第23話 ポイズンガール
翌日。
ルン=シュオンに言われた通り、準備を整えて家の前で待っていた三人。
準備と言っても、三人共、普段通りの恰好だが。
勿論、今日もロザリンは黒マントに、蝙蝠傘を持った魔女の正装姿だ。
日々、太陽祭が近づくごとに、街の雰囲気は賑々しくなっている。
そんな街の喧騒に割って入るよう、一台の豪華な馬車がアルト達の前に止まった。
箱馬車と呼ばれる、天蓋付きの車両。
両脇には窓と扉があり、車体の下部には振動を抑えるバネが仕込まれている。
アルト達側の扉が開くと、中から一人の中年男性が姿を現す。
その姿に、三人は思わず絶句した。
身長は二メートルを超えた、かなりの大柄。
洋服はパリッとした執事服を身に着け、キッチリと整えられた髪型は、太陽の光を浴びて黒光りしている。服の上からでもわかる筋肉から、かなりのマッチョマンだ。
何よりも目を引くのは、鼻の下に蓄えられた立派な髭。
左右を跳ね上げ、逆への字に整えられた髭が、風に吹かれ誇らしげに揺れていた。
「貴方様方が、ルン=シュオン様がご紹介くださった、護衛のアルト様とそのご一行様でよろしいですかな?」
渋いバリトンボイスに何とか頷くと、男性は恭しく一礼した。
「吾輩はラサラカンパニー社長であられる、ラサラ様にお仕えする、執事のレオンハルトと申します。以後、お見知りおきを」
「あ、ああ……俺がアルトだ。こっちのおっぱいが少し小さい方がカトレアで、凄く小さい方がロザリンだ」
バキッと、アルトの顔面を殴ってから、にこやかな営業スマイルでカトレアが挨拶する。
「どうも、スレンダー系美人のカトレアです」
「ども。クール系美少女の、ロザリン、です」
丁寧? な挨拶をする二人に、レオンハルトはほっほーと微笑を見せた。
「これは、中々にチャーミングなお嬢様方ですな……それに」
チラリと、視線をアルトに向ける。
値踏みするような不躾な視線だが、不愉快さより不気味さが際立ち、アルトは背中をブルッと震わせた。
「……中々の、いえ、かなりの美丈夫ではありませぬか」
何故か、軽く頬を染めていた。
吐息交じりの言葉に、鳥肌がぶわっと立つ。
「おい、何だ今の反応は。何なんだッ!?」
「では、皆様方。早速、馬車にお乗りください。当家主人であるラサラ様の元へご案内いたします」
青ざめるアルトの言葉を無視するように、レオンハルトは皆を馬車へと導く。
カトレア、ロザリンは何事も無く馬車へ。
かなり嫌な予感はするが、ここで「やっぱ止めます」とも言えず、仕方なしアルトも続いて、すごすごと馬車へ乗り込んだ。
★☆★☆★☆
御者に操られる馬車は、流石一級品だけのことはあるのか、車両の揺れも少なく、快適に見慣れた道を進む。
席順はアルトを挟んで、左右にロザリンとカトレアと並ぶ。
そして正面にレオンハルトが座っている。
密室空間なので狭くて暑苦しいと思っていたが、入ってみると意外に広く、ひんやりとして下手な室内よりずっと快適だった。
「温度調整の術式かよ……どんなけ、金がかかってんだこの馬車は」
温度調整は術式としては簡単な物だが、常に温度を操作していなければいけない為、魔力の元となる魔石の消費が激しい。
故に、ちょっと裕福程度では、貴族だって軽々に導入できない代物だ。
最も、目の前に座る人物の姿が暑苦しいので、体感温度はじっとりと生温い。
レオンハルトは懐から取り出した小さな櫛で、シュッシュと髭の形を整える。
「しかし、アルト様が今話題の、通り魔を捕まえた方だとは……いやはや、流石はルン様のご推薦。このレオンハルト、納得の極みでございます」
「ああ、そう」
熱い眼差しに、アルトはゲンナリと答える。
「それに聞けば、か弱い少年少女を助ける為、危険を顧みず北街の悪漢共と戦い、勝利を得たとか……このレオンハルト、感服いたしました」
そんな話まで噂になっているのかと、今度は返事も出来ず顔を覆った。
ルン=シュオンの仕業に、違いないだろう。
陶酔したような顔で、頷いているレオンハルトに、それは大袈裟だと言っても、聞こえないかもしれない。
なので、早々に話を逸らすことにしよう。
「それで、仕事の内容は護衛でいいのか?」
普通に問いかけると、何故かレオンハルトは沈痛な面持ちをする。
デカい身体に似合わず、口ごもるような仕草に、アルトは訝しげな表情をした。
「なんだよ。何か、違うのか?」
「い、いえ。アルト様にお願いしたいのは、当主人ラサラ様の護衛で間違いないのでございますが、その……何と言いますか」
「なによ、ハッキリしないわね」
カトレアも腕を組み、怪しむように目を細めた。
身体を小さくして、レオンハルトはチラチラと上目遣いでこちらを伺う。
「……その、当家主人は何と申しますか、少しばかり人より気難しいお方でして」
「そりゃ、たった数年で庶民の一生分を稼いだ大金持ちだからな。多少変わり者でも、驚きゃしねぇよ」
そうフォローを入れるが、レオンハルトの様子は落ち着かない。
滝のような汗を流す姿を見て、そんなに強烈な人物なのかと訝しげな視線になる。
視線に気がつき、慌ててレオンハルトは首と手の平を振った。
「い、いえ。その、悪い方では無いのですが、お仕事に関して人一倍勤勉で、人の十倍厳しい方でいらっしゃるので、何分、誤解を受けやすいのです。過去には何度も、初対面の方と口論になった経験もありますので」
汗を拭いながら、懇願するような上目遣い。
「ですのでどうか、広いお心を持って、社長と接して頂ければ、万事何事も無く進むのです。勿論、職務中のストレスを考慮して、様々な胃薬や専門医、心理カウンセラーも用意させて頂きます」
「……お前の御主人様は、どれだけハートブレカーなんだよ」
不安と恐怖が、より大きくなってしまった。
少女二人もそれは同じらしく、特にロザリンは頭の中で怪獣でも思い浮かべているのか、青い顔でカタカタ震えていた。
これはもしかしたら、ヤバイ仕事を引いたのかもしれない。
不安げな表情をしていた所為か、レオンハルトが大慌てで言う。
「確かにご負担は大きいかもしれませぬが、そこは失礼ながら、報酬の方に反映させて頂きますので、ご容赦して下さいませぬか?」
「なら、仕方がねぇな」
手の平を返すように、アルトはあっさりと納得する。
誤魔化すような言葉は気になるが、金に困っているのは事実。依頼人の触れられたくない部分に、わざわざ手を出すマネは自重するべきだろう。
納得を得たことに、レオンハルトは安堵の息を吐いて、額の汗を胸ポケットから取り出したハンカチで拭いた。
しかし、どうしても不安が残るのか、社内の雰囲気は暗い。
ロザリンとカトレアも緊張からか、そわそわと落ち着かない様子だ。
「ああ、そうでした!」
嫌な雰囲気を無理やり変えるよう、レオンハルトは手の平を打つと、ズズッとその濃い顔を近づけてきた。
「皆様方は、ラサラカンパニーについて、どれくらいご存知ですかな?」
「さぁ? 新進気鋭の、若手実業家ってくらいしか、眼帯女にゃ聞いてないな」
他の二人も頷く。
「なるほど。では、目的の場所につくまで暫し、吾輩がご説明さしあげようと思うのですが、よろしいですかな?」
二人に視線を向けると、特に反対意見は無いようなので、レオンハルトに向かって首を縦に振った。
知っておいて、損は無いだろう。
「よろしい。では、ご説明しましょう」
レオンハルトは大袈裟に、ゴホンと咳払いをした。
「我がラサラカンパニーは、社長であるラサラ・ハーウェイをトップとする会社です。起業は今から、ちょうど三年前になりますかな」
「家名持ちってことは、社長は貴族なのか?」
貴族の人間が自ら起業するなど、あまり聞かない話だ。
一応、実績を残せば商人でも、爵位は与えられるだろうが、それは長年の積み重ねが評価されてのこと。
起業して三年の若手が、おいそれと手に入るモノでは無い。
が、レオンハルトの反応を見る限り、どちらも違うようだ。
何かに気がついたのか、カトレアが「あ」と声を上げる。
「もしかして、お金で家名を買ったってこと?」
「正解です」
にっこりと笑って、レオンハルトが讃えるよう、手を叩く。
その答えに、アルトは驚いた顔をする。
「おい、家名って売れるのか?」
「売れるわよ。うちも没落した時、真っ先にルーシーの名前を売ったけど」
よほどの大罪を犯さない限り、エンフィール王国では爵位を没収されても、家名を名乗ることが許される。
が、爵位を持たない家名は、書類上のみの記載で、非常に審査がザルだ。
必要事項を記入し、持ち主の印と相応の金額を、持ち主と国に払えば、その家名は譲渡され自由に名乗ることが出来る。
勿論、爵位があるわけでは無いので、形だけの代物だ。
しかし、その形だけを欲しがる人間は、意外に多いので、その相場はかなりの額に昇るらしい。
「……騎士時代の家名って、まだ残ってんのかなぁ」
「なに、一人でブツブツと考え込んでんのよ?」
「いや別に。執事のおっさん。起業して三年って、随分早すぎやしねぇか?」
訝しげな視線を無視して、露骨に話を逸らす。
「ふむ。ごもっともな意見ですな……では、ラサラカンパニー。いや、ラサラ社長の本職は、何かご存知ですかな?」
問いかけに、三人はそれぞれ考え込む。
「果物とか卸してるし、卸業者じゃない?」
「色々と手広くやってるみたいだしな。運送業か?」
カトレア、アルトの答えに、レオンハルトは微笑みながら首を振った。
考え込むロザリンが、ポツリと呟く。
「投資家、かな」
「ほう」
レオンハルトが驚いたような声を出す。
顎に手を添えて、ロザリンは続けて推測を語る。
「個人での、一からの起業、それも、三年でそれなりの利益を出すなら、上手く立ち回れば、かなりの額を、稼げると思うけど……」
「……なるほど」
そう言えばと、アルトは腕を組む。
「戦後の影響で、国内外の相場はかなり荒れたって聞いた覚えがあるな。その流れを読んで、上手く波に乗れれば、一攫千金も夢じゃないってわけか」
簡単に言っているが、これはかなりのギャンブルだ。
この手のマネーゲームは、百人は一枚の金貨を払い、九十九枚を取り合うようなモノ。
ラサラは勝利したようだが、負けて首を括った人数は、決して少なく無いだろう。
「それが偶然じゃなく計算づくなら、その社長って、かなりのやり手よね」
感心したような声を出す割に、カトレアは他人事のような表情だ。
地道に働くことが好きな彼女には、理解し難いのだろう。
「個人である程度を稼いだのち、本格的にラサラカンパニーを立ち上げ、今度は資本金を元に有能な商家、錬金工房、船会社などを次々に買収、または支援し、その規模を瞬く間に、王都でも名の知られる企業へと押し上げたのです」
「それで、歴史が浅い割に、あちこちで名前を聞くわけか」
「ラサラカンパニーの名前を持ってる商品は、少し前まで無名だったらしいから、目利きの類も優秀ってわけみたいよ」
「ん。まさに、投資家、だね」
口々に感想を述べる。
自分の主人が褒められて嬉しいのか、破顔しながらレオンハルトは櫛で髭を整えた。
そうなってくると、俄然、興味がわいてくる。
アルトが謎の実業家にして投資家のラサラに、強い好奇心を刺激されていた頃、静かに馬車はその動きを止めた。
「どうやら、到着したようですね」
完全に止まったのを確認して、レオンハルトが扉を開く。
まず、最初にレオンハルトが降り、外から扉を押さえアルト達を招く。
「では、お降り下さい。ラサラ社長の元へ、ご案内します」
★☆★☆★☆
馬車が止まったのは、東街の大河沿い通りにある、一番大きなホテルだった。
どうりで、思ったより到着時間が早かったわけだ。
かざはな亭よりずっと大きく、立派な外観を見上げて、アルトは納得した。
西街にこれより大きくて、立派な高級ホテルが存在するが、はっきり言って桁が二つ三つ余裕で違う。
あんなところに泊まれるのは、王侯貴族と気軽に会話できるような、超大金持ちだけだろう。
それでも、目の前のホテルが立派なのは違い無いし、本来なら縁の無い場所だ。
警備員が守る入口を潜り、身なりの良い人々が出入りするロビーに入る。
「ところで、何でホテルなんだよ。社長ってのは、ここに住んでんのか?」
「いえ、実は、このホテルに泊まってらっしゃる方との、商談が本日の予定に組み込まれていましたので、ならばちょうど良いと思い、皆様もお招きしたしだいでございます。何分、状況は切迫していますので」
そう言うと、レオンハルトはフロントへと足を運び、二三会話を交わすと、鍵を受け取って戻って来た。
「お部屋の予約も済んでおりますので、暫し、そこでお待ちいただけますかな?」
「……泊まるわけでも無いのに、部屋の予約かぁ。今のあたしには、理解出来ない思考よねぇ」
すっかり庶民に染まったカトレアが、しみじみと呟く。
部屋の場所も既に確認済みらしく、ホテルマンでは無く、レオンハルトに導かれて最上階にある予約した部屋を目指す。
流石は、王都の顔とも言えるホテルだけあって、客層も上品で建物も清潔だ。
廊下の隅にも、塵一つ落としていない。
目敏く周囲に視線を巡らせているカトレアが、時折、感心したような声を漏らしているから、その掃除ぶりは徹底しているのだろう。
廊下も静か。床にはカーペットが敷いてあるので、足音も立たない。
この静けさは、能天気通りに慣れたアルト達には、少しばかり居心地悪く感じられた。
きょろきょろと見回しながら歩いていると、正面のレオンハルトが足を止めた。
「到着しました。それでは、皆様。どうぞ、中へお入り下さい」
振り向き。恭しくレオンハルトが一礼。
目的地である部屋の、扉の鍵を外して開くと、アルト達を中へとエスコートした。
その流れるような動きに、見た目は妙でも、流石は執事だと感心してしまう。
「……おお」
抑えきれない好奇心から、我先にと部屋に足を踏み入れたロザリンが、室内を目の当たりにして驚きの声を上げる。
続いて入ったアルトも「ほう」と、顎に手を添えた。
最上階はつまり、このホテルのスィートルーム。
煌びやかな装飾品が置かれ、床には高級そうな絨毯が敷かれている。
部屋の真ん中には、ガラス製のテーブルに、ふかふかの柔らかそうな、毛皮のソファーが並べてあった。
奥には他の部屋に続く扉。恐らく、寝室やバスルームも当然、完備されているのだろう。
「へぇ、初めて来たけど、結構、良い部屋じゃない」
流石は元貴族。
調度品を指で突きながら、そんな感想を述べる。
「では、吾輩は社長を呼んで参ります。ついでに、契約に必要な書類一式もご用意いたしますので、暫し、こちらでお待ち頂けますでしょうか」
「ああ、のんびりさせて貰うぜ」
身体が沈み込むほど柔らかいソファーに腰かけ、アルトは足を組んだ。
レオンハルトは笑みを浮かべ、一回頷く。
「商談の状況によっては、少しばかりお待たせしてしまうかもしれません。もし、食事等をお取りになりたい場合は、ホテルの従業員にお申し付け下さい。我輩の名前と部屋の番号を告げれば、問題はありませんので……勿論、代金はこちらで払わさせて頂きます」
太っ腹な発言に、アルトとロザリンがピクッと反応を示す。
「では、失礼したします」
一礼すると、レオンハルトは部屋の外に出て行った。
扉は音も無く閉じる。流石、執事。そういう細かい配慮も忘れない。
「…………」
「…………」
「…………」
三人は暫く無言で、ジッとソファーの上で静止する。
ドアの向こう。廊下を歩く気配が遠ざかり、完全に消えた瞬間、三人はほぼ同時にそれぞれ、違う行動を取り出した。
「ふぅむ……どれもこれも高そうだなぁ……この燭台、かっぱらったらやっぱ、怒られんのかな?」
アルトは室内の調度品を興味深げに眺める。
当然のことながら、興味の対象は調度品自体では無く、物が持つ金銭的価値だろう。
「ご飯、ご飯」
ワクワクしながら、ロザリンはテーブルの上に置いてある、ルームサービスのメニューを手に取って涎を垂らす。
「へぇ。流石はスィートルームだけあって、バスルームも綺麗ねぇ。貴族の暮らしに戻りたいとは思わないけど、お風呂に自由に入れないってのだけが、唯一の心残りなのよねぇ」
寝室やバスルームを覗き、感慨深げなカトレア。
自由すぎる三人だ。
一通り他の部屋を見て回ったカトレアが、何かを考えるよう頷くと、難しげな顔をして調度品を値踏みしているアルトに近づく。
「ねぇ、アルト。アンタ、ルームサービス頼みに行くついでに、ちょっと時間を潰して来なさいよ」
「はぁ? ってか、何で俺が頼みに行く前提になってんだよ」
面倒臭げな顔をすると、カトレアは腰に手を当ててジト目を向けてきた。
「乙女心がわっかんない奴ねぇ。折角のバスルーム付きスィートルームなんだし、あたしとロザリンは今から、お風呂に入ろうと思うの」
「う?」
急に話を振られ、ロザリンはちょっと驚いた顔をする。
「ロザリン、お風呂嫌いなのか、共同浴場にもあんまり来ないでしょ?」
「ん。森では、お湯に浸かる習慣が、無かったから」
お金があまり無い、という理由もあるが。
「折角の機会だし、二人で伸び伸びお風呂を使いましょうよ。あたしが、隅々まで綺麗にしてあげるから」
楽しげに言って、カトレアは両手を揉み込むよう、怪しげに動かす。
反射的に、ロザリンは自分の胸元をぺたぺたと触った。
だが、話がいまいちわかってないのは、アルトの方だ。
「入りゃいいじゃねぇか。最近、熱くなってきたところだし、ちょうどいいんじゃね?」
「だ~か~ら~」
鈍感なアルトの態度に、人差し指を突き出してズズッと詰め寄る。
「男のアンタがいたら、女同士で気軽にきゃっきゃうふふ出来ないでしょ! ちょっとは気を使いなさい!」
「ああ、そういうことね」
意図を察して、アルトは大きく肩を竦めた。
「はいはい、わかりました。俺は少しぶらついて来るから、好きなだけきゃっきゃうふふしていてくれ」
そう言うと、後頭部を掻きながら扉の方へ向かう。
ドアノブに手をかけ、二人の方を振り向く。
「ルームサービス。適当なモンでいいだろ?」
「大盛りで」
「はいはい」
肩を竦めながら、アルトはドアを開けて廊下へと出て行った。
バタンと閉じたドアを見つめ、カトレアは口を真一文字に結ぶ。
「……むぅ」
自分で出て行けと言った癖に、何故だか顔は不満げだった。
ロザリンは下から覗き込む。
「一緒に、入りたかった?」
「んなわきゃ無いでしょ」
片目をパチっと瞑り、カトレアはロザリンの首根っこを掴む。
「さぁ、お風呂で綺麗綺麗しましょうねー。湯船に浸かりながら、二人でゆっくりガールズトークよ!」
「あわ、あわわわ」
マントを掴まれ、ズルズルと引っ張られるロザリン。
二人の姿がバスルームのある扉の中に消え、少し経つと、水音と女の子達の楽しげな笑い声が、扉越しに無人の部屋に漏れ聞こえた。
★☆★☆★☆
部屋を追い出されたアルトは、仕方なく一回のロビーに降りる。
ラウンジにもなっているロビーには、そこかしこで談笑する、身なりの良い人間達が座っていた。
服装から、エンフィール王国の外から来た人間も居るようだ。
戦争が終わり、長年エンフィール王国と対立していた北の帝国も、態勢が崩壊して共和国へと姿を変え、今はエンフィールと和平条約を結んでいる。
遠くの国では、まだキナ臭い噂もたまに聞くが、エンフィール王国内でいえば、ここ百年以内でもっとも平和で、安定した時代が訪れているだろう。
違う国の人間同士が、同じ卓に座り語り合う。
ささやかな光景だが、これはとても素晴らしいことなのかもしれない。
王国の象徴である太陽祭でも、このような光景が見られれば、戦争の中で多く流れた血も、無駄では無いと思えるだろう。
柄にもないことを考え、アルトは頬を指で掻く。
ちょうど、横を従業員が通り過ぎようとしたので、呼び止めた。
「なんでしょうか?」
「この辺りで、軽く酒を飲めるところはねぇか?」
仕事前だが、飲み過ぎなければ大丈夫だろうと、軽い気持ちで尋ねる。
「でしたら、地下にバー付きのレストランがありますので、よろしかったら」
「そっか。サンキュ」
肩を叩き、アルトは言われた通り、階段を下りて地下を目指す。
階段を下りると、そこは大人びた雰囲気が漂う薄暗いバーだ。
薄ぼんやりとした光の術式照明に照らされて、レストランの一番奥では妙齢の女性がピアノで、ゆったりとした音楽を奏でている。
昼時だが、泊り客しか利用しない為、レストランに訪れている客は少ない。
けれど、その静かな雰囲気と、ピアノのメロディ、そして薄暗い照明がマッチしていて、まるで別世界に来たような錯覚を覚えた。
ちょっと場違いなところに来たモンだと思いながらも、アルトはカウンター席に座る。
若いバーテンが、落ち着きのある口調で話しかけてくる。
「何になさいましょう」
「仕事前なんでね。軽いヤツを頼む」
「では、ハーブのリキュールなど如何でしょうか?」
「んじゃ、それで」
注文を通すと、すぐに無色透明のリキュールが注がれたグラスが置かれた。
「ミントのリキュールです」
グラスを手に取り、軽く口につける。
少しばかり辛口だが、ミントの香りのおかげで後味がすっきりとする。
リキュールをチビチビ飲みながら、店内をグルリと見回す。
パッと見た客層は、やはり金持ちそうな人間が多い。
流石に貴族は見当たらないが、この中で生活が困窮するほど、金に困っている人間はアルトくらいだろう。
その中で、一組の男女の席が目に留まる。
恰幅のいい、派手な服装の中年男性。
その正面に座るのは、青いボブカットの少女だった。
ロザリンより年上、カトレアより年下といった雰囲気の少女は、不意に立ち上がると、グラスに入っていた水を、中年男性の顔面にぶっかけた。
瞬間、ピアノの音楽が途切れ、レストラン全体が凍りつく。
アルトは、ひゅうと口笛を鳴らす。
「な、何をするッ!」
慌てて顔を拭いながら、激怒した中年男性に、少女は口元に手を添え、上品な嘲笑を向けた。
「ふふっ。わからないなら、教えてあげますよ無能さん」
少女は顔を横に向けると、心底馬鹿に仕切った視線で、中年男性を射抜く。
「貴方に商才はありません。ただ、それだけの単純な理由です。おわかりいただけましたか?」
「こ、小娘如きが、生意気な口を利くなッ!」
「ほら、それ。その言葉自体が自分の無能を晒していることに、どうして愚かにも気がつくことが出来ないんでしょうか。ボクにはそれが不思議でたまりませんね……それに」
向ける視線を、スウッと細める。
少女が醸し出す圧力に、中年男性は思わずグッと引いてしまう。
「知っているんですよ? 食事中、いやらしい視線でボクのことを見ていたでしょう?」
「な、なにを、失敬なッ!」
「ボクが魅力的なのは仕方が無いことですから、そのような視線も泣く泣く許しましょう。しかし、商売の場に薄汚い劣情を持ち込む貴方を、ボクは軽蔑します……このことは、貴方の奥様に子細、報告させて頂きますね」
そう言って、少女はにっこりと笑った。
途端、中年男は青ざめた顔になると、その場に膝をつく。
「お、お願いだ。それだけは、それだけは勘弁を……」
よほど奥さんが怖いのか、中年男はみっともないくらいに、自分の娘ほどの少女に頭を下げる。
が、少女は嫌そうな顔をして、数歩後ずさる。
「やめてください。その位置からだと、パンツが見えてしまうじゃないですか」
少女はひらひらとしたスカートを押さえる。
「ボクのような女の子にそんな姿を晒して、恥ずかしく無いんですか? だから、貴方は無能なんですよ。婿養子のコネで今の地位についただけなのに、それを勘違いして身勝手な振る舞いをするから、こんな目に遭うんです。わかりました? わかりましたら、ちゃっちゃと人生破滅しちゃってください」
プライド捨てて土下座する相手に、容赦の無い言葉を浴びせかける。
状況を見守る客からも、憐憫の眼差しが向けられた。
もっとも、今の会話を聞く限り、あまり中年男の方に同情も出来ないが。
そう思いながら、横目でその光景を眺めつつ、ミントリキュールを煽る。
と、不意に男の手元に光るモノが目についた。
万年筆だ。
土下座しながら、中年男はギリッと奥歯を鳴らす。
「こっ……この、このっ……小娘が……ッ!?」
「はい、ちょっと待った」
取り出した万年筆を握り締め、立ち上がろうとした中年男を、何時の間にか近づいたアルトが、手を踏みつけて静止する。
「なっ、なんの……」
「何のつもりですか? 善意の押し売りはやめてください」
中年男が怒鳴るより早く、少女がこちらをジト目で見上げ、冷たい言葉を言い放つ。
「威勢がいいじゃねぇか。俺の押し売り、幾らで買ってくれる?」
「…………」
アルトの言葉に少し考え込むと、少女は懐から高価一枚取り出し、指で弾いて寄越す。
受け止め手の平に乗せたそれを確認する。
「銅貨一枚、ね」
「適正価格です。無償の善意よりは、安い買い物でしょうけれどね」
口の減らない少女に苦笑して、アルトは銅貨をポケットにしまった。
「お、おい貴様ッ! 誰だか知らないが、さっさとその足をどけろッ!」
下で忘れ去られかけた、中年男が怒鳴る。
アルトはチラリと視線を向け、
「いいけど、アンタ。大人しくしとかないと、殺されるぜ?」
「……なに?」
アルトが向けた視線の先を、中年男が追うと、すぐに顔面を蒼白にした。
何時の間に現れたのか。
レオンハルトが身体の筋肉をピクピク動かし、存在感をアピールしながら、少女の後ろに立っていた。
「……当家主人に、何か御用ですかな?」
「……ひっ」
ジロッと睨まれ、中年男は怯え竦む。
手から足を離すと、万年筆を投げ捨て、転がるようにその場から逃げ出した。
その姿を見送り、少女はふっと息を付く。
「ラサラ様。探しましたぞ? あの手の輩にはお気を付け下さいと、何度も申し上げましたのに、何故二人きりで食事などしていたのですか」
「別に。あの男があまりに無能だったから、叩き潰したかっただけです」
素っ気ない言葉に、レオンハルトは嘆息して、今度はこちらに視線を向けた。
「アルト様。我が主人の危ないところをお助け頂いて、感謝いたしますぞ」
「そりゃ別にいいんだが……主人ってことは、そいつが、そうなんだな」
「はい」
レオンハルトが頷くと、少女は一歩前に出る。
視線を細め薄笑みを浮かべると、少女は軽く髪を掻き上げた。
「ラサラ・ハーウェイです。一応、感謝の言葉を述べておきますよ。ボクのような凄い人間に恩が売れて、よかったですね」
毒の混じる言葉で、ニッコリと笑い、右手を差し出してきた。
その恩は硬貨になって、アルトのポケットに入っているのだが。
アルトは「さよか」と言いながら、内心で納得する。
確かにレオンハルトが口を濁すよう、この少女の毒はかなりの猛毒だ。
ここ最近、女絡み。それも年下相手だと、碌な目にあった試しがない。
嫌な予感を抱きつつ、アルトは差し出したラサラの握手に応じていた。




