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第22話 始まりは静かに忍び寄る







 エンフィール王国第一騎士団の若き騎士団長ライナ・マクスウェル。

 彼が足を踏み入れた時には、そこは目の覆いたくなる光景が広がっていた。


「……こ、これは」

 

 鼻を突く血生臭い匂いに、ライナの端正な顔立ちが歪む。

 真っ暗な深夜の寝室。

 西街の閑静な高級住宅街だからか、虫の鳴き声以外の音は全く聞こえなく、不自然に開かれた窓から差し込む月明かりが、寝室の中を照らしていた。


 眼下に広がるのは、凄惨な光景。

 血を撒き散らし、絶命する男女の遺体数名分が、部屋のあちらこちらに倒れていた。

 込み上げる吐き気を、手で押さえつけ、ライナはグルリと室内を見回す。

 この家の主人である中年男性一人と、彼の愛人である女達三名が、首や腹部、背中などを鋭利な刃物で斬り裂かれ、殺されていた。

 多分、部屋を明りで照らしてみれば、床や壁、天井まで、血で真っ赤に染まっているだろう。

 ライナは、半裸でベッドに横たわる男の側に近づく。

 男は驚いたように両目を見開いたまま、喉元をパックリと裂かれ絶命していた。


「クッ……遅かったか」


 悔しげに呟き、そっと男の顔に手を添え、開いたままの両目を閉じた。

 現場を荒らさないよう、慎重に歩いて窓際まで寄る。

 開きっぱなしになっている窓の外は、バルコニーになっていて、そこから外に出ると、広い庭が見渡せた。

 夏が近い所為か、生温い風が肌を擽る。

 僅かだが、バルコニーには土が零れ落ちていた。

 下手人は、ここから忍び込み、あっと言う間に部屋の人間を惨殺したのだろうか。

 雲にかかる月を見上げ、ライナな奥歯をギリッと噛み締める。


「人の命を、こんなに簡単に……許せない」


 金髪の青年ライナは、表情に怒りを滲ませる。

 けれど、こみ上げる怒りに飲み込まれないよう、グッと両手を握り締め、激情を抑え込む。

 彼は名誉ある騎士。怒りで、我を忘れるわけにはいかない。

 血の匂いを嗅いだ所為もあるのだろう。酷く、感情が揺さぶられた。

 外の新鮮な空気を、深呼吸するように数回吸い込み、心を落ち着かせる。


「……次は、こうはいかないぞ」


 そう呟き、ライナは応援を呼ぶ為に身を翻す。

 内心で、まんまと出し抜かれた屈辱と、人の命を奪った下手人への怒りを燃やして。

 暗殺者ハウンド。

 その名を心の中で呟き、ライナは戦う決意を新たにする。




 ★☆★☆★☆




 本日は曇天なり。

 シリウスの来襲から三日。

 空模様と呼応するように、アルトの未来にも暗雲が立ち込めてきた。


「やっべぇ……仕事が全然、見つかんねぇ」


 カウンター席に座るアルトは、そう呟くと青い顔をして突っ伏した。

 昼時もとっくに終わり、午後の暇な時間帯。

 珍しく朝から仕事を探して、歩き回っていたアルトは、戻ってくるなり早々に弱音を吐き、このザマだ。

 グラスを拭くランドルフが、心配そうな顔をする。


「本当かい? 太陽祭前だから、色々と忙しいと思ったんだけど……やっぱり、戦後の不景気がまだまだ、影響しているのかねぇ?」

「んーなわけ無いじゃない」


 モップとバケツを持って現れたカトレアが、カウンターに突っ伏すアルトにジト目を向けた。


「大方、第一声に『一ヶ月以内に金貨百枚稼がせろ』とでも言ったんでしょ」

「おいおい。幾らなんでもそれは……」

「……むぅ」


 図星を突かれて黙り込む姿に、ランドルフは呆れたような顔をした。

 正直、真っ当な方法で、一ヶ月以内に金貨百枚など不可能だ。

 それで前提として、金貨百枚を稼げる仕事を、全面に押し出して探していたのだが、そんな仕事が見つかるはずも無い。

 正確には、頭取に事情を話したところ、見つかるには見つかったのだが。


『あるわよ。鉱山と漁船、どっちがいい?』


 確実に死を匂わせる選択肢に、謹んで遠慮を申し渡した。

 そんなわけでこの三日、何の結果も残せず疲労だけが残った。

 このままでは、本当に一か月後にはヤクザ者だ。

 今更、やっぱり雇ってくれとシリウスに泣き付いても、きっと門前払いを喰らうだろう。

 それか、よくて見習い従者から始めろ。と言われるかもしれない。

 正直、今のところはお手上げだ。


「……はぁ。こりゃ、早まったかなぁ」

「……なによ」


 珍しく弱気な姿のアルトに、拍子抜けしたような顔をする。


「まだ、時間はあるんだし、とりあえず今は少しでもお金を貯めることが、先決なんじゃないかい? 何事も、地道が一番さ」

「そういった次元の問題じゃ、ねぇと思うけどな……なぁ、ランドルフ。アンタ、金貨百枚くらいへそくりで持ってない?」

「無茶言わないでよ」


 苦笑しながら、取り出した煙草にマッチで火と点ける。

 紫煙を吐いて、思い出したように口を開く。


「ああ、そうだ。言い忘れてたけど、この店、明日から暫く閉めるから」

「あん? 潰れるのか?」

「嫌な冗談言わんでくれよ」


 顔を顰め、紫煙を燻らせる。


「太陽祭の準備だよ。今年は僕も仕切りに参加してくれって、頭取に頼まれているからね。一週間くらいは、そっちにかかりっきりだと思うから」

「ああ、そういえば言ってたわね。あたしも暇してるわけにはいかないから、何かバイトでも探そうって思ってたんだっけ」


 モップとバケツを片付けながら、カトレアが言う。

 それに顔を顰めたのは、アルトだった。


「おいおい。ここ閉めるんなら、俺の飯はどうなんだよ」

「流石に君一人の為に、店を開けるわけにはいかないでしょ。僕もいつ帰れるのか、わからないし」


 グッと言葉を飲み込み、カトレアに視線を移す。

 視線に気づき、悪戯っぽく微笑んだ。


「ん? 家に食べにくるのは構わないけど、アンタ、お父様とお母様に絡まれるわよ。家の娘をいつ、嫁に貰うんだって」

「ああ、そういや、そうだったな」


 アルトは何故か、カトレアの両親や兄弟姉妹に、妙に気に入られていた。

 路頭に迷っているところを、助けて貰ったことに対する恩もあるだろうが、それにしたって異常な好意を感じ、怖くなる。

 このままでは、外堀から埋められてしまうと恐怖を覚え、次第にカトレアの家から足が遠ざかっていた。

 引っ越してからは、たまに兄弟姉妹が遊びにくるようになったが。


 基本、アルト達の食事はかざはな亭に頼り切り。

 用心棒代とロザリンのウェイトレス代から、食事代は差し引かれている。

 なので、かざはな亭を閉めるとなると、食事にありつけないどころか、ただでさえ少ない収入が皆無になってしまう。

 これは、金貨百枚どころの話ではない。


「やべぇな……誰かにたかるか?」


 難しい顔をして、情けないことを言う。


「一日二日はともかく、一週間もたかり続けるのかい? そりゃ、流石に無茶だと思うけど」

「そこまでいくと、もはや物乞いね……そもそも、ロザリンにまでそんな真似させるき?」

「むむっ」


 それを言われると痛い。

 ちょうど、ロザリンは買い物に出ているのでいないが、小さい身体つきの割に健啖家な彼女のこと、食事が満足に取れないとわかれば、どれだけショックを受けるだろうか。

 昔なら自分一人のことを考えていればよかったのだが、今は養うべき者がいる立場。

 保護者とは、何かと辛いモノである。


「……保護者って言っても、収入的にはロザリンの方が上だけどね」

「――なぬ!?」


 聞き捨てならない言葉に、アルトはガバッと身体を起こす。

 灰皿に煙草の灰を落としながら、そうそうとランドルフが頷く。


「そういやそうだね」

「おいこら。そりゃ、どういうことだ!」

「いやぁ、彼女が調合してくれる薬湯や薬酒が、意外に評判よくってね。店的には売上がホクホクなのさ。そうなると、少しは彼女のお給料に色をつけなきゃ駄目だろう?」

「俺の薄給は無色透明ですけどぉ!」


 ギリギリと歯を鳴らすアルトに、言い辛そうな顔をする。


「だって、正直、用心棒するほど、物騒な客って最近こないからさぁ」


 むしろ、アルトの関係者に物騒な人物が多いと、ランドルフは気弱そうな笑みを見せつつ、キツイことを言う。

 確かに、ここ最近の交友関係は、色々と濃いモノがあるが。

 そこで、アルトはハタと気がつく。


「あれ、もしかして俺の状況って、人として不味くね?」

「ああ、アンタの立場って保護者じゃないわね……ヒモね」

「うん。ヒモだね」


 無情な二人の一言に、ガラガラとアルトの中で、何かが音を立てて崩れる。

 大慌てで頭を振り乱す。


「い、嫌だッ! ロリコンヒモ野郎なんて不名誉なレッテル、お天道様の下を歩けないレベルじゃねぇぞ!」

「うわぁ、最悪。ちょっと、近寄らないでもらえます?」

「ううん。正直、店に出入りして貰いたくは、無いよねぇ」


 頭を抱えて絶望に打ち震える姿に、面白がって二人が無責任な言葉を浴びせかける。

 その度に、アルトはダメージを負ったよう、ビクンビクンと身体を打ち震わせた。

 あまりに情けない姿は、とても騎士団や暗部組織から、名指しでスカウトされるような人材には思えなかった。

 心に大きな傷を受けて、かなり泣きそうになる。

 ちょうど、スイングドアを開いて、買い物袋を抱えたロザリンが帰ってきた。


「ただい……ま?」


 がっくりと項垂れているアルトの姿に、可愛らしく小首を傾げた。

 どうしたの?

 視線で問うが、カトレアとランドルフは苦笑いを浮かべて、互いの顔を見合わせるだけだった。

 不思議そうな顔をするが、直ぐに疑問を打ち消し、


「お客さん、来たよ?」


 と、外で会ったのだろう。スイングドアを押さえつつ、店内に人を招いた。


「はい、いらっしゃいませー!」


 素早く営業スマイルを作るカトレアだが、店に足を踏み入れた人物の、異様な姿にその笑顔が固まった。

 真っ黒なボロボロの貴族服に、眼帯を付けた少女が、ゆらりと店内に姿を現す。

 彼女の纏う異様な雰囲気に、店内の温度が、グッと下がったように錯覚する。

 項垂れながら、アルトも視線を向けると、表情を思い切り顰めた。


「ゲッ……テメェは」

「フフッ。ご挨拶だねぇ。久しぶりの対面じゃないか」


 そう言って彼女……ルン=シュオンは怪しく笑った。

 直接面識は無いが、面倒臭そうな手合いなのは、見ればわかるのだろう。

 引き攣った顔をしながらも、カトレアは職務を忘れずルン=シュオンをテーブルまで案内する。

 座るやいなやメニューも見ずに、カトレアに注文を告げる。


「オレンジジュースとステーキを……焼き加減は、レアで頼めるかな?」

「は、はい……店長、オーダー!」

「はいよ」


 返事をすると、煙草を揉み消し、アルトに一言。


「ほら、君の知り合いの方が、厄介な人間そうだ」

「……言い返せねぇなぁ」


 そう呟き、視線を送ると、バッチリ目が合ってしまう。

 ニコリと笑い、手招きしてくる姿に、アルトは手の平で顔を覆ってしまった。




 鉄板の上に乗せられ、ジュージューと油を飛ばすステーキ。

 ガーリックの香ばしい風味が、何とも食欲をそそる。

 ルン=シュオンは両手に持ったナイフとフォークで、鉄板の上で湯気を立てるステーキを、細かく切り分ける。

 断面はまだ赤みが残り、切った瞬間、じゅわりと肉汁が溢れた。

 フォークで刺した肉片を口に運び、放り込んで咀嚼。

 ルン=シュオンは満足そうに頷いた。


「ふむ。すばらしい。街の食堂とは思えない、上質な牛肉だね」

「そりゃそうだろうよ。この店で一番高いメニューだ。ちなみに、俺は今まで一度も食ったことはねぇ」

「じゅるり」


 正面に座り頬杖をつくアルトが、そう茶々をいれる。

 ロザリンは上品な動作で肉を運ぶ姿に、涎を垂らして目を奪われていた。


「おい、眼帯女。俺に同席させて、何の用だよ。まさか、肉食う姿を見せびらかす為だけに、来たんじゃねぇだろうな?」

「おやおや、そういった趣向がお好みかい? 若いのに中々、マニアックじゃないか」

「俺ぁお預けくらって喜ぶ趣味はねぇよ」


 含み笑いを漏らし、ルン=シュオンは食事の手を進める。

 かざはな亭は、夜の営業まで看板を下ろしてある。

 どうせ、これから面倒な話が始まるだろうからと、ランドルフの配慮だ。

 ランドルフは奥に戻って、夜の仕込みを始めているが、本来休憩のはずのカトレアは、カウンター席に座り、こっちの様子を見ている。

 知り合いでは無いので、一応、同席は遠慮したのだろう。


「んで? 俺ぁ、お前が食い終わるまで待てばいいのか?」


 嫌味を言うと、彼女はオレンジジュースを口に含んだ。


「ふふっ。じゃあ、焦らすのもこの辺にしておこうか」


 グラスを置き、ナプキンで口元を拭った。

 ルン=シュオンは、薄ら笑みを浮かべ、アルトを見つめる。


「野良犬君……君、天楼に金貨百枚払う約束をしたんだって?」

「……ま、お前が知らねぇわけがないよな」


 頷くと、ルン=シュオンはツーッと、テーブルの上を指先で撫でる。


「お金が欲しくて欲しくて仕方が無い野良犬君に、今日は耳よりな情報を持ってきたんだ」


 アルトは思い切り、顔を顰めた。


「嫌な予感しかしねぇな」

「悪い話では無いはずさ。少しばかり、命の危険があるだけでね」

「それは、嫌な予感、だ」


 ロザリンがしみじみと呟く。

 どうせ碌でも無い話なのは、聞かなくてもわかる。

 何せ、前回の一件がある。

 が、このタイミングで妙な話を持ち込むということは、彼女なりに、アルトを釣り上げる自信があるのだろう。

 つまり、金貨百枚に相当する話題。

 ニヤニヤと黙って見つめるルン=シュオンに、アルトは舌打ちを鳴らし、右の頬杖を左に変えて、話を先に進めるよう顎をしゃくった。

 より大きく、ルン=シュオンの頬が吊り上った。


「野良犬君。君は、西街で毎年この時期に行われる、商業ギルド主催の大オークション大会を知っているかい?」

「俺らが西街のことなんぞ知るわきゃねぇだろ」


 アルトはジト目をする。

 王都の西にある都市区画は、高級住宅街があり、そこに住む水晶宮に住むには位が低い貴族や、金持ちをターゲットとした、庶民には縁遠い商店が立ち並ぶ、いわば山の手と呼ばれる場所だ。

 東街とは反対方向という立地もあり、一般庶民は立ち入りが制限されている場所もあるので、同じ街にありながら、殆どの人間には縁の無い都市区画だろう。

 だから必然的に、入ってくる情報も少ない。


「太陽祭は毎年、国内外問わず、各地から様々な人間が集まるからね。自然と、物の出入りも激しくなる……流通など、商業に関わる人間は、一年でもっとも忙しい時期にあたるのさ」

「いいねぇ。暇な貧乏人には、羨ましい限りだ」

「オークションは余興の一環。若手の実業家達が中心となって、前夜祭と称し行う、金持ち専用のイベントなのさ。国内外から、金持ちが集まるだけあって、オークションの出品物は名品珍品のオンパレード」


 豪勢な話だ。

 アルトはさり気なく、カウンターのカトレアに視線を向けるが、彼女にも心当たりは無いらしく、首を左右に振った。

 それを目ざとく見つけたルン=シュオンは、笑みを浮かべ、ペロリと上唇を舐めた。


「そんな大規模なイベントが、噂にもならないなんて、おかしいと思っているのかい?」

「……まぁな」


 見透かされるが、素直に認める。

 横のロザリンは顎に指を添え、考えを巡らせると、


「じゃあ、そもそも、普通には知られていないって、こと? 少なくとも、王都内部では」

「ふむ、流石は、小さな魔女殿。察しがいい」


 妙に柔らかい声で、ルン=シュオンは頷く。

 ロザリンに対しては、色々と思うところがあるのだろう。

 微笑むと、視線を再びアルトに向けた。


「オークションは元々、諸外国にコネの無い若手が切っ掛けを作る為、行われるようになったモノだからね。オークションの客はほぼ、国外の金持ち連中で、国内に宣伝はしてないから、意外と知られてないのさ……もっとも、それでも耳聡い人間は、何処からか聞きつけて、参加したりしているようだけどね」


 情報元はお前じゃないだろうな。

 と、思うが、視線だけで口にしたりはしない。


「それで、結局何なんだ、話が見えねぇぞ。まさか、俺に何か出品して金に換えろ、何て言わないだろうな」

「勿論、違うさ」

「じゃあ、なに?」


 問いかけに、ルン=シュオンは怪しく目を細めた。


「ラサラカンパニー」

「……ん? どっかで、聞いた覚えがあんな」


 考え込んでいると、後ろからカトレアが教えてくれる。


「果物とか野菜の、卸し業者じゃない? 安くて質の良い物を仕入れてくれるって、能天気通りで話題になってたわ」

「ん。研究用の、機材を買ったメーカーも、そんな名前、だった」

「なんだよ。随分と手広くやってんだな、そこは」


 二人の言葉に、アルトは感心したように言う。

 お前はもっと頑張れ。と、背後から視線を感じる気がするが、気づかなかった振りをしよう。


「んで? そのやり手商人がなんだってんだ」

「そこの社長はルンの顧客でね。少し、困った状況に陥ったらしくて、社長の側近から相談を受けたのだよ」

「っか、お前の人脈も凄ぇな」


 それだけ、ルン=シュオンの持つ情報は、価値の高い物なのだろう。


「相談、って?」


 ルン=シュオンが、スッと笑みを消す。


「……ここ数日の内に、オークションの主催者メンバーが、立て続けに何者かに殺害されているのさ」

「…………」


 途端に、薄ら寒い気配が背中を走る。


「そいつは、物騒な話だな。また、前の通り魔事件みないな感じか?」

「残念ながら、今回は無差別な事件では無く、ちゃんと狙って殺害されている」

「なんで、狙ったって、わかったの?」


 ロザリンが首を傾げる。


「殺される数日前に、脅迫状が届いていたのさ……受け取った人間は全員、例外なく殺されている……そして」


 言葉を一度区切り、


「先日、ラサラカンパニーの社長にも、脅迫状が届いたのさ」

「……騎士団や警備隊は?」

「前回の被害者が、相談済みだね。その時は騎士団が警護にあたったようだけど、まんまと出し抜かれたようだね……ルンが仕入れた情報だと、騎士団にも、被害が出たらしい」

「……マジかよ」


 アルトの顔が驚きに歪む。

 警護を出し抜いただけでも驚きなのに、被害者まで出るとは、その下手人は相当の手練れなのだろう。


「それだけの腕前だ。犯人の目星は、ついてんのか?」

「暗殺者ハウンド」


 あっさりと答えた名に、アルトは絶句した。

 聞き覚えの無いロザリンとカトレアが、疑問の視線をアルトに投げかける。


「おいおい、冗談だろ。伝説の暗殺者じゃねぇか」

「伝説の、暗殺者?」


 吐き捨てた言葉を、ロザリンが繰り返す。

 暗殺者ハウンド。

 一度でも戦場に出たことのある者なら、その名を聞いて恐怖しない人間はいない。

 曰く、闇夜に紛れ、敵の一部隊を全滅に追いやった。

 曰く、娼館で享楽に更ける傭兵達を、娼婦諸共皆殺しにした。

 曰く、寝室に忍び込み、首を狩った敵将の数は二桁におよぶ。

 シリウスのような存在が戦場の英雄なら、ハウンドは戦場の薄汚い部分を一手に引き受けた、闇の英雄と呼んでよいだろう。

 何分、実態が掴めていない存在故、噂に尾ひれはついているはず。

 だが、暗殺者ハウンドが戦場で多くの実力者を暗殺し、エンフィール王国の勝利に貢献したのは、紛れもない事実なのだ。


「戦後、ハウンドの名前は聞かなくなって、死んだかとッ捕まったってもっぱらの噂だったがな……偽物なんじゃないのか?」


 疑いの言葉に、ルン=シュオンも頷く。


「確証は薄いだろね。しかし、ハウンドを名乗る人物がいて、実際に被害が出ている。それも、本物ではと思えるほど、腕が立つ」


 確かに、ハウンドレベルの実力者なら、騎士団の精鋭を出し抜くことが可能だろう。

 しかし、それはこの仕事のリスクが、非常に高いことも意味する。

 乗り気じゃない表情を見せるアルトに、薄笑いを浮かべながら、ルン=シュオンは人差し指をスッと目の前に突き出す。


「ラサラカンパニーは新しい上に、規模自体は大きく無い。少数精鋭で会社を回しているらしい……社長は仕事には厳しいが、金払いは良いらしいよ?」

「報酬が期待できるってか?」

「野良犬君が目をかけている子の、就職先の相談にも、乗って貰えるやもしれない」

「……ふむ」


 アルトは暫し、考え込む。

 仕事としては便利屋は、やはり安定感が薄い。

 色々と手の広いラサラカンパニーの後ろ盾を得れば、もっと安定して働けるだろう。

 何だったら、そのまま就職してしまっても、構わない。


「ってか、何で俺はアイツの、身の振り方まで考えにゃならんのだ」

「どうする? 引き受けてくれるなら、今日中にでも話を通しておくけれど?」

「ん~、そうだなぁ」


 気の無い返事で、考えるよう視線を上に向ける。

 本音だけを述べれば、受けたくない。

 受けたくない、が、そんな我儘を言える状況で無いのは、重々承知している。

 やっぱり、シリウスの誘いに乗るべきだったか。

 後悔先に立たず。そんな言葉が身に染みる。

 今後の自由な野良犬生活を楽しむ為にも、ここは少しばかり危険を冒すのも、必要なのかもしれない。

 素直に受けるのも癪に障るので、わざと舌打ちを鳴らし、頬杖から顔を離す。


「報酬、本当に高値をつけてくれるんだろな?」

「それは、依頼を受けると解釈して、よろしいのかな?」


 アルトが頷くと、ルン=シュオンは大きく両腕を広げた。


「アフターケアとして、金額の交渉はルンの方からしておくよ。野良犬君では、安く値切られてしまうかもしれないからね」

「そりゃありがたい。んで、この後のことはどうするんだ?」

「事がことだからね。明日の昼にでも、野良犬君の家にラサラカンパニーからの迎えが来ると思う。後は、その人物の言葉に従ってくれ」


 そう言うと、用件が済んだとばかりに、伝票を手に取って立ち上がった。

 会計を受け取る為に近づきながら、カトレアが問いかける。


「ねぇ。その仕事って、定員はあるの?」

「人が多いのを好まない人だからね。あまり大人数は困る。が、社長も太陽祭やオークションを前に色々と多忙だかね。後、二、三人は大丈夫なんじゃないか?」


 椅子を軋ませ、アルトが顔を向けた。


「なんだよ。ついてくるつもりか?」


 代金を受け取り、カトレアが振り向くと竜でを腰に当てる。


「店が閉まるから、あたしも繋ぎの仕事が必要なの。言ったでしょ? アンタの邪魔はしないからさ」


 笑うカトレアに呼応するよう、横に座るロザリンも勢いよく右手を上げる。


「私も、当然、行く」

「……まぁ、そう言うだろうな」


 アルトは嘆息する。

 スイングドアを開きながら、ルン=シュオンは軽く此方を振り返る。


「お嬢さん方は、使用人として話を通しておくよ。報酬は落ちるが、その分、野良犬君の報酬が減ることは無いからね……では、またいずれ」


 言い残し、ルン=シュオンは店を後にした。

 相変わらず、不気味な眼帯女だと、アルトはジト目で見送った。

 ため息を付きつつ、また、頬杖をつく。

 暗殺者ハウンドに新進気鋭の会社ラサラカンパニー。

 場合によっては、騎士団も介入してくるやもしれない。

 キナ臭い話に、アルトはもう一度、大きく嘆息した。

 アルトの厄日は、まだまだ続きそうだ。





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