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第3話 魔女と役場と噂話



 満面の笑顔で手を振るカトレアに見送られ、仕方なしに魔女を名乗る少女ロザリンの、母親探しを手伝うことになったアルトは、とりあえず何か行動を起こさねばならぬと、街の中でも特に大きな建物の前へと来た。

 街の中央を縦断するメインスストリートを抜け、位置的には東街のど真ん中に立つ、石材で作られた五階建ての建物は、遠目に見ても目立つ。

 見た目の迫力に押され、躊躇ってしまわぬようにの配慮か、囲っているのは壁では無く低い生垣で、開けた場所であるというイメージ作りが、前面に出ている。

 大きな建物をロザリンは、口を丸く開いて見上げていた。


「あの、ここは?」

「東街の役場さ」


 コートの裾を引っ張るロザリンに、欠伸混じりで答えた。

 正直に言って名前しか知らない人物を探し出せるほど、アルトは人探しに秀でたスキルを持っているわけではない。

 だが、最初から白旗を上げてしまっては、後でカトレアがうるさく騒ぐに決まっている。

 なので、まずは人探しの常套手段の一つを、当たってみることにした。


「王都は街が四つの地区に分かれてるって説明したよな。そのそれぞれに役場があって、貴族の執政官様が一人ずつ、計四人が行政のトップに立って街を取り仕切ってんのさ。ここはその東街の役場」

「執政官って人なら、お母さんの居所が分かるの?」

「執政官様が知ってるかどうかは知らんが、少なくとも東街の住人登録を調べりゃ、エリザベットって人が何人いてどこに住んでるのかくらいわかるだろ」

「なるほどー」


 間延びする声を漏らしながら、ロザリンは口を丸く開けて建物を見上げた。


「ま、とにかく中に入ってみっか」


 ロザリンの頭をポンポンと叩いて、警備が二人で見張る硝子戸の入口を潜り、並んで役場の中へと足を踏み入れた。

 正面玄関を潜ってすぐがロビーになっていて、待合の長椅子には市民の人々が並んで座り、順番待ちをしている。

 貴族が政務を取り仕切る建物には、似つかわしくない、庶民的な光景だろう。

 執政官と言う呼び名は大仰だが、実際の職務は大きな街の市長と変わらない。

 勿論、王都の一部を取り仕切りのだから、地位も高く優秀な人間なのは間違いない。

 しかし、東街の執政官は庶民の感覚を理解した、気さくで温和な人物。

 役場のロビーを、街の人間に憩いの場として解放、提供しているのだ。

 井戸端会議に華を咲かせ賑やかな館内を、仕事に追われる職員が通路や階段を忙しなく移動している様子は、東街では日常的な光景だが、他の地区や都市では考え難いだろう。

 この開けた雰囲気は、執政官の人となりを表しているのかもしれない。

 だが、初体験のロザリンには、純粋に物珍しいのだろう。


「おおぅ!」


 感嘆の声を漏らしたロザリンは、目と口をまん丸く開いた。


「んな、驚くような光景かねぇ」


 東街で暮らすアルトにとっては、騒がしいだけの見慣れた風景なのだが、ロザリンは興奮したよう鼻息荒く、コートの裾を何度も引っ張ってくる。


「だって、人が物凄く多いから。昨日、初めて王都に来た時も、びっくりしたけど、こんな大きな建物の中に、大勢人がいるなんて、テトラヒルじゃ考えられないよ」

「あー、確かに、初めて見る奴にゃ驚きかもな」


 東街は住宅が多いので、石造りの役場が余計に大きく見えるのはわかる。

 しかし、南の商工業地区や、西の山の手にはここより大きな建物が幾つもあるし、休日やカーニバルの季節になれば、大きな通りはここの何倍もの人で溢れかえる。

 アルトや地元民はそれを見慣れているので、この程度何とも思わないが、森と山しかないような片田舎から出て来たロザリンには、大層物珍しく賑々しく映るのだろう。

 気持ちはわからないではないが、今日の用件は建物探索では無い。

 落ち着きのないロザリンの脳天を、ポンポンと軽く叩く。


「観光ならお袋さんを見つけてから、ゆっくりすりゃいいだろ。さっさと用を済ませようぜ」

「ん。わかった」


 素直に頷くのを見て、アルトは軽く唇を綻ばせる。

 いつまでも入口に立っていると邪魔になるので、早々に用事を済まそう。

 まずは受付に行くべきかと足を向けた時、背後からポンと肩を叩かれた。


「あん?」


 ガラの悪い態度で振り向くと、軽装備の鎧を着た見慣れた青年が一人。

 日に焼けた精悍な顔立ちをしていて、見た目は少年と青年のちょうど間といった雰囲気で、戦士と呼ぶには未熟な印象もあるが、鎧を着こんだその身体つきは同年代よりずっと逞しいだろう。

 彼は男前だが暑苦しい笑顔で、一礼する。


「やはりアルト殿でしたか。奇遇ですね、こんな所で会うなんて」

「クランド?」


 声を掛けてきたのは顔見知りの人物、クランドだった。

 頭を掻きながら、条件反射で剣に伸ばしかけた手をこっそり引込める。


「警備隊の衛士が役場まで出向いて……何か事件でも起こったか?」


 冗談めかした問いに、クランドは苦笑いを浮かべる。


「おいおい、図星かよ」


 眉を顰めると、クランドは慌てて両手を振る。


「いえ、ここで何かが起こったわけではないのですが……その、事件には違い無いのですが、直接事件とは関係の無いことで、ここに来ていると言いますか……」

「なんだよハッキリしねぇな……言い辛いことなのか」

「いえそう言うわけではないのですが、人が多い場所であまり口に出来る話題では無いかと思いまして」

「ああ……なるほどね」


 そこまで言われれば、勘の悪い人間でも気がつく。


「通り魔関係の話か」

「……少し、場所を変えましょうか」


 クランドに促されて、アルトたちは人通りの少ない階段の影にまで移動する。

 ふと、クランドは見慣れない少女ロザリンに目を止め、不思議そうな顔をした。


「こちらの娘子は?」

「俺の命の恩人」

「……初めまして。命の恩人の、ロザリンです」

「おお! これはご丁寧に。自分は警備隊所属の衛士・クランドと申す者です」


 深々と頭を下げるのに対して、律義なクランドも同じくらいの深さで頭を下げた。

 冗談ではなく、本気で言っている辺り、彼の人柄が伺える。


「んじゃ、互いの自己紹介も済んだところで、話を続けてくれ」

「はい。大層な話では無いのですが、ここのところ続いている通り魔事件に関しまして、今後の対応を執政官殿と話し合っていたのです」

「わざわざ執政官が呼び出したのか? 随分と大げさだな」


 街の警備は基本的に各警備隊に一任されているので、余程の事情が無い限り執政官が口出しすることは無いのだが、クランドの様子からしてその『余程の事情』が発生しているのだろう。


「それが、中央議会の方々が思いのほか、通り魔事件に関心を寄せておりまして……」

「……つまり、上からせっつかれてるってわけか」

「はい……端的に言えば」


 奇妙な話に、アルトは得心がいかず首を捻る。

 死亡者が出ているのは穏やかな話では無いが、クロスフィールで傷害事件が起こる確率は低くはない。それこそ北街なら日常茶飯事で、戦後の復興が落ち着いて来たとはいえ、通り魔事件が議題にあがるほど、中央評議会は暇を持て余してはいないだろう。

 ならば何故?

 顎を摩り、考え込む。

 下手をすれば自分が、二人目の犠牲者になっていたかもしれない。

 そんな思いから余計なこととわかっていながら、つい事件について考えを巡らせてしまう。

 暫く呻っていると、意外なところから声が上がった。


「……それって、犯人の目星がついているってこと、かな?」


 ポツリと、ロザリンが呟く。


「どうしてそう思う」


 問いかけに対して、考えを纏めるように数秒間、目を閉じる。


「ん。単純に考えて、偉い人がわざわざ口出しするとしたら、相応の利益があるか、それとも不利益があるのかの二つ。そうなると対象は、事件そのものより犯人なんじゃないかなって」

「……ふむ」


 中々鋭いかもしれないが、まだ粗がある推理だ。


「だが、対象は被害者かもしれない。俺たちが知らないだけで、どこかのお偉方が襲われて、身内に甘い貴族様が議会を通して警備態勢の強化を訴えたから、とか」

「それだと『関心を寄せている』という表現が、柔らかすぎると思う。身内を傷つけられたのなら、もっと命令も厳しく。もしくは、警備の人が責任を取らされるかも、って。でも、説明を聞いた限り、叱責を受けた印象は無かったから」


 隠し事が上手い人なら、前提が崩れちゃうけど。

 と、最後は少し自信なさげに答えたが、口を真一文字に結んで、額に脂汗を浮かべているクランドを見る限り、ロザリンの推測は的を射ているとは言わないまでも、遠からずと言ったところだろう。

 ボーッとしていて掴みどころのない性格をしているが、中々どうして鋭い観察眼と洞察力を持っているようだ。

 流石、魔女と名乗るだけはある。関係ないかもしれないが。


「こいつぁ、驚いたな」

「あ、うっ」


 感心してロザリンの顔をまじまじと見ていると、真正面から覗き込まれたからか恥ずかしそうに俯いた。


「んんッ! ところでアルト殿。アルト殿は、何をしにここへ?」


 大きく咳払いをして、クランドは露骨に話題を逸らす。

 更に突っ込んだ話題を振られて、口を滑らせたくないが故なのだろうが、それならばもう少し上手く、せめて、引き攣った口元くらいは、何とかして欲しいものだ。

 根が正直者で、嘘や誤魔化しが不得意なクランドを、これ以上苛めるのは酷だろう。


「ちょっとした人探しさ。こいつのな」


 ポンとロザリンの頭に手を乗せ、簡単にことの経緯を説明。

 当然、魔女や通り魔に襲われた云々は、面倒なことになりそうなのでぼやかして話す。

 素早く事情を話終えると、何故かクランドは目頭を押さえて泣いていた。


「クッ。生き別れた母を訪ねてはるばる田舎から……泣かせる話ではありませぬか!」

「いや、んな大げさに反応されるような説明してねぇから」


 この街の人間はそんなばっかりか。と、心の中で毒づく。

 クランドは鼻をズズッと啜り、真面目な表情に戻す。


「しかし、タイミングが悪かったかもしれませんね」

「タイミングも何も、普通に市民課の方に問い合わせれば教えて貰えるだろう」

「平時ならば問題ありませんが、先ほども言ったように警備態勢の強化を実施していまして、その一環で住民登録の方も閲覧を制限しているのです」

「……おいおい、マジかよ」

「一応、血縁関係を示す書類等があれば、閲覧許可は下りるのですが……」


 視線を向けられて、ロザリンは首を左右に振った。

 家族関係を証明する書類が普及している場所など、王都でも一部、上流階級の人間くらいだ。

 そもそも、そんな便利な物があれば、いちいち調べたり面倒なことをする必要はない。

 思わぬ落とし穴に、アルトは額を押さえた。


「出鼻を挫かれるとは、まさにこのことだな」

「……よしよし」


 落胆して肩を落とすアルトを、慰めるようにロザリンが背中を優しく撫でた。


「役割が、逆なのでは?」


 役場に聞いた程度で解決するとは思っていなかったが、情報を得ることもできないとは予想外だ。

 早くも捜索が暗礁に乗り上げ、幸先の悪いことこの上ない。

 どうしたモノかと途方に暮れていると、不意に「おい」という渋いバリトンボイスが聞こえた。

 目の前のクランドに緊張感が走り、一瞬にして背筋を伸ばしその場で直立不動になる。

 悪い時に、悪いことが重なるモノだ。

 アルトは舌打ちを鳴らし、不機嫌な顔で振り返ると、この東街で一番顔を合わせなくない人物が、射抜くような視線を向けていた。

 警備隊隊長のラグ・マグワイヤ。

 三十代後半ほどの背が高い細身の中年男性。

 痩躯、という意味ではランドルフに似ているが、彼の場合は余計な肉をそぎ落とした、無駄の無い戦士の体格と言うべきだろう。

 陳腐な言い方をすれば『研ぎ澄まされた鋭い刃のような男』。

 このような比喩が似合う人物を、アルトは他に存在しらない。

 マグワイヤは、鋭い視線をクランドに向ける。


「何を話し込んでいる。詰所に戻れと言ったはずだ」

「はい! 申し訳ありません!」


 打てば響くような返事で、クランドは腰を折れるのではないかと思うほど折り曲げて、頭を下げた。

 視線上にいるのだから、こちらの存在に気がついているはず。

 なのにまるで誰も存在しないかのよう、あからさまな態度で無視するマグワイヤに、思わず「あいかわらず、陰険な野郎だ」と嫌味が零れる。

 嫌味に反応してか、視線だけがこちらに向くと、


「なんだ、いたのか」


 と、感情のこもらない声で、これまたワザとらしく言い放つ。


「職業案内所で職でも探しに来たか? お前のようなダメ人間にしては殊勝な心がけだな」

「……通り魔一人も捕まえられない警備隊長様が、随分と上から目線で言ってくれるじゃねぇか」

「ふん。貴様より下の存在が皆無なだけだ」


 バチバチと火花散る視線の間で、クランドが狼狽しながら視線をさ迷わせる。

 初めて会った時から、二人の関係は何故か険悪。

 特に何があったというわけではなく、理由は不明だ。

 自分にも他人にも厳しいストイックなマグワイヤと、自堕落で気ままな野良犬のアルトでは、単純に相性が悪いだけなのかもしれない。

 そうだとしても、今日のマグワイヤは随分と機嫌が悪い様子。

 何があったか知らないが、露骨に喧嘩を売られた以上、アルトも黙っは引き下がれない。

 無言で睨み合う二人に、一触即発の雰囲気が醸し出される。

 異様な気配を察してか、賑やかだったロビーは静まり返り、巻き込まれないよう距離を取っている。止めに入るべき警備員も、雰囲気に飲まれてしまったのか、直立不動で気づかないフリをしていた。

 肝心のクランドは、オロオロするばかりで役に立ちそうにない。


「顔を合わせりゃ何かと突っかかってきやがって……テメェ、俺に喧嘩売ってんのか」

「心外だな。俺は貴様のように暇人じゃない……目上の者の助言を穿って捉えるような人間に、何を言っても無駄だからな」

「おーしわかった。その喧嘩、買ってやるよ……表へ出やがれ」


 額に青筋を浮かべ、ドスの利いた声を出す。

 薄く冷笑しながら、マグワイヤは鋭い視線を更に鋭くする。


「聞き分けのない野良犬を躾けるのは警備隊の任務外だが、いい加減、俺も貴様の性根は叩き直さねばと思っていた所だ」


 二人揃って腰の剣に手を添えた。

 空気が一気に冷え込む。

 これは不味いとクランドが青ざめた瞬間、ロザリンが二人の間に割って入った。


「喧嘩は、駄目」


 両手を広げ二人に手の平を見せて押し止める。

 口調は変わらずだが声色は意外なほど力が籠っていて、思わず剣を握っていた手を離してしまった。

 それはマグワイヤも同じなようで、珍しく驚いた顔を見せていた。

 殺気が緩むと、素早くマグワイヤに向けて頭を下げる。


「……アルが、ごめんなさい」


 もう一度、マグワイヤは驚く。


「何でお前が謝るんだよ」

「先に、悪口を言ったのは、アルの方。だから、こっちから謝るのが普通、だよ」


 咎めるような声に、言葉を詰まらせてしまう。

 女の子にだけに頭を下げさせるわけにもいかず、頭をボリボリと掻いて嫌々ながらマグワイヤに向けて頭を垂れた。


「悪かった」


 全然心は籠ってないが、マグワイヤは謝罪を受け入れたように佇まいを直すと、頭を上げるよう促し、自分も頭を下げる。

 ただし、アルトにではなく、ロザリンに。

 ムカッと来るが、クランドが泣きそうな顔をしているので、強引に怒りを飲み込む。


「失礼。俺も大人げなかったようだ……君は? 街の人間ではないようだが」

「昨日、テトラヒルから来たロザリンです。アルの、命の恩人です」


 マグワイヤは微笑して「なるほど」と頷く。


「何かあったら遠慮なく警備隊の詰所に来るといい。相談くらいには乗ろう……クランド、戻るぞ」

「は、はい!」


 それだけ言い残し、踵を返して颯爽と硝子戸を通って表へ出て行く。

 背中を追おうとしたクランドは、何かを思い出したのか、途中で踵を返すと再びアルトのところへ戻って来た。


「どうした?」

「一つ思い出したのですが、もしかしたらお役に立てるかもしれない情報がありまして」


 妙に緊張した面持ちの言葉に、アルトとロザリンは顔を見合わせる。


「教えて、欲しい」


 クランドは硬い表情で頷き、二人に顔を近づけると声を潜める。


「ルン=シュオンという人物をご存じですか?」

「いや。知らないな。そいつが何だってんだ」

「元々は他国から王都に来た流れ者らしいのですが、これがまた癖の強い人物でして一部で有名になっているんです」


 話題としては面白いと思うが、それが自分たちと何が関係あるのだろうか。

 訝しげな顔をしていると、クランドは口元に手を添えて更に声を潜めた。


「端的に言えば凄腕の情報屋らしいんです。それも、与太話を撒き散らす詐欺師同然の偽物ではなく、それこそ隣の夕飯から政治的密談まで……まだ大きな被害は出ていませんが、危険視した騎士団がマークしているとも聞いています」

「ふ~ん……情報屋、ねぇ」


 腕を組んで今の話を思案する。

 率直に言えば、胡散臭い。しかし、クランドの生真面目な性格を考えて、ただの噂話を他人に吹聴するとは考えられない。

 口には出さなかったが、恐らく信頼できる筋からの情報なのだろう。

 逆を言えば、クランドがこんな話を持ってくること自体、疑問を覚えるのだけれど。


「ロザリン。お前はどう思う?」


 あらかじめ答えを考えていたのか、問われてすぐに口を開く。


「当たってみる価値は、あると思う。他に手がかりがあるわけじゃ、ないし」

「決まりだな……場所は?」

「北街です。大河沿いの大通りから娼館街に抜ける路地に、下りと上りの階段が連続である場所があります。そこが、ルン=シュオンの根城だと」

「あそこか……あんまり、子供連れで行きたい場所じゃないな」


 視線をロザリンに落とすと、置いて行かれるとでも思ったか、見上げた赤い瞳には強い意志が宿っていた。

 一人で行く。と言っても、聞き届けるつもりはないらしい。

 ならば善は急げ。北街に行くなら、暗くなる前の方がいい。


「んじゃ、ちょっくら行ってくるか。情報、わざわざサンキュな」

「お役に立てたなら幸いです。北街も通り魔騒ぎでピリピリしているはず。どうか、お気をつけて」

「お前も、仕事頑張れよ。いくぜ、ロザリン」

「うん」


 軽く手を上げて歩いて行くアルト。

 敬礼をするクランドにペコリとお辞儀をすると、ロザリンも小走りにその背中を追いかけた。




 ★☆★☆★☆




 一人残ったクランドは、敬礼を解いて大きく息を吐き出した。

 硝子戸から二人の姿が見えなくなると、酷く気落ちした顔でポツリと呟く。


「……これで、よろしいですか?」


 疲れたような口調に反応するよう、クランドが立っている場所から斜め後ろにある柱の、死角になっている影が揺らめく。何時から居たのか、細目で柔和な笑みを湛えた青年が数歩、足を進めて姿を現した。

 人の良さそうな好青年で、彼が何者なのかは服装を見れば一目瞭然。

 上級騎士を表す白い軍服は、同時に彼が貴族階級であることを示している。

 何より目を引くのは、アルトの同じ、灰色の髪の毛。いや、アルトよりやや、黒よりに近い灰色、というのが正しいだろう。

 上級騎士の青年は、にこやかに微笑みかける。


「感謝します。嘘や誤魔化しが苦手と言うわりには、お上手でしたよ」

「言わんで下さい。今になって胃がキリキリと……」


 褒められたクランドは、複雑そうな表情で胃のあたりを押さえる。

 嘘や誤魔化しを口にしたことより、友人であるアルトを騙してしまったことが、心苦しいのだろう。

 青年はクランドの様子に、クスッと苦笑を零すと、アルトたちが去って行った硝子戸の出入り口に、意味ありげな視線を投げかけた。


「……気になるのなら、ご自分から声をかければよろしいのでは?」


 皮肉ではなく、純粋にそう思っているクランドの発言に、青年は自然な流れで前髪を掻き上げた。

 キザったらしく感じないのは、その動作が青年に似合っていたからだろう。


「今、彼と語り合わなくとも、未来に語り合うときがくると、僕は確信してますから」

「……はぁ」


 意味が分からず、クランドは生返事を漏らす。

 上手くもない誤魔化しに「それはどういう意味で……」と問いかけるが、青年は笑顔を浮かべたまま無言で口元に人差し指を添えた。





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