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第24話 黒衣の暗殺者







 舞い戻ってきた最上階のスィートルームは、仄かに石鹸の良い香りが漂っていた。

 ラサラ、レオンハルトと共に部屋に戻ってみると、二人は随分とバスルームを堪能していたのだろう。赤くなった顔で、全身から湯気を立ち上らせていた。

 全裸で寝てなかったことだけ、マシだと思っておこう。

 そしてラサラを正面にして三人並んで座り、いよいよ正式な仕事の契約が始まる。

 専用の安楽椅子に腰かけ、足を組むと、ラサラは微笑を浮かべた。


「では、改めまして。ボクが、ラサラ・ハーウェイです。先ほどは、全く無駄なことだったとはいえ、助けて頂いたことは感謝しますよ」


 尊大な態度からの第一声に、カトレアはカチンと来たのか、表情を強張らせる。

 しかし、相手は依頼主。

 売り言葉を返していたら大変なことになるので、ここはグッと堪えて得意の営業スマイルを見せた。


「え、えっと、貴女がラサラカンパニーの社長さん?」

「そうだと言っているつもりですが? そもそも、ボクの名前が入っているのに結びつかないとか、そんなに察しの悪い方なのですか?」

「い、いやぁ、想像していたより、若かったんで、驚いちゃって」

「ふふっ。貧困な想像力ですね。でも、ボクの才覚が常人を遥かに逸脱しているのは事実ですから、許しますよ。存分に、ボクの凄さに驚いてください」


 すらすらと、流れるように出る嫌味と自画自賛に、引き攣った表情の笑顔で、カトレアはこちらを向いた。

 口を開けば罵詈雑言が溢れ出るから、必死で耐えているのがわかる。


「あ~、わかった。お前はもう黙っとけ」


 カトレアの忍耐をねぎらいながら、アルトは腕を組み、視線をラサラに向ける。

 背後では、レオンハルトが困り顔をしていた。

 どうやらあのマッチョ執事も、主人の毒舌には頭を悩ませているのだろう。

 長々と話すと、精神衛生上よろしくなさそうなので、前置き無く話に入ろう。


「アンタ、暗殺者ハウンドからの脅迫状を受け取ったんだって? それで俺達に、護衛の御鉢が回ってきたんだが……」

「ええ、詳しくはレオンハルトから聞いていますよ。脅迫状を受け取ったのも事実です。全く、才能がありすぎるのも困りものですね」

「狙われる理由は? 聞けば、オークションの関係者が殺されてるんだろ?」

「さぁ、知りません」


 興味なさげに、ラサラは言い放つ。


「脅迫状にはボクのことを殺すとしか書いていませんし、他の人達もそれは同様です」

「心当たりは?」

「やり手の商人なんて、人から恨まれてナンボですから、言い出したらキリが無いんですよね。全く、才能の無い人達は、ボクのような完璧な人間の足を引っ張るようなことしかしないんですから、いい迷惑ですよ。最悪です。どうにかなりませんかね、本当に」


 言葉とは裏腹に、楽しげな表情で含み笑いをする。

 命の危険があるという状況なのに、ペラペラとよく舌が回るモノだ。

 緊張感の無い態度に、アルトは目を細めた。


「……状況、わかってんのか。人が何人も殺されてるんだぜ?」

「前の人間が殺されたからって、ボクまで殺されるとは限らないじゃないですか」


 自信満々に言い切る。


「要は、傾向と対策です。前例は既にありますから、サンプルパターンを何通りか割り出せば、対処方法は幾らでも見つかります。噂では有名な暗殺者のようですが、それほど相手を恐れる理由は無いと、ボクは判断しているんですよ」


 強気な発言に、続く言葉も出てこない。

 聞きしに勝る強烈な個性に、戸惑っていると、流石に背後にいるレオンハルトも、不味いと思ったのだろう。

 困り顔でレオンハルトは、後ろからラサラの耳元に、口を寄せた。


「社長。流石に、それはお言葉が過ぎるのではと……折角、ルン様が紹介して下さった護衛の方々。あまり、そのような物言いをされますと……」

「レオンハルト」

「……はい」


 強めの口調で名を呼ばれ、委縮したようにレオンハルトは一歩、後ろに下がる。


「ボクは君に護衛を用意しろと命令したのは、万が一のリスクを回避する為だけですよ。それとも、君はこのボクに、暗殺者程度に怯えて、この人達に縋り付き、懇願しろとでも言っているんですか?」


 無茶苦茶な理屈だ。

 後ろを振り向きもせず、冷笑を浮かべてチクチクとレオンハルトを責める姿は、とてもじゃないが、気持ちの良い光景では無かった。

 レオンハルトは額の汗をハンカチで拭い、詫びるように頭を下げる。

 何とも、気苦労の絶えない職場だ。

 難しい顔をしていると、横に座るカトレアがこっそり、こちらを肘で突いてくる。

 視線だけを向けると、彼女は軽く顔を寄せてきた。


(……あの娘、ムカつく)

(ま、お前と相性は良く無いっぽいわな)


 声は発さず、小さく唇だけを動かし、互いに意思疎通をする。

 不機嫌を顔に滲ませ始めたカトレアに対して、チラリとロザリンの方を見てみると、何かを考え込むように、首を横に傾げていた。

 何かラサラに、表面上以外のところで、感じ入るモノがあったのだろう。

 そんな三人の様子に気づかないのか、気づいた上で無視しているのか。ラサラは調子よくペラペラと語る。


「まぁ、ボクに及ばないにしても、ルンさんの能力は評価していますから、彼女の選んだ人選なら間違いないでしょうね」

「さよか……で? 一応、この筋肉執事にゃ話を通しちゃいるが、アンタにも改めて説明が必要かい?」

「いいえ、不要です。報告書は今朝の内に貰っているから、概要は全て承知していますよ。後は正式に契約書を交わせば、優秀なボクの側で存分に、護衛ができますよ。それに君は、随分とお金に困ってるらしいじゃないですか」


 ニヤニヤと馬鹿にするような笑み。


「金貨百枚でしたっけ? 君にそれだけの価値があるとは思えませんけど、ボクを守るという職務に関して言えば、それくらい、いえ、それ以上の価値があるでしょう」


 新しいオモチャを見つけた子供ように、ネチネチと攻めてくる。

 口調自体はハキハキとしているから、余計、言葉に鋭さが帯びている。

 横にいるカトレアの顔つきが、怒りを通り越して、無表情に変化していく。

 そしてレオンハルトは青ざめた表情で、吹き出る汗は拭っても拭っても止まらぬほど、ダラダラと流れ続けている。

 そんな反応に一切構わず、ラサラは悠々とした態度で話を一方的に進める。


「いいですよ、契約しましょう。どの程度、役に立つかはわかりませんけど、貴方にボクを守るという栄誉を与えます。確り働いてくれるのなら、それに見合った報酬を差し上げますよ。良かったですね。ボクが、才能や容姿だけでなく、心根まで美しくって」


 この自信がどこから溢れて来るのか、不思議に思えてくる。

 話が途切れると、途端に部屋がシンと静まる。

 喋り疲れたのか一息つくと、レオンハルトが用意した紅茶に、スプーンで三杯砂糖を入れるとかき混ぜて、それを口に運んだ。

 甘い紅茶の味に、満足そうにラサラは微笑んだ。

 あまりに呑気な姿に、アルトは大きく息を吐いた後、レオンハルトの方を見た。

 何が言いたいか察したレオンハルトは、辛そうに視線を落とす。


「悪いなレオンハルト。この仕事、無かったことにしてくれや」


 アルトの一言に目を見開いて驚いたのは、ラサラ一人だけだった。


「……お考え直して、頂けませぬか?」

「残念ながら、俺は我慢強い方じゃないんでね。眼帯女には俺から謝っておくよ」


 レオンハルトは、残念そうに肩を下げた。

 ソファーから立ち上がると、我を取り戻したラサラが「待ちなさいッ!」と声を荒げた。

 視線が集まる。大きく呼吸をし、冷静さを張り付ける。


「この、ボクの護衛という栄誉ある仕事を断るなんて、本気ですか?」


 言った後、ラサラは皮肉交じりに、フッと笑う。


「もしかして、ボクのような年下の女の子にコケにされて、頭に来ちゃいましたか? それとも裕福はボクに対する嫉妬? どちらにしても、男らしく無いですね。みみっちいですよ」

「あのねぇ……」


 罵詈雑言の数々にもう我慢出来ないと、口を開いたカトレアを、手を差し出してアルトが静止する。

 その手で、そのまま後頭部を掻く。

 表情に怒りは無く、気の抜けたような顔をしていた。


「ん~。ま、アンタみたいな性格の奴と顔を合わせるのは、初めてじゃねぇからな。ムカつきはするが、感情的になるようなマネはしねぇさ……俺が気に入らねぇのは、他のことだ」

「他のこと? ふ、ふん。完璧なボクの、何が気に入らないって言うんですかっ」

「お前、自分で言う割に、自分の命を大事にしなさすぎだ」


 レストランで会った時から、感じていた違和感。

 あの時、自分やレオンハルトが近くにいなかったら、大変な事態になっていただろう。

 それ以前に、下心のある相手にホイホイと一人でついて行く時点で、危機管理が出来ていないと言っても過言では無い。

 そして今も。

 多数の人間を殺害している、暗殺者に狙われていながら、この余裕の持ちっぷり。

 これじゃあ、守るモノも守れやしない。


「こっちも命張ってんだ。どうせ死んじまう依頼人相手に、命賭けってのは割に合わないし、後味も悪そうだ」

「そ、そんな詭弁をッ。ふん。どうせ、臆病風に吹かれた言い訳に決まっています。ボクの価値観を、ボク意外が勝手に決めないで貰えますか!」

「どうぞご勝手に。どちらにしろ、俺はこの依頼を下りる……精々、長生きするこったな」


 ポケットに両手を突っ込んで立ち上がり、ドアの方を歩きながら、最後の言葉だけ振り向きざまに言った。

 苛立ちからか、床をダンダンと踏み鳴らすラサラを尻目に、アルトは片手をポケットから出して、ドアを開き廊下から出て行く。

 ロザリンとカトレアも、チラチラ、ラサラを気にしながら、アルトの後に続く。

 ドアが閉じられ、室内の人口密度が一気に減る。


「――ッ!」


 三人が出て行ったドアに、まだ紅茶の入ったティーカップが投げつけられ、音と紅茶を撒き散らし、粉々に砕けた。

 柳眉を逆立てると、金切声を張り上げる。


「なんですか……なんなんですかっ、ボクのことを馬鹿にしてっ!」


 苛立ちが治まらず、癇癪を起すラサラ。

 そんな主人に、レオンハルトは心配げな表情で語りかける。


「社長……いえ、お嬢様。失礼ながら、流石に言葉が過ぎたのではと思います。ここは、御身の安全を第一に考え、アルト様に謝罪し、護衛を引き受けて頂けるようお願いした方が良いかと……」

「ボクに頭を下げろって? ハッ! 嫌です。ボクは何も悪くありません」

「お嬢様……人に助けを求めるのは、決して恥ずかしいことでは、無いのですよ?」

「うるさいなぁ……雇い主に口答えする護衛なんて、そもそもお呼びじゃないんです。必要なのは、お金で行動する肉壁。護衛は、然るべき場所から雇えばいいんです。最初から、そうすればよかったんですよ」


 安楽椅子に座り直し、ゆらゆら揺れながら不満を露わにする。

 そんな主人の姿を、言葉無くレオンハルトは、悲しげな視線で見つめていた。

 二人は気がつかない。

 ホテルの最上、六階の窓から覗く、黒い怪しげな視線に。




 廊下に出た途端、カトレアは怒りを露わに、肩を震わせた。


「もう、何なのよ! あの娘、本当に自分の状況をわかってんの!?」

「ん。まるっきり、わかってないとは、思わないけど」


 釈然としないモノがあるらしく、ロザリンは何度も首を傾げた。

 言葉にはしないが、アルトも近い感想を持っていた。

 商才のある人物。鼻につく態度は如何かと思うが、言うだけの実力と結果を出しているのだから、あながち自意識過剰だとは言えないだろう。

 そんな人間が、今、目の前にある危機を軽んじるだろうか。

 もしかしたら、それ故に、他人に対して弱い部分を曝け出したく無いだけなのかもしれない。

 どちらにしても、あまり長生きできるタイプでは無さそうだ。

 ふと気がつくと、ロザリンがジッと、こちらを見上げていた。


「気になる?」

「……ああ。折角の高額報酬、不意にして残念だなぁって」


 そう嘯く。引っかかることが、無いわけでは無い。

 あの強すぎる個性は、人間関係に軋轢しか生み出さないだろう。

 しかし、あのレオンハルトという執事。変わり者ではあるが、優秀な彼がラサラに接する態度は、主従関係以上の優しさを感じさせていた。

 もしかしたら、ラサラ・ハーウェイには、あの毒々しい態度の深淵に、別の姿が潜んでいるのかもしれない。


「……くっだらねぇ。益体の無い話だ」


 これ以上、考えるのは止めておこう。

 王族でも、貴族でも、商人でも、庶民でも。自分は特別だと思っている連中に関わると、碌な事にはならない。

 騎士団も動いているらしいし、暗殺者ハウンドの真偽はともかくとして、同じ人間に二度も出し抜かれるほど、間抜けでは無いはず。

 それでも殺されるようならきっと、アルトが護衛しても結果は同じだ。

 だったら、無理に作り笑顔をして、気に入らない奴の、ご機嫌取りをする必要も無いだろう。

 無理やりに、そう結論付けて、アルトは廊下を歩く。

 軽く背中を丸めて、気を逸らすように、ワザとらしく嘆息する。


「仕事探し、また最初からやり直しかぁ……はぁ。マジで鉱山か漁船に行く羽目になりそうだな」

「あたしもバイト、探さなくっちゃなぁ」


 ボヤキながら歩いていると、突然、ロザリンが立ち止まった。

 どうした? と、二人が振り返ると、何故かロザリンは酷く驚いた顔をしていた。


「この気配……魔力?」


 呟くとロザリンは弾かれたように身を翻し、来た道を戻って行く。


「ロザリン?」


 二人は顔を見合わせ、とりあえず急いで後を追った。

 全力疾走するロザリンは、一目散にラサラのいる部屋の前を目指す。

 そんなに離れていなかったので、直ぐに部屋の扉に到着すると、勢いでつんのめりながらも、ドアを開いて中へと飛び込んだ。


「――ッ!?」


 鼻を突く血の匂いに、ロザリンは目を見開いた。

 目の前には異様な光景が広がる。

 窓は外側から割られ、吹き込む風でカーテンがはためく。

 涙目で腰が抜けたように座り込むラサラ。

 そんな彼女を庇うように立つ、レオンハルトの肩には、大きな裂傷が刻まれ、止めどなく血が流れていた。

 そして二人の前に立つのは、異様な出で立ちの人物。

 青白い顔をした長身の男性は、巻き付くような殺気と、蛇の姿が刺繍された黒衣を纏い、大きな帽子を被っていた。

 右手には刀身が波打つ、べっとりと血の付いた、奇妙な剣を握り締めている。

 ギロッと向けられたどす黒い瞳に、ロザリンは本能的に身を竦ませた。


「い、いけません! ロザリン様、こちらに来ては……」

「――今、助けるッ!」


 危機と見たロザリンは、竦む足を強引に奮い立たせ、マントの内側から取り出した、小石のような物。術式で風を圧縮した『風縮弾』を投げつける。

 これならば、倒せなくても二人が逃げる隙くらいは作れるはず。

 投擲された風縮弾。

 それを黒衣の男は空いた左手で、他愛も無く掴み取ると、破裂する圧縮された風を強引に握り潰した。


「――そんなっ」

「クカッ。面白い手品だねぇ」


 低くしゃがれた声で、黒衣の男は嗤う。

 瞬間、マントが後ろに引っ張られ、強引に部屋から引き摺り出される。

 入れ替わりに、アルトが部屋の中に飛び込んで行った。

 走りながら剣を抜き、迷うことなく黒衣の男に斬りつける。

 ニタリと笑い、迎え撃つ黒衣の男も、剣を構えた。

 数回、乱暴に刃を打ち付け、受け止める黒衣の男を、ジリジリと後ろに下がらせて、ラサラ達の側から引き離した。

 アルトは視線を黒衣の男から外さず叫ぶ。


「お前ら! 絶対に部屋に入ってくんじゃねぇぞ、後、人も呼ぶな! 怪我人が増えるだけで、面倒だからな」


 そう言いながら、切っ先で動きを牽制しつつ、ラサラ達を守るよう正面に立つ。

 状況はよくわからないが、はっきり言えることは一つだけ。

 この黒衣の男は強い。それも、尋常じゃ無いレベルで。

 突然の乱入者にも、黒衣の男は不気味な笑みを崩さない。


「クカカッ。貴様、やるねぇ。相当の使い手と見たよ、胸が躍るじゃないか」

「……テメェ、何者だ?」


 牙のような歯を剥き出しにして、黒衣の男は嗤う。


「ハウンド」

「んだとぉ?」


 刹那、ハウンドと名乗った黒衣の男は、急速に間合いを詰める。

 鋭い斬撃を、左右から打ちつけて来る。

 アルトも、それに正面から挑む。

 片手剣のアルトの方が小回りが利くけれど、ハウンドの技量も相当高く、激しい斬り合いにも一切の遅れが無い。

 緩さと鋭さの混じる、緩急の利いた攻撃方法。

 正直、受ける側としては、やりにくいことこの上ない。

 激しい金属音を響かせ、真正面から刃同士が噛み合う。

 鍔迫り合いをしながら、アルトは背後のラサラ達に向かって叫ぶ。


「お前ら、動けるか! 動けるならさっさと部屋の外に出ろッ!」

「あ……あ、うっ……」


 放心しながらも、ラサラは何とか立ち上がろうとするが、足腰に力が入らない為か、上手く立つことが出来ない。


「お嬢様、吾輩が……」


 素早くレオンハルトが、動けないラサラを抱え上げようとする。

 それを見て、軽く安堵した為、アルトに隙が生じてします。


「カッ。油断、大敵だねぇ」

「――な、にッ!?」


 正面から噛み合った刃。

 ハウンドは自らの波打つ刀身を利用し、上手くアルトの刃を引っ掛けると、強引に払い飛ばしてしまう。

 剣は離さなかったが、無防備な姿を晒してしまった。

 空かさす、横に斬撃を飛ばすハウンド。


「――チッ!?」


 舌打ちを鳴らして、反射的に上半身を捻りながら、後ろへと上体を反らす。

 が、間に合わず、波打つ刃が胸元に触れ、服ごとアルトの身体を斬り裂いた。

 激しい血飛沫が舞い、飛び散った赤い液体がラサラの顔にまで届く。


「あ……ああっ……」

「アルト!?」

「アルっ!?」


 血の感触に、放心していたラサラが、ガタガタと身を震わせた。

 そして、二人の悲鳴にも似た叫びが聞こえる。

 よろける足に力を込めると、アルトは構わず正面のハウンドに前蹴りを喰らわせ、上段から一撃を振り下ろした。


「ふむ。良い動きだ」


 蹴りは食らうが、斬撃は後ろにバク転しながらかわし、アルトから距離を取る。

 アルトは胸の傷を左手で押さえ、強引に出血を止める。

 温い血の感触を手の平に感じながら、アルトは焼け付くような痛みに顔を顰める。


「痛ってぇなぁ、フランベルジュか……クソッ、厄介な剣だぜ。軽く斬っただけで、どんだけ血が吹き出るんだよ」

「クカカ。この刃で切り刻まれた傷は、容易くは癒えないよ?」


 楽しげにハウンドが言う。

 派手に出血したが、見た目ほど深い傷では無い。

 命にはかかわらないが、波紋状の刃で斬られた所為か、痛みと出血は通常の刃を遥かに超えていた。

 青ざめていた二人も、安堵の息を漏らす。

 ラサラを抱きかかえたレオンアルトも廊下に出て、室内にはアルトとハウンドが、二人きりで対峙する形となる。

 切っ先を向け、次の動きを牽制する。

 しかし、ハウンドは残念そうな表情で、剣を腰の鞘に納めてしまった。


「うむ。任務失敗かぁ……まぁ、よろしいだろう。思いもがけぬ使い手と遭遇したし、これは次の機会も楽しみだ。なぁ?」

「おいおい。この俺にデカい傷をこさえておいて、ロハで帰ろうってか? そりゃちょっと、虫が良すぎるんじゃねぇかハウンドさんよぉ」


 逃がすまいと凄むアルトだが、ハウンドは含み笑いを漏らす。


「我は楽しみを、後に取っておくのが好きなのでなぁ。今回は、この辺りで失礼させて貰うよ」


 そう言うと、飛び跳ね、ソファーの上に乗り、もう一度跳躍して、割れた窓から表に身体を晒した。

 ここはホテルの最上階。

 普通に考えて、飛び降りればただでは済まないだろうが、あの手の男がそんな間抜けな転落死を演じるわけが無いだろう。

 数秒遅れて、表の方から微かなどよめきと、悲鳴が聞こえる。

 真昼間からド派手なことだと、アルトは息をついて剣を鞘に納めた。

 すると、真横からロザリンが飛びついてくる。


「だぁ、もう。一応は怪我人なんだから、抱き着いてくんなっ。血で汚れるぞ、まだ出血は止まってねぇんだから」

「今すぐ、手当するから服脱いで。脱いで、脱いで」

「わかったから、強引に脱がせようとすんなッ!」


 服を引っ張るロザリンの頭を押さえつけて、無理やり引き剥がした。

 心配げな表情のロザリンも、側に近づいてくる。


「執事さんも手当が必要よね。傷はロザリンの魔術で塞ぐにしても、念のため、傷口は綺麗にした方がいいわよね。あたし、綺麗な水と消毒薬を用意するから」

「それでは、吾輩も……」

「怪我人はジッとしていなさい」

「……畏まりました」


 図体に似合わず、めっと怒られ、レオンハルトは小さくなる。

 その後、騒ぎを聞き付け、ホテルの人間達が集まり少し面倒なことになったが、そこは上得意様の特権として、ホテル側の人々が上手いこと処理をしてくれた。

 放心していたラサラも、直ぐに我を取り戻し、事後処理に走っていた。

 手当を受けながら、さりげなく様子を伺っていたアルトは見逃さなかった。

 ラサラの表情は白く、時折、身体を小刻みに震わせていることに。

 そして不意に見せる、あの怯えるような表情に、ついさっきまで意気揚々と、偉そうな毒舌を吐いていた面影は無く、見た目通り年相応の、か弱い少女の姿を見た。

 実際の年齢は知らないが。

 アルトは身体を動かすと響く、傷口の痛みに顔を歪ませる。

 胸に刻まれた一撃が、アルトに一つの決意を呼び起こす。

 人が変わったように怯えるラサラと、手痛い傷を残してくれたハウンド。

 どうやら、このまま帰るわけには、いかなくなりそうだ。






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