第27話 湯煙は想いを語る
アルバ商会。
王都でも老舗と呼ばれる交易商で、家名持ちではあるが、ラサラと同じく爵位持ちでは無い。
一昔前までは、交易といえばアルバ商会。そう言われる時期もあった。
先の戦争の影響で、近年は業績に陰りが見え始めると、まるで運に見放されたかのように、当主やその家族が次々と事故死、または病死と、身内の不幸はこの数年で二桁に昇っていた。
その為現在、アルバ商会の代表の座は、唯一の血族であるミューレリア・アルバが担っている。
この商才どころか、一般常識にすら疎そうなお嬢様が、代表としてこの場にいるのは、そういった諸々の理由からだ。
ミューレリア・アルバが商会のトップとして、問題なく今の地位につき、尚且つ、崩れかけた商会を立て直すことが出来たのは、婚約者であるボルド・クロフォードの尽力が、何よりも大きいだろう。
ボルドの右腕に抱き着き、ミューレリアは婚約者らしく、仲睦まじい姿を見せつける。
他人のこういった姿は、甘ったるくて痒くなると、アルトはボリボリと顎を掻いた。
二人の案内で、アルト達はオークション会場の建物内部を歩く。
どこもかしこも、人が忙しそうに駆けずりまわっている。
その様子を見て、ラサラは満足げに頷いていた。
忙しなくはあるが、皆、効率的に行動していて、無駄な動きが無い。
アルトには判断出来ないが、ラサラの様子を見る限り、そういったこのなのだろう。
しかし、ミューレリアは周囲の慌ただしい様子に、眉を潜める。
「皆様方、大変ですわね。もう少し、ゆったりとした方が疲れませんのに」
頬に手を添えての呑気な一言に、彼女以外は困惑を浮かべ、顔を見合わせた。
「ははっ。それだと、期限までに仕事が終わらないよミューレリア。僕達の為に頑張ってくれているのだから、もっと応援してあげなきゃ」
「流石ボルド様ね。お優しいわ」
何処か素っ頓狂な会話を交わす二人。
渋い顔をしつつ、アルトは小声でラサラに話かける。
「おい。あの二人、何時もあんな感じなのか?」
「ボクがよく知っているかのような問いかけは、止めてください。ボクと彼女には、同業者という以外に、何の関係性もありません」
彼女と顔を合わせてから、ラサラは終始この調子だ。
よっぽど、ミューレリアとはウマが合わないのだろうか。
しかし、当の本人はそんなこと、全く感じてない様子で、気軽に話しかけてくる。
「ねぇ、ラサラ。先ほどから気になっていたのだけれど、聞いていいモノなのかしら? 聞いていいラサラ?」
「……どうぞ」
ウズウズと振り返るミューレリアに、眉間を指で押さえながら許可する。
パッと華やいだ笑顔を見せると、彼女はアルトに視線を向けた。
「彼は何者なのかしら? もしかして、ラサラの恋人?」
「違います。間違いです。あり得ません。百歩譲って恋人が出来たとしても、彼のような貧乏神にダース単位で呪われてそうな男性を、選ぶはずがありません」
「そうよねぇ! わたくしもそう思いました。これで胸のつかえがとれましたわ!」
流れるような毒舌を、ミューレリアが屈託の無い笑顔で肯定する。
間髪入れずに否定したラサラより、ミューレリアの率直な言葉の方が、何となくストレートに胸にグサッと刺さった。
ちょっとだけ、心にダメージを負いつつ、ミューレリアの案内は続く。
聞く限りだと、この会場の陣頭指揮を取っているのは、ミューレリアらしいのだが、見たところ彼女は婚約者といちゃいちゃしているだけで、指示を出すどころか、周囲に視線すら向けない。
逆に、ボルドの方がすれ違う作業員を気遣ったり、時には立ち止まって、談笑したりとコミュニケーションを取っている。
実質、この場を取り仕切っているのは、彼なのだろう。
顔が良く、気遣いも出来て、仕事もこなせる。
何て歯軋りしたくなるほど、完璧な色男。
だが、アルトの胸中に宿る疑惑故に、ボルドの背中に向ける視線は厳しい。
「……おい」
「なんでしょう?」
歩く速度を落とし、三歩ほど後ろを歩くレオンハルトと並び、視線は正面を歩くボルド達に向けたまま、小声で話かける。
「ボルド・クロフォードってのは、あのクロフォード家か?」
「……恐らくは、アルト様がご存知のクロフォード家かと」
やっぱり。ボルドに対する不信感が、ムクムクと膨れ上がる。
「アイツの情報、知りうる限り教えてくれ」
「はぁ。それが……」
何故か口ごもるレオンハルトに、訝しげな視線を向ける。
「何だよ。ご主人様のお友達の婚約者だから、余計なことを言いたくありませんってか?」
「いえ、そうでは無いのです。そうでは無く……あの方に関しましては、お伝えすべきことが、殆ど無いのですよ」
「……どういう意味だ?」
真剣な表情で、レオンハルトは髭を一撫でする。
「ボルド様はクロフォード家現当主様の血縁者。長らく海外に留学していて、ここ数カ月以内にご実家に戻られたと……その程度の情報しか無いのです」
「そいつは、随分と胡散臭いな」
「執事の身からは、同意しかねますが……ただ、通り魔事件以降、苦境に立たされているクロフォード家が、厳しい処罰を受けずに済んだのは、ボルド様が各方面を駆けまわり、頭を下げた結果だと言われております」
頭を下げる。とは、また貴族には似つかわしく無い表現だ。
それが本当なら、ボルドは名より実を取る男、というわけだろう。
「元々、貴族でありながら物腰が柔らかいと、一部では有名でしたので。商人にも躊躇なく頭を下げる謙虚な姿は、以前から商業ギルドの古株にも、好感触でありましてな。ミューレリア様とは、その関係でお知り合いになられたとか」
レオンハルトは、真面目な表情で、周囲に聞こえぬよう、更に声を潜めた。
「カリスマ、とでも申し上げましょうか。ボルド様のお人柄に惹かれ、心酔する方々は貴族、庶民、商人問わず、大勢おります……敵に回さぬ方が、懸命でしょう」
「なるほどね。だから、あのラサラの口数が、異様に少ないってわけか」
ボルド一人のご機嫌を損ねれば、その敵は倍になって膨れ上がる。
人徳を武器とする人間の、一番厄介な部分だろう。
後ろ姿でもわかるほど、ラサラの小さな背中は、不機嫌さに満ちていた。
時折、振られるミューレリアからの会話も、「ええ」とか「そうですね」とか、単語ばかりを返している。
ミューレリアがお喋り好きで無ければ、とっくに会話が途切れているだろう。
多分、長い言葉を喋れば、必要以上の毒が含まれることに、本人もわかっているらしい
自分にも、その半分の気遣いが欲しいと、アルトは軽く肩を竦めた。
暫く建物の視察を続けていると、突然、ミューレリアが「あっ!」と声を上げた。
「いけませんわ! わたくしったら、これから午後のお茶会があるのでした」
「それはいけない」
オロオロとするミューレリアを宥め、ボルドは素早く近くを歩いていた商会の人間に、至急、馬車を表に回すようにと指示を出す。
「ミューレリア。ここは僕に任せて、君はそのお茶会に出席するんだ」
「……でも」
チラチラと、ミューレリアはラサラに視線を向ける。
全然、案内になっていなかったが、途中で放り出すのは気が引ける程度の、責任感は持ち合わせているようだ。
そんなミューレリアの頬を、ボルドは優しく撫でる。
「心配しなくても、君は君にしか出来ない仕事をしてくるんだ。何かあったら、すぐに僕が駆けつけるから……ね?」
「……わかりましたわ」
頬を染めながら頷くと、ミューレリアは、ラサラの方を向いて優雅に一礼する。
「ごめんなさいね、ラサラ。わたくしはもっと貴女と、お喋りを楽しみたかったのだけれど、行かねばなりません」
「気にしないでください。ボクは、大丈夫です。むしろ、貴女がいない方が、伸び伸びと視察が出来ますから」
「ふふっ。わたくしに気を使っているのね。本当に、ラサラは可愛らしいのだから」
コロコロと笑う姿に、笑顔を浮かべるラサラの額に、ビキッと大きな青筋が浮かぶ。
嫌味が通じない相手には、彼女の毒舌も意味を成さないようだ。
「では、失礼いたしますわ。後ろの使用人の方々も、ラサラのことをお願いね」
可憐な笑顔を見せながら、ミューレリアはスカートを翻すと、足早にその場を後にした。
アルトはジト目で「使用人じゃねーよ」と呟き、その後姿を見送る。
妙な緊張感から解き放たれ、ラサラとアルトは同時にため息を吐いた。
その姿を見て、ボルドは穏やかに笑った。
「ははっ。彼女の相手は大変かい、ラサラ」
「……別に」
馴れ馴れしい口調に、面倒臭そうな言葉を返す。
そんなラサラに笑顔を振り撒き、ボルドは不自然に彼女との距離を縮めた。
「彼女も悪気は無いんだ。どうか、許してやってくれないか」
「何を誤解しているか知りませんが、怒っていません」
「その強がる姿、相変わらずチャーミングだね」
平然と、口説くような台詞を吐く。
更に、ボルドは距離を詰める。
「ミス・ラサラ。君には感謝しているよ。君はバックアップしてくれているから、僕達は気兼ねなく業務に専念できる」
「当然です。仕事ですから」
素っ気ない言葉で、見つめられる視線を逸らす。
さりげなく離れようとするが、回り込むようにボルドが邪魔をし、気がつけば何時の間にか壁際まで追い込まれてしまう。
顔をグッと近づけ、
「何か、お礼がしたいな」
甘く、囁くような声色。
ラサラは極力、目線を合わさぬよう、俯き気味だ。
「結構です」
短く断って、壁際から脱しようとするが、進行方向を遮るように、ボルドは左手を壁に添える。
「ミューレリアのことを気にしているのかい? 心配は無いさ。彼女だって、僕が君にお礼をすることくらい、大目に見てくれる」
ミューレリアが側にいた時の、紳士的な態度とは打って変わって、結婚詐欺師のような態度で、ラサラを誘惑するような言葉を投げた。
周囲には、行き交う作業員達の視線がある。
しかし、余程、普段のボルドは品行方正なのだろう。
このような状況にあって、誰も咎めるどころか、気にするような視線を向けることも無い。
ラサラの様子も妙だ。
何時もだった、ら小気味の良い罵倒が、湯水の如く溢れ出しそうなモノだが、ボルドに迫られるラサラは、下を向き、何かを耐え忍ぶように自分の腕を抱いていた。
どんな表情をしているのかは、ここからでは伺えない。
ラサラが無言なのをいいことに、ボルドは自分勝手に話を進める。
「そうだ。今夜あたり、一緒にディナーでもいかがかな? ミューレリアは残念ながら、他のパーティに出席しなければならないから、二人きりになってしまうけれど、構わないだろう?」
紳士的な笑顔を張り付け、さりげなくラサラの頬を撫でようと右手を伸ばす。
その指先が頬に触れるより先に、手首を掴まれ止められた。
驚いた視線で、ボルドは手を掴んだ人物、アルトを見上げた。
「悪いがそこまでだ」
「……君は?」
あくまで笑顔を絶やさず、ボルドは紳士的に問いかける。
今までずっと一緒だったのに、白々しい限りだ。
「コイツのボディガード」
「ボディガード君に、友人同士の語らいを、邪魔する権限は無いと思うけれど?」
「権限は無くとも、義務はあるんだよ」
スッと、ボルドは視線を細めた。
「僕が、彼女に、婚約者の友人に、何か悪さをするとでも?」
口調は変わらない。変わらない筈なのに、妙な威圧感が籠っている。
異変を察してか、周囲に人が集まり、ざわめきが広がった。
ラサラを挟み、腕を掴んで睨み合う男二人。
だが、この場にいるレオンハルト、ラサラ以外の人間は全て、アルトに対して敵意の籠る目を向けていた。
随分と、仕事仲間に好かれているようだ。
アルトは冗談めかすように笑い、掴んだ手首を離した。
「俺の報酬は高いんでね。オークションまでの間、依頼主には休む間も無く働いて稼いで貰わないと、俺が困るんだよ」
悪ぶった物言いに、周囲のざわめきは大きくなる。
口々に「最低」や「何て奴だ」と、アルトを中傷する言葉が囁かれる。
後ろでレオンハルトは、心配そうな表情をしているが、当のアルトはどこ吹く風といった態度を見せている。
その姿が、余計に周囲からの反感を買っていた。
「……あまり、趣味のいい冗談じゃないね。大任を背負って苦労をしている彼女を、労わろうという気持ちは無いのかい?」
「悪いが、その手の優しさは皆無でね。こっちは金に困ってんだ。まぁ、報酬が割り増しされるってんなら、幾らでも労わってやるんだけどな」
「君は、そんなにお金が大事か」
「ああ、大事だね。世の中、金が一番だからな」
「……最低だな理屈だな」
心底、侮蔑するような言葉を投げかける。
周囲からも、同調するような声が飛んでいた。
気がつけば、辺りの雰囲気はすこぶる悪く、その全てが一人の男、つまりアルトに注がれていた。
煽ったのは事実だが、この雰囲気は異常だろうと、アルトは視線だけで周囲を見回す。
すると、壁際にいたラサラが動き、ボルドとの間に立つと、スカートを掴み上げ優雅に一礼した。
「部下の無礼、心よりお詫び申し上げます。雇ってから日が浅いので、まだまだ躾の行き届いていない駄犬なんです。けれど、所詮は吠えることしか出来ない犬畜生。ここはボクの顔に免じて、引いて頂けませんか?」
調子を取り戻したのか、にっこりとした笑顔で毒を吐く。
毒の矛先は、アルトに向かっているが。
庇った手前、本人にそう言われると二の句が告げず、ボルドは困惑して言葉を濁す。
「……そうだね。僕もレディに対して、少し強引だったかもしれない。済まないね、ラサラ。君の魅力に、僕はどうかしていたらしい」
「気にする必要はありません。ボクの魅力でどうにかなるのは、当然のことですから」
律義に頭を下げるボルドの姿に、周囲から「何てお心の広いお方なのだ」と、賞賛の言葉が飛び交う。
顔を背け、周囲から見えないように、アルトはベッと舌を出す。
ラサラは笑顔でもう一度、感謝の意味を込めて礼すると、身を翻した。
「アルトさん。レオンハルト。視察は済みました。次の現場に移動しますよ」
そう言ってラサラは、足早にその場を後にする。
周囲の人間に頭を上げながら、レオンハルトもその後に続く。
「…………」
アルトも無言で、ラサラを追おうと足を踏み出す。
不意にボルドと視線が合い、すれ違いざま、彼は僅かだが唇に笑みを湛えていた。
それが何を意味するのか。
問おうにも、突き刺さるような周囲の視線が痛く、これ以上はこの場に留まれない。
仕方なく、アルトはそのまま足を進め場を後にした。
ボルド・クロフォード。
優雅で、紳士的で、カリスマ性に満ちた男。
その裏に潜む鋭い刃を、去り際に見せた唇の笑みに、アルトは垣間見たような気がした。
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あの場はああ言って切り抜けたが、予定では午後の時間全てを、オークション会場の視察に費やすつもりだったので、この後のスケジュールがぽっかりと空いてしまった。
じゃあ、どっかで時間でも潰すか?
と、アルトが気を使って出した提案は、ラサラによって、二秒で却下されてしまう。
「ボクはアルトさんみたいに暇じゃないんです。お高いボディガードさんの報酬を支払う為に、健気にもボクはお家で他の仕事に精を出すことにしますよ」
皮肉を返されてしまう始末。
そんなわけで、予定よりも早いが、馬車は帰路へとつく。
てっきり、機嫌を損ねて、帰りの馬車は不機嫌オーラと毒舌で、延々と攻め続けられると思っていたが、意外や意外。何故かラサラは上機嫌で、楽しげな表情をして、鼻歌混じりに窓から外を眺めていた。
何がそんなに嬉しいのやらと、アルトは首を傾げる。
「そんなに、口説かれたことが嬉しかったのか?」
「そうですね。ボクの美貌に怯まず、口説ける度胸だけは褒めてもいいかもしれませんね。エビの尻尾ほども嬉しくありませんが」
窓の外を見たまま、ラサラは答える。
「その割にはされるがままだったな……アルバ商会のお嬢様もそうだが、お前、随分とあの二人が苦手そうだな」
すぐには答えず、ラサラは外を眺めながら、指先で窓の淵をトントンと叩く。
「ミューレリアは苦手です。あの頭の緩さと話の噛み合わなさは、イライラしますよね。頭の中にプディングでも詰まっているんじゃないですか?」
「付き合いは長いのか?」
「ボクが王都で今の仕事をするようになって、アルバ商会の前会長。ミューレリアのお爺様にはよくして頂きました。その縁で、彼女と知り合ったんですけど、どうにもウマが合わなくて、ずっと苦手に思っていたんですよ」
「ふぅん。恩人の娘じゃ、無下にも出来ないってか」
「その通りです。全く、煩わしいことこの上無いですよね」
そう呟いて、ラサラは珍しく苦笑した。
流れる外の景色を見つめる視線は、気のせいか、少しだけ優しげに思えた。
「んじゃ、あの婚約者はどうなんだ。随分と好かれている様子だったが」
ボルドの話題を出すと、途端にラサラの表情が曇った。
気まずい沈黙が流れる。
無言の中、馬の蹄と車輪が回る音だけが響く。
数分ほどそのままで、ラサラはゆっくりと口を開いた。
「……あの人は、少し、怖いです」
微かに、声が震えている。
「彼と話した人間は、誰もが虜になる。誰もが、彼の人格を褒め称える言葉しか、喋らなくなります。確かに、実力、人格、家柄、どれを取っても完璧で、魅力溢れる人物だと、客観的に見ても判断できます。カリスマとは、彼のことを指すのでしょう」
言葉を切って、ラサラはギュッと唇を結ぶ。
「だからこそ、怖いです」
「……完璧すぎるからか?」
ラサラは首を左右に振る。
「彼のカリスマは、人を狂わせます。まるで、ジワリジワリと身体を蝕む毒のように。何より恐ろしいのは、その毒に狂わされていることに、誰もが気がつかないこと……あの娘も」
最後の言葉は殆ど声にならず、アルトの耳には届かなかった。
アルトにも思い当る節があった。
会場で感じた、周囲の人間の違和感。
ひとたび向けられた敵意が、瞬く間に伝染していくあの雰囲気は、異様なモノがあった。
アレが魔術や催眠術の類では無く、生まれ持ったカリスマから生み出されるモノなら、それはとても恐ろしいことだろう。
後でロザリンに、意見を求めてみるべきかもしれない。
「……すっかり、相棒みたいになっちまったな」
自然と浮き出た考えに、思わず苦笑してしまう。
色々と、考えることが多くて嫌になるが、とりあえず当面は、暗殺者ハウンドからラサラを守ることだけを考えよう。
会話が途切れると、ラサラは上に向かって両腕を突き出して、大きく伸びをした。
「やれやれ。何だかとても疲れてしまいました。レオンハルト。今夜の湯浴みは、少し熱めの湯でお願いします」
「かしこまりました。リラックスできますよう、特製のアロマオイルもご用意いたしましょう」
「……流石大金持ち。家に風呂があるとは、驚きだぜ」
呟きを耳にし、視線を向けたラサラが、自慢げに顎を上げる。
「我が家のお風呂は、大衆浴場並に広いんですよ……そうですね。折角、メイドを二人も雇ったのだから、彼女達に背中を流して貰いましょう。ついでに、マッサージをさせるのも、いいかもしれませんね」
「……ふぅん」
何気なく相槌を打つと、瞳をギラッと輝かせ、何故かラサラは前のめりになって近づいてくる。
「な、なんだよ」
「もしかして、ボクの入浴姿を想像してしまいました? ふふっ。頭の中の出来事とはいえ、辱められるのは耐え難い屈辱ですが、これも魅力的なボクの罪。ほどほどの妄想で済ませて頂けるなら、許してあげますわよ」
何故か得意げに捲し立てる。
えっへんと逸らす胸を見て、腰を見て、お尻のあたりを見て、顔を見上げる。
アルトはジト目で鼻から息を抜くと、何も言わずに視線を窓の外に向けた。
ガダッと、馬車が大きく揺れ、驚いた馬が嘶く音に、街の人々は何事かと視線を集めていた。
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ラサラ邸の浴場は、まさに贅の極みと言うべきだろう。
大理石で作られた、共同浴場も顔負けの広さを持つ、大きな浴室。
浸かればゆったりと足を伸ばせ、アロマオイルの爽やかな香りが、心身共に身体をリラックスさせてくれる。
王都の人間は、貴族、庶民問わずに風呂好きが多い。
山間にある温泉や、近所の人間との触れ合いが楽しめる、共同浴場も良いが、こうして誰に気兼ねすることなく、ゆっくりのんびりと湯に浸かっていられるのは、個人邸宅に風呂を持つ金持ちの特権だろう。
立ち上る湯気に隠れて、肩まで湯に浸かる人影がある。
アルトと、レオンハルトだ。
「ふぅ……熱い湯が染みるなぁ。やっぱ、風呂が熱すぎるくらいがちょうどいいぜ」
「同感ですな。この肌がひりつく感覚が、何とも止められませぬ」
男二人は、同時に熱い吐息を漏らす。
ラサラ、ロザリン、カトレアの三人がきゃっきゃうふふと、お風呂を楽しんだ後、折角だからということで、アルトとレオンハルトも湯に浸かることとなった。
多少、身の危険を感じなくも無いが、熱い湯に入ればそんなことも吹き飛んでしまう。
タオルを頭の上に乗せ、ぶくぶくとアルトは口まで湯に浸す。
ハウンドに付けられた胸の傷は、まだ薄く残っている。
いや、それだけでは無く、アルトの全身には薄らとだが、そこかしこに、無数の傷跡が残っていた。
普段は見えないが、古傷故か、湯に浸かると浮かび上がってくる。
気づいてはいるだろうが、傷のことを問いかけるほど、レオンハルトは無神経では無かったようだ。
「……アルト様」
「なんだよ」
「お礼をまだ申し上げていませんでした。会場では、ボルド様から、お嬢様を助けて頂き、ありがとうございました」
横に並んで座るレオンハルトは、真っ直ぐに正面を見たまま、礼を述べた。
「……社長って呼ばなきゃ、怒られるんじゃねぇのか」
「そうですな。ですが、吾輩にとって一番しっくりくるのが、お嬢様なのです」
そう言って、レオンハルトは笑った。
本当は、彼が割って入りたかったのだろうが、立場上、それは許されないのだろう。
一頻り笑って、急に真面目な顔をする。
「アルト様。どうか、お嬢様をよろしくお願いします」
「唐突だな。言われなくたって、俺ぁ仕事は真面目にやるさ」
「そうでは無く、お嬢様の支えになって欲しい。そう、申し上げているのです」
冗談の類では無く、真剣な言葉だった。
嫌な展開の予感に、アルトはぶくぶくと、湯の中で息を吐く。
「本日、ご一緒に行動させて頂いて、吾輩は久し振りに、あのような楽しげなお嬢様を拝見いたしました。それはきっと、アルト様のお人柄のおかげなのでしょう」
「たった一日で大袈裟だな。んなの、ただ物珍しかっただけだろ。そういう台詞はな、恋人か友達に言うモンだ」
「お嬢様に友達は存在しません故」
悲しい事実を、執事の口から断言されてしまった。
そして、レオンハルトは憂い顔をする。
「……それに、ミューレリア様は、お変わりになってしまわれた」
「人は、変わるモンさ。多かれ少なかれ、な」
「……はい」
それ以上は聞かない。聞いても、レオンハルトを困らせるだけだろう。
「アルト様は、お嬢様をどう思いますか?」
唐突な質問に、アルトは目を三角にする。
「……口が悪くて、我がままで、自信家で、自己中心的で、危機管理の出来ていない小娘」
「概ね正解ではありますが、吾輩が問いたい事柄は、そんなことではありません」
アルトはバシャッと湯を顔面に浴びせ、手の平でゴシゴシと擦る。
「わかってるよ。アイツは弱い、精神的にも肉体的にもな。だから、言葉や根拠の無い自信で、自分を守りたがってんだろうさ」
「お見事ですアルト様。流石は、吾輩が見初めた殿方」
「嫌な言い方するんじゃねぇ……言っとくが、今後もラサラを支えてくれ、何て言葉を聞く気はねぇぞ。そりゃ一番近くにいる、アンタの役目だ。体よく人に押し付けんじゃねぇ」
「残念ながら、そうも言っていられないのです」
「……なに?」
力無い言葉に眉を潜め振り向くと、レオンハルトは唐突に、バシャッと湯船から立ち上がった。
「見て下され、この老いさらばえた肉体をッ!」
立ち上る湯煙の中、レオンハルトは腰に手を当て、仁王立ちする。
タイミングがバッチリあってしまい、振り向きざま、不幸にも目の前に、レオンハルトのアレがちょうどぶら下がっていた。
思わぬ不意打ちに、絶句しながら固まってしまう。
そんなことに構わず、レオンハルトは筋肉を強調して朗々と語る。
「かつては人間城塞と呼ばれた我輩の筋肉も、やはり寄る年波には勝てず、全盛期の頃に比べれば、見る影も無く衰えてしまいました。この筋肉の張り具合から予測するに、もう我輩に残された時間は少ないのでしょう」
キレのある筋肉が、言葉と共にピクピクと躍動する。
だが、レオンハルトは涙交じりにまだまだ語る。
「だからこそ、吾輩の命の筋肉が衰え果てる前に、お嬢様の伴侶となるべき殿方を、見つけ出さねばなりません。そして、今、吾輩の期待に応えられるお方が、目の前に存在する。どうか、どうかこのレオンハルトめの頼み、聞き届けてはくださりませんかッ!」
ぶらんぶらんさせながら、レオンハルトは男泣きする。
気を取り直したアルトは、こっそりとレオンハルトから離れるよう、浴槽の一番端に近づき、両肘を淵に上げた。
「心配しなくても、アンタ、百以上生きるんじゃねぇか?」
呆れたような呟きも、レオンハルトの耳には届いていないようだ。
湯も人間も、熱すぎるのは困りモノかもれない。
頭に乗せたタオルで顔を拭って、またズルズルと湯の中に首まで浸かって行った。




