第134話 小さな魔女VS破戒僧
パスカリスの声が響いた瞬間、その場にいた全員に緊張が走る。
特に彼のことを知るスズカ、エフラムの両名は、露骨に表情を変えていた。
僅かに残る耳鳴りの中に混じる異質な気配には、微量ながら魔力を感じ取ることが出来る。つまりは、既にこの場は敵の術中にあるということだ。
身構える一同を嘲笑うかのよう、パスカリスの姿なき声が届く。
『ほっほっほ。これも聖竜騎様のお導きと言うモノでしょうなぁ。しかし、ミヤ様が我らの敵に回るとは、貴女様を尊敬していた身としては、些か残念でなりません』
大袈裟に、残念がる声に対し、スズカはふんと鼻を鳴らす。
「残念なのは此方の台詞よ。貴方はもう少し、思慮深い人物だと思っていたわ」
皮肉めいた言葉に、パスカリスは「ほっほっほ」と、楽しげな笑いと共に、額か何処かをペシペシと叩く音を奏でる。
『いやはや。生臭坊主である拙僧を信頼して頂けていたとは、光栄の極み……しかしながら、申し訳ない。これも双方、見解の相違。なればぶつかり合いことも、致し方なし。拙僧は未熟故、人を導けるほど悟りに至ってはおりません』
心底、残念そうな声だ。
この何処か人を小馬鹿にしたような語り口調に、アルトは苛立ちを募らせていた。
自分達を既に術中に捕えているからだろう。丁寧な口調の裏に透けて見える、余裕の態度がどうにも鼻につく。
それはスズカも同様なのか、終始険しい表情で、室内に視線を巡らせている。
「ならば問うわ、パスカリス・グレゴリウス。貴方はシン局長を裏切って、何故アルフマンに加担するのかしら」
『ふむ。裏切ったと言われると、耳が痛いですなぁ』
幾分、神妙な声を出す。
『拙僧とて聖職者の端くれ。人が死ぬのも、不幸になるのも見たくはありませぬ。叶うならば、全ての民に平穏を……常々そう考え、騎士長という職務を遂行してまいりました。しかし、何事にも限界は存在する。拙僧が大司教の道を諦めたのも、それが理由でございます』
「だったらテメェは、アルフマンならそれが可能だとでも言うのか?」
苛立ちの混じる声で、アルトが口を挟む。
その問いに、パスカリスは一切の躊躇も無く断言する。
『然り。全くもって、その通り』
「――ッ!?」
迷いない言葉に、アルトは息を飲みこむ。
驚く気配を感じてか、パスカリスは言い聞かせるよう、極めて優しい口調でアルト達に語りかけ始めた。
『確かに、他人から見れば眉を潜める行いもあるでしょう。しかしながら、全てはこの国を、大陸を平和に導くための苦行。ここは一つ割り切って、ご容赦願えると拙僧は嬉しく思います』
ひたすら低姿勢に、パスカリスはアルト達にお願いをする。
本気でアルフマンを正しいと、この声の主は思っているのだ。
だからこそ、アルトは余計に腹立だしい感情が抑えきれない。
「本気で言ってやがるのかテメェ……!」
奥歯を噛み締め、吐き出す言葉に怒気が宿る。
荒ぶる感情のまま、右手を振るい何も無い空間に向けて、怒りをぶちまけた。
「ふざけんなよこの糞爺ッ! アルフマンがどれだけ御大層な人間か知らねぇがなッ、こっちは既に喧嘩上等で来てるんだ!」
そう叫んで、振るった右手を腰の剣に添える。
「テメェらの事情なんぞ、はなっから聞く耳を持つ気はねぇんだよ……邪魔するってんなら、アンタもぶった斬るぞ」
脅しつける言葉に、凄味が増す。
横では同意するように頷き、ロザリンが水神の雫を取り出していた。
乱暴な言葉を聞いてか、パスカリスが大きくため息を吐く音が聞こえた。
『……人の感情とは、何と無様で美しいモノなのか。拙僧は尊いと思う愛情を抱くと同時に、その浅ましさに憐れみを感じますぞ。人の感情は閣下が仰る通りに難しい……だからこそ、それを廃せるあのお方こそが、人を導く者に相応しい』
確信を得るようなパスカリスの言葉に、アルト達は理解できないと眉を潜める。
『いやはや。皆様方を責めるつもりは、毛頭ございません。閣下を信奉するデニス中尉ですら、疑念を抱いてしまった。敵である皆様方が、閣下の理想に共感を示さないのは当然のこと』
調子の良い口調で、パスカリスはフォローの言葉を挟む。
だが、アルトは違う部分に引っ掛かりを覚える。
「……テメェ。その台詞。つまりは、デニスが訪ねた魔術研究所に、テメェもいやがったな?」
低い声色で、静かに問いかける。
ビリビリと、空気が震えるほどの殺気を、アルトは全身から醸し出していた。
『はい、その通り……何せ、あの場で実験を執り行うよう、閣下に進言したのは、拙僧でございますから』
「……そうかい」
悪びれもせず認めるパスカリスに、至って冷静な言葉を返す。
てっきり、激昂するモノとロザリン達は思っていたが、アルトに視線を向けた瞬間、それは間違いだと理解した。
「――ッ!?」
流石のスズカすら、垣間見たアルトの横顔に、恐怖を感じる。
静かな、青い炎のように燃え盛る殺気が、アルトの表情に宿っている。
とっくに、アルトは激怒しているのだ。
剣に添えた右手を、限界まで力強く握り締める。
「……邪魔する必要はねぇ。この糞坊主は、この場で叩き斬るッ!」
『おお。怖い怖い』
怒りを露わにして、殺気を全身から漲らせるが、パスカリスは挑発するかのよう軽い口調でアルトを煽る。
姿は見えないが、この屋敷内。もしくは、外の庭園には確実にいるだろう。
そう狙いを定め、一歩足を踏み出した瞬間、周囲に流れる微量の魔力が、急激に存在感を増す。
「――いけないッ! 逃げて!」
「――なにッ!?」
慌てた様子でスズカが叫ぶ。
危険を察知して、アルトもすぐさま飛ぼうと足を踏み込むが、まるで何かが足元に絡みついたかのよう、自由が効かない。
魔力は部屋の中心部から、波状に広がっている。
何の効力があるかは知らないが、魔術耐性の低いアルトが、真っ先にこの術式に捕まってしまったのだ。
術式は急速に完成へと向かい、エフラム、そしてスズカの動きまで拘束していく。
これは不味い。アルトの本能は警笛を鳴らす。
咄嗟にアルトは手を伸ばし、横にいるロザリンの襟首を掴み持ち上げる。
人より強い魔術耐性を持つロザリンは、まだ何とか拘束されていなかったようだ。
「にゃ?」
「――うりゃッ!」
持ち上げたロザリンを、そのまま入り口の方まで放り投げた。
投げられて一瞬、驚いた顔をするが、ロザリンはすぐにアルトの意図を察すると、ドアに飛びつき開いて、廊下へと飛び出した。
勢いのまま、廊下の上を転げまわる。
「――痛ッ!?」
壁に背中をぶつけロザリンは顔を顰めるが、狙い通り廊下までは術式の影響はないらしい。
「――アル、みんな!?」
慌てて立ち上がり、室内を覗き込んだロザリンは、息を飲む。
「ぐっ……く、くそっ。油断、したぜッ……!」
「迂闊、だったわ……まさか、ここまで強力な、術式を用意していたなんて」
「む、むぅ……なんと、言うことだ」
アルトとスズカ、そしてエフラムが苦しげな声を漏らす。
部屋の中心部でもがく二人と、椅子に腰かけたままのエフラム。
彼らの全身には、床から延びる細長い布のような物が巻き付き、拘束するように動きを封じていた。
「こ、これは……!?」
驚きながら、ロザリンは視線を足元に向ける。
術式の効力は室内限定なのか、ちょうどドアの手前で床に敷かれた絨毯が、ウネウネと気持ちの悪い動きを見せていた。
残念そうな、パスカリスの声が響く。
『なんと……一人取り逃がしてしまいましたか』
「こんな、魔術。私が、ディスペルするッ」
しゃがみこみ、術式の手前ギリギリに手を添えて、魔力を集中させる。
乱暴な方法だが、無理やり多量の魔力を流し込んで、強引に術式の構成を乱そうとしているのだ。
人より膨大な魔力量を持つ、ロザリンにしか出来ない芸当。
しかし、
「そ、そんな」
ロザリンの顔が青ざめる。
「お、おい! どうした!?」
余程情けない声を出したのだろう。拘束されているアルトが、心配そうに声をかける。
「わ、私の魔力が、全然、通じない」
「なんだって?」
『ほっほっほ』
動揺するロザリンを嘲笑うかのよう、パスカリスの声が、再び聞こえてきた。
『この屋敷……いえ。この庭園一体は、拙僧が作り上げた特殊結界に覆われております。つまりは、ここは我が体内も同然。幾ら強引な魔力放射で術式を乱そうとも、乱した傍から術式は再構成されてくのです』
「そ、そんな強力な結界、が!?」
ロザリンは驚いた声を張り上げた。
その場にいなくても、術式に干渉出来る結界を構築するなんて、ロザリンでも不可能な高等魔術だ。いや、これだけ大規模な魔術を行使出来る魔術師など、大陸でもそう数は多くないだろう。
そんな人物、ロザリンは自分の祖母くらいしか思いつかない。
尊敬すべき人物であり、偉大なる魔女であった祖母。
自分の祖母と同等の力の持ち主かもしれないという事実に、ロザリンは戦慄した。
「拘束用の、術式のようだから、身体に影響は、無いと、思うけれど」
状況が不利なのは変わらない。
パスカリスがすぐ近くにいるのもそうだが、ここは敵地のど真ん中。すぐに神官騎士達が、大勢やってくるかもしれない。
「……ん?」
ふと、違和感に気が付いた。
「私達の、存在に気づいて、術式を起動したのなら、既に周囲を、神官騎士達が包囲していても、おかしくは、無いのに……」
立ち上がり窓の外を見てみるが、包囲されている様子はおろか、人の気配も感じられない。
「立ち入りを、制限している?」
だとしたら、何故なのだろう。
術式で完全に、自分達を拘束出来ると過信したのか。
その答えを、ロザリンは身を以て知ることになる。
「――ッ!?」
足元に魔法陣が浮き上がり、急速に魔力反応が増大する。
危ない。と、慌てて飛び退く。
直前までロザリンが立っていた場所に、室内と同じく複数の細長い布が生え、身体を拘束しようとするも空を切り、互いに絡み合いながらウネウネと、不気味で気持ちの悪い動きを見せていた。
胆の冷える思いに、全身がゾワッと粟立つ。
『ほっほっほ。言った通り、屋敷を含めてここいら一帯は、拙僧の魔術……いやいや。聖職者としては、神秘と言わねばばりませんな。その神秘領域となっております。下手に人数が多いと、巻き込んでしまいます故なぁ。何より、大勢で皇帝陛下の御所に押し入るなど、いやはや無粋の極みでありましょうぞ』
そう丁寧に解説してくれる。
だが、これは本格的に不味いと、ロザリンの顔色が変わった。
格上の相手を、相手の領域内で対峙せねばならない。
勝てる情景が全く浮かばぬ状態に、ロザリンの戦意が萎えていく。
「……ううっ」
怯えるように、一歩後ろに下がるロザリンの背中めがけ、室内からアルトの激励が飛ぶ。
「――ロザリン! ビビってんじゃねぇ、大丈夫だ!」
「あ、アル?」
振り返ると全身、顔まで布に覆われ身動きが取れないアルトが、真っ直ぐとロザリンを見つめて叫ぶ。
「お前は俺の相棒なんだろ? だったら、こんな糞坊主なんぞに、負けるわけがねぇ」
「……流石にそれは、無茶な理屈なんじゃないかしら?」
同じく拘束されているスズカが、呆れ顔でツッコむ。
だが、アルトは無視して、力強く怯むロザリンの背中を後押しする。
「お前が何処までやれるのか、お前が一番知っている筈だ……だろ?」
アルトの言葉を背中に受けて、ロザリンは小さく息を飲む。
表情を引き締め、右手に持った傘を力強く握り、そして頷いた。
「うん。負けない。だから……」
室内の方を振り返り、ニカッと笑って見せた。
「少し、待ってて」
そう言って、ロザリンは廊下を駆けていった。
たった一言で自信を取り戻してしまった、ロザリンの単純さに苦笑しつつも、スズカは自分もせめて出来ることはと、既に姿が見えなくなっているが、大声を張り上げた。
「ロザリン! 魔術戦に必要なのは、経験や魔力量では無く知識と戦略よ。魔術式とは魔術特性の読みあいと潰しあい……素早く、冷静で、完璧に魔術式を紡げた方が、最後に勝利するわ……それを、忘れないで!」
スズカのアドバイスが、ちゃんとロザリンに届いたのかは定かでは無い。
気配が完全になくなり、拘束されているアルト達に出来るのは、ただロザリンの勝利を願うだけであった。
★☆★☆★☆
次々と展開していく、床や壁、天井から生み出される魔法陣。そこから延びる細長い布を、何とか躱しながら、ロザリンは全力で廊下を疾走する。
水神の雫を口に咥え、魔力ブーストによる身体能力の強化で、走る速度は風の如く。
最初はその素早い動きに、展開する魔法陣も追いつけなかったが、徐々に対応するよう出現する速度が速くなっていく。けれど、魔法陣自体はロザリンが踏むことで反応する、トラップ形式になっているので、魔力耐性の高いロザリンでは、発動までにライムラグが生じる為、回避するのはそれほど難しいことでは無い。
『ふむ。これは、中々にすばしっこい』
術式操作が追い付かないのか、パスカリスが少し驚いた声を出す。
走りながらも、ロザリンはこの結界や魔法陣について、考察を巡らせていた。
「これ、踏む度に、魔力が僅かに、吸収されてる?」
僅かだが、結界のカラクリが読めてきた。
様子を見る限り、魔法陣は自動では無く任意で展開されている。
恐らく外部にいるパスカリスは、視覚的では無く感覚的に、屋敷内の状況を把握しているのだろう。
つまり、屋敷内の魔力反応で対象を識別し、そこから何等かの方法で術式を構成、魔法陣を展開するという方法を取っていると、予測される。しかし、遠隔から任意で術式を発動するのは、言葉で説明するほど簡単なモノでは無い。
例えるなら、遠く離れた場所の油に、火を灯すようなモノ。
燃やす物、燃やし続ける方法があったとしても、まず最初に点火する火種が無いのだ。
「その為の、魔力吸収。私達の、魔力を火種に、魔法陣を発動させる、術式を組んでいる、ということね」
考えたモノだと、ロザリンは若干、感心したような表情をする。
この方法ならば、遠隔で自由に術式を操作できる。
欠点があるとすれば、それほど強力な術式が仕込めないことと、ロザリンのように魔術耐性が強い人間には、発動までにタイムラグが起こってしまうことだろう。
「種は、わかったけど、後、どんな術式が、組み込まれてるか、わからない」
あまり、屋敷内に長く留まらない方が賢明だろう。
そう判断したロザリンは、軽く跳躍して壁を蹴り、そのままの勢いで階段の手すりの上にちょこんと、片足のつま先で着地。更に膝を曲げて跳躍すると、反対側の壁を蹴り、一度も階段を踏まないまま、一気に一階のエントランス部分まで降り立った。
これには、パスカリスも驚きだ。
『なんと器用な!?』
「……むふっ」
ちょっと自慢気な顔をして、ロザリンは真っ直ぐと走り、玄関から表へ飛び出した。
扉を開けると、暖かな風が頬を撫でる。
だが、独特の閉塞感と共に待ち構えていた老人の姿に、スッと視線を細めた。
左手に錫杖を持った、まん丸い巨漢の老人は、ロザリンの姿にニッコリと笑顔を向けて、ペチペチと自分の禿げ頭を叩いた。
「ふぅむ。残念無念。階段の方にもこっそりと、面白い仕掛けを組んでおいたのですがなぁ。無駄になってしまった」
「……そうだろうと、思った」
警戒しながら、ゆっくりとした足取りで、玄関口から出ていく。
危機を察知して逃げた場合、まず高確率で階段を下りなければならない。全力で走っている最中、階段のような足場の悪い場所で、トラップなど踏もうモノなら、対処が間に合わず全滅だ。
そう予期しての判断だったが、どうやら正解だったらしい。
目の前の老人だけでなく、周囲にも警戒を張り巡らせながら、ロザリンはゆっくりと広い場所へと移動する。
対峙する老人は、ロザリンが想像していたより、ずっと温和な雰囲気を持っていた。
けれど、変な先入観がある所為か、向けられる笑顔に、怖気がするような得体の知れなさを感じて、自然と緊張感から胸の鼓動が高鳴る。
「はてさて。自己紹介くらい、キチンとしておきませんとな……拙僧はパスカリス・グレゴリウス。僭越ながら、ラス共和国近衛騎士局騎士長の一人を、務めさせて頂いている者です」
貴女は? と、パスカリスは視線で問いかけてくる。
「……エンフィール王国のロザリン。魔女よ」
「おおっ! これはまた、珍しい!」
魔女と名乗った瞬間、パスカリスは感心したような声を漏らした。
頭を一際大きくペチッと叩くと、そのままスライドさせて自分の顎を撫でる。
「戦時中ならいざ知らず、平時において術者同士が相対することは、非常に稀でございますからなぁ。それも、相手がレアな魔女殿ともなれば、いやはや、拙僧の血も滾るというモノです」
「……お爺さん、本当に、僧侶?」
修行中の武芸者が発しそうな言葉に、ロザリンは眉を潜めた。
「元、でございます。ありがたいことに、このセント・ピーリス大聖堂を任されておりますが、正確には既に僧侶の身分から引いた身。一応、席自体は残っておりますが、今は騎士長として、国民の皆様方にご奉仕する立場」
温和な口調で語りつつも、皺の奥に隠れた鋭い眼光は、真っ直ぐとロザリンを射抜いていた。
「なれど……拙僧、現役の頃より破戒僧だ生臭坊主だと、言われ続けていた身の上。武芸を磨くことが推奨される、聖人信仰においても尚、拙僧は異端とされておりました」
シャリン!
一際大きく、手に持った錫杖が鳴り響く。
先端についている複数の鈴が、音を奏でているのだろう。
だが、問題は足元。思い切り錫杖を上下させ、地面に叩きつけた鉄製のそれは、綺麗に磨かれた石畳を、粉々に打ち砕いていた。
距離がある為、大きさに気を留めなかったが、パスカリスの体格から逆算してあの鋼鉄製の錫杖。少なくとも、十キロ以上の重量はあるだろう。
「あれ? これから、魔術戦、じゃなかったっけ?」
想像していたより、武闘派なパスカリスの様相に、ロザリンは引き攣った表情を浮かべた。
それを見たパスカリスは、例の如く「ほっほっほ」と笑う。
「健全な精神は、健全な肉体に宿るモノですぞ魔女殿。一角の術者を目指すのならば、頭だけでなく、身体も鍛えなければ」
言いながら、スッとパスカリスは向けていた笑顔を消す。
雰囲気が変わった。
暖かかった空気が、途端に冷たい殺気が混じり、ロザリンも慌てて身を引き締める。
「さて、と。お喋りはこの辺りにしましょう。あのお方の邪魔となる存在は、取り除かねばなりません。申し訳ありませぬが魔女殿……」
声色が、明確に変わる。
「裏切り者のミヤ様やお友達も含めて、この場で死んで頂きましょう」
「――来るッ!?」
叩きつけられる殺気に、ロザリンも魔力を集中する。
パスカリスは左手に錫杖を持ったまま、右手で印を作ると術式を紡ぎだす。
魔力に反応して、パスカリスの左右に魔法陣が展開。すると、その魔法陣は地面を大きく抉り取り、土塊を作り出すと、それは形を変えて大きな人型を形成する。
土で出来たゴーレムが二体、あっという間に誕生した。
「嘘ッ!? こんなに、簡単に、出来る魔術では、無い筈なのに!?」
「魔術では無く、神秘と呼んで頂きたいな。ここは我が結界内であることを、お忘れなきよう。この場に限り、大規模な魔術も、大半の儀式を省略して執り行うことが、出来るのですよ」
わかってはいたが、改めて反則じみた技だと、ロザリンは驚愕する。
生み出されたゴーレムは土塊で作られ、草木や砕けた石畳なども、表面に突き出しているのが、確認出来る。厄介なのはその大きさで、三メートル近くはあるその巨体は、まともに戦うのは躊躇われる迫力があった。
パスカリスは後ろに下がり、代わりに二体のゴーレムを前へ進める。
「さて、どうなさいますかな? 単純な術なれど、結界の影響があります故、手足を破壊した程度では、すぐに復元してしまいます」
そう言って、パスカリスは楽しげにニッコリと笑う。
「魔女殿がこの状況にどう対処するのか、はてさて見物ですなぁ」
完全に戦闘は二体のゴーレムに任せて、自分は高みの見物と決め込むつもりだ。
舐められていることはわかる。だが、ゴーレムが厄介なのは事実だ。
「再生するなら、物理的な攻撃は、効果が無い、よね」
鈍足なゴーレムから、バックステップで距離を取りながら、ロザリンは戦略を練る。
石や鉄で無いのなら、水神の雫で底上げされた身体能力で、土塊程度は破壊出来るだろう。しかし、再生すると言う以上、肉弾戦は得策では無い。また、風縮弾などのアイテムも、結果は同じだろう。
「魔術を封じられるのは、魔術のみ。強力な攻撃性魔術で、ゴーレムを、封じる!」
「ほう? 面白い。拘束術式も解けなかった魔女殿が、どうやってゴーレムに対処するおつもりかな?」
挑戦的な言葉に、ロザリンは不敵な笑みを返して、傘を小脇に挟む。
マントの内側に手を突っ込むと、一つの小瓶を取り出した。
小瓶の中には透明な液体が入っており、光の加減で七色に輝いていることから、液体は石鹸水か何かなのだろう。
「……なんと?」
何か魔術的な効果があるのかと、パスカリスは首を傾げる。
ロザリンは小瓶を逆さにして振ると、特殊な蓋から数滴の雫が手の平に落ち、何度か手を開閉して石鹸水を馴染ませた。
意味不明な行動に、パスカリスの疑問の表情は、ますます深くなっていた。
「一体、何の儀式なのですかな?」
「すぐに、教えてあげる」
そう言って、ロザリンは石鹸水を馴染ませた左手を、勢いよく真横に振るった。
瞬間、浮かび上がる複数のシャボン玉。
指と指の間を利用して、上手に作られた大きく丸いシャボン玉は、ゆらゆらと風に乗って七色に輝く。
ただそれだけ。何の発展性も無い数個のシャボン玉は、ゆっくりとゴーレムに近づく。
パスカリスは、まさか本当にただのシャボン玉か? と、細い目を限界まで見開いていた。
ゴーレムに自我は無いが、飛んでくるシャボン玉に反応したのだろう。
叩き落とそうと振るった土塊の腕が、シャボン玉に触れた瞬間、あっけなく弾けて消えた……本来なら、それだけの儚い存在だった。
しかし、次の光景に、パスカリスは我が目を疑う。
「な、なんとっ!?」
シャボン玉を割った腕の一部が、凍りついてしまったのだ。
続くシャボン玉も腕へと命中し、瞬く間に肩まで凍りつかせていく。
「まだよ。まだ、まだ!」
石鹸水の残る手の平を、ロザリンは何度も振るい、次々とシャボン玉を生み出す。
それらは一気にゴーレムへと襲い掛かると、全身に纏わりつくようにして、弾けている、
大量のシャボン玉が弾けると、周囲に冷たい風が走る。それを証明するように、ゴーレムは全身まで凍りつき、身動きが取れなくなっていた。
これには、パスカリスも笑顔が吹き飛んでしまう。
「な、なんですかなこれはっ!? こんな術、見たことも来たこともありませんぞ!」
「とどめ」
そう言ってロザリンが指を鳴らすと次の瞬間、氷漬けにされたゴーレムは、粉々に砕け散ってしまった。
構成する術式まで、粉々にされては、もう再生することも出来ない。
ロザリンは成功したことに安堵の息を吐き、パスカリスを睨み付けた。
「さぁ、勝負よ。私の、シャボン魔術。破れるモノなら、破って、みて!」




