第128話 天使に送るレクイエム
デニスがミシェル・アルフマンと初めて出会ったのは、兄が死んで直ぐ。夫を亡くしたショックからすっかり塞ぎ込み、病床に伏せることが多くなったマルティナに代わり、軍部へと整理した遺品を引き取りに行った時だ。
てっきり事務的な手続きだけで終わると思っていたのだが、出迎えたのは当時、将校として任命されたばかりの、アルフマンだった。
『君が、グロスハイム大尉の弟か』
そう声を掛けたアルフマンとの出会いを、デニスは生涯忘れないだろう。
当時は兄の死、義姉の病気、そして家族や親類との確執に、心身共に疲れ果てていた。
簡単な受け答えも、不貞腐れ気味に答えていたデニスを気にしてか、アルフマンは遺品の受け渡しを終えた後、食事へと誘ってくれた。
今思えば、それは驚くべきことだ。
後にも先にも、アルフマンが食事している姿を見るのは、これっきり、
食事の席で、アルフマンは饒舌に様々なことをデニスに話してくれた。
政治、経済、軍事評論。個人の考察や歴史観を交え、わかり易く丁寧に、アルフマンは様々な話をしてくれた。
最初は聞き流していたデニスだが、淡々としながらも人に聞かせるツボを心得ているアルフマンの語りに、徐々に興味を惹かれていき、最後は自らが挙手をして質問攻めにするまで発展していった。
中でも印象的なのは、この言葉だ。
『デニス君。世界に恒久的な平和をもたらすことは、可能だと思うかね?』
不可能だと、その時のデニスは迷わずに答えた。
しかし、アルフマンはその答えにゆっくりと首を左右に振り、世界に恒久的な平和をもたらすことは可能だと、自信を持って言い切った。
それまでの印象は、理性的で理論的、夢見物語を語るタイプには見えなかった。
所詮は口先だけの大人かと、落胆しかけるデニスに対して、アルフマンはまた淡々と語り聞かせた。
『この世界が完全なる平和に至れないのは、人が欲を捨てきれないからだ。では、何故人は欲を捨てきれないのか……それは、人が平等で無いからと言える。だが、勘違いしてはいけない。平等と言う言葉は悪徳だけでは無く、善徳にも適応される。それを忘れただ、善性の理論だけで平和を推し進めようとするから、人の世は歪な形となり、平和を維持できずにいる。悪徳だけの世など、語るまでも無いだろう』
善でも悪でも、人の世は乱れる。アルフマンはそう言い切った。
『大勢の国民にそのようなことを強要しても無駄だ。ならば、上に立つ者が、絶対的な権力を持って、国を統治すればいい。そして上に立つ者は、一切の欲目を捨てなければならない。善も、悪も、幸せも、不幸せも、全てを飲み込む懐を持ってこそ、初めてこの世界を恒久の平和へと導ける……そして、私はその全てを兼ね備えていると、自負している』
至って真面目な顔で、誇大妄想とも言える言葉を、アルフマンは吐き出した。
他人が言えば笑ってしまうか、眉を顰める内容だろう。
けれど、既にこの時、アルフマンの持つ怪物的なカリスマに魅せられたデニスは、その言葉に真実と希望を見出していた。
デニスは自らの血、グロスハイム家に絶望していた。
財産は親戚縁者に喰い物にされ、家族は家名と家格を守ることに固執し、兄の反発を招き死へと至らしめた。挙句の果てに、全ての責任をマルティナに押し付け、生きる術すらも奪った実の家族達。
虚無感に似た絶望の中、デニスはアルフマンの言葉に希望を見出した。
彼の語る恒久的平和なら、自分は兄の理想と敬愛するマルティナを守ることが出来る。
そう考えて疑わなかった。
昨日の夜、アルトとスズカの密談を聞くまでは。
★☆★☆★☆
早朝から家を出て、マルクスの町を西へと進むと、何も無い荒地の真ん中にポツンと、高い塀に囲まれた魔術研究所が現れる。
受付で身分証を見せ、アルフマンへのアポイントを取りつけると、意外なほどアッサリと中へ通された。拍子抜けすると同時に、昨夜立ち聞きしてしまった、アルフマンがここを訪れるという話が、嘘では無いことが思い知らされた。
応接間に通されたデニスは、ソファーに腰を下し、苛立つように貧乏揺すりをする。
「……閣下のお言葉は全て、理に適っている。疑うべきことなど、何一つとして無い筈なのに……」
呟く言葉はまるで、自分自身に言い聞かせているようだ。
用意されたコーヒーを、チビチビと飲むが、緊張感から味が全くわからない。
思考はグルグルと、否定しては疑問、否定しては疑問と、同じ問答を何度も何度も繰り返す。
ただ座って待っているだけなのに、デニスの精神はゴリゴリと疲弊していった。
アルフマンは時間に正確な男だ。
側近が間もなく見えると言った以上、例え相手が部下であっても、待たせることは無いだろう。
時間にして、ほんの僅かな。
けれど、デニスの人生で最も長い待ち時間の果てに、扉が開かれた。
「――ッ!?」
反射的に立ち上がり、デニスは敬礼で出迎えた。
現れた普段と変わらないアルフマンの姿に、休暇を挟んで久し振りに会う為か、奇妙な緊張感と共に、僅かな安堵を覚えていた。
室内を横切りながら、アルフマンは敬礼中のデニスを一瞥する。
「休め」
「――ハッ!」
敬礼を解くと同時に、アルフマンは正面のソファーに腰を下した。
正面に直立不動で立つデニスに視線を送ると、アルフマンは何の前置きも無しに話始める。
「休暇は十日ほどだと聞いていたが、それを切り上げて私に何の用件だ?」
「ハッ。お忙しいところ、真に恐縮ですが……」
「前置きはいい。用件だけを話せ」
そう厳しい口調で、デニスの言葉を遮る。
不機嫌というわけでは無く、アルフマンのこれはこれで通常営業なのだ。
理解している筈なのに、余計な前振りをしたのは、デニスの心の準備がまだ、整っていなかったから。
軽く深呼吸をしてから、デニスも率直に問いかけた。
「閣下が、人工天使計画を企てていると聞きまして、その真実の有無を確かめにやってきました」
「……ふむ」
馬鹿正直な問いかけに、然したる動揺も無く、アルフマンは小さく頷く。
全く心当たりが無いからなのか。いや、アルフマンほどの人物なら、この問い掛けすらも、計画通りなのではと疑ってしまう。
僅かな間を空けて、アルフマンは手でデニスに、座るよう促す。
強張った表情のデニスが座るのを確認して、アルフマンは口を開いた。
「事実だ。正確には、完全平和計画の一部として、人工天使計画を組み込んでいる」
「――ッ!?」
アッサリと認める言葉に、デニスは息を飲む。
思わず思考が真っ白になり、言うべき言葉が喉につっかえ出てこない。
しかし、ここで問い掛けを止めてしまえば、時間の無駄を嫌うアルフマンは、席を立って何事も無かったかのよう、仕事へと戻って行くだろう。
凝り固まる脳内を必死で解し、デニスは質問を続ける。
「……じ、人工天使計画は、終戦時に計画を永久凍結になった筈です」
「物理的に固まっていたわけでもあるまい。私が再開させた。それだけのことだ」
「計画の凍結は、エンフィール王国との和平条約の条件の一つ。これは、明確な条約違反なんですよ!」
思わず声を荒げてしまう。
デニスの兄は、戦場での人工天使計画の実験に巻き込まれ、大怪我を負っている。
全く別の条約違反なら、デニスは黙認しただろう。現に、騎士局長暗殺の顛末は、デニスも知り及んでいる。
だが、人工天使計画は別だ。
エゴと言われようと、身勝手と言われようと、尊敬する兄に「地獄の兵装」とまで言わしめたそれを、再び復活させようなどとても許容出来なかった。
同時に、アルフマンに対する忠誠心も、捨てきれずにいた。
「人工天使計画に関わっているなど世間にしれたら、盤石に固めた地盤に罅が入るやもしれません……今からでも遅くはありません。お考え直し下さい」
「不可能だ」
「閣下ほどの御方ならっ! その様な危険な橋を渡らずとも、もっとリスクの少ない方法で理想を実現させることが……」
「中尉」
静かな口調で、ヒートアップするデニスの言葉を遮る。
冷や水をかけられたかのような、冷たい言葉と視線に、デニスの肌がゾクッと粟立つ。
「計画に変更は無い。君が危惧する危険性も、安全水域で進んでいる……それに、人工天使計画は我が計画の要。修正すれば、我が理想の実現は十年後退する」
「し、しかし……!?」
「これがベストの選択だ中尉。君の進言は全てクリアーした状態で、既に私が計画を進めている。最初から、何一つ問題は無い」
普段通り、アルフマンは絶対の自信を持って断言する。
彼の言うべき言葉、語る計画に間違いがあったことなど、今まで一度も無かった。
有言実行。そんなアルフマンだからこそ、デニスは盲目的に信じ、付き従って来た。
納得しかけるデニスの脳裏に、兄の亡骸に縋り付き、一晩中泣き明かしたマルティナの姿がフラッシュバックした。
締め付けられる胸が、浮かびかけた納得の二文字を磨り潰す。
「自分は反対です! 人工天使は、この世界にあるべきモノではありません。あれこそ、人の世の理から逸脱した存在……どうか、どうかご再考を願います!」
テーブルに額を擦り付けて、デニスは懇願する。
こんな泣き落としのような真似、アルフマンに通用する筈は無いのだが、デニスは自然とそうしていた。
アルフマンの思考に、熟考の時間など無い。
彼の決断は何時も迅速で、そして即決だ。
それは例え、どんなに非情なモノであったとしても。
「却下する。個人的な感情は、私の計画には一切関係が無い」
「……あっ」
落胆が、デニスの胸に去来する。
結果はわかり切っていた。けれど、デニスは沸き上がる悔しさから俯き、涙を堪えるようグッと唇を噛み締めた。
だが、アルフマンは意外な言葉を続ける。
「しかし、私は第一に成果、第二に速度を求める」
「えっ?」
続く声に、デニスは顔を上げた。
「過去に行われた人工天使計画が、旧帝国とエンフィール王国。この二つを危うく消滅させかけた事実を知るのは、両国の上層部と北方戦線に参加した兵士達だけだ。君の場合は、亡き兄上からその一部を耳にしていたからだろう」
確認するかのような問いに、デニスは頷く。
人工天使計画は、その実態を知る者は殆どいない。
わかっているのはその実験機が、北方戦線の最激戦地区に投入され、暴走の挙句、竜姫によって破壊されたということ。
暴走により、両軍には甚大な被害が及んだ。
仮に竜姫が人工天使の破壊に失敗していたら、大陸の地形は大幅に変化していただろう。
「人工天使の暴走の原因は、その核となる擬似魂魄が不完全であったからだ。故に人工天使は暴走し、災害となって戦場に破壊を撒き散らした……要は簡単だ。人工天使を完成させれば、何の問題も無い」
事も無げに、アルフマンは言い放った。
「し、しかし……!?」
「安全面が不確定だと糾弾するなら、危険性もまた不確定だ。道を歩けば転ぶかもしれない。転んだ先に釘が落ちていて、喉に刺さって死ぬかもしれない。物事には全て、リスクが付きまとう。だが、それは所詮、確率的な問題に過ぎない。確率とは運否天賦では無く、可能性だ。ゼロや百に出来ずとも、一や九十九にすることは出来る」
饒舌に語り、アルフマンは真っ直ぐとデニスを見据えた。
「で、だ」
デニスの反応を待つように、言葉に区切りを設ける。
戸惑いながらも、真っ直ぐと視線を合わせ、デニスが聞く態勢を作るのを確認すると、アルフマンは冷静な言葉を続けた。
「私は感情論で物事を語らない。が、人工天使計画の危険性は重々承知している……ならばデニス中尉。計画に不満があるのなら、君の手でその不満を取り除いてみてはどうかな?」
「……自分の手で、ですか?」
意味深な言葉に、デニスの戸惑いが深くなる。
どういう意味なのか?
真意を問うような視線に気づいたアルフマンは、懐から手の平ほどの結晶体を取り出し、デニスの前へ置いた。
結晶体からは、微量ながら魔力の流れを感じる。
「計画に使う精霊石だ。これをホムンクルスや他の生物に埋め込むことで、人工天使を生成することが可能となる……だが、複雑な魔力制御を必要とするこれは、通常の体内術式では適合せず、拒否反応を起こしてしまう」
「体内術式……まさか、人体実験を!?」
驚き、デニスは声を上げる。人体実験など許されるべきことでは無い。
モヤモヤとしていた疑惑が、大きくなるのを感じながら、デニスが向ける視線に不信感が宿る。
けれど、心の中にはまだ、アルフマンを信じたいという気持ちも強かった。
「勘違いするな。被験者は皆、自主的に参加して貰っている。失敗し死亡、または障害が残った場合、本人や遺族に十分な保障を行っている」
「けれど、けれど犠牲が出て……ッ!?」
言いかけて、デニスは言葉を止める。
共和国軍人の名の元、アルフマンの理想を叶える為に、前述の近衛騎士局長の一件を含め、非人道的な行為に手を染めて来た。それが今更、家族の為に、家族が望まないからと言って、彼の行いを糾弾するような厚顔無恥な行い、デニスには出来なかった。
ミシェル・アルフマンは何一つ変わっていない。
感情で人は立場や主張を変える。
アルフマンが常々語っている人の業に、デニスは今直面しているのだ。
「なぁ、デニス中尉」
理性と感情の狭間で苦しむデニスに、ただ淡々とアルフマンは語りかける。
「私は君を信頼している。だからこそ、何故、休暇中の君が私を訪ねて、極秘で訪れている筈の研究所に現れたのかは問わない……君が私の信頼に答えてくれると、私はとても嬉しく思う」
そう語った言葉に、デニスは自分の耳を疑う。
とても嬉しく思う。確かにアルフマンは、そう言った。
感情に左右されることを良しとしないアルフマンが、多少なりとも感情を示す言葉を発したのだ。
完璧で完全。兄と同じくらい尊敬する人物が、自分を信頼してくれている。
その事実に、浮かびかけた疑念の心は、四散していった。
「……何を、すればよろしいのでしょうか」
低い声色に、アルフマンの唇が僅かに釣り上がる。
「すぐに実験の準備をしよう」
「アルフマン閣下」
立ち上がるアルフマンを、顔を伏せたままデニスは呼び止める。
「……自分には、義姉がいます。病を患い、家の事情で満足に医者にもかかれない、大切な家族が」
「早急に手を回して置こう。実験の有無に関わらず、な……君は安心して、実験に臨むといい」
そう言って、アルフマンは部屋を出て行った。
一人になったデニスは、すっかり冷たくなったコーヒーを飲み干し、キツイ苦みに表情を顰め、天を仰いだ。
★☆★☆★☆
日が傾きかけた頃、ようやくアルトは研究所へ忍び込むことが出来た。
やはり、ミシェル・アルフマンが極秘裏に来ているらしく、さほど大きく無い見た目とは裏腹に警備は厳重。見張りの軍人達の厳しい監視の目を掻い潜り、中へと忍び込むのに、大分時間がかかってしまった。
研究所と言うだけあってか、内部は非常に清潔感で満ち溢れている。
慎重に気配を探りながら、足音を殺してアルトは薄暗い廊下を進む。
「中は思ったより、人が少ないな……実験が行われてるのは、地下か?」
外の警備が厳重だが、意外なことに研究所内の気配は薄い。
恐らくあまり、人に実験内容を見られたくないのだろう。
けれど、皆無では無く、正面から人が来る気配と足音を素早く察知した。
「おっと……この部屋に隠れるか」
咄嗟に、横のドアを開いて中へと飛び込む。
一応、中に人がいないのは、気配を探って確認済みだ。
「ん? ……ここは」
てっきり、倉庫か事務所だと思っていた部屋は、ベッドなどが置かれており、妙な生活感に満ちていた。
微かに酒や、煙草の匂いを感じる。
「仮眠室か何かか……おっ。良いモンみっけ」
アルトはテーブルの上に置いてある、白衣に気が付くと、近づいてそれを手に取り袖を通した。
多少、薬品の匂いはするが、十分に清潔。
「これ着とけば、見つかっても言い訳が出来るだろう」
コートの上に着ているので、少しばかりモコモコするが、見た目は問題無い。
置いてある手鏡で、髪の毛も軽く整えれば、研究者っぽい容姿の完成だ。
まぁ、気休めのような気もするが、何も無いよりはマシだろう。
後は一通り何か無いか部屋を調べた後、廊下に気配が無いのを確認してから、再び探索へと出発する。
複雑な作りでは無い研究所。直ぐに、下へ降りる階段は見つかった。
足音を殺して、慎重に階段を下りる。
地下一階、二階と、見て回るが、デニスどころか研究職員にすら顔を合わせない。
これは幾らなんでも不自然だと、妙な息苦しさを感じ始めたアルトが、地下三階へと足を踏み入れた瞬間、背中にゾクリとする悪寒が走った。
「……嫌な気配を感じやがる。こりゃ、人じゃねぇな」
生温い空気が、アルトの全身に纏わりつく。
轟々と外から空気を取り込む空調の音だけが、喧しく張り響く研究所の地下三階は、海の底にいるような息苦しさに満ちている。
何かの気配は感じ取ることが出来るが、相変わらず人間の気配は無い。
「こいつはちょっと、嫌な予感がするぜ」
このフロアに、何か人知を超える存在がある。
息苦しさから流れ落ちる汗を拭い、アルトは着ている白衣を脱ぎ捨てた。
漲る嫌な気配の中には、僅かながら殺気も感じてとれる。顔を合わせれば、即戦闘へと発展するだろう。
「……もしかしたら、藪を突いて蛇が出たのかもな」
軽口を叩きながらも、アルトの様子に油断は一切無い。
何時でも腰の剣を抜ける準備をしながら、意を決してアルトは、慎重に地下三階フロアを進む。
階段を下り、ほぼ正面一直線に伸びた廊下を進むと、頑丈そうな鉄作りの扉にぶつかる。
他にも幾つか扉はあるが、見た感じ、この扉が一番重要そうに思えた。
「鍵は……かかってないな」
掴んだノブは重いが、鍵がかかっている様子は無い。
数回、深呼吸を繰り返して、アルトは扉を押し開いた。
瞬間、アルトの本能が激しい警笛を鳴らす。
「――ッ!?」
何かを視覚したわけでも、気配を捕えたわけでも無い。
長年の経験で培ってきた、危機察知能力が警笛を鳴らすまま、ほぼ条件反射で腰の剣を抜き放ち、正面を十文字に薙いだ。
激しい金属音と火花が散り、刃を通じて手の平に重い衝撃が走る。
弾いたのは槍。鉄製の槍が刃に阻まれ、床の天井に突き刺さっていた。
同時に鼻孔に届く、生臭さと鉄の香り。
「……これは、血の匂いッ!?」
いきなりの危機に動揺しつつも、アルトは目の前に広がる凄惨な光景に、思わず声を漏らした。
ちょっとした大広間くらいの研究室。
用途のわからない実験器具や機材が並び、それらは邪魔にならないよう、部屋の隅へと追いやられている。中央から奥行きにかけては何も物は置いておらず、幾つもの魔力灯の明りに眩いくらい照らされていた。
室内には、十人前後の人間が存在していたのだろう。
白衣を着た、研究員らしき人間。そして、警備の人間なのだろう。武装した兵士達の姿も、数人見受けられる。
彼らは全員、壁や床に鮮血をぶちまけ、絶命していた。
「さっきの槍は、兵士の物か」
警戒心は解かず、チラリと兵士と槍を見比べた。
この場で何が起こったのか。思考するまでも無い。
アルトが見据える真正面に、それは蹲るようにして鎮座していた。
「ギ……ギギッ、ギ」
甲高い、虫の羽鳴りのような声を漏らす。
室内の最奥。白い壁を背に、魔力灯の明りに照らされ、蹲るのは灰色の大きな鳥の翼だ。
眉のようにまん丸く蹲ったそれは、怯えるように震えていた。
アルトは大きく目を見開くと、噛み砕けんばかりに、奥歯をギリと鳴らした。
「人工、天使かッ」
低く怒りを込めて呟くと、腰を落とし、剣を構える。
声に反応してか、翼の塊はビクッと大きく震える。
ゆっくりと花開くように翼の左右が開くと、中から人の姿をした何かが姿を現す。
様々な宝石や鉱石をごちゃまぜにしたような、統一感の無い突起物が、肌の至る所を覆う。丸まっている時はただの翼でしかなかったそれの内側も、まるで突き破るかのように所々が結晶化していた。
パリパリと音を立てて、生身の肌に罅が入ると、割れ、そこから新たな鉱石のような肌が出現する。
人の姿こそしているモノの、それは既に人を逸脱した形へと変化しつつあった。
そして僅かだが、まだ原型を整えている人工天使の顔に、アルトは絶句した。
「……デニス」
呟く言葉に反応するよう、虚ろな視線がアルトに向けられる。
デニス・グロスハイム。
人の形を破壊しながらも、その顔その姿に、ハッキリと面影が残っていた。




