第19話 男の矜持
「どうやら、無事、言いたいことを全部吐き出したみたいだな」
後から追い付いて来て、目の前の光景を見て全てを察したアルトは、そう言いながらやれやれと、まだ違和感の残る右肩を揉み解す。
お互い涙でボロボロの顔をして、何やら話し込んでいる姿は、大人のアルトにはむず痒い。
周囲には何事かと事情の知らない住人達に交じり、ウェイン達を追ってきたであろう、天楼の構成員達も何故か遠巻きに、この光景を見ていた。
どういう状況だと、疑問に思っていると、見慣れた大男が目についた。
大男、シドもこちらに気がつき、悠然とした足取りで近づいてくる。
「よぉ兄ちゃん。ここに来たってこたぁ、フェイを負けたか」
「おうよ。強かったぜ。ま、俺にゃ及ばなかったがな」
軽口を叩くと、シドはジロジロと不躾な視線を這わせる。
「……大した怪我も無し、たぁ、驚いたぜ。ウチのエースだぞ? んな、簡単にあしらって貰っちゃ、天楼が舐められるじゃねぇか」
「俺が知るかよ、んなこと。それより、これからどうするつもりだ? 次は、アンタと戦えばいいのか?」
カチャッと腰の剣を鳴らすと、シドは大きく肩を竦めた。
「いや、それにゃおよばねぇよ。この件は儂の一存で手打ちだ」
「そりゃ急だな。どんな心変わりだ?」
「あの坊主の心意気に打たれた。じゃ、納得できねぇか?」
「できねぇな」
「だろうな」
顎に摩り、嘆息する。
「儂も鬼じゃあねぇ。ガキが男を見せたんだぁ、天楼の頭領として儂も相応の器ってのを見せねぇと、釣り合いが取れねぇだろが」
「釣り合いねぇ。北街ってのも、難儀なモンだ」
呆れるように、両手を頭の後ろに回した。
すると、シドは意味深な視線を向けてくる。
「何を他人事みたいに言ってんでい、兄ちゃん」
「……あん?」
不穏な言葉に眉根を寄せると、シドはニヤッと笑みだけを見せた。
そして、ウェイン達に顔を向けると、大声を張り上げる。
「おぉい! 小僧共、ちっとこっち来い!」
呼ばれたウェイン達は、声の主に気づいて驚きの表情を浮かべ、二人して大急ぎでやってくると、シドの目の前に跪くように座った。
「シ、シドさん……その」
「オメェさん方が殴り込みかけてきた件は手打ちになった。そんなに畏まる必要はねぇよ」
何かを言いかけるのに構わず、シドは状況だけを素早く説明する。
シドの言葉に呆気に取られた顔をした後、すぐに安堵の息を漏らした。
しかし、直後に表情を引き締める。
「あの、こんなことを言える立場では無いのは、重々承知の上で、お願い申し上げ……」
「ああ、そこの嬢ちゃんを嫁に貰いたいんだろ?」
「「――へっ!?」」
身も蓋も無い言い方に、二人は素っ頓狂な声を漏らす。
シドは顎を摩りながら、眉根を潜める。
「なんでぇ、違うのか?」
「い、いえ、違わないといいますか、いずれはと言いますか」
シドロモドロになっているウェインの横で、エレンが真っ赤な顔で小さくなっている。
その甘ったるい様子に、アルトはうへぇと舌を出す。
「じ、自分はまだ、奈落の杜の人間っす。だから、そこから足を洗って、真っ当な人間になってから、出直したいと思ってるんす。だから、それまでの間、エレンを他にやるのは待って貰えないでしょうかッ!」
たどたどしい部分はあるが、はっきりとした口調で、シドに向かい土下座をする。
そしてエレンもまた、同じような恰好で頭を下げた。
「私からもお願いします! お世話になっておきながら、勝手な言い草ですが、どうか、どうかお願いします!」
二人からの懇願に、シドはふむと顎を撫でる手を止める。
「エレンは、元は奈落の杜の人間で、ここに来たのは元々、本人の意思じゃあねぇ。だから、本人が戻りてぇっつって、奈落の杜の人間が迎えに来るなら、なぁんの問題もねぇ。元の状態に戻るだけだからな。けどよ……」
シドはその場に腰を落とし、視線をウェインに近づける。
ただでさえド迫力の顔が間近に迫り、ウェインの表情がより強張る。
「何の後ろ盾も持たねぇ、無関係な人間に引き渡すってーのは、ちっと筋道が違うとは思わねぇかい? そうなるとよ、儂らとしても条件を出さざるえねぇんだ。わかるなぁ?」
「じょ、条件って、な、なんすか?」
どんな無理難題を出されるのだろうかと、固唾を飲んでシドの言葉に耳を傾ける。
シドはその太い指を、二本立てた。
「条件は二つ。どっちかを飲むことが出来りゃ、オメェの言い分を聞き入れてやって構わねぇよ」
「その、条件って、何ですか?」
エレンが問う。
「一つ。期限内に金を納めろ。金額は金貨百枚」
「き、金貨百枚!?」
ウェインが驚いて身体を跳ね起こす。
驚くのも当然。金貨百枚もあれば、家族四人が一年間暮らせるだけの額だ。
北街の、それも今から奈落の杜を足抜けしようという少年に、払える金額では無い。
「そして二つめ」
視線を、青ざめるウェインから、難しい顔をして腕組みをするアルトに向けた。
「アルト。オメェ、天楼へ入れ」
「……はぁ?」
急に矛先を自分に向けられ、アルトは思い切り顔を顰めた。
すぐに意図を察し、険しい表情で睨み付けた。
「テメェ、それが本命か」
「おうよ兄ちゃん。儂はオメェが気に入った。天楼に来い、俺の右腕になれ。そうすりゃ、娘っ子の一人や二人、喜んでくれてやろうじゃねぇか」
「ふざけんな爺! 大体、テメェ去る者追わずって言ってやがっただろうが!」
柳眉を逆立てて詰め寄るが、シドはふてぶてしい表情で笑った。
「事情が変わった。儂はな、欲深いんでぇ。年とってもこの強欲さは治らねぇもんでな。だから、外道だ畜生だ罵られようと構わねぇ、テメェが首を縦に振らねぇってんなら、残念だがその娘っ子のことは諦めて貰うぜ?」
シドの言葉に、慌ててウェインが膝立ちになって抗議する。
「そんな! あ、兄貴は関係無いっすよ! これはオイラ達のもんだ……」
「砂利は黙ってろッ!」
厳しい口調で怒鳴られ、その迫力に負け言葉が続かなかった。
口を噤んだウェインに、今度は諭すような口調で語りかける。
「コイツはな、大人の話なんでぇ。汚い汚い大人のなぁ。儂はお前らを餌に、この大物を釣り上げようってんだ……オメェらの運命は、この兄ちゃんの考え一つ。坊主達が物頼む相手はなぁ、儂じゃなくって、この兄ちゃんよ」
シドは親指で、アルトを指差した。
ウェインの視線が、シドとアルト、両方を行き来して、苦しいのを堪えるよう、下を向いてしまう。
「だ、駄目っすよ……ただでさえ、迷惑かけてんのに、これ以上兄貴に迷惑かけられねぇっす!」
下を向いて、搾り出すように言う。
エレンも似たような考えなのだろう。辛そうな表情で、ギュッとウェインに寄り添っていた。
その光景に、アルトは表情を歪める。
「……チッ。馬鹿野郎がッ!」
小声で呟き、不敵に笑うシドを睨んだ。
この男は十中八九、アルトが頷くと踏んでいる。
そんなお人好しだと思われているのは、ロリコン扱いされるのと同じくらい不本意なことだ。
かといって、見捨てるのも後味が悪い。
面倒臭いことになった。
こりゃ、どうしたモノかと、アルトが頭を掻き毟っているところ、正面にヌッと見慣れた後頭部が突き出してきた。
「って、ロザリンじゃねぇか。今までどこ行ってたんだよ」
「ん。お花摘み」
「ああ、べんじょ……ぐはっ!?」
言いかけて、ロザリンが放った肘鉄が鳩尾に突き刺さる。
ジト目でアルトを一瞥した後、正面のシドをキッと睨んだ。
「駄目。アルトは、渡さない」
両手を広げ、キッパリとした口調で言う。
「おいおい。するってぇと、オメェらの依頼人を見捨てるってのか?」
「見捨てない。金貨百枚を、払う。アルが」
ロザリンの一言に、皆の視線が一斉にアルトに集まった。
当のアルトは、
「えっ、マジ?」
と、戸惑っていた。
ロザリンは振り向き、ぷんすかと頬を膨らませ、怒った様子でアルトに訴えかける。
「アル。この人、今、アルのこと、甘く見たんだよ? 絶対、金貨百枚なんて、払えっこ無いって。悔しく、無いの?」
「……そりゃ、挑発のつもりか?」
そう言って煽れば、怒って乗ってくるとでも思っているのだろうか。
いや、頭の良いロザリンが、そんな単純な考えなわけが無い。
だとすれば、考えられることは一つ。
「いいぜ、乗ってやろうじねぇか」
ニヤリと笑って、ロザリンの頭を撫でる。
何も難しいことを考える必要は無い。
野良犬騎士は野良犬騎士らしく、普段通り、目の前の理不尽を全部ぶった斬って、自由気ままに生きればいい。
大きく息を吸い込み、そして吐いた。
「売られた喧嘩は、買わにゃならんよな……上等だこの野郎。金貨百枚、この俺がキッチリテメェの面に揃えて見せようじゃねぇか」
真っ直ぐシドを見据え、アルトはそう大見得を切った。
まさかの決断に、誰もが驚きの表情をする。
その中でもウェインは、大きく両目を開き慌てた様子だ。
「あ、兄貴でもそれはッ!?」
「うるせぇな、ゴチャゴチャ抜かすなッ! 気にいらねぇなら後で俺に金貨百枚払えばいいだろがッ……二人で働いて稼いでよ」
ぶっきら棒な口調で、振り返らず後ろの二人に告げた。
そしてシドはというと、驚いた顔を破顔させて大笑い。
「馬鹿も大馬鹿になりゃ清々しいモンよ。いいじゃねぇか、やってみろよ。期限は今から約一ヶ月後、太陽祭が始まるまでだ。それまでの間に、耳揃えて儂んとこ持って来い。分割なんか受け付けねぇからな」
思ったより短い期限を提示されるが、ここで文句を言うわけのもいかず、渋い顔で「お、おう」とだけ頷いた。
少し戸惑ったのは、やっぱり無理かもと、ちょっぴりだけ横切ったからだ。
「さて、そろそろ話も切り上げねぇとな。手打ちになったとは言え、オメェらは天楼に喧嘩吹っ掛けた身だ。特に兄ちゃんの方が、さんざ暴れて色んなモンぶっ壊したみてぇだからな。他の幹部連中がブチ切れて襲ってきても、儂は助けねぇぞ」
そう言われて改めて周囲を見てみると、回りの気配は妙に剣呑なモノになっていた。
それほど広く無い場所故に、アルト達が入口の門を斬り裂いて、大暴れしたことが伝わっているのだろう。
このまま留まれば、袋叩きの目に遭うやもしれない。
「こりゃ、さっさと退散しねぇとやべぇな。おい、行くぞ」
「ん」
二人に声を掛けると、ロザリンは素直に頷く。
ウェインは名残惜しそうにエレンの顔を見るが、彼女は一瞬だけ寂しそうな顔をして「いってらっしゃい」と笑顔で彼を送り出す。
「……ああ。絶対に、迎えに行くから」
もう一度、そう言うと、先に走って行ったアルト達を追って、ウェインも走り出す。
途中、何度も振り返り、エレンに向けて大きく手を振りながら。
その光景を、少し離れた場所でフェイとラヴィアンローズが見送っていた。
全身傷だらけ、満身創痍のフェイは、いわゆるお姫様抱っこの形で、ラヴィアンローズの腕の中にいる。
動けないので、仕方なしのその態勢を許容しているが、表情は屈辱を噛み締めるよう、硬く強張っていた。
そんな恥辱に震える姿を腕に抱いて、ラヴィアンローズは愉悦混じりに見下ろした。
「素敵ねその姿、なんて嗜虐心を刺激する表情なのかしら。生まれ持ってのドMね」
「くらだないことを言うなッ。動けさえすれば、誰が貴様なんぞの手を借りるかッ」
ダメージの所為もあってか、怒る声にも迫力が足りない。
「全く、こんな時でも素直じゃありませんのね」
嘆息するラヴィアンローズの表情は、普段より優しげに見えた。
フェイを真っ先に瓦礫の中から引っ張りだしたのは、何処で見ていたのかこのラヴィアンローズだ。 アルトが声をかけた人間より早く、フェイを助け出してくれたことに、余計なことをを言いつつも、内心で感謝をしていた。
不満げな顔で、フェイはふんと顔を背ける。
視線は、アルト達が去って行った方向だ。
性格も、態度も、考え方も、何もかも気に入らない男。
誰にも負けないよう、鍛錬を重ねてきた自分の努力を、その意地を、あっさりとあの男はへし折っていってしまった。
気に入らない、全く気に入らない。
しかし、不思議と怒りは沸かずに、妙な胸のイライラだけが残った。
刺すような胸の苛立ちの意味が知りたくて、フェイの視線は自然とアルトの姿を追っていた。
「……ふん。次は私が勝つさ」
口の中で、そう呟く。
その視線と呟きに、目敏く気がついたラヴィアンローズは、ニヤニヤを笑みを浮かべて、フェイの顔を覗き込んだ。
「何か言ったかしら?」
「別に、何でも無い」
不機嫌な口調に、ラヴィランローズの唇がニタァと歪む。
「……惚れたのかしら?」
「――ッ!? んなわけあるかッ、馬鹿者がッ!」
「でも駄目よ。わたくしが先にツバつけたんですから」
「だから、違うと言うとろうにッ! だいたい……」
激昂したフェイは、バッと周囲に向けて手を振る。
「何で怪我人を連れて屋根の上に昇ってるんだッ! おかしいだろッ!」
「それはこの方がアルト達を遠くまで見送れるからですわッ!」
「胸を張って言うことじゃ無いだろうッ!」
ギャーギャーと、屋根の上で騒ぎ立てる二人組。
彼女達が下にいる住人達の、痛々しいモノをみるかのような視線に気がつくのは、それから数分後のことである。
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こうして、天楼での騒動は一先ずの終息となった。
結果だけ見れば、エレンは連れて帰れなかったのだから、依頼は失敗となる。
けれど、道筋は建てられので、無駄な行動では無かっただろう。
しかし、ウェインの苦難が終わったわけでは無い。
ある意味で一番の苦難。
命の危険すらもあるそれに、ウェインは天楼から戻ってすぐに、直面しなければならなかった。
ウェインは硬い床の上に、額を擦り付けるようにして土下座する。
この二日で、もう何度も繰り返してきた行為だけに、その姿は随分と様になっていた。
土下座する先にいるのは、奈落の杜の頭領であるハイドだ。
彼は椅子の上に浅く座り、軽く寝そべるような形で足を組み、土下座するウェインを見下ろしていた。
ここは、ハイドと食事を共にした食堂だ。
天楼から戻った時、ちょうど店の前でハイドは部下を引き連れて立っていた。
偶然。と彼は言ったが、確実に待ち構えていたのだろう。
店内には部下であるオールバックの中年と、浅黒い肌の太った男が、店の一番奥に座るハイドの後ろに立っている。
アルト達は、カウンター席に座り、ことの様子を見守っていた。
事前にウェインから、ここは自分一人で話を付けたいと頼まれているのだ。
土下座する姿に、ハイドはふぅと鼻から息を抜く。
「済まないな……もう一度、言って貰えるかい?」
「オイラをとエレンを、奈落の杜から足抜けさせてくださいッ!」
もう一度、同じ台詞を大きな声で、ハッキリと叫ぶ。
「……ふ~ん」
首をグルリと回し、組んだ足を上げると、そのままウェインの後頭部を踏みつけた。
強く踏みつけられた為、額が床によりめり込んでギシッと音を立てる。
「――ッ!?」
ロザリンが立ち上がろうとするのを、アルトが腕を掴んで静止する。
グリグリと足で踏みつけながら、ハイドは何事も無かったかのように話を続ける。
「ウェインく~ん。もう一度、聞こうか……誰が、何だって?」
「……オイラとエレンを、奈落も森から、足抜けさせて下さいッ」
三度、同じ台詞を言った瞬間、後ろにいたオールバックの中年が、机を思い切り蹴り上げると、ウェインの近くまで来て胸倉を掴み、無理やり引き起こす。
「おう、コラ。今まで誰に面倒見て貰った……」
「まぁ、待てジェド」
ハイドに止められ、ジェドと呼ばれた中年は、舌打ちをしながら、掴み上げたウェインの身体を床に下す。
急に胸倉を掴み上げられたウェインは、苦しげな表情で何度か咳き込んだ。
「あ~っと、抜けたいのか?」
「は、はい……抜けたいっす」
「どうしてだ? ここ抜けて、天楼にいる愛しの彼女のところに行くか?」
「いえ……北街を出て、真っ当な暮らしをして、エレンを迎えに行きます」
その一言に唖然とした顔をすると、奈落の杜の面々は大爆笑した。
「おいおい。ジェドの旦那。このガキは、なんつージョークをかましやがるんだよ」
「確かに、笑えるなぁロミオ。不愉快なくらい、笑えるぜぇ、オイッ!」
ジェフリーがそう怒鳴ると、ウェインの髪の毛を掴み、腹に膝蹴りを叩き込んだ。
息が詰まるような衝撃に苦悶の表情を浮かべ、その場に蹲ってしまう。
けれど、それを許さないジェフリーが、鬼のような形相で蹲るウェインの髪の毛を再び掴み、無理やり引き起こそうとする。
「おら、立てッ! 寝ぼけたこと抜かしやがってこのクソガキッ。少しは痛い目をみなきゃ、飼い主もわからないみたいだなぁ」
ジェドが拳を振り上げた瞬間、アルトがカウンターを殴りつける音が、衝撃となって店全体を震わせる。
雷が落ちたかのような轟音に、店内が一瞬、静寂が宿る。
見ると、アルトが殴ったカウンターは、その部分が陥没していた。
奈落の杜の面々から視線が集まり、アルトは一同をギロッと睨み付けた。
その迫力に、強面のジェドも気圧された様子で、額から汗を一筋垂らす。
暫く続いた沈黙は、ハイドの長いため息によって破られた。
「……いいぜ、足抜け。認めてやるよ」
「――ボスッ!?」
「ただし! ……あんま簡単に抜けたと思われちゃ困るから、死なない程度に制裁を加えておけ……これで文句は無いよな、兄弟」
問いかけられて、アルトはフンと鼻を鳴らした。
そして不満げな顔をしながらも、ウェインを引きずって制裁を加えるため、外に出ようとしている二人を睨む。
「オイ、テメェら……そのガキが死んだり、後遺症が残るような怪我させたら、俺がテメェらをぶっ殺す……わかってんだろうな?」
本職の人間が聞いても、ゾクリとするようなドスの利いた声色に、二人は舌打ちを鳴らし「わかっているッ!」と強がりを残して、外へと出て行った。
横を見ると、ロザリンが心配そうな表情で見上げてきたので、デコピンを一発かましておく。
ハイドはやれやれと立ち上がり、アルトの方へ近づいてきた。
「悪く思うなよ兄弟。これもケジメってヤツさ。これぐらいのパフォーマンスはしないと、回りの幹部連中がうるさくてね」
「ふん。ボンクラ三代目の出来が悪い証拠だな」
「ちげぇねぇ」
アルトの嫌味に対して、横に座りながらハイドは苦笑いをした。
「んで? どうだった?」
「なにがだよ」
「感想だよ感想。シドの野郎に会ったんだろ?」
グラスを二つ店主に持ってこさせると、自分の席から持ってきたワインをそれに注ぎ、一つをアルトの前に差し出した。
「俺はガキを苛めに来たんじゃなくて、それが聞きたくて、ここで待ってたんだぜ?」
差し出されたワインを口に含んで、一言だけ。
「お前と真逆の男だった」
とだけ答えた。
ハイドはグラスを傾け、その言葉に笑いを噛み殺す。
「そりゃ正解だ。俺とオヤッさんじゃ、根本的に考え方が違いすぎる」
「爺共は、アンタらとやりあうつもりだぞ」
「らしいな」
他人事のように言って、ハイドはワインを煽る。
「オヤッさんは俺と違って、ロマンティストだからな。許せないのさ、北街がこんな有様に成っちまったことが、四十年立った今でも……そして、そんな瓦礫の上に築いた奈落の杜って場所を、本心じゃ認めたくないのさ」
「だから潰すって?」
ハイドは答えず、グッとワインを一気に飲み干す。
「俺は明日を見ていて、オヤッさんは昨日を見ている。考え方が違うんなら、潰し合うしか無いのさ、この街じゃあな」
そう言うと、ハイドはグラスを置いてカウンター席から立ち上がる。
そのまま出口の方へ向かう背中を、アルトは「おい」と呼び止めた。
「ウェインは足抜けの制裁を受けたが、エレンのことはまた別じゃねぇのか?」
どちらの所属か、正式に交わされた契約書があるわけでは無い。
ここで身請け金を寄越せと、奈落の杜に言われたところで、それがどんなに理不尽なことでも、首を縦に振らなければ今後、奈落の杜と対立することになるだろう。
「……兄弟、オヤッさんに金貨百枚払うんだって?」
入口の前で立ち止まり、顔だけ振り向く。
頷くと、ハイドはフッと笑った。
「言ったはずだぜ。俺は一日だけ、兄弟のやることに口を出さないって……それに、暗部組織の首領と部下ってのは、親と子も同然だ。新たな息子の門出として、女の一人や二人、送ってやった方が、ボスとしても拍が付くってなもんよ」
それだけ言うと、ハイドは手をぷらぷらと振りながら、外へと出て行った。
昨日と同じ時間など、とっくに過ぎ去っている。
カウンターから彼を見送ったアルトは、苦虫を噛み潰したような顔で、ワインのグラスに口を付けようとして、止めた。
「キザな野郎だ。酒が不味くなるじゃねぇか。あんな風な男の方が、女受けするんかねぇ。なぁ、ロザリン。お前はどう思う?」
「私は、アルトの方が、好き」
「そりゃありがたいこった」
「馬鹿っぽいところが、乙女心に、きゅんとくる」
「……お前の余計なひと言は、大人の心にザクッと刺さるな」
はぁと、湿ったため息を吐いた。
ハイドとシド。
敵対関係でありながら、互いに互いを語る時は、まるで敵愾心を見せない。
組織としての対立と、個人の感情は別物なのだろうか。
それとも、袂をわかっても尚、彼らの絆は深く絶ち難いモノなのか。
真実は、まだ出会って数度しか言葉を交わしていないアルトには、察することは出来なかった。
だが、これだけは断言できる。
近い将来、この北街に戦いの嵐が吹き荒れる。
その時にアルトは、一体何処に立っているのか。それは、今の自分にもわからなかった。
「……ま、今は考えても無駄か」
横に座るロザリンの頬を引っ張りながら、とりとめのない思考に苦笑して、考えを巡らせるのを止めた。
すると、ちょうど出入り口から倒れ込むように、人影が店内に転がってきた。
視線を向けると、人影はボロボロになったウェインだ。
「ロザリン。手当、できるか?」
「うん」
二人は倒れているウェインに近づくと、それに気づいた彼が上半身を起こす。
顔は痣だらけの血だらけと、見るに堪えない酷い面構え。
身体も服が所々破れて、砂埃に塗れてボロボロのドロドロ。
けれど、骨や歯が折れている様子は無く、見た目こそは酷いが、それほどの大怪我では無いだろう。
連中はちゃんと、アルトの忠告を守ってくれたらしい。
「あ、兄貴……」
「口の中、切れてんだろ。無理して喋んな」
身体を掴んで助け起こすと、ウェインを仰向けに寝かせた。
ロザリンがその横に座り、そっと両手を添え呪文を口の中で紡ぐ。
「手間ばかりかけさせて、すんません兄貴」
口が切れている所為か、呂律が少し回らない。
それでも律義に謝るウェインの顔は、ボコボコだけれど何処か満足そうに見えた。
「お、オイラ、足抜けしたっす……これで、ただのウェインに、なれました」
「……ああ、そうだな」
すぐ横に座り顔を覗き込むと、ニャッと歯を見せてアルトは笑った。
「これでお前も、男の仲間入りだ」
立ち上がり、アルトは大きく伸びをする。
面倒事を解決しに行って、面倒事が増えた気がするが、今日のところはこれで良しとしよう。
無理やりそう思い込み、アルトは二人を見下ろした。
「んじゃ、帰ろうぜ。俺達の街に」
そう言って、アルトは片目を瞑った。
北街もそれなりに面白い連中の集まりだが、やっぱり自分達のホームは東街の能天気通りだ。
たった一日だけなのに、随分と留守にしていた気がする。
今日は無性に、かざはな亭で安い酒と安い飯を飲み食いしたい気分だった。




