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第12話 奈落の社






 若干十四歳の少年ウェインは、北街で暮らす戦災孤児。

 戦争で親を亡くした子供は多い。

 運が良ければ孤児院や教会に拾われ、真っ当な生活を送れるのだが、大部分の孤児は行き場が無く、生きる糧を得るために犯罪行為に走る者も少なくない。

 そのような孤児達が、北街のスラムには大勢いる。

 物乞い、スリ、引っ手繰り。売春なども、男女問わず、手軽に稼げる手段だ。

 明日も知れない生活の中でも北街にあって、一つだけ地位と、名誉と、金を得る方法がある。

 それは、暗部組織の構成員になること。


 無法の中にも法はある。

 北街には暗部組織、つまり犯罪組織が複数存在している。

 犯罪組織と言っても、チンピラが集まっただけの烏合の衆とは格が違う。

 政治的に機能していない北街を、実質上支配しているのは彼ら暗部組織なのだ。

 中央評議会から派遣されている執政官も、賄賂漬けの汚職塗れ、彼らの言うことを「はいはい」と聞くだけの、傀儡になりさがっている。

 中央評議会も現状を認識しているが、下手に手を出して報復されるのを恐れ、半ば黙認状態。

 名実ともに彼ら組織の者達が、北街の支配者と呼べるだろう。

 そしてウェインも子供ながら、暗部組織の下っ端として働き、日々の糧を得ているのだ。

 しかも、所属している組織はと言うと、


「奈落の杜。聞いたことは、あるかしら?」

「ならくの、もり?」


 ロザリンは首を傾げるが、アルトには聞き覚えがあった。

 いや、王都に住んでその名を知らない人間は、モグリとしか言いようが無い。


「北街で一番、デカい組織じゃねぇか。なに、お前。んなとこに所属してんの?」

「は、はい。でも、オイラ、本当に下っ端っすから……」


 デスクの側に立っているウェインは、緊張気味に受け答えをする。

 なるほど、とアルトは顎を摩った。


「だから、今日はギルドを人払いしてたのか。冒険者ギルドかたはねが、下っ端とは言え暗部組織の人間と繋がるがあると思われたら、面倒臭いことになるからな」

「どういう意味?」


 かたはねの立ち位置を理解していないロザリンの問いに、そんなことも知らないんですかと、プリシアが自慢げに説明を始めた。


「我ら冒険者ギルドかたはねは、この国の騎士団と協力関係にあります。黙認状態とは言え、騎士団と奈落の社は敵対していますから。それに一部には、私達を疎ましく思っている方々もいらっしゃるようですので、付け入る隙を与えたくないのです」

「なるほどー」


 腰に手を上げて語るプリシアの説明に、ロザリンは素直な声を漏らす。


「んで。そんな危なっかしいマネしてまで、このガキがいったいどうしたってんだ」


 ジロッと睨むと、ウェインは身を縮こませて口ごもる。

 ビビッているのかと思いきや、ウェインの頬は赤く口元が若干緩んでいた。


「あの、そのぉ……実はオイラ、好きな娘がいて」

「いや、知らねぇし興味ねぇよ」


 と、冷たく斬り捨てるが、プリシアとロザリンが同時に何故か前のめりになる。


「聞きましょう」

「聞きたい」

「……何でお前ら、んな急にアグレッシブなんだよ」


 だいたい、プリシアはもう事情を知っているのでは無いかと思いつつ、少女二人の好奇心は止められず、仕方なしにアルトも話に耳を傾けた。


「その娘、エレンって言って、オイラと同い年の孤児で、奈落の社でその……何て言うか……」

「娼婦か」

「せ、正確には、まだ娼婦ってわけじゃないんすよ! 娼館で姐さん達の世話役をしながら、花売りをしてるんっす……いずれは、そうなるかもしれないっすけど」


 ウェインが慌てて訂正してから、しょんぼりと肩を落とす。

 人の趣味は様々だ。

 他人の性癖に口を出すつもりは無いし、それで明日生きるための糧を得ることができるのだから、倫理観と正義感だけで糾弾することは愚かしい。が、胸糞が悪くなる真実なのは、変えようが無い。

 ウェインが口ごもったのは、そういった偏見の目でエレンという少女を見られるのを、嫌ったからだろう。

 だからアルトは、表情を変えずに話を先に促す。


「オイラ、集金の仕事でそこの娼館に出入りしてて、何度か通って他愛の無い話をしている内に、その、惚れちゃったんすよ」

「な、なるほどっ」

「なるほどー」


 締りの無い顔で喋るウェインの語りに、少女二人は食い入るように聞き入っている。

 逆にアルトは妙な痒みに襲われ、ボリボリと肩や首筋を掻いていた。


「か、片思いなのでしょうかっ」

「コクってないの?」

「い、いやぁ……そのぅ」


 ウェインの表情は更に赤くなり、そして蕩ける。


「先月、オイラの方から告白して……それで、向こうも好きだって言ってくれて」


 瞬間。

 少女二人は手を取り合って、きゃーきゃーと騒ぎ立てる。

 つい数分前までソリが合わなそうな雰囲気をしてたのに、この変わりよう。

 年頃の女は理解不能だと、アルトは疲れたようため息を吐いた。


「んな、惚気話を自慢するために、こんなところまで来たのかよ?」


 そう口にすると、蕩けまくっていたウェインの表情が一変。

 今にも泣きだしそうな暗い顔をすると、いきなりその場に跪いて土下座をした。


「お願いします! オイラに、オイラとエレンに力を貸して下さいッ!」


 音が室内に響くほど、額を床に激しくぶつける。

 ウェインの悲痛な言葉に、アルトは困惑の表情を浮かべた。


「おいおい。いったい、何だってんだ。お前ら、ラブラブなんじゃねぇの?」

「……オイラ、いつかエレンを身請けするために、告白するずっと前から金を貯めていたんだ」

「そりゃ、殊勝な心がけだな。組織の上納金に手を出すより、よっぽど健全だ」


 茶化すと、少女二人が咎めるような視線を向けてきたので、アルトは肩を竦めて続けるよう促す。


「下っ端だから、目標の金なんて中々貯まらないんだけど、いつか必ずって思って必死で頑張ってきたんだ……だけど」


 一端言葉を止めると、目に浮かんだ涙を袖で拭う。


「天楼って組織を、知ってますか?」

「いや。聞いたことがねぇな」


 同意するよう、ロザリンも頷く。


「ここ一年の間に、急激に勢力を伸ばしている新興組織っす。拠点が西よりなんで、東街の皆さんには、接点が無いと思うけど」

「ああ、なるほどね。んで? その新興組織が、お前のガールフレンドとどんな関わりがあるってんだ」

「天楼は現在、奈落の杜と敵対関係にあるんっす。そこのボスが、元は奈落の杜の幹部らしくって、そのツテか奈落の杜からも大勢、引き抜きにあったり、離反したりしてて……」

「つまり。ガールフレンドが所属する娼館諸共、その天楼ってのに行っちまったわけか」


 ウェインは頷く。

 なるほど。それは確かに、面倒臭い状況だ。


「敵対してるから、会いに行けないの?」

「ざっくり言えばな」


 そう答えると、すかさずプリシアが補足する。


「北街の暗部組織は、何より絆と仁義を重んじります。中でも最古参の奈落の杜は、その辺りが徹底していますから、敵組織の不義密通などは制裁の対象になるようです」


 プリシアの説明に、重苦しくウェインは首を縦に振る。

 難しい顔をしながら、アルトは腕を組む。


「話はわかったが、それでどうしようってんだ」

「オイラ……オイラ、エレンを攫って逃げようと思うんだ!」


 意を決したように、ウェインはとんでもないことを言い放つ。

 少女二人は歓喜に似た声を上げるが、アルトは思い切り顔を顰めると、黙って事の成り行きを見守っている頭取に視線を向けた。


「おい。こいつ、馬鹿だぞ」

「ふふっ。若さというモノは、そういった類と紙一重なのよ」

「んな問題じゃねぇだろうが」


 どうしたモンかと、ボリボリ頭を掻く。

 暗部組織は裏切りを何よりも嫌う。

 敵対組織の女と恋仲になっていると知られれば、制裁は免れないだろうし、運よく免れて逃げ出したとしても、後に待っているのは、地獄のような追い込みだ。

 仮にも暗部組織で働いて来たウェインが、そのことを知らないはずが無い。

 どうやら、そこまで思い詰めて、頭取に助けを求めるほどの理由が、ウェインにはあるのだろう。

 こちらの疑問を察してか、ウェインは口を開く。


「皆は知らないだろうけど、天楼の奴ら武闘派を気取って、対抗勢力を次々に潰して勢力を拡大してるんす。噂じゃ、奈落の杜相手に戦争をおっぱじめる気だって」

「だから、巻き込まれる前にガールフレンドを連れて、逃げるって?」

「それだけじゃないっす。天楼のボスは貴族とつるんでいて、資金を引き出す見返りに、女の子を売り渡すつもりだって……そのリストにエレンが載ってるって聞いたら、オイラいても立ってもいられなくなって!」

「ちょっと待て」


 次第に熱を帯びる語りを、アルトは途中で遮る。


「随分と確信を持った言い回しだが、お前にんなことを吹き込んだのは誰だ?」

「えっと、情報屋の人っす。ルン=シュオンって女の人」


 アルトは「……あいつかよ」と呟いて、右手で顔を覆った。

 ようやく、合点がいった。

 何故、北街の人間で暗部組織に所属するウェインが、わざわざ東街の頭取に助けを求めたのか。そして頭取がなぜ、アルトにこの話を振ってきたのか。

 ルン=シュオンの差し金ならば、この趣味の悪い段取りも頷ける。

 脳裏に眼帯の少女が、冷笑を浮かべている姿が描かれた。


「頭取……アンタ、あいつと繋がってやがったのかよ」

「いつの時代も、情報は最大の武器よ」


 動じること無く、頭取はニッコリと笑った。

 きっとこの依頼の橋渡しを条件に、幾つかの情報を提供して貰っているのだろう。


「それに私も、若者の恋は応援したいと思っているの」

「恋に憧れる歳かよ」

「あら。女は幾つになっても、恋に恋してしまうお年頃なのよ?」


 頭取の言葉に少女達は頷くが、アルトは理解出来ないと肩を竦めた。


「それじゃ、事情を説明し終えたところで、仕事内容を説明させて貰うわ」


 頭取は車椅子に座り直すと、デスクの上に肘を置いて手を組む。


「仕事内容は、北街の暗部組織『天楼』に赴き、エレンという娼婦を連れ帰ること」

「連れ帰るって言ったら聞こえはいいが、ようは誘拐だろ? 冒険者ギルドが出す仕事とは思えねぇな」

「あら、誘拐しろとは言って無いわ。最終的に、この子達二人が一緒にいられれば良いのだから。穏便な方法で解決できるのなら、それにこしたことは無いわね」

「……なるほど、な」


 ロザリンが少し思案すると、すぐに顔を上げる。


「つまり、交渉と、天楼の人の、出方次第で、最終結果は変わる、ってこと?」


 頭取は頷く。

 天楼がどのような条件を提示するかわからないが、交渉でエレンを引き取れれば、ことを穏便に済ますことができる。

 アルトが矢面に立てば、奈落の杜からウェインが制裁を受ける可能性も低いだろう。

 もっとも、そんな都合よく済むとは、到底思えないのだが。

 何よりルン=シュオンが裏にいるのなら、この一件には表で見えない何かが、隠れ潜んでいると考えてよいだろう。


「正式な依頼を受けたわけじゃないから、お金は払えないのだけれど、代わりに報酬として私の所有する不動産を、アルトに提供するわ。いかがかしら?」

「……本音を言えば、んな物騒な話に関わり合いになりたくねぇが」


 チラリと横目で、懇願するような顔を向けるウェインを見る。

 ルン=シュオンにも一応、返さねばならぬ借りがある。多分、アルトが引き受けることで、何か彼女に利益になることがあるのだろう。

 その何かがわからないのは、かなり不安要素だけれど。


「……ま、そろそろ寝起きに子供パンツを見せられるのは、飽きてきたところだ」

「こ、子供パンツッ!?」


 何故かプリシアが自分のズボンを押さえ、大袈裟な反応を示す。


「いいぜ、やってやるよ」

「あ、ありがとうございます!」


 満面の笑みを浮かべると、ウェインはその場に膝をついてアルトに頭を下げた。

 北街。それも奈落の杜絡みとなると、物騒な展開しか想像できず、アルトは嫌そうに湿った息を吐き出した。

 その後、一応の形式として簡易の依頼状にサインをし、頭取から経費として硬貨の詰まった小さな袋を受け取る。

 袋を懐にしまいながら、ロザリンの方を振り返り、


「んじゃ、ロザリンはここで……」

「暗くなる前に、行こう」


 待っていろ。

 と言い終わるより早く、ロザリンはウェインを引っ張って、早々に出て行ってしまった。


「アイツ、置いて行かれるのが嫌だから、先手を打って出て行きやがった」


 そもそも、今すぐに行かなくても、いいだろうにと、アルトは渋面で頭を掻いた。

 放っておくわけにもいかず、頭取達に片手を上げて簡単な挨拶を済ますと、ロザリン達を追い駆けるため、開けっ放しの扉から小走りで追い駆けて行った。

 慌ただしく、落ち着きの無い出発だ。

 その後ろ姿を、頭取はニコニコと笑顔で、プリシアは羨ましそうな顔で、それぞれ見送っていた。




 ★☆★☆★☆




 普段は何だかんだ理由をつけて避けていても、乗ってみるとやはり渡し船は便利だ。

 徒歩では数時間かかる道のりも、渡し船だと一時間かからない。

 行き先が北街だと、値段の方が割高になるのだが、正式な依頼では無いとはいえ、今回はギルドかたはねを通した仕事だ。

 出かける前に頭取から、必要経費として幾らかを預かっている。

 経費なのでカトレアから借りた時のように、返す必要も無いので心置きなく、優雅な船での移動を楽しめた。

 アルト、ロザリン、そしてウェインが降り立ったのは、北街の中心部にほど近い、水晶宮へと続く閉鎖された大橋の側にある船着き場。そこから真っ直ぐ、メインストリートに添って進む。

 目的の場所はもっと西側なのだが、残念なことに北街の大橋は下に鉄製の柵があり、船での通行が禁止されている。

 なので中心部から西よりに進むには、面倒でもここから降りて、歩いていかなければならないのだが、ウェインは何やら不安げに、落ち着きなく周囲を見回している。


「……ううっ」


 何かに怯えるように身を縮こませ、アルトの背中に張り付く。

 無法地帯の中でも、北門から大橋まで真っ直ぐ伸びるこのメインストリートは、昼間なら比較的安全で人通りも多く、賑やかさは東街と比べて遜色は無い。

 もっとも、道路は荒れ放題で、立ち並ぶ商店も怪しげなモノばかり。

 道行く人々も老若男女問わず、武器を携帯している。

 雰囲気は東街と丸っきり違うが、それでも深部に比べれば穏やかな方だろう。


「おいおい。お前、まさかビビッてんのか? 北街の人間なのに」

「どうした、の?」

「どうした、じゃないっすよッ」


 怪訝な顔をする二人に、ウェインは涙目で声は張らず、言葉に力を入れる。


「今から天楼に行くっていうのに、なんでここを通るんですかッ。ここ、思いっきり、奈落の社の縄張りですよっ!?」


 ウェインが言う通り、北街のメインストリートは奈落の社が仕切っている。

 本拠地は中心部の娼館街にあるのだが、執政官とのやり取りは代々、奈落の社のボスが執り行っていたので、自然と役場があるメインストリートは、彼らの縄張りとして認知され、幅を利かせるようになっていた。


「だから、仕方ねぇだろ。大橋の下は渡し船で通れねぇんだから」

「だったら、湖に添って内回りで西側に抜ければいいじゃないっすかっ! なんでわざわざど真ん中突っ切るなんて、危ない方に行くんすかぁ!」

「面倒臭ぇじゃねぇか。こっち通った方が早いし」


 同調するように、ロザリンも頷く。


「なら、南側からぐるっと、反対方面から回り込めばいいじゃないっすか」

「金がかかるじゃねぇか」

「経費なのにッ!?」

「経費、削減」


 二対一の論争に勝ち目があるはずもなく、ウェインはがっくりと肩を落として項垂れた。

 アルトがポンポンと、落ち込むウェインの肩を叩く。


「気持ちはわかるが、まぁ、大丈夫だろ。お前みたいな下っ端の恋愛事情なんて、一々気にしてなんかねぇって」

「それはそれで、複雑っすけどね」


 慰めも響かず、ウェインはため息を吐いた。

 やはり気になるのか、ウェインは仕切りに周囲を警戒しながら、アルトの背後に隠れるようメインストリートを歩く。

 暫く歩いていると、不意にロザリンが足を止めた。

 何事かと二人が振り向いた瞬間、ぐぅ~と可愛らしい音が響いた。


「……お腹、空いた」


 お腹を摩りながら、ロザリンは力の無い視線を向けてくる。


「そういや、昼飯を食ってなかったな」

「……何を言い出すんすか?」


 不安げなウェインに構わず、二人はキョロキョロと周囲を見渡した。

 そして一瞬だけアルトは、目付きを鋭くして、背後の視線を巡らせた。


「……ふん」

「何を探してるんすか? 駄目っすよ! ここの飲食店は全部、奈落の杜が仕切ってるんすから! オイラやオイラの先輩も利用する店もあるんすから!」


 その視線に気づかず、ウェインは必死の形相で、アルトの身体を掴んで揺らす。


「アル。あそこ」

「ん? ああ~、汚ねぇ店だなぁ。ま、北街の飯屋なんでどこも一緒か。んじゃ、ちょっくら腹ごしらえでも」

「――聞いてねぇしこの二人!?」


 頭を抱えるウェインに構わず、二人はさっさと店の中へと入って行く。

 残されたウェインは、逡巡の結果、一人で行くわけにも、この場に突っ立って残っているわけにもいかず、「待ってくださいよぉ」と二人の後を追いかけて、店の中へ入って行った。

 三人が店の中に消えると、一瞬だけアルトが視線を向けた方向、その物陰から姿を現す数人の人影が、何やら剣呑な視線で、彼らが入って行った店を睨んでいた。




 ★☆★☆★☆




 入った店は汚い外観から見て取れる通り、中も小汚くオンボロだった。

 店内の四隅には蜘蛛の巣が張り、五人掛けのカウンターとテーブル席が四つだけの小さな店で、愛想の悪い親父の不機嫌な「らっしゃい」という言葉で迎えられ、三人は一番奥の席に座った。

 座った途端、涙目のウェインが真っ先に抗議の声を出す。


「酷いっすよぉ兄貴達。少しはオイラの立場も、考えてくださいよぉ」

「悪かったって。んな、グヂグヂ言うなよ男だろ?」

「兄貴は奈落の社の恐ろしさを知らないから、そんな悠長に構えてられるんすよ」

「わかってるっつーの。んなことより、おい」


 軽く謝りながら、さっきから気になっていたことを問う。


「その、兄貴ってのはなんだ?」

「アルトさんのことっす。オイラ、これから兄貴のことを、兄貴って呼ばせて貰うっす!」


 文句を言っていた態度から打って変わって、ウェインは至って真面目な表情を作る。

 冗談の類では無いのは、その顔を見ればわかった。

 ロザリンが、首を傾げる。


「なんで、兄貴?」

「聞けば兄貴は、あの連続通り魔を捕まえた立役者だそうじゃないっすか。その上、犯人は偉い貴族だったとか……オイラ、その度胸と漢気に感動しました!」

「だから兄貴ねぇ。ま、どうでもいいけど……親父、水と適当な腹に堪る料理を頼む。値段はなるべく安めで」


 そう言うと奥の方から、親父の不機嫌な「あいよ」という返事が聞こえた。

 ロザリンはよほど腹が減っているのか、何度も唇を舐めながら、落ち着かない様子で足をバタバタとさせている。対してウェインは、やはり周囲が気になるらしく、身を小さくしてなるべく目立たないように、大人しく座っていた。

 さて、このままのんびりと昼食が終わってくれると、アルトとしても楽なのだが。

 なんて思った矢先、自分達が座るテーブルに影が差す。

 頼んだ水が来たのかと思い、視線を向けると、そこには筋骨隆々の大男三人が、丸太のような腕を組んでこちらを見下ろしていた。


「――ひっ!?」


 反射的に悲鳴を上げ、ウェインは立ち上がり、椅子を盾にするように隠れた。


「知り合いか?」


 ウェインは必死の形相で、首を左右に振る。

 真ん中に立つモヒカン刈りの大男は、ニヤリと口元を歪めた。


「久しぶりじゃねぇか。ああっ?」

「いや、知らねぇって言ってっぞ」

「そっちじゃねぇ、テメェだッ!」


 枯れた怒鳴り声と共にモヒカンは、アルトに人差し指を突きつけた。

 突きつけられた指を見て、アルトは瞬きを数回。


「……ん?」


 意味がわからんと眉根を寄せて首を傾げると、すっかり忘れ去られた態度に激昂したモヒカンは、顔を真っ赤にして怒鳴る。


「覚えてねぇのかテメェ!?」


 左右の大男達、ロン毛と逆モヒカンが、モヒカンの言葉に続く。


「スラムの方の酒場で、テメェにやられた用心棒だよッ!」

「散々な目に逢されたんだ! 忘れたなんて言わせねぇぞ!」


 左右から交互に怒鳴り散らされ、アルトは視線をさ迷わせる。、


「あぁ……あ~、んなことあったっけ?」


 モヒカンの顔が更に赤く染まり、額に血管が何本も浮き上がる。


「アレだけ暴れて出入り禁止になった上に、ツケまで踏み倒したのに、覚えてねぇだとぉぉぉ!!!」

「……アルぅ、ひどい」

「いや、んなこと言われたって……ん? 出入り禁止?」


 非難するようなロザリンに視線に、言い訳を口にしようとしたところで、何か引っかかるモノを感じ、腕を組んで暫く考え込む。

 やがて、


「ああーッ! 思い出した!」

「へっ、やっと思い出しやが……」

「テメェらの所為で俺はあの後、散々な目にあったんだぞゴラァ!」

「――ゴブゥ!?」


 怒声と共に立ち上がり、何か言っている途中だったモヒカンの顔面に拳を叩き込んだ。

 鼻血を噴射しながら、モヒカンは白目を剥くと、背中から倒れ昏倒する。

 ロン毛と逆モヒカンはオロオロと、気絶したモヒカンとアルトを見比べた。


「て、テメェ! い、いきなり、何しやがるッ!」

「うっせ! こっちとら、テメェらが邪魔せず朝まであの店で飲んでたら、背中をバッサリと斬られずに済んだし、妙なチビっ娘に懐かれずにすんだんだ。どうしてくれる!」

「兄貴。傍で聞いてるオイラも、意味がさっぱりっす」


 椅子の影に隠れて、ウェインが困惑顔で呟いた。

 ただ一人、ロザリンだけが事情を理解したようで、何やらキラキラした瞳で、大男達に感謝の籠った視線を向けていた。

 額に青筋を浮かべたアルトは、ポキポキと拳を鳴らし、残りの二人を睨み付ける。


「テメェら、覚悟はできてんだろうなぁ、ああッ!」

「そそそ、それは俺達の台詞だろ!」

「ってかお前! こここ、こんなマネしてただで済むと思ってんのか! 俺達は奈落の社の人間で、ここはその縄張りだぞ?」


 ビクッとウェインが背筋を伸ばし、反応を示す。

 それがどうしたと、アルトが意に返さず一歩足を踏み出したので、慌てて腰に抱き着いて動きを静止する。


「ままま、不味いっすよ兄貴!」

「離せ馬鹿! お前に近所の連中からロリコン扱いされている俺の気持ちがわかるかッ!」

「わかるっす! オイラも、ロザリンさんと同い年の娘が好きっすからぁ!」

「俺とお前じゃ意味合いが全然違うだろうがッ!」

「は、はははっ! な、なんだよ。かかってこないのかぁ!」

「んだとゴラァ!」

「うわーん! ロン毛の人も煽らないで下さいっす!」


 ドタバタと狭い店内で暴れる男達。

 紅一点のロザリンは、迷惑そうな顔をしている店の親父のところまで歩き、注文した水とサラダを受け取ると、席に戻ってモソモソと食べ始める。


「……まず」


 と、眉を潜めて萎れた野菜を水で流し込んだ。


「ロザリンさんも止めてくださいよぉぉぉ!」


 ウェインの悲痛な声が響く。

 どうにも収集がつかなくなった時、店のドアが勢いよく開かれた。

 店内にいる全員の視線が集まると、大男二人は息を飲み込んで絶句する。


「随分と賑やかじゃないか。俺も混ぜてくれよ」


 若い男の声が響く。

 大男達の顔色が一気に青ざめたかと思うと、先ほどの勢いは何処へやら。

 素早く壁際に寄ると、入口の若い男に向かって折れるくらい深く頭を下げた。

 何事かと視線でウェインに問うと、彼も顔面蒼白でカチカチと歯を鳴らしている。

 中折れ帽を被りサングラスをかけた、ファー付きの革製コートを羽織る、派手な身なりの青年。

 腰には数本の短剣を差しており、見れば後ろに浅黒い肌の太った男と、几帳面そうな顔立ちをした、オールバックの中年男性を従えていた。


「な、なんで……何で、あの人が、こんな店に……」

「おい。アイツ、何者だ?」


 ただ者では無いのは、大男達とウェインの反応を見ればわかる。

 一見、軽い軟派男のような印象を受けるが、アルトの本能があの男は危険だと警笛を鳴らしている。

 そして勘のいいロザリンは、青年が現れた瞬間、傘を手に持ってアルトのすぐ側に駆け寄っていた。

 震えてアルトの問いに答えられないウェインに変わり、青年自らが口を開く。


「やぁ初めまして。俺の名はハイド。奈落の社のボスをやってるモンだ」

「――はぁ!?」


 その名を聞いて、流石のアルトも驚きを隠せない。

 更に警戒心を高めるが、友好的をアピールするよう、ハイドと名乗った青年は両手を広げる。


「会いたかったぜ兄弟。通り魔退治の噂を聞いてから、俺はずっとアンタのファンだったんだ」


 近づきながら、ハイドは握手を求めるよう右手を差し出す。

 僅かに迷うが、握手に応じると、更にハイドは左手を重ねてきた。


「はっはー! 嬉しいぜ兄弟。ここで会ったのも何かの縁。少し話をしないか。なぁに時間は取らせないぜ?」


 握る手の平の強さから、どうやら逃がしてくれる気はなさそうだ。

 後ろの二人は、先ほど絡んできた大男達の比では無いだろう。

 チラリと後ろを確認すると、ウェインは今にも気絶しそうな顔をしていて、ロザリンは無言でハイドを睨み付けている。

 別に予想外の展開では無い。大ボス自ら、出向いてくること以外は。

 軽く息を吐きだし、アルトは答えた。


「飯代。アンタ持ちなら構わないぜ」


 サングラスの奥にある瞳が、大きく見開かれたかと思うと、次の瞬間、ハイドの爆笑が店内を包んだ。








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