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第55話 恋を知り得て狂気に至る






 明日、決着をつける。ミュウはアルトにそう言い残して行った。

 土地柄のおかげで、抜糸出来るまで傷の方が回復していて、体力も戻って来ている。体調面ではさほど問題は無いのだが、やはりあのミュウとの一戦、心身共に万全を喫しておきたい。

 今日は無理にならない程度に身体を動かし、食事を取り、少しでも傷の回復速度を上げる為、日が暮れると早々に床へとついた。


「……眠れねぇ」


 シーナ宅で彼が用意した、ボロボロの毛布に包まり、アルトは何度目かの呟きを漏らす。

 元々、夜遅くまで酒を飲んで、明け方近くに眠り、昼過ぎに起きるという、自堕落極まりない生活を続けてきた所為か、床に就いてからからこれ数時間、何度も寝返りを打っては寝苦しそうにしていた。

 ロザリンが来てからは、早起きにはなったのだけれど、長年染みついた習慣は抜けきらないのか、早寝となると少しばかり勝手が違った。


「怪我の療養で、寝てる時間も長かったからなぁ」


 身体の具合を考えると、疲れるまで運動するのは得策では無い。

 なので、結論として導き出されるのは一つ。


「……寝酒でもすっか」

「駄目だよ」


 独り言に突っ込みを入れたのは、横で同じく床に就いているシーナだった。

 人が良いというか、付き合いの良い彼も、アルトが早寝をするならと、自分も早々に布団に入っていた。

 健康的な生活を送っていそうな彼も、この時間帯は早すぎるらしく、まだ起きていたようだ。

 シーナは仰向けで目を瞑ったまま、身体を起こそうとするアルトを咎める。


「昨日は止められなかったけど、本当はその大怪我でお酒を飲むなんて、許可出来ないんだよ。眠れないのはわかるけど、そこは我慢しないと……」

「へいへい。わかりましたよ」


 目を瞑りながら肩を竦め、両手を後頭部へと回す。

 家の隙間や窓から、外の明かりが漏れる。

 最初は神秘的だった魔力の残滓も、ここで数日くらすと眠り辛い明りに思えてくる。

 もう少し長いことこの天楼で暮らせば、それすらも気にならなくなるのだろうか。


「……あの、アルト君」

「あん?」


 不意にシーナが話しかけて来て、アルトは目を瞑ったまま返事をする。


「アルト君は、その、誰かを守る為に、天楼と戦うつもりなのかい?」

「……俺がそんな殊勝な人間に見えるか?」

「いや、その……」


 自分で否定しておいて何だが、口籠られるとちょっぴり傷つく。


「エレンちゃんがさ、言ってたものだから……あの人は、誰かの為に怒れる人だって」

「嫌だねぇ。そういった決めつけ。んな風に勝手に人を善人扱いして、煽てて透かして、面倒事を押しつけやがるんだよ。世間ってヤツは」

「……なんでかな?」


 茶化す言葉に、シーナは真剣に問いかける。

 普段の気弱で、お人好しな雰囲気とは違う、何処か鋭さを帯びた質問に、目を瞑ったままのアルトも表情に真剣さを宿す。


「……さぁな。何でか何時も、貧乏くじさ」


 気怠そうに言って、寝ている足を組んだ。


「正直言えば、面倒事も厄介事も御免だ。誰かを守るとか、誰かの為に戦うとか、綺麗事過ぎてヘソで茶を沸かしちまうね……だがよ。面倒クセェことに、俺にはあるんだよ。魂ってヤツがさ」

「……魂?」

「ああ。これが全く、厄介なモンさ。キツイこと、ヤバイことにぶち当たると、必ず腹の底で騒ぎ立てやがる。テメェはそれでいいのかってよ」


 アルトの言葉に、目を閉じたまま、シーナは真剣に耳を傾ける。


「騎士の証って、何だと思う」

「証? えっと、勲章とか、名誉とかかな」

「騎士の証とは己の魂であり、それこそが敵を斬り己を守る剣である」


 滔々と、アルトは詩を読むように語る。


「俺の師匠っぽい奴が嫌いな言葉で、俺は少し気に入ってる東国に伝わる文言だ」

「己の魂……それって、信念とか、そういう意味?」

「さぁな。言葉しか聞いたことねぇから、意味までは知らねぇよ……けどさ、わかるんだよ。俺の中にもその、魂の剣、騎士の証が存在するみてぇだからさ」


 ポンポンと、自分の胸の辺りを叩いた。


「コイツが折れない限り、コイツが騒ぎ立てる限り、俺ぁ騎士であることを止めることが出来ねぇ。コイツがある限り、俺は俺の矜持を曲げられねぇんだよ」

「自分の、矜持」

「きっとシドの爺も同じさ。だから、馬鹿みてぇに同じ場所をグルグル回ってるんだよ」


 感じ入ることがあったのか、それっきり、シーナは黙り込んだ。

 柄にも無く余計なことを喋りすぎたと、アルトは短く息を吐きだし、組んでいた足の左右を組み替えた。

 多少は眠気が増してきて、ようやく瞼が重くなった頃、入口が遠慮がちにノックされる。

 家主では無いアルトは反応しないのは当然として、横のシーナが何も言わないのは不自然に思い、目を空けて確認すると、何時の間にやら眠ってしまったらしく、安らかな寝息を立てていた。


「どんだけ寝付きがいいんだよ」


 呆れていると、今度は少し大きめに戸がノックされた。

 無視したいが今ので降りかけた眠気が完全に去ってしまい、舌打ちを鳴らすと布団から抜け出し、ヨロヨロと入口に向かう。


「はいは~い。シーナさんならお眠ですよぉっ、と」

「心配無い。私が用があるのは、お前だ」


 戸を横にスライドさせた先にいたのは、不機嫌な表情で佇むフェイだった。

 フェイは顎を後ろにしゃくる。


「少し、面を貸しなさい」

「夜這いで野外ってのは、少しマニアックすぎるんじゃ……」

「…………」


 軽い冗談に無言で睨まれ、口を紡ぐと後頭部を掻いた。

 フェイに連れられて外に出ると、彼女は頻りに周囲を気にしながら、人気の無い暗い路地へとアルトを引っ張り込んだ。


「おいおい、本当に何のつもりだよ」

「――シッ!」


 唇に手を添えて、アルトの口を手で無理やり塞ぐと、もう一度念入りに周囲の気配を探り、胸倉を掴んで強引に頭を引き寄せた。

 耳元にフェイの吐息がかかる。傍目からは、完全に抱き合っているように見えるだろう。

 マジで野外プレイかとドギマギしていると、フェイは真剣な口調で囁く。


「魔女が国崩し封じに動き出したわ」

「――ッ!?」


 途端に、アルトの目付きに鋭さを帯びる。

 フェイの腰に手を回すと、自分の腰に密着するほどグッと引き寄せる。

 密着度が増して、フェイは目を大きく開きながら、漏れそうになる悲鳴を何とか堪えた。


「……状況は?」

「む、むぅ。かた、かたはねのギルドマスターを中心に、何やら計画をしている様子、だ」


 自分でこの態勢を取って置きながら、フェイは頬を赤く染めて、ぶっきら棒に返答する。

 そして、暫し無言。


「あれ? それだけ?」

「部下からの報告にあったのは、それだけだ」

「ちょっとリサーチ甘いんじゃねぇの? んなの、子供のお使いじゃねぇんだからよ」


 呆れたような言葉にカチンと来たのか、フェイはうるさいと、アルトの胸を拳で叩く。


「連中も此方の監視を警戒してるんだ。仕方ないでは無いか! そもそも、情報を敵である貴様に伝える義務は、私には無いんだぞ」

「んだったら、何で教えてくれんの」

「そ、それは……」


 顔を離して間近で戸惑うフェイを見つめると、暗がりでもわかるほど、顔面を真っ赤に染めてしまう。

 やたら不機嫌な顔をして、フェイは視線を逸らした。


「別に、ただの、近況報告だ……他意はない」

「へいへい、さよか」


 徐々に小さくなる語尾に、アルトは苦笑を漏らした。

 敵だ何だと噛み付いて来ても、結局のところ、根の真面目さは抑えきれないらしい。

 口に出すとまた過剰に否定されるだろうから、心の中で感謝の言葉を呟く。

 と、言うことはこの一件、シドでは無く、ボルドが何やらよからぬことを企んでいると、推測して構わないだろう。


「明日、複数の兵隊を動かす準備を進めている。意図、目的は不明……独断だ」


 誰がとは言わない辺りが、フェイの義理堅さを示している。

 それにしても、ミュウとの決闘だけでも頭が痛いのに、このタイミングでボルドが動き出すのは、ちょっとばかりキツイものがある。

 弱り目に祟り目とは、よく言ったモノだ。

 いや、奴のことだから、逆に狙っていたのかもしれない。

 どうしたモノかと、無言で考え込むアルトを見上げ、フェイは真一文字に結んでいた唇を開く。


「……向こうにはラヴィアンローズがいる。相手は搦め手で来るだろうが、アレをまともに止めるなら、それこそミュウ辺りをぶつけねば駄目だ。だから、心配するな」


 真剣な言葉に驚いた顔をした後、ヘッと軽薄に笑い飛ばした。


「おいおい。それじゃあ俺が、アイツらを心配してるみたいじゃねぇか」

「ふん。そんな返しをされると、まるで私が慰めてるみたいに聞こえるな。それとも、慰めて欲しいのか?」


 皮肉交じりな笑みで、フェイはそう逆襲した。

 素直じゃない返事に、素直じゃない言葉が帰って来る。

 どっちもどっちとは、まさにことのとだ。

 だが、このまま一本取られた形になるのは、アルト的に少し面白くなかった。

 さり気なく腰に回した手の位置を動かすと、その指先が妙な動きを始めたことに気がついたフェイは、身体をビクンと震わせる。

 気配だけで固まってしまう初心な仕草に、アルトは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「女に慰められるのは嫌いじゃないが、出来ればもう少し肉感的な方が俺は……」

「離れろ馬鹿ッ!」


 指先が臀部に触れかけた瞬間、慌てて身体を突き放したフェイが、顎目掛けてのショートアッパーが炸裂。アルトの行動と言葉を、力尽くで静止させた。

 痺れるような痛みに、顎を押さえて涙目のアルトを一睨みし、フェイは腕を組んでフンと顔を背けた。


「全く! 貴様という男は、本当に油断ならん!」

「痛てて……軽い冗談じゃねぇか。相変わらず短気だねぇ」


 今にも噛み付いてきそうな眼光に、両手を上げながら後ろに下がる。

 睨まれながらも、何かを思い出したアルトは、図々しい笑みを浮かべて手揉みをした。


「俺さ、明日決闘なんだけど、剣を取り上げられて丸腰なんだよね」

「……一応、貴様は捕虜扱いなんだが?」

「そこを何とか! 素手でアイツとやり合うなんて自殺行為だ。フェアじゃないだろ?」


 手を合わせて拝み込むと、フェイは腕を組んで唸る。

 数秒、悩んだ末、大きく息を吐いた。


「確かに決闘という名目である以上、ミュウの特性を考えると素手では分が悪いか……わかった。明日、決闘までにシド様と交渉して、剣を返して貰えるよう頼んでみよう」

「真面目だねぇ。黙って持ってきた方が、早いんじゃねぇの?」

「ふざけるな。これでも、譲歩した方なんだぞ」


 ジロッと、上目遣いで睨んだ後、アルトに背を向けた。


「返して貰えなかったら、代わりの剣を用意しておく……用件は以上だ。私はもう行くぞ」


 一際、不機嫌な口調で言い残し、フェイは片手を上げて去っていく。

 最後まで律義……いや、初めて会った時より、どういう心境の変化があったのか、大分物分りが良くなったように感じる。

 ツンケンしてはいるが、以前のような刺々しさは、ほぼ皆無だろう。


「番犬の鎖は、何処にいっちまったのかねぇ」


 苦笑しながらアルトは、遠ざかるフェイの背中に、手を合わせて一礼した。

 明日はボルドが部下を率いて、ロザリン達との戦いに赴く。逆を言えば、多少なりとも天楼の中は手薄になるとくことだ。

 ロザリン達がボルドを打ち砕き、アルトがミュウに勝利すれば、流れは完全に変わる。

 いよいよ負けられなくなってきた戦いに、普段はおちゃらけたアルトの表情も、自然と引き締まっていた。

 けれど、騎士としての本能か、嫌な予感が頭から離れない。

 理由はわからない。が、過去の経験から、こういう場合は大抵、碌なことが起こらないのが常だ。


「……チッ、嫌な月だぜ」


 見上げる月は薄紅色に染まり、不気味に王都を見下ろしていた。




 ★☆★☆★☆




 天楼は零れ落ちる魔力の残滓で、夜でも明るく街を照らしているが、実は場所によって誤差がある。設計の段階で、光球が少なく薄暗くなりがちな場所は、あまり人が通らない路地の裏手などになるよう、作られているのだ。

 暗がりというっても、囲いに閉ざされた天楼の内部は、シドの部下達が目を光らせているので、囲いの外よりずっと治安は良い。

 それでも、北街住人の本能から、暗がりの路地を単独で歩く人間はあまりいない。

 アルトと別れ、人気の無い路地裏を歩くフェイの頬に、自然と笑みが浮かぶ。


「おっと、いかんいかん」


 慌てて頬を手の平で挟み、揉み込みながらわざと眉間の皺を深くする。

 情けない。と、内心で嘆息。

 たかだか顔が近づいただけで、ここまで心が浮足立つなんて、武芸者としてあるまじき体たらくだ。

 自分で自分を戒めた後、一人で思い切り頭を左右に振った。


「こここ、これでは、私があの男い特別な感情を抱いているみたいじゃないかッ。違う。断じてそれは違うぞぉ」


 誰に言うでも無く、一人で勝手に否定して、一人で勝手に納得する。

 何とも間抜けな行動なのは、自分では気がつけないのだろう。

 一頻り言い訳をして、フェイは唐突に湿っぽい息を吐く。

 魔女が動いたと知った時に見せた、アルトのあの表情。口では興味の薄いフリをしているが、アルトにとってやはり彼女は特別らしい。

 あの時の顔を思い出し、フェイは少しだけ寂しげに笑った。


「……ふっ。何を馬鹿なことを」


 と、フェイは胸を刺す雑音を振り払うよう、別の思考に注視した。

 考えるのは、今の天楼のことだ。


「私はシド様の考えに賛同した。国崩しを成し、この北街に秩序を取り戻す……それが正しいと、ずっと思っていた。なにの……」


 唇を噛み締める。

 信じて疑わなかった理想を、今は疑問が埋め尽くす。


「あの男……アルトに敗れて以来、ずっとこの調子だ」


 自嘲気味に笑う。

 当たり前に掲げていた大義を、女々しいと切り捨てられたあの時から、フェイは物事に迷うようになった。

 引っ越し祝いを届けに東街を訪れた時、それを如実に実感させられた。

 太陽祭が近いからか、街は賑やかで、人々が晴れやかで、目に映るモノ全てが眩しく、フェイは息を飲み込んだ。


「……別に、初めて訪れたわけでも無いのに、何故だかあの時は全てが鮮烈だった……昔は、ただの欺瞞の塊にしか見えなかったのに」


 北街の不幸の上に成り立つ、偽物の平穏。

 昔だったら、その一言で片づけられていた光景が、不思議と今は素直に美しいと、羨ましいと思えた。

 だからこそ、疑問が鎌首をもたげる。

 この美しい街並みを破壊してしまうことが、本当に正しいことなのだろうか?


「馬鹿げた考えだ……国崩しは、天楼の、シド様の、北街の希望、悲願の筈なのに。それを根底から否定してしまうような考えを懐いてしまうなんて」


 疑問と忠義がせめぎ合い、フェイは自分の立場を決められないでいた。

 本音だけを言えば、国崩しが正しいとは思えない。けれどシドへの恩義がある故に、アルトに対しても、誠実になりきれないでいた。

 だから、国崩しの中核を成す、ある事実を告げられなかった。

 天楼のこと、シドのこと、そして自分が何者なのかを考えれば、アルトに肩入れをするのはここまでにするべきだ。けれど、一点だけ、天楼を蝕む異分子、ボルドの存在だけは、フェイはどうしても受け入れ難い。

 シドの息子である彼を、悪くは言いたくない。

 しかし、フェイの義侠の精神が激しく訴えかけるのだ。

 あの男、ボルドを信用するなと。

 答えの出ない葛藤が、頭の中で延々と繰り返す。

 それ故に気がつかなかった。

 すぐ真横まで迫った、怖気のするような殺気に。


「……えっ?」


 風を切る音と共に、視界が白くなるほどの衝撃が全身を襲う。

 次の瞬間、フェイの身体が、子供に蹴飛ばされた人形のように吹っ飛び、宙を舞った。

 不意のことに防御も受け身も取れず、背中からレンガの壁に叩きつけられたフェイは、苦悶の表情を浮かべて、地面へと崩れ落ちる。

 全身をハンマーで殴られたかのような衝撃と、内側から突き破られるような激痛に、フェイはすぐに立ち上がることが出来ず、地面に蹲って激しく咳き込んだ。

 吐き出した唾に、赤い血が混じる。


「チッ。死んでないのか……案外、頑丈ね」


 聞き覚えのある声が、真上から振り掛かる。

 腕で地面を押し上げ、起こそうする上半身を、上から頭を踏みつけられ地面に無理やり押し潰された。

 歯を噛み締めて側頭部を踏みつけられたフェイは、激しい怒りを込めて、ニヤケた笑みを浮かべる襲撃者ミュウを睨み付ける。


「ミ、ミュウ……貴様、何のま……ッ!」

「寝てろよ。潰れた蛙みたいにさぁ」


 冷たい言葉を浴びせ、踏みつける足に体重を込める。


「ガアッ!?」


 頭蓋骨が軋む嫌な音と激痛に、フェイは悲鳴を漏らした。

 痛めつけておいて、ミュウは不機嫌そうに舌打ちを鳴らす。


「身体だけじゃなく、頭も頑丈なのね。全然、割れないわッ」

「――ッッッ!?」


 踏み込む足に、更に力を込める。

 激しい痛みに耳が遠くなり、目の前が真っ白になっていく。

 自分の悲鳴すらハッキリ聞こえないのに、ミュウの楽しげな高笑いだけが、ハッキリと聞こえてきた。

 状況はさっぱり理解出来ないが、好き勝手にやられるのは性に合わない。

 割れるような痛みを堪える為、キツク奥歯を噛み締めると、左足の踵で地面を押し身体を捻りながら右足を伸ばして、ミュウの顔面を蹴りで狙う。


「おっと」


 上半身を後ろに反らしあっさり蹴りを避けるが、重心がズレた隙を突き、蹴り上げた足を振り回し、反動で踏みつけられた足から脱出した。

 舌打ちを鳴らし、ミュウも蹴りを放つが、それを手で払いながらフェイは後退。

 低い体勢で後ろ向きのまま地を滑り、腰の蛮刀を抜き放つ。

 ゆっくりと膝を起こし、フェイは怒りに満ち満ちた視線で、ミュウの姿を射抜く。


「貴様……どういうつもりだッ」


 低く、押し殺した声で問う。

 それに対してミュウは両腕を下にダランと垂らし、ジットリとした目を向けた。


「……ムカつくんだよ、お前」


 理不尽な言葉と共に、ひりつくような殺気を叩きつけられる。


「お前があの男と抱き合ってるのを見ると、胸の辺りがイライラして、ムカムカして、納まりがつかないんだよ。アンタを殺したくて殺したくて、さぁ!」


 何を言っていると、フェイは戸惑いで眉を顰めるが、問う間も無く襲い掛かってくる。

 踏み込んできたミュウは、乱暴に拳を振るいデタラメな乱打を繰り返す。

 型やリズムなどを無視した、ただ殴りつけるだけの暴力的な拳を、フェイは二本の蛮刀で払う。

 素手と鉄の刃が正面からぶつかれば、当然、素手の肌は裂かれ血が吹き出る。

 が、ミュウは肉が裂かれ、血が噴き出すのも構わず、ドンドンと前に踏み込んでいく。

 そうなると、押されるのはフェイの方だ。


「クッ……何て圧力だッ」


 斬られることなどお構いなしに突っ込んでくる姿に、フェイは背中に怖気を感じ、自然と足が後ろに下がる。


「ヒャハ! どうした。手が出てこないよッ!」


 暴風雨のような乱打を前にして、怪我をしているのは相手の筈なのに、フェイは全く攻められずにいた。

 技巧派のフェイにとって、力任せに戦うタイプは得意な部類に入る。

 しかし、ミュウの力任せは、一般的なそれとはかけ離れている。


 死兵、とう言葉がある。

 死に覚悟を持って、相手を道連れにするという戦場の用語だ。

 人でも獣でも魔物でも、本能的に自分が傷つくのを恐れる。故に、常に余力を持って戦闘に挑み、危うくなれば撤退する。けれど、死兵は文字通り死ぬ気で相手を殺しにかかる。その士気や勢いは、多少斬ったり突いたりした程度では止まらないだろう。

 戦場において、死を覚悟した死兵ほど、恐ろしい者は無い。


 言うなれば、ミュウは常にその状態なのだ。

 異常治癒力があるからか、元よりそのような無鉄砲な性格なのか定かでは無いが、ミュウの戦闘スタイルは常に死兵状態。並大抵の人間では、止められないのも頷ける。


「……本物の化物だな」


 対峙して初めて実感したミュウの本質に、フェイは戦慄を覚えた。


「……だがッ!」


 技術面では上のフェイが、荒れ狂う猛攻を巧みにかわし、ミュウの真横をすり抜ける。

 左手に持った蛮刀を振り上げ、刃を返す。


「力技に後れを取るほど、私は弱くは無い!」

「――いや、お前、弱いよ」


 ミュウはニヤケ顔で視線を細めると、振り下ろした蛮刀は、その残像だけを掠め空を斬った。


「――なッ!?」


 驚くフェイの喉を、伸びてきた右手が鷲掴みにし、持ち上げられて足が宙に浮く。

 呼吸が出来ず青い顔で苦悶する姿を、ミュウは嘲るように笑う。


「雑魚が。ご丁寧に峰打ちしようなんて考えてるから、隙が生まれるの、よッ!」


 そのまま勢いよく地面に叩き付ける。

 砂埃が舞い、衝撃で離した蛮刀が、クルクルと回転しながら地面に突き刺さる。

 再び激しい痛みが全身を走り、身を仰け反らせるフェイの腹部を、思い切り足裏で踏みつけた。


「――ッ!? ウグッッッッッッ!?」


 内臓が潰されるような圧迫感に、口をぱくぱくさせて声にならない声を搾り出した。

 表情に苦痛が浮かべば浮かぶほど、ミュウの顔が悦楽で歪む。


「ヒャハハハハハ! テメェはそうやって地に伏せてんのがお似合いなのよ犬っころ。勘違いして男と抱き合ってるから、こんな目に遭うのよ」


 鈍器で殴られているような足蹴を受けて、ボロボロになりながらも、フェイは気丈な視線をミュウに向けた。


「ま、まさか。きさ、ま。もしかして、嫉妬、ゲホッ……しているの、か?」


 咳き込みながら、からかうように言う。


「……ッ!?」


 途端に、表情が怒りに歪むと、爪先でフェイの顔面を蹴り飛ばす。

 衝撃に唇と口内が切れ、赤い血がフェイの口元を汚した。

 ペッと、顔を横に向けて血の混じる唾液を吐き捨てる。


「図星、か。ふっ……イカれてて、も、貴様も女、という、わけ、か」

「黙れよ雑魚。軽々しく私の感情を語るな」


 容赦なく勢いを増した蹴りが、上から降り注ぐ。

 傷が広がり、服が裂け、血が流れる。

 けれど、フェイは言葉を止めない。


「憐れな、女だ。私も、お前も……アイツの、特別にはなれない。血に塗れ、自分の傷を、投影する、ことしか出来ない、私や、お前がっ、アルトの、側に、いられるわけが、な、無い」


 力無い言葉に、蹴る付けるミュウの動きが静止し、両目が限界まで開かれた。


「だ……黙れぇぇぇぇぇぇッッッ!」


 咆哮一閃。

 振り落した全力の拳が、フェイの身体を穿つ。

 衝撃が波状に広がり、強烈な一撃を支えきれなかった地面がすり鉢状に陥没。舞い上がった埃は、拳が打ち出した衝撃波により、全て吹き飛ばされていった。

 その一撃に、フェイは完全に沈黙した。

 荒い息遣いでゆっくりとミュウは、天に揺蕩う薄紅色の月を睨み付けた。


「あの男の目は、私だけを見てればいい。私だけが心にいればいい……私だけが特別でいいんだ」


 ボンヤリとうわ言のように繰り返すと、唐突にくっくっくと、おかしそうに腹を抱え含み笑いを漏らした。


「だったらさぁ、無理やりにでも私しか見えないようにしてやるよ……アンタの特別な魔女の亡骸を、目の前でバラバラにしてやれば、もう私しか目に入らなくなるだろう。魂を喰らい尽くすほどの憎悪で、私を埋め尽くせばいい」


 気絶したフェイを蹴り飛ばし、ユラリと一層不気味さを増した姿で、幽鬼の如く猫背のまま歩き始める。

 それはとても、正気の人間には見えなかった。


「ボルド。癪だけど、お前の口車に乗ってやるよ。アルトを私だけのモノにする為、魔女を血の海に沈めてやる」


 もう一度、薄紅色の月を見上げ、両手を広げながら高らかに叫んだ。


「さぁ、アルトォォォ……私とお前の、地獄の始まりだ!」






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