第132話 皇帝に会いに行こう!
バスホーン刑務所。
ラス共和国内最大規模の刑務所で、各地の凶悪犯罪者が多数収容されている。
中でもDブロックと呼ばれる区画は、政治犯、テロリストなど、特一級に記される犯罪者が振り分けられる箇所でもある。
更にその最奥。
名だたる受刑者すら恐れをなす、最悪のテロリスト集団の幹部が、そこに囚われていた。
高い塀に囲まれた刑務所の、更に石壁で囲いを作られた区画にある建物を奥へと進むと、数ある鉄格子の牢屋が左右に並ぶ長い通路へと出る。そこを真っ直ぐ進んで突き当たるのが、分厚い鉄板で作られた扉だ。
表から中の様子は伺えず、朝昼晩の日に三回、何重もの錠前がかけられた小さな窓から、中へ食事が届けられる。
この中にいる受刑者は死刑囚だ。
外に出ること、日に当たることを許されず、刑の執行を迎えるその日まで、この中で隔離され続けている。
絶対脱出不可能な、まさに堅牢な檻だろう。
中に囚われるのは、咢愚連隊の幹部達。
ロックスター、ゲンゴロー、そしてファルシェラの三人だ。
「ふわぁ~……退屈だなぁ」
石造りの硬く冷たい床に寝そべり、ゲンゴローとカードゲームに興じていたロックスターは、大欠伸と共に、持っていたカードを投げ捨てる。
正面で胡坐をかいていたゲンゴローは、突然の態度に禿げ頭を掻き毟った。
「お前なぁ。ゲームの最中だぞ? 遊びだからと言って、途中で投げ出すのは許さんぞ」
「んなこと言ったよぉ~。もう、ここに放り込まれて一ヶ月近くは立つんだ? 流石に飽きてきたぜ」
「ん? そうかぁ。まぁ、そうかもしれんなぁ」
確かにと頷きながら、ゲンゴローは床に散らばるカードを拾い集める。
巨躯に対して小さなカードの束を、器用な手つきで切りながら、ならばと視線を床にごろ寝するロックスターに向けた。
「次は神経衰弱でもするか」
「――種類の問題じゃねーよ!」
思わず起き上がり、ロックスターは床を手でバンバンと叩いた。
カードを気にしながら、皮肉交じりにゲンゴローは視線を細める。
「ほっ。冗談だ。阿呆からかって、退屈を紛らわせただけだよ」
「て、テメェ、この禿げ茶瓶がッ!」
「お? やるかぁ、青二才?」
互いに拳を突き合わせ睨み合う。
が、すぐに大きなため息を同時に吐いて、視線を外し拳も下ろしてしまう。
「こりゃ、駄目だ。暇すぎて喧嘩する気力も沸いてこねぇや」
「悔しいが同感だの。こんなせまっ苦しいところに閉じ込められて、いい加減うんざりしてきた」
また同時に、ため息を吐いた。
三人は押し込められた独房は、壁から天井まで石造りで出来ている。
独房というより、ちょっと広めの部屋といった作りをしていて、食事を取る時に使用する木造のテーブルや、就寝用の小さなベッドが一つだけある。窓は無いが天井には魔力灯があり、室内を明るく照らしてくれているが、消灯時間になると、勝手に消えてしまうのが難点だが。
他にも本棚が備え付けてあり、食事を差し入れる刑務官にリクエストを出して、問題が無ければ本を差し入れて貰えるが、OKが出るのは小難しい哲学書や文学書など、娯楽とは縁遠い書物ばかりだ。
そして部屋には頑強な扉の他に、木製のドアが一ヵ所あり、中はトイレになっている。
綺麗付きのゲンゴローがいる為。ピカピカで嫌な臭いとは無縁の綺麗なトイレだ。
刑務所内の部屋にしては、少しばかりフランク過ぎるかもしれない。
が、ここに入れられる犯罪者は、死刑囚ばかり。
最後の一時くらい、人間らしい生活をさせてやろうという、配慮からこのような作りになっているらしい。
本来なら、座して死期を待つのが、この部屋に囚われた者の定め。
しかし、人は環境に慣れるモノ。
捕まった当初は不甲斐なさや申し訳なさで、胸が一杯だったのだが、一ヶ月もこの狭苦しい部屋の中に閉じ込められていると、過去の後悔や未来の恐怖より、現在の退屈極まりない毎日が、精神をゴリゴリと削り取っていた。
「まぁ、そりゃ、処刑が怖くないったら嘘だけどよ。俺らも何気に歴戦の戦士なわけだし。今更、死ぬの生きるので、ジタバタなんかしねぇってなモンよ」
「ほう。青二才にしては、潔いことだな。それでは、来るべき日は、ロックスターが真っ先に、あの世への先陣を切ってくれるんだろう」
「おいおい、馬鹿を言うなよ禿げ茶瓶」
寝ころびながら、手を左右に振る。
「俺ぁ、こう見えても年功序列は重んじる方だ。地獄への先陣は、アンタに任せるぜ」
「残念だったな。同じ地獄でも、貴様はもっと底の底だろうさ」
「言ってくれるじゃねぇか、この顔面凶器がッ」
寝ころびながら睨み付けても、いまいち迫力に欠ける。
カードをボロボロの箱の中にしまいながら、ゲンゴローはハッと肩を竦めた。
「大体、年功序列って言うのなら、儂が一番じゃなかろうが」
「……あっ」
二人の視線が、この部屋に唯一あるベッドの方へ向けられる。
ベッドの上には、足を組んで座している一人のエルフ女性の姿がある。
ファルシェラだ。
彼女が益体の無い会話を続ける二人など、まるで感心に無い様子で、ただ黙って看守が差し入れた古書を読みふけっていた。
「……ガン無視だの」
「お~い。ここは、誰がお婆ちゃんエルフよ! って、切れるところなんじゃないっすかねぇ~。そういう和を乱す自分主義って、どうなのかなぁ?」
「…………」
恐る恐る呼びかけてみるが、聞こえてくるのは、ページを捲る音だけ。
我関せず。
無言の意思を受けて、二人は顔を見合わせ、盛大にため息を吐いた。
やることが無さ過ぎて、ため息の回数だけが、無駄に増えていく。
原因の最たるものは、自分達の死にゆく定めでも、もてあまし過ぎる暇で怠惰な時間でも無い。
「……皇女様とボス、無事でやってっかなぁ」
「ふむ」
ポツリと零したロックスターの一言に、ゲンゴローも真剣な表情で、石造りの天井を仰ぎ見る。
「便りが無いのは元気な証拠と言うが、なぁんもできん状況下では、無事を確認する証拠も無い。心配だの」
同意するように、ただでさえ厳めしい顔つきに、皺を深めていた。
二人だけでは無く、ベッドの上で無関心を決め込んでいるファルシェラだって、内心では同じ気持ちなのだろう。
死刑囚に対する温情で、ある程度の書物やカードゲームで暇を潰す自由は与えられている。けれど、外の情勢に関わる一切の情報は、彼らの耳には届かない。この高い塀で何重も囲われた、刑務所の最奥で、彼らは粛々と終わりの時を待つしか方法はなかった。
唯一、希望があるとすれば、捕まったり死んだりという情報が無いこと。
悪い見方をすれば、それもただ、彼らの耳に届かないだけかもしれないが。
「心配する必要な無い」
重苦しい雰囲気を打ち払うよう、唐突にファルシェラが口を開いた。
女性のエルフにしてはハスキーすぎる、渋い口調が狭い独房に響く。
二人の視線が集まると、読んでいた本をパタと閉じ、鋭い視線を投げかけた。
「風は既に動き出している……オレらはただ、時を待てばいい。無駄に騒いで体力を消費させているな」
「風って、流石エルフ! こんな狭苦しい状況でも、精霊の声が聞こえんのか!」
だったら早く言えばいいのにと、ロックスターが勢いよく起き上がるが、ファルシェラは「いや」と首を左右に振って、閉じた書物をまた開いて視線を落とす。
「勘だ」
「勘かよ!?」
もうやだぁと、ロックスターは再び床へと寝そべる。
ファルシェラに唯一のベッドを占拠されてから、すっかりこの固くゴツゴツする寝心地に慣れてしまった。
いじけるように敷いてある毛布に絡まるロックスターに、苦笑を漏らしながら、ゲンゴローはポンポンとその塊を撫でる。
「まぁ。幸い時間はたっぷりあるんだ……最後の一時まで、儂らは儂らのボスを、信じ抜こうじゃないか。それが、忠義っちゅうモンだろ?」
「……んなの。俺様だって、わかってらい」
毛布の中からの不機嫌な声に、ゲンゴローはやれやれと肩を竦める。
絶望的な状況下にあっても、誰一人悲観的な感情を抱いていない。
彼らの性格に由来するモノも大きいだろうが、一番はやはり信頼だろう。
アカシャとハイネスなら、きっと何とかしてくれる。
一年間、行動を共にした末に得た根拠を胸に、三人は待ち続ける。
座して受け入れるは、死の運命では無、。反撃の狼煙を上げるまでの雌伏の時だ。
★☆★☆★☆
セント・ピーリス大聖堂。
水神リューリカを国家神として定め、崇め奉るエンフィール王国と違い、ラス共和国には国を守護する国家神が存在しない。
エンフィール王国では馴染みが薄いが、大陸全土に広がる宗教の一つに、聖人信仰というモノがあり、ラス共和国もエクシュリオール帝国時代から変わらず、この聖人信仰を昔から崇拝している。
聖人信仰の示す聖人とは、世界最古の竜の称号の持ち主である『聖竜騎』のことだ。
大陸に大国が出現するより遥か以前。神代を生きる古神よりその力を認められ、竜の称号を与えられた、歴史的人物の通称である。
聖竜騎の偉業を讃え、その後の功績に敬意を表したことから始まり、それは何時しか信仰へと移り変わる。更に長い年月を重ね、聖竜騎の存在は神格化され、大精霊の祝福の元死後、本物の上位存在へと生まれ変わった。
人の身で神となった聖人・聖竜騎。
まさに人の信仰を一身に受けるのに、これほど適した存在は無いだろう。
セント・ピーリス大聖堂は、そんな聖人信仰のラス共和国内における本拠地なのだ。
四方を岩山に囲まれた、高所に位置するその大聖堂は、武骨な岩肌に比例するような美しい建築美で、参拝に訪れるモノの目を釘付けにしていた。
山を少し下った眼下には、街並みが広がっている。
周囲は切り立った岩山で、街の周辺も不毛な荒野が広がるばかり。北にある凍土から一年中、冷たい寒気が吹き荒び、それが植物の成長を妨げている。とてもじゃないが、人が住むに適した環境とは言い難い。
けれど、セント・ピーリス大聖堂への参拝客が、途切れることが無いお蔭で、大聖堂眼下の町は観光収益を得て、思いの外潤っているのだ。
大聖堂の入り口に続く、長い長い石階段の前に、アルト達三人が立ち尽くしている。
天然の岩山を切り崩し、その中腹に作り上げられた大聖堂。目の前の石段も天然で、岩山を丁寧に削り作り出されたモノだ。
その段、実に五千段と言われている。
「……もうちょっと、低い位置に作ろうって発想は無かったのか?」
階段の遥か上にある大聖堂を見上げ、アルトは引き攣った表情をする。
横のロザリンも、うんざりといった顔だ。
ただ一人、スズカだけがドエムだからか、楽しげな笑みを唇に浮かべていた。
「人生は苦難の連続。聖竜騎様の波乱万丈な人生を象徴し、その一端でも信者に共感させようと、大聖堂の創始者が考え、作り上げたのが始まりよ」
「信者以外、には、迷惑、極まりないね」
「全くだ。聖人信仰の信者は、ドエムの集まりか?」
「かくいう私も、聖人信仰の信者よ」
「やっぱりドエムじゃねぇか」
ドヤ顔で胸を張るスズカに、流れるようなツッコみが入る。
本当にドエムだとは思ってないが、こんなのが信者にいたら、聖人信仰も体面が悪すぎるだろう。
「ま、とにかくこの長ったらしい階段を、一段一段昇るしか方法はねぇんだが……その後はどうするんだ?」
「はて。どうするとは?」
アルトの問いかけに、スズカは何故か、不思議そうに首を傾げた。
「とはって、どうやって中に忍び込むかだよ」
「忍び込む? 何故、そんなことをしなければならないのかしら?」
繰り返し疑問で返され、苛立つアルトが目を三角にし、額に青筋を浮かべる。
向けられる彼女の横目に笑顔は無く、涼しげで、からかって楽しんでいる様子は無い。
元より彼女の性質はドエムだ。相手を怒らせて愉悦に浸る性癖は、持ち合わせていないだろう。
あるとすれば、ワザと怒られたいと思っているかだ。
しかし、今回に限り、そのどっちでも無いらしい。
「忍び込むという行為は、権利者に無断で建物内、及び敷地内に入り込むことを指す。セント・ピーリス大聖堂の内部は、巡礼に訪れる信徒の為に、一般公開されているから、こそこそと忍び込む必要は無いのよ」
流暢な説明に、アルトはなるほどと頷いた。
「でもよ。幽閉されてるって噂の、元皇帝のところまでは、流石に公開されてねぇだろ?」
「それは当然ね。ここに皇帝陛下がいらっしゃること自体、公にはされていないのだから」
「……それは、どうやって対処するんですかねぇ?」
何だか異様に回りくどい会話になり、アルトは面倒臭げに問いかける。
スズカは軽く髪を掻き上げた。
「まぁ、とりあえず……」
髪を梳いた手を、そのまま石段の遥か上にそびえ立つ、大聖堂へと向けた。
「今はこの目の前に長く伸びる、辛く厳しい石階段を登り切りましょう」
「……うわぁ」
改めて見上げ、ロザリンはげんなりと肩を落とす。
「最初は軽快に上り進めていても、中腹に差し掛かれば太腿はパンパン。重くなる足に窒息するような息苦しさ。無理を重ねれば重ねるほど、筋肉は張り、痙攣を起こし始める。昇れど昇れど果ての無い階段地獄が、これから始まると思うと……んむはっ! 興奮がっ、興奮が治まらない!」
じゅるりと、盛大に涎を啜る音が、神聖な聖地に鳴り響く。
「さて、ちゃっちゃと昇るか」
「そだね。疲れたら、途中で休憩すればいいし」
最早、ロザリンの前でも、そのドエム性を隠さなくなったスズカを無視して、二人は階段を上り始めた。
律儀にドエムの相手をするより、階段を上る方がずっと、精神衛生的によろしいだろう。
★☆★☆★☆
果てしなく続く石段を、ようやく登り切り、三人は大聖堂の前へと到着した。
「はぁはぁ……や、やっと着いた」
最後の一段を踏み越えた直後、アルトは膝に両手を置いて、ぜぇぜぇと肩で息をする。
続くロザリンも疲れ切った様子で、顔に浮かんだ汗を、マントでゴシゴシと拭っていた。
ただ一人スズカだけが、二人とは違う意味で、息遣いが荒かった。
息が整うのを待ってから、顔を上げたロザリンは、改めて周囲を見回す。
「ここ、が、セント・ピーリス大聖堂?」
石段から真っ直ぐと続く参道の先に、清廉な外観をした大聖堂がそびえ立っている。
大聖堂へと延びる参道の左右には、小さな聖堂も並んでおり、法衣を来た見習いらしき若い僧侶が、箒を手に掃き掃除をしていた。他にも、巡礼に来たらしき老若男女様々な人間たちが、厳かな雰囲気で祈りを捧げている。
気候の所為で樹木などは無いが、ここは神聖な雰囲気と、清廉な空気に満ちていた。
「流石は大聖堂。ちょっとばかり、悪さがし難い雰囲気だな」
王都にも水神リューリカの為に作られた聖堂があって、アルトは足を運んだことこそ無いが、きっとここと似たような空気が満ちているのだろう。
「はぁはぁはぁ……んんっ、ごほん。さて。何時までもここに留まっていると、後続の邪魔になるから、さっさと大聖堂へ行くわよ」
十分苦しみから来る快感を満足したのか、スズカは表情をキリッと引き締めた。
締まらないなぁと思いつつも、アルトとロザリンは顔を見合わせ頷き合う。
三人は並んで、大聖堂へと続く参道を歩いていく。
大聖堂の前には鎧を着た、神官騎士が槍を片手に、不審者に対して目を光らせていた。
聖人信仰は、聖竜騎の成り立ちから、神官騎士と呼ばれ武芸を磨くことを推奨されていて、その実力は、並の騎士に負けず劣らないだろう。
門に近づくと、神官騎士達の鋭い視線が、ジロッと向けられた。
巡礼者と呼ぶには、三人の恰好は派手すぎるからだ。
「……怪しまれるか?」
鋭い視線を感じて、アルトは警戒心を強める。
一応は聖地なので、手荒な真似はしたくないのだが、いざとなれば強行突破も致し方が無い。
ゆっくりと三人が、大聖堂の門へと近づいていく。
厳しくなる視線。流石にヤバいかと思いかけたその時、神官騎士が息を飲む。
「――なッ!? あ、貴女様はッ!」
「……は?」
驚く神官騎士達の視線の先には、平然とした表情のスズカがいた。
顎をガクンと落とした後、慌てた様子で門を守る神官騎士の二人は、スズカに向けて敬礼をする。
「こっ、これはスズカノ……」
「お仕事ご苦労様。楽になさい」
何かを言いかける神官騎士の言葉を遮るよう、スズカは一段大きく声を張る。
労いの言葉を受けて、神官騎士達は恐縮するように、また敬礼をする。
「この度はどのようなご用件で? 生憎とパスカリス神官長は、所用にて大聖堂を空けているのですが」
「それは好都合……いえいえ。今回は、パスカリス老に用件があって訪れたわけでは無いの」
「はぁ……それでは、何用で?」
「天上のご機嫌をお伺いに……意味はわかるわよね?」
「――ッ!? そ、それは……」
意味深な言葉に、神官騎士は途端に表情を崩す。
戸惑うように顔を見合わせる神官騎士の二人は、真意を伺うような視線で、スズカに問いかける。
「いかに、貴女様のお言葉でも、パスカリス様の指示も無くお目通しさせるわけには……」
「ふぅん。よく言ったわ」
一段だけ低い声色で、スズカは顎を上向きにする。
ゾクリと寒気が走るような殺気に、神官騎士達は「ひっ」と怯えたような声を漏らす。
今まで見たことも無い、迫力のある凄みを見せるスズカに、思わず横にいるアルト達も身を震わせた。
キッと視線を厳しくして、佇まいを直し叫ぶ。
「――気を付けッ!」
「「――ハッ!」」
声に反応して、神官騎士二人は直立不動で敬礼をする。
背筋をピンと伸ばし、ぷるぷると身を固くする二人の神官騎士に、巡礼に来ていた一般信者達は、何事かと驚きの視線を向けていた。
それぞれ一睨みしてから、スズカは両手を後ろに回す。
「諸君らは、この私が信用に置けないと、暗にそう申しているのね?」
「い、いえ」
「け、決してそのようなことは!」
冷や汗ダラダラで、神官騎士達は弁明する。
けれど、スズカは視線を緩めず、突き刺すような気配を向けて、神官騎士達の精神をゴリゴリと削り取る。
嫌な光景だと、アルトは傍から気の毒そうに神官騎士達を見た。
同時に、またスズカに対する疑問が増える。
ラス共和国の内部に関係のある人物というのは、確定的だとは思うのだが、神官騎士達の恐れるような姿から見て、かなり上位に位置する人間らしい。それも、貴族のような名ばかりの権力者などでは無い、本物の実力者なのだろう。
「それで? 私は天上を仰ぎ見ても、構わないのかしら?」
「……ううっ」
困り果てた神官騎士二人は、視線で互いの意思を確認し合う。
しかし、やはり責任問題に発展した場合、責任を取り切れないと思っているのか、何時まで待っても返答をしようとしない。
ならばと、スズカは向ける殺気を僅かに緩めた。
「二人には迷惑をかけないわ。私は、勝手に迷い込んだ……よろしいかしら?」
譲歩する言葉に、二人は再び顔を見合わせる。
短い沈黙の末、神官騎士達はスズカから視線を外した。
「……我らは、何も見てませんゆえ」
「ありがとう」
黙認してくれる二人に礼を言い、スズカはアルト達をそれぞれ見る。
「では、行きましょう」
「お、おう」
押しの強さに驚きつつ、アルトは頷き、さっさと大聖堂へと進むスズカに続いた。
スタスタと、足早に大聖堂の中を突き進む為、スズカに一連の状況について問いかける間も無い。
恐らくは強引に押し入ってしまったので、面倒な連中と顔を合わせたく無い故の行動なのだろう。アルト達にしても、疑念は募るばかりだが、今は皇帝と会うことを最優先として、余計な問いかけをするのは自重することにした。
ステンドグラスから差し込む光が、神秘的な情景を作り出す大聖堂の礼拝堂。
偉大なる聖竜騎を象った彫刻に、祈りを捧げながら、信者達は司祭の説教に耳を傾ける。
大聖堂の名に恥じない、清貧で厳かな雰囲気に、アルト達も思わず飲み込まれかけ、キョロキョロと周囲を見回してしまう。
挙動不審なアルトとロザリンの様子に、司祭や警備の神官騎士達は眉を顰めるが、先頭を歩くのがスズカだと気付くと、慌てて一礼し見送る。
「本当に、何者、なの?」
「さぁな。一般ピープルでないのは、確かだけど」
「無責任。拾ってきた、癖に」
「好き好んで拾ってきたわけじゃねぇよ」
後ろを歩きながら、二人はコソコソと会話を交わす。
礼拝堂の他にも、歴史的な遺物を展示してあるスペースや、希少本などが閲覧できる図書館まで備えてある。特に図書館には惹かれるモノがあるらしく、ロザリンがうずうずと身体を揺らし、名残惜しそうな視線を向けているが、当然そんなところに寄っている暇は無い。
「諦めろ。面倒事が全部片付くまで、お預けだ」
「しょぼん」
口で心情を表して、ロザリンは残念そうな顔をする。
こんなやり取りをしていても、歩くスピードは緩まず、三人はドンドン大聖堂の奥へと進んで行く。
一般人の立ち入りを禁止している区域には、当然のように見張りの神官騎士が目を光らせている。しかし、ここも入り口と同じよう、スズカの強引な口八丁で押し入ってしまう。すれ違いざま、アルトとロザリンに訝しげな視線を向けていたが、何事も無く立ち入り禁止区画へと踏み入ることに成功した。
一際大きな扉を開くと、そこは屋外だった。
「ここは、庭園か?」
軽く見回し、アルトが呟く。
大聖堂の真裏に位置するだろうこの庭園は、表の参道とは違い、樹木や小さな薔薇園などがある。気候も温暖で、まるでここだけ大聖堂周辺とは、別世界のような穏やかな風景が広がっていた。
ただ、周囲を高い岩山が取り囲んでいる為か、酷く息苦しい閉塞感がある。
箱庭の庭園。その言葉が、この場には何よりも似合っているだろう。
ふと肌に感じた反応に、ロザリンは閉塞感の正体に気が付く。
「ここ、結界が張られている」
「結界?」
アルトが首を傾げると、前にいたスズカが振り返り「そうよ」と肯定した。
「ここには特定の者を外へと出さないようにする、特別な結界が張られているわ……そしてその対象は、あそこに住んでいる」
そう言ってスズカは、真っ直ぐ正面の一点を指さす。
扉からは吹き抜けの渡り廊下が続き、その奥には小さな屋敷が建てられていた。
大聖堂関係の建物にしては、少しばかり豪勢で生活感のある屋敷。
そこに誰が住んでいるのか、スズカに問うまでも無いだろう。
「あそこに、エクシュリオール帝国皇帝閣下が、住んでやがるのか」
「そうよ」
幾分、硬い口調の言葉に、スズカは頷いた。
いよいよ、仇敵ともいえる人物との初対面。
今更、皇帝という肩書に何の意味を持たないと理解していても、嫌な緊張感が沸いてくる。
軽く目を瞑り、深呼吸を数回繰り返す。
心臓の鼓動が落ち着いたのを確認してから、ゆっくりと目を開いた。
確認するように、スズカが顔を覗き込む。
「落ち着いたかしら?」
「ああ。問題ない……これで、会った瞬間、頭に血が上って斬りかかる。なんてマネはしなくて済みそうだ」
冗談めいたことを口にして、覗き込むスズカを押しのける。
「……冗談に聞こえない辺りが、私のドエム心をゾクゾクさせるわね」
困り顔で、スズカは肩を竦めた。
心配そうな顔をするロザリンの頭を撫でて、視線を渡り廊下の先にある屋敷に向ける。
問題は無い。
そう心に言い聞かせ、スズカに視線を送り、三人は渡り廊下を歩き始めた。




