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第21話 乙女心、ゆらゆら






 シリウス・M・アーレン。

 エンフィール王国第四騎士団団長にして、先の戦争で活躍した三傑の一人。

 白銀の甲冑に身を包み、剣を振るう姿は、叙事詩に出てくる戦女神の如く。

 麗しき美貌と、高潔な精神、そして天に轟く武勇を誇り、騎士を志す少女達にとっては、憧れてやまない存在だろう。

 彼女こそまさに、現代に生きる英雄である。

 その英雄が、下町の食堂で、野良犬騎士を前にして、優雅にお茶を楽しんでいた。


「…………」

「…………」


 向かい合って一つのテーブルを囲む、アルトとシリウス。間に漂う雰囲気は、酷く重苦しい。

 シリウスは終始、無言のままゆったりとした動作で、お茶を口に運ぶ。

 対するアルトは、膝の上に手を置いて、まるで拷問を耐える囚人のように、ダラダラと脂汗を垂らして、身を縮こませていた。

 三十分ほど、ずっとこの状態だ。

 胃が痛くなる緊張感に、アルトは離れた席で様子を伺うシエロを睨みつけた。


(おいッ。なんでこいつが来てんだよ。逃げる間も無かったじゃねぇかッ)

(知らせようと思ったのに、話を聞かず出て行ってしまったのは、君じゃないか)

(そりゃそうだが、そこは親友として誤魔化すなりなんなりだな……)

(諦めなよ。この期に及んでは、もうそれしか無いと思うな)

(早々に見捨ててんじゃねぇッ!)


 などと、視線で会話を交わしていると。

 シリウスが飲み干した三杯目のお茶が注がれていたカップを、静かにテーブルに置いた。

 アルトの身体が、ビクッと震える。

 彼女の宝石のような瞳が、アルトを射抜いた。


「何年ぶりになるかしら」

「……は?」

「何年ぶりに、私達は再会したのかと、問うているのよ?」


 鋭利な言葉の刃が、更に緊張感を際立たせる。


「よ、四年ぶり、くらいじゃねぇか?」

「正確には四年と三十六日ぶりね」


 細かすぎるだろう。と、心の中で呟く。


「そ、それでお前。今日は何しに来やがったんだよ」

「友人を訪ねるのに、そんな深い理由が必要かしら?」

「隣近所に住んでるわけじゃねぇんだ。四年も立って今更会いに来たんだったら、それなりの理由があるって考えんのが、普通だろうが」


 そう言うと、シリウスはジッとこちらを見つめて黙り込む。

 これは不味い前兆だ。

 警戒心を強めていると、不意にシリウスは唇の端を吊り上げる。


「ふぅ~ん、へぇ~……今更、会いに来た、普通、ねぇ」


 意味ありげに、アルトの言葉を繰り返す。

 不気味な気配に、眉根を寄せてアルトは睨む。


「なんだよ、お前。言いたいことがあるんなら、ハッキリと言いやがれ気持ち悪ぃ」


 ピタッと、シリウスの顔が元の無表情に戻った。


「今更? 当然でしょう。私はついこの間まで、貴方は死んだとモノと聞かされていたのですから」

「死んだって、誰がんなこと言いやがったんだよ」

「シエロよ」

「……はぁ?」


 首を傾げて、シエロの方を見る。


(何で俺が死んだことになってんだよ?)

(何でって、君が言ったんじゃないか。シリウスに君のことを聞かれたら、死んだって答えろって)

(……あ~。言った、かもしれねぇな)


「人と会話をしている最中に、視線だけで内緒話をしないでくれるかしら?」


 シリウスが目を細め、睨んできたので顔をそちらの方に戻した。

 しかし、そういうことか。

 アルトは納得し、思い返す。

 彼女と最後に会ったのは、戦場でのこと。


 とある作戦でシリウスとは別行動を取っていたのだが、アルトとシエロの部隊は壊滅し、敗走してしまう。シエロを逃がすため、アルトが自ら殿を買って出たのだが、その時に「シリウスに会ったら、俺は死んだと伝えてくれ」的なことを言った覚えがある。

 思い返すと、随分としょっぱい台詞を吐いたモノだと、恥ずかしくなってくる。

 若かったのもあるが、何分状況的には絶体絶命。

 今考えても、生きているのが不思議なくらいだ。


 その後、騎士をやめたりして、何だかんだでシリウスと再会する機会は無かったのだが、あの時の約束を、シエロは律義にも守り、通り魔事件でアルトの存在が噂に出るまで、隠し通していたらしい。

 律義だとか、義理堅いとかの問題じゃなく、アイツは大馬鹿だ。

 そうアルトは結論付けたが、シリウスの言葉を聞いただけの女性二人は、コイツ最低だ、とでも言いたげな視線を、こちらに向けていた。

 男心のわからない小娘共め。口に出すと大変なので、心の中で毒づく。

 さて、問題はシリウスの方なのだが。


「はいはい、俺が悪かったよ。生きてました無事でした。これでいいだろ。帰れ帰れ」

「ちょっと! アンタ何よその態度!」


 あまりのも横柄な態度に、我慢しきれなくなったカトレアが、テーブルを叩いて立ち上がる。

 本気で怒っているトーンだが、アルトはジロッと睨む視線だけを向けた。


「人の気も知らんで、面倒臭いことになるから黙ってろ阿呆ッ!」

「はぁ!? 誰が阿呆よ誰がッ! 口が悪いのは知ってるけど、今日のアンタは悪質すぎるって言っての! ますはその人に謝りなさ……」

「貴女、落ち着きなさい」


 ヒートアップするカトレアを諌めたのは、クールな表情のシリウスだ。

 でも。と、不満げな表情をするカトレアに、露骨に迷惑そうな顔そした。


「これは私とアルトの問題よ。関係の無い部外者が口を挟む隙は欠片も無いわ」

「……なッ!?」


 逆に咎められ、カトレアの表情が固まる。

 アルトは、それ見たことかとため息を吐く。


「あ、あたしはただ、アルトに口の聞き方というモノを……」

「必要ないわ。この程度の会話、昔から日常茶飯事……それに」


 顔をカトレアに向け、シリウスは淡々とした喋り口調で断言した。


「アルトの駄目な部分を矯正するのは、この私の役目よ」


 ハッキリと言い切った。

 その瞬間、カトレアは確信する。


「……この女、敵かっ」


 額に青筋が浮かび、自然とカトレアの握る拳に力が籠る。

 カトレアとシリウス。

 女二人の視線に、バチバチと火花が飛んでいた。

 その姿を見て、アルトは大きく肩を竦めて、


「……ほぅら、面倒臭いことになった」


 と呟く。

 ちなみに、この状況に参加しそうなロザリンはというと。


「むぐむぐ……う?」


 テーブルの上の並べられた、料理に夢中だった。

 色気より食い気。

 世の中の人間が皆、同じ考えだったら、この場はもっと平和だったかもしれない。

 これ以上、面倒臭いことになる前に、話を進めよう。


「で? 結局お前は、何しに来たんだ。俺の顔を拝みに来ただけってわけじゃないんだろ?」

「当然ね」


 視線を戻し、シリウスは髪を掻き上げる。

 そして、真っ直ぐ目を見つめて、


「アルト。明日から騎士団に戻りなさい。面倒な手続きはほぼ終わっているから、貴方が首を縦に振れば、それだけで復帰できるよう手配してあるわ」


 一瞬の沈黙の後、アルトは勢いよく立ち上がった。


「ふざけんなテメェ! 何を勝手なことを言ってやがるっ!」


 怒気を込めて叫ぶが、シリウスは眉一つ動かさない。

 それどころか、アルトの怒りを無視して、つらつらと話を進めた。


「流石に長らく騎士の座から離れていたから、いきなり大きな役職に就くのは難しいわ。だから、当面は私の補佐として経験を積み、ゆくゆくは第四騎士団の副団長として、業務を支えてくれるのが望ましいわね」

「待て、ちよっと待て!」

「勿論、貴方が騎士団長を目指したいと言うなら、私もそれを応援するのもやぶさかでは無いわ。けれど、貴方は個人的な面では優秀だけれど、人の上に立つ立場の人間としては、正直問題が多いと思う。だから、そこの部分の教育も含めて、私の側にいるのが一番良いのでは無いかと提案するわ」


 言いたいことだけを早口で言い切り、無表情な顔に僅かながら、満足そうな色を浮かべた。

 アルトは頭を抱える。

 昔ながらの懐かしい、この人の意見を全く聞かない、強引な性格。

 出会った頃とはベクトルが逆だが、この強引さは相変わらずのようだ。

 こうなった上で、アルトが困るのを見越し、シエロは生きているのを黙っていたのかもしれない。

 そんなアルトの戸惑いも構わず、シリウスはドンドン話を進める。


「では、説明も終えたところでどうします? 私としては今日中に手続きをして貰えれば、明日すぐに業務に移れるのでありがたいのですけれど」

「……ハッ!?」


 あまりの状況に頭が着いて行かず、固まっていたカトレアがようやく意識を取り戻す。

 慌てて、二人のテーブルに駆け寄る。


「ちょ、ちょっと! 勝手なことを言わないでよッ!」


 と、シリウスの強引な行動を諌める。

 しかし、当のシリウスは、不思議そうに首を傾げた。


「は? 強引って、何がかしら?」

「全部よ全部! 何で本人に相談も無く、一方的に何でもかんでも決めちゃうのよ!? それが横暴じゃなくて、何だって言うの!?」


 もっともな言葉。アルトも同意するよう頷く。

 けれど、シリウスは困ったように、眉根を潜めた。


「アルトは騎士よ? 騎士が本来の役割に戻るだけのことに、何を目くじら立てているのかしら。私には理解不能だわ」


 本気で困惑するように、シリウスは言った。

 これにはカトレアも戸惑い、問いかけるよう視線をアルトに向ける。

 アルトは嘆息して、


「……こういう奴なんだよ」


 と、一言答え、テーブルに肩肘をついた。


「なぁ、シリウス」

「何かしら?」

「はっきり言っとくけど、俺ぁ騎士団に戻るつもりはねぇからな」


 言葉通り、ズバッと断言する。

 シリウスは表情を変えず、無言でアルトを見つめた。


「……そう」


 両目を瞑り、残念そうに呟いた。

 諦めたのだろうか。カトレアがホッと胸を撫で下ろすが、アルトは表情を緩めなかった。

 目を瞑ったまま、考え込むように少し上を見つめ、開くと再びアルトを見つめた。


「では、方向性を変えましょう」

「方向性?」


 アルトの疑問の声に、一回頷く。


「アルト。貴方今、お金に困っているわね……それも、金貨百枚の大金」

「――うぐぅ!?」

「その金額、私が払っても構わないわよ」

「――ちょッ!?」


 カトレアが驚く。


「騎士って、そんなに儲かるの!?」


 そこかよ。という無言のツッコミが、店のあっちこっちから飛ぶ。

 だが、シリウスは首を横に振る。


「流石にそれだけの大金は、一括では払えないわ。けれど、総団長に掛け合って、用意して貰うことは可能よ」

「なんだぁ、そんなこと? 騎士団の偉い人が、コイツ一人の為にそんな大金……」

「既に言質は取ってあるわ。アルトが騎士団に復帰することを条件に、金貨百枚を無期限無利子で貸し出すと」

「マジで?」

「一応、念書もあるわよ?」


 取り出した書類を見て、カトレアは完全に言葉を失った。

 その横で、アルトは呆れ顔をしていた。


「相変わらず、用意周到だよな、お前は」

「ありがとう。褒め言葉として受け取るわ」


 ニコリともせず言った。

 どいつもこいつも、自分に対して過大評価が過ぎると、アルトは辟易とした。

 が、金貨百枚という言葉に、心が全く揺れないわけでも無い。


「…………」


 何かを感じ取ったカトレアが、無言でこちらを睨みつけて来るが、あえてそれを無視する。


「さて、御理解頂けたかしら?」

「ぐっ、むっ……で、でも。本人の意思というか、何と言うか……」


 煮え切らない態度に、シリウスは嘆息する。


「そもそも、他人である貴女の意見を、私が考慮する理由は無いのだけれど?」

「た、他人じゃないわよッ。同じ店で働いてる、同僚なんだから……一応」

「同僚、ね」

「それに、コイツの部屋の掃除や洗濯は、今まであたしがやってきたんだから、少なくとも他人という枠には、区別されないはずよ……多分」


 そんなことさせてたの?

 シエロのそう言いたげに細める視線を、アルトは素知らぬ顔で無視した。

 軽く目を瞑り、シリウスは一度頷く。


「なるほど、理解したわ」

「わかってくれた? なんだ、意外と物分りが……」

「アルトの自堕落が加速化したのは、貴女の所為、というわけね」

「……良い、わけないか」


 口元をヒクッと反応させ、カトレアは表情に怒りを滲ませる。


「さっきからの態度、あたしに喧嘩売ってるようにしか、思えないんだけど?」

「私は事実を客観的に述べているだけに過ぎないわ。それに対して怒りを覚えるのなら、後ろ暗いことがあるのではなくて?」


 バチバチと火花を散らす二人。

 他の連中は、すっかり蚊帳の外だ。


「アルトはアンタのところなんか行かせない。ウチの用心棒を引き抜きたきゃ、ちゃんと筋を通しなさいッ」

「わからない人ね。少なくとも、ただのウェイトレスである貴女に、通すべき筋など無いわ。身勝手な我儘で、あまり私を困らせないで」

「どっちが身勝手よ!」

「勿論、貴女ね」


 ドンドン口調が荒くなっていくカトレアに、態度こそ一貫して冷静だが、言葉に棘が増していくシリウス。


「何も美味しい思いしてないのに、修羅場だけやってくるって、どんな厄日だよ」


 まさに一触即発の状況に、アルトは匙を投げだすように、椅子を軋ませ背もたれに体重を乗せた。

 カウンターの向こうでは、店の中で暴れ出さないで欲しいなぁと、切に願っているランドルフの姿がある。

 争いに巻き込まれないよう、いち早く引っ込んでいったのを考えると、薄情者と思えなくもない。


「……どうやら、引く気は無いようね。話し合いで解決出来ないって言うなら、方法は一つしか無いと思わない?」

「奇遇ですね。ちょうど私も、同じことを考えていました」


 そう言ってシリウスは立ち上がる。

 性格は正反対に見えるのに、行きつく結果は何故か同じだったようだ。

 これは誰の影響なのだろうと、その場にいた全員の視線が、アルトに向いていた。

 気がつけばテーブルの料理を、ほとんど一人で食べ尽くしていたロザリンは、今更ながら状況に気がついて、口元にソースをべったりつけながら「おおぅ」と、何時もの調子で驚いていた。


「しまった。出遅れた」


 呑気なひと言に、同じ卓を囲んでいたシエロは、思わず苦笑いを零した。




 晴天の空の下、二人の美女がかざはな亭の前で対峙する。

 陽光を浴びて輝く、金色のツインテールを靡かせ、カトレアはウォーミングアップをするよう、その場で軽くステップを踏む。

 対するシリウスは直立不動。

 準備運動もせず、両目を瞑り静かに時を待つ姿は、戦闘とは無縁の儚げな外見とは対照的に、近寄りがたい威圧感を漂わせていた。


 店の前には、アルト、ロザリン、シリウスの三人が見守っている。

 ランドルフは、ロザリンが食べ尽くした皿の片づけがあるので、表には出ていない。

 お昼時は過ぎたとはいえ、能天気通りの人通りはまだ多い。

 突然の状況に、隣近所まで表に出て何事かと様子を伺いに来るが、原因がアルト達だとわかると、なんだ何時ものことかと、逆に安心して戻って行ったり、何か面白いことが始まるのではと、期待感を滲ませる見物人まで現れる。

 カトレアはポキポキと拳を鳴らすと、不敵な笑みを浮かべシリウスを見据える。


「素手でいいのかしら、騎士様」

「今日は非番ですので必要ありません……それに」


 閉じていた両目を開き、冷静な顔立ちで真っ直ぐカトレアを射抜く。


「一般人相手に、多少のハンデは必要でしょう」

「……言うじゃない」


 格下に思われていることに、カトレアは顔に僅かな怒気を浮かべる。

 が、相手の実力がわからないほど、カトレアは神経が鈍く無い。

 対峙すればわかる。目の前の騎士、シリウスは、自分より圧倒的に強い。

 見ているアルトとシエロも当然、そのことはわかっているのだろう。神妙な表情をしながら、二人のことを見守っている。

 不意に、ロザリンが裾を引っ張ってアルトを呼ぶ。


「あの人、強い、の?」

「エンフィール王国で最強は誰かって聞かれたら、必ずアイツの名前が上がるだろうな」

「アルより、強い?」

「……さぁてな」


 少しだけ逡巡する。


「正々堂々一発勝負となると、俺より強いかもしれねぇな」

「何でも、アリなら」

「そりゃお前……勝負ってのは、時の運なんだよ」


 そう誤魔化すが、ロザリンは自分なりに納得したようだ。


「なるほどー」


 視線を二人に戻すと、いよいよ勝負を始めるのか、発する気配が濃厚になってきた。


「始める前に、勝敗の条件を確認してよろしいかしら」

「戦闘不能になるか、ギブアップしたら負け」

「単純明快ね。素晴らしと思うわ」


 女子の会話じゃねぇだろうと、アルトは心の中でツッコム。

 二人の間を取り巻く緊張感が、どんどん鋭さを帯びて行く。

 ゆっくり深呼吸してカトレアは、両拳を握り、構えた。


「さぁて、準備は完了よ……さぁ、天国に逝く資格は十分かしら?」

「……聞き捨てならない物言いね。いいわ」


 シリウスは右手を差し出し、手の平を上に向け、招くように指を動かす。


「遊んであげましょう。掛かってきなさい」


 瞬間、

 カトレアは迷わず地面を蹴った。

 一気に距離を縮め、射程距離に納めると、迷わず顔面に左のジャブを打つ。

 鋭く風を切る左ジャブ。

 しかし、差し出した右手の平に、あっさりと外側に払われた。

 素早く戻し、もう一度左、左、左。と、連続してジャブを放つ。

 矢のような左ジャブの連射。

 だが、シリウスは悉くそれを、飛んでくる虫を払うように、手の平で簡単に捌く。

 想定内だ。手を休めず、カトレアは冷静を保つ。

 左ジャブを速度は常に一定の速度を保ち、顎の下に添えた右拳にギュッと力を込める。

 放った左ジャブを内側に捌こうと手が触れた瞬間、その方向に左腕を押し込んだ。


「――むっ」


 左腕は捌けず、腕同士を交差したまま硬直。

 その隙を狙って、渾身を込めた右ストレートが飛ぶ。

 今まで攻撃を捌いていた腕は、交差したカトレアの左腕に封じられて使えない。

 後ろに回していた左腕が、ピクリと反応するが、


「――間に合わせないッ!」


 速度重視の一撃が、シリウスの顔面に炸裂する。

 しかし、顔を歪めたのは、カトレアの方だった。


「――痛ッ!?」


 拳から肘を抜けて痺れる衝撃。

 一撃は顔面を捉えたのでは無い、額で拳を受け止めたのだ。

 拳の先にあるシリウスは、表情一つ変えずこちらを見据える。

 動きを止めたら負ける。


「――ギッ!」


 奥歯を噛み締めて、痺れる激痛を押し殺す。

 感覚の薄い拳を、もう一度硬く握りしめて、額を左に滑らせるように動かした。

 そのまま腕を折り曲げ、肘でシリウスのこめかみを狙う。

 足を更に一歩踏み込んだ、超接近戦だ。

 この距離なら、多少、殴られたり頭突きを受けたりしても、根性で耐えられる。

 肉を斬らせて骨を断つ。

 格上の相手を倒すには、一か八かの賭けにでるしかない。

 肘がこめかみを触れる、その刹那を最後に、カトレアの意識はブツッと途切れた。




「……あ、あれ?」


 次に目を覚ますと、何故か青空を見上げていた。

 いや、見上げているのではなく、自分の身体が横になっているのだ。


「……ああ、そっか」


 意識がはっきりとして、まず最初に理解する。

 自分は、負けたのだと。

 苦い悔しさが胸の奥から沸きあがる。

 強いことはわかっていたし、勝てないかもしれないとは、思っていた。

 しかし、こうもアッサリ、しかもどうやって負けたのかもわからないほど、一瞬にして敗れ去った。

 それが惨めで、悔しくて堪らない。

 軽く鼻の奥がツンとしてきたところで、ふと、身体の違和感に気がつく。


「あ、あれ?」


 身体は横になってはいるが、背中は地面についていない。

 と言うか、上半身は軽く斜めになっていた。

 何の気なしに顔を左に向けると、凄く近い距離にあったアルトと、視線がばっちり合った。


「よう、気がついたか」

「――ッッッ!?」


 顔が一気に熱くなるのが、自分でもわかった。

 今更ながら理解する。カトレアは、倒れているところを、アルトに上半身を抱き起されていたのだ。


「あ、が、ぐっ、ごっ」


 顔を硬直させ、口をパクパク動かし無意味な言葉を羅列する。

 そして、ゴクリと喉を鳴らし、何とか冷静さを保った。


「こ、ここ、この状況を、説明しなさい」

「あん? なんだよ、覚えてねぇのか?」


 コクリと頷く。


「肘を打った瞬間、左腕を取られてお前、背中から投げ飛ばされたんだよ」

「……あー。なるほど」


 意識を失う瞬間、そういえば上下の感覚が逆転したような覚えがあった。


「えっと、どれくらい、気絶してた?」

「ほんの二、三分だな。落とされる瞬間、頭を浮かせてたから、身体の方の問題はねぇと思うけど、どうだ?」

「……平気。背中と、右の拳が少し痛むだけ」


 そう言って、カトレアはそのままの状態で周囲を見回す。

 心配そうな視線を向ける、近所の住人達と、ロザリンがいる。

 この状態で衆人環視に晒されるのは恥ずかしいが、まだ感覚が完全に戻らず、動けないので耐え忍ぶしかない。

 そして、シリウスの姿が無いことは、すぐに気がついた。


「アルト……あの、女騎士は?」

「ああ、帰った」

「――ハァ!? ……痛ッ! いてて……」


 反射的に起き上がろうとして、激痛が走りまた元の位置に戻る。


「おいおい。一応は、そこそこ勢いよく投げられたんだから、もう暫く大人しくしておけって。今、シエロに打ち身に利く薬用意させてっから。後、ランドルフがベッドの用意をしてるから、動けるようになったらそこに運ぶぞ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! ……なんで、あの娘、急に帰っちゃったのよ? あんなに、頑なで人の言葉なんか聞かなかったのに……」


 戸惑いを隠せないカトレアに、頬を掻きながらアルトが答える。


「戦うお前の姿に、何か感じることがあったんじゃねぇか?」

「そんな……あたし、あっさり負けちゃったのに……」

「そういう奴なんだよ。シリウスは」


 呟いて何処かを見るアルトの視線は、酷く優しげに思えた。

 キュッと、カトレアは唇を噛み締める。


「……追え」

「あん?」

「いいから、追えッ!」


 グイグイと突き放すよう、自分を抱えるアルトを押す。

 とはいえ、離せば地面に倒れる形になるので離れるわけにもいかず、困惑していると、ロザリンが近づいてきて、代わりにカトレアの背中を抱く。


「ここは、私が、見てるから」

「……そっか」


 頭を掻いて立ち上がると、シリウスが去ったであろう方向へ身体を向ける。


「あんま、無茶すんな。お前にゃ、養わなきゃなんねぇ、親兄弟がいんだろ?」

「……うん」


 それで言って、シリウスを追う為、走り出した。

 徐々に遠ざかる足音を聞きながら、カトレアは不機嫌そうに唇を尖らせる。

 子供のような拗ね方をする彼女を、ロザリンがよしよしと頭を撫でた。


「……アンタは、嫉妬しないの?」

「大丈夫。アルは、小さい娘が、好きだから」

「さよか」


 誰かのマネをして呟くと、ゆっくり両目を瞑った。

 お人好しと、心で呟く。

 それが誰のことを指すのかは、カトレアだけの秘密だ




 ★☆★☆★☆




 能天気通りを抜け、大河沿いの通りに出たところで、ようやく白い布に包まれた長物を抱えて歩く、シリウスの背中を見つけた。


「おい、シリウス!」


 呼びかけるが、彼女はずんずんと先に進んで行ってしまう。

 人通りも多くないし、聞こえてないはずが無いのだが。


「おいッ! 聞こえてるんだろシリウス!」


 もう一度、今度は更に大声で名前を呼ぶと、シリウスはピタリと足を止めた。

 クルリと振り向くと、不機嫌そうなジト目を向けてきた。


「あまり、大声で人の名前を呼ばないでくれるかしら」


 先ほどまでのクールな印象はどこへやら。

 シリウスは、機嫌の悪さを隠さず、アルトを睨み続ける。

 年齢は一つ下だが、カトレアやロザリンに比べれば年上だ。しかし、元が童顔で身長も低い所為か、 こういう風に感情をストレートに出すと、妙に子供じみて見えた。

 本人もそれがわかっているから、普段は冷静沈着を保とうとしているのだろう。

 アルトは横に並ぶと速度を落とし、二人で揃って歩き始める。


「何の用かしら」

「用があったのはお前の方だろが。アレだけ個性の強さをぶちまけといて、急にいなくなるから、連中、ビックリしてたぜ」

「そう」


 興味なさそうに答える。


「で? 実際どうした。何で勝ったのに、あっさり引いたんだよ」

「勝った方の主張が受け入れられるなんて、口にした覚えは無いわ」

「そりゃ、屁理屈だろ」


 更にシリウスの顔が、不機嫌さを増す。

 何がそんなに気に入らないのか。アルトは嘆息する。


「似てるわね、あの娘」

「誰にだよ」

「勿論、貴方に決まっているわ」


 歩きながら、後ろ髪を掻き上げる。


「随分と無茶な戦い方を教えたのね。あんな戦い方していたら、あの娘、その内死んでしまうわよ」

「俺が教えたわけじゃねぇよ」

「でも、確実に貴方の影響を受けているでしょ?」

「……むぅ」


 否定は出来なかった。

 彼女に徒手空拳の技術を教えた師匠は、別にいるのだが、アルトもたまに組手の練習に付き合うことがある。

 それに、カトレアが一番、目の当たりにしている戦闘方法は、アルトの戦い方だ。

 戦闘スタイルが似てくるのは、自然なことかもしれない。

 勿論、それだけが理由では無いと思うが。


「良い仲間に恵まれたようね」


 口調に棘がある。

 これは感想などでは無く、ただの嫌味だ。


「なんだよ。言いたいことがあるなら、ハッキリと言え」

「楽しそうでよかったわね」

「……お前、拗ねてんのか?」

「――ッ!?」


 立ち止まりこちらを振り向くと、思い切りアルトの頬を張った。

 小気味の良い音が響く。

 流石は戦女神の異名を持つ、シリウスの張り手。衝撃が頭蓋にまで響く。

 振り向いた時、一瞬だけ見せた怒りの形相は、もう見られず元の冷静な無表情に戻っていた。


「失礼。虫が止まっていたモノだから」

「そりゃ、どーも」


 左の頬を赤く腫らして、アルトは気の抜けた礼を述べた。

 無言のまま、二人は暫く足を進める。

 昔っからこんな感じ。シリウスとは、初めて会った時から上手く噛み合わない。

 出会った頃は、考え方が理解出来ず、お互いを許容できなかった。

 そして今は、距離が近すぎて余計なモノまで見えすぎるから、素直な言葉が選べない。


「……アルト。騎士団に戻る気は無いの?」

「ねぇよ」

「……そう」


 消沈したように、軽く俯いた。

 横目で見て、アルトは息を付く。


「俺なんか引っ張らなくても、頼りになる奴なんて、幾らでも転がってるだろ。お前だって、仲間が第四騎士団にいんだろ?」

「第四騎士団は皆、部下よ……仲間では無いわ」

「その言い方は、ちょいと薄情なんじゃないか?」

「では、言い方を変えましょう」


 立ち止まり、身体をアルトの方に向ける。

 アルトも、足を止めた。


「第四騎士団の皆は、大切な部下達よ……でも、我が盟友と呼ぶべき存在は、アルト、貴方とかつて戦場を共に戦った、あの部隊の人達だけよ」

「…………」


 それを持ち出されると、もうアルトに何も言う言葉は無かった。

 黙り込むアルトに、シリウスは寂しげに微笑んだ。


「……でも、貴方は同じ考えでは無かったようね」


 そう言って、彼女は再び歩き出した。


「シリ……」

「ここまでで良いわ。貴方は貴方の、いるべき場所に戻りなさい」


 振り向かずに言って、シリウスはそのまま船着き場の方へ向かった。

 その背中は寂しげで、アルトが追うのを拒絶しているように思えた。

 完全に拗ねた。頭を掻いて、アルトは大きく嘆息した。

 そして、


「――マリア!」


 と、彼女のミドルネームを呼んだ。

 立ち止まり、驚いた顔をして振り向く。


「別に難しく考え込む必要、ねぇだろう。誰が増えようが、居場所が違おうが、俺達の絆ってヤツは、今も昔も変わらんねぇはずだろ」


 自分で言ってて恥ずかしくなり、顔は自然と不機嫌になる。

 数回、瞬きをすると、シリウスは困り顔の笑みを零した。


「……そう、ね。確かに、貴方の言うことも一理あるわ」


 そう言ってまた、シリウスは正面を向く。


「紅茶とチーズケーキ」

「はぁ?」

「忘れたの? 私の好物……近い内に、また尋ねるから、ちゃんと用意しておきなさい。その時は、色よい返事を期待しているわ」

「なんだよ。まだ諦めてねぇのか」


 アルトは腕を組み、苦笑した。


「当然ね。私は欲張りなの」


 再び歩きだしながら、軽く手を上げた。


「では、また近い内に……困ったことがあったら、何時でも私を訪ねてきなさい。直ぐに会えるよう、手配しておくわ」

「だったら、金かしてくれよ。金貨百枚」


 振り向いて、ベッと舌を出す姿は、昔と全然変わっていなかった。

 そして、持っていた布きれに包まれた長物を、アルトに投げて寄越す。


「引っ越し祝いよ」

「おい、これって……」


 両手に持った長物は触った感触から、刀剣の類だとすぐにわかった。

 そして、その感触に覚えがあり、まさかと思いながら白い布を解くと、中から現れた一本の剣に、アルトは目を見開く。

 鍔も柄も無い、握る部分に布を巻いただけの、真っ白な剣。


「……お前が持ってたのかよ」

「ハル様から預かっていた竜翔白姫。ようやく、貴方に返すことが出来たわ」


 考え深げに見つめて、フッと笑みを零す。


「売れば、金貨百枚は余裕だな」

「売ってごらんなさい。騎士団が総出で、怒鳴り込みに来るわよ」

「ああ、そりゃ勘弁だな。しゃあねぇ、諦めるか」


 ジト目で微笑を浮かべると、そのままシリウスは進む道に足を向けた。

 背中を見送って、アルトも反対方向へと身を翻す。

 二度と交わることの無いと思っていた道が、再び交わった。

 人生とは難儀なモノだと思いつつ、不意に鳴った腹の音に、そっと手を添えた。

 昼飯を食いそびれたが、確かロザリンが全部食い尽くしていた気がする。

 やっぱり今日は厄日だと、アルトは歩きながら、ガックリと肩を落とした。





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