指人形
それは、道端に落ちていた。
小さい、フェルト生地の指人形。女の子だろうか、髪は長く、黒い。
麻美はそれを手に取ってみた。薄汚れてはいたが、愛嬌のある顔をしている。自分の人差し指にはめて、動かしてみると、まるで本当に人形がお辞儀をしているかの様に見えた。
普段は道端に落ちている物を拾って持ち帰ったりはしない子である。しかし、何故か麻美はその指人形を気に入ってしまった。
家に持ち帰ると直ぐに、赤いランドセルを放り出し、その指人形を見つめた。
「よし、おまえはアケミ。今日から明美よ。わたしはアサミ。ね、麻美と明美。今日からわたしの妹よ」
麻美は指人形に笑顔で語りかけ、自分でその身体を動かした。
麻美の両親は共働きである。一人っ子でもある麻美は、普段一人で過ごす事が多い。しかし両親は教育上の方針で、無闇に玩具やぬいぐるみ等を子供に与えはしなかった。
あまり活発ではない麻美は、小学校でも友達と呼べる子が居らず、寂しく過ごす事が多かった。そんな麻美にとって、明美は唯一の話し相手となった。
指人形を拾った事は、両親には黙っていた。幼いながらにも話をしたら咎められると思ったからだ。道端で物を拾って来る行為が、決して良い事であるとは思っていなかったし、見付かったら捨てられると感じていた。
麻美は明美を学校へも持って行った。勿論、誰にも見付からない様に、こっそりと。
休み時間になる度に、屋上へ続く階段の最上階の踊り場の隅っこで、明美と遊んだ。そこは麻美だけの、今は麻美と明美だけの秘密の隠れ家だった。
滅多に人が来る事のない最上階の踊り場で、麻美は明美と飽きる事無く遊んだ。
「今日の算数はちょっと難しかったわね。明美はどう?」
「私は国語の方が好きだなぁ。明美は?」
会話の度に明美はコクコクと首を縦に振ったり、身体を揺すったりして麻美に答えた。勿論、それは麻美が動かしているからに違いなかったが、麻美はそれで満足だった。
その日の休み時間も、麻美と明美は二人で遊んでいた。そこに、彼らがやってきたのである。
階下から聞こえる足音に、麻美はビクリと身体を強張らせた。
「見ろよ!」
姿を現したのは同じクラスの男子3人組だった。クラスでも悪戯好きと有名で、授業中に消しゴムを投げあったり、女子のスカート捲りをしたりと、クラスメイトや担任を困らせていた。
「へぇ、汚ねぇ人形!」
「あっ!」
男子の一人がサッと麻美が持っていた明美を取り上げた。
「やめて!返して!」
麻美が必死になって叫ぶが、それで男子が辞める訳がなく、それどころか麻美のその行動が男子達の行動を一層煽った。
「こっちだよー!」
「ノロマー!」
「ばーか!!」
男子達は互いに明美を投げ合って、麻美が泣くのを面白がった。
「明美を返して!」
「アケミ?名前まで付けてるのか?!」
「気持ち悪ぃー!!」
「あっ」
一人の男子が明美を取り損ない、階下に明美を落とした。すぐさま男子達はそれを取りに行く。麻美も取りに走ったが、その身体は男子に押し退けられ、転びそうになるのを堪えるのがやっとだった。
その時授業開始のチャイムが鳴った。
「おい、行こうぜ!」
「明美!」
男子達は明美を握ったまま、そのまま教室へと駆け出して行った。
麻美はその場に座り込み、顔を被って泣いた。
帰り道をとぼとぼと歩く。結局あの後、明美を返して貰う事は出来なかった。
麻美の頬を涙が伝う。唯一の友を失ってしまったのだ。
「明美…」
家に帰ってからも麻美は泣いた。暗い部屋で、ひとり。
「ただいまー!」
元気よく玄関の扉を開けたのは、麻美から明美を奪った男子のうちの一人である。ダイニングに置いてあるお菓子を取ると、ソファーにランドセルを投げ出した。
「行ってきます!」
母親の制止も聞かず、そのまままた外へと飛び出した。
学校の裏の森の中。森と言っても小さいものであったが、小学生にとって見ればそこは大きく、冒険の場所としても隠れ家の場所としても最適だった。
今日も仲良し三人組はその隠れ家へと集まった。各々持ち寄ったお菓子を食べながら、次はどんな遊びをしようか、どんな悪戯をしようかと作戦を練るのだ。
「あれ?お前まだそれ持ってんの?」
「あ、忘れてた」
ポケットに入れてそのまま忘れていた薄汚れた人形を取り出した。見れば見るほど気持ちが悪い。この人形に『アケミ』だなんて名前をつけて遊んでいた暗い女の子も、更に気味が悪かった。
「捨てろよ、そんなもん」
ぐにぐにと指で弄ぶ男子に、もう一人が言った。
「私、アケミよぉ」
女の声色を真似て、ふざけた様に言った。それには他の二人も笑った。笑って、更に真似をした。
「アケミはお人形なのぉ」
「薄汚れたお人形なのぉ」
ケラケラと笑いながら続ける。新しい遊びを発見したのだ。三人は悪ふざけを続ける。その度にケラケラと笑ってはぐにぐにと人形を指で弄んだ。
「いてッ」
不意に一人の男子が人形から手を離した。つ、と真っ赤な血が垂れ、明美はその場にぽとりと落ちた。
「どうしたんだ、それ」
「わかんね、何かで切った」
何かとは何だろう。人形しか触っていなかった筈なのに。
男子は落ちた人形を見た。ニタリとその顔が笑った様に見えた。
泣き疲れて眠ってしまったのか、目覚めた時は既に部屋は薄暗かった。のろのろと起き上がり、麻美は部屋の電気を付けた。
物音は何ひとつ無かった。両親はまだ返って来ていないらしい。
麻美はふと机の上に目をやった。
「明美!!」
どういう訳だろう。そこにはちょこんと明美が乗っていた。
「どうしたの明美!帰って来たのね、お帰りなさい!!」
麻美は明美を抱きしめた。口元に真っ赤な血の様な汚れが付いていたが、麻美は気にしなかった。
友達が帰ってきたのだ。麻美にはそれだけで十分だった。
その夜、久々に家族揃っての夕食となった。父親も母親も、仕事が早く終わったのだと、嬉しそうに帰って来てくれた。麻美はポケットにそっと明美を忍ばせ、夕食を楽しんだ。
テレビからは今日のニュースが流れていた。
『今日未明、○○小学校の裏山で三人の男の子の遺体が発見されました。三人の男の子にはどれも指がなく、獣に食い千切られたのではないかと見て、警察は…』