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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2部 反逆の乙女たち
156/162

第156話 最後の切り札





 閉鎖された世界、天の寝所では激しい戦闘が繰り広げられていた。

 中央に碑石だけが立つ、何も無い空間の周囲には、無数の画面が展開している。


 アルフマンが絶望を煽る為に寝所内の術式を操作して、出現させた画面だが、コロシアム、廃城、本陣付近と、既に詰みの状態であった戦況は全て覆され、全てが反アルフマン側優勢で戦いを続けていた。

 呼応するように、アルトとロザリンの二人も剣を、炎を振るい、魔物と化したアルフマンを追い詰める。


「さっきまでの威勢の良さはどうしたアルフマン! 動きに焦りが滲みだしているぜ!」

『……ふん』


 地面を、空気を蹴り、逃げ回るように飛び跳ねるアルフマンを、背後から身軽な動きでアルトが追いかける。

 前脚で地面に着地し、クルリとアルフマンは身体を入れ替える。

 顔を追いかけてくるアルトの方へ向けると、口を大きく開き、焼け付くような灼熱の吐息を浴びせ掛けた。


「させない。ミュウ!」


 空気が真っ赤に染まり歪むほどの熱だが、ロザリンが放った炎がそれを受け止め、逆に吸収してしまう。

 障害が無くなり、一度地面を蹴って真正面からアルトが片手剣を叩きつける。

 額を狙い振り下ろした刃は、硬質化した尾によって阻まれるが、力任せに払い飛ばすと、連続して斬撃を繰り出した。

 何度かは尾で受け止めるけれど、素早い斬撃の全てを阻むことは出来ない。

 押し込まれるよう後退すると、その白い毛並に斬撃が走った。


「クソッ。硬ぇなぁ!」


 痺れるような感覚に、アルトは顔を顰める。

 鋼のような毛並に生半可な斬撃は通らない。けれど、人並み外れたアルトの腕力から繰り出される衝撃までは防げないのか、打ち付けられた打撃で、アルフマンは素早く動くことが敵わない。

 鈍い足取りで、牙を見せ威嚇しながら、何とか後ろに下がり距離を取る。


『馬鹿な。生命体としての質を高めた筈の私が、ただの人間に押されているだと』


 獣となったアルフマンからは、表情の変化を読み取ることは出来ない。

 だが、咄嗟に零れ落ちた言葉には、今までと違う戸惑いに似た何かが、ほんの僅かだが感じ取れた。


 外の戦いは援軍により、状況を覆された。

 それはいい。それは理解出来た。しかし、援軍とは何も関係無いこの状況で、自らが押されている意味が、アルフマンにはさっぱり理解出来なかった。

 斬撃の応酬を嫌がるよう、アルフマンは後方に大きく飛び、間合いを離す。

 戦いは一度仕切り直しとなり、アルフマンはその大きな首を激しく左右に振り乱した。


『人の感情とは理解しがたい。感情の上下によって、発揮する力が変化するとは……火事場の馬鹿力と言ったら、聞こえは良いかもしれんが、私から言わせれば不安定過ぎる』

「ハッ。その不安定なモンに、テメェは押されかかってんだよ」


 限界まで顎を開き、アルフマンは魔法陣を正面に展開する。

 魔法陣に光が走り、注がれた魔力が光となって、幾筋の閃光が無軌道な動きでアルトに襲い掛かる。

 素早く降り注ぐような、光線による雨あられ。

 それをアルトは身を捻り、剣で弾きながら走る足を止めること無く、間合いを詰めていく。


「――アル!」


 ロザリンが叫ぶ。

 彼女の反射神経では、止めどなく降り注ぐ光線を潜り抜けられない為、近づけない。

 光線はアルトを捕えること無く、透明な地面に降り注ぎ、黒煙を上げる。

 しかし、そんなモノをモノともせず、アルトは間合いに入ったアルフマンが展開する魔法陣を、上段から振り落した刃で斬り裂く。


「――喰らいなッ!」


 振り下ろした片手剣の刃を反転させ、そのまま逆方向に振り上げた。


『――ギッ!?』


 ザクッと浅く肉を斬る感触と共に、アルフマンが悲鳴に似た声を漏らす。

 数歩、後ろに下がり顔を上げたアルフマンの鼻先から、赤い血がボタボタと地面に流れ落ちた。

 毛で覆われていない鼻が、アルトの一撃によってザックリと裂かれたのだ。

 同時に、アルトの真横をすり抜けるよう、複数の火球が赤い放射線を描いて、出血に戸惑うアルフマンに直撃する。


「おおっ、と!」


 巻き起こる爆風から身を守るように、腕で顔を覆いながら、アルトは後ろへと飛び退く。

 数回地面を蹴り、左手を翳して、荒く呼吸をするロザリンの隣に立った。


「あっぶねぇなぁ。当たったらどうするつもりだったんだよ?」

「平気。私のコントロール、抜群、だから」


 横目で睨んでやると、ロザリンはそう言って額に浮かんだ汗を拭い、ニッコリと笑って見せた。

 モクモクと立ち昇る黒煙は、アルフマンの咆哮からの衝撃波で吹き飛ばされる。

 二人は身構えるが、アルフマンは鼻から血を垂らしながら、ジッと此方を見据えた。

 気のせいだろうか。向けられる瞳には、僅かながら苛立ちを混じる気がする。


「どうした大将。追い詰められて、テンパっちまったか?」


 それを見逃さず、アルトは小馬鹿にした口調で煽る。

 ほんの少しだけ、アルフマンの視線が細くなるが、牙の生え揃った口から気持ちを落ち着かせるよう、大きく息を吐き出した。


『私の計画に綻びは無い。アーノルド中将。作戦の決行だ。首都イクリプスを制圧せよ』

「――なにッ!?」


 やはり、首都にまで手を回していたのかと、アルト達に焦りが走る。

 もし、この段階で軍部と首都がアルフマンの手に落ちれば、反アルフマンは交戦中の背中を突かれることになる。

 だが、アルフマンの命令に返答は無く、沈黙だけが流れる。


『……何故だ? 何故、応答しないアーノルド中将?』


 問いかけ自らの正面に画面を展開するが、砂嵐のようなノイズばかりで、何も映し出すことは無かった。




 ★☆★☆★☆




 旧皇帝居城にある、共和国軍総司令部。

 ラス共和国の武力の中枢であり、近衛騎士局が守りの要であるのなら、軍司令部は攻めの象徴である。

 国の北側では大規模な内乱が勃発しているというのに、総司令部は未だ沈黙を続ける。


 彼らは、アルフマンの反乱を甘く見ているのだ。

 実質的に軍部を掌握していたとはいえ、現在反乱に率いているのは、軍の総数からすれば一割に満たない。戦争は数である。如何にアルフマンが天才で、人工天使を操ろうと、圧倒的武力で押し潰してしまえば、何の問題も無い。

 むしろ、問題があるとすれば、これからのことだと司令部のお偉方は考えているのだ。


 現在、既に形骸化した皇族と、近衛騎士局が内乱終結の為に動いているが、このまま手柄を取られてしまうのは、彼らにとって面白く無い。しかし、反乱鎮圧の矢面に立たされてしまうのも、都合が宜しく無い。

 故に、現在は静観を貫く。

 よりよいタイミングで軍を動かし、最小限の被害で最大の成果が得られるよう、評議会と摺合せ画策しているのだ。


 その隙を、アルフマンが狙う。

 陸軍中将アーノルド。

 表向きは軍部内の反アルフマン側の派閥に属する、叩き上げの軍人だが、それは仮の姿。アルフマンがこの日を見越して送り込んだ、隠し札の一つである。

 首都イクリプスに邪魔者達がいなくなった瞬間を狙い、軍司令部を武力で制圧する。

 過去、七年前で使ったクーデターの同じ手法を、ここで再現しようとしたのだ。

 しかし……。


 薄暗い室内。軍司令部の奥にある、アーノルド中将の為に用意された執務室は、窓を分厚いカーテンで閉め切られ、昼間だというのに、僅かしか日の光が入り込まないようになっていた。

 室内は妙に息苦しく、蒸し暑く、そして生臭い。

 部屋の真ん中に立っているのは一人、座っている大人達は四、五人ほど。

 いや、座っているのでは無い、彼らは皆、喉を一文字に斬り裂かれ、絶命しているのだ。


 上座の椅子に座る初老の男、アーノルド中将もまた、一撃で殺害されていた。

 部屋には争った形跡が無いことから、五人の男達を反撃も許さず、一瞬の内に殺してしまったのだろう。


 まさに、神業と呼ぶに相応しい暗殺技術。

 誰にも真似できぬ殺しの技を一人立つ彼……仮面の暗殺者は、いとも容易くこなしてしまったのだ。

 彼以外だれもいない筈の部屋に、乾いた拍手の音が響く。


「流石はハウンド。悪名高い殺しの技術は、まだまだ健在だったようだね」

「ルン=シュオンか」


 視線を向けず仮面の男、ハウンドはそう呟く。

 何時の間に部屋に現れたのか、ルン=シュオンは血生臭い室内を平然とした顔で歩き、死体が腰かけるソファーに、自らも躊躇すること無く腰を下ろした。


「これで、アルフマンの息がかかった連中は全て始末した。依頼は完了だな」

「はい、ご苦労さま……しかし、ルンは意外だったよ」


 ナイフの血を拭う後ろ姿を見ながら、ルン=シュオンはニヤニヤと笑う。


「てっきり、断られると思っていたのだけれど、何でルンの依頼を引き受けてくれたのかな? 今後の参考として、教えて頂きたいのだけれど」

「ふん。ふざけたことを……貴様のことだ。予想はついているのだろう?」

「まさかまさか」


 ルン=シュオンは首と手を左右に振る。


「片田舎で穏やかに暮らすシーナさんが、何で今更、ハウンドの仮面を被ったかなんて、ルンには想像もつかないよ」


 ワザとらしい言葉に、ハウンドは舌打ちを鳴らした。


「……義理だ。一度二度、手助けしてしまった手前、放って置くのは寝覚めが悪い。ただ、それだけだよ」


 それだけ言って、ハウンドは部屋を出て行った。

 一人残ったルン=シュオンは扉が閉まるのを確認すると、やれやれと肩を竦めながら、鼻から大きく息を吐き出した。




 ★☆★☆★☆




『応答が無い……これは、失敗したと判断した方が良いようだな』

「恰好付けてんなよイタチ野郎がッ!」


 乱れ飛ぶ光線を潜り抜け、側面に回り込んだアルトは、アルフマンの側頭部に剣を叩きつけた。

 斬るのでは無く、鈍器のように叩きつける一撃に、アルフマンはよろめく。

 続けて二撃目も叩き込もうと振り上げるが、それより早く放たれた爪に牽制され、アルトはバックステップで回避する。


 何度目かになる仕切り直し。

 アルトとその後ろにいるロザリンは、グルグルと苛立つように喉を鳴らすアルフマンと睨み合う。

 激戦を物語るよう、二人の衣服は所々裂けたり焼け焦げたりして、傷も多い。


 だが、それはアルフマンも同じだ。

 真っ白だった毛並は血や炎の煤で汚れ、痛々しい裂傷も複数個所受けていた。


「テメェの手札も、そろそろ打ち止めか?」


 アルフマンとの直接対決は、まだまだ五分と言ったところ。

 けれど、画面から見える他の戦況は違う。

 強力な人工天使達を相手取り、苦戦は強いられているモノの、流れは完全に反アルフマン側が掴んでいた。

 それは、ミシェル・アルフマン自身も、察しているのだろう。


『理解し難い。が、認めざるを得ないようだな……人の感情が、人工天使達の理論値を上回った。いや、感情や本能を制御し、効率性と制御性を重視した為、瞬間的な爆発力に押し負けてしまったのだろう』


 この状況でも、アルフマンは冷静に分析する。


『だが、その為の一番。幾ら他の人工天使達を破壊しようと、この天の寝所さえ死守出来れば、私の勝ちは揺るがん。だからこそ、多少危険でも、一番には引き上げられるギリギリのスペックを与え、最低限の感情を残したのだ』


 余程、一番の完成度に自信を持っているのだろう。

 そう断言するアルフマンの言葉に、些かの揺るぎも無い。

 だからこそ、アルトは腹の底から湧き上がる笑いが、堪えられなくて困った。


『……何を笑っている?』

「いやさ。これが笑わずにいられるかってんだ」


 問いかけを受けても、アルトはククッと笑いを漏らす。


「どんだけあの一番って人工天使が強いか知らねぇが、相手してんのはあのシリウスだぜ? 他の誰かならいざ知らず、アイツに勝てない奴がいたら、それこそこの世界は終わりだっつーの」


 揺るぎない信頼を持って、アルトは断言した。

 英雄シリウス……彼女の持つもう一つの名が、伊達では無いことは、誰よりもアルトが知っていた。

 確かに人工天使は強い。七年前、アルト達はその強さに成す術がなかった。

 だが、人は成長する。何も出来なかったあの頃より時は、七年も経過しているのだ。




 ★☆★☆★☆




 一定の間隔を空けて対峙するのは、英雄シリウスと人工天使一番。

 二人は互いに似たような両手剣を握り、互いにクールな眼差しを向けあっていた。

 無傷の一番に対して、シリウスは身体に無数の傷を受けている。彼女の強さを知る、エンフィールの騎士達が見たら、驚く光景だろう。


「強いな、人工天使は」


 息遣いを整えながら、シリウスは呟く。

 あまり感情を表に出さないシリウスと、最低限の感情しか持ち合わせない人工天使故か、その静かな佇まいは、二人に似通った印象を与えるだろう。


 しかし、それは表面上の印象に過ぎない。

 沈着冷静。軽い冗談にもそうそうニコリとせず、学生時代についたあだ名は、その近寄りがたい雰囲気から、孤高のマジェスティと呼ばれていた。だが、当時から内面に抱くモノはクールさとは全く真逆のモノだ。


 シリウス・M・アーレン。

 その性質は刃。触れる者を傷つけても、守るべき者を守りたいと思う剣の意思。

 時に誤解を生むその生き方は、自らも傷つけてしまう諸刃の刃だった。

 シリウスとは、彼女に与えられた鞘の名だ。Mが示す家族以外でたった一人の男にしか呼ぶことを許さない、マリアこそが剣である本当の証であり、全てを斬り裂く刃の名である。


「……人工天使よ」


 続く睨み合いの中、シリウスが口を開く。


「我が剣が何を斬り裂くか、知っているか?」

「斬り裂く者は障害。つまり、立ち塞がる敵」

「では、敵とは何を意味する」

「目的を邪魔する障害。つまり、騎士である貴女なら、国や民の平和を脅かす者と推測される」

「否。我が剣は守るべき刃にあらず」


 否定して、シリウスは握った剣を真上に放り投げた。

 クルクルと回転する両手剣は弧を描き、シリウスの後方へと落ちて突き刺さる。


「理解不能」

「我が名、シリウスは民を守る一振りの剣。しかし、我が名マリアは、愛しき人の敵を払う刃なり」

「意味不明」

「我が名はマリア・アーレン! その名の契約に置いて願い奉る」


 右手のガントレットの留め金を外し、素手を露わにする。

 腕には光で構成された文字、魔術紋が浮かび上がっていた。


「エンフィール王の許可の元、顕現せよ!」


 突き出す手の平に、真っ青な閃光……いや、水が空間から溢れ出す。


「神剣リューリカ!」


 その名を発した瞬間、集まった水が手の中で凝縮。透明な水の刀身を持つ、一振りの剣へと姿を変えた。

 穏やかな揺らぎを見せる刃は、清々しいまでの透明感に満ちている。

 美しさ、気高さ、荘厳さ。決して人が作り出せない神々しさが、その剣にはあった。

 神剣から発せられる力に、一番は警戒するよう剣を構える。


「上位精霊の力の一部と推測される。しかし、エンフィールの国家神リューリカの契約者が、現エンフィール王の筈」

「エンフィール王国の三傑とは、ただ戦争の英雄という意味では非ず」


 迸る清浄な力を刃に乗せ、右手に握った剣を大きく後ろに振り被る。


「ゲオルグ、ライナ、そして私は、水神リューリカ様に力を認められ、それぞれ神器を授かり、エンフィール王の許可の元、それを振るうことが許される。覚悟せよ人工天使。シリウスが振るう剣は守る剣だが、マリアが振るう剣は愛しき人の障害を屠る剣」


 強く柄を握ると、マリアの思いに呼応するよう、水の刃は荒れ狂うように宿した魔力を、いや神気を増幅させていった。

 刃の意思。慈悲深く、思慮深い故に、傷つくことと傷つけることを厭わない。


 マリア・アーレンは不完全な騎士だ。英雄シリウスが完璧な騎士であるが故、解き放たれたマリアという刃は、自分勝手で利己的。大義名分などの為では無く、ただ我欲のみでその刃を研ぎ澄ます。


 それを愛と呼ぶなら、向けられた男は堪ったモノでは無いだろう。

 不恰好で不健全な感情だからこそ、人間を好む水神リューリカは、シリウスでは無くマリアと契約したのかもしれない。

 ただ一つ言えるのは、神剣を抜いたマリアは、最強だということだ。


「逝け、人工天使。私の愛は凶暴だぞ!」

「理解不能理解不能理解不能」


 繰り返しながら、一番も全魔力をフル稼働して、迎撃の為に力を剣に集中する。

 二つの異なる神気と魔力が交差し、空間が歪むほどの負荷を周囲に撒き散らした。

 集中する力が互いの刃に乗り、それが臨界に達した時、まるで時が止まったかのような静寂がその場に広がった。

 刹那、マリアは暴れる神剣の力を無理やり抑え付けるよう、柄を全力で握り締めながら、片手で一直線に振り下ろした。


「――喰らい尽くせッ!」


 振り下ろされた刃から、激流のような神気の放射が放たれる。

 青く透き通るような波動は、白い飛沫のような残滓を残して、一直線に一番を狙う。


「――ッ!」


 無言のまま、一番も刃を振り下ろし、集中した魔力を放射するが、紫電を纏う紫色の一撃は青い波に衝突すると、跡形も無く消し飛んでしまった。


「回避、ふ……!」


 発しようとする言葉事、青い波動は一番の身体を飲み込んだ。

 波動はそのまま背後にあった遺跡に衝突すると、噴水のように弾け、キラキラと霧雨のようなモノを周囲に撒き散らしながら、空気へと溶けて行った。


 周囲に静寂が戻る。

 シリウスは冷静な表情で息を吐き、神剣リューリカが手の中で結晶化し、砕け散った。

 辺りに何の変化も無い。青い波動が放射された後も無ければ、衝突した遺跡に傷一つ残っていない。


 ただ、人工天使一番だけが、その存在を跡形も無く食い尽くされてしまった。

 今の一撃で相当疲労したのか、シリウスは額に浮いた汗を拭い、ハッと門がある祭壇へと視線を向けた。


「アル……ッ!?」


 一歩踏み出した瞬間、右腕に走った激痛に、シリウスは顔を顰める。

 見ると、右腕は小刻みに痙攣して、指が上手く曲げられない。


「威力があっても、代償が大きすぎるわね」


 シリウスはそう毒づく。

 神剣リューリカを振るうには、シリウスの力を持ってしても、腕一本をこうして犠牲にしなければならない。言い換えれば、人工天使一番は、こうでもしなければ倒せないほどの強敵だったのだ。

 暫く右手で物は持てないが、時間が立てばまた、元に戻るから心配は無い。


「けど、ジッとしているわけには、いかないわよね」


 右腕の激痛を無理やり抑え込み、シリウスは突き刺さった剣を左手で拾い、遺跡の上にある門へと足を向けた。




 ★☆★☆★☆




 人工精霊へと自らを進化させたアルフマンは、確かに強かった。

 鉄をも引き裂く爪と牙。衝撃波の如き咆哮と、灼熱を帯びた吐息。肌を守る白い毛は鋼のようで、刃で斬り付けても毛並を乱すことも出来ない。極め付けはその巨体からは想像もつかない、風のような動きだ。何も無い空間を蹴って跳躍する姿は、まさに寝物語に出てくる神獣を思わせるだろう。

 人を凌駕する存在と言っても、過言では無かった。


『なのに、何故だ? 基本的な能力は、全て私が勝っている筈。なのに、何故押される。何故倒せない!』


 珍しくアルフマンは、声を荒げて、矢のように体毛を飛ばしてくる。

 ロザリンを背中に庇いながら、鋭い毛を片手剣で弾くが、数本はアルトの肩や太腿に突き刺さる。


「――ぐあっ!?」

「アル!? こっ、の!」


 背中から飛び出し、注意を逸らすようにロザリンが、シャボンアイスをアルフマンに向かって飛ばす。


『小癪な』


 アルフマンは誘いに乗せられ、ロザリンの方へ毛を乱射した。

 数本の毛がシャボン玉を割り氷結して落ちるが、数が多すぎて全てを落とすことは出来ない。

 しかし、ロザリンは降りしきる鋭い毛を、広げた傘で防御する。

 特別な魔術式が描かれている傘に阻まれ、毛は弾かれるように周囲に飛び散った。


「隙だらけだぜッ!」

『ふん。舐めるな』


 透かさず斬りかかろうとした所を、アルフマンが振り向き、威嚇するように牙を剥く。

 が、反対側から、赤い閃光と共に火柱が上がり、その巨体が吹っ飛ばされる。


『――なにッ!?』

『ひゃはッ! 注意力が散漫なんだよッ!』


 火柱の正体はミュウ。彼女が拳に炎を纏って、殴りつけてきたのだ。

 バランスを倒れ込んだ所に、追い打ちをかけるよう火球が降り注ぐ。

 炸裂し、視界全体に広がる赤。

 モクモクと上がる黒煙の中、咆哮で煙を吹き飛ばし現れた、アルフマンの姿だった。


『何故だ。二対一だということを考慮しても、ここまで劣勢に追い込まれるのは、私の計算には無い』


 よほど納得がいかないのだろう。

 アルト達が目の前で武器を構えているというのに、アルフマンはそう言って何度も同じ自問を繰り返す。

 だが、アルトにとっては、実に明確にわかる理由だ。


「わからねぇか? テメェがこれから負ける理由は、二つだ?」

『なんだと?』


 剣の切っ先を向けられ、アルフマンは不機嫌を表すよう、グルグルと喉を鳴らす。


「理由の一つ。それは俺は戦いに慣れていて、アンタが慣れていないってことだ」


 単純な理屈。

 アルフマンは確かに優秀な軍人で戦略家だが、自らが先陣に立って戦う機会は少ない。

 対してアルトは、幾多の修羅場を潜り抜けてきた。その経験の差は決して、机上の空論で埋めることは出来ない。血と汗と積み上げてきた、敵と味方の骸。それらで磨き上げられてきた、修羅の剣だ。


『経験の差。認めざるを得ないようだが。私の未熟さを……だが、それは想定の範囲内だ。私が破れる決定的な理由にはなり得ない』

「わからないか?」


 剣を引き、アルトは脇構えの態勢を取る。


「だからアンタは負けるのさ。アルフマンッ!」


 そう叫んで、アルトは真っ直ぐ一直線に走る。

 今度は、ロザリンはフォローに入らない。アルトの背中が、それは必要ないと無言で示していたからだ。

 これが最後の交戦だと、ロザリンは何となく感じていた。


『――ふッ!』


 間合いを詰められるのを嫌がるように、後退しながらアルフマンは鋭い毛を発射する。

 空気を裂いて飛来する毛だが、アルトの素早過ぎる踏み込みに、動きを捕え切れない。

 ムキになって毛を発射していた所為で、距離を取る為の動きが鈍ってしまう。その一瞬の隙を突き、残像が生まれる程の速度で踏み込んできたアルトを、噛み砕いてやろうと大きく顎を開いた。


「そんな雑な動きで……」


 間合いを更に踏み込み、アルトは身体ごと顎に飛び込むよう、左腕を上の牙に押し付けた。

 鋭い牙が触れ、皮膚を裂き血が滴り落ちる。

 だが、力強い腕に阻まれ、これ以上開くことが出来ない。


『――ガッ!?』


 ならば灼熱の吐息だと、喉の奥を大きく開いた瞬間、アルトは真っ直ぐ右腕を伸ばし、刃を突き付けた。


「地獄に落ちる準備は整ったか?」

『――ガッ、グゲッ!?』


 更に押し込んだ刃が、喉を突き破りアルフマンの背中から飛び出た。

 頑強な体毛に覆われた身体でも、内部からの攻撃には弱い。

 剣を抜いて飛び退くと、アルフマンは背中と口から血を撒き散らし、苦しむようその場でのたうち回る。

 手応えはあった。幾ら自己進化しても、この致命傷はどうにもならないだろう。

 やがて血溜りの中、アルフマンはぐったりと動かなくなる。


「……終わった、の?」

「ああ、最後は呆気ないモンさ」


 警戒しながらも、アルトは刃に付いた血液を振るい落とし、鞘へと剣を納めた。


「人ってのはよ。理不尽と思うかもしれねぇが、感情によって強くなったり弱くなったりするモンだ……人間止めちまったアンタには、もう二度と理解出来ないだろうがな」


 憐れみに満ちた目で、地に伏せるアルフマンを見据える。

 横のロザリンも悲しげな表情で、黙祷するように目を伏せた。

 これで、全部終わりだ。

 そう安堵の息を吐きかけた時、血溜りのアルフマンが僅かに動く。


『ひ、との感情……たしか、に、理解、しがた、い、理屈だ』

「テメェ。まだ喋る余裕があんのか?」


 顔を顰めるアルトに、ぐったりとしたまま、アルフマンは苦しげな声で続ける。


『世は、何もかも、むじょう、だな……如何に、計算をかさね、ようと。りふ、じんな、感情や、う、んが、それを覆して、しまう』

「それ以上は止めとけ。苦しむだけだぞ」


 喋る度に血を流し、痛みに身体を痙攣させる姿が見てられないと、アルトはそう忠告するが、聞く耳持たずアルフマンは言葉を続ける。


『だ、だが、だが……いま、いましい運、も……さい、ごは、私に、み、かたし、た、ようだな』

「……なんだって?」

「――アルッ!」


 眉を潜めた瞬間、悲鳴にも似た声を上げ、ロザリンがコートを引っ張って指を差す。

 向けられた先には碑石があり、何時の間にそんなことになったのか、淡い光を放って点滅していた。

 だが、問題は光では無く、碑石から漏れ出す言いようも無い気配だ。

 溢れ出る異常なまでの力……これは、神気だ。


『人工、天使……この、人工の意味を、考えたことは、無かった、か?』


 徐々に広がる力の波の中、死期が近い故か、アルフマンの口が饒舌になる。


『人工天使の、大本……この場が、天の寝所と、呼ばれる所以』


 碑石に罅が入り、内部から光が漏れ零れる。

 黄金色の光は、鳥肌が立つほど神々しい。


『私、ミシェル・アルフマンが、仕掛ける、正真正銘、最後の、切り札だ』

「あ、ああっ……碑石が、割れるッ!」

「来るぞ、下がれロザリン!」


 庇うように前へ出て、アルトは身構える。

 刹那、罅割れた碑石は砂のように崩れ落ちた。

 溢れる黄金の光。凄まじい光量でありながら、見つめる瞳に全く痛みを齎さない。

 温かな光は、まるで春の陽光を浴びているかのよう。


 しかし、何故だろうか。

 アルトもロザリンも、腹の底から溢れ出る震えが止まらず、凍えるほどの寒さが空間に満ちた。


 碑石の中から現れたのは、一人の少女。

 人間の年齢にして、十歳ほどだろう。

 一切何も身に纏わずあられもない姿で、自身の身長より長い黄金の髪の毛を引き摺りながら、少女は涼やかな視線をアルト達に向けていた。

 だが、発する神気はけた違い。人工天使十二体を前にした時ですら、ここまでの恐怖は呼び起されなかった。

 圧倒的存在感。圧倒的圧迫感。圧倒的絶望感。

 少女は全てにおいて、人間を人工天使を、遥かに凌駕していた。


「……天使」


 ロザリンは、無意識にそう零した。

 それほどまでに、少女は美しい。

 同時に人間の本能が絶望を呼び覚ます。この存在に人は、決して勝てぬと。






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