第20話 旧友、再会
今日も東街は良い天気。夏も近いことがあり、昼近くになると汗ばむ気温だ。
太陽祭も近い所為か、能天気通りだけでなく、王都全体が普段より賑々しい。
この独特の雰囲気は、祭りの前でないと味わえないだろう。
しかし、本日に限っては、別の興奮がアルトの胸を満たしていた。
アルトが見上げる先には、古びた二階建ての家屋が立っている。
頭取から提供された物件は、見た目こそ古臭く、耐久性に多少の不安を感じるが、改めてこれが自分の家だと言われると、マイホームに理想を抱いていたわけでは無いが、少しだけ誇らしい気分になった。
北街から戻って三日。
本来なら、エレンは連れ帰れなかったので、依頼は失敗扱い。
アルトとしても、男の矜持として物件の提供を断ろうと思っていたが、ウェインが「色々、お世話になったっすから」と頭を下げて、頼み込んできた。
ボコボコの面で頼まれたら、流石に断り切れずに、申し出を受け入れた。
そんなわけで、名義変更や諸々の契約を終え、ようやく今日、夢のマイホームに暮らせるとことなった。
今日はその引っ越し日だ。
「引っ越しっつったって、かざはな亭のすぐ隣なんだけどな」
顔を右に向けると、見慣れた店構えが視界に入る。
隣が空き家だったのは知っていたが、まさかそこに住むことになるとは。
その所為か、微妙に引っ越しとしての盛り上がりにかけていた。
家の外観を眺めながらそんなことを思っていると、一階の閉じられていた雨戸を開き、中から顔を出したカトレアが、怒ったような声を上げる。
「ちょっとアルト! 人に手伝いさせておいて、自分は何サボってんのよ!」
そう怒鳴るとまた家の中に戻り、玄関を開いて外に出て来た。
定期的に手入れはされていたようだが、何年も空き家だったので、本格的に住むのならちゃんと掃除が必要。
なので、荷物を運びこむ前に、早朝からせっせと清掃に勤しんでいたといいうわけだ。
本日はかざはな亭の定休日なので、カトレアもそのお手伝いをしてくれている。
服は私服だがエプロンに三角頭巾という、掃除用のフル装備と気合十分。
手に持っているモップの柄を、まるで槍のようにカツンと地面に打ち付け、堂々とサボるアルトを叱りつけた。
「荷物が届く前に、掃除を終わらせないと、通りに置きっぱなしになって通行人に迷惑かけるでしょ?」
「掃除ったって、大体終わったじゃねぇか。もう、アレくらいでいいだろうが」
面倒臭そうな口調で、アルトは手をひらひらと振る。
普段、掃除など殆どしないアルトにとって、朝から何時間もかけての清掃は重労働だ。
埃や蜘蛛の巣を全部取り除き、綺麗に拭き掃除までしたのだから、もう十分だろう。
しかし、家事の鬼であるカトレアは、その程度で妥協はしない。
「駄目よ。まだシミ抜きとか、押し入れのカビのチェックとか残ってるし、床もつや出しで、綺麗に磨かなくちゃならないんだから。それと、天井裏や床下のチェックもしたいんだから、やることはまだまだ山積みなのよ?」
「そこまでやってたら、日が暮れたって終わりゃしねぇだろ。そろそろ、ウェイン達も来るし、この辺でいいだろ。な?」
業者レベルの清掃を求められ、アルトはゲンナリと肩を落とす。
流石に張り切りすぎなので、落ち着くよう説得すると、カトレアは不満たらたらの様子を見せつつも「仕方ないわね」と、どうにか納得してくれた。
カトレアが三角頭巾を外し、額の汗をそれで拭っていると、家の方からトタトタと軽い足音を立てて、ロザリンが玄関から飛び出してくる。
夏を感じさせる日差しだというのに、ロザリンは黒いマントを羽織っていた。
季節感などありゃしない。
暑苦しいと思うが、アルトも年がら年中コートを着ているので、人のことは言えないだろう。
アルトの目の前まで来て一言。
「意外に、狭い」
「念願のマイホームを前に、随分な物言いだなぁおい。そりゃま、二人だけで住む家なんだから、あんま広くても掃除が大変だろ。カトレアが」
「……アンタ。あたしに毎回、掃除させる気? 別に、構わないけど……」
ジト目で睨むが、満更でも無い表情だ。
アルト達の新居は、見ての通り二階建て。
一階は玄関を入ってすぐが居間になっており、奥には小さな部屋が一つと、その隣に階段とトイレに続くドアが。そして階段を上がるとドアは無く、直接二階に出る。その二階丸々全部が、一つの部屋という作りだ。
台所などの水回りは無いが、食事は今まで通りかざはな亭に頼るので、さほど問題は無いだろう。
二人で住むには、十分な家だ。
すると、ロザリンが服の裾を引っ張る。
「アル、お願いが、ある」
「珍しいじゃねぇか。言ってみろよ」
「私、二階の、広い部屋がいい」
確かに同居するなら、部屋割りは重要だ。
実質、私室になるような部屋は、一階奥の小部屋と二階の部屋しか無い。
アルトとしては別に何処でもよいのだが、珍しくロザリンが頼み込んだことに、軽く興味を懐いた。
「そこがいいっつーなら、構わなねぇけど、何でまた広い方がいいんだ?」
「工房が、欲しい」
アルトとロザリンは顔を見合わせた。
工房とはつまり、魔女としての、一般的に言われる魔術工房のことだ。
魔術とは超常的な力では無く、学問の一種。
それを日々学び、極めようとするのが、魔術師の、そして魔女の本懐と言える。
ならば、一人前……かどうかは、アルトに判別はつかないが、魔女であるロザリンが、工房を欲しがるのは、ごく普通のことだろう。
かざはな亭の部屋で暮らしている時も、部屋の隅で細々と実験を行っていたし。
天楼で使ったアイテムも、その一つだ。
「でも、魔術の研究って、大掛かりな機材とかが、必要なんじゃなかったっけ?」
「錬金術関係なら、炉やら何やら色々必要だろうが、流石にそんなモン二階に置けねぇぞ」
「大丈夫。錬金術は、専門外だから、大きな物や、危ない物は必要、無い。でも、実験や研究とか、色々したいから、広い方が、都合が良いん、だけど……」
喋っている内に、無理を言っているのはでないかと感じたのか、言葉がどんどん尻つぼみになる。
アルトはフッと、笑みを零した。
「ま、いいんじゃねぇの」
「いいの?」
軽い答えに、ロザリンは瞳を輝かせた。
「まぁな。俺ぁ寝られりゃ何処だっていいし」
「ありが、とう。アル」
ペコリと、ロザリンは深々と頭を下げて感謝を示す。
こういう律義なところは相変わらずのようだ。
話は纏まり、三人の視線が自然と家の方に向く。
「しっかし、高い買い物よねぇ。金貨百枚だっけ? それだけあれば、もっと大きくて立派な家に住めるのに」
「うるせぇよ。家買う為に借金したみてぇな言い方するんじゃねぇ。これは、依頼の正当な報酬として貰ったんだ」
そう主張するが、カトレアの視線は冷たい。
「仕事しに行って、借金背負って帰って来る馬鹿が何言ってんのよ。全然、つり合いが取れてないじゃない」
「ぬぐぐ」
事実なだけに、言い返せず悔しげに歯噛みする。
そして一転、カトレアは心配そうな顔を向けた。
「本当に大丈夫なの? 事情は聞いたけど、一ヶ月以内に金貨百枚なんて、真っ当な方法じゃ絶対に無理よ?」
「ま、心配すんなよ。大丈夫だ」
至って冷静な態度に、逆に不信感を募らせる。
「信用できない。安請け合いするのは構わないけど、もし払えなかったら、アンタ北街のヤクザ者の仲間入りなのよ?」
よほど心配なのか、カトレアはしつこいくらいに念を押す。
こと、金銭面に関しては、悲しいほど信頼感が無いらしい。
しかし、アルトは余裕の表情だ。
「俺に考えがある。ちゃ~んと手は打ってあるから、大船に乗った気でいろよ」
「……本当に大丈夫かなぁ」
不審そうな視線を向けながらも、そうまで言うならと、これ以上追及するのを止めた。
アルトを見上げるロザリンの表情は、どこか意味ありげに見えた。
「――兄貴ぃ!」
能天気通りに木霊する聞き覚えのある声。
この街でアルトを兄貴と呼ぶ人間は一人しかおらず、声の方を向いてみると、人の往来に紛れて荷台を引く馬の姿が見えた。
先頭で馬を引いているのは、絆創膏だらけの顔をしたウェインだ。
側にはスーツを着たプリシアと、ギルドかたはねのメンバーらしい、屈強な男連中を三人ほど連れていた。
ちょうど家の前で、荷台を引く馬は足を止める。
嘶く馬の首筋を軽く撫でてから、ウェインは小走りでアルトの前へ。
「兄貴! 必要な家財道具、集めてきたっす」
「おう、ご苦労さん。悪いな、ウェイン。怪我も治り切ってねぇのに」
そう言うと、ウェインは笑顔を見せ鼻の下を指で撫でる。
「水臭いっすよ。オイラ、兄貴には大きな恩があるんす。これくらいじゃ、返した内にもはいりませんよ」
「お前も律義だねぇ」
多分な信頼に、アルトは苦笑い浮かべてから、男達に指示を出しているプリシアの方へ近づく。
「プリシアも、サンキュ。おかげで助かったぜ」
「に、兄様……」
声をかけられ振り向いたプリシアは、アルトの言葉に頬を両手で挟んで、照れるようにはにかんだ。
背後のギルドメンバー達は、「お嬢、ガンバ」と拳を握っている。
「兄様に喜んで頂けたんなら、それだけで私は嬉しいです」
モジモジと身を捩らせ、プリシアは視線を逸らし恥じらう。
それを見たカトレアは、ジト目でアルトを蔑んだ。
「本当にアンタ、年下には異様にモテるわよね。ロリコン」
「うるせぇよ」
身に覚えのない風評被害にうんざりとしてから、アルトは荷台の方に近づく。
荷台には古びたソファーや本棚、食器類にベッドなど、暮らしに最低限必要な家具が、山積みになっていた。
積まれた荷を見て、アルトは感嘆の声を上げる。
「こりゃまた、随分と集めたモンだ。よく、こんなに集められたな」
「能天気通りの方々が、協力してくれたんです。引っ越し祝いだって。全部、中古品ですけれどね」
プリシアの言葉にアルトは「ありがたいことだな」と、荷台に向けて拝むように、両手の平を合わせた。
荷台の荷物には、ロザリンも興味深々な様子で、チョロチョロと周囲を歩き回っている。
そんな中、カトレアがパンパンと両手を叩く。
「ほらほら。荷物が来たなら、さっさと片付けるわよ。プリシア、コイツらも使っちゃって大丈夫なの?」
カトレアが指差すのは、かたはねのギルドメンバー達。
プリシアはうんと頷く。
「お婆さ……ギルドマスターにも、許可を頂いてますから、好きに使っちゃってください。皆さんも、よろしくお願いしますね」
そう言って、プリシアがニコリと笑いかけると、ギルドメンバー達は綺麗に直立不動で整列して、「了解しました!」と勢いよく叫んだ。
流石、ギルドかたはね。調教……もとい、教育が行き届いている。
その声に周囲の人間が、何事かと振り向く。
荒くれ者のような外見の男達が、揃いも揃って小さな女の子の指示に従って、従順に動いているのだから、傍目から見なくても、かなり滑稽で異様な光景に映るだろう。
案の定、手伝いのウェインは、目を白黒させている。
しかし周囲の人々はというと、指示を出しているのがプリシアで、男達がかたはねのギルメンだとわかると、住人達はなぁんだと直ぐに納得して、日常生活に戻っていった。
能天気通りでは、さして珍しくもない、日常的な出来事だからだ。
男達の頬が薄ら赤らんでいたのは、あえてツッコまないようにしよう。
カトレアとロザリンが先導して家の中に入り、荷物を担いだ男達が、プリシアの指示の元その後に続く。
何時の時代も、どんな状況も、女性は逞しいと、アルトは常々思う。
残ったウェインは、馬と荷台を邪魔にならないよう端に寄せ、番をしている。
「おう。こっちに来て三日目だが、どうだ諸々の調子は?」
「はい。身体はまだあちこち痛いっすけど、頭取さんやギルドの皆さん、それに通りの人達も良くしてくれますから、何とかやっていけそうっす」
「そうか」
元気が様子に、アルトは口元を綻ばせる。
ウェインの怪我が、治り切って無いのはワザとだ。
何でも治癒魔術というモノは、人間に持つ自然治癒力を、強制的に高めることで傷を癒すらしいのだが、それは医者いらずの万能な術では無く、使用した反動で一時的に、体力や身体の抵抗力が低下するそうだ。
基礎体力の低い人間に、過剰な治癒魔術を施すと、怪我が治ってもその後で、病気にかかってしまう恐れがある。
更に成長途中の子供の場合、発育に悪影響を及ぼす可能性もあるとか。
そんな理由で、ウェインの治療は程ほどの状態に留め、後は自然に治るのを待つことにした。
ちなみに、アルトの怪我は緊急を要したのと、自然治癒とは関係ない秘薬を使用したので、翌日でも著しい体力の低下は見られなかった。
「それなのに、早々にお仕事とは、ガキの癖に勤勉だねぇ」
「兄貴にばっかり、苦労はかけさせられないっすから。それに、オイラには待っている人がいるし」
そう言って、視線を空に向ける。
今頃は同じように、エレンも天楼で頑張っているのだろう。
「それにしても、考えたな。何でも屋とは」
「へへっ……って、頭取の入れ知恵なんすけどね」
ウェインは苦笑しながら、後頭部を掻いた。
北街の人間が社会復帰できない大きな理由は、他の街で仕事が見つけられないからだ。
終戦直後の物資不足もあって、治安が悪化した煽りを受け、北街の評判はここ数年下降するばかり。
その所為もあって、北街の人間を雇用する場所は限りなく少ない。
お人好しを絵で描いたような能天気通りでも、例外では無く、差別的な風潮は根強く残っている。
決意を固めたとはいえ、働けないのでは頑張ることが出来ない。
そこで頭取が一計を案じる。
「超格安御用聞き大作戦か。地味で面倒クセェが、状況を打開するにゃ一番かもな」
アルトが口にしたその大作戦とは。
簡単に言えば、ご近所を一件ずつ回って御用聞きをし、何かあれば手伝うという方法。それも相場よりかなり安い値段設定で。
場合によっては、ただ働きも視野に入れている。
「この通りの連中は単純だからな。一度、懐に入って気に入られちまえば、後は北街の人間だろうが貴族だろうが、気にせず使ってくれるだろうさ。しかも個人営業だから、稼いだ分は全部懐に入る」
「はい。おかげで、短い期間で顔見知りの方も増えました」
この笑顔を見る限り、好感触を得ているのだろう。
頭取の考えは、見事的中したわけだ。
昔から街の治安向上の一環として、北街民の雇用について考えていた。
ウェインの働きで、北街民に対する偏見の目が少しでも薄まれば、彼らを雇おうとする人間が増え、それが街の治安向上に繋がるかもしれないと。
気弱なところもあるが、根性と愛嬌もあり、何より仕事に真面目な少年だ。
すぐに通りの人間にも受け入れられるだろう。
そんなことを考えていると、入口が開きプリシアが中から出て来た。
小走りに、アルトの前までくる。
「あの……兄様」
「ん? どうした」
眉根を潜めて、何やら言い辛そうにしているプリシア。
いつもハキハキとしている彼女にしては珍しく、アルトは首を傾げた。
「その、昨日、頼まれたことなんですけど……」
「ああっ! アレかっ!」
心当たりを思い出し、アルトはポンと手を叩いた。
「で、どうだった?」
「そ、そのぅ……」
喜色満面で詰め寄るアルトに対して、プリシアは表情を曇らせている。
「あ、あのぅ、私が言ったんじゃないですからね? お婆様が言った言葉を、原文のままお伝えします」
念を押すように言うと、プリシアが咳払いを一つして、キッと視線を吊り上げる。
「では……『依頼も結局失敗しているのに、金貨百枚なんて経費で落ちるわけ無いでしょ。自分で何とかなさい』……だそうです」
意外に似ている頭取の物まねをしたプリシアが、申し訳なさそうに肩を落とした。
固まっていたアルトは次の瞬間、大きく顎を落とす。
「……マヂデ?」
プリシアが気の毒そうに、コクンと頷いた。
「わ、私も個人的には何とかして差し上げたいのだけれど、ギルドのサブリーダーとしては、やはり経費で金貨百枚は……」
「兄貴、言えた義理じゃないっすけど、思いっ切り他力本願じゃないっすか」
二人の言葉も耳に届かず、アルトはヨロヨロと荷台にもたれ掛る。
昨日、引っ越しの準備をする際の話し合いで、プリシアと顔を合わせた時、金貨百枚を経費で落とせないかと、頭取に聞いておいてくれと頼んだ。
冒険者ギルドかたはねは、意外に稼いでいるので、何とかしてくれるだろうと甘い夢を懐いていたのだが、リアリストな頭取はそんなアルトの希望を、完膚無きまでに叩き割ってしまった。
常識的に考えれば、当然の結果だろう。
ただ、その常識的な考えに辿り着かないが故、アルトは金銭面に限り、驚くほど仲間内から信頼感が無い。
「あのあの! お金に困っているようでしたら、貯金箱に貯めたお小遣いがありますので、少しでも兄様のお役に立てるのなら、それを……」
「いや、いい……お前の優しが、心に染みる」
懸命な少女の申し出を、脱力気味に断った。
それを受け取ったら、本格的にダメ人間だ。
晴天の青空の下、新生活スタートの第一日目にして、アルトの人生に暗雲が立ち込めていた。
★☆★☆★☆
これだけの人数がいれば、作業は早い早い。
元々の荷物もほとんど無いので、プリシア達が持ってきた家具を、所定の位置に置くだけで一時間もせず、引っ越しは完了した。
朝からの作業も、ようやく一息ついたところだ。
プリシアとかたはねのギルドメンバー達は、馬と荷台を返す為に、ギルド本部へと戻って行った。
ウェインも次の仕事があるらしく、名残惜しそうな顔をしながらも、引っ越しが終わると早々に引き上げてしまう。
残ったのはカトレア、ロザリン、そして項垂れるアルトの三人。
居間に集まった三人は、朝からの掃除で疲れた身体を休ませる。
「やれやれ。本当は掃除がしたりないんだけど、これくらいでいいでしょ」
カトレアが居間をグルリと見回してから、木製の椅子に腰を下ろす。
ボロボロのテーブルを挟んで正面、大き目のゆったりとしたソファーに、アルトとロザリンが並んで座っていた。
「……お前、掃除専門のメイドとかになった方が、稼げんじゃねぇの?」
覇気の無い顔色をしている癖に、アルトはわざわざ余計な軽口を叩く。
カトレアは面倒臭そうに、唇を尖らせた。
「やーよ。仕事で掃除とかするの、あんま好きじゃないの」
と一刀両断。
「さよか」
そう言って、アルトはぐでんと、ソファーに身を沈ませた。
眺めるのはまだ見慣れない、我が家の居間。
面積的には狭い方なのだが、物が極端に少ない所為か、実際より広く思えた。
中央に大きな机があり、奥にソファー、手前に木製の椅子が二脚ある。
後は申し訳程度の食器や、裏の井戸から汲んだ水を溜めておく瓶が、部屋の隅に置いてあるだけ。
二人の部屋も最小限な物しか無く、簡素なモノだ。
それでもマイホームには違いなく、心なしかアルトも、普段よりリラックスした気持ちで過ごせている気がする。
ここならば、むやみやたら、ロザリンの子供パンツを目撃することも無いだろう。
それだけでも、十分に心が軽くなる。
不意に、ロザリンの腹の虫が鳴きだす。
「お腹、空いた」
「あ~、もうお昼時だもんね」
「飯ったって、金ねぇぞ。かざはな亭も休みだし」
ソファーに身を沈ませて言うと、カトレアは意味ありげに笑みを零す。
「ふっふー。そんなこともあろうかと、実は店長がアンタ達の為に、普段より豪華な昼食を作って待ってるのよ」
「――マジでかッ!?」
ガバッと身体を起こす。
ロザリンもキラキラと輝いた瞳で、じゅるりと涎を啜った。
「マジマジ。引っ越し祝いだってさ。時間もいい頃合いだし、隣に移動しましょ」
ウインクするカトレアの言葉に、二人は意気揚々と立ち上がる。
と、そこで不意に玄関がノックされた。
「……なんだよ、これから飯って時に」
出鼻を挫かれ、不機嫌な表情で玄関に近づき、ドアを開いた。
目の前に立っていたのは、見覚えのある爽やかな佇まいの青年。
第七特務騎士団の、シエロ・マティスだ。
「やぁ、アルト。久しぶりだね」
「お前、シエロじゃねぇか。どうした?」
驚きながら問うと、シエロは糸目の顔の困ったような色を浮かべる。
「どうしたって、酷いなぁ。引っ越ししたって聞いたから、お祝いに来てあげたんじゃないか」
「おお、そりゃわざわざ悪いな。俺ら、これから飯なんだけど……」
言いつつカトレアの方を振り向くと、人数が増えても大丈夫ならしく、彼女は指で丸を作る。
「お前はどうする?」
「それじゃ、僕もご一緒させて貰おうかな」
ニコリと笑う。
そして神妙な表情をして。
「その前にアルト。少し、話したいことがあるんだけど……」
「んだよ。改まっ……んんっ?」
シエロの態度に訝しげな顔をした瞬間、その背後に見えた光景に、アルトは目を細めた。
玄関の外は当然、能天気通りだ。
昼時で多くなる往来の中に交じり、何処か見覚えのある顔がチラリとこちらを覗いた。
「……アルト?」
「悪い、シエロ。話は後で聞くから、先にかざはな亭に行っててくれ」
それだけ言って、アルトは外へと飛び出して行った。
背後からは、カトレア達の戸惑う声が聞こえたが、それらを全部無視する。
通りに出たアルトは周囲を見回すこと無く、一直線に細い路地の方まで跳んでいくと、その隙間に身を潜めるよう、予想通りの人物が隠れていた。
姿を現したアルトを視界の収め、彼女はバツが悪そうに顔を逸らす。
アルトはため息と共に、頭を掻きながら近づく。
「怪我はもういいのか、フェイ」
「クッ……気安く名を呼ぶなっ」
フェイは小声で怒鳴ると、相変わらず敵愾心を剥きだしの態度を向ける。
そしてキョロキョロと周囲を見回すと、アルトの腕を掴む。
「……ちょっとこっちに来いっ」
「おいおい、何だってんだ」
強引に腕を引かれ、フェイは路地の奥、人気の無い場所までアルトを引っ張り込む。
周囲に人影な無いのを確認してから、フェイはふぅと息を付く。
「見かけによらず大胆だな。男を人気の無い場所に引っ張り込むなんて」
「ばばば馬鹿なことを言うなっ!?」
「冗談だっての」
予想通りの反応に、アルトは意地悪な笑みを返した。
からかわれたことに舌打ちをすると、フェイは不機嫌な表情で腕を組む。
「シド様……ボスに言われて来ただけだ。引っ越し祝いを渡せとな。で、なければ、誰が貴様なんぞにッ」
忌々しげに言う。
確かに、彼女は紙袋で包まれた酒瓶を持っていた。
何だろうと覗き込む前に、それを無理やりアルトに押し付ける。
「おお、悪いな。でも、だったら普通に家訪ねてくりゃいいのに。何で遠目からチラチラこっちを伺ってたんだよ」
偶然、気がつかなければ、こうして顔を合わせることは無かった。
質問するとフェイは困惑顔で「そ、それは」と口ごもる。
「い、一応、天楼と貴様は、金貨百枚を払うまで、敵対関係にあるからな……貴様と会っているところを見られて、妙な誤解をされたら、その、困る」
「なんだ。実は俺に惚れてるとかじゃないのか」
「そんなわけあるかぁ馬鹿っ!?」
台詞を食い気味に、フェイは裏返った声で叫んだ。
妙な地雷を踏んだ気がするので、これ以上は触れないことにして、アルトは「ふぅ~ん」と軽く受け流す。
それはそれで、フェイは寂しげな表情を見せるが。
「ま、感謝はしとくさ。爺に礼を言っといてくれ。後、金貨百枚は必ず払うから、首洗って待ってろとも」
「あいわかった。伝えておこう」
「それで俺ら、この後飯を食うんだけど……」
「話を聞いてなかったのか。そ、それに、何で私が貴様と、二人っきりで食事などを……」
「いや、俺らって、言ったんだけど」
よほど、地面に叩きつけられた時の、打ちどころが悪かったのだろうか。フェイのキャラが微妙に違う気がする。
真面目な人間ほど、一度吹っ切れると、色々と大変っぽいし。
勝手にそう結論付けて、アルトは酒瓶を持ち直す。
「ありがたく頂戴するぜ。んじゃ、俺は人を待たせてるからこれで……」
言って身を翻し立ち去ろうとすると、不意にフェイが呼び止める。
振り向くと、彼女は真剣な顔でこちらを見据えていた。
迷うよう視線を泳がせてから、意を決してフェイは口を開く。
「……もし、今後。ボルドと名乗る男に出会ったら、決して気を許すな」
「ボルド? 何者なんだ、そいつは」
問いかけには答えず、無言のまま今度はフェイが身を翻し、路地の奥へと消えて行った。
不可解な言葉に、アルトは首を傾げつつ、頬を掻く。
意味はよくわからないが、フェイがそこまで言うのなら、覚えておこう。
ボルドという名を心に留めて、アルトはシエロ達が待つかざはな亭に足を向けた。
★☆★☆★☆
スイングドアを開き、かざはな亭に足を踏み入れる。
美味い料理に美味い酒。今日くらいは金貨百枚のことは忘れて、素直に胃袋を満たそうと、わくわくしながら店内を訪れた。
「……あれ?」
美味そうな料理の匂いはする。美味い酒も、ちょうどフェイから手に入れた。
が、かざはな亭の雰囲気が、異様に重かった。
料理の乗ったテーブルを囲う、カトレア、ロザリン、ランドルフ達の視線が、一斉にアルトへと注がれる。
「な、なんだよお前ら」
睨むような視線に、アルトは戸惑う。
同じ卓に座るシエロも、苦笑いを浮かべて、細い糸目をアルトに向けた。
「やぁ。アルト、遅かったね」
いつも笑顔のシエロだが、その表情が微妙に固い。
訝しげな顔をしていると、それに気がついたシエロが、無言で奥の方を指差す。
全く何なんだと指を追って、視線を向けた瞬間、アルトがビキッと音を立てて凍りついた。
視線の先には、一人で卓に座り、優雅に紅茶を楽しむ美女の姿があった。
赤いドレスを纏った、真っ白い髪の女性。
端正な横顔は、見惚れるほどの魅力を存分に醸し出していた。
テーブルの横には、白い布で包まれた長物が立てかけてある。
今日は定休日ではという疑問は、この際、些細な問題に過ぎない。
彼女は手に持ったカップを静かに置くと、自然な動作でこちらを振り向いた。
射抜くような視線。
宝石のような瞳に見つめられ、アルトは蛇に睨まれた蛙のように、身を竦ませた。
たっぷりと見つめ合ってから、ようやく彼女の名前を搾り出す。
「シ、シリウス……」
「お久しぶりね、アルト」
凛とした声が響く。
錆びつくような動作で首を動かし、顔を向けると、シエロは謝るように両手を合わせていた。
金貨百枚でも頭が痛いのに、ここに来てシリウスの登場。
今日は厄日だと、アルトは思わず天を仰いた。