第103話 風紀の護り手
一触即発の雰囲気に、広場は騒然となる。
止めに入った自分の言葉を無視されたクルルギは、ヒクッと片眉を動かすと、真横に差し出した手の平を上に向け、指を一本ずつ折り曲げながら関節をバキバキ鳴らし、拳を硬く握り締めた。
背筋が凍えるほど、落ち着いた口調で言葉を紡ぐ。
「……ニィナ。優しい我は今一度問おう。貴公は、何の権限があって、我のメイド的ご奉仕の邪魔をする」
「ふん。笑わせないで、クルルギ」
視線はアルトに向けたまま、ニィナは鼻を鳴らす。
その仕草に、クルルギはビキッと額に青筋を一つ浮かべた。
「何の権限だと? 当然、序列三位として、この庭園の風紀を預かる身として、私はそこの男の侵入を、許すわけにはいかない」
「ニィナぁぁぁ……はて? 我の耳が遠くなったのかな? 今、我は、我のみならず、女神マドエル様とお嬢様のお言葉を、蔑ろにする戯言を聞いた気がするのだが……まさかとは思うが、聞き違いであろうか?」
過剰な言葉の抑揚と共に、ビリビリと殺気を撒き散らす。
溢れ出す殺気に呼応するよう、陽気な筈の薫風は途端に慌ただしくざわめきだした。
両手を腰の後ろに回し仁王立ちするクルルギが、その存在感を増大させると、足元からフワリと浮き上がるよう、風が音を立てて舞う。これは比喩的な表現では無く、濃度の濃い風が、意思でも持つかのよう、クルルギを中心に渦巻き始めた。
藍色の髪とスカートをはためかせ、風を纏ったクルルギは真っ直ぐにニィナを睨む。
螺旋を描く風は波状に広がり、突風に煽られた周囲の少女達から小さな悲鳴が漏れた。
肌を打つ風を通して、明確なクルルギの怒気が伝わってくる。
けれど、相対するニィナは、微動だにせず涼しげな表情で、殺気を受け流していた。
「聞き違いでは無いわクルルギ。悪いけれど、これはガーデンの総意よ。皆、この地に男が足を踏み入れることを、快く思っていない」
「そんなこと知るか。我はマドエル様とお嬢様がご健勝なら満足だからな。その他の有象無象の機嫌なぞに興味は無い」
堂々と言い切り、今度はニィナの額に青筋が浮かんだ。
「くぅぅぅッ! 貴女がそんなだから、ガーデンの風紀が乱れるのよ! そもそも、その恰好は何なの?」
クールな印象から一転。癇癪を起した駄々っ子のように、地団駄を踏むと、感情的に喚き散らす。
それに対してクルルギは、当然の如くドヤ顔で答えた。
「馬鹿め、メイド服だ」
「知ってるわよそれくらいッ! 何でメイド服なんか着用してるのかってこと! 貴女は序列一位で尚且つ、竜の称号の所持者なのよ? 然るべき礼装で身を包むべき筈なのに、そんな恰好……恥を知りなさいッ!」
「貴様は何も理解しておらんな」
尚も怒鳴り散らすニィナの姿に、クルルギは呆れ果てた様子で首を左右に振った後、小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
そして存在感をより誇張するよう、謎のポージングを取る。
「いいか良く聞け……武の極地はメイド。メイドとは天地開闢から現代に至るまでに存在する、数多の職業の頂点に立つ最高職、否、最強職である。つまり、ガーデン最強である我はメイドであり、メイドは我であるべきなのだ」
「……何度聞いても、全然理解出来ないわよ、その答え」
「ふん。思考に柔軟性を欠いた俗物めが」
額に指を添えて顔を顰める姿に、クルルギは不機嫌に舌打ちを鳴らした。
怒りも呆れも通り越して、再び怒りを燃え上がらせるニィナは、逆切れ気味のクルルギを睨み付ける。
一方のアルト達は、完全に置いてけぼり。
二人を置いて、さっさと先に進んでしまおうかとも思ったが、クルルギと会話している最中も、ニィナはずっとアルトを睨み付けているので、動くことも出来ない。周囲の女子達も概ね、ニィナの意見に賛成らしく、四方から視線が突き刺さる。
ため息を吐き出した後、ロザリンはジト目でアルトを見上げた。
「凄い、迷惑」
「……俺の所為じゃねぇだろうが」
アルトは疲れた口調で、大きく肩を落としてから、テイタニアの方を見る。
「おい。お前んとこの奴だろ。何とかしてくれよ」
「無茶言わんとってぇな。クルルギとニィナやで? 止めに入ったら、うちの方が消し炭になってまうわ」
「お前、俺以外の奴に負けたことなかったんじゃねぇのかよ」
以前、言ったことを、覚えていてくれたことに喜びながらも、テイタニアはバツが悪そうに後頭部を掻いた。
「いや、クルルギ達とは、戦ったこと無いし……うち、強い奴と戦うんは好きやねんけど、あの二人、特にクルルギと戦うんは勘弁や。あん子らの戦い方は、戦闘やのうて破壊活動やねんもん」
「……どんな怪獣よ、あの二人」
呟いた呆れ顔のハイネスが視線を向けると、当の本人達はまだ言い合いを続けていた。
「とにかく! 序列三位として、ガーデンの総意の元、男の立ち入りを許すわけにはいきません。即刻、退去を命じます」
「くどい。我はマドエル様直々に、彼奴らを客人として迎え入れ。ご奉仕せよと指示を受けている。貴様らの意見が百万人あったところで足りるか」
「なんて身勝手なのかしら!? ほんとに、ほんとにもうっ!」
信じられないと、ニィナは瞳を大きく見開き、苛立ちをぶつけるよう片足を大きく踏み込む。
気が付けば視線はアルトから外れているが、二人はちょうど広場の真ん中で相対しているので、先に進むにはどうしても割って入る必要がある。けれど、この剣幕の中を素通りするのは、少しばかり勇気が必要だった。
「そもそも! 話を聞けば、女神の試練を受けるのは、そこの女一人」
ビシッと、ニィナは唐突にハイネスの顔を指差した。
流れるように周囲の視線も一斉に注がれ、ハイネスは「余計なこと言ってんじゃないわよ」と、恥ずかしそうに頬を赤らめて舌打ちを鳴らした。
「だとすれば、その男の同行など不要。いてもいなくても変わり無いのなら、退去させても問題は無い筈」
「いや、外の荒野に放り出されたら、俺死んじゃうんだけど」
呟きが聞こえたらしく、ニィナが睨むような視線を向け、すぐにフンと顔を背けた。
「死ねばいいじゃない。男が一人減って、そのぶん世界は平和になるわ」
「……アイツ、どんだけ男嫌いなんだよ」
清々しいまでの酷い扱いに、アルトは渋い表情をする。
話には聞いていたが、これはかなりぶっ飛んでいた。
ガーデンに足を踏み入れて早々、こんな濃い面々に付き合わされて、正直アルトはお腹一杯だ。この上で女神様や、その契約者に会わねばならないのだから、今から胃がもたれてしまいそう。
「いい加減、分を弁えろニィナ。この男がどこで野垂れ死にしようが、貴様らガーデンの女達が泣き喚こうが、我にとってマドエル様とお嬢様の命令は絶対。完璧最強花丸満足ご奉仕がこの竜のメイド、クルルギのキャッチフレーズなのだ!」
「そんなキャッチフレーズ始めて聞いたわよ! 貴女がそんな風に何時もお嬢様の言葉を丸のみにするから、私が余計な尻拭いをさせられるのでしょ!」
「尻拭いとは、厭らしい女め」
「そういう意味じゃねぇよッ!」
ふざけた会話をしながらも、クルルギはドスの利いた殺気を緩めようとしない。
しかし、男嫌いのニィナは頑として譲らない。
次第にニィナの言葉に周囲も白熱してきたらしく、そうだそうだと声を上げる女子達まで出て来た。
その声が更に、クルルギを不愉快にさせた。
「どいつもこいつも、俗物共め……もういい。わかった。貴様らの言い分は、十分に理解した」
瞬間、目にも止まらぬ速度で間合いをつめたクルルギが、ニィナの下腹部に向けて掌底を繰り出す。
クルルギが立っていた場所から、ニィナのいる位置まで一直線に、砂埃が舞う。
殺気の籠った眼光が、踏み込んだ懐からニィナを見上げた。
「メイド的ご奉仕タイムだ。貴様を排除する」
無感情な言葉と共に、破裂音が広場に轟く。
凄まじい衝撃でニィナの身体が宙に浮き、矢のような速度で後ろ向きに吹っ飛ばされた。
このままでは、背中からレンガ造りの民家に衝突してしまう。
方々からワンテンポ遅れた悲鳴が響く中、飛ばされるニィナは手に持った木製の槍で地面を一突き。反動で跳ね上がった身体を、一回転させ勢いを殺し、地面の上に着地。そのまま残った衝撃で数メートル後ろに引き摺られ、何とか停止した。
ふぅと息を吐いた後、ニィナは苦痛に顔を歪め、掌底を受けた下腹部を押さえる。
「後ろに飛んで衝撃を受け流した筈なのに、相変わらずデタラメな破壊力ね」
口調こそ不遜だが、額に汗を浮かべているところを見る限り、ダメージはあるようだ。
槍の石突きで地面を押し、ニィナは態勢を立て直す。
一方のクルルギは突き出した掌底をゆっくりと戻し、両手を腰の後ろに回す何時もの態勢に戻ると、涼しげな表情でニィナを見据える。
「強情な奴め。その頑なさは嫌いでは無いが、全てはメイド的なご奉仕の為……ニィナ。今日限りで序列三位の座、空位にさせて貰うぞ」
「ほざけクルルギ。何時までも私が三位の座に甘んじていると思うなよ……ガーデンの風紀を守る為ならば、このニィナ。神にすら弓引く覚悟」
力強く言い放って、ニィナは槍を頭上で旋回させ構える。
迎え撃つようにクルルギは右手を後ろから離し、親指で首切りのジェスチャーをした後、拳を握り下へと降ろす。
二人の間にビリビリとした殺気が満ち、まさに一触即発だ。
突然始まった、序列一位と三位の激突に、周囲は戸惑いながらも好奇の視線を向ける。
そしてアルト達は、忘れ去られたのか、完全に置いてけぼりだ。
頭痛でも堪えるように、ハイネスは右手で額を押さえた。
「一体、どうやって終息させろっていうのよ」
「アル。止めてきて」
コートを引っ張りつつ、ロザリンが睨み合いを続ける二人を指差す。
「え~っ。俺がぁ?」
「原因は、アルなんだから、アルが、何とかして」
とんでもない極論と、無茶振りをされてしまう。
嫌そうに顔を顰め、助け舟を求めるようテイタニアとハイネスを見るが、苦笑を浮かべるだけで助けてくれる様子は無さそうだ。ハイネスに至っては視線を向けると恥ずかしがって、両手で顔を隠してしまっている。
「はぁ……とんでもねぇ、貧乏くじだなぁおい」
盛大に、ため息を吐き出した。
ここでじっと眺めているのも時間の無駄だし、先に進むには二人をどうにかしなくてはならない。決着が付くのを待つパターンもあるが、この手の展開は、中々白黒ハッキリ付かないのがお決まりだ。
仕方が無いと、アルトは面倒臭そうに二人へと歩み寄る。
摺り足で間合いを徐々に狭める二人。
ニィナの間合い。槍の結界にクルルギの足先が触れた瞬間、俊敏な動きで二人の身体は躍動した。
「――ずぇりぁぁッ!」
「――セイッ!」
咆哮一閃。
黒光りする木製の槍と、白いニーソックスに包まれた足が飛翔する。
空を裂く互いの一撃が、交差しようとした瞬間、それは目標の相手に届く事無く、直前で阻まれてしまった。
「……ぬうっ?」
「……貴様っ」
槍を突出し、右足を蹴り上げた態勢で、二人は苛立つような表情を向ける。
原因は勿論、二人の間に割って入り、攻撃を阻んだアルトに対してだ。
「痛ってぇ……テメェら、初撃から気合入れすぎだろう」
左足で蹴りを受け止め、右手を柄に添え槍を受け流す。
下手をすれば両者の攻撃を、まともに喰らってしまうタイミングで、アルトは見事に左右同時に捌いて見せた。
受け止めた手も痛いが、左右から同時に突き刺さる視線も痛い。
「貴様……我のご奉仕の邪魔をしたなぁ?」
「気安く私の槍に触れるな汚らわしいッ!」
両者とも、憎々しい言葉を発して、後ろへと飛び退く。
すぐに飛びかかってこないのを確認してから、まずアルトは比較的、此方の話を聞いてくれそうな、クルルギに顔を向けた。
「おい、メイド。お前のお嬢様ってのが待ってんだろ? こんな場所で、ダラダラ戦っている暇があるのか?」
問いかけると、聞こえるように舌打ちを鳴らし、構えていた腕を下す。
「一理あるな。確かに、優先すべきはお嬢様の命令。この程度の雑事に時間を浪費するのは、何とも無駄なことだ」
「納得してくれたんなら、何よりだ」
意外に聞き分けよく、殺気を納めてくれたことに、アルトはホッと胸を撫で下ろした。
問題は、もう一人の方だ。
「…………」
顔を向けた途端、苛立ちを表情に浮かべたニィナが、右手に持つ槍の切っ先を、アルトの喉元に突きつけた。
顔が映り込むほど磨かれた槍は、刃まで木製だ。
訓練用の非殺傷武器かとも思ったが、切っ先から零れる明確な殺気は、これが見た目通りの単純な武器では無いことを示していた。
「流石は男。人を言い包める話術だけは大したものね。けど、ガーデンの風紀を預かるこのニィナは、貴方の甘言なんかに耳を貸さないわよ」
そう言って、槍よりも鋭い視線を、アルトに突きつけた。
無抵抗を示すように、アルトは両腕を上げる。
「ちょっと待てって。俺ぁ、何もアンタに喧嘩を売ろうってわけじゃねぇんだ。何だか誤解があるようだし、ここは理性的に言語による解決を、俺は望むところなんだけど?」
「黙れ。男なんかと交わす言葉は持ち合わせてないわ、汚らわしいっ……テイタニアも」
槍を突きつけたまま、視線を黙って状況を見守っているテイタニアに向ける。
突然、名前を呼ばれたテイタニアは、驚きながら自分を指差す。
ニィナはそのテイタニアに視線を向けたまま、困ったように首を傾ける。
「言った筈でしょう? 男なんて性欲だけの薄汚い動物だって」
「……お前かよ、それ吹き込んだの」
「い、いやぁ。まぁ、兄ちゃん、悪い奴や無いんやで? せやから、そない乱暴なマネは、堪忍して欲しいんやけど……」
「テイタニア、貴女」
懇願するように両手を合わせるテイタニアの姿を見て、ニィナは悲しげな表情をする。
語りかける時も、クルルギやアルトに比べれば大分優しい口調だったし、この二人は親しいのかもしれない。
そして何もしてないのに、キッと更に厳しい眼差しで、再び睨まれる羽目に陥る。
流石に見兼ねたのかクルルギが、今度は冷静な口調で止めに入る。
「いい加減にしろ。彼らがマドエル様とお嬢様の客人である以上、いかなる理由があろうと、妨害することは、メイドであるこの我が許さん」
「――ッ!? そもそも、何故、貴女がこの男の味方をするのッ!」
苛立ちが頂点に達したのか、突然感情的になって怒鳴り出す。
あまりに激しい剣幕でキレだした為、何事にも動じ無さそうなクルルギも、ほんのちょっぴり引くような素振りを見せた。
が、それを悟られぬよう素早く佇まいを直し、咳払いを一つ。
「どういう意味だ? 味方も何も、彼奴らはお客人だと何度も……」
「ふん」
クルルギの言葉を遮るように、ニィナは鼻を鳴らして顎先をクイッと上に向けた。
「その言葉、彼が竜姫の……竜の逆鱗だと知っても吐けるのかしら?」
「……なにぃ?」
挑発するような物言いに、クルルギの声色がワントーン低くなる。
瞬間、重苦しい気配を纏った視線が、アルトの後頭部に突き刺さった。
水の底に沈んだような錯覚。気配の元は論ずるまでも無く、アルトの背後に立っているクルルギだろう。
恐る恐る振り返ると、何時の間に接近したのか、クルルギの顔がすぐ目の前にあった。
「――おわぁっ!?」
驚いたアルトは、上半身を仰け反らせる。
身体が触れ合うほど近づいたクルルギ。
メイド服を着た女性に、これほど急接近されれば、普通ならドキドキしてしまうモノなのだが、相手がクルルギともなると、胸のドキドキは別の意味にすり替わる。はっきり言えば、生命の危機を感じてだ。
軽く俯いたクルルギの顔、上半分が影になり、前髪の間から覗く眼光がとても恐ろしい。
地鳴りでも聞こえてきそうな雰囲気を纏い、クルルギはドスの利いた低音を響かせる。
「貴様……よもや、竜姫の関係者、いや、それ以上に親しい関係だったとはなぁ」
「い、いえ知りません。あんな傍若無人を絵に書いたような女」
ダラダラと汗を掻きながら否定するが、そもそも耳に届いていない様子だ。
助けてくれと、傍観している仲間達に視線を向けるが、皆は一斉に手でバッテンを作る。
ついて来るんじゃなかったと、アルトはこの瞬間、本気で後悔した。
「思い出すのも忌々しい……この究極で完全なメイドさんである我の、唯一にして最大の汚点。我が生涯に敗北の二文字を刻みしあの女の、後継者とも言える男をまさか目の前にしていたとは……不覚ッ」
ギロッと睨みつけて来るが、悔しげな表情で拳を握りしめ、溢れ出す衝動を堪える。
「本来ならば我が汚辱を雪ぐため、貴様を血の海に叩き落とすところ……が、しかし、マドエル様とお嬢様の命令は絶対ッ。ここは涙を飲んで、メイドとしてご奉仕に専念する」
てっきり逆上して襲い掛かるモノと思っていたのだろう。ニィナは残念そうに、舌打ちを鳴らした。
「ちっくしょうおでこちゃんが、この野郎っ」
「ふん。厭らしい視線を向けるな、汚らわしい。後、女の子に対して、野郎という言葉は正しく無いわ」
睨み付けてやるが、不機嫌にそう言うと、そっぽを向いてしまった。
同時に槍を下げているので、一応、追い出すことを諦めてくれたのかもしれない。
「勘違いしないでよ。お嬢様への謁見まで、待ってあげるだけなんだから……その前に不埒がことをしでかしたら、誰が何と言おうが叩きだすけど」
「面倒クセェ……もういいよ、それで」
疲れ果てたアルトは、片手をぷらぷら振って、適当に同意する。
クルルギはアルトが宿敵の知己と知ったからか、我慢する苛立ちを表すように、右足を小刻みに揺らしていた。
「ああっ、クソッ。叩き潰したい叩き潰したい……ぶつぶつ」
「もうやだ、この庭園」
近場に村があれば、言われなくても出て行きたい。
面倒なことが全部先送りになっただけだが、とりあえずは騒動も一段落。
広場で遠巻きに事の成り行きを見守っていた女性達は、安堵半分残念半分といった態度で、ざわつきながらも普段通りの生活に戻って行った。
そしてアルト達一行も、ようやく先へと進める。
「ええいっ。無駄な時間を過ごしてしまった……急げお客人、これ以上お嬢様を待たせるわけにはいかないぞ!」
身を捻るようにポージングしてから、颯爽と早足でクルルギは通りを歩いて行く。
半分はお前の所為だよ。
思いつつも口には出さず、全員が同時にため息を吐いて、クルルギの背中に続いた。
★☆★☆★☆
通りが突き当たった場所に、目的地の建物が存在していた。
てっきり豪華なお城やお屋敷があるモノと思い込んでいたアルト達は、目の前にそびえ立つ確かに前者二つと同じくらいに大きいが、想像もしていなかった意外な建物を前にして、大きく口を開いてそれを見上げていた。
街と同じよう、レンガ造りの壁に囲われた、大きな木造の建物。
正面には鉄柵門があり、そこから中へと入れる。
「……ここって、学校?」
見上げるロザリンが、ポツリと呟く。
そう。確かに、目の前の建物は王都でプリシア達が通う、学び舎にそっくりだった。
鉄柵門の向こうには、木造建ての校舎。左右対称、シンメトリカルな作りの建物は三階建てで、窓から見える廊下らしき場所には、女生徒が歩く姿が確認出来る。よく見れば校舎内にいる生徒の制服は、ニィナ達が着ている使徒の制服と同じだった。
門の前で立ち止まったクルルギが、クルッとアルト達の方を向く。
「ここは女神の学舎。使徒達が様々な学問や、武術、剣術を学ぶ場所であり、女神マドエル様と契約者であるお嬢様がお暮しになる場所でもある」
「学校に住んでんのかよ」
「その通りだ」
驚く言葉に、クルルギは事も無げに頷いた。
「正確には、女神様の御所が、そのまま学舎になったと言った方がただしいわね」
足りない言葉を、誇らしげな態度でニィナが補足する。
が、集められたのは感心の声では無く、一同の訝しげな視線だ。
「アンタ、まだいたの?」
「し、仕方が無いじゃない! 戻る場所が同じなんだからっ!」
ハイネスのツッコミに、ニィナは頬を赤くして怒鳴った。
そして、フンと顔を逸らす。
「どうせこの場でお別れよ……次に顔を合わせたら絶対に追い出すから、精々目立たないよう隅っこを歩くことね」
「はいはい」
「……んぎぎっ!? ……ふん!」
面倒臭そうなアルトの素っ気ない態度に、ニィナはギリギリと歯を鳴らすと、肩をいからせながら、一人さっさと校舎の中へ入っていってしまった。
最後まで面倒臭い奴だと、視線を細めて歩幅を大きくして歩く背中を見送る。
「さて、我々も学び舎へと足を踏み入れよう。まずはお嬢様のおられる学長室に向かう。校舎内を走るのは厳禁だ。ここはガーデンでも最も可憐な乙女の園。お客人にも相応の品格を持って、可憐に、優雅に行動して頂こう」
ロザリンが、スッと右手を上げる。
「具体的、には?」
「ふむ。良い質問だ、花丸をあげよう」
ビシッと過剰なポージングで指を差す。
「厳守すべきは三つの点。押さない、駆けない、喋らない。おかしと、覚えておくと評価ポイントが高いぞ」
「よぉし、んじゃ行くか皆。テイタニア、案内よろしくな」
「あいよ。任せとき」
ドヤ顔で指を三つ立てるクルルギの前を通り過ぎ、テイタニアの導きで校舎内へと四人は足を踏み入れる。
三つ指を立てたまま、クルルギは暫し静止。
次の瞬間、額に青筋が浮かび上がり、発する殺気が空気を振るわせた。
が、その怒りは爆発することなく、穴の空いた風船のように萎むと、一人残ったクルルギは寂しげに顔を伏せる。
「馬鹿な……渾身のメイドギャグが滑るだと? ……お嬢様には受けたのに」
暫くクルルギは、気の毒に思ったハイネスが呼びに戻るまで、腕を組んでその場でひたすら悩み続けていた。




