★☆
「――ぷはぁッ!?」
衝撃で破損した桟橋の上に、何とか這い上がったロザリンは、荒い息遣いで倒れ込むと、水を吐き出しながら何度も激しく咳き込んだ。
竜翔白姫による、急激な魔力消費で、頭がクラクラする。
水神の雫で湖の水流を操作し、何とか溺れずに済んだが、体力もそして時間も、大分使ってしまった。
暫く倒れこんで休みたいが、そんな暇は無い。
幸い、目的の魔力溜りは直ぐ近く。
「ゲホッ……急がな、きゃ」
立ち上がろうと桟橋に手を突くロザリンの身体が、急に軽くなった。
足が持ち上がり、身体の上下が逆転する。
全身から水が流れ落ち、何事かと顎を引いて見上げると、左足首を掴み上げるミュウと視線が交差した。
目にしたその姿に、ロザリンは凍りつく。
「……ハハッ。今のは流石に、死ぬかと思った、ぞッ!」
「――ヒッ!?」
足を掴んだミュウは、驚きに固まるロザリンを思い切り、公園の方へと投げ飛ばした。
小柄なロザリンの身体は軽々と宙を舞い、地面に落ちると先ほどの戦闘の余波で、湿ってボロボロの石畳の上を無惨に転がっていく。
受け身を取る余裕も無く、ロザリンは投げ飛ばされ、倒れたまま痛みに呻き蹲る。
「ヒ、ヒヒッ……大したガキだよ、お前は。この私に、ここまでの手傷を負わせたのは、お前が初めてだ」
痛む身体を押し上げて、ミュウの方に視線を向ける。
その異形の姿に、ロザリンは我が目を疑った。
竜翔白姫の一撃を受けた影響か、ミュウの全身はボロボロと形容していいほど、傷だらけだった。ただし、傷口からは血液は流れず、骨や裂けた肉も見えない。
皮膚の下からは無機質な、青色に輝く結晶体が覗いていた。
ミュウの身体の三割ほど、結晶体と同じ青い宝石で構成されている。
「そ、それ、は……」
「ん? ああ、これのこと?」
畏怖に歪む表情が愉快なのか、惨状とは裏腹に口元には笑みを湛える。
向けられる視線。彼女の左目もまた、眼球の代わりに結晶体が鈍い輝きを放っていた。
「私は他の連中みたいに、ブースターで力を得たわけじゃない。結晶体の核を飲み込んで、王都の魔力を吸収しながら、体内で同化させたのさ」
「――そんなッ!? 身体に取り込むだけでも、危険、なのに、同化させるだなんて、ありえない!?」
思わず叫ぶと、ミュウは楽しげに奇声を発して、空いている手を横に広げた。
「そうさ! あり得ない、馬鹿げたことだ。だが、私の親父はそれをやった。実の娘をテメェの手で化物に育て上げたのさぁ! おかげで見ろ、ご覧のザマだ!」
逆さ吊りにされているロザリンの顔に、結晶化している自分の左目を近づけた。
「忌々しい斬撃から生き延びる為、体内の核がオーバーロードを起こしやがった。再生が間に合わない分を、結晶化することで補ったのさ。これで私は、名実共に化物だ。もう、誰も私に寄りつきゃしないさ!」
ゲラゲラと笑いながら、高らかに語る。
嬉しそうに、そして楽しそうに。
けれど、見上げるロザリンにはその姿が、酷く悲しげに見えた。
「……その、苛烈すぎる、性格は、結晶化の影響、ね?」
予想を口にすると、ミュウはピタリと笑うのを止めた。
魔術学の観点から説明すれば、人の内的に刻まれた術式にも様々な属性があり、それにより性格が左右される。一般的な常識に倣うなら、好戦的で苛烈なミュウは火属性に区分されるだろう。
そして王都の結晶体は、文字通り水の属性。
現代魔術学の常識として、この二つが並び立つことは不可能だ。
「結晶体と、同化することは、内的術式の、書き換えに相当する。でも、そんなの、現代の魔術では、不可能。反発する属性、同士なら、尚更……その歪みが、精神のバランスを崩し、貴女を、過剰に血を求めるように、暴走している」
水は癒しや冷静さ、知性を象徴する。
本来、闘争心の強い火属性の性格に、水属性が加わることで精神のバランスを崩し、ミュウは血や痛み、暴力の中でしか楽しみや喜びが、見い出せなくなってしまったのだ。
しかし、これは魔術学の視点から見た極論に過ぎない。
今に至るミュウの性格は、彼女が現在まで辿って来た歴史の積み重ねの結果。
属性によるバランス崩壊は、その一端に過ぎないだろう。
「ふん。賢いじゃないかガキ……だとしても、私は何にも変わらないし、アンタを殺すことも変わらない。アンタを殺して、私はアルトを手に入れる」
「何で、アルに、執着する、の?」
彼女の全てを知っているわけでは無い。
しかし、ミュウという少女が、そこまで他人に固執するような人間には、どうしても見えず、そんな彼女が、同じく出会って間もないであろうアルトに、そこまで拘る理由がロザリンにはわからなかった。
アルトの名前を出すと、露骨にミュウは歪んだ笑顔を見せる。
「別に、ご大層な理由があるわけじゃないわ。そうね、言ってしまえばインスピレーションよ。あの男には感じるの……私と同じ、地獄の残り火がさ。でも、そんなの素知らぬ顔して、生温い男を演じている」
ペロリと、唇を舐め上げた。
「あの男の燻った炎を、真っ黒に燃え上がらせてやりたくなったのよ。アルトが怒りに我を忘れ、私の血を、肉を、命を一心不乱に求める姿が見たいの! 網膜に映る最後の一時まで、私と言う憎悪で染め尽くす!」
熱の籠った言葉で、頬を恍惚に染め上げる。
「それが果たされて初めて私は、この世に生まれた喜びを実感できる。ああ、アルトを殺せて良かった、って……私はその一言が言いたいのよ」
「……うざっ」
ジト目で言った瞬間、腹部にミュウの拳が突き刺さる。
重い衝撃に息が止まり、鈍い痛みにロザリンは激しく咳き込んだ。
「お前のようなガキが、アイツの側にいるのは気に入らないんだよ。だから、アイツのこと抜きにしても殺してやるよ」
「そんな、の、ただのヤキモチ、じゃない」
「はぁ?」
訳がわからないと、ミュウは思い切り顔を歪めた。
「気になる人が、いて、その側に、違う人がいるのが、気に入らない、なんて、ただのヤキモチ。ご大層なこと、言ってるけど、貴女の言葉は、狂気で隠しているだけで、何のことも無い、女の子の、他愛も無いヤキモチ……嫉妬、だよ」
キュッと、ミュウは唇を硬く結ぶ。
「……くだらないこと抜かすなっ」
低く、脅すような声で吐き捨てる。
が、相手がアルトのこととなれば、ロザリンも引かず、逆さのまま睨み付けた。
「くだらなく、無い。自分の心も、ハッキリしない人間に、アルのことを、語られたくない」
ミュウの眉が限界まで釣り上がる。
「アルの、側にいるのは私。絶対に、離れない。なぜなら、私は、アルの相棒だから」
「くだらない。くだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないッ!」
怒りを露わにしたミュウは、爪先で足元にあるロザリンの顔を蹴り飛ばす。
鼻を掠め、血がタラッと眉間を通じて地面へと流れる。
「アイツは私のなんだよッ! アイツを傷つけるのもアイツに傷つけられるのも私だけで十分なんだよッ!」
腕で顔を庇うが、構わずミュウは蹴り続ける。
感情が高ぶっている所為か、乱暴なだけでそれほどの威力は無かった。
「国崩しの道具にする為に、私を化物にした親父や、テメェの野心を満たすことにしか興味の無いボルド。そいつらに群がっている天楼も、敵対してる奈落の社もそれ以外も、私にはどうだっていいことなんだよッ!」
半狂乱になって喚き立てる。
「アルトは私のモノだ! 理屈なんか関係あるかッ! お前らなんか関係あるかッ! アルトは私のモノだッ。私のモノなんだッ!」
「――違うッ!」
蹴りつける足を掴み取り、ロザリンは叫ぶ。
「私は、迷わない。私は、アルが好き。だから、絶対に負けないッ!」
空いた足でミュウの顎を下から蹴り上げると、不意を突かれた為か、思わず掴んでいた足を離してしまう。
地面に降りたロザリンは、透かさず立ち上がる。
長く逆さまになっていた所為か、頭痛と立ち眩みでよろけるが、構わず拳を握りミュウの顔面を殴りつける。
軽い音を立てて、ミュウの首が捩れる。
不意の一撃だった為か、唇が切れて赤い血がツーッと流れ落ちた。
ギロッと睨み付け、血の混じる唾を吐く。
「ブーストしててもこの程度……半端なんだよクソガキッ!」
裏拳を放たれ、ロザリンは咄嗟に腕をクロスして防御するが、激しい衝撃が突き抜け、何度目になるのか小さな身体が後ろへと吹っ飛ばされた。
躁鬱が激しいミュウは、今度は酷く冷めた視線で倒れたロザリンを見下ろす。
「話は終わりだ……そろそろ死ねよ。もう種は尽きただろ?」
一歩、一歩、蹲るロザリンに近寄る。
「うん……これで、最後」
身体を起こし、ロザリンは指差す。
訝しげな表情で足を止めると、指先を視線で追い、自らの二の腕を見る。
二の腕の、結晶化した部分に、奇妙な文様が刻まれた銀板が突き刺さっていた。
ロザリンは、ぱんと両手を叩く。
「逆計、発動」
「……あ?」
瞬間、銀板はオレンジ色に発光して消え去ると、ミュウの結晶化した部分が、赤、青と色を変えて点滅する。
何が起こったのか理解出来ず、唖然とするミュウの身体が、激しい炎に包まれた。
「――なッ!? なによこれッ!」
「――ッ!」
よろめきながら、ロザリンは地面に転がる竜翔白姫を拾い上げ、不格好に思い切り上段から振り下ろす。
魔力を斬撃として放出された一撃は、炎に包まれたミュウを飲み込む。
先ほどとは、比べものにならないほど、小さな斬撃。
けれど、ミュウの身体を吹き飛ばすには、十分な一撃だった。
「――ッ!?!?!?」
断末魔の声すらも飲み込み、赤く燃え上がる身体は、放射される斬撃に飛ばされ大きく宙を舞い、炎の残滓を散らして、リュシオン湖へと落ちて行った。
周囲に静寂が戻り、ロザリンの荒い息遣いだけが響く。
今使った魔術こそ、逆計術式。
ミュウの身体を構成するのは、王都の水をベースにした結晶体だ。
それを逆計術式により逆転することで、一部の属性を火へと変換する。
一部の属性が火になることによって、結晶体を構成する水属性とぶつかり合い、暴走して今のように燃え上がってしまったのだ。
あの炎はミュウの身体を構成する一部なので、消すことも出来なければ、異常回復力で癒すことも出来ない。
揺れる水面が泡立ち、暫くしてその泡が、消えた。
今度こそ、本当に終わった。
竜翔白姫を杖代わりにして、がっくりと膝を突いたロザリンは、大きく息を吐く。
それでもまだ、倒れ込むわけにはいかないロザリンは、痛みを堪えて、魔力溜りへと急ぐ。
国崩しを、阻止する為に。
勝利の余韻に浸る暇は無いが、確かな手応えから、ロザリンは小さく拳を握る。
重い身体を引き摺るようにして、懸命に力を振り絞り、荒れ果てた公園を後にした。
だが、アルトがこの場にいたら、詰めが甘いと肩を竦めるだろう。
ロザリンが立ち去った後に、桟橋に伸びた腕が、炎を撒き散らして木製の桟橋を黒く染め上げていた。




