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第2話 かざはな亭へようこそ


 緑と大河の国、エンフィール王国。

 北方のアザム山脈と西方のアッサーラ丘陵。この二つの水源が元となって生まれる巨大な二つの大河が交差することで、国土に肥沃な大地を作り出している。

 穏やかな気候も相まって近隣諸国に比べ豊な風土を誇り、七年前の戦争では侵略の的となってしまったが、精強を誇る騎士団の活躍で勝利。戦火に荒らされた土地も復興がほぼ完了しており、戦前の平穏を取り戻しつつあった。

 そして交差する大河の中心にあるのが、王都クロスフィールだ。

 その名の通りクロスする大河によって、東西南北に四つの都市区画で分かれる特殊な町並みは、大陸でも類をみない珍しい作りをしているだろう。

 大河の交差地点は大きな湖になっており、王侯貴族たちが住まう宮殿が立つ島が存在している。


 クロスフィールの東街。

 庶民的な商店や居住区が集中していて、四つの都市区画の中ではもっとも人口が多く、王都に住まう庶民達の生活の中心と言ってよい場所だ。

 街を分ける大河の横は大通りになっていて、様々な商店が立ち並んでいる。

 今は昼時も過ぎているので人通りはまばらだが、休日ともなれば露天商や余所からの行商人で溢れ、活気あふれる大通り市として、多くの人々で賑わう風景を見ることができるだろう。


 大通りのちょうど真ん中にある路地を右に曲がると、長屋街と呼ばれる住宅地に続く、小さな通りに出る。そこは観光客や旅人が利用する小奇麗さとは違い、何処にでもある素朴な町並みで、地元住人達や懐具合に余裕のない人々が主な客層の、風情溢れる下町の光景が広がっていた。

 通称を『能天気通り』と呼ばれている。

 立ち並ぶ商店の一つ。白い花の看板が目を引く食堂兼宿屋『かざはな亭』。

 ランチタイムを終えて夕方まで、クローズになっているはずの店内で、女性店員の一人が厨房に立って料理を作っていた。


「ふんふふ~ん♪」


 鼻歌混じりに、ご機嫌な様子でフライパンを振るうのは、この店の看板娘カトレア。

 長い金髪をツインに束ねた十六歳ほどの美少女で、ツリ目が少し厳しい印象を与えるが、品の良い凛々しさは、見る者の目を奪うには十分すぎる魅力を持っているだろう。

 陽気な歌声に誘われるように、客席の掃除を終えた痩せ気味の中年男性が、ひょっこりとカウンター内の厨房に顔を覗かせる。

 モップを片手に、咥え煙草の冴えない男性は、かざはな亭の店長ランドルフだ。

 どこかやる気の見えない佇まいと、垣間見える頼りの無さを引きずって、ランドルフは紫煙を燻らせながら、無精髭の生えた顎をボリボリと掻き、やぁやぁと朗らかにカトレアの方へ歩み寄った。


「昼間っからそうだったけど、今日はまた随分とご機嫌じゃないか。なにかいいことでもあったのかい?」


 手を動かしたまま、ジト目の視線だけをランドルフに向ける。


「店長。厨房で煙草は止めてくださいって言ってるでしょ」

「あ~、こりゃ失敬」


 謝りながらも、全然煙草を消す様子のないランドルフに嘆息しながら、カトレアは火からフライパンを離すと、用意してあった皿に盛りつける。


「よっし、出来た」


 ほかほかと美味しそうな湯気の立ち上る、ソーセージのスクランブルエッグ。

 料理としては単純な一品だが、香辛料の香りが何とも食欲がそそるし、2、3人前はある量からすれば食事のメインとしては十分だろう。

 それに大麦パンとサラダ、豆のスープを添えれば豪勢な昼食の出来上がりだ。

 覗き込んでいたランドルフが、ゴクリと喉を鳴らす。


「ほぉ、こりゃ美味そうだが随分と大盛りだねぇ。なに、自分で食べるの?」

「んなわきゃないでしょ。ああ、勝手に使っちゃった材料の分は、後でちゃんと払いますから」


 話しながらも手際よく、汚れた厨房を綺麗に片づけている。


「カトレアくんにはいつもお世話になってるから別にいいけど……自分で食べないとなるとやっぱり……」


 ランドルフは指と視線を天井に向ける。

 途端、カトレアは上機嫌を一転させ、露骨に嫌そうな顔をした。


「……朝来たら、あたしのロッカーに張り紙がしてあったのよ。『ランチタイムが終わったら飯を頼む』って。なんであたしがアイツのおさんどんをしなくちゃならないのよ。馬鹿にしてるとしか思えないわ」

「ふぅ~ん。大変だねぇ」


 憤るカトレアとは対照的に、ランドルフは気の抜けた声と紫煙を口から吐き出した。

 愚痴と文句を垂れ流しつつも、手際よく丁寧に食事の準備を進める姿を見ていると、とてもじゃないが嫌々やっているようには見えない。

 そもそも、ランドルフが声を掛ける前までは傍目からも上機嫌な様子だった。


 カトレアという少女は、口が悪いところはあるが世話好きで面倒見が良く、人から頼られると嬉しくなってしまう、何とも損な性質を持っている。

 ましてや『上の住人』からの頼み。

 見た目とは裏腹に張り切っているのがわからないほど、ランドルフの目は節穴では無い。


(典型的、悪い男に引っかかるタイプなんだよねぇ……もう遅いかもしれないけど)


 心配しつつも、生温かい視線で見守ることにしよう。

 ランドルフの妙な視線に眉根を寄せながらも、カトレアは料理をトレイに乗せて「それじゃ、行ってきますね」と厨房を後にした。



 ★☆★☆★☆




 前述の通りかざはな亭は、食堂と宿屋を兼任している。

 基本的にメインは食堂、宿屋はおまけのようなモノで、部屋数も六つと少ない。

 観光客向けの綺麗な宿屋は、大河沿いの大通りに集中しているので、かざはな亭を宿として利用するのは、金の無い旅人や訳ありの人間ばかり。

 それでも部屋の作りは確りしていて、何よりも値段が安価なため、終始満員とはいかないが、常に一部屋二部屋は利用されている。

 部屋数は六つと言ったが、実際に客が利用できるのは五部屋しかない。

 その理由は、一番奥の角部屋に住み込んでいる人物がいるからだ。

 かざはな亭に寄生する、野良犬騎士の部屋。

 下の食堂に食事の準備をした後、カトレアはその部屋の前に立つ。


「……ごほん」


 と、咳払いを一つして、ノックもせず扉を開け放った。


「おらぁ! 人様にご飯の用意させておいてなぁにのんびり眠りこけて……るの、よ?」


 飛び込んでいったカトレアの勢いが急激に萎む。

 瞳を丸くしわなわなと唇を震わせ、扉を右手で派手に開いた格好で静止している。

 目の前に飛び込んできた光景に、脳の全機能が停止していた。


「……んあ?」


 ズボン一枚でベッドの上に眠りこける灰色髪の青年アルトが、物音に気がついて寝ぼけたまま首を上げて入口のカトレアの方を見る。

 そこまではいい。

 問題は、彼の横にいる見慣れない人物だ。

 アルトに寄り添うよう身体を丸めて眠る黒髪の少女は、開け放たれた入口から吹き込んでくる冷たい風に身を縮めた。

 シャツとショーツ一枚という扇情的な恰好ながらも、いやらしさを感じないのは少女の肌が陶器のように白く人形のようだから。いや、例えそう感じなかったとしても明らかに十代前半の少女が、下着姿で妙齢の青年とベッドを共にしている姿は、犯罪的以外の何物にも見えないだろう。


「…………」

「あ、アルト……?」


 薄く開いた瞳がカトレアを確認して、顔見知りだったことに安心したのか、上げた頭を落とし再び寝息を立てはじめた。

 ブチン。と、何かが切れる音が聞こえた気がした。

 幽鬼のような動きで背中に黒いオーラを纏いながら、暢気によだれを垂らして眠りこけるアルトの横に立つ。

 カトレアの発するオーラを無意識に察知してか、アルトは寝苦しそうに顔を顰めている。


「……死ね」

「……ん。……どわっ!?」


 顔面に向けて拳が振り下ろされた刹那、殺気に当てられて目を覚ましたアルトが、眼前に迫った拳に驚きながらも、条件反射で手を差し込み拳の一撃を辛うじて受け止めた。

 手の平と拳が衝突し、空気が潰される破裂音と共に衝撃が波状に広がって、部屋の窓をビリビリと震わせる。

 そこから続けざまに左手の拳を繰り出すが、それもアルトに受け止められてしまい、同じように広がる衝撃が今度はバチバチッと家鳴りを引き落とした。

 強烈な一撃。いや、この場合は二撃か。

 それによってすっかり目が覚めてしまったアルトは、冷や汗を流しながら怒鳴る。


「いきなり何しやがるッ、殺す気かッ!」

「殺す気よ! 無職のクセに人に食事の準備をさせて昼過ぎまで寝てるような穀潰しは、せめて楽に死ねることを感謝しなさい!」

「無茶苦茶言うな! テメェはいつから人様の寝込みを襲うような変態になったんだぁ。 俺ぁお前をそんな痴女に育てた覚えはねぇぞ!」

「だだだだ誰が変態痴女だ! アンタに育てられた覚えもなければ変態痴女でもないわ! だいたい、変態はアンタの方でしょ!」

「失敬な! 俺の性癖はノーマルだ!」

「知るか馬鹿ッ! そんなの、年端もいかない女の子をベッドに引き込んで言える台詞かッこっのロリコン!」

「いやいやいやいや違うから! 俺ぁそんな世界レベルの犯罪者じゃねーから!」

「犯罪者はみんなそう言うのよ。いいから死ね死ね死ねくたばれぇぇぇぇぇぇ!」

「いや待て! 貧血気味で力が出ないからマジで俺死んじゃうから! 潰されて変なモノでちゃうから!」


 なんとリズミカルな舌戦だろうか。

 ギシギシと力比べをするように、拳と手の平を合わせている二人。アルトの方はベッドに寝た状態なので、見ようによってはカトレアが寝込みを襲っているように見えなくはないが、部屋に響く骨の軋む音から全くムーディーな雰囲気はない。

 不毛な争いを納めたのは、ぐぅ~という気の抜けた腹の音。


「「ん?」」


 同時に視線を音の方に向けると、あれだけ騒がしかったのに、一向に目覚める気配のなかった黒髪の少女が、ムクッと起きだしてきて眠そうに目を擦りながら、


「……お腹、空いた」


 と、一言呟いた。

 暫しの沈黙の後、不思議そうに首を傾げる少女の様子に毒気が抜かれたようで、アルトとカトレアは視線を互いの顔に戻して「はぁ~」と同時にため息を吐きだした。


「……飯にすっか」

「……そうね」


 カトレアは疲れた様子で押し付けていた拳を下げて、圧力から解かれたアルトは上半身を起こして「やれやれ」と首をコキコキと鳴らした。


「ああ、それと」

「あん?」


 カトレアはにっこりと笑顔を見せた後、もう一度拳を振り上げていた。


「あたし、まだ許してないぞこの野郎♪」


 バキッ!

 完全に油断していたため、避けることも受け止めることも今度は出来なかった。

 事情を全く理解していない少女は、眠そうな瞳のまま、傾けていた首を反対の方向へと傾けた。



 ★☆★☆★☆



「……いただきます」


 両手を合わせてそう小さく呟くと、赤い瞳の少女ロザリンは、フォークを右手に持って目の前に並んだ食事を、どれから頂こうか一瞬だけ迷って、まずはサラダからと、乗っているトマトに先端を突き刺して口に運んだ。


「もぐもぐ……美味しい」


 表情は変わらないが、頬がほんのり赤く染まり、鼻の穴が広がる。

 酸味のあるトマトに食欲が刺激され、ロザリンは次々とリズミカルに料理を口へと運んでいく。

 何とも微笑ましい光景だが、テーブルに同席している二人のせいで少女の生み出す微笑ましさは半減以下にされていた。

 ちょうどロザリンを真ん中に、挟むようにして座る不機嫌な顔の男女。

 右の頬に軽度のアザを作って、頬杖を付いてブスッとしているアルトを、両腕を組んで二の腕を指先でトントンと叩き、苛立ちを露わにしながらカトレアが睨み付けてくる。

 アルトは頬杖をついたまま嘆息する。


「んないつまでも怖い顔してんなよ。事情は話しただろ?」

「聞きました。聞いたうえで怒り狂ってるのよ!」


 ダン!

 怒声と共に両手をテーブルに叩き付け、上に乗っていた食器が一斉に宙へと浮く。


「北側のモグリの酒場で飲んだくれたあげく、通り魔に殺されかけて魔女だって言うそこの娘の助けられたぁ?」


 一拍置いて、またドン! と勢いよくテーブルを叩く。


「ツッコミどころが多すぎて何処から怒っていいか分からないじゃない!」

「んじゃ、そのままずっとわからない方向で頼まぁ」


 火に油を注ぐような発言に「その態度がムカつくのよ!」と、今にもツインテールが逆立ちそうな勢いで、テーブルに三度目の衝撃が走る。ちなみにスープやコップの水などは、アルトとロザリンがタイミングよく手で持ち上げていたため零れずに済んでいた。


「まぁまぁカトレアくん、落ち着きなって」


 サンドイッチを持って厨房から現れたランドルフが、苦笑しながらカトレアを宥める。

 テーブルにサンドイッチを置いて、ランドルフは「どっこいせ」とおっさん臭い声を出しながらロザリンの反対側に座る。

 置かれたサンドイッチに、アルトが早速手を伸ばして齧り付くと、座り直しその姿を目にしたカトレアが「いただきますくらい言いなさいよね」と呆れ気味に呟いた。

 そして不機嫌な顔のまま、空いている皿にスクランブルエッグとサラダを取り分け、アルトの前へ乱暴に置いた。


「……せっかく作ったんだから、アンタも食いなさい」

「あいよ」


 短く言って手に持ったフォークで、スクランブルエッグをすくって口に運ぶ。


「ん、美味い」


 と、一言だけ。

 サンドイッチと交互に食べ続けるアルトの姿を、両腕を組んで変わらず不機嫌そうな表情で眺めているが、カトレアの結んだ唇は僅かに吊り上っていた。

 普段通り素直じゃない態度に、ランドルフは苦笑を漏らしながら視線をアルトに向けた。


「それで、アルト。真偽はともかく話はわかったんだけど、オジサンが気になるのはその娘。本当に魔女なの? 錬金術師の間違いじゃなくて?」

「ああ、間違いない」


 料理をパクつきながら頷く。

 ランドルフは半信半疑に、カトレアは疑っているのか眉間に皺を寄せている。


「魔女ってあの魔女でしょ。人里離れた場所ならともかく、こんな王都に何の用なのよ。それだったら宮廷魔導師とか、学術機関の魔術師って名乗られた方がまだ信じられるわ」

「俺だって話半分に思ってたさ。だが、魔術を使って自らを魔女と名乗る……これが魔女でなけりゃ何者なんだ」

「ここら界隈でたまに見かけるでしょ、ペテン師」


 皮肉交じりの言葉を、アルトは「ハッ!」と鼻で笑い飛ばした。


「ペテンで人様の大怪我を治せるかよ」

「うん。オジサンも確認したけど、確かにアルトの背中には治ったばかりの傷跡があったね」

「……むぅ」


 ランドルフの援護に、カトレアは二の句が継げない。

 もっともカトレア自身、部屋に置いてあった血まみれの衣服を見て片づけているので、少なくともアルトが大怪我をしたのは知っていた。

 それでも突っかからずにいられないのは、割り切れない乙女心とでも言うべきだろう。

 とりあえずは妙な誤解を受けずに済んだところで、アルトは黙々と食事を続けるロザリンに視線を移した。


「んで、お前。北側を真夜中に一人でほっつき歩いてたくらいだから、王都の人間じゃないだろ。何処から来た?」

「西の方。テトラヒル」


 食事の手は止めず、短く答えた。

 地理に疎いカトレアが「どこ?」と視線で問うと、気を利かせてランドルフが口を開く。


「アッサーラ丘陵の近くにあるへんぴな田舎町だね。あそこは深い森があるからなるほど、魔女がやってきてもまぁ不思議じゃないかもねぇ」


 茶化すような口調で、ランドルフは煙草の灰を灰皿に落とした。

 遠方というほどの距離ではないが、それでも子供が一人で旅してくるには遠すぎる。


「ここまでは連絡船を使ったの。それでお金を全部使っちゃったから……」


 エンフィール王国の特徴である大河は、国内を十字に走っているので、それを利用した連絡船での移動が、常套手段になっている。

 魔物や盗賊が出る可能性がある街道よりずっと安全で、船酔いさえなければ快適な旅路を送れる。

 勿論、その安全と快適さは、値段に反映されるわけなのだが。


「なるほどね。それで休める場所を探している内に、北側のスラムに迷い込んだってわけか」

「ん」


 コクリと頷いて肯定を示した。


「それで何をしに王都へ来たの? まさか、観光って訳じゃなさそうだし……」

「……それは」


 言い辛いことなのか、ロザリンは言葉と手を止めてしまう。


「言いたくなければ言わなくていいぞ。面倒事はごめんだ」

「ちょっとアルト!」


 キッと睨まれ、アルトは鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 さっきまでペテン師だ何だ言っていたのにこの変わりよう。年下のロザリンに対して、持ち前の面倒見の良さが沸きあがってきたらしい。

 カトレアは睨むのを止めると、向き直って優しい笑みを浮かべた。


「無理に聞き出そうとは思わないわ。言い辛いことがあるなら、それだけ省いて話してくれてもいい。興味本位じゃないと言ったらウソになっちゃうけど、それでも何か貴女の力になれればって思うことは、ウソじゃないから」

「………」


 無言で驚くように目を丸くしているロザリン。

 カトレアはクスッと笑みを零す。


「それが能天気通りの風潮、心意気って奴なの。外の人からしたらお人好しって思われるかもしれないけど、あたしが今ここに居るのも誰かさんのお人好しのおかげだし、あたしも能天気通りの人間だからね。要らないお節介も大きなお世話も、構わず押し付けちゃうの」


 おどけるような口調で、大袈裟に両手を横に広げた。

 どこからか聞こえた舌打ちに、ランドルフがニヤケ顔を噛み殺す。


「……ね?」


 もう一度真剣に、ロザリンへ優しく問いかける。

 真摯な態度に心を動かされて、話そうかどうか迷うようにロザリンは視線をさ迷わせた。

 店内に沈黙が流れる。

 兄弟が多いカトレアは、流石に年下の扱いは慣れているようで、ロザリンを急かさないように笑顔のまま、根気強く自ら口を開くのをジッと待っていた。

 アルトだけは、興味なさげに欠伸をしていたが。

 数分ほど迷い、やがて大きく息を吸い込むと、ポツリポツリと語り始めた。


「そんなに……大した話じゃない、の」


 あまり喋るのが得意では無いのだろう。ゆっくりとした口調で、時折つっかえたり言葉に詰まったりしながらも、ロザリンは懸命に小さな口を動かす。

 アルト、カトレア、ランドルフの三名はジッと耳を傾けた。




 テトラヒルの深い森の中で生まれたロザリンは、その地方ではそこそこ有名な魔女である祖母の元で育てられた。

 父親とは生まれた時に死別し、母親は魔女として隠れ住む生活に馴染めず、まだ赤ん坊であったロザリンを、祖母に預け森を出てそれ以来、今までずっと会ったことが無い。

 小さな頃は両親が居ないことに寂しさを覚えたけれど、優しく穏やかな祖母との生活は心地よく、時が立つにつれ寂しさは薄れていた。

 何よりも魔女としての生活がロザリンには合っていたようで、祖母の手ほどきを受けて様々な知識を得ることが楽しく、気がつけば魔術の研究に没頭する日々が何年も続いた。

 その頃には今のように、感情や表情が希薄になっており、両親のことで思い悩むことは無くなった。


 そして両親のことを忘れかけていたある日、祖母が突然他界した。

 原因、というほどの原因はない。寿命だったのだろう。

 寂しさはあったが、不思議と悲しみはさほどでも無かった。

 それは祖母が魔女と呼ぶには明るすぎる性格だったから。

 臨終の際も一人になってしまう孫の身を案じて、優しく頬を撫でてくれた祖母のことを思うと、塞ぎ込んでいる暇など無いと思えた。

 祖母の埋葬を終え、さてこれからどうしようかと思っていた時、一通の手紙が届いた。

 森の奥深くで隠れるように生活していても、日常品などは必要となる。なので月に何度かは、森の外にある村に買い出しに出たりする。そこに住む昔から祖母と懇意だった村人の一人が世話好きな人で、自分たちに届く数少ない郵便物を、わざわざ受け取って保管していてくれるのだ。

 その世話好きの村人が、深い森を通って自分の元に手紙を届けてくれた時は、何事かと思った。

 手紙の主はエリザベット。

 ロザリンの母親だった人物の名だ。

 中身は大した内容ではなかった。ただ、今まで手紙の一つも出さなかったことを詫びる内容と近況の報告、そして自分や祖母が壮健であるかを問う文章。どこか曖昧で他人行儀な文だったのは、何年も連絡を取らなかったため、距離感を計りかねていたのだろう。

 ほぼ初めてといってもいい母親の言葉を目にして、ロザリンは言いようのない感情に胸が締め付けられた。

 悲しみなのか、喜びなのか、怒りなのか、空しさなのか。

 母親と顔を合わせ、言葉を交わしたことのないロザリンに、その感情を理解する術は無かった。

 ならば、会いに行ってみよう。

 唐突に思い立つ。

 手紙をわざわざ出してきたのだから、少なくとも祖母の死去くらいは知らせるべきだろう。

 そう心の中では言い訳をしていたが、実際は祖母が居なくなった現実を、全く別のことで誤魔化したかったのかもしれない。

 母親に会えば、遠い昔に自分が忘れてしまった何かを取り戻せるかもしれない。

 そう思ってロザリンは、一人育った家と森を後にした。




 ロザリンが話終えると、店内に再び沈黙が戻った。

 いや、正確には話に感情移入しすぎたカトレアが、話の中盤辺りから早々に泣きだして今も鼻水を啜りながら嗚咽を漏らしている。

 涙もろいのは知っていたが、ここまでチョロいとは思わなかった。

 横目でアルトは嘆息する。


「つまり。お前は昔出て行った母親に会いに、この街までやってきたってわけか」


 会話が出来る状態じゃないカトレアに変わり、仕方なくアルトが要約する。


「うん。でも、手紙には、ここに住んでるって、書いてあるだけで、住所とかは書いてなかったから……」

「だから一日中、街をさ迷い歩いてたってわけか……ま、森育ちの世間知らずってことなら、北街にほいほいと迷いこんじまうのもしかたがねぇか」


 背もたれに体重をかけて椅子を軋ませる。


「話を聞く限り、名前以外に宛ては無さそうだがどうするつもりだ? 言っとくが虱潰しでどうにかなるほど、王都は狭くはねぇぞ」

「……それは」


 何か言い返そうとするが言葉が出ず、俯いて黙り込んでしまう。

 土地勘も手がかりも無い。おまけに物心つく前に別れたそうだから、顔を見て判別できるかも怪しいところだろう。

 ロザリン一人で母親を探すなんて不可能だ。

 それなら帰りの船賃どうするか考えた方がよっぽど建設的だと、アルトがそう口を開こうとした瞬間、今さっきまで嗚咽を漏らしていたカトレアが立ち上がり、ガシッと両手でロザリンの手を握り締めた。


「一緒に探しましょ!」

「……あ~」


 そう言うよねぇ。と、アルトは顔を手で覆った。

 驚いて目を白黒させているロザリンに、構わずズズッと顔を近づけた。


「手がかりなんか少なくっても、きっと何とかなるわ! だって家族だもの。家族の絆は不変。お母さんが貴女のことを大切に思っているなら必ず、二人は再会できるはずだわ。ええ、そうですとも!」

「あ、あ……あの、ありが、とう?」


 戸惑い気味に、ロザリンは首をカクカク上下させた。

 家族というワードは、カトレアにとってかなり大切なファクター。あんな話を聞けば熱くなるのは分かりきっていた。

 こうなってしまっては、周りが何を言っても簡単には止まらないだろう。

 助けを求めるような視線を向けられるが、アルトは両手でバッテンを作り『無理』と答える。


「それ善は急げよ、さっそく探しに行きま……!」

「待って待って待ってよ!」


 今にも駆け出して行きそうな看板娘を、ランドルフが慌てて静止する。


「何よ店長! あたしは家族の絆を結ぶという大切な!」

「そりゃわかったけどさぁ。僕の店も大変なんだよ知ってるでしょ? 今夜、団体さんの予約が入ってるから、カトレアくんが抜けちゃったら店が回らないよぉ!」

「う、ぐっ……そ、そうだったわね」


 ランドルフの懇願に、気勢が削がれていく。

 責任感の強いカトレア。

 労働に対して真摯な姿勢を示す彼女が、店に迷惑をかけるような行動を取るわけがない。カトレアにとって労働は家族を養うための大切な糧であり、人生における大切な役割だと思っているからだ。

 それでもロザリンを放って置けないらしく、どうしたらよいかと呻り出した。

 自分のことで困らせてしまっているのが心苦しかったのか、ロザリンは椅子から立ち上がると頭を深々と下げた。


「……ありが、とう。私のために、色々と考えてくれて」


 顔を上げたロザリンは、不器用な笑顔を作る。


「でも、私は一人で大丈夫。会ったばかりの皆に、これ以上、迷惑はかけられない。一晩の宿と、美味しいご飯を貰えただけで、もう十分、だよ?」

「……ロザリンちゃん」


 健気な言葉に、またジワッと目尻に涙が浮かぶ。

 また泣き出すかと思いきや、何かを思いついたのかポンと手を叩きこちらを振り返る。


「アルト。アンタが手伝いなさいよ」

「ですよねー。読めてたからその展開……ってふざけんな!」


 テーブルを叩いて立ち上がる。


「アンタ暇でしょ? 仕事もしてないし。そもそもアンタが拾ってきたんだから、アンタが責任持ちなさいよ」

「……どっちかというと、私が拾った方かも」

「ああ、じゃあ拾われた恩を返さないと」

「どっちでもいいわ!」


 怒鳴り声を張り上げるが、すでに頭の中では決定事項なのか、ロザリンに向かって「よかったねー」と笑顔を向けている。

 ロザリンもさっきみたいに遠慮してくれればいいのに、チラリチラリとこちらに向けてくる視線は満更でも無さそうだ。


「んじゃ決まりだね。ロザリンくんの面倒は、アルトが見るってことで」

「勝手に決めんな! アンタ、さっさと終わらせて夜の仕込みに取り掛かりたいだけだろう!」

「ん~なことないよぉ。ああ、カトレアくん。テーブル、ちゃっちゃと片付けてねー」

「はいは~い」

「あ、洗い物なら、私も手伝う」

「あらありがと。どこぞの役立たずとは大違いね~」


 そう言って二人は空いた食器を持ち、和気藹々と厨房の中に消えて行った。

 全く言い分を聞き入れて貰えず、強引に仕事を押し付けられたアルトは、力なく椅子に座り直しテーブルの上に突っ伏した。


「……最悪だ」

「ま、仕方がないんじゃない? まさか、二人っきりで行動させるわけにもいかんでしょう」

「……まぁな」


 頬をテーブルに押し付けて、顔を厨房の方へ向ける。

 厨房からは何やら楽しげな話し声が微かに聞こえてきた。


「あの様子を見る限り、知らねぇんだろうな。アイツ」

「カトレアくん、元は良いとこの箱入りお嬢様だからね。世間の醜聞が耳に入らないよう育てられていても、不思議はないさ」

「そのまま箱にしまっておいてくれりゃ、俺も面倒は無かったんだけどな」


 ククッと笑った後、ランドルフは真面目な表情で煙草に火を点ける。


「魔女狩り……最近は話こそ聞かなくなったが、気を付けるにこしたことは無いからね。特に北街の連中に嗅ぎつけられたら、面倒なことになる」


 舌打ちをして乱暴に頭を掻く。


「面倒くせぇな、まったく……でも、ま」


 両手をテーブルについて身体を起こした。


「受けた借りは、返さんといかんからな……それが、野良犬の野良犬なりの心意気ってヤツだろ」


 わざわざカトレアの言葉を引用しての皮肉に、ランドルフは紫煙を吐き出しながら苦笑を漏らした。





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