第45話 少女の心はままならない
目を覚ますと、家の中は妙にヒンヤリとしていた。
夜は明けている筈なのに、室内は妙に暗い。
窓の外を見てみると、覗く空は鉛色をした分厚い雲が、太陽の光を遮っていて、ああなるほどと、ロザリンはボンヤリする頭で頷いた。
水が多い街だけに、太陽光が遮られると、夏でも周囲の気温はグッと下がる。
それでも、今日の体感気温は、普段より低く感じられた。
昨日は、アルトと会話した後、ふて腐れてずっと部屋から出なかった。
普段だったら引き籠っていても、魔術の勉強や実験で時間を潰していたのだが、昨日は何も手がつかず、丸一日布団にくるまっていた。
流石に寝すぎて、頭と身体が痛い。
たっぷり寝たおかげか、苛立ちも少しは緩和されている。
「……ん」
伸びをして布団から這い出すと、脱ぎっぱなしだった服に袖を通す。
夏場なので汗の匂いはどうかと気になったが、特に臭わないので大丈夫だろう。
マントを羽織れば、肌寒さも感じなくなる。
アルトはもう、帰ってきているのだろうか?
流石に、態度が悪かったのではと思い始めてきたが、それでもまだ納得が出来ない部分が多く、無駄に室内をウロウロと歩き回る。
やがて、ぐぅと腹の音が鳴った。
苛立ちの所為で昨日は感じなかった空腹が、どっと押し寄せてくる。
「……お腹、空いた」
自分の腹を摩りながら、小さく呟く。
どうするべきか悩むが、やはり空腹には勝てず、色々と乗せた重しを退けると、入口を塞いでいる板を外した。
階段を下りる。
足音を殺し、慎重にこっそりと、顔だけを覗かせた。
『よう、お姫様。ようやく、ご機嫌が治りましたか?』
そう言って、意地悪な笑みを浮かべる姿は、そこには無かった。
人のいない居間は、ガランとしている。
「まだ、寝てるのか、な?」
安心半分、残念半分といった気持ちで、ロザリンは下へと降りた。
見ると、テーブルの上には布がかけられた、二人分の食事が用意されている。
多分、カトレアが夕食にと用意してくれたのだろう。
「……アル、帰って来て、ない?」
小走りに奥の部屋に行き、ノックをしてドアを開くと、アルトの部屋も無人だった。
ベッドは訪れた時、カトレアが整えてくれたのか、綺麗にシーツが取り換えられている。
つまり、昨夜このベッドは、使われなかったということだ。
「……アル」
いないとわかると、途端に不安な気持ちが訪れた。
それでも、なり続ける腹の音には勝てず。ロザリンはトボトボとテーブルへと戻る。
椅子に座り、布を退けると、チキンソテーとパン、サラダが皿に盛られていた。
チキンソテーは時間が立っているので、表面の油が固まっているが、仄かに香るレモンバターが食欲をそそる。
サラダが萎れてはいるけれど、十分に美味しそうな朝食だ。
「…………」
用意されているナイフとフォークを取り、頂きますと呟いて、チキンを切る。
フォークで刺し、口に運んで咀嚼する。
ほのかに鼻を抜ける、レモンバターの香り。
「……美味しく、ない」
冷めてはいるが、料理上手のカトレアが作っているので、味付けが美味しく無い訳が無い。
けれど、普段通りの美味しさは、そこには無かった。
味は美味しいのに、何故だか美味しく感じられない。
何時もだったら、黙々と食べ進めるロザリンの食は鈍く、腹が減っているから、仕方なく食べているといった様子だ。
これでは作ってくれたカトレアに、申し訳ないと、また悲しい気持ちになった。
食べ終えて空いた皿を、頭取が設置してくれた、流し台に運ぶ。
アルトの分は手つかずだが、それを食べるだけの食欲は、ロザリンには無かった。
蛇口を捻れば、水路から水道管を伝って水が流れてくる。
中流以上の食事処ならともかく、井戸を組んで瓶に水を汲まなければならない一般家庭からすれば、とてつもなく贅沢なことだ。
ロザリンも森に棲んでた頃は、溜めてある水が無くなれば、桶を持って川へ水を汲みに行き、何往復もしていた。
それに比べれば、何と楽なことだろう。
けれど、ロザリンに感動は無く、淡々と皿洗いをこなす。
一人分の食器はすぐに洗い終わり、手拭いで水気を取ると、ロザリンはため息を吐いた。
振り向き、誰もいない居間が目の前に広がる。
何故だか、全身にジワリと汗が滲む。
鼓動が早くなり、酷く息苦しさを感じた。
無言でいると、外の喧騒だけが聞こえる。
しかし、それも何処か遠く、別世界の出来事のように思えた。
まるで、ロザリンは一人、見知らぬ場所に置き去りにされたような、そんな錯覚が襲う。
「……ッ!?」
堪らず、ロザリンは家を飛び出た。
途端に喧騒は鮮明に、耳の中へと飛び込んでくる。
太陽祭がもう間近に迫っているから、早朝でも能天気通りを出歩く人は多かった。
「……店長なら、何か、知ってる、かな」
そう思い、隣のかざはな亭へと走る。
が、その足は入口で止まってしまう。
普段なら準備中でも、スイングドアで中が覗けるのに、今日は戸が閉められていた。
戸には、紙切れが一枚、張ってあった。
『諸事情により本日、休業いたします』
それを見て、ふと思い出す。
「……そういえば、お祭りの準備をしてるから、急に休むこともあるって、言ってたっけ」
ロザリンは、しょんぼりと肩を落とす。
「なら、カトレアは、どうしているかな?」
急な休業なら、カトレアも休みで家にいる筈。
彼女なら、アルトが帰って来ないことを相談すれば、力になってくれる。それに、姉御肌のカトレアと一緒なら、この寒い心も温かくなるかもしれない。
そう思い立ち、ロザリンは彼女が住んでいる、裏手の長屋へと急いだ。
かざはな亭の裏手は、低所得者が共同で暮らす長屋になっている。
一部屋しかない一階建ての建物が、横にずらっと連なり、共同の井戸などの水場では、住人達が洗濯や炊事、文字通りの井戸端会議などをしている。
ロザリンはカトレアの住む家の前に立ち、立てつけの悪そうな戸をノックする。
反応は無い。
「……あれ?」
嫌な予感がして、もう一度、今度は強めに叩くが、やはり返事は無かった。
言いようの無い不安が、再び襲い掛かる。
もう一度、戸を叩こうとすると、背後から知らない人に、声をかけられた。
「おや? カトレアちゃんの家に、用事かい?」
振り向くと、洗濯に行く途中なのだろう。大きな籠を抱えた婦人が、ロザリンに気さくな笑顔を向けた。
「うん」
「カトレアちゃん達なら、今は留守にしているわよ。何でも苦労かけてる皆にお礼だって言って、家族で出かけたみたいなの。親孝行な娘よねぇ、カトレアちゃん。家の子供達にも見習って欲しいわぁ」
そう言って、長々と話し出しそうな婦人にお礼を述べると、ロザリンは足早にその場を立ち去った。
胸の中の不安は、どんどん大きくなっていく。
以前にも、あのランディウスと決着を付けた日も、目覚めた時にはアルトはいなかった。
その時も妙に落ち着かない気持ちにはなったけれど、今のように、冷や汗が出るほど恐ろしくは感じなかったのに、何故今日はこんなにも、心が騒ぎ立てるのだろう。
また、一人になってしまうのでは無いか?
そんな根拠の無い不安が、ロザリンの心を蝕んでいた。
早歩きだった足は、何時の間にか走り出している。
早くこの状況から抜け出したい、ロザリンの気持ちを表すように。
★☆★☆★☆
気がつけば、太陽は大分、高くまで上っていた。
ロザリンは一人、肩を落として大河沿いの通りを歩いている。
あの後、ロザリンはギルドかたはねまで走って行ったのだが、タイミングが悪くそこでも頭取や、プリシアと顔を合わせることは出来なかった。
考えてみれば、当然のことだろう。
太陽祭のトラブルでランドルフが呼び出されたのなら、それを仕切っている頭取も携わり、忙しく動き回っている筈。
そうなれば当然、車椅子を押すプリシアも同行する。
チラリと覗いたギルドの中は賑わっていたが、皆、ロザリンの知らない大人達ばかりだった。
その後も、ロザリンは顔見知りの人達を訪ねて、方々走り回ったのだが、やはり太陽祭が目前まで迫っている所為なのか、皆忙しいらしく、誰一人として顔を合わせることは叶わなかった。
自然と手が、胸のペンダントに伸びる。
「ラサラ……は、駄目、か。忙しくなるって、言ってたもんね」
あの気弱な癖に、自信満々なラサラの姿を思い出し、ズキッと胸が痛んだ。
ロザリンは、ラサラに嫉妬している。
過ごした時間が自分より、ずっと長いカトレアはともかく、ラサラはロザリンより短い時間でアルトの信頼を勝ち取り、それに答えている。
そんなラサラを素直に凄いと尊敬すると同時に、醜く嫉妬してしまっている。
自覚しているから尚、ロザリンは自己嫌悪に陥ってしまう。
まさしく、負のスパイラルだ。
他の顔見知り、シリウスやシエロは、水晶宮にいるので、こちらからは会うことが出来ない。
今日は随分と日が悪いらしく、友人達には会えないようだ。
結論付けると途端に、孤独感に苛まれた。
「……どうしよう」
ロザリンの表情が青ざめる。
行き場を失った足は、次第に速度を緩めて行き、ついには止まってしまった。
道の真ん中に俯きながら足を止めるロザリンに、行き交う人々は訝しげな視線を向ける。
周囲に人はこんなにも多いのに、ロザリンの寂しさを埋めることは出来なかった。
「……アルぅ」
会いたい人の名前を呟くと、ジワリと熱いモノが目から滲み出てきた。
涙で目の前が見えなくなり、正面に人影が立ったことにも、直ぐには気がつけなかった。
「こんなところで何をしている? ……えっと、ロザリン、だったか?」
「……?」
不意に名前を呼ばれ、顔を上げると、目の前には何処かで見たことのある男性。
細身の中年男性。警備隊隊長のマグワイヤだ。
「あっ、えっと……こんにち、わ」
「ん、ああ……どうかしたか?」
強面の表情に、戸惑うような色が浮かぶ。
何故だろうと一瞬考えるが、直ぐに涙を浮かべているからだと理解した。
慌ててマントで涙を拭う。
「えっと、何でも、無い、です」
そう言って、ぎこちなく笑った。
そんなロザリンをマグワイヤはジッと見つめ、ふむと頷いた。
「……甘い物は好きか?」
「へっ?」
「甘い物は好きかと聞いている」
唐突な質問に、戸惑いながらも、ロザリンは首を縦に振る。
そうか。
マグワイヤは頷くと、急に走り出して、何処かへと行ってしまう。
自分は動かない方がいいのだろうか? と、暫くその場でボーッとしていると、直ぐにマグワイヤは走って戻って来た。
両手にはコーンに乗せられた、ジェラートを握っていた。
そのアンバランスが光景に、ロザリンは思わず、プッと笑いを吹き出してしまった。
★☆★☆★☆
ジェラートは王都クロスフィールの、夏の風物詩だそうだ。
果汁、果実、ミルク、時にはハーブやコーヒーなどを混ぜた氷菓は、日差しが強くなり暑くなればなるほど、飛ぶように売れる。
ただ、製作には氷の術式を利用した機材が必要になる為、お値段の方が少しばかり張る。
なので万年貧乏のアルトと暮らすロザリンは、まだ口にしたことが無かった。
ロザリンとマグワイヤは、近くの公園にあるベンチに、並んで腰を下す。
奢って貰ったのは、シンプルなバニラのジェラートだ。
「美味し、そう」
キラッキラした瞳でジェラートを見つめ、その先端をパクリと咥える。
ヒンヤリとした氷菓の冷たさと、バニラの深いコクが口内に広がる。
「……美味、しい」
自然と頬が釣り上がる。
「それは良かった」
ほんの僅かに笑みを浮かべ、マグワイヤもオレンジ味のジェラートをパクリ。
言っては悪いが、あまりに不釣り合いな光景だった。
暫し、街の喧騒を聞きながら、ジェラートを食べ進める。
マグワイヤとは通り魔事件の縁で、街で顔を合わせれば、何かと気にかけてくれている。
アルトとこそ仲が悪いが、東街では無愛想だが、面倒見の良い人物として評判らしい。
ようやく顔見知りの人に出会えて、ロザリンの不安感も少しだけだが薄れた。
それを察知してか、マグワイヤは口を開く。
「何があった」
「…………」
ロザリンは俯く。
少し迷って、小さく呟いた。
「アルが、帰ってこない」
「アル? ああ、あの風来坊か……それは、珍しいことなのか?」
マグワイヤは眉を顰める。
今でこそちゃんとした家に住んではいるが、元々は根無し草の代表みたいな男。マグワイヤを含め、周囲の人間が一日くらい帰って来ないくらいで、不思議には思わないだろう。
そう言われると否定も出来ず、ロザリンはシュンと肩を落とした。
落ち込む姿を見て失言と思ったのか、マグワイヤはワザとらしく咳払いをする。
「だが、俺が見たところ、君が落ち込んでいる原因は、それだけじゃないだろう?」
意外な言葉に驚いて、ロザリンは顔を見上げた。
「わかる、の?」
「これでも年頃の娘を持つ、父親だからな……無理にとは言わん。だが、話してみて楽になることは必ずある。俺と君のように、特別に親しくない間柄だからこそ、話せることがあると、俺は思っている」
口調こそ愛想は無いが、ロザリンを労わる気持ちが伝わっている。
外見からは想像しづらいが、家では良いお父さんなのかもしれない。何て、失礼なことをロザリンは思ってしまう。
そんなことを考えると、少し心が軽くなって、ロザリンはポツリ、ポツリと話し始めた。
喧嘩したこと、役に立てないこと、一人ぼっちが寂しいこと。
心情を吐露する言葉に、マグワイヤは真剣な面持ちで耳を傾けた。
「最初は、憧れだった。強くて、格好良くて、私が困っていると、助けてくれて」
ロザリンは出会った頃を思い出し、クスッと笑みを零す。
「でも、一緒に過ごす内に、アルは、私が思っているような、凄い人じゃ無いって知った。貧乏で、デリカシーが無くて、適当で、向上心の無い、駄目な大人。一つ、一つ、アルを知る度に、最初の印象からすれば、幻滅するようなことばかり」
ホッと、熱く吐息を漏らす。
「でも、でもね。不思議、なんだ。一回、幻滅する、次の瞬間には、もっと好きになっている。嫌いなところを、知ったぶんだけ、それ以上の数、好きになっている」
頬を赤く染めていた表情を、暗く曇らせる。
「昨日、あんなに、嫌いだっのに、今日は、好きで堪らない。だから、怖くて、堪らない。お母さんや、お婆ちゃんと、同じくらい、好き、だから。無くしたくない、失いたく、無いって思う……で、でも、でも」
感情が溢れ、零れた涙が溶けかけたジェラートを濡らす。
「私は、役立たず。何も、出来ない、子供、だから……何時か、アルや、皆に、愛想尽かされちゃうんじゃって、不安で不安で、仕方ないの。今だって、隊長さんに、慰めて貰いたくて、こんなこと、言ってる。ズルいでしょ? ズルいよね」
自嘲気味に呟いて、ロザリンは嗚咽を漏らし、泣いた。
黙って聞いていたマグワイヤは、食べかけのジェラートを全て口の中に放り込み、数回噛んで飲み込んだ。
そして、ロザリンの方を見る。
「話せと言ったのは俺だ。だから別にズルくは無い。それに、何も出来ないということは、君が思っているほど悪いことでは無い」
「……えっ?」
ロザリンは顔を上げた。
「大人や子供に限らず、人に出来ることは限られているし、得意不得意もある。君が気づいていないだけで、君に出来てあの風来坊に出来ないことが、必ず何処かにある」
「……そんなこと、無い」
「俺から言えば、何故、あんな風来坊の評価が高いのかが、疑問だな」
アルトを悪く言われたと思って、ロザリンはムッと頬を膨らませる。
「そんなこと、無い。アルは、私の目標」
「なら答えは出ているだろう」
マグワイヤは優しく微笑むと、ロザリンの頭を撫でようとして、止めた。
子供扱いは彼女に失礼と考えたのだろう。
「難しいことは考えず、ただ目の前の背中を追い駆ければいい」
「でも、迷惑かけたり、役に立てないかも」
「だったら、そうならないように努力すればいい。一番悪いのは出来ないことでは無く、やらないことだ。言い訳なら後でも出来る。やりたいことをやらないのは損だ……あの阿呆なら、そう言うんじゃないのか?」
「……うん」
深く頷くと、ロザリンは顔を上げた。
「そう、だね」
表情に、笑顔が戻る。
それを見たマグワイヤはもう一度微笑むと、ベンチから立ち上がった。
「では、俺は詰所に戻るとしよう。阿呆の件は了解した。部下共に探されるよう指示を出して置こう」
「いいの?」
「市民の困り事を助けるのが、警備隊の義務だ。問題無い……君も探すのは結構だが、北街には近づかないように」
釘を差すと、軽く手を上げて、マグワイヤは去って行った。
一人残されたロザリンは、溶けかけのジェラートを全て口に頬り込む。
「――ッッッ!?」
キーンと頭が痛くなり、バニラのコクと砂糖の甘味、そして涙の塩味が仄かにした。
どうやらロザリンは、落ち込み過ぎて、思考のキレまで鈍っていたようだ。
アルトが出かけたのは北街。ならば、北街を探すのが、一番では無いか。
「……よし」
気合を入れ直すと、ロザリンは立ち上がった。
その表情に、先ほど前の憂い顔は残っていない。
話を聞いてくれたマグワイヤの忠告を、無視してしまうのは心が痛いが、今のロザリンを止めることは出来ない。
走り出すと、一気に公園を駆け抜けた。
まだ、全ての不安が晴れたわけでは無い。しかし、ロザリンは立ち止まりたく無かった。
アルトは、側にいたければ追い駆けて来いと言った。
ならば、出来る限りのことはしよう。どんなに無様で、情けなくて、皆に呆れられても、石に齧りつく思いでアルトの背中を追い続ける。
アルトとこの街が、ロザリンは大好きだから。
北街に続く橋に向かい、近道をする為に小さな路地裏に飛び込む。
距離的には大河沿いの大通りを進んだ方が近いのだが、太陽祭の準備や観光客の増加で、昼時は人がごった返し走り辛い。
なので、少し遠回りでも、人気の無い路地裏を突っ切った方が早いのだ。
これもこの街で暮らしてつけた知恵。
改めて思う。こういう些細なことの積み重ねが経験となり、ロザリンを僅かでも前に進めてくれるのだろう。
軽い足取りで、道の真ん中に置きっぱなしになっている、大きな桶を飛び越える。
軽快に進んでいると、進行方向に人影が現れた。
ぶつかったら危ないと速度を緩めるが、人影を視界に納めた瞬間、背筋がゾワッと粟立った。
「……あの黒衣」
偽ハウンドと同じ、刺繍の入った黒衣を着た男が、道を塞ぐ。
相違点があるとすれば、刺繍のデザインが、以前の者達とは違っていた。
黒衣の男は青く輝く眼光を向け、ニヤリと笑みを浮かべると、腰のショートソードを抜き放つ。
不味いと、脳裏に警笛が鳴り響く。
家を飛び出してきた為、風縮弾どころか傘すら忘れてしまった。
逃げるにも、背を向けた瞬間、バッサリと斬られてしまうだろう。
どうする?
逃げ道は限られている。狭い路地裏、最初の一撃さえ躱せば、何とかなるかもしれない。
「突っ切る」
そう決めて、ロザリンは走る速度を更に上げた。
驚いた黒衣の男。けれど、すぐに意図を見抜いたのか、ふんと鼻で笑った。
冷や汗が吹き出るが、一か八かの賭けに、躊躇するわけにはいかない。
後数メートルといったところで突如、上から何者かが降って来て、突貫するロザリンの頭を押さえ無理やり静止させた。
「――むぎゅ!?」
同時に、黒衣の男らしき人物の悲鳴が、路地裏に響いた。
どうやら、何者かに助けられたらしい。
「……アル?」
期待を込めて頭を押さえた手から抜け出し、目の前の人物を見上げる。
「あらあらおちびちゃん。愛しのダーリンかと思ったかしら、残念ダウトよ。けれど喜びなさい。このわたくし様直々に、貴女を助けたことを」
「……この声は」
何処かで聞き覚えのある尊大な声に、ロザリンはジト目を向ける。
大太刀を持った目の前の女性は、斬られて地面に蹲る黒衣の男の顔面に蹴りをかまし、混沌させると、ロザリンの方を振り向いた。
そして、狭い路地裏で器用に大太刀を振り乱しながら、ポーズを決める。
「薔薇の香りは修羅への誘惑。天才美少女剣士ラヴィアンローズ! おちびちゃんの危機を救うため、華麗に見参!」
場違いなハイテンションに、流石のロザリンもちょっと引いてします。
しかし、そんなことはお構いなしに、ラヴィアンローズはドヤ顔で大太刀を肩に担ぐ。
「マイダーリンアルトに頼まれて、おちびちゃんを守りに来てあげたわよ。感謝なさい!」
「……は?」
よく見れば、何故か全身びしょ濡れのラヴィアンローズ。
彼女の言葉の意味を理解するまで、ロザリンは数分の時間を要した。




