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第10話 想いは大河の流れのように






 あの騒動から三日後。

 通り魔逮捕の話題は、次の日には街全体に広がっていた。

 一応、犯人が侯爵家の子息ということもあり、犯人逮捕以上の情報公開は行われなかったのだが、人の口に戸はかけられない。

 当日に見ていた野次馬から噂は口コミで広がり、元騎士で貴族のランディウスといえば、極悪人の見本のような男。

 と、言う常識が定着しつつあった。


 事件の動機……いや、動機と呼べるほど、深い理由があるわけでは無い。

 権力を誇示するための騎士団でも、集団の長という立場。それなりに、ストレスが溜まる出来事も少なく無かっただろう。

 ましてや、間違った方面でプライドの高い人間だ。

 始まりは、ただのストレス解消だったらしい。

 危険と隣り合わせの北街で、通り魔が現れても、大して騒ぎにはならない。

 住人達が騒ぎ出して、警備隊が動き始めても、騎士団長としての立場と貴族としての権力があれば、どうにでも誤魔化せた。


 犯行が連続したのは、意外に人が死ななかったから、その辺の感覚がマヒしていったのだろう。

 権力の間違った使い方を覚え、人を踏み躙る快感に酔った結果、自分は特別な人間だと勘違いして、更に大きな何かを、求める野心が産み落とされた。

 その対象が魔女であり、結果、あの悲劇的な事件へと繋がる。

 馬鹿げた話だ。


 何よりも馬鹿げているのは、たった一人の暴走が、個人だけの罪に終わりそうに無いことだ。

 どこの国にも、貴族と平民の間には、少なからず軋轢がある。

 今回の件はそれを、更に広げることだろう。

 平穏に暮らしたい平民にとっても、また真っ当な貴族達にとっても、後々まで燻るかもしれない火種は、この国の未来に暗い影を落としたのかもしれない。

 色々と問題は残されたが、犯人逮捕自体は喜ばしいことに違いないだろう。

 ここ一カ月ばかりの緊張感から解き放たれた街は、以前のように、いや、以前にも増して賑々しさに満ちていた。




 ★☆★☆★☆




 東街の宮殿前公園。

 以前、ロザリンと来た、湖にそびえ立つ宮殿が拝める公園は、通り魔事件解決の影響か、普段より人通りが多く、屋台の親父が笑顔を浮かべて忙しそうに立ち回っている。

 賑やかな公園を眺めるように、アルトとシエロは並んでベンチに座っていた。

 今日のシエロは騎士の恰好では無く普段着。

 貴族らしい豪華な装いとは真逆の、質素な服を身に着けている。白を基調とした服装は清潔感に満ちていて、爽やかなシエロにはぴったりだ。

 だからこそ、横に不機嫌な顔をして座っているアルトの恰好が、余計に貧乏臭く見えていた。

 久しぶりに再会した友人二人が、昔話に花を咲かせている。

 と、言う雰囲気でも無い。

 別れ際の約束。事情を詳しくシエロの口から説明して貰うため、わざわざこんな場所にまで足を運んだのだ。


 陽気な青空の下、アルトは不機嫌面を晒している。


「大まかなことは眼帯女から聞いてる。テメェら、よくもまぁ、善良な一般市民を都合よく利用してくれたもんだ、なぁ?」

「そう言われると、僕も申し訳ないとしか言えないよ」


 殺気を込めて睨むも全然怯まず。シエロは笑顔でそう返す。

 人畜無害を装っているが、こういう強かさ兼ね備えているところが、油断ならない。

 あの情報屋、ルン=シュオンもそうだ。

 無関係そうな顔をしていたが、蓋を開けてみればどっぷりと事件の真ん中にいた。

 つまるところアルトは、ルン=シュオンとシエロ。

 この二人にまんまと利用された、ということになる。

 ベンチの上で仰け反り、アルトは乱暴に小指で耳の穴を穿った。


「あの眼帯女。ロザリンの母親と知り合いだってんなら、最初から言いやがれってんだ」


 抜いた小指を口に近づき、フッと息を吹きかけた。

 そう。ルン=シュオンとエリザベットは友人関係にあった。

 何でも二人がこの街に流れてきたのは同時期で、偶然知り合い、何か波長が合うモノがあったらしく、その後も度々顔を合わせは、他愛の無い雑談に興じる仲だったそうだ。

 王都に暮らしていながら、魔女の関係者だと周囲にバレなかったのは、ルン=シュオンの情報操作があったからだろう。

 長らく続いた友人関係は、エリザベットが通り魔に殺害されという形で、幕を閉じた。

 激怒したルン=シュオンは、情報屋としての技術を最大限に生かし、流石と言うべきか、直ぐに犯人と事件の大まかな真相に辿り着いた。


「……彼女も、ショックだっただろうね。まさか、自分の取り巻きから魔女の関係者であるという情報が漏れていただなんて」


 シエロは軽く視線を落とす。

 情報操作は完璧だった。

 取り巻きはあくまで取り巻き。

 彼らがどんなにルン=シュオンを崇拝していても、個人主義のルン=シュオンにとっては、他人にしか過ぎなかった。

 だから、彼らの前でも魔女に関連する話題は口にせず、細心の注意を払っていた。

 ただ誤算があったとすれば、彼女達歳の離れた二人の友情が、あまりにも厚かったということだろう。




『常世の秘薬。彼女がたった一言だけ滑らせた言葉が、運命を大きく狂わせてしまった。その時ほどルンは己の身体を呪ったことは無いよ』

『秘薬の効果は解呪だったな。まさか、その眼帯……』

『昔、少しばかり悪戯が過ぎてね。見えないだけで特に問題は無いのだが、彼女は思っていた以上にお人好しだったようだ』




 そう語ったルン=シュオンの寂しげな表情が、今でも脳裏に残っている。


「取り巻きの中の誰かが、小金にでも釣られて、あの通り魔野郎に情報を売り渡しやがったのか」


 胸糞悪い気分で、アルトはそう吐き捨てる。

 通り魔の目星は直ぐについた。だが、問題が二つある。

 通り魔の正体は侯爵家の子息。

 ルン=シュオンが腕利きの情報屋でも、個人的には何の戦力も持たず、自信の戦闘力も低い。位の高い貴族を失脚させるには、今のルン=シュオンには不可能だった。

 もう一つは情報を漏らした人間が、特定できないこと。

 密告者は注意深い性格らしく、ランディウスと接触したのはその一回のみ。

 それにあまり派手に探し始めると、危険を感じて雲隠れしてしまう恐れもある。

 王都から出られては、ルン=シュオンは無力だ。


「そこで目を付けたのが、テメェら特務騎士団か」


 シエロは頷く。


「ランディウスの素行は、以前から問題が多かったからね。総団長からの指示で、色々と探っていたんだ……まさか、通り魔をしてるとは思わなかったけれど」

「何でわかった時点で捕まえねぇんだよ」

「騎士団と貴族の間にも、色々としがらみが多いんだよ。アルトだって知っているだろう?」


 不機嫌そうに、アルトはふんと鼻を鳴らす。


「有力貴族から逮捕者なんて出したら、貴族主義の減退に繋がるかもしれない。保守派の面々には、そういう古臭い考えをお持ちの方々が大勢いるんだよ」


 顔は笑っているが、口調はどこか棘が混じっている。

 色々と、腹に据えかねていることが多いのだろう。

 だからと言って、納得できるモノじゃない。


「捕まえときゃ、俺ぁ背中をバッサリやられずに済んで、妙な小娘に借りを作らなくて済んだんだ……それに、アイツの母親も、死なずに済んだんじゃねぇか?」

「……言い訳に過ぎないかもしれないけど、犯人を特定したのはエリザベットさんの事件の後なんだ」


 顔を伏せながら、シエロは笑みを消して真面目に答える。


「初めて人死にを出して、随分と焦ったのだろうね。奇妙な命令で部下達を動かしたりとか、完璧だった偽装工作に、色々と穴があったよ。ズルい言い方かもしれないけれど、結果的に彼女の犠牲が、ランディウスの逮捕に繋がった」

「やめろ」


 鋭い口調に、シエロは口を噤み俯いた。


「……そうだね。ごめん」


 気まずい沈黙から逃れるよう、二人は話を元に戻す。

 ルン=シュオンから取引を持ちかけられたが、シエロ達騎士団にも問題は多かった。

 まず、侯爵家であるランディウスを法の元で裁くには、横槍が入って有耶無耶にされぬよう王家の協力が必要になる。

 有力貴族の蛮行は王家にとっても頭の痛い問題。

 だが、王家を動かすには、ランディウスを犯人だと断定できる証拠が必要だ。

 殺害されたエリザベットとランディウスを繋ぐ糸。それを立証する必要があった。

 関係を示す証拠は、先手を打たれて消されている。


 唯一残されたのは証人。

 ランディウスに情報を売った、ルン=シュオンの取り巻きだ。

 だが、今まで尻尾を掴ませなかった人間が、そう易々と姿を現すはずが無い……目の前に、美味しい餌をぶら下げられない限りは。


「それでロザリンを餌にしたってわけか。さしずめ、俺ぁ釣り針か? まさか、アイツと会ったことも、お前らの仕込みじゃないだろうな?」

「それこそまさかだよ。報告を聞いた僕が一番驚いたさ。親友が通り魔に殺されかけて、魔女に助けられるなんてね」


 シエロは驚きを表すよう、肩を竦める。

 仕草の所為で嘘臭く見えるが、一応は信じておくことにしよう。


「彼女には悪いけれど、人死にが出ている以上、僕らも手段を選んでいる暇は無かったからね。それに、君が側にいてくれるなら安心さ。後はご存知の通り、信頼できる警備隊の人に計画を説明して協力を仰ぎ、君をルン=シュオンの根城まで誘導する」

「……俺が関わること前提の考えだな」

「関わるでしょう、君なら」


 何の迷いも無く、キッパリと断言する。

 本当に関わってしまったモノだから、皮肉の一つも返せず苦い顔で黙り込む。

 しかし、なるほど。警備隊が役場に集まっていたのは、そう言う理由だったのか。

 それならクランドの下手な演技も納得できる。それにマグワイヤが普段よりアルトに対して、刺々しかった理由も。

 真面目な男だ。小娘を囮に使い、その護衛役をただでさえ嫌っているアルトが務める。

 それが、気に入らなかったのだろう。


「それでも指示通り動く辺り、アイツの頭の固さは筋金入りだな」

「あの人の勤勉さには、僕も頭が下がるよ……それにしても、よく真相まで辿り着いたね。どこで気がついたの?」

「あん? 真相なんて知らねぇよ、お前らが裏でコソコソ何かやってるぐらいしか。通り魔野郎の正体も、事件の真相も、眼帯女から聞いたんだよ。あの、通り魔野郎をぶっ倒した日の朝にな」


 隠し事をしていて、尚且つ、何かを企んでいることは直感できたが、確証があったわけでは無いし、どうせ口を割らないだろうと思っていた。けれど、実際は意外なほどすんなり、ルン=シュオンは一連の経緯をペラペラと喋った。

 その時のことを話すと、シエロは微妙な顔をする。


「あ~、それは不味いかもねアルト。それ、ルン=シュオンに借りを作っているよ。それも、かなり高額な」

「……俺ぁ素寒貧なんだがな」


 忘れようとしていた事実を想い起こし、アルトは渋面を作る。


「ただより高い物は無い。君が借りを作った相手の頼みを断れないって、見抜かれているよ。その内、何だかとんでもない頼み事を吹っ掛けられるかもね」

「……マジかよ」


 一応、予想はしていたが、事実を突きつけられるとそれなりにダメージがある。

 本当は面倒なことにならぬよう、キッチリのあの場で話をつけたかったのだが、既にランディウスが魔女確保に動いていると聞かされ、柄にも無く慌ててしまい、大急ぎで東街までとんぼ返りする羽目に。

 その際に空手形を切ってしまい、高過ぎる借りを作ってしまったわけだ。

 思わず仰いだ空に、薄ら笑いをする色白眼帯女の姿が映ったように錯覚した。

 もしかしたら、ルン=シュオンはそのことまで、計算ずくだったのかもしれない。


「結果として、魔女の存在を知った取り巻きは、金欲しさにその事実をランディウスに報告。用心深い人間も、一度覚えた甘い味は忘れ難かったようだね。そのお蔭で取り巻きを確保でき、証言と証拠を得ることができた」

「情報の公開を二日後に設定したのは、チクリ魔と通り魔野郎が確実に動くのを待つのと、逮捕を万全にする準備期間ってわけか」


 後の顛末は皆が知っての通り。

 ランディウスはキッチリと法に則り、裁判で裁かれる。

 しかし、それが正当なモノかはまた別問題。

 国王の承認があるとは言え、保守派の貴族がこのまま黙って見ているとは思えない。

 無罪放免は無いとしても、軽い刑罰だけで済まさせる恐れがある。

 舞台が法廷へと移った以上、騎士団にはこれ以上どうしようも無い。

 後は良識ある貴族様と、役人達を信じるだけだ。

 ちなみに密告者の取り巻きは、証言を得た後、ルン=シュオンに引き渡されたらしい。


 関係ない話かもしれないが数日後、北街で原因不明の変死体が発見されるのだが、恐らく犯人は一生見つからないだろう。

 終始、不機嫌面だったアルトは、バリバリと頭を掻いた。


「せっかく面倒事を全部片付けたっつーのに、後味の悪い話を聞かせんなよ」

「ゴメンゴメン。そういう可能性があるってだけだよ。余程のことが無ければ、ランディウスの監獄行きは避けられないはずさ」


 一抹の不安を感じさせるが、今はシエロの言葉を信じるしか無いだろう。

 話の区切りをつけるように、少しだけ強い風が吹いた。

 アルトは脱力するように、空を見上げ息を吐いた。

 実際は裁判の判決が出るまでわからないが、一先ずはこれで終わり。

 肩の荷が下りた解放感から、ベンチの上で大きく伸びをしていると、シエロは「さて、と」と呟いて立ち上がる。


「あん? なんだよ。せっかく、顔を合わせたんだから、飯でも食いに行こうぜ。お前の奢りで」


 ナチュラルに図々しい言葉に、シエロは穏やかな笑みを返す。


「それは魅力的な提案だけど、残念ながら仕事があるんだ」

「この間、通り魔野郎を捕まえたばっかじゃねぇか」

「大捕物だからね。残務処理が結構、面倒なのさ……それに、君こそ、こんなところでのんびりしている暇、無いんじゃないの?」


 問われて、アルトはバツが悪そうに顔を顰める。

 困ったような笑顔で、嘆息する。


「苦手なのは知っているけど、ちゃんとお別れは言わなきゃ。今日なんでしょ? あの娘が帰るの」

「チッ……お前には関係ねぇよ。さっさと仕事行けッ」


 あまり問い詰められたくなく、強引に話を打ち切って、追い払うように手を振る。

 その態度に、シエロは朗らかに笑った。


「一年前くらいの君なら、僕とは絶対に会わなかっただろう? これはあの通りで暮らした影響と、元貴族のお嬢さん。そして、小さな魔女殿のおかげかな」

「勝手に人の人格を決めつけんな。俺は俺だ。今も昔も変わりゃしねぇよ」

「大人として、女の子一人を養えるくらいの甲斐性を、そろそろ持ってもいい頃合いだと思うけど?」

「嫁もいねぇのに、ガキなんか養えるかッ」

「お嫁さんでも僕はいいと思うけどね」


 すっ呆けた言葉に、目が三角になる。


「嫁もガキもいらねぇよ。俺は、一人で気楽に暮らしてぇんだ」

「……本当に?」

「……いい加減にしろよこの野郎。テメェ、何が言いたいんだ」


 本気で凄むと、何事も無かったかのように、シエロはスッと引いた。


「はは。それじゃ、僕は行くね……遅くなったけど、久しぶりに君に会えて、嬉しかったよ。昔に戻ったような君に再会できて、ね」


 甘く囁くような声色に、アルトは青い顔で身体をブルッと震わせる。


「――気持ち悪ぃこと言うな!」


 ツッコミにも爽やかに笑い返して、シエロは手を振ると、その場を立ち去ろうとする。

 と、数歩進んだところで足を止め、何かを思い出したのか、こちらを振り向く。


「ああ。君のことを話したら、シリウスが会いたがっていたよ。まだ暫くは無理だと思うけど、その内に怒鳴り込み……ゴホン。訪ねてくるんじゃないかな」

「おい馬鹿。ぶっそうな単語を中途半端に聞かせんな。あの全身凶器には俺ぁ死んだと言っとけ……おい、聞こえてんのか。おいこらッ!」


 立ち上がって叫ぶも、今度は振り返らず手だけ振ってシエロは街中へと消えて行った。

 行き場の無い感情に歯噛みして、力無くベンチへ座り直すと、頭を抱えた。

 ふと、さっきまでシエロが座っていた場所が目につく。


「……?」


 何時の間に置いたのか、折り曲げられた一枚の紙切れ。

 何処かで見たようなパターンに眉根を寄せて、紙切れを手に取ると折り目を開いて中を確認する。

 中には簡単な文章が書いてあり、それを目の当たりにした瞬間、紙切れを握り潰して、勢いよく立ち上がると、それをポケットの中に突っ込んだ。


「あの野郎……余計な気を回しすぎんだよ」


 バリバリと頭を掻き乱し、顔には不機嫌が全開で張り付く。

 どいつもこいつも、何故かロザリンを引き止めたがっている。

 かざはな亭の面々も、能天気通りの連中も、そして久しぶりに顔を合わせたシエロまで。

 アルトが気に入らないのは、何故か自分が面倒を見ること前提で、話が進められていること。

 そう前振りをしておけば、良心の呵責に押し潰されて、自分が面倒を見るとでも言い出すと思っているのだろう。

 全く、冗談では無い。


「よ~し。こうなりゃ、後腐れなくキッチリと、さよならしてやろうじゃねぇか」


 半ば自棄になってアルトは、身体をロザリンがいるであろう船着き場に向けると、小走りに足を進めた。




 ★☆★☆★☆




「――遅いッ!」


 大河を行き来する客船の船着き場。

 次々と客が乗り込む桟橋の近くで、仁王立ちしているカトレアが、額に青筋を浮かべてピリピリと、周囲に怒気を撒き散らしていた。

 後ろには普段と変わらず、晴れの日でも雨傘を持ったロザリンの姿。

 いや、一点だけ。胸元にある銀細工で作られたペンダントは、彼女が初めてこの街に降り立った時には、無かった物だ。

 キュッとペンダントを握り締め、ロザリンの赤い瞳は、誰かを探すかのようにさ迷う。

 横に立っている咥え煙草のランドルフも、困ったような表情をしている。


「今日のこと、知らないはずは無いだろうし。ましてや、忘れてるなんてことは、ねぇ?」

「ちゃんと見送りに来なさいって言っておいたのに! 少し目を離した隙に、何処かへ出かけちゃって……このまますっぽかすつもりなら、ただじゃおかないんだからッ」


 本気で怒っているらしく、口調が普段より荒々しい。

 今日はロザリンが故郷へと帰る日。

 もっとゆっくりして行けば?

 そうカトレアやランドルフは言ってくれたが、ロザリンは首を左右に振った。

 優しく、居心地が良いこの街は、時間が立てば立つほど、帰り辛くなってしまう。

 別に辛い思い出が出来てしまったから。というわけでは無い。

 母親に会うという目的は、結局果たせなかった。それどころか、待っていたのは辛い現実。でも、得たモノは悲しみだけでは無かった。

 優しい人たちに出会えた。母親の愛情を知ることができた。

 思い返せば辛い気持ちが胸を締め付けるけれど、それに負けない強さを、この街で出会った人達から得ることが出来たと思う。

 だから、ロザリンは今日でこの街と、さよならしようと決めた。

 魔女である自分は、これからも狙われ続ける。大きなこの街なら、尚更だろう。


「あっ! やっと来た……こらぁ、アルト!」


 叫ぶカトレアの声に視線を向けると、いつも通り不機嫌な顔をしたアルトが、小走りにこちらへと向かって来る。

 キュッと、胸の奥が締め付けられた。


「アンタねぇ。今日が何の日か……」

「カトレアくん」


 文句の一つでも言うと踏み出したのを、ランドルフは肩を掴んで制すると、首を左右に振る。

 カトレアはアルトとロザリンの顔を交互に見て、グッと怒りと言葉を飲み込んで、二人の邪魔にならぬよう後ろに下がった。


「……ん?」


 アルトが目の前を横切った時、何かがポケットから零れ落ち、気づかず行ってしまったので、カトレアがそれを拾った。

 二人の距離が近づき、後数歩というところまで来てアルトは足を止めた。


「よう」

「ん」


 短く挨拶を交わす。

 思えばこの街に来て、殆どの時間を彼と一緒に過ごしてきた。

 だらしなくて、身勝手で、面倒臭がりで、とっても優しい人。

 口にすればきっと、今よりもよりいっそう、不機嫌な顔をするのだろう。


「お前、荷物なぁんも無いんだな」


 普段通りの身なりに、アルトは眉を潜めた。

 確かに手荷物などは無く、持っている物といえば傘くらい。そもそも、母親の顔を見たらすぐ帰るつもりでいたから、必要以上の旅支度はしてこなかった。

 それに、一見何も持たず身軽のように思えるが、実はそうでは無い。


「必要な物は、マントの内側に、ある」

「そりゃ便利なマントだな」


 深く掘り下げる気にもならないのか、簡単なツッコミだけを返した。

 会話が途切れる。

 元々、ロザリンは口数の多いタイプでは無いし、アルトも自ら率先して、話題を振るような気の利いた人間でも無い。

 なので、今までもこうして、不意に会話が途切れることは何度もあった。

 昨日までは気にも留めなかったのに、今日は何故だか内心で焦りを感じていた。

 もっと何か言葉を交わすべきでは無いのか?

 そんな疑問がグルグルと頭の中を駆け巡り、結局は何も言えずに黙り込んでしまう。

 客船から、間もなく出発することを知らせる、鐘の音が鳴り響く。


「あ……もう、行かなくちゃ」

「おう。帰れ帰れ」


 知らない人間が聞けば、冷たいとも思える言葉も、アルトらしいと逆に安心してしまう。


「ありが、とう。お世話に、なりました」


 ロザリンは最後に、ペコリと頭を下げた。


「ああ、全く。厄介事ばかりで金にもなんねぇ、散々な目にあったぜ」

「ん。アルトに、感謝」

「……ま、故郷に戻っても達者で暮らせ」


 そう言って、軽く笑顔を見せてくれた。

 二度目の鐘が響く。もう、乗らなくてはならない。

 既に別れを済ませた、少し離れた場所にいるカトレア達に向けてもう一度頭を下げると、二人は、特にカトレアは何か言いたそうな顔をして、でも何も言わずに笑顔でこちらに手を振った。

 そしてもう一度、アルトに視線を戻すと、何故だか目頭が熱くなった。

 零れ落ちそうな涙と感情、言ってはいけない言葉を全て押し殺し、表情の中で一番苦手な笑顔を頑張って作り、最後にもう一度言った。


「それじゃ、さよなら」




 ★☆★☆★☆




 桟橋から客船に昇るスロープを伝い、ロザリンの姿は船の中へ消えて行った。

 これで、本当に終わりだ。

 息を吐くと共に、出航を告げる三度目の鐘が大きく鳴り響く。

 船を見上げるアルトの背中に、痛いほど感じる視線。

 特に刺すような殺気を纏わせているのは、カトレアの視線だろう。

 二人が言いたいことはわかっている。わかっているが、アルトはご期待通りの言葉を言うつもりは無かった。

 何かを決めるのは他人では無い、自分だ。

 それに、アルトにロザリンを引き止める理由は無い。

 後ろの二人がそれを期待しても、どこかのお節介騎士が余計な手を回しても、ここにいたい人間が、一歩を踏み出さねば意味が無いのだ。

 船が動き出す。

 背後の視線に落胆が混じった時、船の縁から見慣れた顔がひょっこりと現れた。


「――アルゥゥゥッッッ!!!」


 ロザリンの大声が響く。

 普段、大声など出さないから、酷く掠れている上に、音が震えているから非常に聞き取り辛い。

 縁から身を乗り出すと、風に吹かれて長い前髪が煽られ、露わになった赤い両の瞳で、必死にアルトを見つめていた。


「私、私ッ! この街に居たい。あの能天気通りで、暮らしたいッ! アルと、もっと一緒にいたい!」


 見上げたアルトは、スッと息を吸い込み、


「知るかッ、馬鹿ッ!」


 そう怒鳴り、ゆっくりと進む船の動きに合わせて、首を巡らせた。


「お前、ここで何を覚えた。やりたいこととか、いたい場所とか、んなぁモンはなぁ自分で決めるんだよ!」

「でも、でも! 私がいると、皆に迷惑が……」


 船が少しずつ、岸から離れて行く。


「自分で何も決められない奴なんざ、場所取る分邪魔なだけなんだよ! テメェの好きなことを好き勝手やるんだ。テメェの面倒は、テメェで見やがれ!」

「でも……でもぉ!」

「どーしても無理なら誰かに頼れ。それでも悩むなら帰っちまえ! 時間はねぇぞ、十秒以内に決めろ!」


 無茶苦茶なことを言い並べる。

 引き止めるための説得とか、そんなレベルの話では無く、ただの罵詈雑言だ。

 てっきり感動的な展開を思い描いていた後ろの二人は、あんまりな光景に絶句するかのよう顎を落としていた。

 酷い会話が途切れると、ロザリンは三秒だけ思案する。

 そして、おもむろに船の縁に片足を乗っけた。


「――とう」


 次の瞬間、縁を蹴って躊躇なく船から飛び降りた。

 他の客や乗組員の声だろう。船の上からどよめきや悲鳴が聞こえた。

 広大な大河を行き来する客船は、魔物の襲撃を想定して大きく設計されている。なので、ロザリンが飛び降りた高さは、軽く民家の二階ほど。

 当然、普通の人間が飛び降りれば、下手すれば怪我では済まない。


「――ちょッ!?」


 カトレアも驚きの声を上げ、ランドルフは口から咥え煙草を落とす。

 アルトだけが鼻を穿りながら、軽く目を細めた。


「白。随分と安物穿いてんな」


 下からの風圧に捲れ上がるスカートも気にせず、ロザリンはパチンと指を鳴らした。

 すると落下速度が急激に緩み、不可視の階段でも下りるように、ふわふわとした足取りでゆっくりと地面に近づく。


「ふっ、はっ、ほっ!」


 船の縁から顔を覗かせ、唖然とロザリンの姿を見送る乗客や乗組員達を尻目に、ロザリンは地面へと着地。

 捲れ上がったスカートを直し、乱れたマントを正すと、ちょうど正面にいたアルトに、不器用な笑顔を見せた。


「帰るの、止めた。私、この街に残る、よ」

「ああ、そうかい。勝手にしな」

「うん。勝手に、する」


 そう言って、二人は笑い合う。

 一頻り笑った後、アルトは首を傾げた。


「あれ? なんか違くね?」


 何だか思っていたのと違う展開に、気づいた時にはもう遅い。

 やっちまったと顔を覆うアルトを尻目に、一人分の乗客が減った客船は、岸から離れて長い大河を行く。




 ちょっとした騒ぎになり始めた船着き場で、ハラハラしながら二人のやり取りを見守っていたカトレアは、どうにか良い方向に話がまとまったことに、安堵の息と苦笑を漏らして、さきほど拾った紙切れの中身を覗いた。


『アルトへ。もし、彼女がこの街に留まるのなら、心配はいらないよ。彼女に危険が及ばないよう、騎士団が各方面に目を光らせておくから。君が保護者でいてくれるなら、僕も安心だからね』


 紙切れから視線を戻すと、感極まってか抱き着こうとしたロザリンから、何やら腑に落ちない顔をしたアルトが逃げ回っていた。

 追いかけるロザリンの表情は晴れやかで、歳相応の愛らしさに満ちている。

 仲が良い二人にちょっぴり嫉妬を感じるが、姉御肌のカトレアには新しい妹分ができて、嬉しい気持ちの方が大きかった。

 また、騒がしくなりそうだ。

 ギャーギャーと騒ぐ二人を微笑ましく見つめていると、遠くから客船の鐘の音が、普段通り賑やかなこの街に響き渡った。







今回のお話でとりあえずは一区切りです。

ですが、物語はまだまだ続きますので、引き続き『小さな魔女と野良犬騎士』をよろしくお願いします。


忌憚のないご意見ご感想は、いつでもお待ちしています。

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