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第17話 喧嘩上等!







 広い室内の真ん中で、向き合って床に座る二人の男と一人の少女の姿があった。

 男の一人、シドが床の置かれた陶器の杯に、ボトルから赤い液体を注ぐ。


「まぁ、まずは一杯、グッと行け兄ちゃん」


 丸太のようなシドの腕から、アルトは杯を受け取ると、中に注がれているワインを言われた通り、グッと一気に喉を鳴らして飲み干す。

 流石、高いワイン。芳醇な香りと深みのある味わいが、絶品だ。

 口元を袖で拭い、アルトは陶器の杯を床に置いた。


「いい飲みっぷりじゃねぇか、兄ちゃん」

「そりゃどーも」


 そう言って、返杯する為ボトルを掴み、シドの前に置いてある陶器の杯にワインを注ぐ。

 シドはそれを、殆ど一口で飲み干した。

 ここはシドの屋敷二階の広間。吹きさらしの壁から見える外の風景は、日がすっかり暮れて街を、地面から立ち上る無数の光の粒が照らしていた。

 幻想的な風景に、花より団子のアルトも見惚れる。

 この光景を眺めながら飲む酒は、中々に美味い。


『日が落ちた夜の北街を、子供連れで歩くのは危険だから、今夜は泊って行け』


 そんなシドの好意に甘え、アルト達は彼の屋敷で一晩明かすことになった。

 フェイはその決定に不満げな表情をしていたが、ボスの決定では異を唱えるわけにもいかず、黙ってアルトを睨み付けていた。

 旗追いの一件で、更に嫌われてしまったようだ。

 そして現在、アルトはシドに誘われるまま、こうして差し向かいで酒を酌み交わす状況になっていた。

 床の上には、アルトが手土産に持ってきたワインと、他にも数本の高そうな銘柄の酒瓶、そして乾物など皿に盛られたつまみが、ズラリと並んでいた。


「むぐむぐ……干しイカ、美味しい」


 横に座っているロザリンが、酒も飲めないのに、つまみだけをチビチビと食べていた。

 夕飯もアレだけ食べておいて、まだ食べるのかとアルトは呆れる。

 このちっこい身体に、よくあんなに大量の食事が入るものだ。

 ちなみに、ウェインは夕飯を終えた後、早々に用意された客間に引っ込んで行った。

 今は、一人になりたい気分なのだろう。


「長い人生だ。女の一人や二人に振られるなんてぇのは、よくある話じゃねぇか」

「年取った爺にゃ思い出話でも、現在進行形の若者にとっちゃ、目の前が真っ暗になっちまうくらい、衝撃的な出来事なんだよ」


 違いねぇ。と、シドは笑いながら、アルトの杯にワインを注ぐ。


「んで? 爺さん。まさか、酒の付き合いの為だけに、俺を誘ったんじゃねぇんだろ。何の用だ?」

「やれやれ。若いモンはせっかちでいけねぇ。少しは話の擽りってヤツをだなぁ……」


 タァン!

 飲み干した杯を、勢いよく床に置き、ジロリと睨む。

 剣呑な雰囲気に、シドは髭を摩りながら嘆息する。


「……ま、二、三聞きたいことは、あるっちゃあるが。そりゃ兄ちゃん。お前さんもそうだろう?」

「わかってんじゃねぇか。だったら、単刀直入に聞かせて貰う」


 低い声を出して、視線を更に細めた。


「アンタ、貴族とつるんでるんだって?」


 その問いかけに、シドは眉をピクッと反応させる。


「……何処でそれを聞きやがった」

「ルン=シュオン」


 短く答えると、シドはこちらに視線を向けたまま、暫し黙り込む。

 実際に直接聞いたわけでは無いが、カマをかけるには、これほど打ってつけの人間も他にはいないだろう。

 沈黙の中、室内にロザリンが乾物を食べる音だけが響く。

 やがて、


「……本当だ」


 認める発言をし、手酌で注いだ杯のワインを、グッと飲み降す。


「貴族とつるんで金銭を提供して貰う見返りに、集めた女を売っている。これも本当なのか?」

「ま、概ね本当だな」


 意外にもあっさり認める言葉に、アルトは訝しげな顔をする。

 それを見てシドは、苦笑いを浮かべた。


「ククッ。んなぁ面すんな。儂が知らぬ存ぜぬで通すと思ったか?」

「後ろ暗いことがあんなら、それが普通だろう」

「だったら答えは簡単だ。儂に、天楼に、後ろ暗いことなんざ、何一つありゃせんよ」


 きっぱりと言い切る。


「女を売ることがかよ」

「それの何が悪い?」


 恍けているのでは無く、本気でシドはそう返す。


「この街で身体を売って暮らすのと、貴族に身を差し出すこと。どちらも対して差はありゃしまい。いや、治安に怯える必要が無い分、貴族の方が安全で安心かもしれねぇがな」

「そりゃ売る側の勝手な理屈だな。売られる方が、溜まったもんじゃねぇぜ」

「うむ、正論だ……だが、お前さんは一つ、大きな勘違いをしている」

「なに?」


 睨み付けながら、炒ったナッツを口の中に放り込む。


「儂だって鬼じゃあない。娘っ子達が売られる先は選別している。お前さんが思っているような酷い目には合わないし、この街で暮らすより、ずっと幸せな生活が出来るはずだ」

「随分な自信じゃねぇか」

「儂が選んで、儂が交渉して、儂が話をつけた。当然だろう。これは人身売買じゃない、人材の提供だ」


 自意識過剰。そう言ったらそれまでだが、シドの言葉には信じるに値すると思ってしまう、迫力と説得力があった。

 だが、まだ疑問が残る。

 干し貝を食べながら、ロザリンが手を上げる。


「この街の、維持費、どうやって、出してるの?」


 そう、疑問はそれだ。

 国からの助成金が無い北街で、街を取り仕切るにはどうしても自腹を切らねばならない。

 天楼は仕切る地区の規模は小さいが、魔術式を利用した囲いを作るなど、その建設費と維持費は、決して安い物では無いはず。

 北街内における流通などは、殆どが奈落の杜によって押さえられている。

 その上、暗部組織における金策の常套手段である、娼館の経営を行っていないのなら、天楼の収入源はどうなっているのだろうか。

 先ほどの女の子を売る話を聞く限り、それほど高い値の取引とは考え辛い。

 そうなると資金提供の裏には、人材の提供以外に、貴族にとって有益な事柄があるのかもしれない。アルトとロザリンは、そう考えた。

 案の定、答え辛そうにシドは、言葉を詰まらせている。

 見返りに女の子達を売ると言う、非人道的な言葉に踊らされ、危うく裏に隠れる事実を見落とすところだったかもしれない。

 シドはフッと息を付く。


「簡単な理由だ。儂らが奈落の社を打倒し、この街の覇権を握った後で、儂らのスポンサーが新たな執政官として着任する。連中は、そんなシナリオを頭ん中で描いてやがるのさ」

「こんな薄汚ねぇ街の執政官が、そんなに美味しいのかい?」

「得られる物からしたら、儂らに提供する資金なんぞ雀の涙だろうよ。暗部組織からの上納金、裏カジノや闇市の利益、その他諸々の収益金が集まってきやがる。貴族連中にとっちゃ、これほど美味しい蜜はねぇって寸法よ」


 胸糞の悪い話に、アルトは舌打ちを鳴らす。


「そんな糞みたいな連中に売られる女が、本当に幸せになれるのかね」

「心配するな。女共の行先はそいつらとは別件。慈善事業が趣味みてぇな、地方の中級貴族様よ」


 なるほど。そういうカラクリになっていたのかと、アルトは納得する。

 逆を言えば、それだけ広い人脈を、シドは形成していることになる。

 そんなことより、聞き捨てならない言葉に、アルトは胡坐をかいたまま、重心を傾け前のめりになった。


「アンタ、奈落の杜を本気でぶっ潰す気なのか?」

「ああ、伊達や酔狂で言えるこっちゃねぇなぁ」


 言葉とは裏腹、余裕綽々の表情に、疑問が募る。


「爺さん。アンタ、元は奈落の杜の幹部だったんだろ? いい年した爺が今更、何だってんなマネしやがる」


 問われたシドは直ぐに答えず、不敵に笑った。

 おもむろに杯では無く、ワインのボトルを手に掴むと、まだ半分以上残っていたそれを、一気に流し込むようにして飲み干した。

 ぷはぁと、アルコール臭い息を吐く。


「別に小難しい話なんかありゃせんよ。ただ、あそこにいちゃ、儂の通したい意地ってモンを通せねぇからよ、だから、テメェの意地を張れる場所を、テメェで作ったのよ」

「通したい、意地、って?」


 小首を傾げたロザリンの質問に、シドは歯を見せて豪快な笑顔を見せた。


「漢の矜持ってヤツさ」

「なるほどー」


 そう言って何故か、ロザリンはアルトの顔を見上げた。

 似てるとでも、言いたげな表情だ。

 こんな爺に似てるなんて思われたく無いと、アルトは憮然とした表情で、口内に残ったナッツを、ワインで胃の中に流し込んだ。

 ワインも空になり、会話もちょうど途切れる。

 そろそろ別の話題を切り出すべきかと思った、ちょうどその時。

 屋敷の真下から突き抜けるような振動が、ドン! ドン! と響く。

 それは振動となって建物全体を、何度も何度も繰り返して、断続的に揺らす。


「な、なんだ、地震か?」


 地震の少ない地域だけに、驚いたアルトが膝立ちになり、反射的に横のロザリンを庇おうと手が伸びる。

 揺れは音と共にまだ続いている。が、目の前のシドに動じた様子は無い。


「心配する必要はねぇよ。下で飼ってる獣が、癇癪起こして暴れてるだけでぇ」

「獣って、おいおい、この揺れだぞ。オーガでも飼ってのか?」

「それ近いもんだ。ほら、次の酒を空けるから飲め」


 空になったワインのボトルを横に置いて、シドは新しい瓶を手に取ると封を切り、トクトクと空になった互いの杯に液体を注ぐ。

 杯に注がれただけで、刺激的な強いアルコール臭が鼻を刺す。


「うぐっ」

「ははっ。嬢ちゃんにゃ、ちぃと芳醇すぎる臭いだなぁ」


 鼻を抓むロザリンを見て、シドはそう笑った。

 杯を手に取り、中を覗き込むと、注がれた液体は透明だが、臭いだけで相当にアルコールが強いとわかる。

 酒を飲みなれたアルトでも、これは効きそうだ。


「東方から来た業者から買った、長期熟成の古酒だ。飲んでみろ」

「ほう、どれどれ」


 興味が引かれ一口含むと、カッと火が点いたように、喉が熱くなったかと思うと、爽やかな風味が鼻を抜けていく。

 これは美味いと、アルトは目を見開いて感嘆を漏らす。

 濃厚な口当たりとコクのある味わい。

 とてもじゃないが、普段飲んでいる安酒など、比べものにもならない。

 途端に上機嫌になったアルトは、それを一気に飲み干した。


「ぷはぁ……おかわり」


 満足そうな吐息と共に、杯を突き出した。


「お前さん、遠慮っちゅうモンがないのう」


 呆れながらも、シドは差し出された杯に古酒を注いだ。

 その頃にはもう、振動は治まっていた。

 本当にあれは、何だったのだろうか。


「んで? 爺さん。アンタも俺に聞きたいことがあるんだろ。なんだよ」

「おお、忘れとった。実はな……」


 顎髭を摩り、シドはジッとアルトの顔を見据える。


「最初見かけた時から、ずっと引っかかっておったんだが、ついさっきそれを思い出してなぁ」

「なんだよ。俺が爺さんの息子だったなんて、言いださねぇでくれよ」


 美味い酒を飲んで機嫌の良いアルトが、そんな軽口を叩くが、次に発せられたシドの言葉に、その表情が凍りつく。


「お前さん、竜姫の相棒だな?」

「――ッ!?」


 弾かれたように杯を床に置くと、アルトは無言でシドを睨み付ける。

 その姿に、ロザリンは驚く。

 怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える横顔は、ロザリンが今で一度も見たことの無い表情だったから。


「……アル?」

「テメェ、あの馬鹿と知り合いか?」

「いや。戦争が起こる以前に一度、遠目から見かけただけでぇ。いやいや、あんな美女と旅が出来るなんて、あのガキが羨ましいと思った覚えがあらぁ」

「チッ……勝手なことを言いやがる」


 煽られて、途端に不機嫌な顔になるアルト。

 チビチビと酒を啜るアルトの袖を、微妙な表情のロザリンが引っ張る。


「美女、なの?」


 何を心配しているのか、眉を八の字にする少女に嘆息する。


「外見はな。竜姫なんて高尚な呼ばれ方してやがるが、別にあるもう一つのあだ名の方が、俺ぁしっくりくるね」

「どんな、あだ名?」

「歩く災厄」


 瞬間、シドが大口を開けて大爆笑する。


「大陸に数人しかいない、竜の称号を持つ騎士相手に、そりゃ随分な言い草するじゃねぇか、ああ!」

「俺に言わせりゃ、何でアイツがそんな称号持ってんのか疑問だ。アイツ自身が竜だって言われても、俺ぁ驚かないね」

「言うじゃねぇか。んで? その歩く災厄は今、どうしてる?」


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、アルトの顔が苦痛に歪む。

 顔を伏せていたので、気がついたのは横にいたロザリンだけだった。

 無言で杯を床に置くと、唐突に立ち上がり、シドに背を向けた。


「……死んだよ。あの、戦争でな」

「……そうかい」


 短い沈黙が流れ、アルトは足を踏み出す。


「――アルト!」


 シドがその背中を呼び止める。

 足は止めたが、アルトは振り向かない。


「天楼に、儂の元に来い」

「……んだよ、藪から棒に」


 至って真面目な表情で、シドは両腕を組んだ。


「天楼は北街を、この国を変える。戦争に見捨てられた街を、切り捨てられた人間を、儂は決して裏切らん。この街は四十年前の侵略戦争で、市街戦に持ち込まれた傷を今も引きずっていやがる」


 エンフィール王国は過去に何度も、侵略戦争の的にされていた。

 その歴史の中でもっとも激戦を繰り広げたのが、四十年前の戦争。

 王都進行を許し、歴史上唯一の市街戦が繰り広げられ、北街はその最前線として戦火に晒された。

 それが、北街がスラム化する始まりだった。


「儂は取り戻す。あの日の北街を。その為に儂の六十年の人生はあったのだ」

「……年寄りの妄言に、俺まで巻き込むんじゃねぇよ」

「お前さんなら儂の気持ちがわかるはずだ。最前線で見捨てられ、孤立し、仲間の屍を乗り越えて生還した、北方戦線の生き残りなら」


 顔だけを向け、鋭い視線でシドを射抜く。


「テメェ。調べやがったのか?」

「いや……だが、その髪の色を見ればわかる。過酷な戦いで色素の抜けた灰色か白い髪の毛は、北方戦線を生き延びた証だ」

「……一つ言っておく」


 奥歯をギリッと鳴らし、押し殺した殺気が視線から滲む。

 その表情は、本気の怒りで満ちていた。


「何も知らねぇ奴が、訳知り顔で俺達や竜姫……ハルのことを語るんじゃねぇ」


 押し殺した怒気を浴びせかけ、返事を待たずアルトは外へ出て行く。

 拒絶されたシドは、無言のまま、グッと酒を煽った。

 人を拒絶するような気配を撒き散らす背中を見て、ロザリンは迷うことなく、アルトの後を追って行った。

 外に出て、階段を下り少し歩いたところで、ようやくロザリンはアルトに追いつく。

 怒りを滲ませる無言の圧力に構わず、ロザリンはギュッと袖を握る。

 うざったそうな顔をするが、掴まれた袖を、振り払おうとはしなかった。


「……空気くらい、読めるようになった方がいいんじゃないか?」


 不機嫌な口調で嫌味を言う。

 が、ロザリンはめげずに、アルトを見上げた。


「一つ、教えて」

「なんだよ」

「そのハルって、美女との、関係は?」


 少し考えて、ぶっきら棒に答える。


「俺と、お前の関係の同じだ」

「初恋?」

「断じて違う」


 そこでようやく、アルトはロザリンの方に顔を向けた。


「駄目な保護者と、身の丈を知らない子供……ってとこだな」


 それだけ言って、アルトは光の粒が照らす夜の街を歩き出す。

 握られた袖は振り解かず、そのままの形でロザリンが横を歩く。

 幻想的な街並みを行きながら、暫く忘れていた人物の顔を脳裏に描いた。

 強い風の吹く丘の上で、初めて彼女と会った時の記憶は、今も鮮明に思い出せる。

 荷物は殆ど無く、一本の剣とマントを羽織って、竜に跨り大陸の西へ東へ、思うがままに旅をしていた美女。

 見惚れるアルトを見つけ、発した言葉は今も胸に深く刻まれている。


『なに、このクソ餓鬼。あんまり見てると、見物料取るわよ』


 思い出の中ですら美化しきれない、手酷い第一声を思い出して、アルトは人知れずゲンナリとした。




 ★☆★☆★☆




 翌朝。

 日が昇ると光の粒はすっかり消え去り、通りは元の風景に戻っていた。

 朝から働く人間が多いのか、早朝の通りは人で溢れている。

 アルト、ロザリン、ウェインの三人は、東街に戻る為、門を目指してその大通りを進む。

 後ろにはわざわざ三人を見送るために、シド、ラヴィアンローズ、エレン、そして不機嫌な表情のフェイが連れ立って歩いていた。

 途中、やはり後ろ髪の引かれる思いがあるのか、ウェインがチラチラと背後のエレンを気にしている。

 アルトが後ろに聞こえないよう、こっそりと囁く。


「一応、仕事だからな。お前が諦めたく無いっつーなら、力づくで何とかするが?」


 本音はそんな真似などしたくは無いが、依頼の内容は天楼や本人との交渉では無く、エレンを連れ出すこと。

 ウェインの返答しだいでは、アルトも腹を決めなくてはならない。

 が、ウェインは首を左右に振った。


「いいんす。オイラ、一番にエレンのことを考えるって、決めたから」

「……そうかい」


 アルトが短く呟き、ロザリンが何が言いたげな視線を向ける。

 その後、無言のまま門まで歩く。

 門の前に到着すると、来た時と同様、フェイが扉に手を添えて開閉を行う。

 三人は最後の挨拶をする為、シド達と向かい合った。


「んじゃ、気を付けて帰りな。天楼に入りたくなったら、いつでも訪ねて来てくれや」

「冗談じゃねぇよ。同じ北街なら、俺ぁもっと色気のある場所に行くさ」


 そう茶化すと、ラヴィアンローズが蠱惑的な笑みを浮かべ、ずずっと近づいてきた。


「わたくしだったら、いつでもお相手して差し上げますわよ? 殺し合いでも、殺し合いでも!」

「両方同じだし、両方ゴメンだッ!」


 肩を掴んで、ラヴィアンローズを押し返す。

 その横を、フェイが無言で通り過ぎる。最後まで、こちらと仲良くする気は無いらしい。

 そしてウェインは、軽く俯いたまま、帽子で表情を隠している。


「…………」


 エレンもまた、暗い表情で俯いたまま。

 横目でウェインの姿を見たアルトは、何も言わなかった。

 最後にフェイが三人の前に立ち、厳しい表情で警告を促す。


「これで紹介状の義理は果たした。以後、この天楼の縄張りに無断で足を踏み入れる行為は、敵対行動と受け取る。そして……」


 視線を、ウェインに向ける。


「奈落の社の人間と行動を共にしていたことは、貴様らも奈落の杜の関係者と見なされる。ボスはああ仰られたが、この後暫くは天楼の門を潜れないと知れ。話は以上だ」


 キツク言い含めると、フェイは一歩下がった。

 何とも気まずい終わり方だが、これが結果だと言うならば、甘んじて受け止めるしか無いのだろう。


「んじゃま、色々と世話掛けたな。縁が会ったら、また会おうぜ」

「また会いましょ。その時はもっと色々、サービスしちゃうわよん♪」


 気まずい空気の中でも、ラヴィアンローズの能天気さには、ちょっとだけ救われた……と言ったら、言い過ぎだろう。

 別れを済ませてアルトは、二人を引き連れて門の外へ出る。

 三人が門から出たのを確認すると、両開きの扉がゆっくりと閉まりだした。

 振り向かず、三人はそのまま来た道を戻る。

 未練ある。けれど、もうどうしようも無い。

 無念の思いを引き摺り、重い足取りで帰路を歩むウェインの背後で、ゆっくり扉が閉じていく音だけが無情に届いた。

 すると、


「――ウェイン!」


 堪えきれぬ感情が爆ぜるよう、エレンの声が響く。


「――!?」


 振り返るウェイン。

 扉が閉じ切る寸前、隙間から見えたエレンは、ポロポロと涙を零しながら、搾り出すような声で何かを小声で呟いた。

 扉が閉じる鈍い音の所為で、何を言ったのかはわからない。


「――エレン!」


 でも、確かに動いた唇は、ウェインにこう告げていた。


『酷いこと言って、ゴメンね』


 言い終えてエレンは、涙を零しながら、寂しげに笑った。

 扉は大きな音を立てて、全てを拒絶するよう、完全に閉じてしまう。

 その瞬間、ウェインは身を翻し、扉の方まで全力で走って行った。


「――エレン!」


 叫びながら、縋るつくように扉を叩く。


「――エレン! エレンッ!」


 何度も、何度も扉を叩く。

 当然、頑丈な扉がどうなるわけでも無く、内部からの返答も無い。

 ウェインは額を扉に打ち付けると、嗚咽を漏らしながら、その場にズルズルと滑るよう崩れ落ちた。


「ち、ちくしょう……ちくしょうッ!」


 背後まで来たアルトは、這い蹲るよう崩れた、ウェインを見下ろす。


「……決めたんだろ。エレンの幸せを優先するって」

「違う……違うんすよ、兄貴」


 嗚咽交じりに、ウェインは言う。


「オイラ、気づいたんだ。オイラが言うべきことは、そんな言葉じゃなかった」


 悔しげに、グッと血が出るまで下唇を噛み締める。


「勘違いしてたっす。オイラ、エレンが天楼に残るか、奈落の社に連れ帰るか、二人で遠くに逃げるしかないって、それしか方法が無いって、ずっと思い込んでたっす」

「だが、事実じゃねぇのか?」

「違うんすよ。どっちかが幸せになるんじゃなくって、二人で幸せにならなきゃ意味が無かったんだッ!」


 涙と鼻水でぐじゃぐじゃになった顔を、こちらに向けた。


「順番を間違えてたんだ。ただ、オイラが奈落の社を足抜けして、真っ当な職業について、それから堂々と迎えに行く。それだけで、オイラ達は幸せになれたんす!」

「足抜けするにも、それなりの制裁はあるぞ。それに、北街生まれのお前が、んな真っ当な職につけんのかよ」

「心の中で、制裁を受けることにビビッてたんす。その覚悟が無いって、エレンはきっと、心の何処かで気づいていた……だから、オイラの手を取ってくれなかった。二人で頑張ろうって、ただそれだけを、言えばよかったのにッ……」


 悔しげに地面を殴りつける。

 甘い。甘すぎる。子供らしい、幼稚な考えだ。

 現実はそんなに都合よくいかないし、綺麗事を並べたところで、どうにもならないモノはどうにもならない。

 北街から職を求めて東街や他の街、王都以外の場所に出る人間も少なくない。

 だが、その多くは夢破れ、北街へと舞い戻って来る。

 前向きな心と、困難を切り抜ける勇気、そして絶え間ない努力を持ってしても、現実という壁はあまりに分厚すぎるから。


 だから奈落の杜があり、天楼があり、北街があるのだ。

 ウェインの言うことは美しい。心ある人間なら、彼の言葉に心を動かされるだろう。

 けれど、多くの大人は言うだろう。馬鹿な夢を見るのは止めろ、と。

 それに、どんなに後悔しても、もう手遅れだ。

 扉は硬く閉ざされた。ウェインとエレン、二人の行く末を示すように。


「オイラが、オイラがエレンに告げる言葉は、さよならとか、幸せになとか、そんな言葉じゃなかったのに、格好つける必要なんて、無かった。恰好悪くても、情けなっても、オイラの言葉をぶつけるべきだったんだッ! ……畜生ッ……オイラはっ、馬鹿だ。大馬鹿だッ!」


 ウェインは喉が張り裂けるほど叫び、何度も謝罪の言葉を口にして、門の前で蹲り泣きじゃくった。

 己の無知と無力を嘆き、後悔に押し潰されながら。




 ★☆★☆★☆




 涙を袖口で拭うエレンの肩を、シドがポンと優しく叩く。


「……よく、我慢したの」

「はい。言えば、ウェインに辛い思いをさせるのが、わかったから」


 寸でのところで叫びそうになった言葉を、エレンは必死の思いで飲み込んだ。

 彼女の大好きな人は、もうこの高く頑丈な扉の外。

 ドジでおっちょこちょいで、でもとても優しく笑うと笑顔が可愛い男の子。

 初めて出会った時、男の人が怖くて愛想の悪かった自分を、何とか必死で笑わせようとしてくれたのは、エレンの大切な思い出だ。

 ずっと一緒にいたかった。好きと言って貰えて嬉しかった。

 でも、今はそんなささやかな願いも、叶えることは出来ない。

 エレンは知っていた。ウェインが、自分を娼館から身請けする為に、昼夜問わず働き、食事も碌に食べてなかったことを。

 それでも二人切りの時は、疲れた素振りもおくびに出さない彼を、エレンは心から愛おしいと思っていた。

 だからこそ思う。ウェインは、幸せになるべき人なのだ。


 エレンは自分に劣等感がある。

 物心ついた時には、娼館で下働きとして働いていた。

 耳を覆いたくなるような日常の中で、いつかは自分も身を売らねばならない事実に怯えていた。

 そんな日々にあって、彼女は優しい娼館の姐さんたちに囲まれ、今まで身を売らなくても、花売りとして暮らせてこれた。

 居心地の良い優しさは、何時しかエレンのとって強い足枷と化した。

 優しさに答えられない自分。守られているだけの自分。自分が不幸から逃れる分だけ、他人を、大好きな人達を不幸にしている。

 それが何よりも、堪らなく辛かった。


 要領は悪いが、努力家で頭の良いウェインなら、過酷な奈落の杜の中でも出世できる。偉くなれる。

 けれど、何も出来ない自分が側にいれば、きっと彼の足を引っ張ってしまうだろう。

 彼は優しいから、どんな時も自分を優先してしまう。

 エレン自身が苦しむのは構わない。けれど、それを見て苦しみ、もっと辛い中に自ら飛び込んで行ってしまうウェインを見るのは、弱い自分には耐えられなかった。

 自分の所為で、愛する人を不幸にしたくは無い。


 だから、この想いは今日で終わり。

 今日からはここで、天楼の地で、シドの理想を叶える為に自らの役割を果たす。

 シドが語る理想が本物なら、彼が彼の信じる夢を果たしたら、この北街に平穏が戻るのなら、間接的にもウェインを幸せに出来るかもしれない。

 シドの理想に、エレンの理想を託す。

 その果てに、ウェインの幸せな未来があると信じて。エレンが、彼を幸せに出来ると信じて。

 決別するよう、エレンは扉に背を向けた。


 その時、

 幾筋閃光が扉に走った。

 エレンの目には、素早い閃光が走っただけにしか見えない。

 が、打ち付けるような気配が、扉を通して天楼の内部を駆け巡る。

 次の瞬間、頑強な扉がバラバラに斬り裂かれ、音を立てて崩れ落ちた。

 あり得ない状況、あり得ない事態。

 天楼発足以来、幾度となく繰り広げられてきた抗争の中で、一度として破られることの無かった扉が、こうもアッサリと斬り刻まれてしまうなんて。

 信じ難き光景に、言葉を失う面々の視線を一身に浴びて、斬り裂かれた穴から、一人の男がゆったりと姿を現す。

 男は扉を斬った剣を軽く振り、刃から木屑を払うと、そのまま右肩に乗せる。

 灰色髪の男……アルトだ。

 アルトは驚きに止まる天楼の面々を見回し、ニャッと歯を見せて笑った。


「悪ぃな天楼。俺の依頼主が延長戦をご希望だ」


 ニヤリと笑って、肩に乗せた剣の切っ先を、天楼の面々に向ける。


「喧嘩上等! テメェら、もうちょっと俺達に付き合って貰うぜ」







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