第34話 決戦準備中!
「ふんふふ~ん♪」
鼻歌混じりで、プリシアはリズミカルに箒で床を掃く。
ここは、アルトが頭取から仕事の報酬として渡された、かざはな亭の隣にある一軒家。
そこの一階、居間部分を、何故か冒険者ギルドかたはねのサブギルドマスターにして、頭取の孫娘であるプリシアが、上機嫌で掃除をしていた。
今日は何時ものスーツ姿では無く、年相応の可愛らしい、明るい色のワンピースを着ている。
その上にエプロンをつけて、掃除する気合は十分だ。
建物というのは、人の出入りが無いとすぐに痛んでしまう。
この家のように築年数が立っていて、老朽化が進んでいる建物など、油断しているとあっと言う間に、ボロボロになってしまうだろう。
なので、アルト達が仕事で出ている間、プリシアが定期的に様子を見に来ることになっていた。
勿論、強制では無い、自主的にだ。
その上。無報酬のボランティアなので、アルトはありがたいと思いながらも、奇特なことだと苦笑いをしていた。
さほど広く無い間取りだが、一軒家を一人で掃除するのは大変。
アルトは適当で良いと言っていたが、根が生真面目な性格のプリシアは、妥協が出来ずキッチリと隅から隅まで掃除している。
小さな身体には重労働。
なのに、プリシアの表情は、充実感に満ちていた。
「うっふふ~♪ ここが、兄様の住んでる家……いずれは、私と兄様の愛の巣に……なんちゃって!」
きゃあきゃあ騒ぎながら、プリシアは箒を掃き乱す。
人に見られたら、悶死するレベルの恥ずかしさだ。
ここにはもう一人、住人がいる筈なのだが、頭の中で妄想新婚生活を描き始めているプリシアには、そんなお邪魔虫の存在など、記憶の彼方に飛んで行ってしまったのだろう。
こんなに脳内が茹で上がった状態のプリシアは、他では見られない。
誤解をしないで頂きたいのは、プリシアは真面目で優しい才女であるということ。
通常なら、こんな壊れた状態にはならないのだが、これには一つの大きな原因がある。
「さて……居間のお掃除はこれで大丈夫ですね……あとは」
妄想をしながらも、ちゃんと手は止めず掃除を続けていたプリシアは、いよいよとばかりに、ゴクリと喉を鳴らした。
視線の先には、奥の部屋に続くドアがある。
奥の部屋。つまり、アルトの寝室だ。
「これはお掃除これはお掃除これはお掃除です。何もやましいことなんてカンガエテイマセン、エエソウデストモ」
ブツブツと独り言のような言い訳は、何故か後半に行くほど片言になっていく。
そして、誰もいない居間の真ん中で、周囲を警戒するように、左右に視線を巡らせる。
当然のことながら、誰の視線も無いのを確認すると、そそくさと何気ない顔をして、部屋のドアに手をかけた。
そっと、ドアを押し開く。
「お、おじゃましま~す」
何か後ろめたいことでもあるのか、ギリギリ通り抜けられる隙間だけドアを開けると、横向きになってスルッと中に侵入する。
掃除する為に入った筈なのに、何だか妙に挙動不審だ。
音を立てないよう、静かにドアを閉めると、キョロキョロと室内を見回す。
何も無い室内。
ベッドと机と椅子、そしてクローゼットがあるだけ。
連日、プリシアが掃除をしているので、塵や埃は無く綺麗だが、やはり建物自体が古いので、どうしても落ちない汚れやシミは床や壁に点在している。
それでも総合的に見れば、十分に清潔だろう。
日々の努力の賜物か。これなら、掃除は直ぐに終わる筈なのだが。
何故か掃除を始める気配の無いプリシアは、妙にギラギラした瞳で一点を見つめていた。
「……ゴクリ」
喉を鳴らして見つめる視線の先には、アルトが普段使っているベッドだ。
元住んでいたかざはな亭から貰ってきたモノなので、少し古ぼけてはいるが、シーツなどは毎日洗濯しているので綺麗なモノだ。
大きく深呼吸を繰り返して、正面をキッと睨み、ダッシュ。
「――たぁ!」
そして、ベッドの上へとダイブした。
ベッドが古いので、壊れないように飛び込む勢いは弱い。
ふわさぁと、ベッドに上に仰向けに寝転がり、そのまま静止。
顔をちょうど枕に押し付け、胸一杯に息を吸い込み、吐き出した。
数回それを繰り返してから顔を上げると、満足げな表情をしたプリシアは、続けてゴロゴロと、シーツがくしゃくしゃになるまで転げ回った。
「うふふ♪ アルト兄様のベッド、アルト兄様のベッド♪」
楽しげに歌いながら、ベッドの上を転がる。
幼い容姿のプリシアだから、微笑ましく思える光景。
これが、普通の大人、しかも男子だったら、ただの変態だ。
そして彼女の名誉を守る為に言うなら、プリシアは決して変態では無い。
ただ、ほんの少しだけ、彼女の乙女心が暴走してしまっただけだ。
家に帰れば、何故、あんなことをしてしまったのだろうと、激しく後悔するのは、分かり切っているのに。
毎日洗濯していても、染みついた人の体臭は意外と消せないモノ。
それが一人の乙女を惑わす、蠱惑的な香りとなり、まだあどけなさの残る少女を、冥府魔導の道へと誘う。
進み続ければいずれは戻れなくなると理解しつつも、止めることが叶わないのは、禁忌を犯すという倒錯的な快楽と、純粋無垢な乙女心が、プリシアの理性という名の枷を、取り払ってしまったからに、他ならないだろう。
男らしい、少し汗っぽい香りが、プリシアの脳を蕩けさせる。
「すぅ~、はぁ~……い、いけないことだって、わかってます。でもでも、ちゃんとお掃除して、毎日頑張っているんだから、これくらいのご褒美はあっても、いいですよね」
自分で自分に言い訳しながら、枕に顔を埋めた。
言い訳は利かない。やはり、前言を撤回して、悲しいかなプリシアは変態のようだ。
「ふぅふぅ。こんな姿、他人に、もしくはアルトさんに見られたら、私死んで……」
荒い息遣いで、恍惚の表情を浮かべた瞬間、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「――ふにゃあ!?」
慌てて飛び起きるプリシア。
青ざめた顔で振り向くと、ドアのところに立っていたのは、ベッドの主であるアルトだった。
走って来たからか、肩で息をしながらアルトが部屋へと足を踏み入れる。
弾かれるように、プリシアはベッドの上で正座した。
「あ、いや、その、これは兄様、違うんです!?」
「おう済まん。掃除の邪魔するぜ」
アルトは気にする素振りすら見せず、ベッドに近づくと腹這いになって、下を覗き込み右手を突っ込む。
「おっ、あったこれだ」
引き抜いた右手に握られていたのは、白い布に包まれた一本の剣だった。
それを持って立ち上がると、何事もなかったかのように、まだ混乱しているプリシアに背を向ける。
「悪かったなプリシア。掃除、続けてくれ」
軽く手を上げて一言いうと、剣を肩に担ぎ、足早に出て行ってしまった。
まさに一瞬の出来事。
一人、ポツンと残されたプリシアは、悲しげな笑みを見せた。
「……酷いです、兄様。少しくらいは、何らかのリアクションを取ってくれたって、いいじゃありませんか」
プリシアの凶行を、気にしないでくれたのは嬉しい反面、女性として見られてないようで悲しかった。
普通に怒られたら、それはそれで、死ぬたくなるほど落ち込むが。
ふと、視線を感じて顔を上げると、開けっ放しのドアから、顔を半分出して中を覗き込むロザリンの姿が確認出来た。
じーっと見つめる無感情な視線に、プリシアはガチッと固まる。
乱れたシーツの上で正座する姿に、ロザリンは拳を突き出し、親指を上に立てた。
「仲間」
それだけ言うと、アルトを追うようにして、ドアを閉めて立ち去って行った。
ドアが閉まり、寝室には今度こそ、プリシア一人だけが残される。
ベッドの上で四つん這いになり、プリシアは久し振りに本気で泣いた。
そして思う。
ロザリン。お前も同じことしてやがったのかと。
★☆★☆★☆
差し出された純白の剣に、ラサラは我が目を疑った。
剣を持って戻った二人は、応接間で待っていたラサラに、それを渡す。
刀身まで真っ白な剣は、希少な鉱石シロガネイシで作られている証。
粗悪な模造品は数あれど、この穢れ無き純白は本物のシロガネイシでなければ作れない。
いや、今まで彼女が美術館などで拝見した、どんなモノよりも、この剣の白さは穢れを知らず、どこまでも美しかった。
竜翔白姫。
英雄竜姫が愛用した、紛れも無い伝説級の一品だ。
剣としての質のみならず、名声もまた、他に並ぶものは少ないだろう。
「……正直、本物を目にする機会があるとは、想像もしてませんでした」
ラサラの声も、若干震えている。
無理も無い。
多少でも骨董や美術品の趣味があるのなら、目の前の剣が如何に価値のある物なのか、すぐにでも理解できる。
それらに興味が薄いラサラでも、この反応なのだ。見せる人間によっては、卒倒するだろう。
ラサラは感嘆を漏らして、丁寧に剣を布に戻すと、音を立てないようテーブルに置いた。
「結構な物を見せて頂きました。最初聞いた時は、残念な頭が更に残念になってしまったと思いましたが、まさかまさか。アルトさんのような底辺に生きる駄犬が、このような一品を不相応にも持ち合わせているとは、想像もしていませんでした」
「言い方が気になるが、それで何とかなるだろ?」
十分すぎますと、ラサラは頷いた。
「ボクの見立てでも、これは本物であることは、疑いようがありません。一応、念のためにすぐにでも鑑定に出しで、鑑定書を提出されましょう。それがあれば、万に一つも失敗はあり得ません」
太鼓判を押され、二人の表情に笑みが浮かぶ。
「よっしゃ!」
「いえ~い」
喜び合うアルトとロザリンは、互いの右手をパチンと叩いた。
と、そこでアルトは気になることを口にする。
「んで、その剣なんだけど……」
「わかっています。当日は、ちゃんとボクが競り落としますよ。心配しないでください。流石に、こんな名品を前にしてまで、ボクのサディスティックな一面を出したりしません」
その言葉に、アルトは安堵の息を吐く。
オークションに出すというだけでもヤバイのに、もしも、他人に落札でもされたら、シリウスを始め、竜姫を英雄視する騎士団の連中に、冗談では無く殺されてしまうところだ。
珍しく、本気で心配しているのが伝わったのか、ラサラも意地の悪いことを言わずに、素直に落札を了承する。
アルト本人は安心していたが、横のロザリンは、何故だか不安そうな顔をしている。
「……なんだろう、フリ?」
物騒な一言は、アルトの耳には届かなかったようだ、
話が大体纏まると、ラサラは佇まいを直し、ソファーから立ち上がる。
「では、すぐにでも出ましょう。鑑定書が出たら、その足で商業ギルドに向かいます。アルトさん、護衛をお願いします」
「ああ。わかった」
そう言って立ち上がるアルトに続いて、ロザリンも腰を上げる。
ふと、何かに気がついたアルトは、周囲を見回した後、ラサラに問いかける。
「あれ、カトレアは? 戻って来た時には、もういなかったけど、何処か行ってるのか?」
「修行中です」
想像してなかった言葉に、アルトは「はぁ?」と首を傾げた。
「この間、負けたことが相当、悔しかったみたいですね。あの、眼鏡の変な人と一緒になって、何かやってます」
「修行、ねぇ」
呟いて、アルトは頬を掻く。
一朝一夕でどうにかなるような相手では無いが、止めたところで頑固なカトレアのこと、聞く耳を持たないだろう。
それに眼鏡の変な人、シーさんがついているのなら、まぁ、何とかしてくれる筈だ。
心の中で「頑張れよ」とエールを送り、アルトは早足で応接間を出るラサラの後に続いた。
★☆★☆★☆
数回に渡る打ち合いの末、カトレアの身体は宙を舞った。
背中から手入れの行き届いた、芝生の地面に落ちるが、直前で地面を手の平で叩き衝撃を緩和させると、転がりながら態勢を素早く立て直す。
この二日、散々、倒され続けていたので、受け身だけは随分と磨かれた。
しかし、攻防共に進歩は無く、正面に立つシーさんは、小さく息を吐いた。
ここはラサラ邸の裏庭。
一時は崩れて大雨になると思われた天気も、何とか持ち直して青空が広がる。
日差しが高くなるにつれ、気温は汗ばむほどに上昇しているが、太陽祭が終わる頃には夏も本番に入り、暑さも今日の比では無いほどの熱を帯びるはず。
外で身体を動かす分には、程よい暑さと言えるだろう。
しかし、始まってまだ一時間も立っていないのに、カトレアは既に全身が汗だくだ。
服装は動き易さを重視して、シャツとズボンという軽装。
対してシーさんは、今までと同じくドレスにビーバー帽と、暑苦しい上に動き辛い恰好をしながらも、表情は涼しげで汗の一つも滲んでいない。
これは、明確な運動量の差、以前の問題だろう。
カトレアは難しい表情をして、その場に胡坐をかく。
「むむっ。今のは、いけると思ったんだけどなぁ」
「……やれやれ」
腕組みをしてぼやくカトレアに、これ見よがしにため息を付いた。
カトレアは、ムッと眉間に皺を寄せる。
「何よ。言いたいことがあるなら、ハッキリと言いなさいな」
「では、言わせて貰うわ」
戸惑うことなく、シーさんは眼鏡をクイッと上げた。
「貴女の動きは素晴らしわ。無駄が無く、キレも鋭い。余程、良い師に恵まれたのね」
てっきりコテンパンに言われると思っていたのに、第一声で褒められてしまい、カトレアは照れ笑いを浮かべ、後頭部を掻いた。
眼鏡の奥の視線が、鋭さを帯びる。
「ただ、それは常人を相手にする範囲ね。偽ハウンドの女を相手取るには、全てにおいて足りないわ」
辛辣な言葉が突き刺さり、表情がウッと歪む。
自分でも実感しているだけに、反論も出来ない。
「だ、だからそれを何とかする為に、こうして特訓してるんじゃない」
「ええ。無駄な、が前につくけれどね」
容赦の無い言葉の応酬に、カトレアはムキになって立ち上がる。
「んなこたぁ、始める前からわかってるのよ! 師匠が言っていたわ。相手の力量を読めない人間は愚かだが、実力差に尻ごみをして、挑戦しない人間はもっと愚かだって!」
「……随分とまぁ、アナクロな理論だこと」
呆れたように、小さく呟く。
シーさんの見立てでは、カトレアには武術の才能があるし、現時点でも高い戦闘能力を有しているだろう。
しかし、それはあくまで、一般的な範疇での話。
あの雀蜂と名乗る女は、ハウンドの偽物ではあるが、相当に腕の立つ人物。恐らくは戦場を経験している筈だ。
ハッキリ言って、キャリアが違いすぎる。
雀蜂本人がカトレアと素人と侮って、油断していたから助かったようなモノで、最初から本気だったら、シーさんの助けも間に合わず、あっさりと殺され、今頃はアルトが弔い合戦に燃えていただろう。
戦場で踏んだ場数と、得た経験の差は、普通の特訓では埋めることは出来ない。
それが同じように戦場に出たシーさん、いや、シリウスの結論だ。
けれど、教えると言った以上、無駄なことばかりを積み重ねるわけにはいかない。
必勝とは言わないが、勝率を上げる方法は、無くはない。
組んでいた腕を解き、座っているカトレアを見下ろす。
「立ちなさい」
「……ん」
言われて素直に立ち上がるが、また同じ組手の繰り返しかと、表情は少しだけ不満そうだ。
「なんかさぁ。パァッと、一撃必殺みないな技とか、伝授してくれないの?」
「一撃必殺したいなら、急所に刃物でも刺しなさい。大抵の人間は必ず死ぬから」
容赦の無い一言に、カトレアはグッと言葉を飲み込む。
要するに、そんな都合のいい技は無いということだ。
「筋力や技術を短時間で高めるのは不可能よ。だから、貴女の反応速度を徹底的に鍛える。私との組手をひたすら繰り返して、速度に慣れさせるわ。相手は一撃で倒すタイプでは無いのだから、地力で負けていても、速度に対応できれば競り負けることは無い筈」
言いながら、何の前振りも無く手刀による突きを繰り出した。
風切り音を響かせ、飛ぶ屋のような手刀を避けきれず、軽く掠った頬から、赤い血が流れる。
「目だけで動きを追っても、一定の速度を超えた攻撃には対応出来ないわよ」
ペロリと、頬を流れる血を舐めとる。
「感じろってヤツ?」
「違うわ。それじゃ、足りない」
一歩踏み込み、同じように手刀を突き出す。
ただし、今度は速度を倍にして。
「――ッ!?」
手刀を腕で捌こうとするが、勢いを流しきれず、指先が顔面を狙う。
慌てて、尻餅をつくようにして座り込み、手刀を避けた。
何とも無様が恰好だ。これが実戦なら、追撃を受けて殺されていただろう。
「徒手空拳での戦闘は、先の読み合いとリズムよ。まぁ、戦いはどれもそうなのだけれど、無手の場合は如実にそれが表れるでしょうね。攻撃の予測は経験がモノを言うわ。思考の予測、動きの予測、不測の事態の予測。全ての感覚をシャープに研ぎ澄まし、戦いに集中しなさい」
バックステップでカトレアから距離を取ると、突き出した手刀を上に向け、指先を招くように動かす。
「反応速度の底上げと、攻撃予測のバリエーションを増やす。その為の反復を、徹底的に行うわ……来なさい。その拳で戦う気概があるなら」
挑発するような態度に、カトレアは地面を手で弾き立ち上がる。
両の拳を胸の前で叩き付けると、構えを取った。
「上等よ。勉強させて貰うわ」
気合を入れるよう下腹部に力を込めて、思い切り足を蹴り出すと、正面に立つシーさんに突貫していく。
何と工夫も無い、愚直な戦い方だ。
だが、悪くないとシーさんは僅かに頬を釣り上げて、カトレアを迎え撃った。
そして、それぞれが準備を進める中、いよいよオークション当日が訪れる。




