表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小さな魔女と野良犬騎士  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2部 反逆の乙女たち
114/162

第114話 少年は月へと手を伸ばす






 石造りの地下室は、激しい揺れに襲われ、少女達の悲鳴が響く。

 陰気で不衛生な場所ではあるが、作り自体は確りしているらしく、多少は揺れたモノの崩れたりはせず、天井から埃が落ちる程度ですぐに治まった。


「……なに? 地震?」


 鉄格子の前で四つん這いになるアルトを庇いながら、ロザリンは身体を起こして、そう呟いた。

 少女達も、安堵の息を漏らしている。

 けれど、アルトは微動だにせず、何の反応も見せなかった。

 心ここにあらず。そんな風に、アルトは虚ろな目で、床をただ見つめていた。


「……アルちゃん」


 ロザリンは悲しげに呟く。

 自分が起こした行動が原因で、彼女達を追い詰めてしまった。

 その事実に、心がポッキリと折れてしまったのだろう。


 何も知らず、何も持たないアルトの空っぽな心を、突き動かしていたのは、人に対する善意のみ。

 何故、そんな風になったのか、ロザリンは原因を知らない。

 けれど、決して幸福とは言えない彼の過去に、一筋の救いがあったとしたら、自分を助けてくれた善意に縋りたいと、アルトは考えてしまったのだろう。

 結果、アルトの目指した善意は、人を不幸にした。


「け、結局、私には何も出来ない……何かをやろうとして、このザマだ」


 自嘲するように、アルトは呟く。

 肩が小刻みに震えている……泣いているのだろうか。


「アルちゃん」

「こんなことなら……」


 何かをしなくてはと、ロザリンは手を伸ばすが、アルトは独り言のように呟き続ける。

 顔を覗き込んだロザリンは、言葉を失って、唇をキツク噛む。

 泣いているのかと思ったアルトは、無表情のまま、虚ろな視線で床を……いや、虚空を見つめていた。


「こんなことなら、ずっとあの部屋に閉じ込められていればよかったんだ……耳と目を塞いで、嫌なことにジッと耐え続ければ、届きもしない月に手を伸ばそうなんて、馬鹿なマネはしなかったのに……」


 感情の薄い言葉を、アルトは口から発する。

 その虚ろな響きが、ロザリンは堪らなく、悲しかった。

 これは過去の出来事で、過ぎ去り乗り越えたことだと理解はしていても、アルトという人物の口から、そんな諦めに満ちた言葉を聞くのが、ロザリンは自身のことのように辛く、そして何も言葉をかけてやれない自分が、とても力無く思えた。


 こんな時、どんな言葉をかけてやれば良いのか?

 憧れの背中を追いかけるだけの、未熟な魔女であるロザリンには、自信を持って語れる言葉を、持ってはいなかった。

 自分な何て無知で、無力なのだろう。

 ロザリンは手の平に爪が食い込むほど、強く握り締めた。

 その時、閉じていた鉄製の扉が、勢いよく弾け飛んだ。


「――なにっ!?」


 反射的に、ロザリンはアルトを隠すように前へ立つ。

 鉄製の扉はくの字にひしゃげ、蝶番を破壊してガランゴロンと、石造りの床の上を転がった。

 何事かと、ロザリンの表情に緊張感が差すが、暢気な声にその気配は直ぐに消え去る。


「おおっと。ちょっぴり、力を入れすぎたかな?」


 姿を現したのは、大きく足を蹴り上げた態勢の竜姫だった。

 肩には傷だらけのハイネスを担いでおり、驚くロザリン達を尻目に、堂々と部屋の中へ足を踏み入れる。

 室内をキョロキョロと見回すと、不衛生な環境に眉を顰めた。


「随分と薄汚いところねぇ……ま、地下なんてどこも一緒か、っと」

「――痛っ!?」


 抱えていたハイネスを、乱暴に地面へと投げ捨てる。

 思い切り尻を打ちつけたハイネスは、痛がりながら竜姫を睨むよう見上げた。


「ちょっと! その薄汚い場所に、怪我人を放り投げんなっ! こっちとら、まだ清らかな乙女なのよ!」

「んなモン、わたしは興味ねぇわよ……ああ、いたいた」


 抗議を軽く受け流した竜姫は、すぐに視線で蹲るアルトを捕えると、軽快な足取りで歩み寄る。


「竜、姫?」

「ちょっとそこ、どきなさい魔眼の小娘」


 唖然と前に立つロザリンに、指を振りつつ竜姫はそう言う。

 口調こそ軽いが、向けられる視線には、真剣な光を帯びていた。

 それを感じ取ったからロザリンは、一回コクッと頷いて、道を開けるように横へとずれた。

 すぐ前にまで近づき、竜姫はアルトを見下ろす。


「よぉ、小動物。ご主人様の命令を無視して、なぁに一人で黄昏てんのよ」


 まるで、道で偶然出会った知人に話しかけるように、竜姫は気軽な口調で問いかける。

 けれど、アルトは蹲ったまま、微動だにしない。

 竜姫は軽く目を細め、鼻から息を抜く。


「口も聞けなくなりましたか……ペットからついに、お人形さんになっちゃった?」

「……その方が、よかったんです」

「ん?」


 ようやく発した言葉にも、感情は虚ろで、何の色も宿してはいなかった。


「届かない月に手を伸ばして、一人前の人間になろうと頑張ってみても、私には何も出来なかった……いや、余計に、物事を悪くしただけ。本当に、無様ッ」

「そうねぇ」


 絞り出すような掠れた声に、興味無さげに竜姫は言葉を返す。


「ま、仕方ないわね。アンタ小動物だし、一人前の人間になろうなんて、夢見がちも良いところよ。だからさ……」


 竜姫は背中の竜翔白姫を抜き、アルトの目の前に投げて寄越す。

 音を立てて転がる剣に反応するよう、アルトの肩がピクッと震えた。


「一人前に人間になる前に、とりあえず、一端の男になってみたら?」

「……えっ?」


 そこでようやく、アルトは顔を上げた。

 言葉の意味は理解出来ない。けれど、何か心に届くモノがあったのか、アルトの瞳にはほんの僅かだが、光が戻っていた。

 竜姫は人の良さそうな笑顔など浮かべない。何時だって、不敵に微笑むのみ。

 この時も、竜姫は見上げるアルトに、真っ白い歯をニッと見せていた。


「アンタの人生だ。自分で決めて、自分で動きなさい」

「でも、でもっ! それで何も出来なかったらっ、もっと酷いことになったら、私はどうすれば……!」

「そんなのわたしは知らないわ」


 キッパリと言い放つ。

 言葉に詰まるアルトを睨み付け、自分の胸をトントンと叩く。


「自分で決めろ。責任も自分で取れ……それが男ってモンよ」


 竜翔白姫を足で踏むと、地面を滑らせアルトの目の前に。

 白い剣に視線を落としたアルトは、何かを考えるように俯き、黙り込む。


 重い沈黙が、地下室に流れる。

 長い長い沈黙の果てに、アルトは大きく息を吸い込む。

取り巻く全てを振り払うように、勢いよく剣を手に取って、自分の長い髪を後ろに束ね根本に刃を添えた。


「――ッ!?」


 ブチブチと、嫌な音を立てて、長い髪の毛が切断される。

 剣としては鈍同然の竜翔白姫。

 斬る、というより、引き千切るといった方が正しいだろう。

 切った髪の毛をばら撒くように投げ捨てると、立ち上がったアルトは、鉄格子の方を振り向いた。

 唖然としている少女達。

 アルトは手に持った竜翔白姫と、硬く握り締め構える。


「……竜翔、天を頂き、白姫、人知を導く」


 静かだが、確りとした口調で、ワードを口にする。

 その声色は、ドレスを着た外見とは似つかわしく無い、男らしさを帯びていた。

 言霊に反応し、竜翔白姫は強制的にアルトの魔力を吸い上げる。


「我が御霊を……」

「――小動物ッ! ……十分よ。それ以上は、死ぬわ」


 珍しく慌てた様子の声に、アルトは言葉を途中で止めた。

 真っ白な刀身は淡く発光し、魔力を帯びていた。

 それを、アルトは鉄格子に向けて振るう。

 剣など碌に振るったことが無い所為か、その姿は酷く不格好で、とてもじゃないがまともな剣術とは呼べなかった。


 けれど、振り抜いた白い刃は、アッサリと鉄格子を切り裂く。

 鋼鉄の格子はバラバラと崩れ落ち、少女達が檻の中から出るには、十分な大きさが生まれた。

 魔力の消費に少しだけふら付きながら、アルトは少女達に力強く言う。


「ここから、出るんだ」

「……あなたっ!? 私達の話を聞いてなかったの!?」


 少女の一人が、激昂したように声を荒げる。

 また、同じ議論が始まるのかと思いきや、アルトはクルリと背を向けてしまった。


「聞いてた。聞いた上で、わた……俺はアンタらを助けることにした」

「同情のつもり? 馬鹿にしてッ! 誰が助けてくれって言ったのよ!」

「誰かに言われたからやったんじゃない……俺が、俺自身が、やりたいことをやっただけだ……それ以上でも、以下でも無い」


 自分に言い聞かせるよう、大きく息を吸い込む。


「何も出来ない俺も、一歩だけ前に進めたんだ」


 竜翔白姫を肩に担ぎ、後ろを振り向く。

 少女達に向けた視線には、確かな意思の光が宿っていた。


「俺より強いアンタらなら、まぁ、大丈夫だろう、さ」


 口調は無理やり、竜姫に似せようと努力しているのだろう。

 どこかぎこちなく、そして不自然だった。

 発する言葉は無責任で、とてもじゃないが理解の及ぶモノでは無い。けれど、善意溢れる言葉よりは心に届いたようで、少女達は皮肉めいた言葉を発するのを止め、困ったような視線を交わしていた。


「……この館、バランが、逃げたんだから、無人なんだろ? 適当に金目の物を見繕って、別の町へ行きな」


 それだけ言って、アルトは少し恥ずかしげな表情で、竜姫を見上げた。


「ちょっとは、竜姫様の背中に、手が届いたかな?」

「違う」


 しかし、竜姫は厳しい視線と言葉を返す。

 えっ? と、戸惑うアルトの鼻先を、指でピンと弾く。


「始めて会った時に、名乗ったでしょ? わたしの名前は?」

「は、ハルル、様?」

「様はいらない。そしてもっと、親しみを込めて呼びなさい」

「えっと、じゃあ……ハル?」


 戸惑い気味の言葉。

 竜姫……ハルルは満足げに、鼻の穴を大きく膨らまし、胸を反らした。


「ふん。馴れ馴れしいわね」


 素直じゃない言葉を吐きながらも、その表情はとても嬉しそうだった。

 釣られて、アルトもぎこちなく笑顔を見せる。

 きっとこの顔が、この記憶世界に来てからロザリン達が初めて見る、彼の本当の笑顔だったのだろう。


「ああ、そっか」


 不意に、頭の中で思い出されることがあった。

 直前、心を折られたアルトが、自重気味に呟いた言葉は、初めてロザリンがアルトと喧嘩した時に、発した台詞とそっくりだ。


 いや、ロザリンだけでは無い。

 アカシャやハイネス、今まで出会った人々もまた、似たような悩みに直面した経験が、きっとあるのだろう。

 この世界ではそれがアルトだった。それだけの話だ。


「ここから、始まったんだね。アルちゃん……アルの、生き方が」


 今はまだ、決意しただけで頼りなく、そしてぎこちない。

 これから幾多の喜びと悲しみを経験して、ロザリンの知る野良犬騎士アルトが誕生するのだろう。

 それをロザリンが知るのは、きっとまた別の話。

 穏やかなロザリンの視線に気が付いて、アルトが振り向くと、彼は少しだけ照れ臭そうに視線を伏せた。


「……ふふっ」

「あの~……盛り上がってるところ、恐縮なんですが」


 何となくロザリンが、頭の中で今回の件を纏めていると、ハイネスが力の無い声で片手を上げた。

 座り込んでいるハイネスの表情は、青を通り越して土気色になっていた。


「そ、そろそろ、手当なりなんなりしてくれないと、あたしマジで死ぬっ」


 そう言い残し、ハイネスはパタリと目を回して床へと倒れる。

 一瞬の沈黙の後、慌ててロザリンが駆け寄り、治癒の魔術を施した。




 ★☆★☆★☆




 ハイネスの治療を終え、一行は地下から館の外へと出た。

 ほぼ半壊状態の館に、ロザリン達は驚きと共に原因である竜姫にジト目を向けたが、当の本人は素知らぬ顔で、鼻歌混じりに上機嫌だ。


 一方、あれだけ強気だった少女達は、肩を寄せ合って泣いていた。

 口では諦めたようなことを言っていても、牢から自分の足で踏み出し、こうして外の新鮮な空気と風に触れたことで、安堵と共に生きたいという意思が沸き起こり、涙となって溢れたのだろう。

 瓦礫の中から、適当に換金しやすそうな貴金属を掘り出し、それを少女達に渡す。

 まだ嗚咽に肩を震わせる少女は、アルトから貴金属を受け取ると、頭を下げ「ありが、とう」と、何度も掠れる声で礼を述べた。

 アルトは照れ臭そうに、指で頬を掻いてから、今度はロザリン達の方に身体を向けた。


「お姉さん達も、ありがとう。迷惑ばっかりかけちゃったけど……」

「なぁに、お子様が遠慮なんかしなくていいのよ、アルトたぁん!」


 そう言って、ハイネスはだらしない表情で、頭をポンポンと撫でる。

 竜姫は腕組みをして、呆れたようなため息を一つ。


「アンタ、あの陰気野郎にボコられてただけで、何の役にも立って無いじゃん」

「……うぐっ!? そ、そう言われると、微妙に言い返せない」

「アルは、これからどうするの?」


 ロザリンの問いかけに、アルトは力強い視線を返す。


「はい。ドラン商会の、バランを追い駆けます」

「バランを? どう、して?」

「ケジメです」


 真剣な表情で一言。


「自分で始めたことには、最後までケジメをつけなけりゃって……それに、バランに舐められたまま、終わりたくはありません。奴にはキッチリ、わた……俺を嵌めた落とし前を、つけてやろうと思います」


 男らしいと呼ぶには、まだまだ初々しさが残っているが、瞳に宿る確りとした意思の光を見る限り、今度は早々に心が折れたりはしないだろう。

 アルトは後ろの竜姫を振り返る。


「ハルも、手伝ってくれるよ、な?」

「なぁにそれ? お願い? 命令?」

「どうせ、暇でしょ?」


 その返しに、キョトンとした後、竜姫は笑みを零した。


「そうねぇ。ま、いいんじゃん。そろそろこの埃っぽい町にも、飽きてきたところだし」

「サンキュ……そういうわけで、俺達はこのまま、夜が明ける前に町を出ようと思います」

「そう……そっか」


 ロザリンは嬉しそうに、視線を細めた。

 自分達はどうするか。

 ハイネスが言いかけると、急に視界がグラッと揺れる。


「あ、あれ? 血、流し過ぎた?」


 こめかみを押さえるが、頭痛や脱力感などは無い。

 見ると横のロザリンも同じ症状なのか、戸惑ったように頭を押させている。

 しかし、目の前のアルトはハイネス達の異変に気が付かない様子で、笑顔をことらに向けていた。

 この感覚、もしかしたらと、一つの可能性を思いつく。


「これって、元の世界に戻る前兆?」


 何の前振りも、試練終了の実感も無い二人は、唐突な出来事にただ戸惑うばかり。

 徐々に白んで世界の中で、アルトと竜姫の声だけが、鮮明に聞こえた。


「ありがとう、お姉さん達。一杯迷惑かけて、ごめんなさい。もしも、次にまた会うことがあったら、もっと頼れる人間に慣れるよう頑張るから」

「ま、実際、もう会うことは無い気がするけどね。バイバイ。人間は嫌いだけどアンタらのことは……ああ、別に好きでも無いわね」


 最後まで辛辣な言葉を投げかけ、最後は声も聞こえなくなった。

 世界が白く反転する。

 意識が一端途切れる最後の瞬間まで、二人の脳裏には、幼き日のアルトの姿が、鮮明に焼き付いていた。




 ★☆★☆★☆




 目を開くと、二人は歌劇場の舞台の上に立っていた。

 まるで、長い夢でも見ていたかのような感覚に、二人は暫しぼんやりしていると、上から優しい声色が語りかけてきた。


『如何だったかしら、過去と記憶への旅路は?』


 見上げると、女神マドエルが優しい眼差しで、二人を見下ろしていた。


「あ、ああ……えっと」


 ハイネスは頭を押さえ、ハッキリとしない頭を必死で動かそうとする。

 気分を落ち着かせるよう、数回深呼吸を繰り返したところで、ようやく靄のかかっていた意識が鮮明さを取り戻し始めた。


「そっか。あたしら、帰って来たんだね」


 夢現な気分で、ハイネスは呟く。

 何とも不思議な経験に、まだ実感が沸かないのだ。

 竜牙ラインハットとの戦いで、ズタボロになった身体も、今は掠り傷一つ残ってはいない。一応はロザリンに、魔術で治療して貰ったとはいえ、傷口を塞いだだけで、満身創痍には違いなかったのに。

 ロザリンも目をパチクリさせ、ハッキリとは状況を認識していない様子だ。

 ようやく思考が回るようになったハイネスは、マドエルを見上げた。


「えっと、これはつまり、竜の試練は終わりってことで、いいの?」

『はい。その通りですよ……試練の全工程は、終了いたしました』

「……それって、やっぱ、不合格って、こと?」


 恐る恐る問いかける。

 竜姫にも言われたことだが、結果、ハイネスは特別なことを何一つしていない。

 それどころか、竜牙ラインハットを追い込むも、結局は破れてしまっているので、どう贔屓目に見ても不合格にしか思えない。

 しかし、マドエルはニッコリと微笑む。


『この試練の合否を決めるのは、ハイネス。貴女なのです』

「……は?」


 ハイネスは首を傾げる。


『竜の試練には明確な合否は存在しません。過去の記憶世界に赴き、自らに足りないモノ、欠けているモノを見極め、過去の人物と対話し、己を見つめ直すのが、竜の試練の意義なのです』


 穏やかな口調で、マドエルは語り続ける。


『何故この試練が、再選の為に存在するのか……今の貴女になら、多少なりとも、理解出来るのではないでいしょうか?』

「再選の、意味」


 思い起こすよう、ハイネスは胸の辺りをギュッと握り締める。

 竜牙ラインハット。確かにハイネスとは相容れぬ思想の持ち主ではあったが、自分の持つ矜持には、確固たるプライドを持っていた。わかり難かったが、竜姫もきっと同じなのだろう。

 彼らは竜であるから強いのでは無い。強いから、竜なのだ。

 胸から手を離し、自分の手の平を見た。


「……へっ。まだまだ、あたしも未熟者ってわけか」


 戦う力だけでは無い、心構えもだ。

 今の自分は、まだ歴代の竜達に及ばない。

 悔しくもあり、嬉しくもある。

 何故ならば、手を伸ばすなら、より高みの方が伸ばし甲斐があるからだ。


「マドエル。不合格よ……まだまだあたしは、竜の名には相応しく無いみたい」


 清々しい笑顔で、迷いなく言い切る。

 マドエルも笑顔に答えるよう、穏やかな表情で頷いた。


『そうですか。残念な結果ですが、過去と己に向き合うことで、貴女はより深い愛を知った……それは称号を得るより、もっともっと価値のあることでしょう。愛の女神の名の元に、それだけは断言します……それでは』


 両手を上から舞台を覆うように広げ、マドエルは歌うように宣言する。

 気が付けば、楽団の人形達も、ハイネスの結果に賛美を送るように、賑々しく警戒な音楽を奏でていた。


『ハイネス・イシュタールの不合格を持って、竜の試練はこれにて終了とする』


 その一言に、ハイネスはちょっぴり残念そうな、安堵の息を吐いた。


「残念、だったね」

「ま、少しだけね……でも、いいのさ。竜の称号があろうと無かろうと、これからやることには、何一つ違いは無いんだから」


 堂々と胸を張って、ハイネスは横のロザリンに視線を送る。

 二人は顔を見合わせて、微笑み合った。

 と、そこで、一つ思い出したことがある。


 二人がそれぞれ片手を置いている先には、もう一人、記憶世界で以外な過去を晒した人物が存在するのだが、戻って来てから一向に口を開かないどころか、存在も忘れてしまうほど、微動だにしていなかった。

 目の前には、大人の姿をしたアルトが、座を下している。

 恰好は包帯塗れの寝間着姿。女物のドレスなど、身に着けている筈も無い。


「アル?」

「…………」


 問いかけにアルトは、ピクリとも反応を見せない。

 嫌な予感がしつつ、二人は問いかけるような視線を、ニコニコと笑顔を浮かべ続けているマドエルに向けた。


「あの、記憶世界の出来事って彼は……?」

『勿論、覚えていますよ。今回の記憶世界の構成には、彼の記憶が大きな鍵となっていましたから。貴女方からは確認できませんでしたが、私と共にお二人をちゃんと見守っていました……少々、取り乱し気味でしたが』


 予感が的中して、二人は恐る恐る視線をアルトに戻した。

 今の話を聞いてか、身体が小刻みに震えている。


「……ろせよ」

「へっ?」

「――いっそ殺せよ! いや、殺して下さいお願いしますッ!?」


 やけっぱちに叫んで、アルトは頭を抱えながら、床をゴロゴロと転がった。

 あの女装は、本人にとっても、恥ずかしい黒歴史だったのだろう。


「マジかよどんな精神的拷問だこれッ!? 若気の至りなんてレベルじゃねーぞ! 純情素直な女装姿のアルト君だなんて、ワイルドナイスガイな今の俺の完全なイメージダウンじゃねぇかッ! しかもそれを他人に見られるなんて、恥ずかしすぎて口から内臓を吐き出しそうだぁッ!」

「大丈夫っ、可愛かった、よ!」

「――うわぁぁぁん! 死にたい! 誰でもいいから、俺を殺してくれぇぇぇッ!」


 無駄なロザリンの慰めがトドメとなり、大人の男が本気で泣きだしてしまった。

 ハイネスはオロオロとしつつも、可愛い過去のアルトを見られて、すげぇラッキーとか思っている。

 そんな三人の様子を見下ろして、女神マドエルは満足げに頷いた。


『では、試練も終了したことですし、元の場所へと皆を戻しましょう……皆の胸に秘めた愛、とても素晴らしモノでした。願わくば、何時いかなる時と場所でも、その愛を見失わぬように』


 勝手にまとめて、騒ぐ三人に構わず、マドエルは祈るように両手を組んだ。

 すると、再び世界は白く反転する。

 今度は意識が真っ白になって、持って行かれるような感覚は無かったが、次の瞬間には歌劇場は影も形も無くなっていて、元の一面ピンク色に染まったら、ヴィクトリアの学長室に戻っていた。

 唐突な周囲の変化に、騒いでいたアルトも、声を潜めた。

 座してマドエルを顕現させていたヴィクトリアが、ホッと息を付いて、閉じていた瞳を開く。


「……ふぅ。お疲れ様」


 額に汗を浮かべ、ヴィクトリアは疲れた表情で微笑んだ。

 何度経験しても、不思議な現象だと、三人は顔を見合わせた。

 アルトはまだ若干、不機嫌な表情を晒していたが、これでガーデンを訪れた目的は全て果たしたことになる。

 特にハイネスは、大きく安堵の息を漏らした。


「とりあえず、これで一段落ついたってわけね」

「……俺は大火傷だけどな」


 拗ねるような呟きに、ロザリンとハイネスは顔を見合わせ、苦笑い。

 あまり突っつくと、本気で怒り出しそうなので、記憶世界での出来事は、二人の心の中に閉まって置くといいう結論に、無言のまま同意した。


「……んん?」


 記憶世界の出来事を知らないらしいヴィクトリアだけは、場の奇妙な雰囲気に、後に指を添えて不思議そうに首を傾げた。

 と、ちょうどその時、学長室のドアがノックされる。

 まるで皆が戻って来たのを、見越していたかのような、タイミングの良さだ。


「どうぞ」

「――失礼します」


 ヴィクトリアの許可と共に、聞こえて来たのは、クルルギの声だ。

 ドアを開け、一礼と共に入室してきたクルルギの姿に、アルト達はギョッと息を飲んで驚く。


「このような恰好で失礼。何分、着替える暇も惜しいモノでな」


 恰好は何時ものメイド服。

 だが、全身が血のような真っ赤な液体で、汚れていた。

 驚いたヴィクトリアは、口元を手で覆って、小さな身体をぴょんと跳ね上げた。


「た、大変! 早く手当しなくっちゃ……」

「ご心配無く。これは全て返り血です……我自身には、掠り傷一つありませんので……それより」


 クルルギは視線をアルト達に向ける。


「貴様ら。早々に王都へと戻れ……不味いことになっているぞ」

「……どういう意味だ?」


 その言葉に、アルトの視線に真剣さが帯びた。


「ラス共和国が、エンフィール王国に特命の大使を派遣し。目的は……」


 嫌な予感に、肌が粟立つ。


「アカシャ・ツァーリ・エクシュリオールの引き渡し要求の為」

「――ッ!? 何ですって!」


 思わず、ハイネスは大声で叫んだ。

 試練が終了し、安堵の息を吐いたのもつかの間。

 どうやらアルト達には、休憩をしている暇など、無さそうだ。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ