第16話 御旗をその手に
旗追い。
それは、昔からエンフィール王国に伝わる遊びの一つだ。
ルールは至極単純。
旗守りと呼ばれる人間が手に旗を持ち、一定の距離まで走る。
それを追い役が後ろから追い駆け、途中の壁役が走行の邪魔をしたりして、手に持っている旗を奪うか、旗守りがゴールまで走り切れば終了だ。
元となったのは古くから伝わる、とある昔話の一幕から。
あるところに、足が速いだけで何のとりえも無い兵士がいました。
彼は隊のお荷物で、いつも戦いの足を引っ張ってばかり。
隊長は困り果てていた。クビにしたいが、ここは戦場のど真ん中。流石に一人で、こんなところに放り出すわけにもいかず、隊長は仕方なく兵士を部隊の象徴である、旗を守る役に任命する。
兵士は戦うことは無く、ずっと旗を守り続けていた。
ある日、部隊は敵に囲まれて大ピンチになってしまう。
本隊に助けを求めたいけれど、今、一人でも戦力が減ってしまうと、部隊は瞬く間に全滅してしまう状況で、手を上げたのは旗守りの兵士だった。
兵士は言う。
「俺は戦力にならないから、走って行って助けを呼んでくるよ」
隊長は困り顔で、こう返す。
「だが、周囲は敵だらけだ。捕まったら、殺されてしまうぞ?」
隊長の言葉にも、何とか皆の役に立ちたいと兵士の固い決意は変わらなかった。
そして兵士は部隊の皆に見送られ、一人本隊を目指して走りは始める。
その手には、味方の証拠として、隊のシンボルである旗を持って。
途中、騎兵に追われ、装甲兵に阻まれ、何度もピンチに陥るが、旗を守って何とか本隊まで辿り着き、部隊の救出は無事成功した。
そのお話が元となって現在に伝わる遊戯が、この旗追いである。
★☆★☆★☆
「……と、言う昔話」
通りに集まったメンバーに、旗追いの由来を語り終えると、ロザリンはペコリと頭を下げた。
まばらな拍手が鳴る。
前にいるのはアルト、ウェイン、フェイ、ラヴィアンローズ、そして居辛そうな表情をしているエレンの五人だ。
一緒に遊んでいた子供達は、夕暮れも近いのでラヴィアンローズが帰るように促した。
誰もが知っている話だけに、一応の義理として手を叩きながらも、
「……何故、今更そんな説明を聞かねばならん」
と、フェイが眉間に皺を寄せて呟いた。
その横でウェインの視線から隠れるように、身を小さくしているエレンも、何でこんなことにと小さくため息をついていた。
彼女はアルトが、フェイに頼んで連れてきて貰った。
理由はそのまま。旗追いをするから、その数合わせにと。
最初は二人の関係を気遣ってか、断ってきたが、アルトが「んじゃ、代わりにシドの爺さんに頼むか」と言ったら、「そんなお遊びの為に、ボスとお手を煩わせる気かッ!」と怒鳴って、尚も問い詰めると、渋々と言った様子でエレンを呼びに行った。
シドの場合、呼んだら嬉々としてやって来そうだが。
説明を終えて、アルトが前に出ると、腰に手を当てて一同を見回す。
「よーし。これから、旗追いの役割を決めるぞ。テメェら、お遊びだからって気を抜かず、真剣にやれよ?」
「おー」
「おまかせ、ですわ」
「う、うす」
「……ふん」
「……ふぅ」
半分以上、やる気がいまいちだった。
そんな微妙な空気の中、早速ゲームは始まる。
一回戦。
旗守り・ウェイン。
追い役・アルト。
壁役・ロザリン、ラヴィアンローズ、エレン、フェイ。
「……オイラ、走り切れる気が、全くしないんすけど」
スタート位置に立ったウェインが、悟り切ったような顔でゴールまでの道筋を眺めた。
正面には壁役の人間が、一定間隔に立っている。
壁役は旗守りの進行を邪魔するのが役目だが、自由に動けるのは左右だけ。前後には三歩分しか移動できない。
後ろには追い役のアルトが、アキレス建を伸ばしながら準備運動。
追い役は旗守りを追い駆け、旗を奪うことが目的だが、決して旗守りより前へ出てはいけない。
そして絶対的なルールとして、どの役割の人間も、互いの両手足以外の部分に触れてはいけない。
そして旗に触れて良いのは、旗守りと追い役だけだ。
妨害側が勝つには追い役が旗を奪うか、壁役が上手く旗守りを転ばせ、旗を落とすかだ。
ちなみに旗は必ず、左右どちらかの手で握ってなければならなく、落としたり地面に触れたりすると旗守りの負けになる。
基本的なルールは以上。
後は、旗守りが走り始めたら、ゲームがスタートだ。
ウェインは布きれが巻き付いた木の棒を手に持って、肩を落としている。
ゲームなどをして遊んでいる気分では無いが、これはきっと、アルトなりに自分を元気づけているのだろう。
それに、真剣に身体を動かせば、この鬱屈した感情も晴れるやもしれない。
無理やりそう思い込み、気合を入れるように帽子を被り直して、体重を前にかける。
勝てる気はしないが、今はひたすら、全力で走りたかった。
「よーい……スタート!」
思い切り地面を蹴る。
ほぼ同時に、後ろのアルトもスタートを切った。
両の腕を力一杯振り、全力で走る。
ほどなくして、最初に立ち塞がったのはロザリン。
彼女は大きく両手を広げ、こちらの動きを観察するよう、ジッと見つめていた。
走る速度は緩めず、踏み出した右足に体重を乗せウェイトを傾ける。
と、それに反応したロザリンが、僅かに同じ方向に動いた隙を見て、一気に反対の左側から抜き去った。
「……あ」
すれ違いざま、気の抜けたような呟きが聞こえた。
フェイントが上手く成功したことに、ホッと胸を撫で下ろす。
そして、追い役の足音が一度止まる。
ルールで追い役は、壁役の脇を通過する際に、ゆっくり五つ数を数えなければならない。
次の壁役はラヴィアンローズ。
これは無理だろうと、表情を歪めるウェインを見て、ラヴィアンローズは意味ありげにニヤリと笑った。
嫌な予感がしつつも、ウェインは走る速度を変えない。
特に何か秀でた技の無い自分が出来ることは、一つしか無い。
通じないと理解しながらも、もう一度、ロザリンと同じようなフェイントで挑む。それもあえて同じ方向、同じタイミングでだ。
「ふふっ」
最初のフェイントに反応しなかった時点で、こりゃ駄目だと悟った。
だが、動きを止めるわけにもいかず、左側から抜き去ろうとしたら案の定、目の前にはラヴィアンローズの巨乳が迫ってきた。
(……凄い、揺れてます)
このまま顔面で突っ込んでいったら、天国が見えるかもしれない。
揺れるパラダイスに思春期を刺激されていると、目の前のラヴィアンローズがクルリと一回転。
ウェインの身体は止まったりぶつかったりすること無く、すり抜けるようラヴィアンローズの壁を突破した。
「な、なんでぇ!?」
「なんて華麗なわ・た・く・し!」
チラッと視線を背後に向けると、陶酔したような表情をするラヴィアンローズが、こちらに向けてウインクを送った。
意味がわからない。
後ろから追い駆けてくるはずのアルトも、全然追いついてこないしと、徐々に不安が募りながらも、ゴールを目指して走り続けるしかないウェインが、視線を正面に向けた瞬間、その表情が固まってしまう。
「……あっ」
「え、エレン……」
三人目は、所在なさげに立ち尽くしているエレンだった。
真正面から視線が交差し、エレンは素早く目線を外した。
ズキッと、胸に鈍痛が走り、頭の中が真っ白になってしまう。
見る間に失速していき、俯くエレンの正面で止まってしまった。
「…………」
「…………」
無言のまま、向かい合って俯き合う二人。
気まずい空気に、どうしてよいかわからなくなっていると、
「……どーん」
何故か真後ろにいたロザリンが、ウェインの背中を思い切り突き飛ばした。
「――うわぁ!?」
「えっ――きゃっ!?」
油断していた所為で足の踏ん張りが利かず、目の前のエレンを巻き込んで、二人は盛大に地面の上へ倒れ込んでしまった。
その瞬間、反射的にエレンを抱き締めて、庇うように倒れる。
エレンの身体を抱えるように、真横から転んだウェインは、倒れた痛みに顔を顰めつつ背後に非難の視線を向けた。
「お~。あの一瞬でよく守ったな。偉いじゃないか」
追い役のはずなのに、悠々とした足取りで歩いて来たアルトは、人を突き飛ばして置いて何故か、誇らしげな顔をしているロザリンの横に並んだ。
「いててて、酷いっすよロザリンさぁ~ん。なにする……」
言いかけて、ウェインは静止する。
腕の中に、柔らかな感触。
建てつけの悪いドアのようにぎぎぎと、固まった表情を自分の胸の中に向ける。
そこには顔を赤くして抱き締められる、エレンの姿があった。
「……は、離して」
「――うひゃお!?」
蚊の鳴くような声に、妙な悲鳴を上げてウェインは、飛び退くように離れた。
「ご、ごめん」
「…………」
すぐさまウェインは謝るが、エレンは後ろを向いて無言のまま立ち上がる。
あっとウェインの悲しげな声に、顔は向けず少し迷うようにして、
「……ありがとう」
と呟いた。
驚くように目を見開いて、ウェインは「あ、ああ!」と裏返った声を上げた。
「淡い恋、実に素晴らしですわ」
「……うらやま……んんッ! 何でも無い」
女性陣二人は、何やら対照的な表情をしていた。
ロザリンはアルトを見上げ、ブイサインをして見せる。
「結果、おーらい」
アルトは無言で目を細め、ペチッと後頭部を叩いた。
二回戦。
旗守り・ロザリン。
追い役・エレン。
壁役。アルト、フェイ、ラヴィアンローズ、ウェイン。
追う方と追われる方、女の子二人でバランスは良いが、最初の壁三枚が厚すぎる。
こりゃ、無理だろうなぁ。一番遠くにいるウェインが、そう思って眺めていると、準備が整ったロザリンは颯爽とスタートを切る。
流石は森育ち。
舗装された道にも慣れてきたのか、随分と軽やかな足取りで地面を駆けた。
間もなく最初の壁である、アルトが立ち塞がる。
「ま、軽く遊んでやるか」
遊びこそ真剣にやらねば意味は無い。が、時にそれは大人気無いと取られがち。
そこは経験豊富な成人男子。
子供だましの手抜きくらい、お手の物だと、余裕の笑みで走るロザリンを待ち構えた。
さぁ、右から行くか、左から行くか。
ロザリンの動きに注視していると、彼女は大きく足を踏み鳴らし跳躍する。
真正面に。
「たー」
ポスッと、アルトの胸の中に抱き着くよう納まった。
身長差があるので、ロザリンの足がプランと宙に浮く。
「……おい」
「いや、うらやましかった、から」
胸の中に顔を埋め、モゴモゴと喋るロザリンの頭頂部を見下ろす。
これではゲームにならんだろうと思っているところに、背後から刺すような視線を感じる。
振り向くと、フェイが侮蔑するような目でアルトを睨んでいた。
「ロリコンめ。汚らわしいッ」
「お前の眼は節穴かッ!」
「んふふ♪」
人の気持ちを知らずに、ロザリンは満足げな表情。
顔を正面に向けると、どうしたらよいのか困り顔だったエレンと視線が合い、愛想笑いを浮かべながら、彼女は数歩後ろに下がった。
絶対に、妙な勘違いをされていた。
第三回戦。
旗守り・アルト。
追い役・フェイ。
壁役・エレン、ウェイン、ロザリン、ラヴィアンローズ。
スタート位置に立ったアルトは、爪先でコンコンと地面を叩く。
言わずもがな、身体能力の高いアルトが、堂々の出陣である。
追い役のフェイは実力こそ未知数だが、ラヴィアンローズが言うには、天楼でも指折りの実力者らしいので、この勝負は一見の価値がある。
ちなみに、どっちが強いのかという問いかけには、大きな胸を揺らして「当然、わたくしですわ!」と答えていた。
そんな馬鹿な会話もありつつ、三戦目。
遠くの空も茜色に染まって来て、もうそろそろ日も暮れる頃。
なので、この三戦目が最終戦だ。
その場で何度かジャンプを繰り返し、準備運動は完了。
「……よ~し。軟弱なお前らに、俺が本物の旗追いってヤツを見せてやる」
「いいから早くしろ。私はもう帰りたいんだ」
背後からの冷たい言葉に、舌打ちを鳴らしつつスタートラインに立つ。
大きく息を吸い込み、止めて、
「――ッ!」
後ろ脚を蹴り、スタートダッシュ。
三歩でトップスピードに身体を乗せると、その勢いのままエレンの真横を突っ切る。
まさに、目にも止まらぬ神速。
「ふ、ふぇ!?」
すれ違いざまの風圧に、前髪とスカートがふわりと浮く。
身じろぎ一つ出来ず、エレンはそう声を漏らすのが精一杯。
まず一人目。
次の壁役であるウェインも、あまりの速さに粟を食った様子。
でも、壁役の役割は忘れておらず、両手を広げて何とか邪魔をしようとしていた。
「はい、ごめんよ!」
寸前で足を踏み切り、ウェインの身長を軽々と飛び越す。
二人目、クリア。
次はロザリン。これが意外と、厄介な相手かもしれない。
表情こそ普段通りだが、妙に鼻息が荒い様子から、随分と気合が入っているのだろう。
「まさか、魔術は使わんだろうが……」
運動神経も鈍く無く、頭も回るロザリン。
走る速度は緩めず、警戒しながらも一気に走り抜けようと様子を伺う。
すると、ロザリンは突然、右手で頭上を指差した。
「あん?」
反射的に顎を上げて、指差した方向を見てしまう。
バッと言う音が聞こえたかと思うと、両目と口を異物感が襲う。
「――グッ!? ペッ、こりゃ、砂かッ!?」
顎を上げた瞬間、微かにロザリンが左手で、何かを投げる様子が見えていた。
不味いと思った時には既に遅く、両目は砂が入った所為で、視界を奪われてしまう。
このまま、足を引っ掛けて転ばせれば、ロザリンの勝ち。
「んふ」
勝利を確信してか、薄く漏れた声が聞こえた。
しかし、視界が塞がれた程度で止まるほど、アルトは甘くは無い。
砂の目潰しで受けた動揺をすぐに押さえ、冷静にロザリンの気配を探る。
風の動き、空気の流れ、靴底で擦れる砂の音、人が発する体温。
五感の全てシャープに、鋭利に研ぎ澄まし、閉じた視界の中に薄ぼんやりとしたイメージを映し描く。
出会ってから数週間。
もう既にお馴染みの気配が、すぐ正面に立っている。
「貰った」
興奮が浮き出る呟きと、足払いを仕掛けてくる気配。
視界は無くとも、その映像は鮮明に脳裏で動く。
「……おいおい」
「――えっ!?」
ロザリンが驚きの声を上げる。
「俺がそう簡単に、止められるかよ」
クルリと身を翻したアルトは、そのまま一回転して、すり抜けるようロザリンの足払いをかわし、走り去って行った。
まるで見えているかのような動きに、ロザリンは地面に座ったまま、唖然とした顔で走り去るアルトの背中を見送った。
「やっぱ、格好いい」
三人目、クリア。
ここまでの所要時間は、十秒にも満たない。
追い役のフェイは、あまりに早いアルトの動きと、壁役のところで静止するルールに阻まれ、全く距離を縮めることが出来ないでいた。
そして、いよいよラスト四人目。
「来ましたわね」
華麗な佇まいで髪を掻き上げるのは、四人目の壁役ラヴィアンローズ。
一々、ポーズを決めている姿に、走りながらアルトはげんなりとする。
「さて、どうするかね」
一度戦った相手だけに、ある程度の力量は読める。
だからこそ、ラヴィアンローズが厄介で、手強い相手だということは、十分にわかっている。
だが、止まればすぐにフェイが追いついて、挟まれてしまう。
「同時に相手するにゃ、この二人は恐ろしすぎるぜ」
「あらぁ。女二人くらい、同時に満足させるのが、良い男の仕事ですわよ?」
「貴様ら! 何を卑猥な話をしているッ!」
後ろから怒鳴り声が聞こえた。
今のが卑猥に聞こえる辺り、もしかしたらフェイが、むっつりなのかもしれない。
意識を元に戻し、待ち構えるラヴィアンローズを、突破する方法を考える。
「フェイント……は、引っかからないだろうな。なら……後の先を取る!」
一つの作戦を脳裏に描き、アルトは真正面から突っ込んだ。
ギリギリまで距離を引き付け、相手の動きに合わせて逆を突く。
一瞬の判断が勝負を分けるが、スピードが命の現状で打てる最前の手段はこれしかない。
そう、頭で決めた瞬間、真後ろから殺気が伸びる。
「――ッ!?」
寸でのところで真横に回避すると、自分の頭があった場所を手刀が貫いた。
放ったのは、何時の間にか真後ろまで忍び寄っていたフェイだった。
作戦を組み立てる為、僅かに速度が緩んだ隙を狙って、一気に距離を縮めたらしい。
ギリギリ回避したアルトに対して、露骨に舌打ちを鳴らす。
「ふん。勘の良い奴め」
「あっぶねぇな、テメェ! 両手足以外に触れるのは、ルール違反だろうがッ!」
「触れてないから問題、ないッ!」
そう言って、今度はハイキックを顔面目掛けて放つ。
それも寸前で回避されるが、続けて反対の足から蹴りが飛ぶ。
「ラヴィアンローズ! 手は出すな。この男は、私が仕留める!」
「わたくしも狙っていたのですけれど……まぁ、いいでしょう。アルト、その娘を倒したら次はわたくしだから、覚悟してちょうだいね」
流れるような動作で、飛んでくる蹴りの嵐を掻い潜るアルトに、暢気な口調のラヴィアンローズが、半笑いでそう投げかけた。
「勝手な、ことを、言ってんじゃ、ねぇッ!」
大きく蹴りを避けて、アルトは地面に四肢を突く。
同時に、こっそり砂を握り込む。
だが、フェイはそれに目敏く気がつく。
「血迷ったな。同じ手でッ!」
目潰しを警戒し、腕で顔をガードしながら、アルトの脳天目掛けて踵落としを打つ。
が、砂の握り込みはフェイント。
砂に一瞬だけ意識を取られた隙を狙い、アルトは全力で逆走する。
「――なッ!? 本当に血迷ったか!?」
フェイは驚き、後を追おうと身体を向けた。
その瞬間、アルトは足を踏み切り、大きく跳躍した。
後方へ。
「――なんだとッ!?」
完全に虚を突かれたフェイは、伸身宙返りで頭上を飛び越えて行くアルトを、走りながら驚愕の表情で見送った。
エレンも、ウェインも、そしてロザリンも、驚きが隠せない様子。
アルトはしたり顔でニヤッと笑い、着地も綺麗に決める。
後ろ向きに走り出しながら、素早く反転。同時に砂を握った手を振り抜く。
計算通りなら、振り向いた先にはラヴィアンローズがいるはず。
一連の動きで意識を殺ぎ、そして駄目押しの砂による目潰し。例え目潰しが成功しなくても、注意を逸らすことが出来れば、抜き去るのや難しく無い。
「この勝負……貰ったぁ!」
舞う砂埃の先で、華麗なポーズを決めるラヴィアンローズな不敵に笑った。
アルトは失念していた。ラヴィアンローズが、パワーだけの剣士では無いことに。
「お出でませ、エーくん」
肩に緑色の小動物が現れ、正面に波紋状の障壁が現れた。
砂は無情にも、その障壁に阻まれてしまった。
「おい、反則だろうそんなのッ!」
「あらぁ、わたくしとエーくんは一心同体。ルールには亜精霊を使ってはならない。とは書いてありませんわ」
そりゃ当たり前だろうと思いつつ、走るアルトの足は止まらない、止められない。
「そして勿論、これも反則ではありません、わッ!」
右手を前に翳し、一際大きく気合を入れると、突き上げるように思い切り押し出した。
「――ちょ、まっ!?」
障壁がまるで大槌のように前へ突き出され、突進して来たアルトに、カウンター気味で激突。
物凄い衝撃に、弾き飛ばされたアルトの身体は宙に浮く。
衝撃は激しかったが、身体の痛みはそれほどでも無く、苦悶の表情を浮かべながらもアルトは空中で身体を入れ替え、足から地面に着地しようと試みる。
「……あっ」
「……えっ」
視線の先には、今まさにアルトを追い駆けて戻って来たフェイの姿。
空中と地面。
それぞれに視線が交差し、そして激突した。
砂煙を上げて、二人は倒れ込む。
続けて二度目の衝撃に軽く目を回しながらも、何とか意識を失わずに済んだアルトは、頭を振って状況を確認する。
「痛ってぇ……薔薇子めぇ、とんでもねぇことしやがる。おい、お前は大丈夫……」
「…………」
問いかけた対象は、吐息の熱さがわかる距離で、言葉無く固まっていた。
傍目から見れば、覆い被さって、完全に押し倒しているように見える態勢だ。
そして、大きく見開かれた瞳から、ホロリと涙が一筋、零れ落ちる。
「……ぐすっ」
「ええーッ!? いや、マジで止めてそんなリアクション! これ事故だから、女にマジ泣きされると、俺のちっぽけな良心ってヤツがチクチクと痛いからさぁ!」
「う、ぐっ。泣いてなどいないッ! お、男に触られて、少し驚いただけだ!」
「いや、泣いてますから。こんだけ間近だから、誤魔化せないから。いや、マジごめん」
「指摘するな馬鹿ぁ! 少しはこっちの気持ちも考えろ、私は、乙女なんだぞ!」
混乱しているのか何なのか、地面に倒れたままの二人。
傍目からは、完全に道端で抱き合っているように見える。
「……どーん」
「――どわっち!?」
三度目の衝撃は真横から。
頬を膨らませ怒っているロザリンに、思い切り突き飛ばされた。
すかさずフェイは立ち上がると、目元を親指で拭って佇まいを直す。
そして壁にぶつかり、逆さまになっているアルトをキッと睨み付け、怒りに震える言葉を浴びせかけた。
「乙女を辱めた屈辱。決して忘れんからな」
「ああ、もういいよ、俺の所為で」
どうせ言っても聞き入れないだろうと、アルトは逆さまのまま諦めた。
その一連の行動を見て、諸悪の権化であるラヴィアンローズは、ケタケタとお腹を抱えて笑っていた。
後からやってきたウェインが、恐る恐る問いかける。
「で、結局ゲームは?」
「アルの反則負け」
ぷんぷんと怒るロザリンが、そう言い放つ。
エレンが遠慮がちに補足する。
「でも、蹴りを避けた時に、旗ごと地面に手を突いてますから、結果的にはその時点で負けかと……」
結局、飛ばされ損かよと、アルトはトホホと地面に倒れ込んだ。
三回戦、アルトの反則負け。
★☆★☆★☆
日没が迫る。
つい数分前まで真っ青だった空は茜色に染まり、子供達が遊び終えて立ち去った通りには、仕事帰りや夕食目当ての客を捕まえるため、天楼の住人が簡易屋台を組み立て、準備を始めていた。
遊びもお開き。
そう思い、アルトが視線をウェインに向けると、彼はエレンと向い合せになり、無言のまま俯いていた。
「……なぁにやってんだか」
呼びかけようとした手を引込め、頭を掻いた。
向かい合った二人は、無言のまま立ち尽くしている。
色々と言いたいこと、問いかけたい言葉はある。が、頭の中で思えば思うほど、感情が喉につっかえて、言葉を吐きだすことが出来なかった。
「何か、用?」
「いや、その……」
感情の薄い声色が、余計にウェインをしどろもどろにさせる。
何度も何か言おうとしては、黙り込む、その繰り返し。
エレンは、大きくため息を吐く。
「何の無いなら、私、戻るから」
「――え、エレン!」
身を翻そうとした彼女を、一際大きな声で呼び止める。
眉を軽く顰めて振り返るエレンに、胸の痛みを堪えながら、必死で言葉を搾り出した。
「ゴメン、エレン。オイラ、エレンのこと、全然考えてやれなくて」
「……えっ?」
突然の謝罪に、エレンの表情に困惑が浮かぶ。
「オイラ、ずっと自分の都合ばっか考えてた。エレンと一緒にいたい、エレンと幸せになりたい……でもさ、それで幸せなの、オイラだけなんだよな。エレンの幸せとか、都合とか全然、考えて無かった」
力なく笑い、帽子を上から頭を掻く。
「これじゃ、嫌われて当然だよな。オイラ、全然駄目な恋人だった。いや、恋人だなんて名乗れないよ……だから、だからさぁ、エレン……」
浮かんできた涙と感情が、言葉を詰まらせる。
黙って話を聞いていたエレンも、辛そうに唇を噛んでいた。
空は茜色から藍色へと変わり、外はゆっくりと夜の帳を落とす。
言葉が上手く紡げず、下を向いたその時、ふわりと地面から、光の粒が揺れながら浮き上がってきた。
「……?」
ウェインが不思議そうに首を傾げると、光の粒は地面から無数に現れ、ふわふわと水の中を浮き上がる水泡のように、空中へ浮遊していった。
藍色に染まる通りを、光の粒が淡いオレンジに染め直す。
まるでそれは、蛍の大群のように光り輝き、天楼の街を照らしていた。
「なんだ、こりゃ?」
驚きながらアルトは、漂う光の粒を手で捕まえようとする。
握った感触は無く、熱くも冷たくも無い。
手の平を離すと、光の粒はまた天へと上り、一定の高さまで上ると弾けて消えて行った。
「これは、魔力の粒子……行き場を無くした魔力が、互いに結びつき、吹き溜まりになって、地面から、噴き出したんだと思う」
ロザリンは光の粒を指先で弄り、そう説明する。
「でも、これだけの量、しかも街中でなんて、聞いたことが無い」
「それはこの天楼が、魔力の力場の上に立っているからだ」
「……なるほど、それで」
フェイの言葉に、ロザリンは興味深げに頷いた。
「おい、どういう意味だ?」
意味を問うと、指を一本ピンと立てて、ロザリンが説明を始める。
「王都は、水神リューリカの加護を、無数に張り巡らされた水路を使って、全域に結界を敷いてる。けど、水を利用した結界は、雨とかの影響が受けやすくて、乱れやすい。その魔力の乱れが、長い年月をかけて、魔力溜りになって、大きな力場を作り出すの」
ポンポンと、足で地面を叩く。
「ここみたいに」
「ふぅ~ん。まぁ、よくわからんが、夜は明るくて便利ってことくらいはわかった」
「寝る時には、少し眩いのだけれど」
と、ラヴィアンローズが補足する。
「でも……ここが力場だとしても、この量は、異常かも……」
何気ない呟きに、フェイは唇をキツク結んで顔を強張らせる。
何かある。そう気がついたアルトが問いかけようとした瞬間、エレンの「あの!」という大きな声が響き、視線をそちらへと向けた。
同じよう声に驚いたのか、間の抜けた顔を晒すウェイン。
エレンは迷っているのか、視線をさ迷わせながら、小さな声で囁く。
「……私の方こそ、ごめんなさい。少し、感情的になりすぎたわ」
「あ、いや、その……」
「ウェインとは一緒に行けない。その気持ちは、変わらない……でも」
見上げたエレンは、ぎこちない笑顔を、ウェインに向けた。
「転んだ時、庇ってくれてありがとう……凄く、嬉しかった」
それだけ言って、エレンは身を翻し屋敷の方へと走って行った。
状況が呑み込めず、ウェインはポツンとその場に棒立ち。
その表情は喜んでいるのか、泣いているのか、判断がし辛かった。
「おい、ウェイ……」
「兄貴」
声を遮ると、ウェインはこちらを振り向いた。
向けた表情は、普段と変わらない。表情だけは。
「オイラ、馬鹿だから、人の幸せとか、そういう難しことはわからないっす」
恥ずかしそうに頬を掻く。
「でも、一つだけ、わかったことがあるんす。それは、今のオイラじゃ、エレンを幸せにできないって」
「……そんなの」
否定しようとしたロザリンを、手を差し出してアルトが止めた。
「だから、兄貴……オイラ、エレンを連れ帰ること、諦めます」
「……そうか」
泣きそうな顔に必死で笑顔を作り、ウェインは何とかそれを言い切った。
天楼の街に夜が来る。
眩い光の粒と、簡易屋台の喧騒が、何故だか酷く遠くに聞こえた。




