第152話 武芸者の誉れ
ミシェル・アルフマンは、生まれた時から天才だった。
元々は帝国時代に、ミシェルは地方貴族の長男として育てられる。
幼い頃から既に天才性の片鱗を見せ、両親のみならず周囲の人間達に、将来を有望視されていた。
年を重ねても、彼の才能は衰えることなく、むしろ成長を続ける一方。
文武に秀で、魔術学や考古学など、あらゆる面でその天才性は余すこと無く発揮される。
中でも人々を驚かせたのは、人心掌握力だ。
ある日、父親に連れられ、大きな建物の建築現場に連れてこられたことがある。
父親はミシェルに知識だけでは無く、実際に人が働く現場を見せることで、より深い見識を持たせようと思ったのだろう。
だが、到着早々、父親は息子に驚かされる羽目になる。
現場の責任者に挨拶をしている最中、ミシェルは偶然図面を目にし、建築学も学んでいた彼は、すぐさま図面の欠点を見抜き、責任者にすぐさまそれを説明した。
普通だったら十になったばかりの、子供が言うこと。貴族の子息ということで、邪険な扱いこそされなかったモノの、内心では「何を馬鹿な」と、鼻で笑っていただろう。実際、その場にいた父親ですら、苦笑いを浮かべミシェルを諌めていた。
才能があるだけの、ただの子供だったら、正しい意見を述べたのに、大人に聞き入れて貰えなかった。そんな在り来たりな話で、終わるのだろう。
しかし、幼きミシェル・アルフマンは違った。
「自分の意見は間違っていない。もし、貴方が間違っていると指摘するのなら、正解をこの場で明確に示して欲しい」
そう言って、理路整然とした説明口調で、論理的に責任者を追い詰めた。
貴い身分の子供とはいえ、歯に衣着せぬ物言いに、責任者は流石に表情を顰めてしまい、まともに耳を貸そうともしなかったが、何度か会話を交わすごとに、餌に釣られる魚の如く話に引き込まれ、最終的には二人で並んで、作業員に指示を出していた。
その光景には、父親も唖然としてしまい、家に戻って家族にこう述べたという。
「ミシェルの大器は本物だ。近い将来、我が家から歴史に名を残す英雄が誕生するぞ」
父親はそう言って、満面の笑みを見せていた。
親の贔屓目故だろう。
家族は誰も気が付かなかった。気づいた時には、既に手遅れだった。
ミシェル・アルフマンの完璧さは、人の在り方を完全に逸脱した、異常性を秘めていることを。
彼の異常性を最初に気が付いたのは、学問を教えていた家庭教師だった。
優秀なミシェルに欠点があるとすれば、それは育ちの良さ故か、対等な立場の友人と呼べる者が存在しなかったこと。
庶民出身の家庭教師は、その境遇を哀れと思い、友人を作ることを推奨した。
同年代の子供達が集まる公園や学校に連れて行き、少し強引でも交流させた。
当初は貴族の子息ということもあり、反発もあったのだが、そこは子供同士。言葉を交わし、泥だらけになって遊ぶことで、大人達の作り上げた身分差などそっちのけに、子供達は友情を深める。
事実、日が暮れる頃には、ミシェルは子供達の輪の中に溶け込んでいた。
自分の考えは、順調に果たされる。家庭教師は、笑顔でそう信じて疑わなかった。
一週間後。家庭教師は、目の前の光景に、我が目を疑うこととなる。
公園で以前より多くなった、友達グループと遊ぶミシェル。
傍目からは、賑やかに、楽しげに遊ぶ屈託のない姿に映っただろう。
だが、遊び場に過ぎない公園は、異様な様相を呈していた。
ミシェルの頂点に、大臣がいて、将軍がいて、兵士がいて、文官がいて、商人、農民などの庶民がいて、そして最下層の奴隷が存在した。
これは、ごっこ遊びでは無く、比喩表現だ。
人が大勢集まれば、派閥が作られる。それは、子供社会でも同じだろう。
驚くべきことにミシェルは、友達グループにカースト制度を作りだし、それぞれに役割を与え、自在にコントロールしていた。遊び場にしか過ぎない公園は、ミシェル・アルフマンによって管理され、完全なる王国と化していたのだ。
更に驚くべきことは、遊ぶ子供達は誰一人として、アルフマンの行動に不満を抱いていなかったこと。
事実を知り驚愕する家庭教師は、すぐさま一人、離れた場所で公園を眺めるミシェルに問いかけた。
「君は一体、何をしようとしているのだ?」
「正しく安全に遊べるよう、この場に法と秩序を作り出しただけだ……けれど、これは失敗だろうな」
ミシェルは特に無感情な視線で、決められた遊びを守る子供達を見据える。
「帝国の政治を真似てみたが、形態が不完全過ぎる。逆にこのようなやり方で、よく今まで国が保てたと、逆に興味が湧いてしまうよ……そして、人の世に秩序を敷くことが、これほど難しいこととは」
「難しい、だって? しかし、ここは完璧に、君によって統治されているじゃないか?」
本来ならば、ミシェルの発した言葉を、立場的には咎めなければいけないだろう。
けれど、家庭教師は興味を抱いてしまった。
怪物の如き天才の彼が、何をそんなに難しいと思うのか。
「人の心とは、時として予想外のことの連続だ。完璧な道筋を立て、理路整然とした論理を用いても、非効率的な行動や意見に流される。これが犬猫ならば、一日もあれば完璧な社会が作れるのに。このコミュニティを形成するのに、一週間もかかってしまった……これがより大きな実社会ともなれば、より理不尽な出来事の連続なのだろうね」
「……君ほどの天才でも、そう思うのかい?」
家庭教師は問いかける。
向ける視線には、既に恐怖が宿り始めていた。
ミシェルは頷く。
「人の思想は教育によって左右される。しかし、既にこの世界の多くは、自由という概念によって、完全なる支配を拒もうとしている傾向が出ている。知識の支配、学問の有無は、人の上下関係を決定づける、重要なファクターだ」
淡々と、ミシェルは語る。
「この世界に完全な平和、調和を築くのなら、方法はきっと一つ。より完璧で完全な法で管理すること。口では何と言っても、人は管理されることを好むからね……けれど、それは人の力では不可能だ。実現させる為には、人を超えた大きな力で、既に作り上げられた既存の社会を、根底から覆させないけないだろう」
そう言い終えたミシェルの横顔を見て、家庭教師は思う。
この少年は既に、自分の手に負えない、化物だと。
翌日、家庭教師は、その職務を辞めた。
★☆★☆★☆
皇家の墓。歴代の皇帝が眠る、歴史的な名所は、きな臭い戦場の匂いに満ちていた。
ちょうどその中央、小さな祭壇の真上に、ミシェル・アルフマンは立っている。
他の墓や遺跡に比べ、人の背丈ほどの高さしかない台座型の祭壇は、酷くちっぽけで地味に思える。しかし、この祭壇こそが、アルフマンの生涯を懸けた目標、不可能を可能とするのに必要不可欠な架け橋なのだ。
数段しかない階段のすぐ下に、護衛として人工天使が一体佇む。
赤と青のオッドアイ。アルト達を圧倒した、一番と呼ばれる金髪の人工天使だ。
「……マイロード。前線が押されている模様。後数時間もすれば、皇家の墓内部への侵入を許すでしょう」
感情の抑揚がほぼ無い口調で、一番は語りかける。
「ふむ。肉壁程度に思っていたが、存外早かったな。エンフィール騎士団。甘く見たつもりは無かったが、まだまだ過小評価が過ぎたようだ。改めねば」
「各所も、前線は我が軍が不利……人工天使達を、戦線に投入いたしますか?」
「まだ必要ない。現段階での最重要は、天の寝所へ続く道を開くことだ」
そう言って、アルフマンは両手を前に翳す。
手の平から円形の魔法陣が展開して、それに呼応するよう、祭壇も輝きを帯び始める。
「必要な指示は全て出してある……後は任せるぞ」
「了解しました。マイマスター」
祭壇に刻まれた術式を操作するアルフマンに、一番はマスターとしての敬意を払うよう、深々と一礼した。
美しく整ってはいるが、その顔に表情は無く、言葉に感情は薄い。
唯一、人語を操り、自我がある人工天使でありながら、人間味の無さはまるで人形のようだった。
★☆★☆★☆
高速で繰り出される突きが、テイタニアの肩口を深く抉る。
「――うぐぁッ!?」
肉を裂き、金属が食い込む異物感が激痛を生み、指先の神経まで痺れさせた。
魔剣ネクロノムスの刃は鋭い。
人の皮膚を、肉を、刃が触れれば滑り落ちるように、削ぎ落としていく。
「どうしのかしら? 動きが鈍くなっているわよ」
「……こなくそッ!」
左肩を剣で刺されながら、テイタニアは右に握るハルバードを、レイナに向けて振り舞わす。
「ふっ」
「――ぐっ!?」
軽く笑みを浮かべると、レイナは素早くテイタニアの胸を蹴り、後ろへと飛ばす。
力を込めた所を蹴り飛ばされたので、テイタニアはバランスを崩し、背後に尻もちをつきかける。
「くっ、そッ!」
素早くハルバードの石突きで床を付き、何とか転ばずに済んだ。
余裕の現れか、すぐさま追撃すればいいモノの、レイナは刃に付着した血液を振り払い、テイタニアが態勢を立て直すのを待っていた。
その態度に、テイタニアは舌打ちを鳴らし、石突きで地面を弾いて前へ加速する。
「舐めるなやッ。レイナぁぁぁッ!」
大きくハルバードを真横に振るう。
レイナの胴体を狙う大きな刃。当たれば真っ二つになるだろう一撃に、レイナは視線すら向けず、レイピアを右手から左手に持ち変えて、真横からの一撃を下から掬い上げた。
掬われ、ハルバードの軌道が上へとずらされる。
素早くテイタニアは左手を真下に押し込み、刃の部分を逆に思い切り上へ跳ね上げ、ハルバードの重さを利用し、頭上へと振り下ろす。
「ふっ。芸の無い動きね」
一笑し、再びレイピアを右手に持ち変える。
素早く振るわれた横からの一撃に、またハルバードの軌道がずらされ、刃はレイナの側面を落ちていき、石畳の地面を打ち砕いた。
睨むテイタニアと、冷笑を浮かべるレイナの視線が交錯する。
一瞬の睨み合いの後、二人はほぼ同時に動いた。
「――ふぅんッ!」
「――セイッ!」
テイタニアは後ろに下がりながら、ハルバードを身体の近くへと引き戻す。
レイナは地面を飛ぶように踏み込み、高速の突きを放った。
鋭い刃はギリギリで引き戻したハルバードの柄にぶつかり、火花を散らしながらテイタニアの頬を浅く斬り裂く。
耳障りな音を奏でる刃を力任せに振り払い、テイタニアは浅く息を吸い込む。
「今度はこっちから行くで!」
右足を力強く踏み込み、ハルバードを両手で長く握って、強引にレイナの身体へ押し付ける。
「――なにっ!?」
レイピアでガードするが、構わずそのままハルバードを押し込む。
流石に力比べでは分が悪いと思ったレイナが、押される勢いのまま、距離を取ろうとステップを踏んで後ろに下がろうとした。
瞬間、テイタニアは息を止め、柄を握る両手に力を込める。
長く持ったハルバードを、刃が届く間合いギリギリの所を狙い、大きく振り乱した。
「うちの全力全開ッ! 止められるモンなら、止めてみぃやッ!」
息もつかせぬ乱撃が、レイナを襲う。
技量の差があれど、一撃の破壊力はまだテイタニアの方が上回っている。
単発の攻撃ならタイミングを狙い、捌くことは可能だろうが、この嵐のような猛撃を細いレイピアの刃で受け切るのは難しいだろう。
しかし、魔剣ネクロノムスに、そのような常識は通用しない。
ハルバードの刃が接触する瞬間、ネクロノムスと繋がる体内術式が活性化し、レイナの瞳に怪しい光が宿る。
刹那、刃はレイナが残した残像を貫いた。
テイタニアの表情に動揺が走るが、操るハルバードの動きは止めず、乱撃を続ける。
ハルバードが轟音を響かせ、嵐のような乱打がレイナの姿を飲み込む。
それらを全て、回避し、受け流し、捌く。
凄まじい身体捌き。活発化する体内術式が淡い魔力の発光を生み出し、素早い動きを見せるレイナの残光となって残る。
テイタニアが打ち抜き、斬り裂くのは残像ばかりで、手応えの無さに焦りが募る。
「この速度……ホンマ、レイナは、竜の高みに到達したっちゅうんか?」
人を超えた強さ。
それはまさに、竜姫やクルルギのような、竜の高みに近しいのかもしれない。
負けられない思いがあっても、テイタニアの身体が感情に追いつかない。
ほぼ無呼吸で繰り出されていた乱撃は限界を迎え、レイナの身体に掠ることなく、ついに止まってしまった。
「……ッ!?」
振り下ろされたハルバードが残像を裂き、石畳へと突き刺さる。
が、スタミナの限界を迎えたテイタニアに、ハルバードを持ち上げ、次の攻撃に移るだけの余裕は無く、立て直す為に生まれた隙を突かれ、喉元にレイピアの切っ先が添えられた。
二人の動きが、制止する。
それまでに繰り広げられていた、戦いの激しさを物語るように、二人の額から流れる汗が、血と混ざり地面へと落ちる。
「残念ね。これが、魔剣レイナ・ネクロノムスの実力よ」
荒く息を付くテイタニアとは対照的に、レイナは呼吸一つ乱していなかった。
完全に、戦いの主導権はレイナに握られていた。
それは、二人の姿を見ただけでも、明らかだろう。
傷だらけで満身創痍のテイタニア。
一方のレイナは額に汗を浮かべ、浅い傷があるのもの、明確にダメージと言える怪我は一つも無かった。
圧倒的な強さを見せつけられ、テイタニアは屈辱から表情を顰める。
「悔しがる必要は無いわテイタニア。貴女が弱いのではなく、魔剣レイナ・ネクロノムスが最強であっただけの話……ただ、それだけの理由よ」
自らの力を見せつけられてか、満足そうな笑みをレイナは見せた。
「……確かに、言うだけの強さは、まぁ、あるなぁ」
向けられた切っ先に視線を向け、テイタニアは苦笑する。
ここまで圧倒的な力量の差を見せつけられると、悔しさよりも先に、呆れて笑いが込み上げてくる。
恐らくは似たような思いを、レイナも味わってきたのだろう。
「ははっ……まぁ、ええわ。認めたる……今のうちじゃ、逆立ちしたってアンタに敵はへんわ」
「潔いわね。意外……いいえ。貴女の性格から考えれば、当然かしらね」
呆気ない幕切れに、レイナはふんと鼻を鳴らす。
満身創痍、疲労困憊のテイタニアが、これ以上抗っても勝ちの芽は無いだろう。
けれど、レイナは向けたレイピアを喉元に突き刺すことも、下ろして鞘へ納めようともしなかった。
理由はテイタニアの瞳だ。
負けを認めながらも、真っ直ぐと見据える眼光には、まだ闘志の衰えが感じない。
「……その目。気に入らないわね」
不機嫌な声を出し、突き付けたレイピアの先端が、喉元に浅く食い込む。
皮膚を裂き、赤い血が伝わるように、胸元へと流れた。
「生憎と……」
睨み付ける視線を受け流すよう、テイタニアは頬をニヤリと吊り上げて笑う。
「ここ数日で、とんと諦めが悪くなってもうてなぁ。負けは認めても、最後の最後の最後まで、戦うことを止めたくないねん」
「……そう」
表情を消し、レイナは突き付けたレイピアを離した。
そして、距離を取るように、後ろへ大きく飛んだ。
「ここ数日では無いわ……貴女は昔から、諦めが悪かった。ずっと側にいた私だからわかる。それが貴女の強さで、私はずっとそれに憧れていた」
レイピアを両手で握り、切っ先を向けたまま、上段に構えを取る。
「テイタニア。貴女こそ、私の未練であり劣等感であり、そして尊敬すべき対象であった……そんな貴女を殺して、私は魔剣レイナ・ネクロノムスとなる!」
漲る魔力が、握るレイピアに集約される。
魔剣が激しく、レイナの魔力を吸い上げる。いや、既に吸い上げるべき魔力は枯渇し、レイナ自身の僅かに残った生命力を糧とし、新たなる力を生み出す。
ピシッと、ガラスが割れるように、レイナの頬に罅が入った。
剥がれ落ちる皮膚の下から、鈍く光る銀色の鉱石が覗く。
「もう既に、身体が本物の剣と化しとるんか……レイナ。ホンマに、もう、戻れへんのやな」
「元よりこの私に退路など無い。逝く道は修羅道。目指すは最強の頂き……情を捨て、人を捨て、この身を一振りの剣となりて、テイタニア! 親友であった貴様を斬るッ!」
「……そうか。そうなんやなぁ」
迷いの無い言葉を受け、テイタニアは悲しげな顔をして、ハルバードを構えた。
一瞬の沈黙の後、魔剣レイナ・ネクロノムスの一撃が、紫電を纏いて解き放たれる。
「――さよならよッ、テイタニアッ!」
地を蹴り、一直線に突き出した刃が、テイタニアの心臓を狙う。
吸収された魔力が、生命力が目に見えるほど濃縮され、刃やレイナの身体を迸る。
全身全霊を込めた一撃を前に、テイタニアは……。
「――ッ!?」
「……ふっ」
テイタニアは微笑んで、握るハルバードを、手から放した。
「――なにをッ!?」
驚くレイナ。
重い音を奏で、石畳へとハルバードが落ちると同時に、渾身を込めた刃の一撃が、テイタニアの褐色の肌を貫いた。
皮膚を、肉を、心臓を貫き、鋭い先端は背中を突き抜けた。
すぐ間近で驚きに目を見開くレイナを、してやったりといった感じでテイタニアはニヤリと笑った後、激しく咳き込み、口から大量の血を吐き出す。
「――げほっ、がっ、ごほ!」
「馬鹿な。戦うのは止めないんじゃなかったの!?」
「止めへんさ。止めへんから……」
急速に力が抜けていく身体を無理やり奮い立たせ、テイタニアは息も絶え絶えの状態で、レイナの手首と首に両手を伸ばし、拘束するよう強い握力で握り締める。
「ぐっ!? な、何のつもり!?」
慌てて振り払おうとするが、テイタニアの手はビクともしない。
心臓のすぐ側を貫かれ、致命傷を負っている筈なのに、信じられないほどの力を発揮していた。
「今の、うちがアンタに勝ってんのは……げほげほッ! こ、これだけやから、なぁ」
腕を強引に引き、レイナを自らの身体に密着させると、更に握っていた腕を首に巻きつけ拘束をキツクする。
距離が近くなり、よりレイピアが深く突き刺さって、テイタニアは苦悶の声を漏らす。
「い、痛いなぁ……ははっ。なんや、ちょいと照れ臭いやないか」
「何を馬鹿なことを……一体、何のつもり?」
傍目からは、女性二人が頬を摺り寄せ、抱き合っているように見えるだろう。
同時にテイタニアの身体は、よろけるように、後ろへと進んでいた。
テイタニアの肩に顎が乗る形になり、レイナは徐々に進む方法を見て、青ざめるよう息を飲み込んだ。
「ま、まさか!? 自分諸共、塔から飛び降りる気!?」
信じられないといった声に、触れ合うテイタニアの頬が、笑うように吊り上る。
「うち、阿呆やからさ。馬鹿ほど強い、アンタを負かすには、これしか方法が思いつかんかったわ」
「正気!? 相討ち覚悟というわけなの!?」
「まぁ、正直言うたら、死ぬのも相討ちも、ゴメンや……けどなぁ」
ククッと、テイタニアの喉が鳴る。
「うち一人が負けて、死ぬやなんて……格好悪いやん?」
冗談めかした言葉を発しながらも、背後へと進む足は止まらない。
その先は、柵の無い吹き抜けになっていて、一歩でも踏み出せば下へと真っ逆さま。
とてもじゃないが、人が落下して助かる高さでは無い。
「こ、このッ! 離しなさいッ!」
叫び、拘束を解こうと、レイナは必死で唯一自由になる左手で、テイタニアの脇や側頭部を殴りつけたり、突き刺したレイピアを抉ったりと、様々な方法を試みるが、最後の力を振り絞った拘束は、一切緩むことは無かった。
その間に一歩ずつ、テイタニアの足は塔の端っこに迫っていく。
「馬鹿な真似をッ! こんな、こんな決着のつけ方が、あるモノかッ! 相討ちだって? 武芸者が、武の高みを目指す者が選び取る方法とは思えないッ!」
「言うたやん。うちは、阿呆やって……けど、ここ最近、輪をかけて阿呆になってもうたんや」
「テイタニアぁぁぁッ! 貴女は、武芸者としての誇りも、失ってしまったの!」
「失ってあらへん。あらへんけどな……」
ギュッと、もがくレイナの身体を力強く抱きしめる。
「んなモンより、苦しんどる親友の方が、大事やんか」
「――ッ!? な、何を馬鹿なことをッ!」
「済まんなぁ。うちが阿呆やから、アンタ一人を苦しませてもうた……いっちゃん辛い時に、側にいてやれんかった。ごめんなぁ」
「い、今更、何を……わた、私は自分で望んで、魔剣になった。私の望み、ドルフの夢は、最強の二つ名を得ること……それだけ。それだけなのよ!」
叫ぶレイナ。しかし、声とは裏腹に、身体からは徐々に力が抜けていく。
既に二人は塔の縁ギリギリに立ち、吹き抜ける風がそれぞれの髪の毛をはためかせた。
足元には、テイタニアの胸から流れる血が、いち早く塔の上から零れ落ちる。
吐息がかかり、鼻先が触れ合うほど間近に、二人は顔を寄せ合った。
多量の出血の所為で、テイタニアの目の下には、黒ずみが浮かんでいて、それを見た所為かレイナは、今にも泣きそうな表情をしていた。
「レイナ。アンタの目指した道は、間違っとった。それは、アンタが一番、若っとる筈や。阿呆なうちでも気が付いたんや……頭の良い、クソ真面目なアンタが、気づかんわけあらへんやろ?」
「……だとしても、もう手遅れなのよ」
呟く言葉には、嗚咽が混じり始める。
もう抗うのは止めて、レイナは顔をクシャクシャにしながら、決壊するよう止めどなく涙を零した。
「私が大切にしていたモノを、全部全部捨てて目指していたモノが、間違いだって気づいても、もう取り返しがつかないの! 私の為に死んだドルフに、何て言えばいいの? 散々傷つけた貴女に、何て言えばいいの!」
子供のように泣き叫ぶ言葉に、テイタニアは黙って耳を傾ける。
そして、駄々っ子をあやすよう、優しくポンポンと背中を叩いた。
それが余計に涙腺を緩ませ、レイナはわんわんと泣きじゃくる。
「だったらさぁ、人を辞めてでも、縋りつくしかないじゃない! 無駄だとわかっていても、突き進むしかないじゃない! 今更私に、どうしろっていうのよッ!」
「……せやな。アンタはもう、取り返しがつかへん。だから、うちが終わりにしたる」
最後の力を込めて、テイタニアは後ろに一歩、踏み出す。
はみ出した踵は既に、宙に浮いていた。
「終わりに戻ろう、レイナ。魔剣レイナ・ネクロノムスとしてやなく、レイナとして、うちが殺したる……うちも同じ死にかけや……仕方ないから、付き合ってやるわ」
「……馬鹿。貴女、本物の大馬鹿よ」
瞬間、二人は抱き合いながら、塔からその身を投げた。
音は全て消え去り、冷たい太陽が見つめる尖塔の下、赤い鮮血と涙は混じり合いながら、凍土の冷気を宿す北風に煽られて、キラキラと輝きながら消えて逝く。その様は酷く美しく、そして悲しげな色を帯びていた。
振り返れば、後悔しか残らなかった親友二人の旅路は、今終わりを迎える。
『なぁ、レイナ』
『なによ、テイタニア』
『今やったら、アンタの気持ち、ちょっとだけわかるわ』
『わかるって、どういう意味よ?』
『惚れた男の為に、命すら捨てたろうって気持ちや』
『……貴女には、似合わない言葉ね』
『せやな。結局うちは、惚れた男の為で無く――』
――親友の為に、命を捨てたったんやからな。




