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第32話 詰めの一手






 日はすっかりくれ、時刻は深夜へと移り変わる。

 オークション会場の襲撃事件は、騎士団の介入により、秘密裏に処理が行われたらしく、大きな騒ぎにはならなかった。

 残された当面の面倒事は、後からやってきた、商業ギルドの幹部連中に全てを押し付けて、アルト達は何とか、夜の内に帰宅することが出来た。


 とはいっても、状況的には満身創痍。手酷くやられたモノだ。

 一番、容体を心配されていたレオンハルトは、ロザリンの治癒魔術のお蔭か、何とか大事には至らなかった。

 しかし、出血による体力の消耗が激しく、高齢という事情も重なり、まだ意識を取り戻していない。

 ラサラも、精神的ショックと肉体的疲労で、アレから眠ったっきりだ。

 ハウンドの仲間らしき女、雀蜂と戦闘したカトレアも手傷を負っていたので、大事をとって早々に休ませている。

 そして、皆の治療に奔走したロザリンも、流石に魔力を消費しすぎたらしく、疲れ切って気絶するように眠ってしまった。


 無事なのは、最初に屋敷に戻っていたシーさんことシリウスと、ラサラを連れて戻ったアルト。そして、一番最後に戻って来た、シエロの三人だけだ。

 夜も深くなってきた時刻、三人は屋敷の応接間に集まっていた。

 シエロが用意したお茶と、軽食を頂いて、ようやく一息をついたアルトが、改めて二人を見回す。


「しっかし、この三人だけで集まるってのも、随分と久し振りだなぁ」

「何を言っているのかしら」


 その発言に、シーさんがクイッと眼鏡を押し上げ反論する。


「私は偶然あの場を通りかかっただけの一般人です」

「お前、そのキャラを何時まで続けるつもりなんだよ」


 面倒臭そうな顔で、問われて、シーさんはコホンと咳払い。


「何事にも建前というモノは必要なの。だから、今回の件に限っては、私は通りすがりのシーさんであって、それ以上でもそれ以下でも無いわ」

「さよか……んで、お前はいいのかよ?」

「良くは無いけど、まぁ、僕の職務上、何とでも言い訳が利くからね。大丈夫だよ」


 お茶を飲みながら、ニッコリと微笑んだ。

 この二人も奔走した筈なのに、疲れた表情一つ見せないあたり、流石だろう。

 問題無いなら、気にする必要は無いかと、とりあえずこの話はここで打ち切る。

 本題は、今日の一件についてだ。


「んで、シーさん。会場の方はどんな感じだ?」

「殺されたのは、オークションの開催に関わってた商業ギルドの若手達。幸いなことに、それ以外に被害者は出ていないわ。騎士団の対応も早かったから、それほど大きな騒ぎにはなっていなかった……問題は、その後のことでしょうね」

「後のこと?」


 聞き返すと、シーさんは渋い表情をする。


「最初に対応に当たったのが、第一騎士団。けれど、後から来た連中に、現場の指揮権を奪われてしまったの」

「奪われたって、誰にだよ」

「アレハンドロ・フォレスト率いる、第六騎士団よ」

「……知らねぇな」


 聞き覚えの無い名前に、アルトは首を傾げる。

 元騎士、とは言っても、それは何年も前の話だし、自分が抜けた後に騎士団も大幅な再編成を行い、顔ぶれも大分変っている。

 それでも、あのランディウスとは違い、正式な騎士団長に名を連ねる人物。

 噂程度なら、耳に入ってきそうなモノだが。

 首を傾げるアルトの様子を察して、シエロが補足する。


「アレハンドロ団長は、保守派の推薦で選ばれた団長なんだよ。先の戦争で大きな実績は持たないけれど、後ろには古い貴族連中が控えているからね。騎士団の中でも、そこそこ強い発言力を持っているのさ」

「そりゃ面倒臭い連中だな。だが、そいつらが何だってんだ」

「実は元々、オークション関連の警備は、商業ギルドからの依頼を受けて、第一騎士団が担当していたんだ。ハウンドに関しては、別件でね」


 依頼という単語に、アルトは違和感を覚える。


「おいおい。いつから騎士団は、民間の萬屋になったんだよ」

「商業ギルドと騎士団の、友好関係を築く為だよ」


 ああと、アルトは納得する。

 商業ギルドと騎士団の関係は、あまり良好というわけでは無い。

 元々、商業ギルドは大きな権力を持つ、貴族達に対抗する為に、徒党を組んだのが始まり。

 その成り立ち故に、今でも貴族に対する反発が強く、貴族と強い繋がりを持つ騎士団との関係も微妙になっているのだ。

 その意味で言えば、商業ギルドの古株に好かれているというボルド・クロフォードは、異質だと言えるだろう。

 とは言え、王国にとって商業ギルドも騎士団も、今や無くてはならない存在。

 少しでもその軋轢を減らそうと、度々、こういった警備依頼は舞い込んでくるらしい。


「つまり。何度も失敗を繰り返したライナ君は哀れ、オークションの任務から外され、そのナントカっつー騎士団長様が、後任で転がり込んで来たってわけか」

「概ね間違い無いわ。ただ、一つ付け加えるのなら」


 シーさんは、指を一本立てる。


「ライナ・マクスウェルを外し、アレハンドロ・フォレストを警備に引き込んだのは、ミューレリア・アルバよ」

「――ッ!?」


 室内に緊張感が走る。

 随分と、タイムリーな名前を出されたモノだ。

 確か、ボルドのクロフォード家は、貴族主義の保守派だった筈。

 偶然にしては、タイミングが良すぎる。


「……これは、尋問した誘拐犯に聞いた話だけど、彼らを雇った人物も、ミューレリアさんらしいね」

「本当か?」

「彼ら、ことが終わったら、それをネタにアルバ商会を強請るつもりだったらしい。念入りに調べたと、教えてくれたよ」


 小悪党の浅はかな考えに、やれやれと、シエロは肩を竦めた。

 ラサラを誘拐した男達は、あの後、シエロの手で然るべき場所へと送られ、正式な取り調べを受けるそうだ。

 ただ、全員、大怪我を負っていたようなので、取り調べはまだ先になるらしい。

 アルトはそんな大怪我をさせた覚えは無いと、シエロを見るが、彼はニコリと笑うだけだった。何時もと変わらない糸目が、余計に怖く思える。

 この件に関しては、これ以上、問うのは止めておこう。


「んじゃ、黒幕はミューレリアってわけだな。後はアイツを何とかすりゃ、一件落着ってわけか」

「ところか、そうはいかないんだよね」


 安堵しかかったところを、シエロが水を差す。

 シーさんが憮然とした表情で言う。


「証拠が無い」

「ラサラを呼び出した手紙は?」

「筆跡は似せることも可能だからね。黒幕を告発する証拠としては、弱すぎるよ。例え筆跡を証明出来たとしても、内容が確信に触れてない以上、幾らでも言い訳が利く」


 誘拐犯の証言も、裏付けは何も無い。

 街の万引き犯なら、それでも何とかなるかもしれないが、相手は王都でも指折りの商会の代表で、後ろには貴族も控えている。

 これを追い落とすのは、容易では無い。


「……まるで、通り魔事件の再来だな」


 アルトが愚痴っぽく呟く。

 今まで、用意周到に立ち回っていた癖に、ここに来て僅かな尻尾を見せる。

 恐らくは、その尻尾を掴ませないだけの、自信があるのだろう。

 だが、黒幕がミューレリアだとしても、その目的が全く見えてこない。

 皆もそれが気になっているようで、頭を付き合わせて悩んでいると、唐突にシーさんが「ああ」と声を上げた。


「忘れていたわ。あの元貴族の娘が確か、会場で戦った雀蜂という女は、何かを探していたって言っていたわ」

「元貴族って、カトレアのことか。何かって、なんだよ?」


 問うと、シーさんは思い出すように、首を傾げる。


「何と言ったかしら……炎神の焔。そのような名前だったと記憶しているわ」

「……知ってっか?」

「いえ。名前からして、力のあるアーティファクトのようにも思えるけど」


 聞き覚えの無い単語に、三人は腕を組んで唸りを上げる。

 知らない物を幾ら考えても、何かが閃くわけも無く、数秒ほど思考を巡らせるが、三人は同時に落胆の表情を見せた。


「炎神の焔は、炎神トゥグリアスの炎が結晶化した物の一部ですよ。今回のオークションにおける、目玉となる出品物の筈です。この程度の事前情報、調べておいて然るべきですよ。そろいもそろって、全く無学ですねぇ」


 突然、応接間のドアが開くと、最早アルトには馴染みになった毒舌が、何の前触れも無く飛ぶ。

 振り向くと、寝間着姿のラサラが仁王立ちで、ジト目をこちらに向けていた。


「――ラサラ!? お前、起きて大丈夫なのかよ?」


 アルトの言葉に、ラサラは不機嫌そうな表情を見せると、何も答えずにスタスタと部屋の中央まで歩いて行く。

 そして、応接間に集まった三人を一瞥して、皮肉交じりの笑みを浮かべた。


「家主に断りも無く上がり込み、あまつさえお茶まで楽しむなんて、いやはや、随分と厚顔無恥なお客様方ですね。駄犬のお友達もやはり、礼儀に欠けていますよね。あまり寝起きで低血圧のボクを、驚かせないでくれますか?」


 起き抜けでも好調な毒舌を一発かますと、ラサラは定位置の場所へと座る。

 大抵の人間なら、怒り出すか唖然とする毒舌にも、シエロとシーさんは、表情を変えずにラサラの方を見つめている。

 いきなりの勝手が違う反応に、少し困ったような顔をして、何故かアルトの方を睨む。

 何で俺を睨むんだよと、アルトは嘆息する。


「……ま、コイツらは変わり者には慣れてっから」

「ふん……まぁ、いいですよ」


 反応が無いのがつまらないらしく、ラサラは唇を尖らせた。

 それでも話を進める為、直ぐに真顔に戻る。


「大体の状況は把握しています。今回の一件、黒幕はミューレリアだと、ボクもそう判断します」


 口調は僅かだが、硬い。

 背中で寝落ちする寸前に聞いた言葉を思い返すと、アルトは何ともやりきれない気持ちになった。

 一瞬だけ、ラサラは泣きそうな顔をした後、グッと奥歯を噛み締める。

 真剣な表情で、シエロが話を進める。


「ラサラ社長。その、炎神の焔というアイテム。どういった代物だか、わかりますか?」

「専門的なことは何とも言えません。ただ、今になって思い返してみますと、以前からミューレリアが、随分と気にしていたように思えます」

「炎神の焔の、出品者は?」


 ラサラは、首を横に振った。


「既に、死亡しています。商業ギルドの人間で、今回のオークションに関わり合いのある人物でした。本来なら、その人が今回のオークションの責任者になる筈でした」

「つまり、ミューレリアの目的は、その炎神の焔ってわけか?」

「しかしそうなると、オークション関係者を次々と殺害している理由がわからないわ」


 答えを求めるように、自然と視線がラサラに向けられる。

 真剣な眼差しが自分に集まって、ラサラは困り顔で唇を尖らせた。


「そんなこと聞かれても、ボクにわかるわけ無いじゃないですか。ボクは商売人であって、探偵では無いんですよ」


 否定の言葉に、三人はがっかりするよう、ため息を吐いた。


「な、何なんですかその態度はッ!?」


 ラサラはぷりぷりと怒り出すが、無視して三人は思考を巡らせる。

 炎神の焔を始めとするオークションの出品物は、最上階の一室に保管されている。

 勿論、扉は錠前の魔術で、確りと閉じられている為、関係者でもおいそれと立ち入ることは出来ない。

 が、ミューレリアの立場を利用すれば、持ち出すことは不可能では無い。

 それに、オークション関係者の、ハウンドを利用しての連続殺人。

 関係者を殺すことで、ミューレリアが得られるメリットが皆無だ。いや、騎士団の目が向けられ、立場的にはより厳しいモノになる分、デメリットの方が大きい。

 そしてラサラの誘拐。

 殺害が目的なら、一々攫ったりする理由がわからない。

 あの事件に関与したハウンド達も、シーさん達の介入があったとはいえ、あっさりと引いて行った印象がある。

 何よりも、あの蛇のハウンドは、庭園で剣を合わせたっきりで、ラサラが囚われていた廃屋では姿を見せなかった。

 何か目的がある割には、その行動はちぐはぐに思えた。

 まるでただ、状況を掻き回しているような、それだけの印象を受ける。

 アルトは両腕を組み、唸り声を上げた。


「う~ん。どうもスッキリしねぇなぁ……クソッ。こんな時こそ、頭脳派の出番だってのになぁ」


 バリバリと後頭部を掻く。

 ロザリンならば、炎神の焔について何かわかるかもしれないし、この状況下において何かキレのある推理を披露して貰えるかもしれない。

 だが、残念ながらロザリンは就寝中。

 普通に眠っているだけなら、緊急時なので叩き起こしても良いのだが、ロザリンの疲労は魔力の大量放出によるモノ。

 回復の為の眠りは通常より深く、少なくとも夜が明けるまでは、何が起きても目を覚まさないだろう。

 思考が混迷しだす中、シエロが雰囲気を切り替えるよう、明るい声を出した。


「とりあえず、現状ではこれが精一杯かな。行動を起こすにしても、朝がこないことには始まらないし、今日のところは、これでお開きにしないかい?」


 シエロが手を広げ、そう提案する。

 肝心な部分は不明のままだが、少なくとも黒幕の目星はついたわけだし、今後の方針も立てやすいだろう。

 今は何よりも、身体と精神の疲れを癒すのが先決だ。

 その提案に、ラサラは両目を瞑って暫く考え込むと、縦に大きく頷いた。


「わかりました。では、明日にでも早速、ミューレリアの家を訪ねてみましょう。それが一番、手っ取り早いでしょうしね」

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だな。わかりやすくていいぜ」


 意気込むように、アルトはパチンと手の平を拳で打つ。

 そして、シエロとシーさんを、それぞれ見る。


「んで、お前らどうすんだ?」


 手伝うんだろ? とでも言いたげな言葉に、シエロは苦笑い、シーさんは呆れ顔をする。

 問いかけに、まずはシエロが、ソファーから立ち上がって答えた。


「僕は一度、水晶宮の方へ戻るよ。何やらキナ臭い雰囲気になってきたから、総団長に相談してみる……場合によっては、正式に動くことになるかもしれないしね」

「私は少し、個人で動いてみるつもりよ」


 そう言って、シーさんも立ち上がる。


「ハウンドに関して、少々気になることがあるわ。それを探ってみる」

「もしかして、お前もやっぱアレ、気になった?」

「ええ。だって、明らかに不自然でしょう。あの恰好は」

「だよなぁ」


 何やら苦笑いをする二人に対して、実際にハウンドと対面していないシエロと、恐怖であまり恰好を覚えていないラサラは、同時に首を傾げていた。


「それじゃ、何か状況が動いたら、知らせにくるよ。アルト達も、十分に気を付けてね」

「私は明日ももう一度、様子を伺いに来る、通りがかるわ。言っても無駄だとは思うけど、あまり無茶はしないで……それじゃ」

「おう……今日は助かったよ」


 そう言って見送ると、二人はドアを出る直前に軽く振り返り、笑みを覗かせた。

 ドアが閉まり、二人の姿が見えなくなると、アルトは大きく息を吐く。

 まさか、今更になって、三人で顔を突き合わせて喋ることになるとは、数か月前なら想像もしていなかっただろう。

 もっと居心地が悪いか思ったが、案外、悪くは無い。

 むしろ、昔に戻ったようで、いや、昔と同じで居心地が良く、ちょっぴりむず痒かった。


「……ところで」


 軽く物思いに更けっていると、唐突にラサラが口を開いた。

 何故か、三角になった目を此方に向け、ドアの方を指差した。


「騎士だということは、佇まいから予想出来ましたが……あの人達、誰だったんですか?」


 言われてから気がつく。

 当然の如く座っていたので、すっかり忘れていたが、あの二人の紹介を全然していなかった。


「えっと、俺の友達」

「えっ!? アルトさん、友達なんていたんですか!?」


 何故かビックリされてしまった。

 そんなに友達が少なそうに見えるのかと思うと、アルトは少しだけ、悲しい気分になり、すっかり冷めたお茶を啜った。




 ★☆★☆★☆




 翌日の早朝。まだ、日が昇り切らない時刻。

 旧友二人と別れ、ラサラが再び寝室へと戻った後、アルトはそのまま応接間で眠りこけてしまった。

 疲れの残る身体を、無理やり叩き起こしたのは、腹の虫だ。

 考えてみれば、昨日は朝食を取った以外だと、シエロが用意した軽食を食べただけ。

 忙しく大立ち回りをした、成人男子の腹を満たすのには、全く足りておらず、こんな朝早くからグゥグゥと騒ぎ立てている。

 何か食べる物は無いかと、眠い目を擦りながら、厨房へと向かう。

 流石は大金持ちの厨房だけあって、かざはな亭の狭くて小汚いのと比べれば、一流レストラン並みの豪華さだ。

 食糧庫も術式保存されているので、何時でも新鮮な食べ物がわんさか。

 この屋敷に住みだして数日になるが、いやはや、何度見ても羨ましい限りだと、アルトは欠伸混じりに思った。


 時間も時間なので、厨房内は薄暗い。

 ただのつまみ食いなので、コソコソする必要な無いのだが、不思議と足音を殺して歩いてしまう。

 静寂に満ちた厨房。いや、微かだが物音が聞こえた。

 誰かがいる。

 アルトの中で、急激に緊張感が高まり、眠気が一気に消え去った。

 昨日の今日で、早速ハウンド達を差し向けてきたのか?

 腰の剣を何時でも抜けるようにして、アルトは物音を立てないよう慎重に進みながら、気配が感じる食糧庫に近づく。

 誰か、小さな人影が、食糧庫の前にいる。

 足音は立てていない。気配も消している。

 が、小さな人影は本能で危険を感じ取ったのか、不意にこちらを振り向いた。


「あ、アル」

「……つまみ食いか? ロザリン」


 振り向いたのは、床の上に座って食糧庫から引っ張り出してきたらしい、大きなハムに齧り付くロザリンだった。

 寝癖のついた頭で此方を見上げると、唇の端についた食べかすを、ペロッと舐めとった。

 緊張して損したと、ため息を吐きながら、アルトも隣りに腰を下す。

 見れば、ハム以外にもソーセージや野菜など、目の前に山積みになっている。

 全部調理していない、丸ごとだが。


「まぁ、カトレアもレオンハルトも、療養中だからな。このままでも、食えないことは無いか」


 キュウリを一本手に取り、齧りつく。

 コリコリと歯ごたえがあって、瑞々しい。


「あ、美味いな」


 空腹は最高の調味料と言うのは本当で、ただのキュウリが格別の味わいだ。

 途端に食欲が溢れて来て、続けざまに、正面にある食べ物を口の中に押し込む。

 美味い、美味いと咀嚼している姿を、何故かロザリンがジッと見つめていた。


「……んぐっ。どうした?」


 口の中の食べ物を飲み込んで、問いかけると、ロザリンは何も言わず、ピタリと横に付くよう近づいてきた。


「心配、した」


 そう、ポツリと呟く。

 ロザリンの表情は、酷く不安げだった。


「なんだよ。俺がアイツらに殺されるとでも思ったか?」

「思わない。でも、心配は、心配」


 普段より、強い口調で言う。

 こういう顔をされると、どうすれば良いのか、アルトは反応に困ってしまう。

 人の命が思いのほか、簡単に消えてしまうのは、戦場に出た経験から嫌と言うほど思い知らされている。だからこそ、アルトはロザリンに、安易な言葉をかけたくは無かった。

 口にすれば安心すると、わかっている。

 けれど、それが果たされなかった時の苦しみや悲しみは、誰よりも知っているつもりだから、アルトは自分なりの言葉を搾り出す。

 あーとかうーとか、唸りながら、ロザリンの頭を鷲掴みにして、乱暴に撫で回す。


「ロザリン。人は何時か必ず死ぬ。それは、俺も例外じゃない」

「……ん」

「でも、それは今じゃねぇ、当分先のことだ。俺ぁ無茶もするし、無謀もする。命が幾らあっても足りやしねぇさ。だから、どうしても心配だってんなら、早く一人前になって、俺の背中を守ってくれよ相棒。それくらい、出来んだろ?」


 撫でる頭から手を離し、背中を軽く叩いた。

 ロザリンはポカンとアルトを見上げた後、思い切り何度も、首を縦に振り乱した。

 子供は素直でいいねぇと、アルトは内心で苦笑する。

 こうやって具体的な約束はせず、期待感だけを煽る。昔、自分がやられた手を、今になって使う羽目になるとは、ズルい大人になったモノだ。

 けれど、今の言葉に、嘘偽りは無い。

 腹も満たされてきたところで、ふと、アルトは昨夜の会話を思い出す。


「そういや、頭脳派のお前に、聞きたいことがあったんだ」

「なに?」

「いや、実はな……」


 アルトはロザリンに、炎神の焔やミューレリアに関して、昨夜皆と話し合ったことを全て、説明した。

 話を聞き終えて、ロザリンは両腕を組むと、難しい顔をして考え込む。


「なぁ、ロザリン。ミューレリアの奴は、こんな事件を起こして、一体何の得があるってんだ?」

「多分、バラバラ、何だと思う」

「バラバラ?」


 ロザリンは人差し指を立てて、トントンと自分の眉間を叩く。


「炎神の焔、連続殺人、ラサラ誘拐。これらは、連なった目的の為、では無く、それぞれに別の意味を持つ、と考えた方が、いいかも」

「まさか、別の犯人とでも言うのか?」

「ううん。犯人は、ミューレリアで、間違い無いと、思う。でも、それぞれの目的が、横に繋がらない以上、ミューレリアは、幾つかの目的を持って、行動していると考えた方が、いいかもしれない。それを一つ一つ、解き解していけば、隠れていた繋がりが、見えてくるかも」


 確かに、どれを取ってもミューレリアやアルバ商会に利益は無く、あったとしてもそれに伴うリスクが高すぎる。


「連続殺人で、一番、ミューレリアにとって、都合の良いことって、何だと思う?」

「そりゃ、ミューレリアが責任者になれたって、ことだろ」

「半分、正解」


 褒める拍手も半分だけで、小さく鳴らす。


「一番は、警備を担当する、騎士団の入れ替え」

「なるほど、そういうことか」


 新しく警備を担当する騎士団長のアレハンドロは、保守派の人間。つまり、クロフォード家の後ろ盾を持つ、ミューレリアの都合がいいように動かせる。


「炎神の焔に、関しては、詳しいことはわからない、けれど、もしかしたら、かなり危険な代物かも、しれない」

「危険だって?」


 ロザリンは頷く。


「炎神と水神は、相反する存在。どの程度の魔力量か、わからないけど、魔力量によっては、王都の結界や守護の一部が、破壊されてしまうかも、しれない」

「そりゃ、ヤベェな」


 王都は交差する大河と、街の隅々にまで張り巡らされている水路により、巨大な結界が張られている。

 この結界や守護の恩恵で、エンフィール王国は肥沃な大地を保ち、水害とは無縁の豊かな生活を送っていられる。

 もし、それらが破壊されたら、何が起こるか予想もつかない。


「んじゃ、最後のラサラの誘拐は?」

「……多分、怨恨」

「怨恨って、ミューレリアが、ラサラに対してかよ。一体、どんな恨みがあるってんだ」

「それは、わからないけど。少なくとも、状況から推理する限り、ミューレリアは、ラサラに、強い恨みがあるように、思えた。それこそ、他の利益を、無視しても、苦しめたいと、思わせるほどに」


 確かに、そう言うことなら、辻褄が合うかもしれない。


「だが、それでも、全体像が見えてこねぇな。連中、最終的に何をやらかそうってんだ」

「全体像が見えないのは、きっと、まだ、私達が知らない、何かが隠してある、ってこと、だと思う」


 二人して、う~んと考え込む。

 先日、顔を合わした限りだと、ミューレリアは生粋のお嬢様といった雰囲気で、とてもじゃないが、こんな大それた計画の黒幕だとは考え辛い。

 しかし、アルト達に見せていた顔がフェイクなら、相当な食わせ物だろう。

 そしてアルトが一番引っかかるのが、ボルド・クロフォードの存在。

 どうにも、気に喰わない。

 彼の経歴とフェイの忠告から考えれば、事件に無関係だとは思えない。

 なのに、クローズアップされるのはミューレリアの姿ばかりで、彼の名前は影も形も出てこない。

 彼を疑うべき証拠は、何一つ無い。だからこそ、胡散臭くて堪らなかった。

 そうこうしている内に、日は大分高くなってきたようで、薄暗かった厨房にも日の光が差し込んできた。

 レオンハルトやカトレアが万全なら、とっくに起き始めている時間だ。


「今日のところは、そっとしておくか。ラサラも、自分から起きるまで放っておこうぜ」

「ん、わかった。アルは、どうするの?」

「二度寝。何かするにしても、ラサラが起きてこなきゃ始まらないしな。午後になれば、シリウス、もとい、シーさんも来るだろうから、新情報を期待しておこうぜ。果報は寝て待てだ」

「ん。私も、もう少し、寝る」


 アルトはともかく、ロザリンもここ数日、忙しかった。

 二人は立ち上がると、同時に大きな欠伸をした。

 腹が満たされたお蔭か、いい感じに眠気が再来してきた。

 このままベッドに潜り込めば、数秒で夢の世界に旅立てるだろう。

 すると、玄関の方から来客を知らせるベルが鳴り響く。

 アルトは舌打ちをして、後頭部を掻いた。


「んだよ、このままいい気分で眠りたいって時に」

「アル、お客さん」


 無視しようかとも思ったが、ロザリンに袖を引っ張られ、仕方なしに玄関の方へ。

 ダラダラと廊下を歩いている間も、ベルは何度も鳴り響く。


「はいはい、今行きますよっと」


 内鍵を外し、玄関を開くと、そこには身なりのよい初老の男性が立っていた。

 男性は、出て来たアルトを、ギロリとねめつける。


「ラサラカンパニーの人間かね?」

「ああ、まぁ、そうだけど」

「商業ギルドからの使いだ。至急、ラサラ社長にお取次ぎを願おう」


 高圧的な男性の態度に、アルトなムッと眉根を寄せる。


「悪いが、うちの社長は忙しくてね。用件は何だ? つまらない用事なら、悪いけど日を改めてくれ」


 突っぱねる態度に、男性はふんと鼻を鳴らし、懐から取り出した一枚の書類を、アルトの鼻先に突きつけた。


「ならいい。此方としたら、通達すればいいだけの話だからな。用件は単純だ。本日付けでラサラ・ハーウェイを、オークションの責任者から更迭。同時に、ラサラカンパニーを商業ギルドからの除名を言い渡す」


 一瞬の沈黙。

 目の前の書類には、確かに、今男性が述べたことと同じ文章が並んでいた。


「な、なんだよそれッ!?」


 慌てて書類を奪い取り、何度も中身を確認するが、どうやら洒落や冗談の類では無いらしい。

 横にいたロザリンが、苦々しく呟く。


「しまった。先手を、打たれた」


 その一言で、これがミューレリアの差し金だと、すぐに理解出来た。

 ようやく掴みかけた狐の尻尾。

 だが、それは今まさに、手の平をスルリとすり抜けてしまった。

 この一手に、追い込まれたのは、自分達なのかもしれない。






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