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小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2部 反逆の乙女たち
135/162

第135話 最凶、再び






 纏わりつく氷結のシャボン玉が、二体目のゴーレムを氷漬けにして粉砕する。

 所詮は土塊で構成されたゴーレム。余計な儀式を省いて、ほぼノータイムで生み出されただけで、さほど強大な力を持つわけでは無い。それでも、こうも容易く打ち倒せるような大きさの敵では無い。

 残ったシャボンを周囲に飛ばし、ロザリンは魔術の成功に、ほっと息を付く。


「いやはや……これは、驚きましたな」


 驚愕しきった様子で、パスカリスは禿げ頭を撫でる。


「拙僧の見立てでは、小さなシャボン玉に強力魔力を濃縮させている……しかしながら、普通の魔術師にそのような芸当は不可能。果たして、どのような術式で、そのような複雑な術式操作を、可能としているのかな?」


 興味深げに問いかけるが、自らの手札を簡単に明かすわけがない。

 シャボン玉を飛ばしつつ、ロザリンは首を左右に振る。


「教えない」

「ま、でしょうな」


 残念そうな顔をする。


「ならばせめて、その術の名を教えて頂けませぬかな?」


 興味本位の問いかけ。

 何故かロザリンは、ウッと顔を顰め、


「……しまった。格好いい、名前を考えるの、忘れていた」


 迂闊だったと半目で、口の中の水神の雫をコロコロ転がす。

 ふむと、パスカリスも再び、残念そうな顔をした。


「なるほどなるほど。土壇場で、仕上げたばかりの術式を持ってきた。そういうところでしょうな」

「……鋭い」

「そして」


 ニヤリと頬を吊り上げ、片目を閉じる。


「シャボン玉の仕掛けは、小瓶に入っている石鹸水と見ましたが、如何かな?」

「…………」


 何も答えず、警戒するように数歩後ろに下がる。

 その姿を肯定と受け止めてか、パスカリスは満足そうに頷いた。


 パスカリスの見立ては正しい。シャボン魔術の胆は、石鹸水にある。

 石鹸水に使っている水はただの水では無く、ルン=シュオンがわざわざ用意してくれが、エンフィール王国の、リュシオン湖の水を使用している。つまりはリューリカに祝福され、水神の雫で操作可能な水なのだ。


 とはいえ僅か少量。戦闘に使える量では無い。

 そこで考えたのが、水に石鹸を混ぜシャボン玉として操るという方法だ。

 ガーデンで貰った魔術書などで、ロザリンは新たに特別な術式を学んだお蔭もあって、水の性質はそのままに、低温術式を付与し、相手を一瞬に凍結させるシャボン玉を作り出せることに成功した。

 水を操り術式に干渉することが出来る水神の雫。ガーデンの特殊な魔術知識。そして魔眼による繊細な術式操作の三つが合わさって、シャボン魔術は初めて実現する。


 ヒントをくれたのはルン=シュオンだが、彼女もここまで完成度の高い術式に仕上げるとは、想像していなかっただろう。

 左手を振るうと、呼応するように、シャボン玉達は独特の動きを見せる。


「この、シャボン魔術なら、ここの、結界魔術にも、遅れはとらない」

「なるほどなるほど。エンフィール王国の国家神は、水の精霊。恐らくはその力を一部、使役しているのでしょうなぁ」


 凄むロザリンに対して、パスカリスは落ち着き払った様子で、シャボン魔術を分析していた。

 この余裕たっぷりの態度は、油断ならない。

 シャボン魔術を脅威と思ってないのか、更なる奥の手があるのか。

 どちらにしても、魔術戦はここからが本番だ。


「一部とは言え、上位精霊の力を相手取るには、少々骨がおれそうですなぁ」


 顎を手で摩り、ふむと頷きながら、パスカリスは両目を閉じる。

 すると何と思ったのか、真横に錫杖を突き刺して手を放すと、唐突に着ていた法衣に手をかけて脱ぎ出す。


 豪快な脱衣に普通の女の子なら、キャッと頬を赤らめるところだが、ロザリンにそんな様子も無く、露わになる上半身に、嫌なモノを見せるなと不快感を露わにするが、直ぐにその表情は絶句へと移り変わる。


「な、なに……その、身体」

「ほっほっほ。いやはや、うら若きお嬢様には、少々刺激が強すぎましたかな?」


 豪快に笑いながら、パスカリスは露わとなった上半身を、ペシッと手の平で叩く。

 老人とは思えない、筋骨隆々の上半身。腹回りなどには脂肪がたっぷりついていて、丸みを帯びているが、それが不健康に思えないほど、特に肩回りの筋肉は隆起しており、彫刻の如き造形美を生み出していた。

 ロザリンが絶句したのは、年齢に不釣り合いな筋肉だけでは無い。


「す、凄い、傷だらけ……」


 思わず、ポツリと感想が零れる。

 パスカリスの上半身には、至る所に傷痕が存在していた。

 剣や槍による裂傷や矢傷。魔術を受けたであろう火傷の痕や、何やら筋肉がごっそり抉られたらしき、痛々しい傷まで残っている。

 身体の傷を驚いた視線で凝視され、パスカリスは照れるように禿げ頭を掻く。


「いやはや。僧侶としても、騎士としても、全くもってみっともない身体でしてなぁ。これで背中に逃げ傷が無ければ、恰好もつくのでしょうが、生憎と拙僧は臆病者故。全身がこのありさまでございます」


 と言って、パスカリスは豪快に笑った。

 一方のロザリンは、とても笑い飛ばせない。

 傷痕に驚いたのもあるが、アレだけの傷を全身に受けて尚、パスカリスは現役で戦うことが可能である、ということだ。

 もしかしたら自分は、相当な化物の相手をしようとしているのではないか?

 今更ながら、ロザリンは現状の恐ろしさを、再認識していた。


「――ッ!? 駄目。コイツを、倒して、アルを助けるんだっ」


 そう言って自分を奮い立たせると、取り出した小瓶から石鹸水を補充する。

 左手を振るい、更に生み出されたシャボン玉が、ロザリンの周囲を静かに漂う。

 パスカリスもスッと笑みを消し、真横の錫杖を手に取る。


 暫し、無言のまま視線が交錯する。

 一秒、二秒、三秒……緊張感に満ちた沈黙の中、先に痺れを切らせて仕掛けたのは、ロザリンの方だった。


「――行けッ! シャボンスノウ!」


 即興で付けた名を叫び、傘の先端を向けると、無数のシャボン玉が一斉に襲い掛かる。

 その数は十や二十ではきかない。パスカリス一人くらい、簡単に氷漬けに出来るだろう。

 しかし、パスカリスは逃げる素振りも見せず、悠然とした態度で、迫りくるシャボン玉を待ち構えていた。

 その余裕に満ちた態度に、ロザリンに僅かな動揺が走る。


「確かに良い発想、良い魔術。しかしながら、あまりに稚拙……お忘れかな?」


 持ち上げた錫杖を、強く地面に叩きつける。

 瞬間、パスカリスの前方に魔法陣が浮かび上がり、三角柱の形をした巨大な土塊が複数隆起してきて、襲い掛かるシャボン玉を全て破裂させてしまった。


 弾け飛び内包していた氷結の魔力が、冷風となって周囲に飛び散る。

 シャボン玉に触れたことで、隆起した土塊は凍結したが、ただそれだけ。

 パスカリス本人は、悠然とした佇まいで、掠り傷一つつけることは出来なかった。


「ほっほっほ」


 笑いながら錫杖を真横に振るうと、凍結した土塊達は崩れ、目の前に氷の混じる土砂が広がる。


「この場は既に、拙僧の領域。花鳥風月全てとは言い得ませぬが、地面の土塊程度なら、自由に扱えるのですよ」

「……くっ」


 魔術師としてのポテンシャルが違いすぎると、ロザリンは悔しげに唇を噛む。

 本来なら、あのような強力な魔術を行使するには、幾つかの手順を踏まねばならない。しかし、この結界内でパスカリスはそれらを省略し、最短の術式構成で強力な魔術を行使することが出来る。

 水神の雫を使えば、ロザリンがエンフィール王国内の水を、自由に操れるのと近しい理屈だ。

 これは魔術戦において、非常に強いアドバンテージを、相手が握っていることになる。


「けど、幾ら結界内だって、万能では無い筈。私が水しか操れないよう、きっと何か限定された、制限がある」

「ふむ。いい目のつけどころですな」


 感心したように、パスカリスは頷く。


「正解ですよ。確かに拙僧の力には、ある程度の制限がある。まぁ、大袈裟なモノではありませよ。魔女殿が水に特化しているよう、拙僧の魔術も土に特化している。それだけのことです」

「……そんなこと、バラして、いいの?」


 自らの弱点とも言えることを、アッサリと口にするパスカリスに、ロザリンは疑わしげな視線を向ける。

 その視線を受けて、パスカリスは心外とばかりに首を左右に振った。


「これでも僧侶の端くれ。若人が悩んでいる姿を見ると、助言を口にしたくなるのが悪い癖でしてなぁ」


 手の平で禿げ頭を叩き、小気味の良い音を立てる。


「……んんっ」


 何とも調子の狂う態度に、ロザリンは困惑を深めた。

 敵であることは間違い無いのだが、パスカリスは終始この調子で、どうにも緊張感に欠ける。その所為かロザリンの思考に、妙な雑音が混じってしまう。

 もしかしたら、事情があるだけで、本当な良い人物なのでは無いか?

 そんな考えがロザリンの脳裏に掠めた瞬間、パスカリスの視線が鋭くなる。


「……ふむ、魔女殿。もしやとは思いますが、拙僧のことを善人だとか。話せばわかるのでは無いかと、思ったのではありませぬか?」

「……んぐ」


 見透かされている言葉に、ロザリンは思わず言葉に詰まる。

 パスカリスは、大きくため息を吐き出した。


「いやはや、これは拙僧が悪いのでしょうな。悪党のつもりは無いのですが、どうにも身に染みた性分から、相手に、特に幼子に殺気を向けるのはとんと苦手でしてなぁ……しかしながら、話せばわかるなどと、傲慢な勘違いをされてしまうのは、困りものですなぁ……これでは」


 向けられる視線が、酷く冷めたモノに変わる。


「拙僧や閣下の思想が、間違っているようではありませぬか」

「……!? ま、間違ってるじゃない!」


 反射的に、大声を張り上げる。

 ミシェル・アルフマンが企てる人工天使計画が、実際のところどれほど危険なのか、ロザリンには理解出来ていない。けれど、あのアルトが本気で怒るほどのこと。何より、彼をあんなに悲しげな顔にさせる計画が、正しい筈が無い。

 ロザリンはそう思っていた。

 その思いを、パスカリスは瞬時に見透かす。


「魔女殿の年齢から考えると、七年前の戦争に深く関わり合いがあるわけでは無いでしょう。つまりは、その感情は受け売り……魔女殿が信じる主張は、本当に正しいモノなのですかな?」

「それは、わからない……でも、一つだけ、わかっている、ことがある」


 不信感を煽り、動揺を誘って集中力を乱すつもりだろうが、その程度の言葉で揺らぐほど、ロザリンのアルトに対する信頼感は柔では無い。

 逆に冷静な口調で、人差し指を突き付け、パスカリスを糾弾する。


「貴方達は、大勢の人を、デニスを殺している……そんなこと、絶対に許さない」

「ああ、そんなことですか」

「……えっ?」


 軽い。あまりにも軽い言葉に、一瞬ロザリンの頭が真っ白になる。


「そんな下らないことに、ミヤ様を初めとした皆様は、怒っていたのですか」


 にっこりと笑みを浮かべ、悪戯をした子供を諭すような、凄く優しい口調で言う。

 全く見当違いの怒りだとでも言いたげな言葉に、ロザリンは続く言葉を失ってしまう。

 絶句するロザリンに気づいているのか、それともワザと無視しているのか。満面の笑顔で、パスカリスは流暢に説法じみた言葉を垂れ流す。


「いいですかな? 人の世というモノは、犠牲の上で成りっている。しかも、その多くの場合は、無駄な犠牲を積み重ねるばかり……しかし、デニス中尉の犠牲は違う。彼の死こそは、未来へと希望、明日への礎なのです」


 何を言っているんだ、この男?

 胸を張って自慢げに語る言葉は、右から左へと抜けている。

 ロザリンはパスカリスの説法を、まるで未知の言語を聞いているかのような気持ちで、ただ聞き流していた。

 そんなロザリンの気も知らず、パスカリスの言葉は徐々に熱を帯びていく。


「拙僧とて破戒僧と忌み嫌われていても、人の世に平和を求める気持ちは変わりませぬ。人の死は悲しい。それが、言葉を交わしたことのある者なら、もっと悲しい。けれど、悲しみの果てに、屍を積み重ね、積み重ね、積み重ね積み重ね積み重ね積み重ねた果てに、真の平和があるのならっ!」


 ヒートアップしきったところで、一度言葉を切り、冷静さを取り戻す。


「……人の世に恒久な平和が訪れるのです」

「――ッ!?」


 次の瞬間、ロザリンは怒りに任せ、地を蹴っていた。

 これ以上、パスカリスの妄言に付き合う必要な無い。

 話しても無駄。恐らくは、互いに同じ気持ちだろう。


「魔術戦で、不利でも、私には、水神の雫の、ブースト効果がある!」


 勢いよく地面を踏み込んで、天高く飛び上がったロザリンは、石鹸水で濡れた左手を構える。

 確かにパスカリスの身体つきには驚いたが、水神の雫さえ使えば、互角とはいかなくとも、上手く立ち回れる自信があった。何よりも、アルトの矜持を汚すような言葉を吐くこの男を、どうしても許してはおけない。


「空中からなら、土に邪魔されず、間合いを詰めれる」

「なるほど。多少は戦い慣れしているようだが……」


 パスカリスは軽く屈むと、足元の草を一本引き抜いた。

 それを無造作に、ロザリンへ向かって投げつけようとする。

 なんのつもりだと左手を構えながら、眉を顰めるロザリンの姿を見て、パスカリスはニンマリと笑った。


「油断大敵ですな。操れるのは、土だけとは限りませぬぞ?」

「……えっ?」


 手から草が放たれる瞬間、パスカリスは錫杖で軽く、地面をコンと叩く。

 投げつけられた草が、ロザリンと同じ高さになった瞬間、何の変哲も無い青々とした雑草は、生き物のようにその葉っぱ部分を幾つも伸ばすと、空中で無防備なロザリンの身体を絡め取り、拘束してしまう。


「し、しまった!?」


 大きさは変わらず、葉っぱの部分だけ伸びて、ロザリンの手足を中心に縛り上げる。

 魔力を帯びて強化されているのもあるが、空中で足の踏ん張りが無い所為で、思うように力が入らず、絡みつく草を解くことが出来ない。


「ほっほっほ。青い青い。軽く煽った程度で冷静さを失うとは、まだまだ魔女殿は幼いですなぁ」


 余裕の態度で、パスカリスが笑う。

 このままでは、身動きが取れない状態で地面に落ちるだけ。

 まだ終わるモノかと、ロザリンは何とか無理やり左手を動かし、マントの上から内側に入っている固い物体を握り、魔力を込めた。


「……焔っ!」


 魔眼が淡く輝きロザリンが呟くと、ほんの僅かだが、周囲に火花が散った。

 完全には操れないが、炎神の焔で、この程度の火花なら出現させられる。

 バチバチと音を立てる赤い火花は、一瞬にして消えてしまったが、それでも小さな雑草の葉を焼切るには十分。黒く焦げて脆くなった部分を引き裂き、ロザリンは空中で一回転し態勢を直すと、パスカリスに向かって右手の傘を振り上げた。

 これは予想外だと、パスカリスは大きく目を見開いた。


「――ずぇぇぇいぃぃぃッ!」

「ほっ!? なんとなんと!」


 頭上からの一撃を、パスカリスは片手に持った錫杖を翳し受け止める。


「――むぅ!?」


 頑強な傘から伝わる圧力に、錫杖と身体の骨が軋み、パスカリスの表情に驚きが浮かぶ。

 その動揺が隙となる。

 見逃さずロザリンは、シャボン玉を生み出す為、左手を振るおうとする。

 が、次の瞬間、ロザリンの意識が白くなって途切れた。


「――えっ?」


 混濁する意識が現状を正しく認識出来ず、背中から伝わる強い衝撃に、視界にノイズが走った。

 背中から地面に落下した。辛うじて、それだけが認識出来た。

 意識と無意識の狭間を、数秒ほど漂い、ロザリンは急速に思考を取り戻す。


「――ハッ!?」


 視界が開けると、岩山に囲まれた青空が見えた。

 仰向けに倒れているのを理解すると同時に、今が戦闘中であることも思い出す。

 慌てて立ち上がろうとするが、


「……あ、れ?」


 腹ばいになり、身体を起こそうと腕に力を込めるが、脱力して全然力が入らない。

 まるで他人の腕かと思うくらい、腕は全く自分の思い通りにならなかった。

 意識はドンドンと鮮明になり、落下の衝撃で受けた背中の痛みと、顎の骨に響く鈍痛にロザリンは顔を顰める。

 口の中に鉄っぽい味が広がり、吐き出した唾液は、真っ赤に染まっていた。

 どうやら、口の中も切れているらしい。


「殴られた、の?」


 視線の先には、剥き出しになったパスカリスの背中が見える。

 シャボンアイスを打ち出そうとした瞬間、空いている左手で顎を殴られ、真後ろまで吹っ飛ばされたのだ。


 痛みも感じさせぬ間に、意識を刈り取る一撃。

 よくぞ、顎が砕けなかったモノだ。

 落ちた場所も草むらだった為、背中のダメージも大したことは無い。


「運が、良かった、かな?」

「いやいや。良かったのは運では無く、魔女殿の執念ですなぁ」


 そう言って振り返ったパスカリスの左腕は、甲から肘にかけて凍結による凍傷が出来ていた。


「おっ?」


 思わず自分の左手を確認してしまう。


「その反応を見る限り、意識的にやったのでは無く、条件反射でシャボン玉を打ち出したのでしょうな……先ほどの火花もそうですが、魔女殿は咄嗟の発想力というモノが、常人より優れている様子だ」

「お世辞、ありが、とう」


 喋っている間に感覚が戻ってきて、ロザリンは礼を述べながらヨロヨロと立ち上がる。

 若干の皮肉も込めているのだが、パスカリスは柔和な笑顔で、とんでもないと凍傷で自由の利かない左手を振る。


「いえいえ、世辞ではありませんよ……ただ、それ故に未熟すぎる精神が惜しい。知識も知恵もあり機転も利く。だからこそ、瞬間的に熱くなりがちなその感情は、冷静さを尊ばれる魔術師には、あまりにも不釣り合いだ」


 残念そうに、ゆっくりと首を左右に振った。

 普段はのんびりとしていて、感情の起伏が薄いと思われるロザリン。だが、その内面は他の誰よりも熱い激情を持ち、今のように感情が高ぶると、大声を張り上げたり攻撃的になったりすることが、これまでにも何度かあった。

 本人も直さなければと、常々思っているロザリンの弱点。

 しかし、一度感情を爆発させれば、直ぐに冷静さを取り戻すのも、ロザリンの特徴の一つだ。


「一つ」

「ん?」


 顎を摩って首の動作を確認しながら、ロザリンは指を一本立てる。


「一つ、気が付いたことが、ある」

「ほう? 何ですかな?」

「その、錫杖」


 立てた指で、パスカリスが持つ鋼鉄製の錫杖を指す。


「それ、魔導器だね?」

「…………」

「この結界と、リンクしていて、土やその属性にある物体を、自由に操作することが出来る術式が、刻まれている……発動条件は、地面との接着」

「……むぅ」

「だから、飛んでくるシャボン玉を、凍傷になるとわかって、左手で潰さなくちゃならなかった。錫杖は、傘を受ける為に、地面から離れていたから」


 確信めいた言葉で、眼光を鋭く光らせる。

 パスカリスも笑顔を消し押し黙ると、周囲に沈黙が訪れた。

 奇妙な沈黙の中、睨み合う魔女と僧侶。

 均衡を破ったのは、パスカリスがよくやる動作。禿げ頭をペシッと手の平で叩く音だ。


「寄る年波には勝てんと申しますが、いやはや、年は取りたくないモノですなぁ……相手を格下と侮り、痛い目にあってようやくとは……いや。年齢を言い訳にするのでは無く、拙僧もまだまだ未熟者。そういうことですかな?」


 何度も頷きながら、禿げ頭を左手で撫で回す。

 凍傷は見た目以上に酷いのだろう。指や手首は、ほんの僅かしか動かせない様子だ。


「幼子かと思いきや、全く鋭い洞察力……偉そうに魔術師としての在り方を説きましたが、末恐ろしい逸材です。魔女殿のような方なら、もしや……」

「もしや?」


 問い返すと、パスカリスは出かけた言葉を飲み込み、首を左右に振る。


「いやはや、何でもありませぬよ……まぁ、そんなことより続きと参りましょう。たかだか左手一本。勝負はまだついておりませぬよ?」

「……ッ!?」


 笑顔の中に宿る、鋭い眼光を浴びて、ロザリンは咄嗟に身構える。

 距離を取り、錫杖を警戒しながら石鹸水を補充する為に小瓶を取り出す。


「ほぉら、油断大敵。自分が今、何処に立っているのかお忘れかな?」

「えっ?」


 コンと、錫杖が地面を付いた瞬間、慌ててロザリンは背後へと飛び退くが、予想していた土塊などの攻撃は無く、代わりに草むらの草が一気に成長して、ロザリンの身体を包み込んだ。


「――し、しまった!?」


 急速に成長する草が視界を覆い、薄く鋭い葉っぱが肌を浅く切る。

 視界を遮るだけで、幸いなことに直接的なダメージや、身体を拘束するような動きは無いが、この状態ではシャボン玉が草に阻まれ、直ぐに割れてしまう。


「火花で、焼き払う?」


 それほどの火力は、まだ操作出来ないが、視界が塞がれている以上、行動が遅れると命取りになる。

 無駄に身体を傷つけぬよう、マントで露出した部分を隠しながら、ロザリンは左手でマントの内側を探る。

 瞬間、目の前の草が伐採されると同時に、左腕に激痛が走った。


「……痛ッ!?」


 炎神の焔に触れていた、指先の感覚が消える。

 いや、肘から先の部分、全ての感覚が消失していた。

 反射的に向けた視線に、ロザリンの呼吸が止まる。


「う、腕、が……腕が……」


 身体の奥から怖気が走り、熱い汗が全身から吹き出す。

 知らずに握っていた傘を零し、右手を左腕の方へ持っていくと、あるべき場所に腕は無く、変わりに生温かい液体の感触が、絶え間なく伝わってくる。


「左腕一本。これにて、引き換えですな」

「あ……ああっ」


 切り裂かれた草むらの先には、柔和な笑顔を湛えるパスカリスの姿が。

 彼の右手には一本の剣。恐らくは錫杖が、仕込み剣となっていたのだろう。

 急速に血の気と体温が引いていくロザリンに、パスカリスは諭すように、酷く優しい声色で言い聞かせる。


「残念でしたなぁ。こちらから、物理的な攻めは無いと思いましたか? それとも姿が隠れ、正確な位置は読み取れないとでも? 残念ながら、魔女殿が火で草を焼こうとするのは読んでいました。拙僧も僧侶であると同時に、騎士でもあるのです。術式を紡ぐ一瞬さえあれば、十分に斬り込めるのですよ」


 草を伸ばしたのは、視界を奪う為と、ロザリンに魔術を使わせ隙を作る為。

 まんまと、パスカリスの策略に乗せられたのだ。


 顔色を真っ青にして、ロザリンは切断された左腕を押さえながら、両膝を付く。

 吹き出す鮮血に塗れた草は、腕を失ったショックで戦意を消失しつつあるロザリンの身体を、埋葬するように覆い始める。

 剣を片手に持つパスカリスが、慈悲の籠った視線で、ロザリンを見下ろす。


「さて、終わりですかな。せめてもの慈悲。失血死は辛いでしょうから、ひと思いに拙僧がその首を、落として差し上げよう」


 祈りを捧げるかのような一礼と共に、パスカリスは仕込み剣を振り上げた。

 ロザリンは恐怖と混乱で、ガチガチと歯を鳴らし動けない。

 抱きかかえる左腕から流れる、とめどない出血が服とマントに染み込み、生温い嫌な感触を与えていた。


 ショックの所為か、痛みは差ほどでも無い。

 けれど、明確な死の恐怖に、ロザリンは動けなくなるくらい震えていた。

 押し潰されそうになる恐怖の中、脳裏に浮かぶアルトの姿に、ロザリンは懸命に己を奮い立たせる。


「だ、駄目……駄目、駄目っ。こんなところで、終われ、無いっ……まだ、アルを、助けて、無いのに……アルの、為に、何一つ、成し遂げて無い、のにっ!」


 噛みあわない歯で、必死に身を捩る。

 しかし、身体は恐怖に屈服していて、ロザリンの命令を無視する。

 必死で恐怖に抗おうとする姿に、僅かだがパスカリスの動きが鈍った。

 が、それも一瞬のこと。


「お見事な意地……しかして、ここまでですな」

「動いて。お願い……私の、身体、動いて、よぉぉぉ!」


 目尻にジワッと、熱い涙が溢れる。

 諦めたくない。もう駄目だ。

 相反する二つの感情を引き裂いて、聞き覚えのある声がロザリンの脳裏に響く。


『ウロボロスの公式』

「……えっ?」

『炎神の焔……ウロボロスの公式』


 ノイズに塗れる声は、その二つの単語だけを繰り返す。

 意味がわからない。恐怖でついに、幻聴が聞こえてきたのだろうか?

 問答のする間も無く震える右手でマントの内側から、血に塗れる炎神の焔を取り出し、ロザリンの本能が前髪に隠れた右目の、魔眼を発動させて干渉する。

 脳裏に描くのは、ウロボロスの公式と、その解の一部。


「ふむ、悪あがきですか……興味深いですか、この絶望的な状況。ただの魔術で、覆せますかな?」


 余裕を表すように、パスカリスはゆっくりと剣筋をロザリンの首に定め、振り上げた仕込み剣を握る手に力を込める……だが、その動きは何故か鈍い。本来なら、もう振り下ろしている筈の剣は、まるで何かを待ちわびるように、迷うよう揺れ動いていた。


「…………」

「ぐっ……ぐっあああッッッ!」


 気力と声を、ロザリンは必死に絞り出した。

 術式が完成して、魔眼から魔力を炎神の焔に注ぎ込まれる。

 同時に、刃が打ち下ろされた。


 瞬間、火柱がロザリンの姿を包み込む。

 螺旋を描き渦巻く炎は、どす黒いまでの赤。凶暴な肉食獣のように荒れ狂い、轟々と慟哭のような音を鳴らし生命を威嚇する。生きているかのような、明確な殺気を宿す炎。いや、実際に生きているのだろう。


 なぜならば。

 首を狙った斬撃は炎から伸びた腕によって、弾き飛ばされてしまったのだから。

 腕は業火を纏い、空気と風を焼き焦がす。その勢いに吹き飛ばされ、パスカリスはバランスを崩すよう、大きく後ろへと下がらされた。

 何とか倒れずに踏ん張ったパスカリスは、目の前の光景に絶句する。

 炎は弾け飛ぶように四散し、中から炎に焼かれた様子の無い、ロザリンの姿が。

 そしてもう一人、あり得ない姿をした少女が、だらしのない猫背で立っていた。


「――な、なんですとぉ!」

『熱い……滾るわぁ。初めて体験するのに、なんて清々しい気分なのかしらぁ』


 気怠い声が、ロザリンの真後ろから聞こえる。

 唖然とした様子で振り向くと、ロザリンの背に浮くようにして、一人の少女が炎を纏っていた……いや、より正確に表現するのなら、少女こそが炎だった。


「ほ、炎の中位精霊、ですと? ま、まさかこの土壇場で、そのような存在と契約を果たすとは、ありえませんッ!」


 流石のパスカリスも、動揺した口調で捲し立てる。

 現れた炎の中位精霊。しかし、その姿には見覚えがあった。


「……ミュウ」


 純白の髪の毛と肌を持つ少女は、かつて呼ばれた狂犬の名に相応しい、凶暴な眼光をギラギラと周囲に撒き散らしていた。

 この凶悪さ、この凶暴さ。忘れられる筈が無い。

 狂犬ミュウ……炎を纏って今再び、最凶が蘇る。





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