第146話 反逆の乙女たち
ウロボロスの公式の解。
バルトロメオという、超意外とも言える人物から齎されたそれは、戦いを勝利に導く為に必要な最後の一手となった。
あの後、部屋の片付けなどは全て後回しにし、三人は急いで近衛騎士局の本部までとんぼ返りをする。デートを強制的に切り上げてしまったので、ハイネスは少し残念そうな顔をしていたが。
皆が頭を抱えていた案件だけに、解を見せた時のあの顔は忘れられない。
特に何時も澄ました顔のスズカが、あのような驚愕に表情を崩した様など、アルトは笑いを堪えるのに必死だった。
とにもかくにも、これで全ての手札は揃ったわけだ。
後は継承の儀の準備と、手に入れたアルフマンと人工天使計画を結びつける証拠を使い、各国の代表や共和国の有力者達と交渉し、協力を取り付けること。期限までにどれだけ、アルフマンを孤立させられるかが、勝負の分かれ道だろう。
完全に孤立させ、軍の指導権を奪い取れば、もうアルフマンに打つ手は無い。
ネクロノムス隊や親衛隊、竜牙ラインハットを擁していても、覆すことは不可能だ。
かくして、ラス共和国の命運を分ける最後の一週間は、瞬く間に過ぎゆく。
★☆★☆★☆
継承の儀を明日に控えた深夜。アルトは一人、ベランダから首都の街並みを眺めていた。
ここは、首都イクリプスの上層にある、貴賓向けの高級ホテル。しかも、最上階のスィートルームだ。
最上階のフロアを、丸々貸し切った豪華仕様。身体が沈み込むほど柔らかなベッドに、金銀プラチナであしらえられた、総額幾らになるか想像もつかない、高価な調度品の数々に囲まれ、まるで王侯貴族にでもなったような錯覚に陥る。
これらは全て、スズカが局長代行の権限を使って、用意させたモノだ。
サービスも行き届いていて、不満など出る筈も無いのだが、貧乏暮らしが染みついているアルトには、居心地が悪いと感じてしまうのが、正直な感想だ。
「やれやれ。豪華絢爛ってのも考えモンだな。寝返り打ったら蹴っ飛ばしそうで、オチオチソファーで居眠りもできねぇ」
下手なホテルの一室より、ずっと広々としたベランダに、室内から引っ張り出してきた、フワフワのソファーを欄干の傍に置き、その上に寝そべりながら、茶色いビンに入った液体をそのまま、だらしのない恰好でラッパ飲みする。
時刻はもうすぐ、日付が変わるだろう。
なのに視線の先に広がる街並みには、チラホラと魔力灯による明かりが見えた。
深夜。それも、ホテルの最上階にあるベランダ故に、吹き込む風は身に染みる。けれど、何故だか今夜は、こうして一人、街の風景を眺めていたかった。
腰の後ろに丸めたクッションを敷いているので、角度が付いて寝そべっていても、楽な態勢で街を眺めていられる。欲を言えばベランダの欄干が邪魔なのだが、流石に斬るわけにもいかず、これも風情の一つと割り切った。
不意に、背後で誰かが動く気配を感じる。
問うまでも無い。このフロアにいるのは、アルトの他にもう一人しかいないのだから。
「……子供はもう寝る時間だぞ」
「むぅ。私、子供じゃ、ない」
後ろから、不満に満ちたロザリンの声が聞こえた。
拗ねた声に、アルトはククッと笑う。
「子供だと言われて、違うって答えてる内はまだガキなんだよ」
「じゃ、大人は、何て答える、の?」
「そもそも大人は、そんな問いかけをされない」
そう返してぐびっと、瓶の液体を一口含んだ。
「……むぅ」
納得がいかないのか、ロザリンはまた、膨れるような音を出す。
小走りに近づくと、何の断りも無くソファーへ。寝そべるアルトの横に腰を下ろした。
ロザリンが乗っかった影響で、スプリングが柔らかいソファーは、ぐわぁんと過剰に弾み、寝ているアルトの身体を揺らす。
「おおっと」
瓶の液体が零れないようにしながら、アルトは横目をロザリンに向ける。
普段はシャツとパンツで寝ているのだが、流石にラス共和国の気候でその恰好は寒すぎる為、ちゃんとパジャマを着込んでいた。
フリルがふんだんに使われた、目が痛くなるようなまっピンク。少女趣味全開のそれは、ラヴィアンローズプロデュースのパジャマだ。
視線に気が付いたロザリンは、ふふんと得意げな顔をした。
「可愛い?」
「似合わん。そういう乙女チックなのは、ガーデンのお嬢様の分野だな」
「む。酷い」
素っ気ない言葉に、ロザリンは頬を膨らませる。
しかし、アルトの表情はどこ吹く風だ。
「酷くは無い。闇雲に恰好を褒めるなんてのはな、チャラ付いた優男がするもんだ。俺のような硬派な男はな、やたら滅多ら、女を褒めたりはしねぇんだよ」
「嘘。ハイネスは、褒めた。私、聞いたし」
「アイツは褒めた方が、反応が面白いからな」
「さいてー」
ロザリンはジト目で、アルトを糾弾する。
僅かに会話が途切れ、二人は暫し首都の街並みを揃って眺める。
ふと、ロザリンは飲んでる瓶に視線を向けた。
「お酒何て飲んで、いいの? 明日は、大変、なのに」
「これはお茶。一応、俺だってそれくらいの分別はあるさ」
「景気づけ、って言って、飲みそうなのに」
「普段はな……だが、まぁ……」
街並みに向ける視線を、アルトは僅かに細めた。
「今夜は、酔いたくない気分なんだよ」
「……?」
何故、そんなことを言うのか。アルトの心情を察することが出来ず、ロザリンは小さく首を傾げる。
「……ひょっと、して、ホームシック?」
「そうだなぁ……そうかもしれねぇなぁ」
「あ、肯定した」
ちょっとからかうつもりだったのにと、ロザリンは珍しいこともあるモノだと目を見開いた。
確かに改めて口にすると、王都の景色が懐かしく思えてきた。
首都イクリプスも悪い街では無いが、アルト達にとっては異国の地に過ぎない。
水のせせらぎや、お節介焼き達の声が懐かしく感じてしまう。まだ、王都を離れて一ヶ月程度しか立っていないのにと、アルトは苦笑を漏らした。
ロザリンの胸に宿るのも、きっと郷愁の思いなのだろう。。
王都に住み始めて、まだ春と夏。二つの季節が過ぎただけなのに、もうあの街がロザリンにとっての、故郷になっていた。
「……カトレア達、元気、かな?」
寂しげな声が、口をついて漏れる。
「そうだなぁ。そろそろ、かざはな亭の安い料理の味が、恋しくなってきたぜ。共和国の料理は上手いことは上手いが、やっぱ食べなれた味付けが一番だからな」
特にホテルの料理は、味付けが上品すぎる。
下町の香辛料の利いた濃いめの味付けと、悪酔いする安酒のアルコールを思い出し、口寂しさを感じていた。
昔を懐かしむなど、アルトにしては珍しい思考だ。
そんな態度を見せるアルトに、ロザリンの胸に一抹の不安が過る。
「……ねぇ、アル」
「あん?」
「明日、無茶、しないよ、ね?」
「……さぁてなぁ」
不安げな声にも、アルトは気の抜けた返事をして、瓶に口を付ける。
「アルフマンの野郎が、どう出るか次第だな」
「一つ、約束して」
「何だよ、さっきから唐突に……」
面倒臭げに、アルトが身体を起こすと、身を乗り出したロザリンが覆い被さるようにして、真剣な眼差しを近づける。
向けられる視線が、あまりに真剣だった為、アルトは面倒臭げな態度を僅かに引込めた。
「いいから、約束、して」
「俺は出来ん約束はしない……とりあえず、言うだけ言ってみろ」
アルトも真剣な目付きで、ロザリンを見返す。
唇を開き一瞬だけ躊躇ってから、ロザリンは願うように言葉を吐き出した。
「死なないで、ね?」
間近に迫った瞳に、悲しみの色が宿る。
手札は万全に揃えているとは言え、相手はあのミシェル・アルフマン。どのような手段を打ってくるかわかならい。けれど、彼が人工天使計画を推し進めるのなら、アルトはアルフマンと戦う道を選ぶだろう。
自らの過去と、因縁に決着をつける為に。
七年前の戦争で、アルトの師である竜姫は、人工天使との戦いの果て、命を落としたと聞く。記憶世界でラインハットすら圧倒した、あの強い竜姫が死ぬ姿など、ロザリンには想像出来ない。けれど事実。竜姫は人工天使と戦い、命を散らせた。
もしかしたら、同じような結果を、アルトの辿るのではないか?
そんな根拠の無い不安が、ロザリンの胸を締め付ける。
「死なない、よね?」
もう一度、ロザリンは問いを繰り返す。
たった一言。気休めでも良い。アルトの口から、「何を馬鹿なこと言ってんだ。ありえねぇよ」と笑ってくれれば、今夜はぐっすりと眠れる。ただ、それだけの為の、単純な問いかけだ。
しかし、そんな気休めを言ってくれるほど、アルトは優しい男では無い。
「わからん。死ぬ時ぁ死ぬからな」
「……そんな」
あまりに軽い口調に、ロザリンは眉根を寄せ、表情を崩した。
思っていたよりロザリンが、ショックを受けた顔をしていたからだろう。アルトは嘆息して、落ち込むロザリンの頭に、ポンと手の平を乗せる。
気まずいのか、視線は逸らしたままで。
「あ~……なんだ。あんま、マジな話ってのは、したくねぇんだがよ。俺は何も背負わねぇ、何かの為に戦ったりもしねぇ……何時だって俺は、俺の都合を押し通す為に、コイツを振るってきたんだ」
そう言って、腰の剣を叩く。
ロザリンは黙ったまま、頷く。
「だから、今回も同じだ。俺は俺の矜持を貫く。アルフマンはムカつく、人工天使計画は許しちゃおけねぇ。国も、名誉も、何もかにも関係ねぇ……俺は俺の都合だけで、あの野郎をぶった斬るッ」
「だったら、別に、約束してくれたって、いいじゃない」
少しだけ、泣きそうな声を出す。
「馬鹿言うな。俺の命は俺のモンだ。死ぬだ生きるだなんて、他人に指図されたく無いね……それが俺だ。野良犬騎士の矜持だ。こればっかりは、死のうが剣が折れようが、絶対に曲げることは出来ねぇ」
「…………」
無言のロザリンは、ズズッと音を立てて鼻を啜る。
泣かせてしまったかな?
どうしたモンかと困り顔で頬を掻いていると、おもむろにロザリンは顔を上げた。
「じゃあ、言いかえる。私が、アルを、守る。絶対に、死なせない!」
鼻息を荒くしながら、ロザリンは力強くそう言い切った。
唖然とし、目を数回ぱちくりさせた後、アルトはぷっと吹き出す。
「くくっ……お前が、俺を守るってか……ははっ。こりゃ傑作だ」
「本気」
「はいはい。わかったわかった」
全く本気にしてない様子で、アルトは片手を振った。
その態度に、ロザリンはぷくっと頬を膨らませ、苛立ちをぶつけるように、ペシペシと平手でアルトの肩を叩いた。
だが、ツボに嵌ったらしいアルトは、目に浮かんだ涙を拭いながら、言葉を続ける。
「ま、まぁロザリン大魔女様のお力が無くとも、大丈夫じゃねぇの? 代表として、シリウスとシエロも来るって言ってたし、小さな魔女様のお力添えが無くとも、万事全て問題無しさ」
軽く小馬鹿にしたように、またアルトはくくっと笑いを漏らす。
完全に怒ったロザリンは、平手を拳に変えて、ぽかぽかと胸を叩く。
「意地悪! アルは、私が守るの。絶対に、守るの!」
「はいはい。ま、適当に頑張ってくれや」
既に日付が変わり、更けてゆく首都イクリプスの夜。
ホテルの最上階で交わされた無邪気な会話は、もう暫く続いていた。
★☆★☆★☆
その日、旧皇帝居城は、異様な緊迫感に満ちていた。
日が昇り切る前から、いや、人によっては前日の朝から寝ずに、突貫作業で式典の準備を執り行い、時間ギリギリの所でようやく、滞りなく継承の儀が執り行える体裁を、整えることが出来た。
忙しく動いているのは、何もラス共和国側だけでは無い。
早朝から、各国代表が次々と旧皇帝居城入りし、休む間も無く式の担当者と、事前の説明や打ち合わせに追われていた。
何せ、一週間前に、急に決まった継承の儀だ。
準備を整える時間はゲストを迎え入れる側だけで無く、向かう側である周辺諸国の代表達も大わらわだっただろう。
普通だったら、馬鹿にしていると、出席を拒否されてもおかしくない事態だ。
しかし、ルン=シュオンの情報操作と、スズカが事前に進めていた交渉のおかげで、その辺りの諸問題はクリアーとなっていた。
別の言い方をすればそれだけ、アルフマンと人工天使計画を、危険視していると言えるだろう。
かくして、予定より一時間半ほど遅れ、いよいよ継承の儀が幕を上げる。
場所は、旧皇帝居城の最上階、謁見の間。
帝国時代は皇帝を頂点として、多数の将軍、騎士達を並べ様々な式典、催しに利用されていた場所だけあって、ダンスフロアの如き広さを誇っていた。
謁見の間の最奥。段になっている上が、歴代の皇帝が腰を下ろしていた玉座だ。
残念ながら玉座は、現在は既に撤去されてしまっているが、頭上に掲げられている旗な式典に合わせて、帝国と共和国、二つの紋章が並べられていた。
入り口の大きな扉から玉座まで続く道には、金の刺繍が施された真っ赤な絨毯が敷かれている。その両サイドに、共和国、周辺諸国の列席者が立ち並び、式典の様子を緊張感に満ちた面持ちで見守っていた。
古式にのっとり、椅子などは用意されず、全員立った状態で式典に参加している。
玉座があった場所の前には、既に帝位の返還を宣言した、エフラム・ツァーリ・エクシュリオールが立っていた。
その姿は皇帝らしく、絢爛な衣装に身を纏う。
式典には、エンフィールの代表として、シリウスとシエロの姿もあった。
他には式典を取り仕切るスズカと、正式にガーデンの代表を任されたらしいラヴィアンローズがいたが、流石に他の咢愚連隊のメンバーは列席することは出来ず、何が起こっても良いように、近くの小部屋で待機している。
その中で例外として、騎士局代行とエンフィール王国代表の口添えで、列席することが許されたアルトとロザリンも、この緊張感の中、少しばかり居心地の悪そうな顔をして、粛々と進む式典を見守っていた。
当然、アルト達が気にするのは、シレッとした顔で参列する一人の男。
ミシェル・アルフマンだ。
彼はレイナやラインハットを連れず、たった一人でこの式典に参加していた。
その無謀とも思える姿に、アルトは睨み付ける視線を細める。
「あの野郎……随分と大胆不敵じゃねぇか」
「何か、考えが、あるのかも」
アルトとロザリンは、コソコソと小声で会話を交わす。
口添えがあったとはいえ、身分的にも立場的にも、二人はこの式典に全く関係の無い存在。与えられた場所は、謁見の間の一番後方。更に、その隅っこにいる。
「……まぁ、目立たなくて、いいんだけどさ」
呟きながら、視線を謁見の間の奥。玉座に近い位置にいる、シリウスとシエロに向けた。
視線に気が付いたシエロは、ニコッと笑みを覗かせてくれたが、シリウスはガン無視。こっちに視線を向けようともしない。
それどころか、横顔は怒っているかのようにも見える。
「アイツ。俺が皇女なんぞに肩入れしてっから、機嫌を損ねてやがるな?」
「……それだけじゃ、無いと思う、けど」
「そういうことに、しときなさい」
小声でツッコむロザリンに、アルトは大人の対応を諭す。
そうこうしている内に式典は進み、エフラムの横に立つ、年老いた僧侶の長ったらしい口上が終わると、いよいよ新皇帝として、アカシャが謁見の間に呼び込まれる。
「アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールを、この場に」
一際通るエフラムの声に反応して、入り口の扉が開くと、数人の兵士に守られたアカシャが姿を現した。
皇帝の衣装を身にまとったアカシャの姿に、参列者達は「おおっ」と声を漏らした。
かつては軍事国家の頂点であった皇帝らしく、その衣装は深紅を基調とした軍服。勲章などは無いが、その胸や肩、襟首には帝国のツァーリを始めとして、皇族を示す一族の紋章が複数つけられていた。
更にその上に大きなマントを羽織り、羽根つきの大きな帽子も被っている。
新皇帝をエスコートするのは、アカシャ直属の騎士、ハイネス・イシュタールだ。
珍しく彼女も騎士としての正装、甲冑を身に着けており、双剣では無く普通の長剣を帯びていた。
真っ直ぐと玉座を見据える姿に、緊張した様子は見受けられない。
その堂々とした態度に、アルトは感嘆の声を漏らす。
「……へぇ。大したモンだ」
目の前を通り過ぎる瞬間、距離があるので聞こえる筈は無いのだが、タイミングよくアカシャはこちらに視線を向けた。
「……ふっ」
僅かに頬を赤らめ、ほんのちょっぴり、唇の端を上向きにした。
が、それも一瞬。すぐに皇族の表情に戻り、確りとした足取りで、赤い絨毯の上を進んで行く。
玉座の直前。段差の下に到着すると、周囲を固めていた兵士達は、役目を終えたとばかりに、横へと捌けていく。
「さっ……アカ、陛下」
「うむ」
頷き、ハイネスに促されたアカシャは、一歩前へ踏み出し、片膝を付く。
その後方でハイネスも同じように膝を付いて、頭を垂れた。
自らの愛娘を見下ろすエフラムは、これから起こることに、若干の不安を感じてか僅かに奇妙な間を置いてから、気を取り直してアカシャに言葉をかける。
「アカシャ・ツァーリ・エクシュリオール……前へ」
「はい」
呼び出しに応じてアカシャは立ち上がり、玉座へと続く段差を上っていく。
緩く、短い段差はすぐに終わりを迎え、目の前には父親が厳しい表情で待ち構えていた。
本当にいいのか?
暗に視線がそう問いかけている。
アカシャは迷わず、小さく頷いた。
「本日を持って私、エフラム・ツァーリ・エクシュリオールは帝位を返上。同時に皇帝の証を、アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールに譲り渡すことを宣言する。従って今ここに、第三十七代皇帝が誕生するモノとする」
「謹んでお受け致します」
一礼してから、アカシャは差し出された皇帝の証を、父親自らの手によって首にかけて貰う。
拍手は無く、荘厳とした空気の中、粛々と儀式は続く。
ずっしりと、首に重圧が伸し掛かる。物理的な意味では無く、精神的な意味合いで。
役目は終えたとエフラムが一歩、後ろへ下がると同時に、アカシャは振り返った。
胸に煌めく皇帝の証を目にして参列者達、特にラス共和国の人間達の口から、感嘆を含んだどよめきが漏れ落ちる。
ここからが正念場だ。
大きく息を吸い込んで、アカシャは一同にグルリと視線を巡らせる。
「私が、本日より第三十七代皇帝を拝命した、アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールだ」
まだ十代の少女とは思えない、重く凛とした声が響く。
「まず最初に、この場に集まっていただいた、国内外全ての者に感謝を示したい。ありがとう。皇帝などと名乗ってはいるが、この大陸にはもう、エクシュリオール帝国は存在しない。故にその肩書も、単なる儀礼的なモノにしか過ぎないだろう……そしてご存じの方々もいるとは思うが、私はつい先日まで、咢愚連隊として活動をしていた」
公の場での発言に、会場はどよめきを大きくする。
構わず、アカシャは言葉を続けた。
「その活動内容に関しては、賛否両論があるのは重々承知している。中には、眉を潜める者も大勢いるだろう。だが、それでも私は、活動を止めるわけにはいかなかった……単純な正義感故、なんて言葉で、納得してくれる人は少ないだろう」
そうだッ! と、謁見の間の何処からか、怒気の満ちた野次が飛ぶ。
恐らくは咢愚連隊の活動において、被害を被った人間の誰かだろう。
すぐさま警備の騎士が声の主をつまみ出そうとするが、アカシャは手を差し出してそれを制し、口上を続ける。
「始まりは私の兄が殺されたことだった。兄は私に無念を託すのではなく、ただ私の幸せだけを祈って死んでいった。死んだ兄の仇を打ちたい。そんな思いが無かったなんて、とてもじゃないが言うことは出来ない。最初の一歩は復讐の為に。それは紛れも無い事実で、それだけの為に私は咢愚連隊を結成した。復讐の為なら、何を犠牲にしても、どんな綺麗事でも口に出来ると、私はそう思っていた」
言葉を、一端区切る。
「けれど、前に進むごとに、その思いは、別な思いにすり替わる」
感情が荒ぶりすぎないよう、数回深呼吸する。
「活動の過程で、私は大陸の至るところに足を運び、様々な人の言葉を聞いた。失ったモノもある。間違った判断を下したこともある……一度は、完全に心を折ってしまったこともある。けれど、どんなに苦しくも、どんなに辛くても、私の行いで笑ってくれる人が、弱気な私の背中を押して、信じてくれる人がいると知ってしまったら、もう私は逃げることが出来なくなっていた。どんなに無様でも、どんなに格好悪くても、気づいてしまった、知ってしまった思いを、嘘偽りでは覆い隠せない」
押さえようと思っても、アカシャの言葉は熱を帯びていく。
「私はこの国が好きだ。大好きだ! いや、この国だけでは無い。他国の人間だと知って、助け導いてくれた人達も大好きだ! つまりは、私は人間が大好きだ! 兄さんが最後の瞬間まで、私の幸せを願ってくれたように、父さんが危険を冒してまで、この公の場に出てきてくれたように、咢愚連隊の皆が弱い私を信じてくれたように、私は全力でこの国を守りたい。力が無い、何も出来ない。上等だッ! 私はその矜持を持って、その一念でミシェル・アルフマンッ! 貴様の野望を打ち砕く!」
そう叫び、アカシャは真っ直ぐと、ミシェル・アルフマンを睨み、指差した。
これは最早、皇帝即位の挨拶、所信表明では無い。
ミシェル・アルフマンに対する、宣戦布告だ。
動揺はあれど、混乱は無い。
何故ならばこの謁見の間に集まった人間達全員には、既に全ての話を通してあるからだ。
ミシェル・アルフマンと人工天使計画。
ウロボロスの公式とデニスの残したメモリー。この二つの決定的証拠と、咢愚連隊はスズカ、ルン=シュオンの集めた様々な情報が合わさり、ミシェル・アルフマンが築いてきた野望は、白日の下へと晒されていた。
それを証明するよう、周囲からアルフマンに注がれる視線は冷たい。
「さぁ、アルフマン! 舞台は整った……もう、逃げ場な無いぞッ!」
啖呵を切るアカシャの言葉と共に、その場にいる全員の視線が、アルフマンに注がれた。
言葉を待つように、奇妙な沈黙が流れる。
訪れたのは弁明の言葉では無く、アルフマンの長い長いため息だった。
「残念だ……実に残念だよ。アカシャ・ツァーリ・エクシュリオール」
冷静な態度を一切崩さず、アルフマンは一歩、前へと進み出る。
開き直った態度などでは無い。アルフマンは、追い詰められた状況にいて尚、普段と全く変わらない様子を見せていた。
足を進めたアルフマンな、周囲に誰もいない、赤い絨毯の上に立つ。
そして玉座の方へと身を向け、アカシャと対峙するようが形となった。
「私が策を巡らし、秘密裏にことを進め、大統領を目指したのは……被害を最小限に抑える為だ。私は平和と平穏を何よりも愛する。目的の為に血を流すのを厭わぬとはいえ、流れる血は少ない方が良い……だが、それも終わりだ」
アルフマンは右手をゆっくりと掲げ、人差し指を天井に向けた。
「――ッ!? 不味い……急いでアルフマンを取り押さえろッ!」
表情をサッと青ざめさせたスズカが、慌てた様子で叫ぶ。
声に反応してハイネスや護衛の兵士達が、アルフマンに飛び掛かろうとするが一歩遅く、次の瞬間、飛来してきた何かで石造りの天井が破壊される。
「――きゃっ!?」
「――ロザリンッ!?」
崩れた天井により巻き上がる砂埃に、アルトとロザリンは身を守るよう伏せる。
謁見の間の至るところから悲鳴が上がるが、不思議なことに瓦礫が崩れる破壊音などは無く、舞い上がった砂埃だけが謁見の間を包み、視界を遮っていた。
「な、何が起こりやがった!?」
げほげほと咳をしながら、アルトは上を見上げる。
砂埃の向こうにはあった筈の天井は丸々消えていて、青空と太陽が覗けた。
瓦礫による被害は無かったが、今の衝撃で窓ガラスは割れてしまったらしく、外から強い寒風が吹き込み、視界を覆っていた茶色の砂埃を見る間に晴らしていく。
そこから浮かび上がる光景に、アルトは我が目を疑った。
「……ま、マジ、かよ」
「諸君らが恐れていた人工天使計画は、既に完了しているのだよ……紹介しよう。我が、理想を体現する乙女達だ」
微笑みもしないアルフマンを守るように取り囲むのは、甲冑を装備し武器を携えた、年齢様々な少女達。国籍や種族が違う者も混じる少女達に共通するのは、背中に光り輝く翼があることだ。
アルトの脳裏に七年前、初めて天使と対峙した恐怖が蘇る。
「人工、天使……それも、全部で十二体」
口をつく言葉が、自然と震える。
「さぁ、始めよう。世界を覆す、乙女達の反逆を」




