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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2部 反逆の乙女たち
160/162

第160話 それぞれの結末






 結婚とは愛する者同士が永遠の愛を誓い合う、大切な儀式である。

 勿論、結婚が愛の行き着くゴールでは無い。年若い者同士なら尚更、共に過ごす長い年月、順風満帆というわけには、中々いかないだろう。


 親子兄弟のよう血の繋がりの無い、いわば赤の他人と家族になるのだ。愛し愛される関係であっても、四六時中顔を付き合わせる毎日が長く続けば、すれ違いはあるだろうし、顔を合わせるのも嫌と思う瞬間が、訪れるかもしれない。


 それらの積み重ねが、不幸な答えを導き出すことがあるかもしれないが、結婚という行為、結婚生活という人生は、互いの間にあるルールと言う名の境界線を、一本一本消していき、新しく引き続ける作業だと言ったら、些か大袈裟過ぎるだろうか。

 少なくとも、結婚式という晴れの舞台に置いて、愛し合う二人は幸せの絶頂であることは、疑うべくも無いだろう。


 何事にも、例外というのは存在するが。

 のちに、アルフマンの内乱と呼ばれる戦いから、三日が経過した。

 反乱はたった一日の間に収束し、国民に多少の動揺はあれど、大きな騒ぎにまでは発展しなかった。

 それにより派生した、様々な問題。アカシャと咢愚連隊のことや、エンフィール騎士団が無断で、他国の領域で戦闘行為をしたこと。更には許可の無いガーデン一派の、内部干渉等々、頭の痛くなる問題は山積みだったのだが、その辺りは前皇帝であるエフラム・ツァーリ・エクシュリオールが、上手く立ち回ってくれたらしい。


 流石は幾多の大戦を潜り抜けた、前皇帝だけのことはある。

 そもそもにして、内乱では軍部を始め、実権を握る評議会の連中は、モノの役にも立たなかった。

 漁夫の利を狙った挙句、その隙をアルフマンに突かれ、あわや首都陥落の危機まで作ってしまった評議会の責任は重い。更には戦いにおいて腰を上げなかった行為も、国民に暴露され日々、激しいバッシングを受けてしまっている。


 これにより、近い内に議会は総入れ替えとなるだろう。

 更に大統領選まで再開されれば。アルフマン派だった人間や、今回の一件に功の無い人間に座る椅子は用意されない。

 故に今や国民の間では英雄扱いである、皇族一派にすり寄る人間も多く出てきた為、諸々の問題はお咎めなし。そういった方向で、内々に処理されたのだ。


 何にせよ一件落着。簡単に言えば、そういうことである。

 ただし、問題が解決した矢先、新たな問題が顔を出すのが世の常。

 アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールの齎した爆弾発言により、戦争が終わったばかりのラス共和国は、新たな珍事の幕を開けようとしていた。




 ★☆★☆★☆




 首都イクリプスの郊外にある教会の礼拝堂。

 人が二十人ほど集まれば、直ぐに一杯になってしまうような小さな教会だが、ここは大昔より、皇族御用達の場所。その規模に反して細かい部分にまで、様々な細工が施され、静謐な空気で満ちた由緒正しい教会なのだ。


 特に聖女像の後ろにある、ステンドグラスは特一級の芸術品。

 複雑かつ繊細な色彩は、ラス共和国広しといえど、ここでしかお目にかかれないだろう。

 隅で奏でられるオルガンの音色の中、奏者の老人以外にこの教会にいるのは、聖女像の前にいる二人だけ。

 前皇帝エフラム・ツァーリ・エクシュリオールと、アルトだった。


「懐かしい。実に懐かしいな」


 正装に身を包んだエフラムは聖女像を見上げ、感慨深そうに何度も頷いた。


「君からすれば、皇族でありながら質素で地味な結婚式に思えるだろう。しかし、これは建国より続く通例である。特に時期皇帝たる者は、その血に敬意を払い新たな血を迎える為、皇帝……この場合は、前皇帝になるが、実父と実母以外参列が許されない、格調高い儀式なのだ」

「ほぉ~」


 重々しく語るエフラムの言葉に、アルトは全く興味の無い返事を漏らす。


「そりゃ結構。だったら、俺がこんな恰好なのも、その儀式の一環ですか?」


 新郎らしく白いタキシードに身を包んではいるが、その身体はロープで雁字搦めに縛られ、床の上に胡坐をかいていた。

 清浄な空気に満ちる礼拝堂内では、違和感以外の何物でも無いだろう。


「それは、君が逃げるからだ婿殿」

「いや、そりゃ逃げるだろうよ。それと、婿殿って言うな」

「ほう」


 見上げていた首をグルリと此方へ向け、殺気の滲む睨むような視線を落とす。


「我が娘に、何か不満でも?」


 声のトーンが一段低くなる。

 はて。こんなに、娘思いの人間だっただろうか、前皇帝閣下様は。

 初対面からの印象の違いに、アルトは眉間に皺を寄せながら、唯一自由になる首を横に傾けた。


「ってかさぁ……なぁんでこんなことになってんの?」


 深いため息と共に、縛り上げられた自らの境遇を大いに嘆いた。

 天使エクシュリオールとの激戦を制したモノの、竜翔白姫の最後の封印を解いた影響で、生命力を削り切り、死にかけたのだが、何とか一命を取り留めることが出来た。夢の中で厄介な人間に再開した気がするけれど、それは生き返ったことと直接関係は無い。


 アルトが死の縁から蘇ったのは、全く別の理由。

 まぁ、その件に関しても、アルトは色々と言いたいことはあるのだが、今は横に置いておこう。どうせ、怒り狂ったところで、もうどうにもならないことだろうし。

 今問題なのは、目を覚ました直後に放り込まれた、爆弾発言に関して。

 褒美と称した、アカシャからの求婚である。


「貴い血筋である皇族と、血縁を結ぶことは栄誉である……百パー善意でそう思ってんだから、やっぱアイツも共和国人。いや、帝国人だよなぁ」


 アルフマンもそうだが、何だってこの国の人間は、こう考え方が偏っているのだろうか。

 だが、血の起源が天使エクシュリオールだと考えると、極端から極端へと走ってしまう物の考え方は、最早魂レベルで刻み込まれてしまった、取り返しのつかない性なのかもしれない。

 現在進行形で巻き込まれているアルトは、堪ったモノでは無いが。


「しっかし、何でんな状況になんだよ? 俺、アカシャの奴に、好かれる要素とか、無かったと思うんだけどなぁ」


 皇女様の趣味は理解不能だと、アルトは眉間の皺を一層深くした。

 何度もため息を繰り返すアルトの心情を全く知らないのか、それともただ無視しているだけなのか、エフラムは感慨深い表情で語りを続ける。


「婿殿。余も当然、結婚式はこの場所で行った。当時はまだ皇帝になる前で、国境付近も色々ときな臭い時期でな。大きな戦を予感しながらも、つかの間だろうが国に平和が訪れている内に、婚約者であった妻とささやかながら、結婚式を挙げたのだ……この身に何が起ころうと、決して後悔せぬ為にな」


 おっさんの思い出話なんざ、興味ねぇよ。

 と、危うく不遜な言葉が喉まで込み上げる。


「意外に思われるかもしれないが、余と妻は恋愛結婚でね。故に、血筋を気にする他の皇族連中には大いに反対されたものだ。ツァーリとしての自覚を持てと、それこそ耳にタコが出来る思いだ……だが、大人など勝手なモノだな。その経験があるのに、余は素直に娘の結婚話に頷くことが出来なかったよ」

「そりゃまぁ。告白して三日後に結婚とか、正気の沙汰じゃねぇよな」

「余も納得するまで、一晩かかったものだ」

「短くね? 娘の人生ちょろすぎね?」


 ツッコむが、エフラムの耳には届いておらず、その厳しい顔つきに僅かながら光る涙を滲ませていた。

 完全にキャラが壊れてるだろうと、アルトは顔を顰めた。


「色々と公の立場もあり、父親として何もしてやれなかった。だがせめて、娘の晴れの舞台くらい、前皇帝としてでは無く父親として見守ってやりたい。そう思うのは間違っているだろうか」

「新郎を拉致監禁してる時点で、間違いしかねぇけどな」


 プロポーズの直後、ロックスターとゲンゴローに両脇を抱え、強制連行されたことを思い出す。

 他の連中は咄嗟のことに、身動きが取れなかったようだが。

 なし崩し的にこのような状況に陥ってしまったが、結婚なんて冗談では無い。


 確かにアカシャは年こそ若いが、見目麗しい美少女だ。皇族の血筋だけあって、教養もあり性格も古風で奥ゆかしい。財産も大部分は没収されてしまったとはいえ、それでも上流階級と呼べるだけの蓄えは十分に持っている。

 何より皇帝。もし万が一、今回の一件が尾を引き、国民の間で王権復帰の運動が起これば、再びエクシュリオール帝国の復活。それこそ、何のしがらみも無い皇帝の婿養子殿は、一生遊んで暮らせるだろう。


「あれ? 意外と悪くなくね?」


 思わず傾げていた首を、反対に倒してしまう。

 ネックである年齢も、数年立てば問題にはならなくなる。

 今でも十分美しいアカシャだ。後三年も立てば、麗しい淑女へと成長することだろう。

 彼女の親類関係を見る限り、将来は有望だ。今は平らな胸も、ラス共和国の今後の未来同様、たゆんたゆんに大きく成長していくだろう。

 あらぬ妄想を膨らませていると、何だか急に、そわそわしてきてしまう。


「いかんいかん。下半身部分に、急な差し込みが……あのちびっ娘が来て以来、ご無沙汰だったからなぁ」


 不埒なことを呟いていると、教会の扉が音を立てて開かれた。

 薄暗い礼拝堂の中に外の光が差し込み、タイミングを合わせたのか、オルガンが奏でる音色が大きくなる。

 現れたのは、母親らしい品の良い中年女性に導かれたアカシャ。

 真っ白なウエディングドレスに身を包んだ彼女は、正面に縛られ座っているアルトを視界に納めると、ニコリと幸せそうに笑った。


「……ッ!?」


 思わずアルトは息を飲んでしまった。

 美しい。元より、素材は良かったのだが、ここまでとは。

 無意識にアカシャの姿を凝視してしまい、ゴクリと喉を鳴らす。すると、視線に気が付いたアカシャは、恥ずかしげに頬を染めた。


「そ、そんなに見つめるな旦那様。照れる……」

「あ、ああ……って、いかんいかん!?」


 旦那様という単語を肯定しかけ、アルトは慌てて首を左右に振る。

 何ということだろうか。まさか、皇族のカリスマ性が、こんな所で発揮されるとは、流石のアルトも意外だった。最早、呪いの類かと疑う魅了のカリスマに、思わずアルトは「年下も、小さい胸も悪くないかも」と思ってしまう。


「ぶるぶるぶるッ! 駄目だ落ち着け俺ッ。ここでアカシャに転ぶってことは、散々言われ続けたロリコンヒモ野郎って罵りを、肯定することになんぞ!」


 激しく首を振り乱し、必死で煩悩を追い払う。

 如何にアカシャが可愛かろうと、結婚なんて冗談では無い。


「……とは言っても、どうすっかなぁ」


 身体を捩ってみるが、身体に食い込んだ縄は解ける様子が無い。

 ただの縄では無く、魔術式が組み込まれている為、人間の力で解いたり引き千切ったりするのは難しいだろう。

 強引な手を使えないことも無いが、アカシャの幸せそうな顔を見ると、何だかそれも憚られた。


 チラリと入り口の方を見ると、物言いたげな視線を向けるハイネスの姿が。

 仕来りの為、教会の中に踏み入るまではしないが、彼女は長くアカシャを支え続けた存在。特別に、外で結婚式を見守る許可でも出たのだろう。

 いつも通りの服装に身を包むハイネスは、愁いを帯びた瞳を、真っ直ぐと向けていた。


「……うぐっ」

「…………」


 言葉には出さないが、向ける視線は酷く悲しげだった。

 何故だか、胸にチクチクと罪悪が突き刺さる。

 この結婚式に異論があるなら、遠慮せずに言ってくれればいいのに。と、酷く身勝手な考えが過り、思ってから罪悪感を加速させた。

 そうこうしている内に、母親に導かれ、アカシャバージンロードを歩く。


 どうする、どうする、どうする。

 近づくアカシャの笑顔を見つめながら、アルトはダラダラと脂汗を掻きながら、思考を懸命に巡らせる。

 このままではなし崩しに結婚させられ、既成事実を作られてしまう。


「……いや、それって逆じゃね?」


 小さくツッコんでいる内に、アカシャはもうすぐ側まで迫っていた。

 額から流れる汗が頬を伝い、顎先から地面に落ちた瞬間、頭上にあるステンドグラスが勢いよく粉々に砕けた。


「――キャッ!?」

「――アカシャ!?」


 悲鳴と共に、オルガンの音色が止まる。

 驚くアカシャとその母を、素早く踏み込んだハイネスが抱きかかえ、礼拝堂の隅へと避難させる。

 勢いよく割れたおかげで、ちょうど真下にいたアルト達は、ガラスを被らずに済んだ。


 粉々に砕ける色とりどりのガラス片の中、飛び込んできたのは一陣のつむじ風。

 赤いドレスに鳥の羽根飾りをつけたビーバー帽を被った、眼鏡の淑女が両手剣を担ぎ、優雅な佇まいでバージンロードに降り立つ。

 淑女はビーバー帽の位置を直すと、剣を掲げ高らかに叫んだ。


「結婚とは愛の儀式。愛する者同士ならば祝福もしよう。だが、そうでないならばこの結婚式、通りすがりの貴族であるこのシーさんが、異議申し立てをする!」


 大見得を切って、彼女は掲げた剣を振り下ろす。

 唐突な登場と台詞に、教会内は奇妙な沈黙に包まれた。


「……アイツって、時々すげぇ馬鹿だよな」


 見覚えのある後姿に、アルトは思い切り顔を顰めた。

 と、皆がシーさんに注目している中、アルトの背後にごそごそと、また別の気配を感じた。


「……君は」

「――ちょっとアンタッ!」


 アカシャの言葉を遮るように怒声を張り上げたのは、花嫁とその母親を守るように立つ、ハイネスだった。

 割れたガラスを踏み鳴らし、ハイネスは腰の双剣に手を添えた。


「随分と無粋な真似をしてくれんじゃない。馬に蹴られても知らないわよ?」

「……ふん」


 シーさんは眼鏡越しに、視線を細めた。


「ええ、ええ。無粋なのは百も承知。私も別に何の関係も無いのだけれど、ちょっとした一身上の都合故、邪魔立てをさせて頂くわ」

「一身上の都合ぉ? 振られ女の横恋慕じゃないのぉ?」


 ピキッと、シーさんの額に青筋が浮かぶ。

 それでも、激昂せずに表面上でも、冷静さを保つのは流石だろう。


「何を言っているのかわかりかねるのだけれど、そもそもにして、あの男に結婚なんて甲斐性を求める方が間違っているの……まぁ、あえて生贄と言う名の結婚相手を求めるのならば、同郷の、同年代の、例えば騎士団長などをやっている女性がいいのでは無いかしら。勿論、これは人助けの一環として」


 回りくどい言い方に、ハイネスの額にも青筋が浮かぶ。


「なぁにを勝手なこと言っちゃってんのよムッツリスケベ!」

「むっ、むっつり!?」

「そんなっ、勝手なことばかり言わないでよッ! あたしだって、あたしだってあの人のこと、好きなんだからぁぁぁ~~~あ!」


 ムキになった所為か口が滑り、本音を口暴露してしまったことに気が付き、ハイネスの顔がボンと赤くなる。

 再び沈黙が流れ、ハイネスは真っ赤な顔で動揺するよう、口をパクパクさせる。

 だが、それで逆に吹っ切れたのか、睨み合う二人は競い合うよう同時に、聖女像の方向を振り向く。


「「どっちを選ぶの!?」」


 こんな時ばかり仲良く、二人の声がハモった。

 しかし、振り向いた先には当の本人の姿は無く、エフラムが、他人の結婚式でそりゃないだろう。という、微妙な表情を向けていた。


「「――ッ!?」」


 二人は慌てて、教会の出入り口の方へ視線を向けた。

 すると、そこには人目を避けるようこっそりと、外に逃げ出そうとするアルトと、髪の毛の一部が白く染まった少女、ロザリンの姿があった。

 向けられた視線に気が付き、アルトは「まずっ」と顔を皆の方へ向ける。

 睨む視線。

特に女性陣の迫力に顔を顰めつつ、とりあえずは礼儀だとアカシャの方を見た。


「悪いなアカシャ。結婚は無しだ。俺はエンフィールに帰るぜ?」

「何故だ? 皇族の地位が得られるのだぞ。今は確かに何の権力も持たぬが、君が力を貸してくれるのなら、必ず高みに到達すことが出来ると約束しよう」


 案外落ち着いた口調と態度で、アカシャは自らの決意を語る。

 アカシャには皇族として、確かなカリスマ性と有している。それだけで無く、この数年間の経験は、確かな彼女の血肉となり、より一層、アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールの価値を高めてくれただろう。

 近い将来この国に、女性の大統領が誕生する日も、決して遠くは無い。

 前に出たアカシャは、アルトに向かって右手を差し出す。


「共に来てくれるのなら、この手を取ってくれないか?」


 アカシャの表情に笑みが浮かんでいる、けれど、その瞳は真剣だった。

 だが、アルトは面倒臭そうな顔で、後頭部を掻く。


「悪いけど、そういうのは間に合ってんだ……それに、国には待たせてる連中もいるんでね。口うるさい連中ばかりだけど、俺がいないと寂しがるんだよ。仕方ないだろ、帰らないと」

「……そうか。ならば、仕方がない」


 少しだけ。本当に少しだけ悲しげな表情をしてから、アカシャはニッコリと笑った。


「仲間は大切にしかければならない。それは、私が一番良く知っている……でも、アルト。それに、ロザリン。これだけは言わせて欲しい」


 二人に視線を向けたアカシャは、深々のその頭を下げた。

 花嫁衣装に身を包み、頭を下げるという動作をしながらも、彼女の持つ皇帝としての威厳は何一つ欠けることなく、むしろ、アカシャという女性の器の大きさを、まざまざと見せつけられた。


「ありがとう。この国を愛する人間として、アルトとロザリンに最大の感謝を。皇帝として、友として。そして、貴方を愛する一人の乙女として……さよならは言わない。ありがとう。また、会う日まで」


 万感の思いを言葉に、二人は顔を見合わせる。

 ジト目をするロザリンが、肘でアルトの脇腹を突っつき、お返しとばかりに、ペシッとおでこを手の平で叩く。

 そして二人は同時に、ニカッと歯を見せて笑った。


「いいって、ことよ」

「アカシャも達者でな。んじゃ、また会おうぜ……あばよ!」


 二人は手を振りながら走りだし、慌ただしく教会を後にした。

 続くようシーさんも両手剣を肩に担ぎ、チラッとハイネスに視線を送りつつ、二人を覆うようにして出て行った。

 教会の中には暫しの沈黙。

 気まずそうな表情でハイネスが、三人が去って行った方向を見つめる、アカシャに声をかけた。


「あの、アカシャ」

「……あ~あ。逃げられてしまったな」


 振り向き、アカシャは悪戯っぽく、舌を出して見せた。


「だが、仕方のないことかもしれない。彼のいるべき場所は、きっと他にある。悔しいけれど、まだまだ私では役不足だったらしいな」

「……アカシャ」


 苦笑する姿に、ハイネスは心配そうな顔をしたが、彼女の心情を察してか、すぐに悪戯っぽい笑顔に変わる。


「……諦めるの?」

「まさか」


 そう言って、アカシャは振り返る。


「また、戦争だハイネス。エンフィール王国から、アルトを奪い取るぞ。この恋だけは、エンフィールにも君にも負けられない」

「了解……今度は、抜け駆け禁止なんだからね」


 ちゃっかりと釘を刺す言葉に、アカシャは面を喰らったような表情をしてから、苦笑いを浮かべた。

 二人で並び、開きっぱなしになっている入り口に立つと、正面に広がるラス共和国の荒野を、一台の馬車が駆けていた。何時の間に現れたのだろう。馬車は、荒野を走るアルト達を拾い上げると南側、エンフィール王国を目指して走り始めた。

 幌の無い馬車の御者を務めるのはシエロ。荷台には三人の他に、金髪の見覚えのある女性が乗っていた。

 確か王都でアルトと親しくしていた、ウェイトレスの女性のようだ。

 二人は並んで、荒野を走る馬車を、何時までも見送っていた。




 ★☆★☆★☆




 荒野を進む馬車を見送る者達は、別の場所にも存在した。

 赤茶けた岩肌が剥き出しになる崖の上に佇むのは、褐色の肌を持つ一人の少女。そろそろ雪が降り出してもおかしくない気温の中、少女は場に不釣り合いな露出度の高い恰好で、砂塵を上げて走る馬車を眺めていた。

 腰には一本のレイピアを下げる少女は、微笑むように唇を軽く吊り上げる。


「あらあら、奥ゆかしいことで。未練たらしく見てるくらいならば、ちゃんと挨拶すればいいものを。ねぇ、テイタニア?」

「……なんや、薔薇様か」


 頭を掻きながら少女、テイタニアが振り返ると、気配一つ感じ取らせぬ内に忍び寄ったラヴィアンローズが、背後にあった大岩の上に腰かけていた。

 大岩の側には不機嫌そうな表情の、ニィナまでいる。


「二人共……死に損ないのうちに、何か用でもあるんか?」


 軽く自虐するように言う。

 見ると大胆に開いている胸の部分には、大きな傷跡がくっきりと。まるで、傷そのものを、融解してくっ付けたような奇妙な痕だ。


 何故このように傷が塞がったのか、何故自分が生きているのか。

 テイタニア本人にもわからない。尖塔から落下し、次に目を覚ました時には、柔らかい花びらのような物体の上に、自分が倒れていた。近くにレイナの姿は無く、魔剣ネクロノムスだった物だけが、墓標のように突き刺さっていた。


「それ。魔力を感じませんわね」

「ああ。ただの、ガラクタや……墓に納めてやろうにも、他にモノが残ってなくてな。そや、クルルギは? アイツも、来とったんちゃうの?」


 問いかけに、ニィナがムスッとした顔で答える。


「戦いが終わった途端、私達に後始末を押し付けて帰ってしまったわ。全く。お嬢様のお世話をしなければならないのはわかるけど、無責任すぎるわ」

「はは。相変わらずやな」

「それより、貴女はこれから、どうするつもり?」


 反対に今度はテイタニアが問われ、悩むことなく答えた。


「とりあえず、レイナの村に帰って報告。レイピアを墓に納めてくるわ……んで、その後はまぁ」


 歩き出しながら、チラッと遠くを進む馬車を見る。


「最強っちゅうもんを、いっちょ目指してみるかな。勿論、健全な方法で」

「無理だわん」

「無理でしょうね」


 間髪入れず、二人に否定され、テイタニアはズルッと肩を落とす。


「あ~ん~た~らぁ~」


 振り返って睨み付けると、ラヴィアンローズはワザとらしく大袈裟に、ニィナも珍しく楽しげな表情で大笑いしていた。

 馬鹿にされて不機嫌そうにするモノの、テイタニアもつられるように笑う。

 笑いながら見上げる寒風の空は高い。

 死に損ねたのかもしれないが、もしも、あの娘が生きていて良いと言ってくれるのなら、精一杯生きてみようとテイタニアは思う。

 それが何も出来なかった親友に遅れる、唯一の鎮魂歌だと信じて。




 ★☆★☆★☆




 物事に結末が訪れるとうことは、多くの人間にとって一つの転機とも言える。

 当然、その転機は今まであったモノの形を変えてしまう。それが例え、何十年も続いた組織や関係、立場だったとしても。

 セント・ピーリス大聖堂の裏手には、二つの墓石がある。

 本来、死者を埋葬するような場所では無いのだが、ここに眠る二人は特別な許可を得て、この地を終の棲家にすることを許された。


 並ぶ墓石には、当然二人分の名が刻まれている。

 シン・ハーン・エクシュリオールと、パスカリス・グレゴリウスだ。

 墓前にはそれぞれ、三人分の花が供えられている。

 特に示し合わせたわけでは無いが、偶然この場に居合わせてしまった三人は、互いに背を向けあっている。まるで、ここから先の行く道は、全く別だと言うように、三人はただ前に続く道だけを見つめていた。


 スズカ、ジャンヌ、ヨシュア。

 故人を含めればこの場に、近衛騎士局の全員が揃ったことになる。

 久しぶりというわけでは無いが、気まずい雰囲気が場を包み込む。

 何か大きな蟠りがあるわけでは無い。互いが互いの騎士道、信念に基づいて行動した結果が、今日に続いているのだ。結果だけ述べれば、彼らが守るべき国と国民は守れたのだから。


 それは亡きシンや、アルフマンに与したパスカリスも、同じことだろう。

 だが、ケジメはつけなければならない。

 暫く無言のまま、最初に踏み出し、口を開いたのはヨシュアだった。


「……この国のことは、頼んだぞ。ミヤ様」


 それだけ言い残し、ヨシュアは足早に去って行ってしまった。

 彼の服装には、騎士を証明する物は無く、腰に剣も携えていない。彼は一連の事件に関する責任を取って、騎士長の職務を辞任したのだ。


「ええ。任せなさいな」


 彼の頑固さを知るスズカも、頷くだけで引き留めるようなマネはしなかった。

 止めればかえって、ヨシュアのプライドを傷つけることになると、理解しているから。

 一人、早々にこの場を後にして、もう一人が大きくため息を吐き出す。

 ジャンヌ・デルフローラ。彼女もまた、騎士長では既になかった。


「オレも失礼させて貰うぜ。辛気臭い雰囲気は、好きじゃないんでね」


 責任ある立場を退いた為か、普段の丁寧な口調では無く、乱暴な言葉で軽く手を振って歩き出す。

 ジャンヌのことも、スズカは引き留めない。


「行く宛はあるのかしら?」


 代わりにそう問うかけると、足を止めたジャンヌは、何故か頬を赤く染めた。


「……尊敬する人が、出来たからよ。その人を、追っ駆けてみるわ」

「そう。それは、お幸せに」

「……おう」


 照れるように頭を掻き、ジャンヌもこの場を立ち去った。

 互いに別れの言葉は無い。

 当然だ。彼らは共に民を守る騎士であって、仲良しこよしの友達同士では無いのだから。


「……やれやれ。残ったのは、私一人。今後のことを考えると、中々に頭が痛いわね。ドエムでなければ、過労死していたところだわ」


 冗談では無く本気で言いながら、スズカも歩き始める。

 一人きりになってしまったが、まぁ、大丈夫だろうと、スズカは酷く楽観的に今後の道筋に思いを馳せていた。

 ミシェル・アルフマンに敗因がるとすれば、それは他人を信じなかったからだ。

 他人を理解出来ず、他人を理解しようとしなかったアルフマンが、全ての事柄を一人で動かそうとして、最後は人という枠組みまで逸脱してまった。


「哀れなミシェル……でも、私は違うわ。貴方とは全く違うやり方で、この国を導いてあげましょう」


 歩きながら、スズカは長い髪の毛を掻き上げる。


「だって私はドエム。我慢することは、苦ではないのだから」


 全然、格好良く無い言葉を残し、スズカノミヤは道を行く。

 アカシャとスズカ。

 数年後、この国を導く指導者となるのは、果たしてどっちなのだろうか。

 その答えが出るのはまだ、当分先の話となる。






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