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第18話 野良犬VS番犬






 シド達のみならず、商店を営む人々や通りを往来する人々。

 その場にいる全ての人間が、同じ一点を見つめていた。

 天楼の象徴ともいえる、門の扉をぶった斬った男は、片刃の剣で肩を叩きながら不敵な笑みを浮かべている。

 困ったような顔で顎を摩るシドが口を開くよりも早く、その横にいた人物がつんざくような怒声を響かせた。


「なんのマネだ貴様ッ!」


 怒りに満ち満ちた表情で怒鳴り、フェイはアルトを睨み付ける。

 痺れるような怒気が空気を震わせるが、アルトは気にするどころか視線すら向けない。

 視線の先にいるシドは、ふむと顎を摩る手を離した。


「おう兄ちゃん。お前さん、自分が何やってんのか、理解してんのかい?」


 口調は緩いが、向けられる視線には強い圧がある。

 が、アルトは悠然と、手に持った剣で肩を叩く。


「ああ。俺の依頼人が、まだ心残りがあるってんでよ」

「そいつは未練だ。男の女々しさだよ。んなモンに付き合って、命を溝に晒す必要はあるめぇて」


 表情を引き締め、アルトを睨み返す。

 滲み出る存在感は、迫力を増す。これこそが、天楼の王たるシドの顔なのだろう。


「今ならまだ冗談で済ませるぜ? 引きな、兄ちゃん」


 低く、ドスの利いた声色が、ずっしりと重く圧し掛かる。

 周囲にいる天楼の住人が、畏怖の視線をシドに向ける。

 その殺気に、ラヴィアンローズですら、涼しげな表情に一筋の汗を垂らしていた。

 だが、アルトは、泣く子も黙るシドの威圧感を、一笑して受け流す。


「ハッ! 見くびるなよ天楼の爺!」


 威勢よく啖呵を切り、横にいるウェインの頭を、手で鷲掴みにする。


「こっから先を押し通すのは伊達や酔狂じゃねぇ。男の意地だ。邪魔するってんなら上等だ、テメェら纏めてぶっ潰す!」


 そう言って、まだ戸惑いの隠せないウェインの頭を、乱暴に撫でた。


「……兄貴」

「言いそびれた言葉があるんだろ? だったら、腹の中のモン全部晒して、自分なりのケジメをつけてこい……男だろ?」

「……はいッ!」


 打てば響くような返事。

 頬や目に涙の痕があるけれども、真っ直ぐと前の見るウェインの顔は、子供ではなく確かに男の表情をしていた。


「――エレン!」


 ウェインが叫ぶ。

 唖然としていたエレンは、その声にビクッと身体を震わせ、両耳を塞ぐといやいやするように、首を左右に振った。


「聞いてくれ、エレン!」

「いや、止めて! 聞きたくないっ!」


 そう叫ぶと、身を翻し、エレンは通りの奥へと走って行ってしまった。


「――エレンっ!?」

「行けウェイン! 男なら、後先考えんなッ!」


 アルトの激を背中に受け、ウェインは返事をする時間も惜しいと、一目散に走り出した。

 我に返って取り押さえようとする、天楼の男達の手を上手に掻い潜り、ウェインはエレンを追って人混みの中に入って行く。

 透かさずフェイも動くが、アルトが切っ先を向け、動きを制する。


「ロザリン。お前もウェインの後を追え」

「……えっ?」

「俺と、お前の依頼主だ。ウェインを守ってやれ」


 そう言うとロザリンの方に視線を落とし、背中を少し強めに叩いた。


「今後も俺の隣で歩きたいなら、それくらい出来なくちゃな。相棒」


 ニヤッと笑顔を向けるアルト。

 赤い瞳を大きく見開いて、頬を上気させながら、ロザリンは何度も首を上下させた。


「頑張るっ」

「おう」


 アルトに送り出され、ロザリンは先に行ったウェインを追い駆けて走って行った。

 少年少女を見送り、アルトは視線をシド達に戻す。


「さて、ガキ共は送り出した。こっちは大人の時間といこうじゃないか」

「小僧の我儘を真に受けて、身を滅ぼすってぇのか?」

「ああ、安いモンさ。ガキの頼みを聞いて、猿山の一つをぶっ潰すくらい」


 言葉の応酬。

 男二人は一歩も引かず、真正面から睨み合う。

 バチバチと空気が爆ぜるような緊張感に、周囲の人間は勿論、フェイですら口を挟めないでいた。

 やがて、シドは高らかに笑う。

 その笑みに、今まで見せていたような、陽気で話のわかる人の良さは皆無だった。


「上等じゃねぇか兄ちゃん。だったら望み通りに、ぶっ殺してやろうじゃねぇか。オメェも、小僧も、嬢ちゃんも!」


 張り上げた声に空気が震える。

 声色に怒りは無い。が、どんな怒声よりも、シドの発した言葉は腹の奥にズンと響いた。


「――フェイ、ラヴィ!」

「はい」


 名を呼ばれ、怒りを表情に漲らせるフェイが前に出る。

 しかし、もう一人のラヴィアンローズは動かず、素知らぬ顔だ。


「……わたくしはパス。気分が乗りませんわ」

「ラヴィアンローズ……貴様は……ッ!」

「構わねぇよ。フェイ」


 制すると不満げな顔をするフェイに、


「お前さん一人じゃ、殺れる自信がねぇか?」

「……いえ」


 問いをすぐさま否定し、フェイは更に鋭くした視線でアルトを睨む。


「ボスの目の前で、あの男を切り刻んでご覧にいれます」


 そう言い切ってフェイは前に出ると、腰の左右にぶら下げた蛮刀に手をかけた。


「ってわけだ、兄ちゃん。生きてこの天楼を出たかったら、死にもの狂いでウチのエースに勝つんだな」

「なんだよ爺。テメェが相手すんじゃねぇのか」


 アルトの軽口に噛み付いて来たのは、殺気を漲らせるフェイだ。


「吠えるなよ、野良犬」


 鋭利な口調で軽口を切り捨てると、フェイは二本の蛮刀を抜き放つ。


「これは勝負では無い。断罪だ。天楼を愚弄した罪、その血と首で贖って貰う」

「……上等じゃねぇか」


 ニヤリと笑い、アルトは両足を大きく開くと、脇構えの態勢を取る。


「来いよ番犬。地獄に堕ちる準備は整ったか?」

「――ほざけッ!」


 咆哮一閃。

 餓えた獣のような激しい殺気を乗せて、光沢の無い鉛色の刃が乱舞した。

 迎え撃つのは片刃の剣。

 一本の刃と二本の刃が、真正面がぶつかり、火花を散らした。




 ★☆★☆★☆




 エレンを追い駆けて通りを走るウェイン。

 しかし、悲しいかな子供の脚力に、朝の人通りの多さだ。

 すぐに後ろから追い駆けてきた男達に捕まり、ウェインの小さな身体は乱暴に、地面へと押し付けられていた。


「ちくしょう……離せよッ!」

「うるせぇ、クソガキがッ! 面倒かけやがって」


 うつ伏せに倒れたウェインの背中に馬乗りになって、男の一人がそう言うと、脅しつけるように腰から抜いた短剣を、顔のすぐ真横に突き刺した。

 背筋にゾワッと、寒いモノが駆け上がる。

 取り囲んだ男達は、嘲るような笑みを漏らした。


「ボスから許可は貰ってんだ。覚悟して貰うぜ?」

「や、やめ――ッ!?」


 上げかけた頭を、馬乗りになった男が押さえ、顔面を地面に打ち付ける。

 頬の内側が歯で切れ、口内に鉄の味が滲む。

 他の男が右腕を、足で踏み受け動きを止めると、手の平にナイフの切っ先を合わせ、大きく振り上げた。

 ウェインの顔面から血の気が引く。


 その瞬間。

 大きな破裂音が響き渡り、腕を踏んでいた男の身体が吹き飛ばされる。

 何が起こったのか。

 その場にいた者が状況を認識するより早く、取り囲む輪の中に小さな人影が飛び込んで来た。

 ロザリンだ。

 ナイフを振り上げたまま、驚きに止まっている男の顔面に、思い切り傘の一撃を喰らわせると、頑丈な骨組みに、男は鼻血を拭いて地面に倒れもんどりうつ。

 すかさずロザリンはマントの内側から、黒い卵に似た物を取り出して、思い切り地面に投げつけた。

 黒い卵は粉々に砕け、中から黒煙が噴出。一瞬にして周囲の視界を奪った。


「――な、なんだこりゃ!? 前が見えねぇぞ!?」


 戸惑い混乱する男達。

 その中で素早く倒れていたウェインの腕を掴み、強引に助け起こすとそのまま黒煙の中を脱出する。

 止めていた息を吐きだし、走りながらウェインの方を振り返った。


「大丈夫?」

「ゲホッ、ゲホ……は、はい! ありがとうございます!」


 煙を吸い込んだ所為で咽ているが、身体に問題は無さそうだ。

 黒煙で煤けた顔の汚れを拭いながら、ウェインはエレンを追って再び走り出そうとする。


「待って」

「えっ、でも急がないと追っ手が……」


 呼び止められ落ち着かないのか、その場で足踏みをしていると、何やら今度はおが屑を小さく纏めたような塊を取り出す。

 それを一粒右手に握り、大きく肩を回して投擲。

 風を切って飛ぶソレは、ちょうど黒煙から飛び出してきた男の胸に直撃した。

 すると、大きな破裂音が響き、驚いたウェインは身体をビクッと震わせる。

 続けて、黒煙から出てくる男達を次々と、まるで物見櫓に立った弓兵のように狙撃していった。

 黒煙が張れる頃には、取り囲んでいた男達は全て、地面に伏せ気絶していた。

 残った塊を手の平で弄びながら、ロザリンは得意げな表情で振り向く。


「な、なんすか、アレ?」

「錬金術の、真似事。術式で集めた風を、圧縮して作った」

「は、はぁ」


 頷いてはいるが、ウェインにはサッパリだった。

 アルトに自分の身は自分で守れ。と言われているので、護身用に作ってみたアイテムの一つ。

 破裂音によるインパクトはあるが、殺傷力は皆無。今回は当たり所が良かったので、気絶させることが出来たが、少し頑丈な鎧を身に着けた相手であれば、よろめかせる程度の威力しか無い。


「これなら、暫くは大丈夫、なはず。急ごう」

「……はいっ!」


 大きく返事をして、二人は通りを走り出した。




 ★☆★☆★☆




 ぶつかり合う刃と刃が、何度目かの火花を散らす。

 一本の剣を両手で構えるアルトと、二本の蛮刀を両手で構えるフェイ。

 互いに一歩も引かない男女は、天楼に並び立つ建物の屋根に乗り対峙していた。

 最初は通りの真ん中で、斬り合いを演じていたが、あまりに激しすぎる動きに、周囲にいる人間にも被害が及ぶことを案じて、二人は示し合わすように、周囲に気兼ねせず戦える広い場所。

 つまり、屋根の上へと上って行った。

 デコボコしていたり、斜面になっていたりと戦い辛いはずだが、この二人にはその程度の不利など不利では無いのだろう。


「――せいやッ!」


 フェイは横回転しながら、連撃を繰り出し斬り込む。

 落ち着いて繰り出される斬撃を捌き、剣を胸元まで引くと、攻撃後の隙に狙いを澄ます。

 が、


「――チッ」


 刺突を打ち出そうとした瞬間、背を向けた状態から真後ろにいるアルトの顔面を狙って、鋭い蹴りを突き出してきた。

 不意の一撃に攻撃のタイミングを外され、その隙にフェイはバク転で距離を取る。

 フェイはフッと、余裕の笑みを零す。


「どうした? 威勢が良かった割には、先ほどから防戦一方ではないか」

「悪ぃな。あんまりに面白い動きをするモンだから、見惚れちまって手が出なかったぜ」

「ふん。舌の滑りだけは十分のようだな」


 軽口を叩くと、途端に不機嫌な顔をする。

 とはいえ、フェイの動きに手を焼いているのは事実だ。

 蛮刀のような武骨で、大雑把な武器を持つ割には、その動きは変幻自在で読み辛い。

 全てが一連の動きになっていて、流れるような演武の舞のように優雅。

 更にどんな態勢からも、軸をぶらさず攻撃を放ってくるモノだから、アルトとしては攻撃のタイミングが掴み辛いことこの上ない。


「さぁて、どうしたモンかな」


 剣を正面に構え、戦法を頭の中で組み立てる。

 対するフェイも優勢ではあるが、二本の蛮刀から繰り出される手数の多い攻撃を、悉く弾き返され、攻めあぐねている。

 両者、出方を伺うように、慎重な様子を見せる。

 屋根の上は遮蔽物が無い所為か、吹く風が強く感じられた。

 一際、強い風が吹いたのを合図に、二人は同時には動いた。


「――ハァッ!」

「――シッ!」


 何合目になるのか、二人の刃が正面から噛み合うと、連続して火花と金属音を撒き散らし続ける。

 円の動きで、絶え間なく斬撃を繰り出すフェイ。

 視覚で動きを追っていては、到底間に合わない速度に、アルトは長年の勘と感覚で軌道を見切り、常人離れした反射神経でそれらを全て弾き返す。

 連撃を繰り返しながら、フェイはまたかと奥歯を噛み締める。

 傍目からはフェイが優勢で、アルトは防戦一方に見えるだろう。

 だがその実、フェイの刃は致命傷を与えるどころか、身体に触れることすら出来ていない。

 鉄壁の守備に、フェイの苛立ちは募って行く。

 無意識に険しくなるフェイの表情を見て、アルトは内心で「そろそろか」と呟く。

 受ける刃に力が籠り、一撃は大振りになっていく。


「――そこッ!」


 身を屈め、左から来た一刀を避けて間合いを詰める。

 組み付かれては堪らないと、避けられた蛮刀の刃を返し、そのまま反対方向に薙いで牽制を飛ばす。

 それを剣で受け止め、受け流さす、強引に押し込む。


「――しまッ!?」


 受け止めた蛮刀は右手に持っている。

 つまり、自らの腕が邪魔して、フェイは左腕が使えない状態に陥ってしまった。


「クソッ!」

「悪いが、逃がさねぇぜ」


 同時に出していた右足を踏みつけ、これ以上は下がれないように動きを封じる。

 こっちも剣は使えないが、目の前の綺麗な顔に頭突きを喰らわせてやるくらいは出来る。

 女相手に多少は気が引けるが、これは真剣勝負なのでアルトも迷わない。

 しかし、フェイは不敵に笑う。


「掛かったのは、貴様だ」

「――なにッ!?」


 次の瞬間、剣を受けていた両手に持った蛮刀を離し、自由になった手でアルトの腕を掴むと、後ろに回すように捻り上げ、そのまま屋根の上に身体を押し倒した。

 顔が薄汚れた屋根に押し付けられ、動きを封じる為、後頭部にフェイの膝が落とされる。

 捻り上げられた右腕に、肩から痺れるような激痛が走った。


「ギギッ!」

「左手に持った剣を離さなかった根性は認めよう。だが……」


 捻りを加えて、右腕を関節とは逆方向に絞る。


「痛ッッッてぇぇぇぇッッッ……こりゃ、洒落に、ならん、ぞッ!」

「フッ。大人しくしろなどとは言わん。このまま二度と戻らないよう、完璧にへし折ってやろう」

「じ、冗談、じゃ、ねぇぇぇッッッ!」


 右腕に力を込めると、筋肉と共に血管が隆起する。

 もの凄い腕力に、フェイは驚いた顔を見せ、このままでは押し返されると、全体重を乗せて腕を逆方向に捻る。


「んッッッギィィィッッッ!」


 激痛と共に、ブチブチッと嫌な音が聞こえ、唯一自由になるアルトの両足が暴れる。

 幾らアルトが常識外れの怪力でも、こんな無理な態勢から、相手を跳ね返せない。

 仕方が無い。あまりやりたくは無いがと、アルトは大きく息を吸い込み、止める。

 瞬間、腕の抵抗が無くなり、関節が大きく逆の方に曲がった。

 折れた。

 フェイは一瞬そう思うが、


「音が無い……ッ!?」


 些細な疑問から腕の拘束が緩み、その隙を縫って腕をスルッと抜き去る。


「――しまッ!?」


 同時に倒れていた身体を右側に反転させ、仰向けになりながら、上に乗っているフェイに左手に持った、剣の一撃をお見舞いする。


「――チッ」


 舌打ちをして、素早く落とした蛮刀を拾い上げ、フェイは後ろに跳躍しながら、繰り出された刃を回避する。


「あの感触……まさか」


 距離を取り、苦虫を噛み潰したような表情でアルトを見る。

 立ち上がったアルトは、ブラリと垂れ下がった右手の肩を掴み、思い切り引っ張りグリグリと押し当てる。

 その間、苦悶の表情を浮かべるが、ガコッという音と共に安堵の息を吐く。


「器用な奴め。肩の関節を外したか」

「昔、知り合いに教わった技さ。あんまやると、癖になるから多様したくねぇんだけどな」


 そう言って右肩を回し、異常が無いのを確認すると、また剣を構え直した。


「それにしても、やるじゃねぇか。まさか、あんな切り替えしをするたぁ、驚いたぜ」

「ふん。行儀の良い騎士共は、途中で武器を投げたりはしないだろうがな。下種な戦法だと思うなら、遠慮なく笑えばいい」

「いや、俺も真っ当な剣術じゃねぇから、人のことは笑えねぇんだけどな」


 と、苦笑いをする。


「貴様の腕は認めてやろう。だからこそ、その腕を奈落の杜に所属する人間の為に振るうことが、私には理解できん」

「随分と連中を嫌ってんだなぁ。何か恨みでもあるのか?」

「……別に、大した話ではない」


 少しだけ、フェイは悲しげな顔をする。


「私の母は、奈落の杜の娼婦で、父は構成員の一人だった」


 暗い口調で語り出す。


「父は仕事上の些細なミスで制裁を受け、碌な治療も受けられずに死んだ。母は女手一つで私を育てる為に、無理に無理を重ねて流行病にかかり死んだ。ボスが、シド様が拾って下さらねば、今頃私は、母と同じ売春婦になっているか、野垂れ死んでいるかのどっちかだ」


 フェイは怒りに燃える瞳で、両手に握った蛮刀を構える。


「私の刃は、技は、奈落の社という地獄の釜の底を、叩き斬る為に磨き上げてきた。ここで、貴様のような男に負けるわけにはいかん!」

「復讐か」

「違う。大義だ」


 フェイは言い切る。


「奈落の杜は腐敗の温床。存在し続ける限り、この北街が真の意味で救われることは無い!」

「天楼なら、それが出来るってのか?」

「当然だ。我が悲しみも憎しみも、本当に理解してくれるのはシド様のみ。北街を在りし日に戻したい。その理想こそが、私の望みであり戦う理由であるのだ」


 フェイは右手に持った蛮刀の切っ先を、アルトに向けた。


「もう一度言おう。我が奈落の社に向ける怒りは、大義であると」

「そうかいそうかい」


 胸を張り、一点の曇りの無い口調で語った言葉に、アルトは心底呆れ切った表情を向けた。


「そいつぁ、随分と女々しい理想もあったモンだ」

「……貴様」


 静かな怒気が、陽炎のように揺らめく。


「戦場に出た男と聞いて、少しは期待したが……所詮は安穏な生活に生きる野良犬か。今も地獄を生きる我らとは、そもそも考え方が違ったようだな」

「当たり前のことを、当たり前に言うなよ馬鹿女」


 遠慮無しに罵倒して、アルトは脇構えの態勢を取る。


「俺の気持ちがお前にわかんねぇように、お前の気持ちなんざわかるかよ。そういう有象無象を斬り捨てる為に、こいつがあるんだろ。俺達にはよ」


 カチャッと、剣を鳴らした。

 それに呼応するよう、フェイも蛮刀を構え直す。


「その点だけは同意してやろう。ならば貴様の血で、私の大義を証明してやろう」


 構え、対峙する二人。

 お互いの挙動に細心の注意を払い、ジリジリと間合いを狭めた。

 空気に緊張感が宿る。

 数度に渡る立会いで、互いの力量は推し量れている。

 先に動いた方が負ける。などと、陳腐な言い方はしない。

 互い、二手先、三手先を読み合って戦うタイプの剣士。

 ならば、決着は相手の予測を大きく凌駕した方が勝つ。

 先手を取ったのは、フェイだ。


「――ハッ!」


 一足飛びで間合いを詰め、途中でアルトに向かい蛮刀を一本投げつける。

 風を切り、投擲された蛮刀は、確実にアルトの急所を狙ってきた。

 疾走するフェイの速度は、僅かだが緩い。


(剣で弾けば、その隙を狙って一気に加速して斬り込む気か)


 ならば剣で弾くことは出来ない。

 フェイが左手に蛮刀を、逆手に握っている。

 恐らくは自信があるのだろう。

 アルトは投擲された蛮刀を避けたり、弾いたりしても、その一瞬に生じる隙を狙って、斬り込める技と速度に。

 ならアルトは、その自信を打ち砕くまで。

 逆手に持ったということは、狙いは胸より下。ならば、

 蛮刀が接触する瞬間、アルトは思い切り足場を蹴って跳躍する。

 左右や下では無く、飛んで蛮刀をかわした。

 伸身宙返りによる回避。旗追いの時に見せた回避方法だ。

 その行動にフェイは、自らの勝利を確信した。


「一度見たその技、二度も通じると思ったかッ!」


 数歩分だけ速度を加速させ、前方に投擲した蛮刀の柄を握り手に取り、逆手に持った蛮刀を真上に投げた。

 真上への投擲は牽制。

 予想外の角度から来た攻撃にバランスを崩し、背後に降りたところでトドメの一撃。

 これが、フェイの戦略だった。

 が、てっきり上空を、飛び越えるモノと思い込んでいたアルトの身体は、空中で身を捻るとギリギリのところで蛮刀を回避し、剣を構えてそのままフェイ目掛けて落下して来た。


「――な、にッ!?」


 驚愕の表情を浮かべながらも、防御の為に蛮刀を構える。


「――ぶち抜きやがれぇぇぇ!!!」


 回転して頭を真下にしながら、渾身の力を込めて剣をフェイに叩き付けた。

 今までで一番激しく大きい、金属音と火花が散る。

 落下速度にアルトの腕力、そして全体重を乗っけた一撃が、たった一本の蛮刀で受け止め切れるはずも無く、衝撃は身体を通じて屋根にまで達し、支えきれなくなったそれは、大きな音を立てて二人を巻き込み倒壊した。

 一拍遅れて、衝撃がズシンと周辺を揺らす。

 幸いなことに無人だった民家は、哀れ屋根から床下まで一直線に大穴が空いて、モクモクと土煙を上げていた。


 その中に立っている影は一人だけ。

 誇り塗れになったアルトは、大きく息を吐いて、剣を鞘へと収めた。

 瓦礫に塗れ、苦悶の表情と呻き声を漏らすフェイのすぐ横に、投げた蛮刀が突き刺さる。

 剣の一撃自体は、蛮刀で防いだので刃による裂傷は無い。

 が、二階以上の高さから、地面に叩きつけられた衝撃は凄まじく、咳き込むフェイの口からは、血が飛び散っている。

 確実に、全身の骨を何本か折っているだろう。

 フェイの神業を、アルトが力技でねじ伏せた。


「勝負あったな」

「……クッ。ま、待て……」


 その言葉に反応して、フェイはボロボロの身体を、手に持った蛮刀を地面に突き立てると、強引に上半身だけを起こす。


「やめとけ。死ぬぞ」

「負けて生き恥を晒すくらいなら、死んだ方がマシだ……一思いに殺せ」


 お決まりの台詞に、アルトは大きく鼻から息を吐いた。


「気軽に言うなよ。人一人殺すってのは、中々、面倒なことなんだぞ?」


 そう言って、アルトは背を向けた。


「助けくらいなら呼んどいてやるさ。それでも嫌なら、勝手に死んでくれ」


 肩を回しながら、立ち去ろうと一歩踏み出すと、背後から嗚咽が聞こえた。

 足を止め沈黙すると、後頭部をバリバリ掻いた。

 嗚咽の混じる言葉が、途切れ途切れに聞こえる。それは決して、アルトに向けて発せられたモノでは無い。


「クッ……わた、私の大義を、あんな男に否定されて、その上、こんな無様を晒すとわッ」


 悔しげに呟き、地面を叩く音が聞こえる。


「……別によ」


 振り向かずに、アルトは言う。


「別に俺は、お前のことを無様だなんて思ってねぇよ」

「い、今更何を……貴様は私の大義を、女々しい理想と言ったでは無いか」

「だからよ、そのまんまで良かったんだ」


 意味がわからず、フェイは顔を顰めている。


「大義なんて言葉で感情を飾らなくても、復讐の一言で済ませりゃよかったんだよ。それに何だかんだ理屈をつけるから、面倒くせぇことになっちまうのさ」

「そ、そんな感情論丸出しで……!?」

「面倒臭くても、気に入らなくても、そんな感情論ってヤツと、一生付き合っていかなきゃなんてぇんだよ。厄介なことにさ」


 言いたいことだけ言って、アルトはさっさとその場を後にした。

 一人残ったフェイは、全身に鈍い痛みを感じながら、唖然とした表情でバタッと背後に倒れた。


「……何も知らない癖に、勝手なことを」


 言葉を吐き捨てたフェイの頬は、何故だか少し緩んでいた。




 ★☆★☆★☆




 小さな身体に、何時までも全力疾走できる体力があるはずも無く、逃げ続けていたエレンの足が遂に止まった。


「ハァ、ハァ……」


 荒く肩で息をしながら、エレンは力尽きるようヨロヨロとその場に座り込む。

 流れる汗を拭えないほど、彼女は体力を使い果たしていた。

 それでも、後ろから追ってくるウェインから逃れよと、地面を這いずって進む姿には、悲壮感が漂っていた。

 通りの人間も何事か視線を集めている。

 事情を知らない住人達が助け起こそうと動いた時、ウェインの声が響いた。


「――エレンッッッ!」


 ハッとした表情のエレンは、振り向かずに叫ぶ。


「――いやッ、来ないでッ!」


 叫びも空しく、足音は徐々に近づいてきて、そしてすぐ真後ろで止まった。

 彼も全力で走ってきたのだろう。乱れる息遣いが、背後から聞こえてくる。

 一歩、足を踏む出すと、エレンは怯えるように身体を震わせた。


「エレン。聞いて欲しいことが……」

「いや、聞きたくないっ」

「頼む、どうしても伝えたいことがあるんだ」

「いや、いやぁ……これ以上、私を迷わせないでよぉ」


 耳を塞ぎ、涙声でイヤイヤと首を振るエレン。

 エレンは何も聞きたくなかった。

 優しい言葉も、諦めの言葉も、叶わない希望の言葉も。

 ウェインがまだ自分を好きと言ってしまえば、自分はそれに縋ってしまう。折角、決めた決意が緩んでしまう。別れの言葉を告げられたら、心が耐えられなくなってしまう。


 だって、まだエレンはウェインを好きだから。

 弱い自分は、たった一つの想いを強く胸に秘めなければ生きていけない。

 だから、何も聞きたくなかった。弱い自分を知るのが、これ以上耐えられないから。

 それでも、ウェインは諦めない。


「エレン」

「いや、いやだよぉ」

「いいからっ、オイラの話を聞けッ!!!」


 ビリビリと空気が震える怒声。

 何時も穏やかな口調の彼からは想像もつかない、その強引な声色に、エレンは驚き、そして振り返ってしまった。

 弱い私に呆れて、怒っているのだろうか。

 けれど、振り向いた先にあったウェインの表情に、エレンはまた涙を零す。


「……よかった。また、エレンの顔が見られた」


 ただ、それだけのことで、ウェインは笑っていた。

 その笑顔を見るだけで、エレンは涙が止まらなかった。


「ごめ…ゴメン、ゴメンなさいっ……ッ」


 嗚咽を漏らすエレンに困り顔をしながら、ウェインは正面に膝を突いて座ると、優しく彼女の手を握った。


「エレン……言い忘れた言葉、聞いてくれるか?」


 涙で言葉が出ないエレンは、何度も無言で頷いた。


「オイラがエレンを幸せにしたいって思ったように、エレンもオイラを幸せにしたいって、思ってくれてたんだよな?」

「そ、そうだ、よぉ……誰より、や、優しくてぇ、頑張ってる、貴方が、っく、幸せになれないなんて、おかしいよぉ」


 エレンは人知れず、恐怖を抱いていた。

 弱くて、何も出来ない自分が、いつかウェインを不幸にするのでは無いかと。


「……馬鹿だなぁ、エレンは」


 ウェインはそう苦笑する。


「でも、オイラも馬鹿だ。だって同じ勘違いをしてたんだから」

「勘違、い?」


 呟くような言葉に、ウェインは優しく頷いた。


「どっちかが幸せになるんじゃない、二人で幸せになるんだ。だから……」


 真剣な表情でエレンの両肩を掴み、真っ直ぐ目を見つめた。


「オイラは奈落の社を抜ける。そして、真っ当な職について金を稼いで、エレンを迎えに行く。何年かかっても何て温いことは言わない。最短距離で、突っ走ってみせる」

「そんなこと、出来るわけがっ」

「出来る」


 否定しようとする言葉を、強い決意の口調だけで打ち消す。

 本気の熱意は伝わる。だが、それでも信じきれないエレンに、ウェインは断言する。


「約束する。オイラはもう、悪事に手を染めないし危ないこともしない。エレンも、娼婦になんかさせない、貴族のところにも行かせない。二人で笑って、幸せになるんだ。絶対に迎えに行くから、オイラを信じて待っていて欲しいんだ」


 そう言って、精一杯の優しい笑みを見せる。


「オイラがエレンとの約束、破ったことがあるか?」

「……いっぱい、ある」

「……うっ」


 締まらない展開に、ウェインは額に脂汗を浮かべた。

 その頼りない表情に、エレンはクスッと笑みを零した。


「でも、今回も、信じてあげる」


 瞳に涙を浮かべて、エレンはそっと彼の頬を撫でた。


「だから、迎えにきて。私はここで、天楼で貴方を待っているから……次会う時は、貴方に負けないくらい、強い大人の女になって」


 そう言って、エレンは笑った。

 この約束で、何が変わるわけでもない。何も変わらない

 二人の前途には障害が山積みで、今回の一件はそれが増えはしても、減ったわけでも対策が出来たわけでも無い。

 こんな無茶までして、ウェインが告げた言葉には、何の意味も持たない。

 たった一つだけ、成果があるとすれば、この天楼に来て以来、笑うことの無かった少女に笑顔が戻った。

 それだけのことだ。

 だが、その笑顔は、年寄の酔狂を呼び起こすのには、十分な効力を発揮したらしい。


「……ふん。ガキが。吹くじゃねぇか」


 顎を摩りながら、若干楽しげにシドが呟く。

 ウェイン達を追って、後から現れたシドとその部下達は、シドの命令で黙ってその一部始終を見ていた。

 シドの横には、足止めをしていて捕まった、ロザリンの姿がある。


「捕まえますか?」

「いや、気が変わった。捕まえるのは止めだ……だから、嬢ちゃんもその物騒なモンをしまえや」

「…………」


 ニヤリと向けられた視線に、ロザリンは素知らぬ顔で、右手に握った『切り札』をマントの内ポケットに戻した。

 そしてロザリンも、地面に座って仲睦まじい姿を見せる、ウェイン達に視線を向けた。

 羨ましい。

 目を三角にして、ロザリンは真っ先にそんなことを思っていた。

 彼の想い人はきっと、あんな言葉はかけてくれないだろう。

 恋愛は好きになった方が負け。

 そんな言葉を、ロザリンは実感させられた気がした。





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