第13話 舞い散る薔薇は危険な香り
小さなテーブルの上に、所狭しと料理が並べられる。
シチュー、串焼き、鳥の丸焼き、卵のサラダにフルーツの盛り合わせ、更には上等そうなワインが三本と、ちょっとした宴会料理だ。
ロザリンがじゅるりと涎を啜る。
注文した料理が並びきると、サングラスの男ハイドは、大きく腕を広げた。
「さぁ、俺の奢りだ。遠慮なく食ってくれ」
「いただきます」
ハイドの言葉を待っていたロザリンは、弾かれたように食事へと手を付ける。
美味い。
スプーンでシチューを一口食べたロザリンは、大きく瞳を見開くと、倍の速度で手を動かし、次々と口の中に料理を運んでいく。
先に食べていた萎れた野菜が、何だったのかと思うほど、今並べられている料理は新鮮で味も確りしていた。
かざはな亭の料理を食べ慣れているロザリンも、満足そうに顔を綻ばせている。
それもそのはず。
この食材は全てハイドが用意した物で、調理したのも彼が後から呼び寄せた料理人。
ここの親父は自分の店で、居場所が無さそうな顔をしているが、相手が相手なので文句も言えず黙って項垂れていた。
「この街の料理は安いだけで、それ以外は最悪だからな。親愛なる兄弟に、そんなモンを食わせるわけにはいかないだろ?」
「そりゃ、殊勝な心がけだな」
そう言って、アルトも串焼きに齧り付く。
芳醇な牛の肉汁と甘い油が、口の中にジワッと広がる。
うん。美味い。
狭い店内には店の親父を覗けば、テーブルを囲む四人だけ。
絡んできた大男達は、気絶したモヒカンを担いで、早々に出て行ってしまったし、ハイドの護衛は外の入り口で待機している。
警戒はしていたが、やはり空腹が勝っていたロザリンは、落ち着いた動作で一心不乱に、食事を口に運んでいる。一方のウェインは、相変わらず顔面蒼白で震えていて、食事に手を付けるどころか、動くことすらままならない状態だ。
男の癖に肝の小さい奴だと、アルトは咀嚼した牛肉を飲み込んだ。
「それで兄弟。今日は北街に何か用かい? 少なくとも今まで、俺らの縄張りに近づいたことは無かっただろ?」
「ああ、ちょっくら、天楼ってところに用があってな」
「――ああああ、兄貴ッ!?」
軽い口調で目的をばらされ、動けなかったウェインも、流石に驚いて立ち上がる。
「ちょ、ちょっといきなり何で喋っちゃんすかっ! オイラのこと、見捨てる気なんっかぁ!」
「んなことねぇよ。はい、ロザリン。解説」
涙目で迫ってくるウェインの頭を押さえ、無理やり座らせると、モリモリと食事に手を伸ばすロザリンに解説を頼む。
食事の手を止めると、油でテカる口元をハンカチで拭った。
「多分、この人、大体のことは、わかってるっぽい」
「……へぁ?」
ウェインは目を丸くする。
「ウェインが、自分で言ってた。なんで、あの人がって。他の人の反応を見ても、あの人が、こんな場所に来ること自体、驚いてる様子だった」
言葉を切って、ロザリンは水を一口飲む。
「普段、訪れない場所に、来るってことは、それなりの理由がある。その理由は、アルに会うこと」
「でなけりゃ、こんな場所でばったり顔なんか合わせるかよ。最初から網を張ってやがったんだ。船着き場に監視までつけやがって」
そう補足して、アルトは楽しげな表情のハイドを睨み付けた。
監視には船を下りた時点で気づいた。と、言うか、あからさまに気づかれる配置にいた。
あの界隈は奈落の杜の縄張りだから、監視相手の予想は簡単につく。あくまで目的は天楼なので、あえて素知らぬ顔をして、相手の出方を伺っていたのだが、まさかボス本人が出てくるとは予想外だった。
ちなみにモヒカン達が絡んできたのは、全くの偶然だろう。
説明を終えて再びロザリンが食事に戻ると、ハイドは手を叩いて喜んだ。
「ご名答。中々、頭が切れるじゃないか」
そう賛辞を贈ると、ハイドはワインボトルを持って、アルトのグラスに赤い液体を注ぐ。
「兄弟は知らないだろうが、俺はアンタに感謝してるんだぜ? 例の通り魔には、俺達も煮え湯を飲まされたからな。いやいや、話を聞いた時は痛快だったぜ」
「そりゃ、どーも」
「そして聞けば今日、わざわざ北街に仕事で訪れるって言うじゃないか。これは俺自らが出迎えて、感謝の言葉を述べねばと、こうしてはせ参じたわけだよ」
ハイドは軽快に語る。
が、アルトは胡散臭げに目を細め、注がれたワインを口に運んだ。
「今日の今日で、随分と耳が早いんだな」
嫌味混じりの言葉に、ハイドはへへっと笑う。
「蛇の道は蛇ってね。兄弟がルン=シュオンとつるんでるように、俺らにもそれなりの情報網があるのさ」
「その口ぶりからすると、あの眼帯女の差し金ってわけでもなさそうだな」
「ああ。残念ながら、俺達は彼女に嫌われていてね。あの手腕は買ってるんだが、どんなに良い条件を出しても、首を縦には振ってくれないんだよ」
残念そうに、ハイドは嘆息する。
確かに気難しそうなルン=シュオンらしい、かもしれない。
しかし、気が気でないのはウェインだ。
「じゃ、じゃあボスは、オイラのこともお見通し……」
「ん? あぁ、天楼に行った花売りの娘のことだろ? そんなにビビらなくても、俺は悪くないと思うぜ」
「……へっ?」
意外な言葉に、ウェインが呆気に取られる。
ワインを一口含み、
「別に元から敵対組織にいたわけじゃないし、天楼に行ったのも本人の意思じゃない。それぐらいでとやかく言うほど、俺は野暮な男のつもりはないんだが?」
物分りの良い言葉に、パッとウェインの顔が明るくなる。
立ち上がって礼を言おうとするが、それを制するように右手を突出し、「しかし!」と声を張る。
「これからのこととなれば、話は別だ。悪いが組織の掟として、天楼の娘と関わるのは許可できない」
「天楼に行くのは、俺個人の仕事だ。こいつも、アンタらも関係ねぇだろ」
「そんな建前が通用するほど、北街は甘くないぜ兄弟」
テーブルに肩肘を付き、ハイドはそう軽く凄む。
流石は奈落の社のボス。睨んだだけで、空気が鉛のように重くなる。
横でウェインが迫力に負けて、ヒッと息を飲むが、正面のアルトはそれを真正面から受け、更には睨み返す。
息が苦しくなるほどの睨み合い。
迫力に押されて、ウェインは呼吸すらままならない。
重い静寂の中、ロザリンの食事する音だけが響く。
そして先に沈黙を破ったのは、
「……と、言いたいところだが」
スッと、空気が軽くなる。
「今回は兄弟の顔を立てようじゃないか。本日限り、明日の今と同じ時間まで、俺達は兄弟の行動に一切の関与をしないと誓おう。その間に取り交わされた結果にも、一切の口出しをしない」
急な手の平返しに、逆にアルトは訝しむ。
その顔を見て、ハイドは苦笑を漏らす。
「そんな怪しむなよ兄弟。言ってるだろ? 俺達は兄弟に感謝してるって」
「通り魔野郎の件か? だが、逆に考えれば、アンタらの面子を潰したとも言えるぜ?」
自分達も探していた通り魔を、騎士や警備隊では無く、ただの一般人が捕まえたとなれば、被害を受けた上に何もできなかった奈落の社は面子が立たない。
が、ハイドはそれを笑い飛ばす。
「確かに違いないが、それは犯人を捕まえられなかった俺達の責任だ」
潔い言葉に、ロザリンが「おおぅ」と感嘆の声を上げる。
「感謝しているのは、捕まえてくれたことだけじゃない。騎士団や警備隊の連中は、散々北街を、特に俺らを犯人呼ばわりしてくれたからな。腸が煮えくり返っていたところで、犯人逮捕だろ?」
楽しげに口元を吊り上げる。
「蓋を開けて見れば、犯人は貴族、それも騎士団長だって言うじゃないか。いやはや、聞いた時は丸一日、腹をかかえて笑っちまったぜ」
そう言って一頻り笑うと、喉を潤すためにワインをがぶ飲みした。
「そんなわけで結果として、兄弟は俺らの汚名を雪いでくれたんだ。今回の件は、その礼だと思ってくれ」
「なるほど、な」
口ぶりからして、嘘やペテンにかけている素振りはなさそうだ。
第一、こんなことでアルトを騙すメリットが、彼には無いだろう。
多少、怪しさは残る。だが、藪を突いて蛇を出すのも、得策とは言えない。
ロザリンも同意見のようで、横目で送った視線に頷いた。
「んじゃ、ありがたく好意を頂くことにするよ」
「ああ、遠慮すんな兄弟。他に俺にできることはあるかい?」
「なら後一つだけ」
そう言って、立ち上がり、コルクを抜いていないボトルを指差した。
「それ、貰ってっていい?」
「ああ、どうぞ。そんなんでいいのかい?」
ワインを掴みあげると、それを肩に担いだ。
「なるべく、アンタに借りを作りたくない。おっかねぇからな」
「おいおい、好意だって言ってるだろ? ……それに」
ハイドはサングラスを掴みずらすと、裸眼でこちらを見上げた。
「天楼の本拠地には大きな囲いがある。何の約束も無く訪ねてっても、門前払いを喰らうだけだぜ?」
「なんだと?」
ギロッと視線をウェインに向けるが、彼も知らなかったようで、大慌てで首を左右に振っていた。
「その囲いってのは?」
「行ってみりゃわかるさ。ちなみに、忍び込むのは不可能だぜ。この俺が保証する」
嫌な保証をされてしまった。
その関所が実際、どんな物かはわからないが、ハイドが言うのだから、力技でどうにかなる代物では無いのだろう。
面倒は話だと、アルトは後頭部を掻いた。
困り顔が表情に出ていたのだろう。ハイドはニヤッと笑い、懐から一枚の封筒を取り出すと、アルトの前に差し出す。
「……そりゃ、何だ?」
「アポ無し訪問の必需品。俺の直筆サイン入りの紹介状だ。そいつを門番に渡せば、まぁ、話くらいは聞いて貰えるんじゃないか」
「敵対組織のお前の紹介でか?」
用意の良さに胡散臭げな視線を送ると、ハイドは心外だとばかりに肩を竦める。
「おいおい、兄弟。俺も向こうさんも、朝から晩まで喧嘩してるわけじゃないさ。狭い街の中、必要があれば会いに行くし話もする。そりゃ、多少は警戒されるだろうが、俺直々の紹介状を無視するほど、あちらさんは礼儀知らずじゃないはずさ……多分な」
いまいち安心できないと、三人は同時に顔を顰めた。
アルトは差し出された紹介状と、ハイドの顔を交互に見る。
確かに話の筋は通っている。出会ったばかりの人間を信じるには、リスクが大きすぎる気がするが、話を聞く限りこのまま行っても、交渉の席にさえつけないかもしれない。
どうしたモノかと考え込んでいると、不意に横から視線を感じる。
顔を向けると、ウェインがうるうると両目を潤ませて、拝み込むようにアルトを見上げていた。
大きくため息を吐いて、アルトは差し出された紹介状を手から抜き取る。
ウェインの表情がパッと明るくなり、ハイドが唇を綻ばせた。
「ちなみに、中身は天楼のボスとの対面願いだ。死にたくなければ、妙な行動はしないほうがいいぜ」
「……俺ら、別に天楼のボスにゃ、用事はねぇんだけど?」
ハイドはチッチッチと指を振る。
「俺様直々の紹介状だぜ? それくらいの相手じゃないと釣り合わない。それに、天楼ってのはボスのワンマンで成り立っている。そいつが頷けば、女子供の身柄くらい簡単に引き取れるさ。そっちの方が楽だろ?」
「言うだけならな。まぁ、いい」
指先に挟んだ厚めの上質な封筒を見て、アルトは苦虫を噛み潰したような表情をする。
もしかしたら、とんでもないババを引いたのかもしれない。
「んじゃ、用も済んだことだし。俺ぁもう行くぜ」
紹介状を内ポケットに仕舞い、アルトは店の出口へと歩いて行く。
慌ててその後ろをウェインが、立ち上がってハイドに一礼した後「兄貴、待って下さいよぉ」と追い駆けて行った。
一人、ロザリンだけが残り、ジッとハイドを見上げる。
「……どうしたい、お嬢ちゃん。俺の格好よさに惚れたか?」
「ん。アルの方が格好いい」
「ありゃ。振られちまったぜ」
帽子を押さえ、残念そうに首を左右に振った。
ふざけるハイドの態度には付き合わず、ロザリンは気になっていたことを率直に問う。
「今日はって、ことは、明日は?」
「…………」
ハイドの口元から、笑みが消える。
短い沈黙の後、
「お嬢ちゃん。俺は平和主義なんだ。自分が、何処の、何者で、誰に飼われているのか。それがわかっていれば、今日も明日も明後日も、問題なく人並の食事にありつける。そういうことだ。わかるか、お嬢ちゃん?」
剥いていないリンゴを一つ手に取ると、そのまま齧りつく。
ロザリンは視線を険しくする。自分をお嬢ちゃん呼ばわりする彼が、どうにも好きになれなかった。
すっかり嫌われてしまったことに、鼻から息を抜くと、入口の方を指差す。
「もう行きな、お嬢ちゃん。こんなところで迷子になると、どんな目に遭うかわかったモンじゃないぜ」
促されて、ロザリンは律義に頭を下げ一礼すると、小走りにアルトを追って店を出て行った。
手を振りそれを見送ったハイドが、店の中に一人きりになると、大きく息を吐いて背もたれに体重を預けると、椅子を大きく軋ませた。
ほとんど空になったテーブルの上の皿を見て、一言ポツリと呟く。
「……一人で食い尽くしてったな。あのお嬢ちゃん」
★☆★☆★☆
メインストリートを外側へ真っ直ぐと歩いて行き、街を大きく横断する通りに出る。
そこを西街の方面へ左折して、更に直進していくと、奈落の社の影響力が弱まってきた地区に入ったのか、周囲の空気がガラリと変わる。
人の気配が極端に減った。
隠れて様子を伺っているのでは無く、住んでいる人数が極端に少ないのだろう。
荒れ果てた街の閑散とした雰囲気が、妙に落ち着かなく、不気味だった。
ハイドと別れてから、小一時間ほど歩いたところで、ようやく辿り着いた目的地。
それは、忽然とアルト達の前に現れた。
天楼の本拠地前は、予想以上の光景に塞がれていた。
「ほ~う。こいつぁ、すげぇな」
見上げたアルトが、感嘆の声を漏らす。
ここは何の変哲もない、普通の通り。
しかし、道の途中に行く手を阻むよう、木製の巨大な門が道を封鎖していた。
そこから左右に高い壁が、緩い曲線を描いて伸びている。
材質はバラバラで継ぎ接ぎになっている壁は、木材や石材のみならず、何処かの店の立て看板や、解体された馬車。果ては使い物にならなくなった甲冑が、まるでオブジェのように連なり、一つの大きな囲いを形作っていた。
見た目こそアレだがうず高く作られたソレは、要塞の城門のように堅固。
ちょっと叩いた程度では、どうにもならないだろう。
これが辺りの一帯を、グルリと囲っているのだと思うと、正直信じられない。
ガラクタの山だけで、これほどのドデカい城壁もどきを作り上げるなんて、その根気と発想力、なによりも独創性に、とてもじゃないがマネ出来ないと、驚きと共に感動すら覚える。
手前まで近づいたロザリンが、コンコンと門を叩き、小首を傾げた。
「この門、魔術の術式に、なってる」
「あん? そりゃ、豪勢だな。どんな術式か、わかるか?」
振り向いたロザリンは、首を左右に振る。
「わからない。でも、門を強化したり、罠関係の術式じゃないのは、たしか」
ふぅんと頷いて、ウェインに視線を向ける。
彼も詳しくは知らないようで、愛想笑を浮かべ後頭部を掻いていた。
ウェイン的にはここは敵地なので、詳細を知らないのは当然だろう。囲いがあることすら、知らなかったのだから。
「ま、そんなことはどうでもいいさ。んなことより、どうやって中に入るんだ? 門番とか、何処にいんだよ」
「さ、さぁ?」
「さぁ、って、お前が知らなきゃどうしようもねぇだろう」
腰に手を当てて呆れると、慌てた様子でウェインは反論する。
「し、仕方がないじゃないっすかぁ。オイラだって、門番くらいいると思ってたんすから!」
周りを見渡しても、門番どころかそれらしい人影すらない。
折角の紹介状も、渡す対象がいないのでは、全くの無意味。
どうしたモノかとアルトが、困り顔で大きな門を見上げると、ちょうど門の天辺に人影のようなモノが見えた。
「……ん?」
逆光に照らされるソレに目を細めると、人影はユラリと前へ踏み出し、身体を宙に晒した。
「――あ、危ないッ!?」
ウェインが叫ぶ。
空中に躍り出た人影は、そのまま鳥のように羽ばたけるはずもなく、瞬く間に地面へと落下する。
しかし、アルトは全く別の物に視線を奪われていた。
チラリと風に浮き上がり除く、魅惑的な漆黒の誘惑。
「あ、黒のガーター」
人影が地面と接触する。
起こるだろう惨事を想像して、反射的にウェインは目を覆った。
ストン。
思いのほか、軽い物音が鳴り、一瞬の静寂が訪れる。
目の前には二十歳ほどの女性が、三階建てに相当する高さから飛び降りたのに、何事もなかったかのよう、平然とアルト達に向かって微笑を浮かべていた。
女性は優雅に一礼。
「ごきげんよう、皆様方」
「あ、ども」
「ども」
アルトとロザリンは、普通に挨拶を返す。ウェインだけが状況を飲み込めず、固まったまま「え? え?」と両目をパチクリさせていた。
女性の姿は、一言で表すと絢爛豪華。
淡い茶色で癖のある髪の毛を後ろで纏め、赤と金を基調としたド派手なドレスは袖口が広く、更に絹のフリルをあしらっている。煌びやかな服装なのに、動き易さを重視したためかスカートが短く、スラリと伸びたおみ足からは、飛び降りた際にチラッと見えた黒いガーターベルトが顔を覗かせていた。
顔は紛れも無い美少女。
長い睫、大きい瞳、艶やかな唇。
元貴族のカトレアより、貴族らしい外見だが、左目の下には星の、右目の下には涙を表すメイクを施しているためか、彼女の奇妙な雰囲気を際立たせていた。
そして可憐で奇妙な姿には似合わない、自分の身の丈ほどはある大太刀を背中に背負っている。
何よりも主張豊かに揺れる、胸がいい。実にいい。
女性はアルトをジッと見つめると、唇にニタァと怪しい笑みを浮かべた。
「あら、あらあら、あらあらあら」
「な、なんだよ?」
歩み寄り、興味深げに顔を近づける女性に、戸惑ったアルトは数歩後ろに下がる。
その様子に何かを感じ取ったのか、ロザリンは不機嫌そうに頬を膨らませた。
「貴方、中々のイケメンじゃな~い。わたくしの好みだわぁ」
「おいこら、引っ付いてくんな」
口では拒んでいるが、大き目の膨らみが押し付けられ、アルトの顔は満更でもない。
ロザリンの頬が、更に大きく膨らむ。
冷たい視線を感じてか、緩みそうな頬を引き締めて、もたれ掛ってくる女性の肩を押して引き離す。
「あん、いけず」
「悪いが、俺ぁ女遊びをしに来たんじゃねぇんだ。客引きなら他を当たりな」
「あらぁ、失礼ね。わたくしをそこいらの娼婦と、一緒にしないで下さる?」
不機嫌そうな顔をして言うと、女性はその場でクルリと一回転して、自己を激しく主張するよう両腕を広げた。
まるで背中に薔薇でも咲き誇るかのよう、優雅かつ雅なポーズを決めた。
「わたくしの名前はラヴィアンローズ! 純情可憐、清廉潔白、天下無敵の美少女剣士! 咲き誇る薔薇のように、美しさと強さを兼ね揃えた絶対的な完璧淑女、それが、わたくしですの!」
張り上げる声が木霊し、青空に吸い込まれていく。
沈黙が訪れた後、三人はヒソヒソと顔を近づける。
「おい、どうすんだよ。すげぇ面倒臭そうな奴が現れたぞ」
「無視する?」
「いやぁ、でも、思い切り門の前に仁王立ちしてるっすよ」
三人が視線を向けると、注目を浴びて嬉しいのか、ラヴィアンローズは大きな膨らみを揺らして胸を張る。
仕方が無い。ため息を吐いて、アルトはラヴィアンローズに話かけた。
「あーっと。俺達、この先に用があるんだが……」
「あら、そう。貴方、お名前は?」
「アルトだ。後ろのチビ達は、ロザリンとウェイン」
ペコリと、二人は戸惑いながらもラヴィアンローズにお辞儀をする。
「あら、ご丁寧に」
「んで、この先に……」
「駄目ですわ」
言い終わる前に、キッパリと断られた。
言葉が直ぐに続かず、アルトは目頭を押さえた。
「……アンタ、天楼の人間なのか?」
「いいえ。ただの雇われ用心棒ですわ」
「その雇われ用心棒が、何だってこんなとこにいんだ」
疲れた口調で聞くと、ラヴィアンローズはニンマリと笑った。
「だって、退屈だったんですもの」
全く意味のわからない言葉に眉間の皺が深くなる。
ラヴィアンローズは前髪を指で弄りながら、
「報酬に誘われて天楼の用心棒になったのだけれど、ここって頑丈な囲いに覆われているでしょう? 誰も襲ってこなくって、退屈していたんですわ。その点、ここならたまぁ~に人も通りますし、少しは面白そうでしょう? だから、代わって頂きましたの」
「代わってって、誰と?」
「察しの悪いイケメンねぇ。ここの門番に決まってるじゃない」
「……その門番は、どこ行ったんだ?」
顎に指を添えて、
「さぁ? 殺してはいないのだから、何処かで気絶してるんじゃありません」
この素っ気なさは逆に、恐ろしく思える。
常識を逸脱しているのは、どうやら恰好だけではなさそうだ。
「この人、危険。私の魔女としての本能が、うぃんうぃんと、警笛を鳴らしている」
「お前の警笛は妙な音を鳴らすんだな……ま、俺も同意だけど。しかし、心配すんな。俺達には切り札があるんだ」
そう言ってアルトは、不安げな二人に不敵な笑みを見せると、懐から紹介状を取り出してそれをラヴィアンローズに差し出した。
ラヴィアンローズの瞳が、興味津々に輝く。
「あらぁ、知り合ったばかりなのに、もうラブレター? 美しすぎるわたくしの存在ったら、何て罪なのかしらぁ!」
「ちげーよ! 紹介状だ紹介状。こいつがありゃ、ここを通して貰えるんだろ?」
否定されてつまらなそうな顔をするも、紹介状を受け取ったラヴィアンローズは、丁寧な手つきで封を開くと、中の文に目を通した。
「ふぅ~ん……なるほど。貴方達、奈落の杜の関係者だったの」
「まぁ、そうだな」
正確には関係あるのはウェインだけなのだが、面倒臭くなったので特に否定はしなかった。
すると、ラヴィアンローズは何度も頷く。
また文を元通り封筒に戻してアルトに返すと、ラヴィアンローズは怪しく笑う。
「だったら……敵じゃなぁい!」
そう歓喜の声を上げると、後ろに跳躍して背中の大太刀に手をかける。
前触れもなく唐突に向けられた殺気に、アルトは慌てて叫ぶ。
「ちょっと待て! 俺達ぁ別に喧嘩を売りに来たわけじゃねぇ、天楼の連中にちょっと話があるだけだ!」
「わたくしにはこれっぽっちも、興味の無いことですわ。それに、わたくしは受付嬢では無く、用心棒ですの。だから……」
右手に握った大太刀を、スラッと抜き放ち切っ先をアルトに向ける。
「敵は、全員ぶち殺しますわ!」
「ああ、くそッ! 話が通じないにもほどがあるだろうがッ!」
やけっぱちに怒鳴るとアルトも剣を抜き、持っていたワインをロザリンに渡すと、後ろに手を振って二人を下がらせる。
ハイドの紹介状が悪かったのか、ラヴィアンローズと名乗る女の頭が悪いのか、それともアルトの日頃の行いと女運が悪いのか。
どれにしても笑えないと、アルトは内心で毒づきながら、剣を構える。
見た目と言動は愉快だが、身の丈を超える大太刀を軽々と片手に持つ姿は、ちょっと腕が立つ、程度の技量では無いと物語っていた。




