第110話 竜姫烈史
鍔も柄も無い、握る部分に布だけが巻かれた、刀身まで真っ白の剣、竜翔白姫を肩に担いだ竜姫は、その端正な顔立ちを不機嫌さに歪め、タンタンと刃で肩を叩きながら、その場にいる全員をグルリと見渡した。
神の領域と言われる強さを誇る竜姫。
その立ち姿は、まだ少女と呼んでも差支えない風貌であろう。
年齢はロザリンより一つ、二つ上、と言った程度だ。
だが、対峙して見ればわかる。
彼女が可憐さとは無縁で、少女と呼べるような、生易しい存在では無いことが。
存在するだけで人に畏怖を撒き散らす、まさに竜の如き存在感。
竜姫ほど、竜の称号を体現した者は、歴史上存在しないだろう。
その迫力に、誰もが言葉を失っていた。
「……竜姫。まさか、この町に来ていたとはな」
警戒心を剥き出しにして、最初に口を開いたのは、抜き身を左手に持つラインハットだ。
表情を僅かに険しくしながら、ラインハットは竜姫を睨む。
「そこの少年は、無謀にも竜牙である俺の矜持に噛み付いて来た。ただの無知な子供ならば捨て置こうが、貴様の関係者となれば話は別……この落とし前、どう付けるつもりだ?」
挑戦的な色の宿る言葉に、周囲の空気は一気に冷え込む。
肌を焼く日差しの下にいながら、空気を満たす殺気に、ロザリンとハイネスの肌は粟立つ。
竜姫は軽く横目を向けて一言。
「知らん」
それだけを発した。
呆気に取られた後、ギリッとラインハットが、奥歯を噛み締める音が響く。
「知らん、だと? 貴様、竜ならばその生き様こそを何よりも尊ぶモノ。それを貴様の関係者が噛み付き、あまつさえ知らぬとはどういう了見だ」
「だから、知らん。興味も無い。つーか、アンタ誰?」
ジト目を向ける竜姫に、ラインハットは大きく目を見開いて、怒りを堪えるように奥歯を更に強く噛み締める。
「……俺は」
「あ~あ~、いい」
名乗ろうと口を開いたところを、竜姫は手を突き出して制す。
「言ったでしょ。興味無いって。他人の名前を覚えるなんて、金積まれてもやーよ」
「……ふん。噂通りの女だな、貴様は。忌々しいッ」
「あん?」
吐き捨てる言葉に反応して、竜姫はジロリと視線を険しくする。
視線を受けてラインハットが挑発するように、フッと不敵な笑みを零すのを見て、竜姫はゆっくりと肩から剣を離し、無造作に振り下ろした。
瞬間、僅かに刃に乗せられた魔力が斬撃となり、ラインハットの真横を駆け抜ける。
斬撃は館の壁にぶつかり亀裂を入れると、衝撃で近くのガラス窓が砕け散った。
何事かと通りに響く悲鳴を聞きながら、竜姫は頬を吊り上げて笑う。
「喧嘩売るなら相手見て売りなさい。まぁ、この町が更地になってもいいってんなら、相手になってやるけど……ってか、アンタ本当に誰よ?」
訝しげな視線に、ラインハットは舌打ちを鳴らすと、抜いたままの長剣を鞘に納めた。
そして、唖然とするハイネス達を見る。
「貴様らは俺を悪だと言ったな。だが、覚えておけ。もっとも厄介な存在は、そこの女のように、秩序や混沌すら破壊し尽くす存在だ」
ラインハットはクルリと背を向ける。
「今日のところは不問にしておいてやる。けれど、間違うな。この町の、いや、俺の敷くルールを犯すようならば竜姫。貴様とて容赦はしない」
殺気を込めてそれだけ言い残すと、ラインハットは館の中へと戻って行った。
立ち込めていた緊張感が消え、ロザリンとハイネスは同時に安堵の息を漏らす。
竜姫は扉が閉まるのを見送ると、ポイッと剣を上に放り投げ、身体を横に傾けて、落ちてくる刃を器用に背中の鞘へと納めた。
「捻りの無い逃げ口上ねぇ……ってか、本当に誰だったのよ。あの根暗っぽい男は」
「……あの」
「ん?」
外套を引っ張る感覚に視線を落とすと、すぐ側に申し訳なさそうな表情で、アルトが竜姫を見上げていた。
「竜姫様。助けて頂いて、ありがとうございます」
「……チッ」
不機嫌そうに顔を顰めると、竜姫は乱暴に肩を押しのけ、アルトを転ばせた。
尻餅をついたアルトの腹部を、右足で踏みつけ身動きを取れなくすると、冷たい視線で表情を歪める彼を見下ろした。
「……アンタさぁ。何を勝手なマネして、わたしに迷惑かけてんのよ」
「ごめんなさい。でも、攫われた子供達を、放って置けなくって……」
「はぁ? わたしは放って置けって言ったわよね。一人で自分の身も守ることが出来ない馬鹿が、口だけは一人前に動くじゃない。ええっ?」
嚇し付けるような声に、アルトはビクッと身体を震わせた。
ペコペコと、気弱な態度で、アルトは頭を何度も下げる。
あまりにも理不尽な態度に、ハイネスは咄嗟に行動を起こすことが出来なかった。
頭の中に過るのは、何故という疑問符ばかり。
ハイネスとて、二人の全てを知っているわけでは無い。むしろ、知らないことの方が多いだろう。けれど、ハイネスのほんの僅かに残る、竜姫とアルトの記憶は、このような一方的な上下関係では無かった筈だ。
その所為で、攻め立てる竜姫を制止することが、一瞬遅れてしまった。
「――待って!」
先に声を張り上げたのは、ロザリンだった。
ロザリンの声に反応した竜姫は、視線だけを向ける。
「その子に、乱暴、しないで」
力強い口調で、ロザリンは赤い瞳を竜姫に向ける。
暫し横目でロザリンを睨んだ竜姫は、「へぇ」と、少しだけ驚いたような声を上げた。
「珍しいわね。その赤い目。アンタ、魔眼使いね?」
「そんなことより、その足を、どけて」
「嫌よ」
竜姫はキッパリと拒否した。
その言葉に、ロザリンは本気の怒りを表すよう、両眉を吊り上げた。
怒りに反応して、瞳が赤い魔眼の輝きを放つ。
「――どかしなさいッ!」
「――なにっ!?」
魔眼の魔力を網膜から受けた竜姫は、言葉に反応するよう、アルトを踏んでいた足を持ち上げてしまう。
思わぬ反撃に、竜姫の表情が怒りに染まる。
「この餓鬼ッ!」
「――ッ!?」
竜姫が背中の竜翔白姫に手をかける。
魔力を斬撃として飛ばす竜翔白姫に、間合いは関係無い。
不味いと思った瞬間には、剣は既に解き放たれ、ロザリンに向って振り下ろされていた。
「――止めて下さいッ!」
アルトが叫ぶ。
が、既に遅く、刃から放たれた魔力は斬撃となり、ロザリンを襲う。
あわやと思われた時、咄嗟に人影がロザリンの前に立つ。
寸でのところを、割り込んだハイネスが双剣を十字に構え、引き裂くようにして、何とか斬撃を相殺した。
「……ふぅ。危ない危ない」
思ったより軽い魔力しか込められておらず、斬撃はアッサリと霧散出来た。
冷や汗混じりに、ハイネスは安堵の息を漏らしつつ、竜姫を睨み付けた。
「有名な竜姫さんとあろうお人が、ちょっと乱暴すぎるんじゃないの?」
「乱暴? 馬鹿言わないでよ。わたしが本気でキレてたら、この町はとっくに地図から存在が消えてるわ」
他愛も無く言って、竜姫は剣を鞘に納めた。
どうやら、今の一撃で満足したらしく、続いて戦うつもりは無いらしい。
そのことに胸を撫で下ろし、ハイネスも双剣を納めた。
しかし、ハイネスとロザリンの、竜姫に向ける鋭い視線は変わらない。
「アルトたんが無茶したのは悪いとしても、そこまで乱暴な真似をする必要は無いんじゃない? その子は、アンタのペットとかじゃないんだから」
「……ペットとかじゃない? ハッ!」
ハイネスの言葉を、竜姫は鼻で笑った後、まだ座り込んでいるアルトに視線を落とした。
「おい小動物。コイツらに説明してあげなさい。アンタが、わたしの何なのか」
「は、はい……」
頷くと、アルトは態勢を直し地面に膝を突くと、ハイネス達を見上げる。
「私は竜姫様のペット、竜姫様の所有物です」
「――なっ!?」
「そういうこと」
絶句する二人を満足そうに眺めると、竜姫は外套の内側を手で弄る。
中から細い鎖を取り出すと、茫然としている二人を尻目に、金具をアルトの首輪に取りつけた。
首輪と鎖に繋がれた姿はまさに、ペットとご主人様だ。
竜姫は愉悦の表情を浮かべると、再びハイネス達の方を見た。
「わかったかしら。この小動物と私は主従関係なの。わたしは人間が嫌い。だから、側に置いておくコイツは、人じゃなくてペットなの……悪さをするペットを躾けるのが、ご主人様の役目でしょ?」
「……それ、本気で言ってんの?」
ハイネスの声色が、一段低くなる。
横のロザリンも、視線を鋭くする。
先ほどのラインハットと名乗る竜も理解し難い人間だったが、目の前の竜姫はそれに輪をかけて最悪だ。
相手がアルトだからとかじゃない。
年端もいかない子供を女装させ、ペット扱いし、首輪と鎖をつけて町中を引き連れて歩くなんて、正気の沙汰じゃない。
「……最低」
侮蔑の言葉が、ロザリンの口を突く。
死して尚、アルトの心を縛る女性がこんな人物だったなんて、ロザリンは心底失望していた。
しかし、竜姫は一切、恥じる様子は見せない。
むしろ堂々とした態度で、手にした鎖をジャラリと鳴らす。
「最低で結構。わたしはとっくの昔に、まともな人間性なんて捨ててるの。混沌を喰らい、秩序を破壊し尽くす。それがわたしの、竜といての矜持よ」
「――あっ!」
手に持った鎖を引っ張り、無理やり立たせたアルトを、その胸に抱く。
「コイツはペット、コイツは所有物。だから、わたしが何をしても自由なの。可愛がろうが、苛め抜こうが……飽きてぶっ殺そうが」
「――ッッッ!?」
挑発する言葉に怒りが頂点に達し、ロザリンの瞳が再び赤く染まる。
魔眼が発動しかけたその時、両手を広げたアルトが「待って下さいっ!」と、大声で叫んだ。
「違うんです! 誤解なんです! 竜姫様は、本当はとってもいい方なんです!」
必死の形相で叫ぶアルトの言葉に、怒りが僅かに緩み、魔眼の光が消える。
背後からは「なっ!?」と、竜姫が絶句する気配が。
アルトは構わず、言葉を続けた。
「口が悪くて、態度も悪くて、素行も最悪ですが、不器用なだけで、本当は心優しお方なのです!」
「おいこら小動物! 急に何を言い始めるのよっ!」
先ほどまでの凶悪な雰囲気は何処へやら、竜姫はぷんすかと怒りながら、肩を掴んでアルトの身体を揺らす。
しかし、アルトは黙らない。
「旅の途中、身体の小さな私に気づかって、何度も小まめに休憩を挟んでくれますし、食事の時も不味いからいらないと言って、ワザと私に大き目のパンをくれたりもします」
「――なっちょっふわっ!?」
必死で良いところを語るアルトの背後で、本人が面白い悲鳴を上げている。
「無知な私にお勉強を教えて下さるし、夜中寒い時は、一緒に寝て暖を取ってくれたりもします。何とか恩返ししようと、色々お手伝いしようとするのですが、失敗ばかりで……怒られることは多いですけど、私が怪我するような暴力は、今まで一度もありません」
「ば、ば~かば~か! 次、何か変なこと言ったら、首を斬り落としてやるんだから!」
「だから、竜姫様はとても良い方なのです! そのことを、お二人には誤解して貰いたくは無いんです!」
熱弁するアルトの後ろで、ちょっとだけ竜姫は泣きそうな顔になっていた。
その頃にはすっかり、二人の怒りは冷め、違う困惑が浮かび上がる。
ハイネスは数少ない記憶を想い起こし、ああと頷いた。
「そういえば、竜姫って、面倒臭い性格だったっけ」
「……つんでれ?」
「ああっ! もういいから黙れ小動物!」
鎖を引っ張り引き寄せたアルトの口を手で塞ぐと、竜姫は真っ赤になった顔で、シラッとした視線を向ける二人を睨んだ。
物言いたげな視線に、ハイネスはにへらと笑う。
「なるほど。かの有名な竜姫様は、年下女装少年好きと」
「黙れ前髪ぱっつんデカ乳女!」
叫ぶと、竜姫はビシッと人差し指を突きつけた。
突きつけた指を上に向け、招くように関節を曲げる。
「他人にどう思われようが構わないけど、この小動物に対して不埒な感情を持ってると思われるのは、不愉快極まり無いわね……ちょっと、アンタら付き合いなさい」
唐突な言葉に、二人は顔を見合わせる。
竜姫は不敵に笑うと、返答を待たずに背を向け、鎖を引きながらスタスタと通りを歩いて行ってしまった。
チラチラと振り返り、アルトは心配げな視線を二人に送る。
「……どうするの?」
「どうするって……まぁ、行ってみるしか無いでしょうね」
ロザリンの問いかけに、戸惑いながらもハイネスはそう言う。
女神マドエルの試練が、どんなモノか検討はつかない。
けれど、この場でアルトと出会い、竜姫と出会ったことは決して無意味では無い筈。
そう結論付けて頷き合った二人は、周囲の驚きと困惑の視線を一身に集める、竜姫とアルトの後を追い駆けた。
★☆★☆★☆
竜姫に連れてこられた先は、町の小さな食堂だった。
店の真ん中に陣取ったテーブルの上には、様々な料理が大量に並んでいる。
日差しの強い乾燥地帯の為か、並んだ料理には香辛料がふんだんに使われたメニューが多く、スパイシーな香りが食欲をそそる。
食いしん坊のロザリンが、この光景と香りに心ときめかないわけが無く、並んだ料理をキラキラと輝く瞳で眺め、口からは涎がダラダラと流れる。おまけに刺激された胃袋が、グーグーと騒がしい音を立てていた。
店の中には店員以外、他の客は誰もいない。
来店した際、店長を呼びつけた竜姫が、大量の金貨を床にばらまき、
「わたしが食い終わるまで、ここを貸し切りにしなさい」
有無を言わせず、また食べている途中だった客を追い出し、強制的に貸し切りにしてしまったのだ。
テーブルに座るのは竜姫、ハイネス、ロザリンの三人。
アルトは一人で勝手をした罰として、店の隅でテーブルの上に正座させられている。
食事も抜きのようで可哀想にも思えるが、後で竜姫が何だかんだと理由をつけて、食事を食べさせてやるのを想像すると、ちょっとだけ微笑ましく思えた。
「つか、悪いわね、奢って貰っちゃって」
「別に。金に執着するような、安っぽい人間は嫌いなの。それに、着の身着のままの旅暮らし。大量の金なんて嵩張るだけで、正直邪魔なのよ」
コップに注がれた水を一気に飲み干し、竜姫は事も無げに言う。
竜の称号の持ち主というだけで、大金を払っても力を借りたいと思う者は、後を絶たないだろう。その上、最強の呼び声高い竜姫だ。一国の王様から、使いきれぬ額の報酬で雇われることもあるだろう。
「竜姫も、ちゃんと、働いたり、するんだね」
「まぁね。竜ってだけで金くれるほど、世の中甘くは出来ちゃあいないわよ。最低限、人の為に働かなきゃ、明日食うパンも買えないんだから、面倒なことこの上ないわ」
テーブルに頬杖を突き、竜姫は深々と息を吐く。
最低限の働きで、店を一つ貸し切りに出来るほど稼げるのだから、その実力は本物なのだろう。
竜姫は骨付き肉を一つ手掴みで取ると、豪快に齧り付く。
もぐもぐと咀嚼しながら、ロザリン達にも視線で「食べれば?」と促す。
すると、待ってましたとばかりに、ロザリンは手を合わせ「ただきます」と呟き、ナイフとフォークを両手に持って、まずは目の前の料理に襲い掛かる。
落ち着いた手つきで、瞬く間に皿を空にする姿を横目に、ハイネスは苦笑した。
自分もフライドポテトなどを摘みながら、話を続ける。
「んで?」
「あん?」
手に付いた油を舐め取り、竜姫は眉根を顰める。
「竜姫様が年下女装男子好きだって話」
「違うわよッ!」
ドン。と、テーブルを拳で叩いた。
ニヤニヤと笑うハイネスに、竜姫はふんと鼻を鳴らすと、食事する手を止めずに不機嫌な口調で語り出す。
「別に難しい話でも何でも無いわ。あの小動物は、わたしと会った頃からずっと、あの恰好をしていたのよ」
「あの恰好、って、女装?」
ロザリンの問いかけに、竜姫は頷いた。
確かにアルトの来ているドレスは、汚れが目立ち、所々に補修した後があった。
竜姫は、ナイフを手で弄びながら、遠い目をする。
「小動物はね、エンフィール王国の片田舎にある、地方貴族の養子なの」
二人は表情には出さず、内心で驚いた。
養子とはいえ、アルトが貴族の子息だったなんて、二人は想像もしたことが無かった。
「詳しくは本人も覚えて無いみたいだけど、元々は口減らしか何かの捨て子らしくて、孤児院で育ったのを、貴族の爺に拾われたの……この貴族が、まぁ、碌でも無い狒々爺でね」
竜姫は憎々しく表情を歪める。
「家には小動物の他にも、養子として引き取られた、孤児の子供達が大勢いた。表向きは慈悲深い貴族様だったんだけど、養子にした子供達を女衒や人買いに、売り飛ばしていたのよ」
「……そいつぁ、胸糞悪い話ね」
自然と、ハイネスの表情が不機嫌になる。
「基本的に子供達は外には出さないから、村の大人達は気が付かない。例え気が付いても、狒々爺が適当な事実をでっち上げて、馬鹿な村人は疑いもせず信じ込んでしまう……そんな善意と悪意が捻じ曲がった閉鎖的な村で、小動物は育ったのよ」
「それで、なんで、女装?」
ロザリンの問いかけに、竜姫の表情に不機嫌さが増す。
余程、思い出したくも無いことなのだろう。
「……一言でいえば、狒々爺の趣味よ。数いる養子の中でも、小動物は特別お気に入りだったらしく、着せ替え人形の真似事をさせられてたらしい」
その言葉に、ロザリンとハイネスの表情にも怒気が満ちる。
「ま、でも、小動物を好いてたのは、狒々爺だけじゃ無く、回りの養女連中も同じみたいでね。彼女達が確りと守ってたから、妙なマネはされなかったみたいだけど」
肩を竦める竜姫の言葉に、二人はホッと胸を撫で下ろした。
でも……と、竜姫は少しだけ、悲しげな表情をする。
「最悪な糞野郎だった狒々爺でも、小動物にとっては優しい義父だった。手酷く裏切られた今でも、その優しさに縋っているから、小動物はあの恰好を続けているのよ。自分の欲を満たすだけに渡された、誕生日プレゼントをね」
悲しげな視線の先には、テーブルの上にしょんぼりと正座するアルトの姿が。
そこで、竜姫は語るのを止めた。
詳しく語ってはくれなかったが、二人の出会いには深い悲しみが存在するのだろう。
人の善意を盲目的に信じるアルトの姿を見れば、彼がどれほど、義理の姉妹達に愛されて育ったのかわかるだろう。
攫われた子供達を助けたいと思っているのは、昔の自分と、重ねているのかもしれない。
「でも、だったらさ」
立ち上がったハイネスが、テーブルを挟んだ向こう側にいる竜姫に言う。
「アンタがもっとさ、ちゃんとしてやったらいいじゃんか。まともな服を着せたり、長い髪を切ったり……何もしないで、首輪まで繋げてペット扱いなんて、可哀想過ぎるじゃないか。何とか商会に攫われた、子供達のことだって……」
自分でも、らしくない言葉を言っていると思う。
けれど、ハイネスが知り、憧れた二人の関係とは違う今の状況を見て、黙っていることなんて、どうしても出来なかった。
懇願するようなハイネスに言葉に、目を見開いた竜姫は、ハッと馬鹿にするように笑い、肩を竦めた。
「冗談はよしてよ。なんでわたしが? 小動物とわたしは、なりゆきで旅してるだけの主従関係よ。わたしがアイツをこき使っても、アイツの為にわたしが何かしてやることなんて、欠片も無いわ」
「で、でも、口では色々と言ってても、実際は違うんでしょ?」
先ほどの光景を思い出してのハイネスの発言に、竜姫の表情に不機嫌さが満ちる。
照れ隠しなどでは無く、本気の怒気が伝わってくる。
「――ッ!?」
鋭い殺気を感じ、反射的に顔を横に傾けると、ハイネスの頬を掠めて飛んで来たナイフが、背後の壁へと突き刺さる。
投擲したのは、勿論、目の前の竜姫だ。
竜姫は冷たい視線と言葉で、ハイネスを射抜く。
「……何を勘違いしてるか知らないけど、わたしはこういう人間なの。世界を救う方か滅ぼす方かで言えば、確実に滅ぼす方に分類されるわ」
ドスの利いた声色から発せられる圧に、ハイネスとロザリンは気圧され、口を挟む余裕すら無い。
「小動物は所詮はペット。愛玩用の動物なんだから、可愛がるのは当然でしょ?」
「嘘だ!」
「嘘じゃないわ。わたしは人間が嫌い。上にも、下にも必要無いの。小動物は人間じゃなく、ペットだから側に置いているだけ」
ギロッと、竜姫はハイネスを真正面から睨み付ける。
「あの小動物が心優しいとか勘違いしてるんなら、教えてやるわ。アイツは人の優しさに縋ってるだけよ。義父に裏切られ、姉妹を助けられなかった憐れな事実を、人の善意で覆い隠そうとしているの」
立ち上がり、竜姫は歯を食い縛るハイネスに、顔を近づけた。
「アイツには矜持が無い、魂が無い。与えられる餌に尻尾を振るしかない愛玩動物。着せられた服を、自分で脱ぐことも出来ない、ただのお人形さんなの」
「――貴様ッ!?」
怒りにハイネスの頭が沸騰しかけた瞬間、盛大に皿が割れる音が鳴り響く。
皿の音に冷静さを取り戻したハイネスが、視線を横に向けると、料理のソースで口の回りを汚したロザリンが、手に持ったフォークで皿を砕き、テーブルに突き刺した状態で、静かな怒りの漲る眼光を竜姫に向けていた。
ロザリンの視線を受けて、竜姫は不愉快そうに目を細める。
「なによ。文句でもあるってぇの?」
「アルちゃ……アルは、そんなモノに負けない」
「――ッ!?」
力強い一言に竜姫は表情を怒りに染めると、まだ大量に料理の残るテーブルを、力任せにひっくり返した。
激しい破壊音が響き、恐々と様子を見ていた店員が悲鳴を上げる。
激昂して立ち上がる竜姫と、動じず椅子に座ったまま見上げるロザリンの視線が交差した。
「――や、止めて下さい竜姫様!」
「黙れ小動物」
慌てて立ち上がろうとするアルトを、怒気の籠る声で振り向かず制止する。
黙って睨み付ける竜姫。
視線で人を射殺せるのでは無いかと思うほど、鋭い殺気を込めた眼光を、負け時とロザリンとハイネスは睨み返す。
暫し睨み合いが続き、竜姫は舌打ちを鳴らすと、クルリと二人に背を向けた。
「宿に戻るわよ小動物」
「は、はい……」
そう言って、戸惑い視線を巡らせるアルトに繋がれた鎖を引っ張り、竜姫は入口へと向かって行く。
外へ出る直前、竜姫は視線を二人に向けた。
「……わたしだってね、このままで良いなんて、思っちゃいないわよ」
聞こえるか聞こえないか、ギリギリの声色で言い残し、竜姫は店を出て行った。
直前、アルトは二人にペコリと頭を下げ、鎖に引っ張られ後に続く。
残った二人は竜姫が出て行った後も、入口を睨み続け、暫くして大きく息を吐きだし、ヘナヘナと脱力した。
「……怖かった」
ロザリンがポツリと、本音を呟く。
流石は最強の竜姫。正直、睨まれただけで、気絶しそうなほど、迫力満点だった。
百戦錬磨のハイネスのそれは同感のようで、知らずにビッシリとかいていた、額の汗を袖で拭う。
「今のあたしより年下であの迫力って、どうなのよ……それに、試練って一体、何すればいいわけぇ?」
「……竜姫を、倒す?」
何気ない一言に、ハイネスの呼吸が止まる。
「それはぁ……難易度高過ぎでしょ」
青い顔で呟く。
無理とは言わない辺り、剣士としてのプライドがあるのだろう。
何はともあれ、開始数時間で早々に荒れ模様を見せる試練。
暗雲立ち込める前途多難な様相に、二人は揃って重苦しいため息を吐き出した。




