第25話 忍び寄る者達
王都クロスフィールの郊外。
夕刻となり、日は既に沈みかけ。
街道を外れたところにある、鬱蒼とした森の中は、まだ残った夕焼けの赤い陽光も届かず、真っ暗な闇を懐き始めていた。
夜行性の動物達は、その気配をざわつかせ、森は昼間とは違う顔を見せ始める。
動物だけでは無い。
夜の森には、人を襲う魔物も出現するらしい。
特にここ最近、一帯の森に入った人間が、魔物に襲われるという被害が多発している。
そんな事件もあり、森に近づく人間など、皆無に等しいだろう。
しかし、ここに一つの人影が、何の躊躇も無く森へと入り込む。
日が落ちた時刻ともなれば、足を踏み入れる人間は、馬鹿か自殺願望者だ。
暗い森の中で、獣や魔物達は、縄張りを犯す侵入者に、過敏になっているだろう。
足を踏み入れる者がいれば、音も無く忍び寄り、侵入者が気がつく頃には、既に逃げ場すら無い。
だが、その人物が堂々と足音を鳴らした瞬間、剥き出しの殺気は萎むように消えて行く。
それどころか、怯えるように気配を殺し、この侵入者達が用を済ませ立ち去るのを、ジッと息を潜めて待っている。
森に姿を現したのは、黒衣に大きな帽子を被った顔色の悪い男……暗殺者ハウンドだ。
ハウンドは慣れた足取りで、悠々と森の中を歩く。
草木の生い茂った獣道。
ある程度進み、少しばかり開けた場所に到着すると、ハウンドは歩みを止めた。
すると、不意に正面の茂みが揺れ、誰かが進み出てくる。
フードを目深に被った、怪しげな人物が、目の前に現れると静かに足を止めた。
周囲が暗いこともあり、顔どころか性別すらも判断できない。
フードの人物は宝石のような鉱物を取り出すと、それを自らの喉に押し当てる。
『首尾はどうなっている?』
宝石には変声の術式がかかっているのだろう。
老若男女、様々な声が入り混じった奇妙な音で、フードの人物はハウンドに語りかける。
「ラサラ・ハーウェイの暗殺に失敗した」
『失敗? 貴様が仕損じるとは珍しいな』
ハウンドは楽しげに含み笑いを漏らす。
「思わぬ邪魔が入った……今、街で話題の男、野良犬騎士だ」
『……奴か』
フードの人物は小さく呟く。音が重なっている所為で、その感情までは読み取れない。
少し考え込み、フードの人物は顔を上げる。
『……その男もチャンスがあれば、殺せ』
「よろしいのかな?」
『勿論、最優先はラサラ・ハーウェイだ』
「いえ」
ハウンドは、ニヤッと嫌な笑みを浮かべた。
「そっちの意味では無い。なるべく手を出すなと、言われているのだろう?」
『……貴様の知るべきことでは無い、それに』
フードの人物は身を翻す。
『暗殺者ハウンドが殺す人物に、俺も貴様も、何の関係も無い』
そう言い残し、フードの人物は森の奥へと消えて行った。
会話が無くなり、森の中に静寂が戻る。
ハウンドは、フードの人物が消えて行った方向を見つめながら、何度も含み笑いを零して、深々と頭を下げた。
「委細、承知仕りました」
瞬間、森の影から、同じ黒衣を着た四人の人物が、姿を現す。
太陽は沈み切り、上った月明かりが一瞬だけ、森の住人達を恐れさせ、委縮させる殺気を放つ、五人の人間を映し出した。
ハウンドを中心とした、黒衣の五人組。
黒衣の一部に、蛇、蜘蛛、蠍、蜥蜴、雀蜂。
それぞれに、毒のある生物を模した、刺繍が編み込まれていた。
★☆★☆★☆
レオンハルトの案内で通された応接間は、ホテルのスィートルームも顔負けなほど、豪華な作りになっていた。
ここは西街にあるラサラの自宅。
東街のホテルでハウンドの襲撃を受けたラサラ。
一応は退けたが、このまま何事も無かったかのように別れるわけにもいかず、とりあえずは臨時の護衛として、ホテルに来た時と同じ高級馬車に揺られ、西街の自宅まで送り届けることにしたのだ。
街のまるっきり反対側なので、既に日は落ちている。
このまま帰すわけにはいかないと、レオンハルトに押し切られる形で、じゃあお茶の一つもと、遠慮なく自宅に上がり込んだのだが。
ソファーに並んで座った三人は、淹れて貰った紅茶を同時に啜る。
温かく、すっきりとした飲み口が身体に染み渡る。
流石は金持ち。いい茶葉を使っているようだ。
アルトの服は斬られた上に、血でべっとり汚れてしまったので、コートを脱いでレオンハルトが買ってきた、異様に派手なシャツを着ている。
はっきり言って、これじゃただのチンピラだ。
ドアを開き入って来たレオンハルトが、近くまで歩み寄ると、トレイの乗せられた色鮮やかなケーキを数種類、目の前のテーブルに置いた。
「ご遠慮なさらず、どうぞお召し上がりください」
「怪我してんのに、元気だねぇアンタ。今日くらい、大人しくしといた方がいいんじゃないか?」
数時間前に、真剣で斬りつけられたというのに、レオンハルトは休む間もなく応接間や、お茶の準備に走っていた。
傷自体はロザリンの治癒魔術で塞いではいるが、そこそこの量、出血しているので、大分体力を消耗しているはず。
なのにこの筋肉執事はおくびにも出さす、慣れた様子で悠々と仕事をこなしていた。
レオンハルトは言葉をかけるアルトに、笑顔で一礼する。
「お気遣い、ありがとうございます。しかし、ご心配の必要はありません。我輩、こう見えても身体は頑丈な方ですので」
「いや、普通に見ても頑丈そうだけどな」
「ええ、老いた身ではありますが、肉体美にはまだまだ自信があります。アルト様、ご確認、してみますかな?」
「遠慮するっ!」
背中がゾワッとしたので、声を荒げて否定する。
その間、女子二人はケーキに夢中だ。
各々、好きなケーキの皿を取り、フォークで一口大に切りわけると、それを口内へ運ぶ。
途端に、少女達の顔が華やいだ。
「なにこれっ!? すっごく美味しい!」
「うまうま」
蕩けるような表情で、シフォンケーキとチョコレートケーキを、ゆっくりと味わう。
その様子を見たレオンハルトは、微笑ましそうに頷く。
「お気に召して頂いたのなら、結構です。我輩も腕を振るったかいがありましたぞ」
「アンタが作ったのかよ。ほんと、器用だな」
呆れ混じりの驚きに、レオンハルトは頭を下げる。
「恐縮です。時に、アルト様はお召し上がりにならないので?」
「スポンジケーキは得意じゃねぇんだよ。甘いモンは、嫌いじゃねぇんだけどな」
「ああ。アルト、パイ系は好きだもんね」
「では、次の機会には、腕によりをかけて作ったパイを、味わって頂きましょうか」
「そりゃいいな……次の機会があれば、な」
意味深な言葉に、レオンハルトは苦笑した。
視線を正面に向けると、ちょうど良いところでドアを開き、ラサラが入って来る。
アルトの返り血を浴びて、汚れた洋服を着替えてきたのだ。
彼女が入って来たのを見て、カトレアとロザリンはケーキを運ぶ手を止めた。
「…………」
視線を浴びるラサラは無言のまま、不機嫌な表情で歩くと、正面の席に腰を下した。
室内に重苦し沈黙が流れる。
誰も言葉を発しないので、見兼ねたレオンハルトがラサラに近づく。
「お嬢様。ご希望のお飲み物がございましたら」
「いらないわ。それと、人前ではお嬢様では無く、社長と呼んでください」
「……申し訳ありません。社長」
不機嫌さからか、発する言葉より、口調の方が酷く毒々しい。
とはいえ、このまま睨み合いを続けているわけにもいかず、仕方なしにアルトの方から口火を切った。
「暗殺者ハウンド……どう対処するつもりだ? その辺のチンピラを集めたところで、どうにかなる手合いじゃないぞ、ありゃ」
「……そ、それは」
ラサラは口ごもる。
言われずとも、ハウンドが尋常じゃ無い使い手だと、理解しているのだろう。
ならば、この場で言うべき言葉は、一つだけだと思うのだけど。と、アルトは嘆息する。
数時間前の出来事を思い返してか、ラサラの不機嫌な表情が崩れ、青ざめた恐怖の色が宿った。
表情を忙しなく変え、逡巡のする姿は、少しばかり滑稽で面白かった。
むむむと、額に汗を浮かべながら悩み抜いた結果、ラサラはフッと息を漏らす。
「そ……そんなりボクを守りたいのなら、守らせてあげても構いませんよ」
「よし、帰るぞ二人共」
上擦った声で発せられた強がりに、アルトは膝を叩き立ち上がる。
焦るラサラの後ろで、レオンハルトが頭を抱えていた。
「ままま、待って下さい! それは人としてどうなんですか!? ボクのような優秀で可愛くてお金持ちの人間に、少しでも恩を売っておこうという、建設的な思考は持ってないんですかこの薄情者!」
「うるせぇこの高飛車女! 悩んだ末にチョイスした言葉がそれって、お前どんだけ自意識過剰なんだよ!」
「う、うううううッ!」
歯をギリギリ噛み鳴らし、ラサラは呻り声を上げる。
悔しいのか、悲しいのか、その両方なのか。
耐え難きを耐えるよう、ラサラは奥歯を思い切り噛み締める。
そして、
「……ください」
「あん?」
「助けて下さいッ!」
やけくそ気味に叫んだ。
顔を真っ赤にして頬を膨らまし、ラサラは涙目でぷるぷる身体を震わせている。
何がそんなに恥ずかしいのか、羞恥心に打ち震えるように、目尻に涙が浮かんだ瞳でアルトを睨むよう見上げた。
「こ、これでいいんですかっ! ボクのようなか弱い女の子をこんな風に辱めるなんて、貴方のサディスティックな性癖には開いた口が塞がりませんね! スケベ、変態!」
「お前は、余計な言葉を足さなきゃ喋れねぇのかよ」
いちいち、毒を挟み込むラサラに、怒りを通り越して呆れてしまう。
ある意味、突然の豹変に、ロザリンとカトレアもポカンとしている。
泣きそうな顔で睨まれ、アルトは肩を竦めると、ソファーに座り直した。
「相手は相当にヤバイ手合いだ。報酬は弾んで貰うぜ」
「……アルト様。よろしいのですか?」
御主人様の態度に、こりゃ駄目だと思っていたのだろう。レオンハルトが、驚きを隠せない声で問う。
アルトは、自分の胸元を親指で指した。
「性分でな。受けた借りはキッチリ返さないと、我慢ならねぇんだよ」
「……むふっ」
以前にも聞いた、似たような言葉に、ロザリンは思い出し笑いを噛み殺す。
カトレアはお人好し。とでも言いたげな横目を向けている。
レオンハルトは感謝するように、深々と頭を下げた。
「では、諸々の契約書をご用意いたしましょう。早速で申し訳ありませんが、今、この時より皆様方は我がラサラカンパニーの一員として、この屋敷に留まり、オークションが終了する期日まで、社長を護衛して頂きます」
心配事の一つが消えて、レオンハルトは晴れ晴れとした表情だ。
対して不機嫌な表情のラサラが、腕を組みながら言葉を足す。
「そこの女性二人には、屋敷のメイドをやって貰います。ちょうど先日、何が気に入らないのか、雇っていたメイドが辞めてしまって、困っていたのですよ」
絶対、ラサラの性格の所為だと、カトレアとロザリンはジト目で同じことを思った。
「基本的に、この屋敷には人を招かないですから、掃除洗濯、それと食事の準備をして頂ければよろしいです。専用の制服も用意しますから、ちゃんと身に着けてくださいね」
専用の制服。つまり、メイド服だろう。
「あ、アレを着るのかぁ」
恥ずかしそうに、カトレアは頬を染め、チラチラとアルトの方を気にする。
そしてラサラは、ジロッとアルトを睨むと、
「ボディガードさん。貴方も、そんな趣味の悪い派手な柄のシャツでは無く、ちゃんとした服に着替えて貰います」
「なんだよ。俺に、執事服でも着ろってか?」
「メイド服でもよろしいですけど?」
意地悪な視線に、アルトは肩を竦めた。
その後、女子連中はメイド服片手に、アレやコレやと盛り上がり、夜は更けて行く。
暗殺者ハウンドの襲撃も気になるが、アルトには夜が深まるごとに瞳を爛々と輝かせる、レオンハルトの視線の方が恐ろしかった。
★☆★☆★☆
アルトが筋肉執事の熱視線に怯えている頃、シリウスは水晶宮の廊下を、一人で歩いていた。
シリウスは突如、降りかかった問題に、頭を悩ませていた。
エンフィール王国を守護する十二の騎士団。
その一つを束ねる騎士団長の住居は、王侯貴族が住まう水晶宮の中に存在する。
水晶宮が存在する中央は政治の中枢である為、そこを守るのが最優先事項となっている。
そして移動が困難な、東西南北の都市区画にも、大橋を渡れたすぐさま移動できるので、王都防衛の観点から言えば、迅速な機動力を効果的に得ることが出来る。
広い王都の中にあって、攻撃、防御、そして機動力を最大限に活用できる場所は、水晶宮以外に存在しない。
とはいえ、ここは閉鎖的な貴族達の巣窟。
貴族主義の、いわゆる保守派と呼ばれる派閥は、戦後大分、その数を減らしてはいるが、まだまだ弱小貴族や庶民から騎士となった、成り上がり組に向けられる視線は厳しい。
シリウスも今でこそ、戦争を終わらせた英雄、三傑の一人に数えられてはいるが、元は地方の田舎貴族だった。
彼女を疎ましく思う者は、男女問わず水晶宮には大勢いる。
が、そこは剣林弾雨を潜り抜けた、百戦錬磨の女傑。
陰口や嫌味程度で動じるような、柔な精神構造はしていない。
困り事は、もっと別のことだ。
夜でもピカピカと眩いばかりに明るい、水晶宮の廊下を歩いていると、不意に時間の感覚が無くなってきてしまう。
仕事をしている分には困らないが、気がつくと部下達がげっそり疲弊している時があり、そこで初めて、三日くらい不眠不休で、仕事や訓練に勤しんでいたことに気がつく。
気がついて貰い、安堵の表情を見せる部下達に、シリウスは失望交じりにこう言った。
「たかだか三日程度、不眠不休で働いたくらいで、情けないわね」
彼女の部下達は、英雄シリウスに憧れて、第四騎士団を志望して来た者ばかり。
その言葉があまりにショックだったらしく、暫くは尋常じゃ無いスケジュールのシフトを組み、第四騎士団の面々は水際に追い込まれた死兵の如く、猛烈な勢いで仕事と訓練をこなして見せた。
結果は良好。
慌てて止めに入った総団長に、中断を命じられなければ、歴史に残る偉業だったろう。
その甲斐あってか、第四騎士団の抱える案件は、ほぼ全て処理された。
代償として団員達は疲労で動けなくなり、お叱りを受けたシリウスは、良い機会だと総団長命令で明日から暫く、休暇の指示が出た。
普通だったら楽しい休暇。
だが、シリウスは湿ったため息を吐く。
「明日から、何をしたらいいのかしら」
何しろ、シリウスが騎士となって初めて、休暇を取るのだから仕方が無い。
他の騎士団員は、疲労と睡眠不足で、数日は動けないだろう。
しかし、同じ量、いや、それ以上の働きを見せたシリウスは、ピンピンしていた。
全身凶器。と、アルトが評しただけのことはある。
遊ぶ、とか、休む、とかの概念が抜け落ちているシリウスにとって、明日からの休暇は悩みの種であった。
「シリウス団長」
とぼとぼと歩いていると、不意に背後から名前を呼ばれた。
振り向くと、淡い茶髪の優しげな顔をした青年が、こちらに軽い笑みを向けていた。
「……マクスウェル団長。こんな時刻にこんなところで、どうしたのかしら?」
「それは、君も同じだと思うけど」
ライナ・マクスウェルは困り顔で、頬をポリポリ掻く。
「俺は任務の状況と今後の方針を、総団長に報告しに来てたんだ」
「なるほど」
二人は並んで歩きだす。
が、シリウスは少し早足にすると、僅かながらライナの前を歩く。
ライナはそれに気がついて苦笑するが、彼女に合わせ横に並ぶマネはしなかった。
「中々、厳しい状況みたいね」
「ああ。正直、ここまで後手に回るとは思わなかったよ」
ライナは悔しげな表情を見せた。
彼が現在、頭を悩ませている案件。暗殺者ハウンドによる、連続予告殺人事件だ。
「目的がオークションの中止なら、それを飲むのも手段の一つだと思うけれど?」
「それは駄目だ。脅迫に屈するわけにもいかない……それに、エンフィール王国の商業ギルドが関わっている問題だ。俺達が中止勧告を出しても、彼らは首を縦に振らないだろう」
「利権問題、ね。たかだかコネ作りが、そんなに重要なのかしら」
歯に衣着せない物言いに、ライナは反応に困ってしまう。
「国外の有力者からの信頼関係もあるからね。彼らにしてみたら、たかがでは片付けられない、大きな事業なんだよ」
「意外ね。貴方がそんな言い方をするなんて」
「そうかい?」
ライナは不思議そうに首を傾げた。
横目だけを向け、シリウスは頷く。
「人の命がかかっているんだ……真っ先に、そういう青臭い台詞を言うタイプでしょう。ライナ・マクスウェルという人間は」
「青臭いって、失礼だなぁ」
気分を害した様子は無く、笑顔で返す。
「それは、本音を言えば人の命が大切さ。当然だろ?」
「…………」
気づかれないよう、鼻から息を抜く。
「でも、どんな人間にだって生活がある。そして俺達騎士は、その生活を守る義務がある。だったらさ、人の命も生活も、両方守るのが、正しい騎士の在り方だと思わないか?」
「……全くその通りね」
「良かった。シリウス団長も同じ考えで」
疑う素振りも無く、満面の笑みでライナは言った。
無表情を貫くシリウスは、こっそりとまた、鼻から息を吐いた。
本当にあの男とは正反対だと、最近また再会した昔馴染みの顔を思い出す。
彼だったら人の命と、人の生活。どっちが大事だと答えるだろうか?
「ん? どうか、したかい?」
「いえ、何でも無いわ」
素っ気なく答える。
ライナは訝しげな表情をしたが、すぐに打消し、そういえばと別の話題を切り出した。
「シリウス団長、彼に……アルトに会ったそうじゃないか」
何気なく発せられた一言にピタッと、シリウスの足が止まる。
数歩前を言った後止まったライナが、驚いたように振り返る。
「ど、どうしたの? 俺、何か不味いこと言ったかな?」
「……何でも無いわ」
そう言って、何事も無かったかのよう再び歩き始めた。
「驚いたわね」
「驚いた? って、何に?」
「貴方の口からアルトの名前が出たこと。嫌っていたでしょ?」
「俺が? アイツを? とんでもない!?」
ビックリしたような表情で、ライナは首と両手を振った。
「俺はアイツのこと、気に入っているさ。ただ、考え方が合わないだけで。まぁ、向こうはどう思っているか、わからないけれど」
「嫌っているわね。確実に」
「……それ、地味にへこむんだけど」
肩を落として、ライナは呟いた。
この落ち込み具合、ショックを受けているのは本当のようだ。
アルトとライナ。
本人達がどう思っているかは定かでは無いが、シリウスが見る限り、この二人は致命的なまでにソリが合わない。
まさに、天敵同士と言ってよいだろう。
性質が悪いのは、アルトはともかく、ライナ自身にその自覚が無いこと。
王都の平和を願うなら、この二人が顔を合わさないことを祈るのが、一番の近道かもしれない。
「それで?」
「それでって?」
首を傾げる仕草に、イラッと口角を反応させる。
「私はアルトと会った。だから、何だと言うの?」
「いや、別に何だってことは無いんだけど……今朝方、彼の名前を聞く機会があったから」
「アルトの名前を? 最精鋭を揃えた第一騎士団に名前が上がるなんて、彼はどんな悪さをしたのかしら」
「いや、違うって」
笑みを交えた冗談に、ライナは苦笑いをする。
「俺の追っている暗殺者ハウンド……奴が次に狙うターゲットの護衛を、どうやら彼が引き受けるかもしれないって情報が、第七特務から知らされてね」
「第七特務から? ……シエロ。何故、私には何の連絡もしないのかしら」
ひっそりと、憎々しげに呟いた。
彼の職務上、関係の無いシリウスに話さないのは、当然のことだろうが。
「では、アルトと共同でそのターゲットの護衛をするのかしら?」
「それが、そうもいかなくてね」
問いかけに、疲れた様子でライナは頭を掻いた。
「ターゲットのラサラ・ハーウェイは、騎士団嫌いの傾向があってね。こちらの申し出を、悉く却下されてしまったんだよ」
困ったように、ライナは眉毛を八の字にした。
そういった騎士団を毛嫌いする人間は、決して少なく無い。
特に国家権力の介入を嫌う商業ギルドは、その代表のようなモノ。
以前までのターゲット達は、暗殺者ハウンドの名を恐れ、渋々ながら護衛を許容してくれたが、ラサラ・ハーウェイは頑なに騎士団の介入を拒んでいるらしい。
王都の商業と貿易、その大半を担う商業ギルドの若手ホープの、ご機嫌を損ねるのは国としてもよろしくない。
ましてや、護衛の失敗を重ねている身としては、強気な態度に出られないのが現状だ。
「なるほど。無様ね」
「……返す言葉も無いよ」
苦虫を噛み潰したような表情で、ライナは静かな言葉を返す。
その顔には、悔しさが滲んでいた。
「どちらにしても、このままでは引き下がれないからね。騎士としてのプライドもそうだけど、人の命を軽々しく奪うような暗殺者を、これ以上野放しには出来ない」
決意を示すように、ライナは両の瞳に力を込めた。
「お仕事、大変そうね。羨ましいわ」
「君は明日から休暇だろ? 羨ましいのは俺の方さ……こっちは、詰所に戻って計画の組み直しの為、朝まで会議さ」
そう言って、ライナは力なく笑った。
明日の休暇をどう過ごすか、途方に暮れているシリウスからしたら、本当に羨ましい限りだと、本気のトーンでため息を吐いた。
ちょうど廊下が突き当たった右の曲がり角に、人影が立っていた。
「あ、団長!」
目の前に現れたのは、オレンジ色の髪の毛をした、真面目そうな女性騎士。
彼女はライナを目に止め、嬉しそうに微笑んだ。
「イリーナ。どうしたんだい、こんなところで?」
「はい。資料を取りに行った帰りなのですが、団長が総団長のお部屋から戻られる途中と聞いて、お迎えにあがりました」
「はは、すまないね」
笑顔で会話を交わす、上司と部下。
イリーナはこちらの姿に気がつくと、訝しげな表情で会釈をする。
内心で、嘆息した。
「マクスウェル団長とは偶然あっただけよ」
「おいおい、何を突然。そんなの当たり前じゃないか」
と、鈍感な男は苦笑交じりに言った。
シリウスはジト目を向けて、今度は口に出して嘆息する。
「逢引きしていると、疑いをかけられるだけでも迷惑よ」
イリーナの眉が、キッと吊り上る。
「シリウス団長。それはあまりにも言葉が過ぎるので……」
「やめるんだ、イリーナ。彼女の言葉が正しい。俺が軽率すぎたんだ」
言葉を遮るとそう言って、わざわざシリウスに頭を下げる。
こういったことをナチュラルにやれるから、アルトとソリが合わないのだろう。
「済まない。君が珍しく饒舌だったから、調子に乗ってしまったようだ。以後、自重するよ」
「饒舌? 私が?」
身に覚えが無く問いかけると、ライナはああと頷いた。
「自分で気づいて無いのか? 君は俺と話すとき、ほとんど単語で返して、会話が成立することなんて、仕事上を除いては殆ど無いじゃないか。そしてその殆どに含まれるのは、アルトの話題なんだよ?」
途端に、頬が熱を持つのを感じたので、気づかれる前に二人の前を通り過ぎる。
「……失礼するわ」
自然と、口調も不機嫌になる。
早足で歩くと背後から「怒らしちゃったかな?」と困惑するライナの声と、無礼な態度と非難するイリーナの声が聞こえた。
それらは、全力で顔を顰め、湧き上がる感情を押し殺すのに必死な、シリウスの耳には届かなかっただろう。
アルト、アルト、アルト。
尋常じゃない早足で歩きながら、頭の中で何度も同じ名前を復唱する。
大きく息を吸い込み、吐き出す。
それを数回繰り返して、ようやく気持ちが落ち着いたのを確認すると、徐々に歩く速度を緩めて行く。
元の速度に戻る頃には、シリウスの表情はいつも通りのクールビューティだ。
精神が安定すると同時に、名案が頭の中を駆け巡る。
ニヤリ。頬をが、楽しげに吊り上った。
「まずは情報収集ね……明日にでも、シエロを締め上げるとしましょう」
笑みを浮かべながら、物騒なことを言う。
頭の中で以降のスケジュールが高速で組まれると、途端に、明日からの休暇が楽しみになってきた。
勿論、その過程で、数人の人間の平穏が乱されるのは、まだ本人以外は知らない。
後々に思い返せばこれが、アルトの与り知らないところで、暗殺者ハウンドより、厄介な強敵が誕生した瞬間だったのだろう。




