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第15話 少年の幸せ、少女の幸せ






 通された天楼の頭領シドの屋敷は、一言で表せばひたすらに広かった。

 外から続く階段を上った二階の部屋は、正面に扉や壁は無く、吹きさらしの状態。

 室内もだだっ広い板張りの部屋があるだけで、机や椅子どころか、権威を見せつけるような調度品も飾って無く、あるのは申し訳程度に置いてある観葉植物くらい。

 後は奥に見える、上の階に続く階段があるだけだ。

 良く言えば渋く落ち着いた部屋。悪く言えば無味乾燥。

 その部屋の真ん中に胡坐をかいて座り、シドはアルト達を中に招き入れた。


「……随分と変わった部屋だな」


 この屋敷の下働きらしき女性が人数分敷いた、クッションの入った薄く小さい敷物の上に腰を下し、室内を見回したアルトが率直な感想を口にする。


「若ぇ頃に南方の島国を船で旅しててな。そこに住んでる連中の暮らしぶりが気に入って、こうしてマネしてんだよ」

「ふ~ん。なるほど、ね」


 南方の島国や東方の異境ではポピュラーだと、昔話で聞いた覚えがあった。

 エンフィール王国には、床の上に座るという風習が無いので、ロザリンとウェインは落ち着かないのか、モゾモゾと居心地が悪そうに足の位置を何度も直している。

 フェイは慣れているのか堂々としたモノで、背筋を伸ばし綺麗な形で正座が素晴らしい。

 そして何故かアルト側にいるラヴィアンローズは、床の上に座るのが嫌なのか、何処からか持ってきた椅子の上に足を組んで座っていた。

 シドは困ったような視線を向ける。


「ラヴィ。んなモン持ち込んだら、床が傷つくんだがよ」

「わたくしの身体は羽のように軽いので、問題無しですわ」


 自分の雇い主相手でもマイペースなラヴィアンローズに、シドはしかたねぇなと頭を掻いた。

 アルトは床の上にドン、とワインのボトルを置く。


「ま、とりあえず手土産だ。受け取ってくれ」

「ほう、こりゃ若ぇのに気が利いてんなぁ……ありがたく、頂くぜ。歳とってもこれだけは止められなくってなぁ」


 嬉しそうにワインを手に取る姿は、かなりの酒好きなのだろう。

 銘柄を確認し、


「中々、上等なワインじゃねぇか。いい目利きしてるなぁ兄ちゃん」

「喜んで貰えたんなら幸いだ」


 そう自慢げに答えるアルトに、ワインの出所を知っている二人は無言でジト目を向けていた。


「ま、明らかにハイドの趣味だがよ」

「……あっさり見破られたな」


 ニヤリと笑うシドに、バツが悪くなって頬を掻く。

 シドはボトルをちょうど、お茶を持ってきた下働きの女性に渡すと、顎を摩りながらアルト達を見渡した。


「で? 能天気通りの野良犬騎士が、ハイドんとこの下っ端連れて俺に何の用だ?」


 素性を見透かされていることに嘆息し、アルトは出された取っ手の無い陶器の杯に注がれた熱いお茶を啜る。

 紅茶のような酸味は無いが、濃い渋みは悪くなかった。


「馬鹿一人捕まえたくらいで、随分とまぁ有名になっちまったモンだな」

「儂に言わせりゃよ、兄ちゃんみたいな男が今まで目立たなかった方が、不思議でならねぇよ」

「爺に覚えられても、嬉しかねぇけどな」


 その一言に、シドは大声で豪快に笑った。

 無言で視線を鋭くするフェイの殺気を感じつつ、アルトは陶器の杯を床に置いた。


「おい、ウェイン」

「は、はひ!?」


 突然名前を呼ばれ、驚いたウェインの返事が裏返る。

 シドの存在感に気圧され委縮しているのか、ハイドの時と同じようガチガチに緊張しているのが、見て取れる。


「説明」

「は、はいっす……って、俺がっすかぁ!?」

「当たり前だろうが。誰の用件でここまで来てると思ってやがる」


 取り乱す姿に、アルトは呆れ顔をする。

 別にアルトが話ても良いのだが、それでは筋が通らない。

 本質はわからないが、二三言葉を交わした印象だと、シドという人物は陽気で、年寄の割に頭が固そうにも見えない。

 事前に聞いていた印象に比べれば、天と地ほどの違いがあるだろう。

 が、そこは北街で暗部組織の頭領を務めるほどの男。

 裏の顔があるやもしれないし、話の筋道をキッチリ作らねば、こちらの要求など聞いて貰えないかもしれない。

 無理無理と首を左右に振るウェインを睨みつけると、やがて、諦めたのか腹を括ったのか、頬を両手で叩いて気合を入れるとハンチング帽を脱いで、床の上を滑るようにして前に進み出た。

 床に両拳を付き、頭を下げる。


「お、オイラ、いや、自分は、奈落の杜で下っ端として働いている、ウェインと言います」

「…………」


 シドは顎に手を当てたまま、黙ってウェインの言葉に耳を傾ける。


「ま、まずは、突然の訪問にも関わらず、このような場を設けて頂いたことに感謝するっす! いきなりで不躾ですが、ほほ、本日は、天楼の頭領であられるシド殿に、お願いがあって参じました」

「ほう。儂に願い? なんだ。小遣いでもせびりに来たか?」


 軽い冗談を返す余裕も無く、ウェインは緊張で全身から噴き出すほどの汗をかきながら、床に額を擦り付けるように頭を下げた。


「失礼を承知でお願いします。エレンを……オイラの恋人を、返して下さいッ!」


 緊張から、いや、腹の底から搾り出した本音故に、普段通りの口調に戻ってしまうが、誠心誠意を全身で表すよう、深々とウェインは頭を下げる。

 しかし、悲しいかな説明不足。

 ラヴィアンローズは恋人という単語が琴線に触れたのか、にやにやしているが、シドは困ったように、眉根を潜めていた。


「エレン? そんな名前の娘っ子、ウチにいたかの?」


 後ろに問いかけると、瞬時にフェイは答えた。


「ロレンスが連れてきた娼婦の中に、そのような名の娘がいたと記憶しています」

「あー、あの嬢ちゃんか」


 覚えがあるらしく、シドはポンと手を叩いた。


「娼館とこの花売りだったか? 今、どうしてる?」

「はい。確か、下働きとして、この屋敷にいると思いますが」

「あ~、そうだったそうだった。歳を取ると忘れっぽくていけねぇ」


 ペチッと、デカい手の平で自分の額を叩く。


「娼館の女を、わざわざ下働きとして使ってんのか?」

「おうよ。ウチに娼婦や売春婦はいねぇからよ。娼館が丸ごと移って来ても、商売ができねぇんだ。だからって、いい若いモンを、遊ばせておくわけにゃいかめぇ」


 そりゃ珍しい、とアルトは内心で驚く。

 その手の商売は、暗部組織の大きな資金源になるが故に、少し大きな街に行けば、何処だって娼館や売春婦は存在する。

 無法地帯の北街にあっては、驚くべきことだろう。

 しかし、だからこそ腑に落ちない。

 見たところ、住人の血色も良いし、囲いの内部はゴチャゴチャしているモノの、スラムに比べればずっと綺麗で、整備も進んでいる。

 更には術式が組まれた、壁や門。その費用は莫大なモノになるだろう。

 その資金源の出所を考えると、事前に聞いていた貴族との癒着も、あながち間違いでは無いのかもしれない。


「だが、返してくれってのは穏やかな話じゃねぇな。天楼は来る者拒まず、去る者追わずが信条だ。奈落の杜さんから、無理やり奪ったつもりはねぇけどなぁ……おう、坊主。とりあえず、訳を話してみろ」

「は、はい……実は……」


 促され、ウェインは恐縮しながらも、顔を上げて経緯を説明し始めた。

 機嫌を損ねないためだろう。貴族との癒着云々や、見返り云々の話はぼやかしてあくまで「良くない噂」程度に納めた。

 その辺りのさじ加減が非常に巧みで、口調こそたどたどしかったモノの、ウェインの意外な才能が垣間見え、それまでつまらなそうな顔をして、黙っていたラヴィアンローズも、感心したような声を漏らした。

 話の最中、シドは両腕を組んでジッと真剣に耳を傾けている。


「……と、言うわけなんです」


 緊張の所為で所々、言葉を詰まらせていたが、確りと言葉を選んで、エレンを連れ戻しに来た理由を説明した。

 話を聞き終えて、シドは難しい顔をしながら顎を一撫で。


「なぁるほどなぁ……ま、一言いわせて貰えば、気の毒な話だ」


 素っ気ない口調に、ウェインの顔が強張る。

 口をモゴモゴさせるだけで、続く言葉が出てこない姿を見兼ねて、アルトは後ろからスッと助け舟を挟む。


「気の毒の一言で済ませて貰っちゃ、俺らが苦労してここまで来た意味がねぇんだけどな」

「そりゃ、そうだ」


 苦笑してシドがそう言うと、フェイの方に視線を向ける。


「おい」

「御意」


 皆まで言わずとも意図を察し、フェイは音も無く立ち上がると、そのまま屋敷の奥に消えて行った。

 シドの視線がウェインに戻る。

 そして、随分と気の抜けた表情で一言。


「ま、そんな事情なら、いいんじゃねぇか。連れて帰っても」

「ほ、本当っすかッ!?」


 驚きながらもウェインは、表情を明るくして思わず膝立ちになる。

 逆に怖い顔をするのは、後ろで聞いていたアルトの方だ。


「……随分と簡単に言うじゃねぇか」


 低い声で問うと、シドは困り顔で頬を掻く。


「若いモンは疑り深くていけねぇ。そりゃ、お天道様に顔向けできねぇ生き方晒しちゃいるが、人並に人情くらいは持ち合わせているんだぜ? それに、わざわざ紹介状まで書いたんだ。ハイドの野郎も、文句はねぇんだろ?」

「あらぁ、随分と気前がいいのねシド。でも、他人様の商売品を勝手に渡しちゃっていいのかしらぁ」


 急にラヴィアンローズが口を挟んで来る。多分、飽きてきたのだろう。

 だが、確かにそれは気になるところだ。


「それについちゃ、問題ねぇさ」


 間髪入れずに言うと、シドは眉間の皺を深くした。


「娼館のオーナー、ロレンスっつー男なんだけどな。あまりに舐めた態度を取るモンだから、儂直々に半殺しにして、街の外の放り投げてやったんだよ」


 よほど癇に障ったのだろう。シドの表情が見る間に険しくなっていく。何があったかは、聞かない方が懸命だろう。

 しかし、ラヴィアンローズは楽しげに言う。


「そんな面白おかしいことしてたの? だったら、わたくしも混ぜて欲しかったですわ」

「オメェが出ると殺しちまうだろうが」


 呆れた口調でつっこむ。

 天楼の頭領相手にもこの態度。もう慣れているのか、シドも一々気にしていない様子だ。

 多分、この場にフェイがいたら、眉間の皺は物凄いことになっていただろう。

 反応に困っているアルト達を見て、コホンとシドは咳払いをする。


「そんな経緯があってな。娼婦達にゃ罪はねぇから、他の仕事を与えて俺の縄張りで働いて貰ってんのさ」

「軽く言うねぇ。それが、天楼の頭領たる器ってヤツかい?」

「言っただろう? 来る者拒まず、去る者追わずってよ」


 そう言ってシドは、豪快に笑う。

 器の大きさに感動し、感極まったのか、ウェインは涙目になって感謝するよう、シドに向かって深々と頭を下げた。

 何があったかは知らないが、豪快なシドをそこまで激怒させたのだから、碌な男では無いのだろう。

 そう考えると、エレンにとってシドは恩人なのかもしれない。

 そして、それはウェインにとっても同様。

 感極まっている所為で声が出せないのか、ひたすら頭だけ下げるウェインに、シドは照れ臭そうな顔でお茶を飲み干していた。

 横に座っているロザリンが、服を引っ張りながらアルトを見上げてくる。


「これで、一件落着?」

「そう簡単にいってくれりゃ、俺も楽なんだけどな」


 感謝されて照れ臭そうに笑うシドを見て、アルトは口をへの字に曲げた。

 交渉を優先して、あえてウェインは突っ込まなかったが、天楼、いや、シドにはまだ見えてこない裏の部分がある。

 貴族との癒着と、見返りのリスト。

 シドの印象だけを見れば、噂だけが先行しただけのように思えるが、情報源があのルン=シュオンである。誤解するような言い回しや、多くを語らなかったりすることはあっても、嘘やデマなどの確証が薄い情報を、他人に流すはずがない。

 多分。

 本当ならそのことに関して突っ込んでもよいのだが、ここは敵地のど真ん中。

 迂闊な発言は、命取りになるだろう。

 何よりも、心から嬉しそうなウェインを見ていると、水を差すような言葉は躊躇われた。


「本人は返すって言ってるし、ま、とりあえずは相手の出方を伺ってみるさ」

「ん」


 ロザリンはわかったと、小さく頷いた。

 そう言えば、この女はどの程度まで把握しているのだろうかと、ラヴィアンローズに視線を向けると、彼女は蠱惑的な笑みを浮かべ、にやぁと唇を吊り上げた。


「…………」


 何事もなかったかのように、視線を戻す。

 知っていても知らなくても、まともな答えなど返って来ないだろう。

 触らぬ神に祟りなし、だ。

 ラヴィアンローズが「いけず」と言って唇と尖らせていると、奥の階段から足音が聞こえ、フェイが戻って来た。

 後ろには、目が隠れるくらい長い前髪をした、見知らぬ女の子を連れていた。

 下働きのエプロン姿で、純朴そうな少女だ。


「――あッ!?」

「――えっ!?」


 視線が交差した瞬間、ウェインと女の子、二人の瞳が大きく見開かれた。

 恐らく、あの娘がエレンなのだろう。


「お待たせしました、ボス」

「おう」


 シドは驚きに止まっている、ウェインを見た。


「年寄が前途ある若いモンの将来を奪っちゃいけねぇ。お前さんとこのボスにも筋通して、納得済みのようだし、好きにすりゃいいさ……ただし」


 チラっと、背後に立つエレンに視線を向けた。


「本人が了承すれば、な」

「…………」


 再会に顔を輝かせるウェインに対して、どこか暗く冴えない表情をしているエレン。

 傍から見ているアルトは、嫌な予感に表情を曇らせた。

 気を利かせて、シドは座ったまま後ろへと下がる。

 自然と二人は向かい合う形になり、暫し見つめ合ったまま沈黙。

 ウェインは久しぶりに再会した喜びから、言葉が出ないのだろう。もしかしたら、涙で前がよく見えていないのかもしれない。

 見えていれば気がつくはずだ。

 今のエレンは、とても辛そうな表情を浮かべていることに。


「え、エレン……オイラ、オイラ、迎えに来たんだ。兄貴や、色んな人の力を借りて。だ、だからさ、一緒に帰ろう……オイラ、エレンがいなくちゃ駄目なんだ」


 涙声でそう言って、手を伸ばすが、触れる直前になってエレンは避けるよう下がった。

 ウェインの手が空を切る。


「……えっ?」

「……駄目」


 何が起こったか理解できず、ウェインの表情が凍りつく。


「え、エレン?」

「駄目……駄目なの、ウェイン。私、行けない。貴方とは」

「……へっ?」


 小さく、か細い声に、凍りついた表情が引き攣る。

 混乱して言葉が上手く理解できないのか、ウェインは引き攣った表情のまま、パクパクと口だけを動かした。

 そんなウェインに、追い打ちをかける。


「……迷惑、なのよ」


 ウェインの身体が、ビクッと震える。


「最初から、私は好きじゃなかった。好きって言われたから、とりあえず付き合っただけ。それなのに、こんなところまで追いかけて来て、迷惑よ」

「そんな……オイラ、オイラは!」

「帰るなら一人で帰って……私は、ここに残るから」


 押し殺し声で突き放すよう言うと、エレンは茫然とするウェインの顔を見ないよう、顔を伏せながら身を翻し、足早に元来た方向へ戻って行った。

 広い室内に沈黙が宿る。

 瞬く間の出来事。

 誰も何も発せず、長い沈黙の後、ウェインが床に膝を突く音だけが響いた。




 ★☆★☆★☆




 夏も近づいてきている所為か、最近は日が落ちるのが遅い。

 先週の今時間なら、とっくに西の空が茜色に染まり始めているのだが、今日はまだ雲一つ無い青空が広がっていた。

 通りに軒を連ねていた屋台は、客が引いたこともあり一部で撤収の準備に入っている。

 残ったのは、これから夕飯を取る人間が利用する屋台だけだろう。

 人の営みが、喧騒となって街を賑わせる。


 東街では日常的な光景だが、ここは北街。

 一歩路地裏に入れば生きて出られぬ、無法が法として支配する退廃した場所にあって、このような風景はとても珍しいだろう。

 屋台が撤収され広くなった通りでは、子供達が遊んでいる。

 その中には何時の間に仲良くなったのか、ロザリンと、何故かラヴィアンローズの姿があった。

 あの様子を見る限り、随分とラヴィアンローズは、子供達に慕われているようだ。

 北街が今のような状態になる以前なら、このような光景が日常だったのだろう。

 シドの屋敷二階の、縁側のように突き出した場所に座り、街を見下ろしていたアルトは不意にそんなことを思った。


「……天楼、か」

 口に出して呟く。


 武闘派を気取り、周囲の勢力を取り囲み、日々大きくなっていく暗部組織。

 いずれは、奈落の杜と戦争を起こすと噂されている。


「この風景を見ていると、ちっと考え辛いよなぁ」


 ぼやいて、アルトは横目で自分の斜め後ろを見る。

 そこには柱に寄り掛かって、膝を抱えながら暗い顔をしているウェインの姿があった。


「……振られた。盛大に、振られた」


 ブツブツと呟いている姿に、アルトはどうしたモノかと頭を掻く。

 エレンに振られて小一時間ほど、ウェインはこの有り様だ。

 これでは今後の話も出来ないので、押しかけた手前、シドには悪いが、一度解散することになったのだが、


「おいおい。んな辛気臭い顔してんな、元気出せよ」

「振られた、振られる、振られれば」

「まぁ、女はシビアだからな。男がどんなに引きずっても、女は次の日にはケロッとしてるもんさ」

「オイラは駄目だオイラは駄目だオイラは駄目だオイラは駄目だ」


 慰めの言葉も、全く耳に届いておらず、アルトは嘆息する。


「やれやれ。気持ちはわからんでもないけどな」

「貴様のような男に、恋愛の機微がわかるとは思えんがな」


 独り言に対して、嫌味の利いた声が返ってきた。

 声の主はフェイ。

 奥の部屋から姿を現した彼女は、腰に手を当ててフンとアルトを見下ろす。

 大方、アルト達を監視しに来たのだろう。

 まるで番犬だ。言うと怒るだろうから、口にはしないが。

 ちなみにシドはまだ仕事が残っているらしく、上の私室へと戻って行った。

 アルトはその物言いに、不機嫌な表情を浮かべる。


「そりゃ、どういう意味だ」

「言葉通りの意味だろう。あのような小さな娘を手籠めにし、出会って早々にラヴィアンローズを誑かした貴様に、恋愛の云々を語って貰いたくないな」

「ひでぇ誤解だな、おい」


 何やら敵意剥き出しの裏には、そういう事情があったらしい。

 それに恋愛云々と言う辺り、もしかしたら言動に似合わず、男女の恋愛にロマンティックな理想を抱いているのかもしれない。

 意外に乙女趣味なのか?

 そんなことを考えるが、どうでも良いかと直ぐに打ち消した。


「ああ、そうだ」


 妙案を思いついて、アルトはポンと手を叩く。


「お前が一発ヤラせてやりゃ、ウェインも少しは元気に……」


 言いかけて、フェイが無言で腰の蛮刀に手をかけたので止める。


「冗談じゃねぇか、怒るなよ」

「乙女の純情を軽々しく扱うなど、悪趣味にもほどがある」

「乙女って、お前処女か?」

「ばばばば馬鹿を言うなっ!?」


 深い意味を考えず叩いた軽口に、フェイの表情がリンゴのように真っ赤になり、頭頂部から湯気を吹きだした。

 面倒臭いモンを踏んだなぁと、アルトは内心で後悔する。


「しょしょしょ処女とかっ。わわわ私のようなととと年頃の女が、けけ経験がないなど、ああああ、あろうはずが無いだろうッ!?」

「いや、知らんけど」


 随分な慌てようで、フェイは全力否定する。

 頭の固そうな、見るからの真面目人間だ。

 大方、どこかで知り合い辺りに、妙な冗談を吹き込まれ、それを真に受けているのだろう。

 これはこれで面白しそうなので、特に何も訂正しないことにした。


「それじゃ経験豊富で淫乱淑女なフェイちゃんに、失恋で傷ついている青少年の慰め方でも、ご教授願おうか」

「誰が経験豊富ない、いん……いん、ごにょごにょ、だっ!?」

「恥ずかしいなら無理に口にせんでいいぞ」

「ははは、恥ずかしいわけがない。わわわ私の経験は、普通だ」

「さよか」


 大人の女をアピールしているつもりなのだろうか。顔は真っ赤だし、声もドモリ上ずっている。

 もしかしたら、印象よりずっと愉快な人種なのかもしれない。

 気を取り直すよう、フェイは大きく咳払いをする。


「そもそも、貴様らは何もわかっていない」


 真面目な表情でアルトと、落ち込んでいるウェインを見た。


「彼女は、ここにいた方が幸せなのだ」

「――そんなッ!?」


 俯いていたウェインが、反射的に顔を上げ、軽く腰を浮かせて反論しようとするが、間髪入れずフェイが言葉を続ける。


「では聞くが、仮にエレンを連れ帰るとしてその後、貴様達はどうやって生活する」

「そ、そりゃ、元通り奈落の杜で働くっすよ。ボスともそういう約束だし」

「ほう。では、エレンを娼館に戻すのか?」

「そんなわけ――!?」

「無い訳あるまい。それとも、拾った野良猫のように、奈落の杜から隠して生活させるのか? 自分一人すら満足に腹を満たせない生活で」


 否定しようとする言葉を、バッサリと切り捨てた。


「まさか奈落の社が、貴様らの恋愛を応援する為に、こんな茶番に付き合っていると、本気で思っているのか?」

「……それ、は」


 続く言葉が無く、ウェインは俯き、悔しそうに唇を噛んだ。

 自分が、何処の、何者で、誰に飼われているのか。

 二人の会話を黙って聞きながら、ハイドとの別れ際に、ロザリンが言われたという言葉を思い出す。

 ウェインがエレンを連れて、奈落の杜に戻るということは、エレンも再び奈落の杜に所属することを意味する。

 衣食住。最低限のそれを、奈落の杜に頼って生きるウェインには、人一人を養っていける余裕など無いだろう。

 身請けする為に溜めていた金も、文字通り身を削る想いで絞り出していたのは、袖口から覗く痩せ細った腕を見ればわかる。


 暗部組織の構造はピラミッド。

 奈落の杜における全ての商売、人員、そして所有権は頭領であるハイドにある。

 ロレンスが天楼に寝返っても、失脚しても、エレンが奈落の杜の所有物であることは変わらない。

 連れて戻れば、エレンは奈落の杜の一員として扱われるだろう。

 そして、力の無い女子供に与えられる仕事など、限られている。

 何の反論も出来ないウェイン。

 感情が高ぶって来たのか、フェイの言葉に怒気が籠る。


「奈落の社の人間は屑ばかりだ。女を、弱い人間を食い物としか思っていない。ハイドは女は戦いの場に出さないとフェミニストを気取っているが、その実は男尊女卑の塊。そんな男の元に帰ることが、本当にあの娘の幸せと呼べるのか?」


 静かな怒りに、ウェインはもう口を開くことが出来なかった。

 女として、そして戦士として、奈落の杜の在り方は許し難いモノがあるのだろう。

 フェイの言い分は、個人的感情が入り混じっているので、全てを肯定は出来ない。

 しかし、それがこの北街の現実であり、世の貧民街の常識でもある。

 フェイやラヴィアンローズのように心身共に強い人間の方が、稀なのだ。

 それはフェイもわかっているが、一度言葉を発してしまうと、怒りが先んじてしまい感情を抑えきれなかった。


「ガキを苛めんのも、その辺にしとけ」

「むっ。別に苛めてなど無い」

「わかってるよ。だから、もういいだろう?」


 無言で肩を震わせるウェインを見て、流石に言い過ぎたと思ったのだろう。

 両腕を組みながら小さく「済まなかった」と呟いて、顔を外の方へ逸らした。

 厳しすぎる面はあるが、真っ直ぐな人間だ。彼女は心から、シドを信頼し、天楼の有り方を守ろうとしているのだろう。

 彼女は真実を知っているのだろうか。天楼を取り巻く不穏な噂を。

 その噂があるが故に、アルトは天楼に対する疑惑を、拭い去ることは出来なかった。


 気まずい沈黙が流れる。

 通りの方から、子供達が遊ぶ楽しげな声が、風に乗って聞こえてきた。

 視線を向けると、天楼の子供達とロザリン、そして遠目からも異様に目立つラヴィアンローズが、何やら布きれを巻いた棒を持った子供一人を、皆で追い駆け回していた。


「へぇ、旗追いか。懐かしい遊びだな」


 子供の頃に誰もが一度は遊んだことのある、懐かしの光景だ。

 アルトの視線に気づいて、ロザリンが大きく手を振る。

 苦笑いを返してやると、ロザリンはぴょんぴょん跳ねながら、こっちに来いと手招きしている。

 一緒に旗追いをしようとでも言っているのだろう。

 冗談じゃない。そう言いかけて、アルトは少し考え込むと、膝をポンと叩き立ち上がる。

 何事かと顔を上げる暗い表情の二人に、アルトはニヤッと歯を見せた。


「俺達もやるぞ、旗追い」


 面倒臭いが口癖のような男の口から発せられた、意外過ぎる一言に、ウェインとフェイは目を丸くして「はぁ?」と同時に首を傾げた。







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