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第1話 深夜の路地でこんにちわ


 水がせせらぎを奏でる静かな夜に、突如、賑々しい騒音が轟く。

 月が見降ろす宵闇に、男達の野太い怒声と破壊音が断続的に響き渡ると、一瞬の静寂の後、木製のドアを破り建物から、一人の青年が小汚い路地へと蹴り出された。

 時刻は深夜。ここは繁華街から、裏路地を奥へと入った所にある酒場だ。

 看板も何も無いボロ小屋の、破られたドアからは、薄暗い明りと煙草の紫煙が漏れ、ゴミや汚物の腐臭が混じる路地裏に、度数の強いアルコール臭が加わった。

 入口から見える内装は、嵐でも通ったかのように滅茶苦茶だったので、ここが酒場かと問われても、イエスと答え辛いだろう。


 力任せに叩き出されたのは、見るからに貧乏臭い風貌の青年。

 だらしなく伸びた白に近い灰色の髪に、七分袖のロングコート、腰には身なりに似合わない、装飾の美しい片手剣をベルトにぶら下げた、剣士風の出で立ち。

 酔いのせいかトロンと垂れ下がった目尻は、見た目のだらしなさを際立たせていた。

 扉が無くなった入口から、顔に痣を作った男が金切声で叫ぶ。


「冗談じゃねぇぜこの酔っ払いがぁ! さっさと帰りやがれアルトぉ!」

「固いこと言うなよ。まだ宵の口じゃねぇか。俺ぁ、今日は朝まで飲むつもりで来てんだからさ」


 打ち付けた腰を摩りながら、アルトと呼ばれた青年はほろ酔い口調で言うと、男は痣だらけの顔を真っ赤に染めてがなり立てる。


「エール一杯分の酒代もねぇくせにふざけんじゃねぇ!」

「だからツケといてくれって言ってんじゃん。いつも通り」

「幾らツケが堪ってると思ってやがんだ! 今日こそはツケを全額清算させようと用心棒まで雇ったのに……」


 今度は泣きそうになっている男の背後では、屈強な男達数人が床の上に伸びていた。


「だ~か~ら~。その内、ガツンと稼いで返してやるって……」

「もう結構だ! ツケはチャラにしてやるから、二度と俺の店に顔を出さんでくれ!」


 そう怒鳴って店の中に引っ込むと、残骸になった椅子や机を入口の前に並べ、アルトが入って来れないようバリケードを作ってしまった。

 完全に締め出され、地面に腰を下ろしたまま、頬を掻き欠伸を一つ。


「あ~。ちょいと、やり過ぎちまったかなぁ」


 今更ながら、店内で大暴れしたのは不味かったと、なけなしの良心がチクチクと痛みを訴えるが、アルトにも言い分がある。

 別に踏み倒すつもりなど欠片もない。むしろ、払うつもりでいた。

 偶然、手持ちが心もとない時があり、仕方なくツケにして貰ったのだ。

 それが数回続いただけで、こちらは返す気満々なのに、暴力で無理やり金を毟り取ろうなど不届き千万である。降りかかる火の粉を払うが如く、当然の自衛をしただけで、悪しざまに罵られる覚えなど断じてない。


 筋の通らない酔っ払いの戯言にも聞こえるが、あの店はこの界隈ではぼったくりの店として有名。無理やり引っ張りこんだ客から、暴利を貪っていたというので、叩き潰されたのも自業自得と言えるかもしれない。

 アルトはふらつきながらも「よっこらせ」と立ち上がった。


「白けちまったねぇ……こりゃ、どこかで飲み直すって気分でもねぇや……おおっと」


 立ち上がった直後に、バランスを崩し、たたらを踏んでしまう。

 視界もぐらぐらと揺れているし、思ったより酔いが全身に回っているようだ。

 恐らく強い酒を飲んだ後に、大立ち回りをした所為だろう。

 どうせ喧嘩を売るつもりだったのなら、せめて飲み始める前にして欲しかったと、頭を掻く。


「酔わせりゃ楽勝とでも思ってたんだろうな……しっかし、これでツケの利く飲み屋がまた一件潰れたか。世知辛いねぇ」


 呟いて、アルトはふらふらと歩き始めた。

 深夜ともなれば、外灯のない路地裏は真っ暗。

 こんな場所にある酒場を利用する人間が、真っ当な人生を歩んでいるはずはない。しかし、今日は珍しく人の往来など皆無に等しい。普段なら隅へ視線を向けると、宿無しのゴロツキやホームレスが夜明かししているのだが、今夜はひっそりとしていた。


 戦争から七年、終戦から六年立つ。


 戦時下や戦後すぐの物資不足から考えれば、王都の治安も大分改善されたが、スラム街と言われる王都の北側は、いまだ一般人なら絶対に足を踏み入れない危険地帯だ。

 それでも無法地帯は無法地帯なりに、夜でも場所によっては非合法な遊び場を求める人々によって、盛り上がりを見せるのだけれど、今日は少し開けた場所に出てもひとっこ一人見当たらない。


 原因は最近、巷を騒がせている事件のせいだろう。

 先々月の頭辺りから、ここいら一帯で通り魔が出没しているらしい。老若男女問わず深夜の暗がりで襲われ、被害者はもう二桁に達している。

 一週間前には、ついに死人が出たそうだ。

 正体は不明でわかっているのは、刀剣を凶器に使った腕の立つ人物というだけ。

 仮にもスラム街に住む住人だ。荒事には慣れているはずなのだが、そんな連中が反撃も出来ずやられてしまっては、怖気づいて引き籠ってしまうのも致し方ないだろう。

 この街の中心部。徒党を組んだ無法者達が仕切るテリトリーまで繰り出せば、普段と変わらない、賑やかで淫靡で暴力的な雰囲気が味わえるのだろうが、平和主義のアルトには不釣り合いの場所だろう。

 と、本人は思っている。


 事件には無法者達のトップ連中もピリピリしていて、街の警備隊とは別に、犯人捜しに躍起になっていると聞く。

 下手に普段行かない場所に繰り出して、面倒事に巻き込まれるのはゴメンだ。

 思えば酒場の店主が雇った用心棒も、半分くらいは通り魔対策だったのかもしれない。


 そうだとしたら悪いことしたなぁ。と心にも無い反省をしながら、アルトは千鳥足で帰路に付く。

 草木が眠ると例えるほど遅い時刻ではないけれど、風の音だけが通り過ぎる、静まり返った人気のない深夜の細い路地は、少しだけ不気味だ。

 そこを不用心に歩く酔っ払いは、通り魔からすればこれ以上ないほどの獲物かもしれない。

 昼間は陽気な気温も、この時刻ともなれば肌寒く感じる。


 いや、実際の気温が低いのではなく、無意識に感じ取った殺気に肌が粟立っているのだ。


 不意に背後に人の気配が生じる。


「――ッ!?」


 瞬間。

 腰に繋げてある剣の鞘を左手で掴み、ベルトに繋がった金具を親指で弾いて外し、思い切り背後へと押し出した。


「――ガッ!?」


 鈍い音と手応え。

 口元を何かで覆っていたのか、くぐもった声が背後で漏れる。

 その所為でうめき声では、性別をはっきりと判断することができなかった。

 続けて右手で柄を握り抜刀姿勢を取る、が……アルトは振り返らず暫く静止すると、鼻から息をすぅと吐き、抜きかけた剣を元に戻した。


 殺気は既に消えている。


 一撃を受けた時点で、素早く撤退したのだろう。

 手応えはあったので、肋骨の2、3本は折れたはず。

 迷うことなく逃げることを選んだ辺り、冷静な判断力を持ち合わせているらしい。

 だとしたら、狂人を相手にするより、よほど危険で厄介な手合いだ。


「こりゃ、助かったのは俺の方かもしれねぇな」


 呟いて周囲の気配を探り、危険が無いことを改めて確認しから、帰り道に戻そうと足を一歩踏み出した。

 が、膝から力が抜け落ちるよう、アルトは大きく横によろけた。


「おお……っと?」


 壁に手を付いて身体を支え、何とか倒れ込まずに済んだが、身体が酷く気怠い。

 体温は下がって寒気を感じるのに、汗が溢れてくる。

 酔い過ぎたか?

 いや、この不安定な感覚は、アルコールのモノとは違う。


「――痛ッ!?」


 身を捩ると、骨の髄に響くような激痛が。

 背中の違和感に手を伸ばし確認してみると、ヌルッとした嫌な感触が指先を濡らす。

 目視するまでもない、血だ。


「こりゃ、不味い、なぁ」


 力がドンドン抜けて行き、壁に付いた片手では支え切れなくなった身体は、ズルズルと壁を滑るようにして、地面へと倒れ込んだ。

 どうやら背中に一太刀浴びていたらしい。


「おいおい……斬られた、ことにも気づかないなんてぇ、鈍り過ぎだろう……俺も、焼きが回ったモン、だ」


 傷口から止めどなく流れる鮮血と共に、アルトの体力が急速に衰えていく。

 路地裏独特の生臭さは、濃厚な血の匂いに上書きされる。

 触った感触ではさほど傷は深くないようだが、出血が止まらないのと身体の脱力感は少し異常。

 アルコールのせいだけではなく、刃に毒の類でも塗ってあったのだろう。


「通り魔が、毒を使うなんて聞いてねぇぞ……手口を、変えたか、それとも別人か、どちらにしても……つ、ついてないぜ」


 愚痴りながら少しでも楽な態勢を取ろうと、芋虫のように身体を動かす。

 壁に背を預けたところで力尽き、アルトは息苦しさから顎を上に向けて深く息を吐き出した。

 流れ続ける血が地面を血溜りを作り、座り込んだアルトのズボンに染み込む。


「この量だと、洗っても、落ちないぞクソッ」


 額の汗を拭いながら、力なく毒づく。

 毒自体の致死性は低いらしく、直ぐにどうこうということはないようだ。しかし、出血が止まらないのは不味い。

 血が固まらない所為で流れ続ける出血を、急ぎ止血しなければ、失血死で明日の今頃は死体安置所だ。

 けれど、処置しようにも、身体が上手く動いてくれない。

 せめて酔いがここまで回ってなければ、何とかなったのだが。


「飲んで暴れたのが不味かったなぁ……あっのクソ店主。今度会ったら治療代を請求してやる」


 請求する相手が違うが、このままでは治療代より葬式代を払う羽目になりそうだ。

 血が抜けていく所為で、余計に肌寒く感じる。そのくせ、背中の傷口だけが妙に熱いものだから、汗がダラダラと流れて止まらない。

 鮮明に浮き上がる死の存在に、アルトはへっと唇を僅かに吊り上げて笑みを零した。


「小汚ぇ路地で、ゴミに紛れておっ死ぬ……野良犬にゃ、ふさわしい末路かも、しれねぇな……」


 自嘲気味な言葉が苦しげに響く。

 明日の朝食にも困るその日暮し。騎士として戦場を駆けていたのも、今は昔の話だ。

 ここにいるのは下町に住む野良犬に過ぎない。

 そのことに後悔はしてないし、後悔する必要もないこと。

 ゆっくりと呼吸を繰り返して、息苦しさを誤魔化しながら、アルトは目を瞑った。

 運命など信じていない。けれどここで終わるなら、きっとそれは天命なのだろう。


――ザッ。


 何時の間にか、目の前に誰かの気配があった。

 通り魔がトドメを刺しに戻ってきたのかと思って、往生際悪く腰の剣に手を伸ばしながら、瞑っていた目を開くと、そこに立っていたのは奇妙な格好の少女だった。

 黒いマントを羽織り、顔の右半分を前髪で隠した短い黒髪の少女が、無表情のまま赤い瞳で、アルトを見下ろしていた。

 奇妙な格好の少女だとアルトが評したのは、彼女が雨でもないのに雨傘を差していたから。羽織った黒マントも、このご時世では奇妙と言ってよいだろうが。


「よう嬢ちゃん……ここは、小娘が遊びに来ていい場所でも、時間でもないぜ」


 荒い息遣いでおどけて見せるが、少女はこちらを見つめたままピクリとも表情を変えない。

 僅かな間、互いに見つめ合っていると、少女は軽く首を傾げた。


「怪我、しているの?」


 鈴の音に似た綺麗な声色が、心地よく耳朶に染み込む。

 次第に重くなる瞼を何とか開きながら、アルトはニヤリと笑った。


「死神様が、手招きしてお待ちかねだ……女子供にゃ、刺激が、強すぎるかも、な」


 強がってみせるが、言葉に力が入らない上、舌も回らなくなってきた。

 予想していたより出血が酷い。

 これは本格的に覚悟を決めなければと思っていると、少女は傘を畳みアルトのすぐ横に腰を下ろした。


「傷口、見せて」

「よせ。毒が、使われている。下手に触らん方が、身の為だ」


 強い毒ではなさそうだが、どんな毒か分からない以上は、触れさせない方がよいだろうと、アルトが注意を促す。しかし、少女はアルトの忠告を無視して肩を掴むと、強引に背中を壁から引き剥がした。

 自分が血で汚れるのにも、お構いなしに。


「ん~ッ!」


 か細い腕で、力が入らないアルトの身体を引っ張り、背中を支えながら自分の方へ向けた。


「……酷い傷」

「だから、よせって」

「すぐに手当する」


 強めの口調で突き放すが、少女は言うことを聞かずゴソゴソとマントの内側を漁ると、小さな瓶を取り出す。

 片手でアルトの身体を支え、もう片方の手で持っていた瓶の蓋を口で開けると、中身の液体を背中の傷口に振りかけた。


「――熱ッ!?」


 熱湯をかけられたような熱さが傷口を襲ったかと思うと、次の瞬間には傷口の焼けるような痛みが、熱と共に引いていった。


「こいつは……?」

「出血と毒はこれで大丈夫……後は、傷口を塞ぐ」


 今度は両手の平を、背中の傷口に添えた。


「水は癒し、風は安らぎ、火は営み、土は育み」


 少女が呪文を唱えると、傷口の添えてある手の平が青白く発光し、暗い路地裏を淡く照らす。

 同時にあれほど気怠かった身体に、僅かずつ活力が戻っていく。

 何が起こっているのか直ぐには理解出来ず、アルトは驚きに声も出せなかった。

 正直、信じられないけれど、傷口が閉じていくのが伝わってくる。

 背中越しなので実際に確認は出来ないが、感覚でわかる。つい数分前まで死にかけていた状態から比べれば、今の状態は雲泥の差だ。


「こいつは、魔術?」


 実際に体験するのは初めてだが、こんな芸当が出来るのは魔術しか考えられない。

 暫くなすがままになっていると、不意に背中の温かな感触が和らぎ、少女が軽く吐息を漏らす音が聞こえた。


「終わっ、た」


 ほっと、安堵する気配が伝わる。

 想像を超える出来事に、アルトは礼を述べるのも忘れて、唖然としてた。


「お、おい……っとと」


 起き上がろうとするが、膝に力が入らず、足裏を地面に滑らせる。

 背中の違和感はすっかり消えていたが、やはり血を流し過ぎたらしく、頭の中がぼんやりとしている。 身体も気怠く手足に上手く力が入らないから、動けるようになるにはもう少し時間が必要だろう。

 アルトは態勢を元の壁に寄り掛かる態勢に戻し、立ち上がって再び傘を広げている少女を見上げた。


「……小娘。名前は?」

「……?」


 そのまま立ち去ろうとしていたのか、少女は振り返って不思議そうに首を傾げた。

 頭をボリボリ掻きながら、舌打ちを一つ。


「仮にも命の恩人なのに、名前も知らないっつーわけにもいけねぇだろうが……俺はアルト。東の下町に住んでる、しがない野良犬騎士だ」


 一応は礼儀として自分から名乗ると、少女は困ったような表情で瞳を泳がせ逡巡する。

 やがて唇を開き、戸惑いがちに名乗った。


「わた、わたし……ロザリン」

「そうか、ロザリンってのか……」


 口の中でもう一度、少女の名前を反芻して、座ったまま彼女に向け、血で汚れていない右手を差し出した。


「サンキュ、ロザリン。おかげで助かった……感謝してる」

「……うん。どういたし、まして。アル」


 戸惑いながらも、少女は差し出された手を握り返した。


「アル、ね。こりゃまた、懐かしい呼ばれ方だ」


 子供の頃によく聞いた呼ばれ方に苦笑するが、それを訂正することは無かった。

 手を握る少女の力は、あれだけの大怪我を癒したとは思えないほどか細く頼りない。

 見下ろすロザリンと視線が交差すると、彼女は照れるように頬を赤く染めてはにかんだ。

 見つめる瞳はルビーのように赤く、蠱惑的な輝きがゆらゆらと揺れていた。


 ああ、この娘は本物の魔女なのだとアルトは確信する。


 そうでなければ、一回りも年齢が違うであろうロザリンの瞳を見ただけで、声を聞いただけで、遠い昔に誰かが名付けた「アル」という略称を、こうも素直に許容することは無かっただろう。

 もしくは毒が抜け、生き延びたという安堵が、あまりに懐かしいモノだったから、なのかもしれない。

 無理やりそう結論付けてアルトは、離したばかりのまだ温もりの残る手で、乱暴に頭を掻き毟る。


 その姿を見た小さな魔女は、傘を差して不思議そうに首を横に傾けていた。







初投稿です。

楽しんで頂けたら幸いです。


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